らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

台湾旅行(3)蓮池潭

2019-04-29 | 旅行

台南市の赤嵌楼と延平郡王祠を見学した後、高雄市に入りました。
高雄市は台湾地区最大の面積を有する都市で、人口おおよそ277万3千人を有する台湾第3の都市です。
その高雄市の観光では夕暮れ時と言うこともあって、神秘的な絶景で有名な観光名所、蓮池潭(れんちたん)に行きました。

「蓮池潭」
高雄市の少しはずれ左營區にある「蓮池潭(れんちたん)」は、周囲約5km、水域面積は約75ヘクタールと、区内最大の淡水湖です。
昔は池の中にはたくさんの蓮の花が植えられており、夏の暑い時期になると、湖には蓮の花が満開となり、すがすがしいさわやかな香りが溢れ、とても美しい景色を見ることが出来たことから、「蓮花潭」とも呼ばれているのだそうです。 
夕ぐれ時になれば、湖に建てられているいくつかの中国らしい独特な建物は、美しく湖面に映り、ため息が出るほど神秘的な絶景をつくりだしています。
私たちが訪れたときも夕暮れ時と言うこともあって素晴らしい景観が見られました。
池の南側には、色鮮やかな春秋閣、五里亭、龍虎塔などがあり、旅行ガイドブックなどでもよく載せられているため、毎日多くの観光客で賑わっています。



「五里亭(中国風東屋)」
見学する時間がなかったので、龍虎塔の湖畔よりズームで撮影しました。
正面からの画像はネットより下記にアップしておきます。

・「五里亭(中国風東屋)」と右側奥は「北極玄天上帝神像」です。


時間の関係で訪問できなかったのでネットから写真を拝借しました。
・五里亭です(ネットより)


「北極玄天上帝神像」
玄天上帝像は水上神像としては東南アジア最大級で、中国圏の人なら誰もが知っている有名な神様です
高さ22メートル、右手には七星剣(ひちせいけん)と言う、古代中国では宝刀と呼ばれる剣を持ち、左足で蛇と亀を踏みつけています。

(画像はネットより)


「春秋御閣」
龍虎塔から少し北の方へと歩いて行くと、観音様が龍に乗っている姿がとても眩しい春秋閣があります。
春秋御閣は典型的な道教の施設で、1953年、戦いの神とされる武聖、関羽を祭って建てられました。
春閣・秋閣の同じ大きさのふたつの塔からなり、その間には、騎龍観音像があり、観音菩薩が雲の間から龍に乗って現れ、信者にその姿の像を現在の位置に立てるよう命じたという伝説があるようです。



こちらも時間の関係で訪問できなかったのでネットから写真をお借りしました。
・春閣・秋閣のあいだにある騎龍観音像です。(ネットより)


「龍虎塔」
蓮池潭で最も有名かつ人気の観光スポットが、虎と龍が出入口になった2つの塔、「龍虎塔」です。
建設は1976年と比較的、最近とのこと。
湖の中に、七階建ての2つの塔が隣接して立ち、その間は短い橋でつながっています。
出入り口には、極彩色で塗られた虎と龍が、それぞれ大きな口を開けて待っていて、観光客がその中へと入っていきます。
実はここは風水のパワースポットとしても知られているのだそうです。

 龍虎塔でご利益を願うときには、1つだけ、守らなくてはいけない決まり事があります。
参観する際は、龍の口から入り、虎の口から出ること。そうすると幸運に恵まれ、悪いことを避けられると言われています。
台湾では、十二支の動物のなかで、最も高潔なのが龍、一番、凶悪なのが虎、と考えられており、龍の口から入り、虎の口から出ることで、これまでの自分の悪い行いが清められるのだそうです。
もし間違って、虎の口から入ってしまった場合は、もう一度、正しい順序で参観すればよいそうです。

・龍虎塔


「慈済宮」
龍虎塔の目の前に「慈済宮」があります。
慈済宮に祀られているのは、保生大帝というお医者さんで、「鳳山県志」の記載によると慈済宮は1719年に建てられてから300年近くの歴史があります。
廟はもともと別の場所にありましたが、日本時代に左営軍港建設にあたり移転することになり、1959年に現在の蓮地路に祀られました。

ここはお医者さんが祭られているだけあって、おみくじもちょっと変わっています。
その名も「薬籤」。処方箋や病気の今後の状況がかかれているんです。
おみくじの引き方は他の廟と同じです。まず神様に住所、氏名、生年月日を告げ、「おみくじを引いてもいいですか?」と聞きます。
神様の言葉は木2つで作られた赤い「杯筊」というものを投げると分かります。床に落として表と裏が対になったらOKというサインです。

神様に許可を得たら、写真の「薬籤」を一本取り「これでいいですか?」と神様に聞きます。
表と裏が出たら、箱の中から番号と同じおみくじを取ります。
慈済宮のおみくじには、大吉、中吉、小吉などと書かれているものもあります。
病気の治し方のアドバイスが得られたり、病気が今後どうなるかを推測することもできるのだそうです。




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台湾旅行(2) 延平郡王祠

2019-04-27 | 旅行

一昨日に続き台湾旅行の2回目です。
関西空港から台南空港に到着後、すぐに市内観光を始めました。
前回の赤嵌楼を見学した後、オランダ支配下ら台湾を開放に導いた英雄・鄭成功を祭る廟、延平郡王祠を見学したのでご紹介します。

 「延平郡王祠 」
延平郡王祠(えんぺいぐんおうし)は、台南市中西区開山路にある鄭成功を祀る祠で、開山王廟(かいざんおうびょう)ともいいます。
オランダ支配から台湾を解放に導いた民族的英雄・鄭成功を祭る廟です。
1662年の創建で、日本統治期には開山神社と改称されました。

・延平郡王祠(前の牌坊は昔の鳥居です


この延平郡王祠は台湾を占領していたオランダ人を駆逐した鄭成功の功績を賛え、鄭が死去した1662年に彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられました。
1875年には、清朝の大臣・沈葆楨によって福州式建築の新しい祠が建てられました。
日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格しました。 日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され本殿とされました。

・本殿です。


第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられました。
建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠は古蹟に認定されておらず、史跡のみだそうです。
中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」(田川松)の位牌が安置されています。

歴史上の鄭成功は、自身の目標である「反清復明」を果たす事無く死去し、台湾と関連していた時期も短かったのですが、鄭成功は台湾独自の政権を打ち立てて台湾開発を促進する基礎を築いたそうです。
父 鄭芝竜と日本人の母・田川松との間に生まれ、7歳まで平戸で過ごした鄭成功は今日では台湾人の宥和的精神の支柱・象徴(開発始祖)とされているそうです。

・鄭成功の座像です。


本殿の後殿に安置されている「翁太妃(本姓 田川之神位)」です。

・鄭成功の母「翁太妃」(田川松)の位牌です。


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台湾旅行(1)赤嵌楼

2019-04-24 | 旅行

平成最後となる4月下旬に海外旅行に行ってきました。
渡航先は台湾で、JTBが募集した「たっぷり10都市 はじめての台湾 5日間」というツアーです。
このツアーは関西空港から台湾南部の台南空港に行き、台南市から高雄市、台東市、花蓮から台中、台北を観光する台湾一周ルートです。
1年4カ月休んでいた当ブログに、今日からこの旅行記を少しづつアップしたいと思います。

観光ルートを地図に赤く線引きしました。
スタートの台南市は下部左側、中央に横線を引いているところは「北回帰線」です。
回帰線は南と北にあって、ともに23度27分の緯線で、その北の「北回帰線」が台湾を横切っており、それについては後日アップします。

 
「赤嵌楼(せきかんろう)」
赤嵌楼は台南で最も歴史の長い史跡で、別名「紅毛楼」とも称し、台湾台南市中西区に位置しています。
オランダ人によって築城された旧跡で、原名は「プロヴィンティア(普羅民遮)」と称し、1653年にオランダ人と漢人の衝突事件である郭懷一事件の後に築城されました。
鄭成功が台湾を占拠すると、プロヴィンティアは東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関となりました。
その後、修復され現在の姿になっています。
赤嵌楼(せきかんろう)周辺には廟や庭園もあり、台南の一番の人気スポットになっています。



横から見た赤嵌楼(せきかんろう)












オランダ人によって築城された「プロヴィンティア(普羅民遮)」城の復元模型です。
説明によれば、この城塞は山を背に海を臨み、平安鎮と赤嵌城と対峙する。
周長45丈3尺、高さは凡そ3丈6尺あまりとあります。
(なお、1丈は尺の10倍で約3m)


オランダ人によって築城された「プロヴィンティア(普羅民遮)」城の一部です。



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