らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

衆議院選挙開票結果

2009-08-31 | 時事

昨日の衆議院議員総選挙の開票結果は事前の予想どおり民主党が圧勝し、自民党は惨敗しました。 
民主党は小選挙区、比例代表を合わせ308議席を獲得し、政権交代を果たすと共に、一つの政党が獲得した議席数としては戦後最多の獲得議席数となりました。

今朝の新聞やテレビの報道によれば、この要因として、自民党政治への失望と民主党政権への不安はあるものの、”一度は政権交代をしてみては”との意識が強かったことが指摘されています。

4年前の小泉改革で史上原理主義政策がとられ、格差社会を助長し、年金、医療、介護や地方経済に疲弊が生じました。
更に、その後誕生した安倍内閣、福田内閣が相次いで政権を投げ出し、麻生内閣も小泉路線の修正を試みましたが、昨年秋のリーマンショックによるアメリカ発の世界的な不況に見舞われ、日本経済の悪化と大企業による派遣切りや失業者の増大が国民生活を不安に陥れました。
麻生内閣は経済の建て直しのために次々と補正予算を組みましたが、内閣支持率は大きく低下、更には支持団体の離反などが重なり、歴史的な敗北へとつながりました。

一方、民主党はこのような自民党を批判し、子供手当てや高速道路の無料化などの家計支援策を前面に出し、”一度は政権交代をしてみては”との意識を上手くとらえた結果、308議席を獲得し、圧倒的な勝利を収めた。
しかし、有権者は積極的に民主党を支持したのではなく、二大政党制としての自民党に愛想が尽きて、その反動としてもう一方の民主党に票が流れた側面が強いのではないでしょうか?
事前のマスコミによる世論調査では、民主党に対して、政権担当能力や政権公約に余り高い評価は下していませんでした。

民主党は、今までは野党の立場で与党を批判すればよかったのですが、政権運営を担当する立場となった今後は公約どおり国民の期待にどのように応えるかが大きな課題となります。
最大の課題は、
・不況から立ち直りかけている日本経済をどのように回復軌道にのせるのか、
・雇用情勢が改善できるのか。
・外交・安全保障面においては国際公約としての外交の継続性がどのように担保されるのか。
 だろうと思います。

連立を組む、国民新党、社民党とのとの間では、自衛隊の国際平和協力活動などの政策で大きな隔たりがあります。
更に、民主党はアメリカとの対等な関係を主張しており、日米同盟の機軸が揺らぐことはないのか、不安な面があります。

いずれにしてもこれが主権者たる国民が選び、望んだ結果なのです。
私たち国民は、今後4年間の民主党による政権運営をじっくりと監視し、見守っていかなければならないと思います。




衆議院議員総選挙

2009-08-30 | 時事

今日は第45回衆議院議員総選挙の投票日です。

今回の選挙は、小泉郵政選挙から4年が経過し、自民・公明連立政権の政権運営を評価し政権維持をするのか、それとも民主党が主張する政権交代をして日本の舵取りを民主党を中心とする野党に委ねるのか、国民がどちらを選択するのか注目されており、今までにない盛り上がりをみせています。

マスコミの報道によれば、昨日までの世論調査では、民主党が300議席を超える勢いを保っているとのことでしたが、自民・公明が逆転するのか、「政権選択」が焦点となった選挙の投票が午前7時から始まりました。

そこで今日は、50数年前に中学校で習った「衆議院議員総選挙」の知識の記憶を紐解いてみたいと思います。

「衆議院議員総選挙」
衆議院選挙は、正しくは「衆議院議員総選挙」と言い、国会議員のうち衆議院議員を選ぶための選挙です。(参議院選挙は「参議院議員通常選挙」といいます)
この総選挙が行われるのは4年の任期が満了したとき、または解散によって満了前に任期が終了したときに、日本国憲法第45条の規定によって行われます。
当然のことながら、再選挙や補欠選挙は総選挙には含まれません。

また解散の場合は憲法54条の規定に基づいて、解散の日から40日以内に総選挙を行い、その選挙の日から30日以内に国会を召集しなければならないと規定されています。今回の選挙は7月21日に衆議院が解散され、その日から40日目が今日の8月30日に当たります。
一方、任期満了による総選挙の場合は、任期満了の日の前30日以内に行うことが規定されています。

「選挙権及び被選挙権」
・選挙権
 公職選挙法9条1項の規定により日本国民で、満年齢20歳以上の者は衆議院議員の選挙権を有します。
・被選挙権
 公職選挙法10条1項の規定により日本国民で、満年齢25歳以上の者は衆議院議員の被選挙権を有します。(参議院議員の被選挙権は30歳以上)

「戦後の総選挙」
戦後行われた総選挙は、1946年(昭和21年)4月に行われた第22回総選挙から4年前の第44回総選挙(所謂、郵政選挙)までに23回行われています。
そのうち任期満了選挙は1976年(昭和51年)12月の1回だけで、これ以外は全て解散による総選挙となっています。

「戦後の最高投票率」
戦後23回行われた総選挙の中で、最高投票率は1958年(昭和33年)5月の76.99%で、最低投票率は1996年(平成8年)10月の59.65%となっています。
因みに4年前の郵政選挙のときは67.51%の投票率でした。
今回は「政権選択選挙」で関心が高まっているので投票率も上がるのではないかと思っています。

「国民主権」
憲法第1条では、天皇の地位と国民主権について規定しています。
総選挙の主役は候補者ではなく、主権者である私たち国民一人一人です。国民主権を深く認識できるのは選挙のときだけだと思います。
日本の舵取りを委ねるに相応しい政党はどこなのかを決める大事な選挙です。
有権者の方は棄権することなく、主権者の意思を1票に込めて投票に行きましょう!

「最高裁判所裁判官国民審査」
なお、衆議院議員総選挙の場合には憲法79条の2項の規定により最高裁判所裁判官国民審査が同時に行われます。
この最高裁判所裁判官国民審査は最高裁判官任命の後、最初に行われる総選挙で国民の審査に付し、その後10年を経過した後、初めて行われる総選挙で更に国民審査に付し、その後も同様に行うこととなっています。

「投票をお忘れなく!」
今日の「衆議院議員総選挙」の投票時間は原則午前7時から午後8時までです。
お出かけの方は投票を済ませてからお出かけください。
            
          
              投票はお済になりましたか?
              投票をお忘れなく!






「ひょうたんカボチャ」の栽培

2009-08-29 | 家庭菜園

カボチャはウリ科カボチャ属に属し、カロlチンやビタミン類を多く含む緑黄色野菜です。
原産地は南北アメリカ大陸で、日本には17世紀にカンボジアから渡来したといわれています。
また、その栽培は古く、メキシコの洞窟では紀元前7000年~5500年の地層から種が発見されているそうです。
カボチャという名称は、ポルトガル語で「カンボジアのウリ」という意味の「Cambodia abobora(カンボジャ・アボボラ)」の後半が略されたものといわれていますが、日本ではカンボジアから伝わったことからカボチャという名前がついたと言われています。

ところで、皆さんは「ひょうたんカボチャ」をご存知でしょうか?
ひょうたんのような形をした細長いカボチャで、南九州ではよく栽培されているようです。
今日は、関西では比較的珍しいこの「ひょうたんカボチャ」をご紹介します。

・これが「ひょうたんカボチャ」です。
 収穫直前になると黄色に色づきます。右はと雄花で、花の下にはひょうたんの形をした幼果がありません。


さて、私がカボチャの一種の「ひょうたんカボチャ」を栽培するようになったのは、数年前、鹿児島出身の農園仲間から頂いた事がキッカケです。
この「ひょうたんカボチャ」の茎は、地に這わすと各節から根を出して伸長するのでいつまでも茎に勢いがあり、その結果、晩秋まで実をつけるので非常に重宝します。

・これは「ひょうたんカボチャの」雌花です。
 雄花と違い、花の下にひょうたんの形をした幼果がついています。雄花の花粉を受粉すればその後、この幼果が肥大して「ひょうたんカボチャ」に成長します。


・黄色に色づいて収穫可能となった「ひょうたんカボチャ」です。


・これは収穫した「ひょうたんカボチャ」です。
 種は左側の丸く膨らんだところにあります。右側の細い部分は果肉だけで種はありません。このため丸く切って調理することができます。

「カボチャの栄養と健康効果」
 カボチャはカロチンを始めビタミンB,C,Eや食物繊維、カリウムなどの栄養分を豊富に含んだ緑黄色野菜です。
 特にカロチンは喉や口などの消化器官の粘膜を丈夫にして風邪に対する抵抗力をつける効果があるそうです。
 また抗酸化作用があって活性酸素を除去し、がん細胞の発生を防ぎ、免疫機能を高めると言われています。

 


ニラ(韮)の名称とニラの花

2009-08-28 | 家庭菜園
春先に出回る濃い緑の扁平な葉をした柔らかいニラは美味しいですよね。
そのニラもこの時期には花茎を伸ばし、蕾をつけ、そして花を咲かせた「花ニラ」になっています。

今日は私の畑に咲いている「ニラの花」をご紹介します。

・ニラの花です。


ニラはユリ科ネギ属の多年草で、原産地は中国西部や東南アジアといわれ、日本には9世紀頃に薬用として渡来したそうです。
ニラの名称は、古くは「みら」と呼ばれており、古事記では加美良(かみら)、万葉集では茎韮(くくみら)、正倉院文書には彌良(みら)として登場しており、この「みら」が変化してニラ(韮)になったといわれています。

(参考)
 万葉集に詠われている茎韮(くくみら)です。

  「伎波都久(きはつく)の 岡の茎韮(くくみら) 我摘めど 
            篭(こ)にも満たなふ 夫(せ)なと摘まさね」
  
  意味: 伎波都久(きはつく)の岡に茎韮(くくみら)を摘みにきたけれど、篭いっぱいになりませんね。それならばあの人と一緒に摘みなさい。

・「花ニラ」と呼ばれる、とう立ちした花茎です。


ニラは栽培方法によって「青ニラ」「花ニラ」「黄ニラ」に分かれます。
・春に伸長した葉は長さ20~30㎝になり、柔らかく扁平で全体に強臭気があって「青ニラ」と呼ばれます。
・韮は1年に数回収穫できますが、8月~9月頃には花茎を伸ばし、散形花序を出して小さな白い星形の花を咲かせます。
 このとう立ちした花茎は「花ニラ」と呼ばれ、花茎と若い蕾が食用として利用されます。油炒めで食べるとシャキッとした歯ごたえがあって美味しいそうです。
・また、「黄ニラ」は芽が出る前の根株に覆いをかぶせて光を制限し軟白化させたもので、臭みがなく甘味があるそうです。

・ニラの蕾です。


花は半球形の散形花序で白い花を20~30個つけます。花弁は3枚ですが苞が3枚あって花弁が6枚のように見えます。
オシベは6本、子房は3室になっており、子房は熟すと割れて黒色の小さな種を散布します。

・小さな白い星形をした「ニラの花」です。


散形花序とは、総穂花序の一つで、主軸の先端から多数の花柄が散出して、傘骨状に拡がって咲く花序を言います。

・開きかけたニラの蕾です。


「ニラ(韮)の栄養と健康効果」
ニラは疲労回復の働きをするビタミンB1を多く含み、更に、ビタミンB1を体内に長くとどめて効力を持続させる硫化アリルが入っているのでスタミナがつくといわれています。
また、βカロチンやビタミンA、ビタミンC、ミネラルに富み、臭い成分の硫化アリル(アリシン)がビタミンB1と結合してその吸収を良くし、代謝機能を高めるそうです。
昔から胃腸(特に下痢)に効く野菜として親しまれ、症状が重いときにはニラの煮汁を飲んでも効果があるといわれています。
更に、種子は、韮子(きゅうし)という生薬で腰痛、遺精、頻尿に使われ、葉は、韮白(きゅうはく)という生薬で強精、強壮作用があるといわれています。




「セイヨウノコギリソウ」と「トロイ戦争」

2009-08-27 | 

今日も私が住んでいる大阪・熊取、山の手台住宅の遊歩道から「セイヨウノコギリソウ(西洋ノコギリソウ)」の花をご紹介します。

「ノコギリソウ」はキク科ノコギリソウ属の多年性の草花で、85種が北半球に分布しており、日本にも数種類が自生していると言われています。
一方、「西洋ノコギリソウ」は明治時代にヨーロッパから園芸種として渡来したもので観賞用によく栽培され、一般的にノコギリソウと言われているものはこの品種が多いようです。

日本に自生するノコギリソウは葉の切れ込みが浅く、厚くて固いのに対し、西洋ノコギリソウの葉は3回羽状で柔らかいそうです。
名前の由来は、葉の縁に細かい切れ込みが入り、ノコギリの刃のように見えるのでこの名前がつけられました。

・ノコギリの刃のように見える「セイヨウノコギリソウ(西洋ノコギリソウ)」の葉です。


草丈は60~100cmで、花は、茎の先端に花茎約8㎜の小さな花がたくさん集まった大きな花序を持ち固まって咲きます。
花色は黄色や白、ピンク、赤などがあり、その多くはガーデニング用として人気があるようです。
この花は日当たりを好みますが、夏の高温は株をいためますので、半日陰の場所で育てるとよいようです。

・茎の先端に固まって咲いている「セイヨウノコギリソウ」の花です。


「薬草としての効果}
 花や葉は、発汗や解熱作用、更には、消毒や止血にも効果があると言われています。
 「セイヨウノコギリソウ」はハーブの世界では「ヤロー」と呼ばれ、ハーブティーとして健康増進や虚弱体質の改善にも用いられており、ヨーロッパでは強壮剤として
 使用されていたそうです。
 一方、日本のノコギリソウは漢方で風邪薬などに使用されており、洋の東西を問わず薬草として使用されたようです。

「トロイ戦争」
 学名の「アキレア」はトロイ戦争でのギリシャの英雄アキレスが、兵士の傷の手当てに使ったことに因んでつけられたとされています。

・トロイの木馬です
 トロイ戦争でギリシャ軍の兵士がこの中に潜み、城内に入り込んでトロイ軍を陥落させました。(トロイ戦争は下記をご参照ください)


(参考)
「ホメロスの描いたトロイ戦争」
 昔むかし、ヘラ、アテネ、アフロディテという3人の美しい女神がいました。ある日「世界で一番美しい女神」を競って争いとなり、トロイの王子に尋ねました。
 その際、女神たちは自分を選んでもらおうとそっと密約を交わします。
 ヘラは支配権と富を、アテネは戦いの勝利と知恵を、そしてアフロディテは世界一美しい女性を約束しました。
 王子はアフロディテを選び、約束どおりギリシャの都市国家スパルタの美しい王妃ヘレネを与えられました。
 このヘレネを発端に、ギリシャ軍とトロイ軍の戦争が始まりました。
 両者は譲らず10年もの歳月が流れ、ギリシャ軍は最後の作戦として巨大な木馬を作り、その中に50人の兵士を隠れさせました。
 そして、ギリシャ軍は負けたふりをして油断をさせ、巧みに木馬をトロイ城内に引き入れさせました。
 その夜、皆が寝静まった頃、、木馬内の兵士が一斉に攻め入り落城しました。こうしてトロイ戦争はギリシャ軍の勝利で終わったと言われています。


「花言葉」 真心を持って、戦い、指導





「葉月」の由来について

2009-08-26 | 季節

今朝の週間天気予報をみていると、1週間後は9月1日の予報が出ていました。
8月もあと1週間を残すのみとなったことを視覚で実感しました。

8月と言えば旧暦の呼び名は「葉月」です。そこで今日はこの「葉月」について調べてみました。

「葉月の由来」
 葉月の由来には次のような説があるようです。
  1.木の葉が紅葉して落ちる月から「葉落ち月」が転じて「葉月」となったとする説。
  2.稲の穂が張る月で「穂張(ほはり)り月」「張り月」から「葉月」となったとする説。
  3.北方から初めて雁が来る月なので「初来月(はつきづき)」「初月」「から「葉月」になったとする説。
  4.南方からの台風が多く来る「南風月(はえづき)」から「葉月」になったとする説
   などがあるようです。
 一般的に有力な説としては(1)の木の葉が落ちる「葉落ち月」とされているようです。

8月に木の葉が落ちるの?と思われるかも分かりませんが、旧暦8月は今年で言えば9月19日~10月17日に該当します。
この頃になれば木の葉も落ち始めるのでしょう。
この旧暦の呼び名が新暦の8月に使われる場合があるので多少違和感があるかも分かりませんね。

私は毎朝5時30分頃から30~40分ジョギングをしていますが、先日(23日)の「処暑」の前後から、全身に受ける爽涼の気と天空の雲から小さな秋を感じるようになりました。
まだ木の葉が舞い落ちる状況には遭遇しませんが、秋が確実に近づいてきているように思います。

・秋を感じさせる「葉月」の空とススキです。  
    

葉月を読んだ句を一句ご紹介します。 (葉月の季語は秋です)

    「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」  松尾芭蕉

    意訳 : 秋が来ても太陽はそ知らぬ顔であかあかと照り続けるが、吹いている風に秋らしい寂しさが感じられる。


なお、英語の8月の「August」は、ローマ皇帝Augustus(アウグストゥス)に由来するそうです。
ローマ皇帝Augustus(アウグストゥス)は紀元前1世紀、誤って運用されていたユリウス暦の運用を修正すると共に8月の名称を自分の名前に変更したそうです。
同時に、それまで30日であった8月の日数を31日に変更し、足りない日は2月の日数から減らしたので、2月の日数が28日になったといわれています。




胡麻の栽培(その2)刈取りと「胡麻の諺」

2009-08-25 | 家庭菜園

今年初めて挑戦している「胡麻の栽培」について、今日は「刈取り」をご紹介します。

胡麻栽培の記事については、5月の中頃の種蒔きと、蒔いた種が50cmくらいに成長し各葉腋(葉の付け根)に薄紫色の花が咲き始めたことを7月8日にご紹介しました。
・これがその時の画像です。


・普段あまり見かけないと思われる胡麻の花もご紹介しました。


その後、茎が成長し、それにつれて各葉腋(葉の付け根)に蕾がつき、開花し、次々と莢ができてきました。

・草丈の成長とともに花は次から次へと茎の上部に咲き、花の後には胡麻の莢ができてきました。


・これが胡麻の莢(子房)です。この莢(子房)の中に種子ができます。それが胡麻の実です。


8月初旬には、草丈は1.5mほどになって成長が止まりました。中旬には葉が落ち、全体が黄色く色づいてきました。


・下の莢(子房)が茶色に変色して開き始めました。このようになると刈り取って乾燥させます。


・8月23日に全てを刈取り、小屋の中で乾燥させているところです。
 乾燥後、莢が開きますので逆さにつるしたり、たたいたりして中の種子を出します。


胡麻にちなんだ諺を調べてみましたが、悪い意味に使われているものばかりでした。
・「胡麻を摺る」
 他人におもねりへつらって、自分の利益を計ること。
 煎った胡麻をすり鉢ですり潰すと、あちこちに胡麻がくっつくことから、あちらこちらにへつらう意味で使われます。

・「ごまかす」
 
人目を紛らかしたり、目先をつくろう意味や人目を欺いて悪いことをする意味などに使われます。
 「誤魔化す」か「胡麻化す」と書くそうです。中味がなく人を騙すことに使われますが、江戸時代に小麦粉に胡麻を混ぜて膨らませたお菓子があって、これが
 「胡麻胴乱(どうらん)」とか「胡麻菓子」と言われたらしく、中味が空っぽなので中味がないことの例えになったそうです。
 この胡麻菓子が「誤魔化す」の語源といわれています。

・ごまのはい(護摩の灰/胡麻の灰)
 旅人を脅かしたり、旅人らしく装って、旅人を騙し財物を掠(かす)める盗賊のことを言います。
 もとは、高野聖(こうやひじり)の扮装をし、弘法大師の護摩の灰と称して押し売りをした者の呼び名から転じて用いられたそうです。
 また、胡麻の上の蝿は見分けがつきにくいことから「胡麻の蝿」とも言われています。





「地蔵盆」について

2009-08-24 | 伝統行事

昨日の23日は、関西では「地蔵盆」の行事が行われたところが多いと思います。
そこで今日は「地蔵盆」について調べて見ました。

「地蔵盆」とは
地蔵信仰から生まれた行事で、京都では六地蔵を巡礼する六地蔵巡りとして8月23日・24日に行われます。
元々は、旧暦7月24日の地蔵菩薩の縁日の行事で、盆祭りの終わりの日であったため「地蔵盆」と呼ばれるようになったと言われています。
7月24日(旧暦)以外の縁日は、地蔵会(じぞうえ)、地蔵祭と呼ばれます。

「地蔵信仰」
地蔵菩薩は釈迦如来入滅後、未来仏の弥勒菩薩の出生するまでの間、無仏の世界に住まいして六道の衆生を教化・救済する菩薩と言われ、その信仰は、平安時代以降、阿弥陀信仰と結びついて民間に広がりました。
地蔵菩薩は道祖神と同じように村を守る役割も果たすようになり、更に、広く知られた伝説によれば、親より先に亡くなった子供が三途の川で苦しんでいるのを地蔵菩薩に助けられたと言い伝えられていることから、地獄の鬼から子供を救う子供の守護神として信仰されるようになったようです。
このため、地蔵祭りにおいては特に子供が地藏様の前に詣り、その加護を祈る習わしとなっているそうです。

「京都が発祥」
京都では、地蔵菩薩は平安末期~中世以降衆生を助ける菩薩として信仰され始めました。
京都の人たちは、流行る疫病や戦乱などで体力的に弱い子供の死が多く、供養のために長屋ごとにお地蔵様が祀られるようになり、子供の守護神や町内の安全のための「地藏」となって広まったことから、地蔵盆の始まりは京都とといわれています。

地蔵盆は近畿地方、特に京阪神地方を中心に盛んに行われていますが、この行事は関東、東海では普及しなかったようです。
この理由は、関東では稲荷信仰が普及していたためと言われています。

「六道」とは
「六道」とは、仏教においては一切の衆生が善悪の因果によって転生する世界のことを言います。
「六界」ともいわれ、「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」「人間界」「天界」の六つに分けられます。
「天界」と言えども苦しみの輪廻する世界を脱せず、輪廻しない永遠不滅の世界が「仏の世界」であると言われています。



「処暑」と「小さな秋」

2009-08-23 | 季節

今日8月23日は二十四節気の一つ「処暑」です。

「二十四節気」とは、黄道(太陽が天球上を通る道)を黄経0度から15度ずつに刻み、太陽がその区分点を通る日付によって1年を24の期間に分け、それぞれの期間の季節的な特徴を表す名称をつけたものです。
簡単に言えば、1年を春、夏、秋、冬に分け、それぞれを更に6分割した24の期間に名前をつけたもので、古来中国から伝来して、日本でも季節の定めに重用されて今日に及んでいるものです。

「処暑」とは、その内の一節気で、中国の古書には「処は上声、止なり、暑気の止息するなり」とあるそうです。
つまり「処暑」とは暑さが収まる頃の意味で、昼間は未だ暑い日が続きますが、朝夕は涼風が吹き渡る初秋の候をさしているとされています。

暦便覧にも「陽気とどまりて、初めて退きやまむとすれば也」と説明しています。

私が住まいしている大阪南部の熊取では、8月の梅雨明け前から殆ど降雨がなく、連日30度以上の真夏日や最低気温が25度以上の熱帯夜が続いています。
しかし、処暑を迎える2~3日前から、明け方はちょっぴり涼しく感じるようになり、畑には「小さな秋」が見られるようになりました。

畑で見つけた「小さな秋」、秋の七草の一つになっている薄(ススキ)と、ススキを詠んだ歌と句をご紹介します。
・畑で見つけた「小さな秋」、ススキです。


・ススキを詠んだ額田王の歌です。

  「秋の野の 美草(みくさ)刈りふき 宿れりし
           宇治の京(みやこ)の 仮いほし思ほゆ」 額田王(万葉集)
  (美草とはススキのことです)

  (釈) 秋の野のすすき(美草)を刈り、屋根を葺いて宿った。あの宇治の仮宮の仮盦(かりいほ)のことが思われる。


・江戸中期の俳人・与謝蕪村の句です。

  「山は暮れて 野は黄昏(たそがれ)の 芒(すすき)かな」 与謝蕪村

  (釈) 遠い山はもう暮れてしまったけれど、手前の野原はまだ暮れずにすすきの穂が薄明かりの中で揺れている。





梨の栽培(その3)まもなく収穫

2009-08-22 | 家庭果樹
秋の味覚を代表する果物の一つである梨が実ってきました。
今日は、我が家の「梨の栽培(その3)まもなく収穫」についてご紹介します。

前回ご紹介しました袋掛けから3ヶ月ほど経過し、袋が大きく膨らみ、垂れ下がってきました。
袋の上から掴んでみると意外に大きな感触です。袋を開けてみると立派に実った梨が現れました。


・これが初めて実った豊水です。


梨の栽培は今回が初めてなので、栽培方法を調べながら挑戦してきました。
いよいよ最終段階の収穫時期となり、ワクワクしているところです。
豊水の収穫は8月下旬から9月上旬とのことであり、まもなく収穫となります。

今年の梨の栽培について振り返って見ます。
第1回目は4月21日に「開花」をご紹介しました。

・4月10日の開花後、豊水と二十世紀の花粉を互いの花に人工授粉しました。


第2回目は、5月9日の受粉後、約1ヶ月で直径1cmくらいになった幼果と摘果、そして袋掛けをご紹介しました。

・これが豊水の幼果です。 この位の太さの枝に1個ずつ幼果を残しました。


そして今日の3回目は袋掛けから3ヶ月が経過し、収穫直前となった梨の実をご紹介しています。
私が栽培している梨の木は、今年が定植後2年目の木なので、豊水、二十世紀ともに5個ずつ幼果を残すことにしました。
このうち豊水については、7月に度々台風並みの強風に見舞われて2個が落果し、結局3個が残りました。

・3個のうち、大きく実った2個の梨です。


・これは5月9日にご紹介しました「二十世紀」の梨の木です。
 幼果がたくさん付いていますので、こちらも形の良いものを枝ごとに1個、全部で5個残しました。


しかし、二十世紀については、アライグマの被害により全滅となりました。
・これがその被害状況です。このように袋は引き裂かれ、果実も爪で引っ掻かれています。その下には、引き裂かれた袋が残っているのも見られます。


結局、初めて挑戦した今年の梨の栽培は、豊水が思いのほかよくできたものの、暴風、防獣対策が課題として残りました。
来年はこの課題を克服し、下記の栽培方法を実践しながら収穫増を図りたいと思っています。

「梨の栽培方法」
1、土作り
 植え付けの半月ほど前に、植え付け場所に穴を掘って元肥を施し、土と肥料をよくなじませておきます。
 更に、晩秋から冬にかけて、木の周りに穴を掘り、腐葉土や寒肥を施して土を柔らかくします。このときに石灰を混ぜて酸性土壌を中和します。
2、植え付け
 「1」でなじませた土に、11月から3月頃に植えつけます。3~4年目以降はこの時期に剪定作業を行います。
3、受粉
 品種の違う花粉を筆を使って人工授粉します。
4、摘果
 5月中旬、幼果がビー玉くらいになった頃に形の良い幼果を1つ残し、他は摘果します。
5、病害虫予防
 3月~10月にかけて黒斑病などの病気予防と害虫駆除の薬剤散布を行います。
6、袋掛け
 病害虫や野鳥などからの被害を防止するために袋掛けを行います。
7、収穫
 8月下旬から9月頃が収穫時期です。