らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

ハロウィン

2017-10-31 | 季節

今日10月31日はハロウィンです。
皆さんはハロウィンはどのような行事なのかご存知でしょうか?

ハロウィンとは、元々は、10月31日に秋の収穫を祝う、又は悪霊を追い払うというケルト民俗の宗教的な意味合いのある行事なのです。
ただし最近では宗教的な意味合いは薄れ、カボチャをお化けの形にくりぬいた「ジャック・オー・ランタン」といわれるものを飾り、仮装した子供たちがTrick or treat!といいながら近所をまわりお菓子を貰うお祭りになっています
また大人や子どもに関わらず、仮装をして楽しむイベントになっています。
なお、ケルトとは、5世紀頃までアルプス以北のヨーロッパの大部分とバルカンまで広く居住していた多民族で、現在はアイルランド・スコットランド・ウェールズ・ブルターニュなどに散在しています。

「ハロウィン」とは、
ハロウィンの起源は、2000年以上も遡ります。
昔、ケルト民族の宗教の一つにドゥルイド教というものがあり、その儀式の一つのサウィン祭という秋の収穫を祝い、悪霊を追い払う祭りが起源といわれています。

古代ケルトでは一年の終わりが10月31日とされ、この日は日本のお盆のように死者の霊が家族に会いに来るといわれていたのです
ただ日本のお盆と違い、精霊や悪霊も一緒に来てしまうと信じられていたのです。
その悪霊は
家畜や作物に悪い影響を与えたり、供をさらったりするといわれていたことから、悪霊たちを驚かせて追い払うために、仮面をかぶったり、魔除けの焚き火をしたりしたと言われています。
そこから今の仮装をする習慣が生まれたというわけです

ケルト民族は、後にキリスト教のカトリック系の民族に侵略されてしまいます。
カトリック教は
11月1日を聖者の日と定めていたため、前夜である10月31日を聖者の英語HallowからHalloweenと言われるようになったそうです。
それがキリスト教の文化圏にだんだんと広がっていき、時代を経て現在のハロウィンになりました。

「ジャック・オー・ランタン」とは、
ジャック・オー・ランタンとは、カボチャに目や口など形抜いてくりぬいていき、その内側にロウソクを立てて灯した提灯のことで、ハロウィンのシンボルとして有名です。
カボチャにはお守りとしての意味があり、カボチャの提灯は悪霊から守る番犬の役割があるそうです
またカボチャのロウソクは、日本のお盆のように親族の霊の目印という意味合いもあると言うことです。
この提灯を作る風習は、イギリス地方が始めたようですが、最初はカブを使って作っていました。
それがカボチャを使うようになったのはアメリカに渡ったとき、アメリカにはカブは一般的ではなく、カボチャがたくさんあったからだそうです。

ジャック・オー・ランタンの名前の由来はアイルランドの物語が由来
だと言われています。
「物語」とは、
昔、ジャックというケチで乱暴者で人を騙してばかりの男がいました。10月31日のその日もジャックは酒場で飲んだくれていたところ、地獄からやってきた悪魔がジャックの魂を取ろうとしました。
ジャックは魂を取られないために悪魔を騙して辛い目に遭わせ「魂を取らない」と約束させました。
そんな彼も年を取り、息を引き取りますが、日頃の行いから天国には行けず、地獄の門をたたいたところ、そこにはその悪魔が待ち構えていたのです。
「約束通りお前の魂はとれない。だから地獄にも入れない。」
そう言い放たれたジャックの魂は行き場を見失い、あの世とこの世の狭間を彷徨うことになりました。
暗い暗いその道中を照らすために与えられた火をジャックはカブの中に入れて提灯を作ったのでした。

この物語から、悪魔をだまして追い払ったジャックの象徴としてジャック・オー・ランタンがつくられたということです。
このような言い伝えからカブの提灯は亡くなった方のシンボルとなり、悪霊を追い払うものとして使われてきたそうです。
いつしかそれがアメリカへと伝わりましたが、アメリカではカブは一般的ではなかったので、身近で大量に収穫できて、中身をくりぬいて提灯にしやすいカボチャが一般的になったのだそうです。

「Trick or treat」とは、
ハロウィンでは子供たちが仮装してTrick or treat!(トリック オア トリート!)といいながらお菓子をねだるのですが、その習慣はアメリカから始まったといわれています。
このTrick or treatには色々な説があるようですが、そのうちの一つに発音のよく似たトリック(イタズラ)とトリート(お菓子)を語呂合わせの言葉遊びとして使用したという説があり、その意味は「お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ」です。

このようにハロウィンには、元々宗教的な意味合いがあるのですが、日本ではイベントの一つとして、すっかり定着した行事となってきました。
皆さんもハロウィンには仮装したり、部屋を装飾したり、おいしい料理を食べたりして楽しんでは如何でしょうか?


おじゃん

2017-10-30 | 時事

先日の25日、明石市大蔵中町の商店街、「大蔵市場」から火が出て、店舗を兼ねた住宅などおよそ30棟と、近隣の住宅4棟が全焼するなど延べ2600平方メートル以上が焼けた大火災がありました。
この火事は商店街の北東の辺りから出火し、その後、強い風にあおれて店舗が密集する商店街に沿って南側に次々と燃え広がったということで、出火からおよそ15時間たった26日午前7時前に漸く鎮火しました。
この火災で亡くなった方やけがをした人がいなかったことは不幸中の幸いでした。

ところで、「おじゃん」と言う言葉があります。
意味はご存知のように、事が不成功に終わることとか、ダメになること、失敗することをいう言葉ですが、この言葉は火事の関連から生まれたようです。
不成功に終わる事と、火事がどのように結びつくのか調べてみました。

前述したように、計画がダメになってしまうことを「おじゃんになる」と言います。
昔は火事が起これば長年の蓄積もあっという間に燃えてしまったから、火事は今よりもずっと恐れられていました。

その火事を意味する半鐘の音を「じゃん」と言い、火事になることを「じゃんだ」と言ったそうです。
当時、火事が起きた際、その距離に応じて半鐘を連打し、鎮火した際も「ジャン ジャン」と2度鳴らしました。
この鎮火の際の「ジャン ジャン」という音と、鎮火の「おしまい」というニュアンス、更に、火事で全てが灰燼に帰すことなどから、全てがダメになることを「おじゃん」と言うようになったということです。

これから冬に向って気温が下がってくると暖房器具の使用が始まり、それに伴って火災の発生件数が増えてきます。
大事な財産を「おじゃん」にしないように、火事にはくれぐれもご注意ください。


嘘八百

2017-10-29 | 時事

特別国会が11月1日に召集される予定です。
特別国会は衆議院の解散を受けて行われた総選挙の日から30日以内に召集される国会の事で、議長、副議長の選挙、常任委員の選任や総理大臣指名選挙などが行われます。

会期は1日から8日までの8日間と言うことですが、野党側は、通常国会が6月に閉会したあと、十分な国会審議が行われていないとして、安倍総理大臣の所信表明演説と、それに対する各党の代表質問、予算委員会での質疑などを行うよう求めています。
これは取りも直さず、森友・加計問題の追及や憲法改正、北朝鮮の脅威などの重要課題を審議するためだと思いますが、森友・加計問題に限ってみると、先の通常国会であれだけ審議したにもかかわらず、国民の大多数が納得していないと言う調査結果が出ていることにほかなりません。

森友問題では国有地が8億円も値引きして払い下げられたその経緯、加計学園問題では獣医学部の新設が認められた経緯と言うことになりますが、いずれにおいても安倍総理の関与があったのかどうか、そして本当に文科省の岩盤規制に穴を開けただけなのか?
これらの問題では安倍総理サイドか、それとも前川喜平前事務次官のどちらかが嘘をついている筈なのですが、その疑惑を招いていることが国民の殆どが納得していないと言う結果につながっているものです。

さて、「嘘」と言えば、嘘八百と言う言葉があります。
これは、やたらに述べ立てるたくさんの嘘の事を言う言葉ですが、でも何故「八百」なのでしょうか?
調べてみました。

「嘘」
先ず「嘘」ですが、この語源には諸説あります。
一番良くできた珍説は、昔中国に「玉須(ぎょくす)」という鳥屋がいました。彼が友人の質問に答えて、白い烏を持っていると言ったので友人が見に行ったところ、そんなものは何処にもいませんでした。
そこから、玉須のしたことを「玉須(だます)」、また、烏が素(しろ:白)いを音読して「烏素(うそ)」と言う言葉が生れたと言う珍説があります。

「八百」
次に「八百」についてですが、これは数の多い事を表す語で、江戸時代には「八百」という表現を用いた言葉がいくつもあります。
例えば江戸の「八百八町」とか浪速の「八百八橋」、あるいは「八百屋」といった表現ですが、これらの「八百」という表現は実際に808の町や橋があった訳ではなく、また、八百屋で800種類の野菜を売っている訳でもなく、単に「数が多い」という意味で使われているだけなのです。
「嘘八百」という表現もこれらと同じように、嘘の数が多いという意味で使われているもので、決して、うそを8百回ついているのではありません。

では、「八」が何故、数の多い数字を表すのでしょうか?
「八」という数字が数の多さを表すという考えは、古代日本では、末広がりの「八」を「弥栄(いやさか:ますます栄えるの意)」に通じるとして、「永遠・無限・完全」を意味する聖数と考えていたようです。
このように、「たくさん」を意味する「八」の百倍であることから、「八百」はより強い意味を表す言葉として、象徴的に使われているのだそうです。

森友学園の籠池元理事長は国会に参考人招致された時には得意満面で総理大臣や大阪府知事を批判していましたが、一転、自分の不正が判明するや嘘がばれ、告訴によって逮捕され、そして起訴されました。

これらの問題の当事者の皆さん、嘘八百はもうたくさんです。
正直に真相を述べてください。


ボケナス

2017-10-28 | 家庭菜園

「秋ナス嫁に食わすな」という諺があります。
意味は、秋のナスは味がよく、勿体ないから嫁なんかに食べさせるな、という姑側から言う言葉と言われていますが、一方で、秋のナスは体を冷やすといけないから、或いは種が少ないので子種が少なくなるから嫁に食べさせてはいけないと言う、嫁をいたわる意味だとも言われています。

この美味しい秋ナスもこの時期になると色つやが悪くなるものも出てきます。
果皮の光沢がなくなり、消し炭状にぼけるのですが、このようなナスはボケナスとも呼ばれています。

その要因は水分不足だそうです。
果実の肥大最盛期に水分が不足すると表皮細胞の横への伸長が抑えられ、厚くなって表面がデコボコになり、光線の乱反射でつやなしに見えるということですが、今年は水分はたっぷりあるのに不思議です。



人をののしって言う言葉に「ボケナス」がありますが、この語源は、外皮の色つやのあせた茄子からと言われています。
もともと茄子は、見事で鮮やかな紫紺色が見た目の「いのち」ですが、独特の色合いが「ぼけた」茄子は茄子とは言い難く、味が落ちて美味しくありません。
この「ボケ」が転じていつのまにか、反応のにぶい・ぼけている人をあざけていう言葉として「ボケナス」というようになったということです。

私の畑にもボケナスが現れました。
上の画像の中央上部の色が濃いナスは正常ですが、中央下部、手前のナスは緑色が混じってボケています。

農作物は生産者を映すのでしょうか?
まさか生産者のボケがうつったのではないと思いますが・・・。

・これがそのボケナスです。


・こちらは正常なナスです。


宋襄の仁

2017-10-27 | 時事

今度の衆議院選挙は自民党の圧勝で終わりました。
告示前までは小池都知事が立ち上げた希望の党が政権交代可能となる勢力に拡大するかどうかで大いに話題になりましたが、結果は御承知の通り惨敗でした。

選挙前までは自民党の苦戦が予想されていたことから、選挙後の希望の党との協力を考えていたのか、選挙運動の序盤では安倍総理は希望の党へ少なからぬ情をかけていたように感じました。
しかし、小池代表が森友・加計学園問題などで安倍総理の批判を繰り返し、自民党への攻撃が激しさを増すにつれ、一転して反撃に転じたのです。
選挙運動で無用の情けをかけることはあり得ないと思いますが、無用の仁義だてしたばかりに失敗した故事があります。

「宋襄の仁」
「宋襄(そうじょう)の仁(じん)」とは、宋と楚(そ)との戦いの際、宋の公子・目夷(もくい)は楚が布陣しないうちに攻撃しようと進言したが、襄公(じょうこう)は君子は人の困っているときに苦しめてはいけないといって攻めず、楚に敗れたという故事から、不必要な哀れみを施してひどい目にあうこと。無益の情けのことを言うようになったという故事です。(出典:左氏伝)

「故事」
紀元前638年、中国の宋の襄公(じょうこう)の軍が鄭(てい)を攻撃している時、峡谷の楚(そ)が鄭に援軍を繰り出しました。
襄公はこれを河南省の泓水(おうすい)に迎え討つべく布陣を構えました。
一方、楚の援軍はぞくぞく川を渡っている途中であり、陣容は整っていませんでした。
その様子を見た公子で宰相の目夷(もくい)は、今のうちに攻撃をかけようと進言しましたが、襄公は「余は、こう聞いているぞ。君子は手負いの者を再び傷つけず、白髪交じりの者を捕虜にせず、人を危険な場所に押し付けず、人に狭い場所で迫らず、敵が陣列をしかないうちに攻め太鼓を打たぬ、と。いま、楚人がまだ川を渡りきらないのにこれを攻めれば義を害するであろう。敵がすっかり川を渡り、陣列をしてから太鼓を打って兵を進めよう」と言って、退けたのです。
結果は目を覆うばかりでした。
川を渡りきった楚軍は陣を完成させ、宋軍を散々に打ち破り、襄公自身も太股に矢傷を負ったのでした。
この事から、つまらない無益の情け、無用の仁義だてをしてひどい目に会うことを「宋襄の仁」というようになったそうです。

「情けは人のためならず」と言いますが、競い合っている時の無益の情けや無用の仁義だては、ひどい目に会うことがあることを肝に銘じなければなりませんね。


台風の当たり年

2017-10-26 | 季節

一昨日、台風22号がフィリピンの東の海上に発生し、今週末には再び日本に接近する恐れがあるとのことです。
先日は21号が近畿地方を始め各地に多大な被害をもたらしましたが、追い打ちをかけるように22号が再び接近、或いは上陸するとなると、更に甚大な被害が予想されます。

今年発生した台風は22個と年平均の26個よりは少ないのですが、上陸件数は既に4個が上陸しており、年平均の3個を上回っています。
もし、22号が上陸するようであれば5個目となり、年平均を上回る台風上陸の年となりそうです。

気象庁のホームページによると、台風は60年間(1951~2010年)の平均で年間約26個発生し、昭和26年(1951年)以降の台風の発生数の最多は昭和42年(1967年)の39個、最少は平成22年(2010年)の14個となっています。
また、年平均上陸数は約3個(2.85個)で、記録によると、台風の過去最多上陸記録は平成16年(2004年)の10個となっています。
マスコミはこのような年を「今年は台風の当たり年」と表現したり、私たちも会話の中でついそのように言ってしまいがちですが、実はこの表現は間違いなのだそうです。

そこで「当たり年」という言葉を調べてみました。
広辞苑には「当たり年」として、収穫や利益の多い年。転じて物事が思うようにうまく行く年。縁起の良い年。と説明しています。
辞書が示すように「当たり年」は農作物の収穫が多い年、または良いことが多くて幸運な年のことをいう言葉なのです。

つまり、当たり年という言葉はプラスの意味を持つ言葉であり、台風のような災害を伴う否定的な言葉への使用は相応しくありません。
台風がぶつかってくるというイメージがあるので、つい「当たり年」という表現を使ってしまうのかも知れませんが、気をつけたい言葉ですね。


気が置けない

2017-10-25 | 雑学

「気が置けない」という表現があります。
この言葉は本来の意味を間違えて使用されることが多い表現のようです。
そこで今日はこの表現について調べました。

「気が置けない」の本来の意味を、皆さまはご存知だと思います。
恥ずかしながら、私は誤解していたようです。

例えば、
1.「彼は嘘つきだから、気が置けない人だ」
2.「彼とは何でも話すことが出来て、気が置けない間柄なんだ」
この2つの表現の内、本来の意味として正しいのはどちらでしょうか?

正解は「2」なのです。
「気が置けない」を広辞苑で調べると、緊張したり遠慮したりする必要がなく、親しく付き合いができる事の形容と説明し、
                        注釈として、「気が許せない」「油断できない」の意に用いるのは誤り。「気の置けない」とも言う。
と説明しています。

「気が置けない」という表現には、「ない」という否定語が入っているため、「気の許せない」という意味で誤用される人が多いようですが、本来の意味は緊張や遠慮する必要のない打ち解けたと言う意味になります。

その理由は、「ない」という否定語を取った「気を置く」とか「気が置ける」という言葉の意味を考えるとよく分かりやすいと思います。
「気を置く」とか「気が置ける」の意味は、①何となく打ち解けられない。遠慮する。 ②気にかかる。気になる。
となります。

つまり「気が置ける」とは、誰かに対して気が許せない、気を遣うときに用いる言葉であることが分かります。
これに否定語の「ない」がついた「気が置けない」は「気が置ける」の反対語となることから「気遣いの必要がない」「遠慮がいらない」という意味になります。
従って、「2」の「彼とは何でも話すことが出来て、気が置けない間柄なんだ」というのが正しい使い方になります。

「気が置けない」を「気が許せない」と言う意味で誤用すると、180度異なる人物像として伝わってしまう事になるので、使用する時には十分注意したいですね。


天気予報 一時・時々・のち雨の区分

2017-10-24 | 情報

昨日は久しぶりに太陽が顔を出しました。
大阪南部の泉州地方は12日から台風21号が通過する22日まで雨や曇り空が続き、うっとうしい毎日でした。
1週間に一度くらいの雨は大歓迎ですが、このように毎日の雨、ましてや今回のような暴風雨はご免こうむりたいものです。

ところで、テレビの天気予報を観ていると、雨の予報でも「一時雨」とか「時々雨」或いは「のち雨」などと表現を変えて報じています。
皆さまはこの違いをご存知でしょうか?

そこで、この区分について調べたところ、この使用区分には明確な基準がありました。
即ち ・一時雨とは、予報期間のうち、連続して雨の降っている時間が四分の一未満のことで、
    ・時々雨とは、断続的に雨の降っている時間が二分の一未満のこと でした。
と言うことは、24時間のうち、「一時雨」は、連続して降る時間が最長で6時間であり、
「時々雨」は、断続して降っている雨が最長で12時間降る可能性を伝えているということです。

「時々雨」の断続的に降る雨とは、雨が降ったり止んだりするという意味で、断続的に12時間降る可能性があります。
「一時雨」の場合は連続して降る時間が6時間であり、一度雨が止んでしまえば、もう傘は必要ないという風に読み取ることが出来ます。
要は、「一時雨」は「連続して」降り、「時々雨」は「断続的に」降る点に違いがあります。

「のち雨」
では「のち雨」とは、いつから降るのでしょうか?
晴のち雨という表現の「のち」は、順序を表す「のち」なので、晴れの後に雨が降るということですが、これではいつから雨が降り出すのかわかりませんよね。
天気予報では、予報期間を前半と後半に区分して使用するようです。
例えば、晴れのち雨という予報であれば、予報期間が0時から24時の場合、午前中は晴れで傘は必要ないが、午後からは雨が降る可能性がある、と言う予報を伝えているのです。
「雨のち曇り」の場合も、午前中は「雨」で、午後から「曇り」なる可能性があると言うことです。

なお、予報期間とは、発表時刻から24時までの時刻です。
天気予報は1日3回(5時、11時、17時)発表します。
5時発表と11時発表の「今日」や17時発表の「今夜」とは「発表時刻から24時まで」の予報です。
「あす(明日)」とは「明日の0時から24時まで」の予報で、「あさって(明後日)」とは「明後日の0時から24時まで」の予報となります。

天気予報については漠然と観ていることが多いと思いますが、この言葉の使用区分を覚えておけば、傘の有無について、より的確に判断がつくようになりそうですよ。


飲む点滴

2017-10-23 | 情報

健康食品などがテレビが取り上げられると、たちまち人気となります。テレビの発信力の凄さには驚くばかりです。
今日取り上げる「飲む点滴」・甘酒もそうです。

以前、NHKや民放で甘酒を取り上げ、「飲む点滴」とか「飲む美容液」としてその美容効果や健康効果について放送していました。
それ以後、スーパーに行くと、どのスーパーにも甘酒コーナーが設置されており、最近では自動販売機でも甘酒を見かけることがあります。

甘酒の作り方には、酒粕を溶かして砂糖を加えたものと、米麹を発酵させる2つの製法があります。
甘酒は「甘」の文字が入っているので甘い飲み物のイメージがありますが、米麹で作られた甘酒は、米と麹を発酵させて作り発酵の段階で自然の甘さが出てくるので、砂糖不使用の飲み物です。
米麹を使った甘酒は多くの効能が知られる超健康食品だそうです。



そこで今日は、「飲む点滴」とも言われている甘酒の美容、健康効果について調べました。

米麹を使った甘酒には、私たちの体に必要なほぼ全ての栄養が入っていると言ってもいい程の栄養素が含まれているそうです。
その栄養素は主にぶどう糖、その他にビタミンB群、アミノ酸などで、これらの栄養素がなければ人は生きていくことが出来ません。
例えば、血液中に含まれる赤血球はぶどう糖がなければ働きません。
本来ぶどう糖は、お米などの炭水化物に含まれる糖質が消化器官によって分解されて作られるのですが、それが甘酒には含まれています。

病院の点滴剤には、ブドウ糖や塩化カリウム、塩化ナトリウム、乳酸ナトリウムなどの成分が含まれているものがあり、甘酒もほぼこの点滴剤と同じような成分が含まれているということで、甘酒が「飲む点滴」と呼ばれる所以でもあるようです。

では、具体的に甘酒にはどのような効果があるのでしょうか?
1.疲労回復・・・・・・疲労回復時や夏バテの滋養強壮ドリンクとして最適です。古くは江戸時代から病中、夏バテなどの特効薬として重宝されて来たようです。
2.美肌美白効果・・甘酒の原料「麹」には、コウジ酸が多く含まれています。
             このコウジ酸は、シミの原因となる過剰なメラニン生成を抑えてシミやくすみを防いでくれる効果があるようです。
3.保湿成分・・・・・・肌の乾燥も、シミやくすみを引き起こす原因のひとつです。甘酒に含まれる、ビタミンB群が持つ保湿効果が美肌効果をもたらします。
4.ダイエット効果・・甘酒に20%近い割合で含まれるブドウ糖は、血糖値をすばやく上昇させ、満腹感を得やすい効果があります。
             そのため、食前などに飲むことで食べ過ぎを防いでくれます。
5.便秘の解消・・・・甘酒には食物繊維やオリゴ糖も含まれているため、腸の環境を整え、働きをよくしてくれる作用があります。

米麹で作る甘酒は、ノンアルコール、ノンシュガーで、必須アミノ酸やビタミンB群、オリゴ糖などが豊富に含まれており、専門家も「ヨーグルトに勝るとも劣らない」と太鼓判を押すほどだと言われています。
近年の実験でも、「乾燥肌がプルプルのお肌に改善した」とか「スポーツの疲れが軽減した」、「便通がよくなった」など、さまざまな美容・健康効果が報告されているそうです。

しかし、効果を得るためには毎日コップ1杯(200cc)程度飲む必要があるようです。
毎日購入すると費用がかかります。出来れば自宅で甘酒を作ってみてはいかがでしょうか。


上には上がある

2017-10-22 | 雑学

スポーツや芸術、芸能などの分野において、優れた才能の持ち主はいるものです。
ニュースやマスコミで報道された後、暫くすると、その人を上回る才能を発揮する人がまた現れることがあります。
このような時の表現として「上には上がいる」と発言する人があります。

実はこの表現は間違いであり、正しくは「上には上がある」なのです。
今日はこの慣用句について調べました。

「上には上がある」とは、これが最高に優れていると思っていても、更にその上にも優れたものがある。物事には限度と言うものがない、ということです。
この意味はよく知っていても、表現として「上には上がある」と正しく言うのではなく、「上には上がいるものだ」と間違って言う人が多いようです。
この慣用句の「上」「下」は、人そのものの優劣ではなく、ひとが何かをしたり、発したりするそのモノやコトに対する「上と下」という考え方をしているのです。

「上には上がある」を「上には上がいる」と表現する誤用の一因は、福沢諭吉の「学問のすすめ」にあるという説もあります。
それによると、「学問のすすめ」の初編の有名な部分「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」から、人の上下を比較対象として、「上には上がいる」と解釈しているのではないかと言うものです。

では福沢諭吉の「学問のすすめ」の本当の意味は何なのでしょうか?
『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤(きせん)上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資(と)り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥(どろ)との相違あるに似たるはなんぞや。
その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。
されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。
すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役(りきえき)はやすし。ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。』
(以下略)

この文章の意味そのものも勘違いされていることが多いようです。
冒頭の部分だけを読むと「ひとは皆、平等である」と書いてあるように思いますが、実際は「人は不平等なものである。その理由は、学んだか学ばなかったかによるものである。だから学問を身につけ、自分の役割を果たし独立すべきだ。」ということを伝えようとしているのです。

難しい事を書きましたが、「上には上がある」が正しい表現であり、誤用である「上には上がいる」と表現しないように気をつけたいですね。