らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

フジバカマに集う「ツマグロヒョウモン」

2021-10-31 | 地元紹介

今日は第49回衆議院選挙です。
衆議院選挙は「政権選択選挙」と呼ばれています。
政権選択選挙とは、どの政党に政権を託すのかを選択する選挙で、現時点では自公政権か野党政権かを選ぶことになります。
従って、今日の開票結果次第になりますが、首相は岸田文雄氏か枝野幸男氏になる見込みです。
有権者の皆さんは、どちらが首相に相応しいかをご判断いただき、棄権することなく選挙に行っていただきたいと思います。

各党の選挙公約には「所得税減税と低所得者への12万円給付」「子供に一律10万円給付」「消費税は5%に引き下げ」などの国民受けするものをそろえていますが、それを実現する財源については詳細を語っていません。
10年前にバラマキを公約して野党が政権を取った時は財源不足で「絵に描いた餅」になりました。
有権者には、財源の具体性と真贋(しんがん)を見極めることは勿論、コロナ対策、経済対策、外交・安全保障政策などをよく検討したうえで投票することが求められます。

「フジバカマが満開」
ところで選挙とは関係ないのですが、今、私の畑ではフジバカマが満開となっています。
このフジバカマにはアサギマダラがやってくると言われているので、それを楽しみにしているのですが、未だ見たことがありません。

・フジバカマに飛来したアサギマダラです。(ウィキペディアより)


畑のフジバカマにはアサギマダラの代わりに黄色い蝶がたくさん飛来しています。
調べてみるとこの蝶は「ツマグロヒョウモン」という蝶のようです。
今日はツマグロヒョウモンをご紹介します。

・満開のフジバカマの密を啄んでいるツマグロヒョウモンです。


「ツマグロヒョウモン」
ツマグロヒョウモンは、チョウ目、タテハチョウ科、ヒョウモンチョウ属の蝶で、成虫の前翅長は約40mm、翅の模様がヒョウの体の模様のように黄色に黒い斑点があります。
日本での分布は、本州では1980年代まで近畿地方以西でしか見られませんでしたが、徐々に生息域が北上し、関東地方北部でも見られるようになりました。
世界では、アフリカ北東部からインド、インドシナ半島、オーストラリア、中国、朝鮮半島、日本までの熱帯・温帯域に広く分布しています。

・ツマグロヒョウモンの雌です。
 雌の前翅先端部が黒色で、斜めの白帯を持つのが特徴です。


「名前の由来」

翅の模様がヒョウの体の模様に似ていることと、端を意味する’ツマ’が黒いことが名前の由来です。



成虫は4月頃から11月頃まで見られます。
幼虫は黒地に赤い線が入った模様で、トゲが生えており、毒虫を思わせる姿ですが、毒は持っていません。
成長するにつれて食欲が旺盛になり、スミレやその仲間のパンジーなどを一株すべて食べつくしてしまいます。




・ツマグロヒョウモンの雄です。雄の翅の表側は豹柄だが、後翅の外縁が黒く縁取られている。


「ツマグロヒョウモン」も綺麗なのですが、環境省の準絶滅危惧種に指定されている「フジバカマ」を大事に育てている私の畑には、矢張り、本命のアサギマダラに来てほしいと願っています。

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たで食う虫も好き好き

2021-10-29 | 家庭菜園

蓼(たで)と言う植物をご存知でしょうか?
今、私の畑のあぜ道にイヌタデが群生していますのでご紹介します。

「イヌタデ」
イヌタデは、タデ科、イヌタデ属の一年草で、日本各地を始め、北半球に広く分布している雑草です。
名前の由来は、ヤナギタデに対し、葉に辛味がなくて役に立たないという意味で「イヌタデ」と名付けられたそうです。
別名はアカノマンマと言いますが、こちらは、赤い小さな花や果実を赤飯に見立たことが由来と言われています。

・あぜ道のイヌタデが群生している箇所です。


イヌタデは道ばたや畑、荒地などにごく普通に生える高さ20~50cmの1年草の雑草です。
4月から11月にかけて茎の先端から長さ5㎝~10㎝ほどの花穂を出し、紅紫色をした小さな花を密につけます。
茎は赤みを帯び、下部は地を這います。

・未だ蕾の状態ですが、紅紫色をした小さな蕾がたくさんついています。


「オオイヌタデ」
畦道には白色のオオイヌタデも咲いています。
オオイヌタデもタデ科、イヌタデ属の一年草の雑草です。
花期は6月~11月、草丈1m位、花穂は15cm~20cmくらいで先が垂れ、花色は白色又は淡紅色です。

・オオイヌタデの白い花です。


オオイヌタデも道ばたや荒地、河原などに生える1年草の雑草です。
茎はよく分枝して節が膨らみます。



諺に、「たで(蓼)食う虫も好き好き」がありますが、ここで言われている蓼は、茎や葉に苦みや辛味があるヤナギタデのことです。
意味は、人の好みは多様性に富んでいるということを例えたもので、その謂れは、辛くて苦い蓼を好んで食べる虫がいるように、人の好き嫌いもさまざまであるということです。
なお、この諺を「田で食う虫」とか「他で食う虫」と書くのは誤りであり、また「蓼」を「だて」というのも誤りなので気をつけたいものです。


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眞子さまのご結婚とカラスウリ

2021-10-27 | 時事

「眞子さまのご結婚」
昨日、眞子さまと小室さまが結婚されました。
誠におめでとうございます。心よりご祝福を申し上げます。

眞子さまと小室さんの結婚について、賛否両論の声があがっていました。
否定的な意見のひとつの要因が小室さんの母親とその元婚約者との「金銭トラブル」です。
しかし、憲法第24条 第1項には、「婚姻は、両性の合意に基いてのみ成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と定められています。
他者が当事者同士の判断を邪魔したり、妨げとなるようなことをしたり、SNSなどで誹謗中傷することは厳に慎まなければなりません。
ましてや今回の金銭トラブルは母親が抱えた借金であり、その子をバッシングするのは筋違いです。
にも拘らず、マスコミは執拗に取り上げていました。

このような世論に配慮されたからなのでしょうか?
秋篠宮家や眞子さまは皇室の儀式や結婚式などは一切行わず、皇室を離れる際の一時金の受け取りも辞退されるという異例の結婚となりました。

眞子さまは2017年9月の婚約発表からマスコミやメディアのバッシング、誹謗中傷によって複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)になり、相当辛い思いをされていると報じられています。
その眞子さまと小室さまは婚約発表から4年にわたる艱難辛苦(かんなんしんく)に耐えて、やっと今日に至ったのです。
好きな人と添い遂げたいという眞子さまの強い意思を尊重し、お幸せな日々が生活が送れるように、全国民が心からご祝福を申し上げようではありませんか。

「眞子さまのお歌」
眞子さまが今年の歌会始で詠んだ歌にカラスウリの歌があります。

   「烏瓜 その実は冴ゆる 朱の色に 染まりてゆけリ 深まる秋に」

カラスウリの『花言葉』には『誠実』や『よき便り』などがあることから、この歌は眞子さまが熱望している小室圭さんとのご結婚を念頭に詠まれたのではないかと言われています。

実際、宮内庁担当記者は「秋に悲願の結婚を結実させたいという思いを反映しているのではないか」とのことであり、
皇室ジャーナリストの方も、「短歌をどのように解釈するかは人それぞれですが、眞子さまのお歌からは小室圭さんとの結婚を待ち望んでいるという心情も汲み取れるのではないでしょうか」と述べられています。
この短歌の「実」が「身」に通じるとすれば、自分自身の心身が冴えて深まる秋に染まっていき、結婚へのご意思を示されたお歌とも解釈されるということです。

・16年8月撮影したカラスウリの花です。


「カラスウリ」
ところで、眞子さまが詠んだカラスウリとはどのような植物なのでしょうか?
過去に撮影した画像がありますのでご紹介します。

「カラスウリ(烏瓜)」はウリ科の蔓性多年草で山地に自生しています。
夏には白色で縁が糸状に広がった美しい花を夜に咲かせ、晩秋には赤く熟します。
白色で五弁の花弁は縁部が無数の白く細いひも状になって伸び、直径7~10㎝程度の網状あるいはレース状に広がります。

・2009年7月撮影したカラスウリの花です。


花後には小さな実が実り、秋になると赤く色づいてきます。

・色づき始めたカラスウリ実です。(2010年10月撮影)


この赤く熟した実を烏が好んで食べることから「烏瓜」といわれているようです。

・赤く色づいたカラスウリの実です。(2009年11月撮影)

・2009年8月撮影
ファイル:Trichosanthes cucumeroides fruit.jpg

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ヒペリカムの花と伝説

2021-10-25 | 

春に咲いたヒペリカムの花が、先日、2輪咲きました。
ヒペリカムは春と秋の年2回黄色い花を咲かせます。
今日は我が家に咲いたヒペリカムの花と悲しい伝説をご紹介します。

「ヒペリカムの花」
ヒペリカムはオトギリソウ科オトギリソウ属の多年草で、和名は分類名と同じ「オトギリソウ(弟切草)」です。
そして、別名は、ヤクシソウやアオグスリなどと呼ばれることもあります。

開花は春と秋の年2回で、春は4月~5月頃、秋は9月~10月頃に黄色い花を咲かせます。
その後に結実し、白い実は徐々に赤く色づいていきます。
花径は5㎝前後で、雄しべは基部で5つの束となっています。

・秋に咲いたヒペリカムの花です。


「薬草」
ヒペリカムの茎や葉は、昔から民間薬として止血や傷薬などに利用されており、現在も地方によっては民間療法に活用されているということです。



ヒペリカムは、和名にオトギリソウ(弟切草)という怖い名前が付いていますが、この名前には次のような伝説があります。

「弟切草伝説」
平安時代の花山院(第65代天皇:在位984年9月~986年8月)の御代の頃、春頼という優れた鷹匠がいました。
彼は鷹匠としての腕はもちろんのこと、ケガをした鷹を治療する名人でもありました。 
仲間の鷹匠たちはその治療法が知りたくて、春頼に詰め寄るのですが、春頼は秘密を絶対に教えません。
そのため鷹匠たちは、春頼の弟に兄の秘密を教えるよう迫ったのです。

弟は仲間のお願いを断り切れず、「兄はこの草を傷口に揉みこんでいるんです」と、兄の大事な秘密を教えてしまいました。
 このことを知った春頼は、怒りに怒って弟を切り捨ててしまったのです。
それ以来、鷹の治療に使ったその草はオトギリソウ(弟切草)と呼ばれるようになりました。

・赤い実が可愛いヒペリカムです。


「花言葉」
ヒペリカムには、きらめき悲しみは続かない、などの花言葉があります。
ヒペリカムの鮮やかなイエローの花は、太陽の光を受けて、輝いているように見えるため、”きらめき”とつけられたのでしょうか?
また、ヒペリカムは一日花で儚いですが、花が終わった後に、かわいい実をつけることから、”悲しみは続かない”との花言葉がついたといわれています。

弟を切り殺すという怖い伝説があるヒペリカムは、花と共に実も観賞して楽しむ植物です。

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備中の聖人・山田方谷

2021-10-23 | 地元紹介

先日、読売新聞の5ページの3分の2の紙面を使ったS社の広告がありました。
タイトルは「山田方谷(やまだほうこく)の精神に学ぶ」と題して、”至誠惻怛”からSDGsを実現するというものです。
この広告に山田方谷の肖像画が載っていたので、思わす広告を読んでしまいました。
というのも、山田方谷は私の故郷、岡山が生んだ幕末、江戸後期の偉人であり、”備中の聖人”と呼ばれていたことを知っていたからです。
そこで今日は山田方谷についてご紹介します。

・これが新聞広告の一部です。


「備中の聖人・山田方谷(1805年~1877年)」
山田方谷(ほうこく)は幕末・明治の政治家、教育者で、文化2年(1805年)備中松山藩領西方村(現在の岡山県高梁市中井町西方)に生まれました。
5歳で新見藩(現岡山県)の丸川松隠に儒学を学び、神童と称されるほど優秀だったそうです。
文政8年(1825年)松山藩士となり、同12年(1829年)には藩校有終館会頭(教頭)、その後、京都や江戸に遊学し、天保7年(1836年)の帰藩後は有終館学頭(校長)となりました。

また、藩主・板倉勝静(いたくらかつきよ)の命を受け、質素倹約や産業振興などの藩政改革を行い、多額の借財を短期間で返済して藩の窮状を救うなどの功績を挙げたのです。
その偉大な足跡から”備中の聖人”と呼ばれました。

その後、勝静(かつきよ)が老中首座として幕府の政治を担当するとその顧問として活躍します。
大政奉還から続く戊辰戦争では、勝静は老中として大坂城の将軍・徳川慶喜の元、幕府側に就いて官軍と戦うこととなりました。
これに対して朝廷は岡山藩などの周辺の大名に、松山藩を朝敵として討伐するよう命じたのです。

突然の出来事に対して、松山の人々は動揺しました。
山田方谷は、主君勝静に従って官軍と戦うよりも松山の領民を救うことを決断し、勝静を隠居させて新しい藩主を立てることと、松山城の開城を朝廷に伝えました。

明治元年(1868年)松山城を無血開城させた後は、長瀬塾(岡山県高梁市)や刑部塾(大佐町)を開いて子弟の教育に専念しました。
幕末から明治にかけて活躍した三島中洲、河井継之助らを育て、明治10年(1877年)に没しています。

・備中松山城です。標高430mの臥牛山(がぎゅうざん)山頂に築かれており、現存する山城では最も高所にそびえるお城です。


「山田方谷の理財論と擬対策」
方谷の「理財論」と「擬対策」は後に、弟子の三島中洲の「義利合一論(ぎりごういつろん)」へと発展し、三島が拓いた私塾である二松学舎を通して渋沢栄一を初めとする関係者たちに伝えられ、彼らを通して日本の財界に深い影響を与えることになりました。

更に、至誠惻怛(しせいそくだつ)という真心と慈愛の精神を説いたことでも知られています。
例えば、他人を小人呼ばわりした三島中洲に「世に小人無し。一切、衆生、みな愛すべし。」と戒めたと言われています。
この後、至誠惻怛の精神は福西志計子(ふくにししげこ=教育者)らを通して石井十次(岡山孤児院を創設)、留岡幸助(日本の社会福祉の先駆者)、山室軍平(宗教家で説教者)らに影響を与えていき、日本の福祉の歴史においても大きな影響を与えました。

「参考」
・義利合一論(ぎりごういつろん)とは、「義」と「利」を両立させようという考え方です。
 義は会社でいうビジョンと理念のこと、つまり大義のことで、利は利益のことを言います。
 日本資本主義の父と言われた渋沢栄一は「論語と算盤」と三島中洲が唱えた「義利合一」をモットーにしていたということです。

・理財論とは、簡単に言えば、目先の小さなその場しのぎの「利」を追うのではなく、綱紀や法令を整えるという「義」を明らかにし、それを基準にして物事を分別すれば自ずと本当の「利」が手に入る、という考え方です。

・擬対策とは、方谷の政治改革におけるキーワードです。
 賄賂政治がまかり通り、武士たちの度を超えた贅沢が財政を圧迫している要因と考えた方谷は、清廉な政治が必要であることを説き、支配層である武士が民を大切にすることが政治の要諦であるということを信念として改革を推進したという策です。

 

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柿と杮の違い

2021-10-21 | 雑学

実りの秋を迎え、スーパーの果物売り場には、秋の味覚の一つ、「柿」がたくさん並んでいます。
柿が好きな私には味覚をそそる季節となった訳ですが、それはさて置き、今日は「柿」とよく似た漢字の「柿」について調べました。

早速ですが「柿」と「杮」、この漢字の違いがお分かりでしょうか?
同じに見えますよね。
ところが、パソコンで別々の言葉を入力して変換したところ、この漢字が出てきたのです。
この大きさの文字では同じに見えますが、この漢字は全く別の漢字なのです。

実は左は「カキ」を変換して出てきた漢字であり、右は「こけら」を変換した時の漢字なのです。
大きくするとはっきりと区別できると思います。
これならお分かりですよね。

   

「柿」と「杮(こけら)」の違い
「柿(かき)」は、右側のつくりの部分は「市」で、上部は「なべぶた」(横棒の上に点が乗っている)になります。
一方「杮(こけら)」は1本の縦棒が横棒を突き抜ける形で、上から下まで貫かれており鍋蓋ではありません。

「杮(こけら)の意味」
「杮(こけら)」とは、『新明解国語辞典』によると、「材木を削った木片。けずりくず。[狭義では、屋根をふくのに使う薄い板を指す。]」とあります。
そして「こけらおとし」の項目には「[建築工事が終わって足場などの杮(こけら)を払い落とすことから]新築の劇場や映画館で行われる最初の興行」と説明しています。

広辞苑でも、木材を削る時できる木の細片。また、木材を細長く削り取った板。と説明しています。
そして「杮(こけら)落し」については(工事の最後に屋根などの木屑を払い落したところから)新築劇場の初興行。と説明しています。

「こけら落としの由来」
では、なぜ新築の劇場のお披露目公演に「こけら落とし」という言葉を使うのでしょうか?
これには日本の伝統技術である「こけら葺(ぶき)」が関係していると言われています。

こけら葺(屋根葺手法の一つで、木の薄板を幾重にも重ねて施工する工法)とは、日本の伝統的な屋根技法で、古くは飛鳥時代から使われていた技法です。
江戸時代の歌舞伎場の屋根もこのこけら葺という技法で作られていて、完成した時に木くずを屋根から払い落してお披露目をしたことから、劇場などでの新築お披露目公演に「こけら落とし」という言葉を使うようになったということです。

「柿」と「杮」は、パソコンやスマートフォンなどで変換すると同じ字が出てきますが、意味も漢字も全く違います。
間違わないように、十分気を付けたいですね。

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シュウメイギク

2021-10-19 | 

今日は庭に咲いている、「シュウメイギク(秋明菊)」をご紹介します。

シュウメイギク(秋明菊)は、キンポウゲ科イチリンソウ属の耐寒性多年草です。
名前にキクが付いていますが、菊の仲間ではなくアネモネの仲間で、英語ではジャパニーズ・アネモネ(Japanese anemone)と呼ばれています。
しかし、原産地は中国で、日本には古い時代に入ってきた帰化植物だということです。



中国で発見された当初は、この世のものとは思えない可憐な咲き姿から “ 秋に咲く冥界(黄泉の国)の菊 ”という意味で「秋冥菊 」の漢字が使われていました。
しかし「冥」の字では暗い印象を持ってしまうことから、今では「明」の字に変わり 「秋明菊」と書かれるようになったということです。



日本では本州、四国、九州の山野や里山に自生し、毎年花を咲かせる宿根草です。
草丈は50cm~1mになり、茎頂から数本の花枝を長く伸ばし、直径5~7㎝の花を一個ずつ咲かせます。

葉は根元に集中しており、花の周りには比較的小さな葉だけがつき、秋に、細長い茎先に菊花に似た白または、桃色、淡紅紫色の花のような萼片をつけます。
萼片が散った後に球状の花芯が残り、熟して割れると真っ白な綿毛が現れ、綿毛の中には胡麻粒のような種子が多数あります。



秋明菊は別名を「貴船菊」「秋牡丹」と言い、欧米ではボーダーガーデン(生垣とか、壁にそって伸びる細長い帯状の花壇のこと)や日本風のガーデンには欠かせない植物となっているそうです。

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禍福は糾える縄の如し

2021-10-17 | 雑学

一昨日の報道では、国内で新たに確認されたコロナの感染者は531 人でした。
感染者が10人未満の県は33県、そのうち感染者数ゼロは5県で全国的に減少傾向が続いています。
9月末に緊急事態宣言が解除されて2週間余り経過して日常が戻りつつありますが、感染のリスクが無くなった訳ではありません。
感染再拡大の懸念は依然として残っており、第6波を起こさないように、引き続き感染対策には十分留意なくてはなりません。

ところで、コロナ禍の昨年と今年は、企業やサラリーマンの皆さん、更には自営業者に至るまで、全ての国民が大変厳しい思いをしました。
中には倒産や廃業に追い込まれた会社もあり、失業した方や生活に困窮された方もいらっしゃいます。
そのような方に次の諺をご紹介したいと思います。

「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄の如し」です。

「注釈」
「禍福」とは、災難と幸福、不運と幸運、災いと幸い、
「糾える」は、紐や縄などがより合わさった状態や、交互に絡ませた状態を指す言葉です。

「意味」
この諺は、世の中、不幸が転じて幸福になったり、逆に幸福が転じて不幸になったりする。幸福と不幸とは巡り巡って代わるがわるやってくるものだという意味になります。

即ち、災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のように代わるがわるやって来るものだ。
不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。
成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということを譬えているのです。



「由来」
この諺の由来は、前漢の歴史家・司馬遷(前145頃~前86頃)がまとめた歴史書『史記』の一節からです。
司馬遷は戦国の戦いで、失敗を成功に変えた武将をたたえて、次のように述べました。

原文、「因禍爲福。成敗之轉、譬若糾墨」
読み、「禍(わざわい)に因(よ)りて福(ふく)と為す。
    成敗(せいはい)の転ずること、
    譬(たと)えば糾(あざな)える墨(ぼく)のごとし」

「人生訓」
「禍福は糾える縄の如し」の諺は、人生訓としてよく紹介されます。
物事が順調なときには油断しないように、おごる気持ちを戒める意味で、また物事がうまくいかないときは、気持ちを前向きにする意味で使用される言葉です。

「類語」
この諺と意味が似ている言葉や言い換えが可能な言葉の一つに、「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」があります。
「人間万事塞翁が馬」とは、人生、思いがけないことが幸福を招いたり、不幸につながったりして、だれも予測がつかない。だからやたらに喜んだり悲しんだりしても始まらない、ということです。

コロナ禍で厳しい状態になっている皆様、「幸福と不幸は変転する」というこの諺の通り、前向きに、希望を持ってお過ごしいただきたいと思います。

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鉄道の日と井笠鉄道記念館

2021-10-15 | 地元紹介

昨日は「鉄道の日」でした。
国土交通省によれば、 この日は明治5年(1872年)10月14日、新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開通したことを受け、大正11年(1922年)日本国有鉄道により、鉄道記念日として制定されました。

「鉄道の日」
日本の鉄道は1872年(明治5年)10月14日(旧暦9月12日)に、新橋駅(後の汐留貨物駅、現:廃止)~横浜駅(現:根岸線桜木町駅)間で日本初の鉄道が開業しました。
1921年(大正10年)10月14日に鉄道開業50周年を記念して、東京駅の丸の内北口に鉄道博物館が開館したことを記念したことも併せ、翌年に鉄道記念日が制定されたものです。
その後、JR発足後の1994年(平成6年)からは運輸省(現:国土交通省)の提案で「鉄道の日」と改称され、JRグループ以外の民間鉄道の記念日にもなっています。

「井笠鉄道記念館」
私の故郷、岡山県笠岡市には「井笠鉄道」がありました。
しかし、時代はモータリゼーションへと移っていったことから利用客が減少し、昭和46年に廃線となりました。
現在は、旧 新山駅が「笠岡市井笠鉄道記念館」として当時のまま残り、数々の鉄道装備品を展示しています。

・笠岡市井笠鉄道記念館となっている旧新山駅です。(2014年5月撮影、以下同じ)


・記念館に掲げられている井笠鉄道沿線図です。


・同じく記念館に掲げられている、昭和45年当時の新山駅の時刻表です。


「展示されている鉄道装備品」
中央の赤い機械はタブレット閉塞式です。通票閉塞式に代わって昭和13年(1938年)頃から井笠鉄道に導入さたそうです。
閉塞装置とは、停車場外の本線を区間に分け、一つの区間に二つ以上の列車を同時に運転させないための装置です。

・記念館に展示されている嘗ての鉄道装備品です。


「ドイツのコッペル社製蒸気機関車」
この1号機関車は大正2年11月17日、岡山県の井原・笠岡間19.4kmの鉄道営業を始めた井笠鉄道株式会社が、昭和30年10月7日の蒸気列車全廃に至るまでの42年間を走り続けました。
機関車は井笠鉄道廃線の翌々年の1973年(昭和48年)から5年間、西武山口線(東京:東村山~埼玉:所沢間)で「おとぎ列車」の牽引に使用されたそうです。

・1号機関車です。1913年のドイツのコッペル社製という由緒ある蒸気機関車です。


1号機関車と木造客車「ホハ 1(1913年日本車輌製)」、それに通称「マッチ箱」と呼ばれた木造貨車「ホワフ 1(1914年日本車輌製)」の編成で再現された軽便列車です。  
このような形の5~6両編成で運行されていました。



・嘗ての鉄道跡は、現在は片側一車線の道路になっています。


鉄道の日に合わせ、嘗て運行していた故郷の鉄道を懐かしんでアップしました。

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落花生の収穫

2021-10-13 | 家庭菜園

9月下旬にカラス対策として落花生の畝にテグスを張りましたが、その効果あって、今年はカラスの被害には遭いませんでした。
その落花生、今月に入り葉っぱが黄色に色づき始めたので先日収穫しました。

落花生の収穫は、一般的には開花から80日~95日程度で、茎や葉っぱが黄色くなって下の葉が枯れてきた頃と言われています。
我が家では毎年、6月下旬の開花から3カ月余りとなる10月初旬に葉っぱや茎が黄色に色づき始めることから、この時期に収穫することにしています。
今年も先日、例年通りの収穫時期になったと判断できたことから収穫したものです。

「収穫」
先ず、カラス除けに張ったテグスと支柱を片付けた後、株から四方に伸びた枝の節から子房柄が土に入っているのでスコップで掘り返して子房柄を浮かせます。
その後に株の下をスコップを押しこんで掘り起こします。

・葉が黄色になってきており、収穫時期と判断した落花生の畝です。


「1株の収量」
これが掘り起こした1株です。
株元から枝先の方まで落花生の莢果(きょうか)がついています。
今年はカラスの被害に遭わなかったので、比較的よくできたと思います。
植え付けた26株の内、よく育った株には、1株にこのくらい莢果がついていました。
しかし、枝先の方の小さな莢果には豆は入っていません。



中にはコガネムシの幼虫に食害された莢果や、既に芽が出ていた莢もありました。



「総収穫量」
5月24日に植え付けた今年の落花生の収穫量は下記の通りです。
この後、莢果を水洗いして天日で乾燥させます。
更に、実の入っていない莢果や虫食い等を選り分けて収獲作業が終了となります。

・これが収穫した落花生です。 


「食べ方」
我が家では乾燥させた落花生の莢から豆を取り出し、オーブンで4分ほど焼いて食べます。
とても美味しいです。
ネットを調べると、茹でて食べるのも美味しいということです。

「茹で方」
1. 鍋に落花生と水、塩を入れて沸騰させたら、弱火にしてから落し蓋をして約50分煮ます。
2. 煮終わったら、約15分浸して落花生に塩味をつけます。長く浸すほど塩気が増すので、漬けすぎしないように注意が必要とのことです。

・圧力鍋があれば茹で時間が短くなります。
1.鍋に落花生を入れて全体的に浸るくらい水を入れたら、塩を入れて煮込みます。
2.圧力鍋の蓋をして強火で圧がかかってきたら、約3分ほど中火にします。
3.圧が下がったら出来上がりです。

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