らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

今年を振り返る

2020-12-31 | 季節

令和2年はいよいよ今日1日を残すのみとなりました。
皆様にとって今年はどんな年だったでしょうか?
今日は今年の出来事を振り返ってみようと思います。

今年は何といっても新型コロナウイルスの感染に関する出来事です。
中国、武漢で発生した新型コロナウイルスは中国がその発生を隠したことから世界中に広がりました。

「世界の感染者及び死者数」
日経データによると12月29日現在、新型コロナウイルスの感染者の累計は世界全体で8115万人を超え、死者数も177万人を上回りました。
「国別感染者数」
・アメリカ・・・1916万1619人
・インド・・・・1020万7871人
・ブラジル・・・・748万4285人
・ロシア・・・・・304万7335人
・フランス・・・・261万6510人
が感染者数の多い上位5か国となっています。

「国別死者数」
・アメリカ・・・33万3394人
・ブラジル・・・19万1139人
・インド・・・・14万7901人
・メキシコ・・・12万2426人
・イタリア・・・7万2370人
が死者数の多い上位5か国となっています。

「日本の感染者数および死者数」
一方、日本国内で感染が確認された人は、空港の検疫などを含め、
・感染者数・・・22万3776人、(クルーズ船の乗客・乗員712人を含めると、22万4488人)
・死亡者数・・・3325人、(クルーズ船の乗船者13人を合わせて3338人)

感染者数の多い上位5都府県は次の通りです。
・東京都は5万7040人
・大阪府は2万9077人
・神奈川県は1万9848人
・愛知県は1万5804人
・埼玉県は1万3421人

これらの数字が示すように、今年は日本も世界も新型コロナウイルスによる多大な被害に見舞われた1年であり、収束の兆しが見られないまま暮れようとしています。

一方、読売新聞が報道した今年の十大ニュースでもコロナ関連が上位を占めています。
そこで、同新聞から日本と世界の十大ニュースの上位5位までをご紹介します。

「日本の十大ニュース」
【1位】感染拡大 緊急事態宣言
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府は4月7日、緊急事態宣言を発令しました。
市民に外出自粛を呼びかけると共に、遊興施設や商業施設など幅広い業種に休業を要請しました。
また、ソーシャルディスタンス(社会的距離)の確保やマスク着用などの「新しい生活様式」が浸透し、自宅などで勤務するテレワークをはじめ、感染リスクが高まるとされる「3密」を回避する動きが広まり、更に、一律10万円の給付や、企業に支給する「雇用調整助成金」の拡充などを盛り込んだ緊急経済対策を実施しました。
7月には、苦境に陥った観光業界を支援する「Go To トラベル」事業も始まりました。

【2位】東京五輪・パラ 1年延期
新型コロナの猛威のため、東京五輪・パラリンピックを直撃して1年延期されました。
開会式は来年7月23日、閉幕は8月8日、パラリンピックは8月24日から9月5日まで行われる予定となりました。

【3位】菅首相誕生 新内閣発足
9月16日、安倍総理の辞任表明を受けた自民党総裁選で菅義偉が岸田文雄、石破茂両氏を破って総裁の座に就き、第99代の首相に就任しました。

【4位】安倍首相 辞任表明
8月28日、安倍首相は持病の潰瘍性大腸炎の悪化を理由に辞任する意向を表明しました。
在職日数は、2012年12月の第2次内閣発足から連続で7年8か月余(2822日)、第1次内閣を含めた通算では3188日で、いずれも歴代1位を記録し、歴史的な長期政権を築きました。

【5位】コロナでなくなった著名人
3月29日にはコメディアンの志村けんさんが70歳で死去しました。
4月23日は女優の岡江久美子さんも63歳で亡くなり、更に翌日の、
4月24日には外交評論家の岡本行夫さんが74歳で亡くなりました。
10月4日にはファッションデザイナー高田賢三さんが81歳で亡くなり、先日の
12月27日には国会議員の羽田雄一郎氏が53歳で突然亡くなりました。
他は省略します。

「海外の10大ニュース」
【1位】アメリカの新大統領にバイデン氏
11月3日に行われた米大統領選はバイデン氏がトランプ大統領を破って次期大統領に当選しました。

【2位】WHO パンデミック宣言
3月11日、世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム事務局長は「パンデミック(感染症の世界的な大流行)」を宣言しました。

【3位】黒人男性死亡 抗議拡大
5月25日、米ミネソタ州で黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警察官に首をひざで押さえつけられて死亡し、黒人への人種差別として反発する抗議デモが全米各地に飛び火しました。更に、「黒人の命は大切だ」とする訴えが世界へと広がりました。

【4位】英国がEU離脱
1月31日、英国は欧州連合(EU)から離脱しました。
EUからの加盟国離脱は初めてで、加盟国は27か国に減りました。

【5位】香港「国安法」施行
6月30日、中国は香港での反体制活動を取り締まる国家安全維持法(国安法)を可決し、法律が施行されました。
香港での抗議運動の封じ込めや民主派への締め付けが狙いで、「一国二制度」の下での香港の「高度な自治」は形骸化が決定的となりました。

来年は各国でコロナワクチンの接種が本格的に始まる予定です。
一日も早くコロナが収束に向かうことを祈りたいと思います。

今年最後のブログが長くなりましたが、最後までお読みくださりありがとうございました。
皆様におかれましては、コロナ感染に十分ご留意いただき、ご家族揃ってよいお年をお迎えくださいますよう心からお祈り申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。



神社参拝の作法

2020-12-29 | 季節

新型コロナウイルスの感染で始まった令和2年は、感染拡大が収まらないまま、今日を含めて残り3日となりました。
一昨日にはイギリスで流行している新型コロナの変異種が国内で見つかったとの報道もありました。
一向に収まる気配のないコロナウイルスの感染拡大。
来年には延期された東京オリンピックが予定されていますが、このままではこれも危ぶまれそうです。
年末年始の不要不急の外出を自粛することによって、何とか収束に向かってほしいものです。

さて、コロナ禍であってもお正月に初詣に行かれる方は多いと思います。
既に神社の参拝方法は十分ご存じだと思います。
その上で、改めて正しい参拝の作法について調べてみました。

・大阪熊取町の大森神社です。


「参拝の作法」
1.鳥居のくぐり方
神社の鳥居は聖域への入り口なので、軽く一礼してからくぐります。

2.参道の歩き方

参道の真ん中は神様の通り道なので端を歩いて境内に入ります。
また、参道の中央を横切る際に、軽く頭を下げながら通ったり、中央で神前に向き直って一礼してから横切ります。

3.手水の仕方

① 右手で柄杓(ひしゃく)を持ち、水を汲んで左手にかけ左手を清めます。
② 次に柄杓を左手に持ち替えて、同じように右手を清めます。
③ 再び柄杓を右手に持ち、左の手のひらに水を受けて口をすすぎます。
④ 口をすすぎ終えたら、もう一度水を左手に流します。
⑤ 最後に水の入った柄杓を立て、柄に水を流してから伏せて置きます。

4.拝殿に進む

拝殿に着いたら、魔除けと神様を呼ぶ合図を兼ねた鈴を鳴らし、お供え物として賽銭箱にお賽銭を入れます。
ここまでが礼拝する前の清めの儀式になります。

「礼拝の作法」
拝礼の仕方は「二礼二拍手一礼」の作法で拝礼し、会釈をしてから退きます。
・二礼・・・姿勢を正してから腰を90度に曲げる深いお辞儀を2回します。
・二拍手・・それから胸の高さで柏手を2回打ち、手を合わせてお願い事を伝えます。
      この時、神様には自分の名前だけではなく、「○○市▽▽町□番地の○○です」と住所も省略せずに正確に伝えます。
      名前だけでは誰なのか神様が分からないからです。
・一礼・・・礼拝の最後にする礼ではしばらくそのまま頭を下げ続けると、不意に願いをかなえる方法を思いつくことがあると言われています。
      これは神様からいただく有難い「ひらめき」だと言われています。

参拝を終え、境内(鳥居)を出る際は社殿の方に向き直って一礼します。
以上が正しい参拝作法となっています。

コロナ禍での初詣なので、ソーシャルディスタンスを確保して、感染には十分注意しながら参拝していただきたいと思います。


今年も見つけた「セアカゴケグモ」

2020-12-27 | 地元紹介

昨日、側溝の掃除を行いました。
ここ数年は自治会での一斉清掃が行われていないので、我が家だけの単独清掃です。
我が家では、側溝の清掃は毎年末に行っているだけなので、苔が生え、砂が落ち、木の葉が溜まって非常に見苦しくなっていました。

・これが1年間に溜まった木の葉や苔です。


溝掃除で気を付けたいのはセアカゴケグモの存在です。
我が家の溝蓋の裏からは、2011年以降、毎年1~2匹のセアカゴケグモが見つかっているのです。
その都度、駆除しているのですが、一向に絶滅できていません。

今年は潜んでいないことを願いながら溝蓋を開けてみました。
先ず、南側の溝蓋から始めました。
どこにもセアカゴケグモはいません。
ひと安心です。
安心して溝の落ち葉や苔の除去を行いました。
清掃後は、下の画像のように綺麗になりました。



続いて、東側の側溝です。
毎年見つかるのはこちら側の溝蓋なので、いないことを願いつつ開けていきます。
角から1枚目を開けました。 いません。
続いて2枚目もいません。
いいぞ!この調子。
3枚目の蓋を開けた時です。
背中に赤い模様があるクモを発見しました。
紛れもないセアカゴケグモです。
今年もいたのか!「セアカゴケグモ」め!
撮影の後、即、憎っくきクモは駆除しました。

・東側の溝蓋裏から見つかったセアカゴケグモと卵嚢(らんのう)です。


続いて4枚目5枚目を開けても見つかりません。
今年はこの1匹だけかと思っていたところ、6枚目を開くと潜んでいるではありませんか。

その後の蓋裏には見つからず、結局、今年も2匹が潜んでいたのです。
冬のこの時期は逃げることはせず、脚を丸めてじっとしているだけです。
このクモも撮影の後には駆除しました。

・2匹目のセアカゴケグモです。


「大阪府熊取町のセアカゴケグモ情報」(熊取町HPより)
熊取町ではほぼ全域で「セアカゴケグモ」の生息が確認されています。
性格はおとなしく攻撃性はないものの毒をもっており、かまれると大事にいたる場合があることから、つぎの点に注意するよう呼び掛けています。
  
1.特徴
 ・全体に黒く背中に赤い帯状の模様。体長はメスの場合、約1cmで脚を広げると約3cmで腹が 大きくふくれている。 

2.生息場所
・日当たりが良く、暖かいところ
・昆虫や小動物などのえさが豊富にあるところ
・巣を張る適当なすき間があるところで、
  排水溝の側面や蓋の裏、花壇周りのくぼみや穴、プランターなどのすき間
  墓石のすき間、クーラー室外機の裏、水道メーターボックス内、放置自転車など 

3.見つけたら
・素手でさわらない。
・市販のスプレー式殺虫剤(ゴキブリ用)をかけるか、踏みつぶす。

4.かまれたら
・かまれたところを水でよく洗う。
・できるだけ早く、医療機関で治療を受けてください。
 (かまれたクモを殺して持参してください。種類等が特定でき適正な治療につながります。)
・保健所等にも、かまれた旨の連絡をしてください。
 
5.被害を防ぐために
 ・生息しそうな場所に普段から注意し、クモの巣があれば棒などで払ったり、溝などは普段から掃除し、クモが巣を作らないようにして
 ください。
・クモはスプレー式殺虫剤(ピレスロイド系 一般的にゴキブリ用)をかければ、駆除できます。
・清掃や園芸作業をする場合はなるべく、軍手や手袋をつけて作業してください。
 ・外に置きっぱなしの玩具、帽子やヘルメット、サンダルや長靴などを使用したり身につけるときは、その中や裏側を十分に点検して
 ください。 

「全国の分布」
セアカゴケグモの全国の分布状況は、2020年7月現在、青森県と秋田県を除く45都道府県で確認されており、特に多いのは近畿地方と東海地方だそうです。
もし、セアカゴケグモを見つけたら前記の注意事項をご参考にしていただき、噛まれたりしないように十分ご注意ください。


雨模様

2020-12-25 | 雑学

大阪南部の熊取地方は先月から一昨日まで殆ど雨が降っていません。
雨模様になって雨の期待を持たしてくれた時もあったのですが、いつも期待外れでした。
たまに降っても精々パラパラっと気休め程度に降るくらいで、とても畑の土が湿るまでにはなりません。
カラカラに乾燥した畑の畝は白い土のままです。
毎日、「雨降らないかなあ~」とつぶやいていたところ、昨日、やっと降ってくれました。
こんなに雨を待ち望んだことは初めてのことです。

ところで、冒頭に雨模様という言葉を使用しましたが、この言葉の意味について誤解している人が案外多いということです。
そこで今日は約2か月ぶりに畑を潤してくれた雨に感謝しつつ、この言葉の意味について調べました。

「雨模様の意味」
皆さんは「雨模様」の本来の意味について次のどちらだと思いますか?
(ア)「雨が降ったりやんだりしている様子」でしょうか?
(イ)「小雨が降りそうな様子」と言う意味でしょうか?

「国語に関する世論調査の結果」
平成22年度と平成15年度の国語に関する世論調査の結果です。

設問:「外は雨模様だ」という例文を出して「雨模様」の意味を尋ねました。                 
「回答結果」                 平成22年度   平成15年度
(ア)雨が降りそうな様子・・・・・・・・・・・ 43.3%      38.0%
(イ)小雨が降ったりやんだりしている様子・・・・47.5%      45.2%
(ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・4.8%       9.4%

「雨模様」を辞書で調べてみると、
・「日本国語大辞典」では、雨が降り出しそうな様子。あまもよう。雨催(あまもよい)。
・「岩波国語辞典」では、今にも雨が降りそうな空の様子。あまもよう。あまもよい。
・「広辞苑」では、雨の降りそうな様子。あまもよい。
と説明しています。

辞書が示すように、「雨模様」とは、元々は「あまもよい」「あめもよい」と言われており、「雨が降りそうな様子」を示す言葉なのです。
ところが、平成22年度の「国語に関する世論調査」では、本来の意味である(ア)の「雨が降りそうな様子」と答えた人が4割台前半で、本来の意味ではない(イ)の「雨が降ったりやんだりしている様子」と答えた人が4割台後半と約半数を占める結果でした。

これを年代別にみると平成22年度も15年度も共に30代から50代では本来の意味でない(イ)の方が多く、20代以下と60歳以上の層では本来の意味の(ア)の方を選んだ割合が高くなっています。

元々、この言葉は『あまもよい』とか『あめもよい』と言われており、『もよい』とは、『催す』の意味で、雨を催す、つまりこれから降りそうなと言う意味が模様に変化したものなのです。
ところが「催す」と言う意味が忘れられ、「模様」を「様子」の意味と捉えたことから、雨が降っている状況をイメージするようになったのではないかと言われています。

雨模様の本来の意味は、「雨が降りそうな様子」ということで、未だ雨が降っていない時に使う言葉です。
「雪模様」と言う言葉もありますが、これも同様です。

間違って使用しないように気をつけたいものですね。
それにしても昨日の雨は待ちに待った雨であり、こんなにうれしい雨は初めてです。

 


入浴剤の由来

2020-12-23 | 雑学

一昨日は冬至でユズ風呂に入られた方が多かったと思います。
ユズ湯は血液の流れをよくする血行促進効果や果皮に含まれるクエン酸やビタミンCにより美肌効果などもあると言われています。
ところで、風呂と言えば入浴剤を愛用されている方もおられると思います。
そこで今日は入浴剤の由来について調べてみました。

「入浴剤の由来」
浴槽に何かを入れる習慣は古代文明が栄えたエジプト、ギリシャ、ローマなどで、香料や酒、塩、花などを入れた記録が残っているということです。
ただ、西洋では中世以降、入浴の習慣が廃れたことから、代わりに発達したのが香水でした。

一方、入浴が日常となった日本では、様々なものを風呂に入れる習慣が広まりました。
古くは平安時代の頃から薬草を入れて入浴する「薬湯」が評判となり、江戸時代には菖蒲湯、ユズ湯などが定着しました。

・「バスクリン」の日本の名湯シリーズの入浴剤です。(ネットより)


「バスクリンの誕生」

製品化された最初の入浴剤は、明治30年(1897年)に発売された「くすり湯浴剤中将湯(ちゅうじょうとう)」です。
「中将湯」は元々は婦人病に効果がある生薬です。
これを製造販売をしていた「津村順天堂」の社員の一人が製造過程において出る残りカス (生薬を刻んだ残り)を自宅に持ち帰って、お風呂(タライでの行水)に入れて、子どもを沐浴させたところ、体が温まり、あせもが治ったのだそうです。

さらにポカポカと温まった状態をキープできるということがわかり、改良して製品化し、銭湯向けに販売したところ、たちまち人気商品となりました。
しかし、冬場はポカポカしていいのですが、夏場は身体が温まりすぎることから、夏向けの入浴剤を開発しました。
それが、昭和5年(1930年)に誕生した「バスクリン」だそうです。

バスクリンの販路も、当初は浴剤中将湯と同じく銭湯のみでしたが、1960年代以降の高度経済成長期には、内風呂が一般家庭に普及したことから、“遠くの温泉より我が家で温泉気分”のキャッチフレーズとともに爆発的に売れました。

その後、更に種々の効果を持つ温泉の湯(子宝の湯・腫れものの湯・中気の湯・美人の湯など)を、温泉地に行かなくても家庭で簡単に応用できないかという考え方から生まれたのが「日本の名湯シリーズ」などの入浴剤です。

現在では、いろいろな種類の入浴剤が各社から発売されていることから、温泉地に行かなくても、家庭にいながら至福のひと時を味わうことができます。

コロナ感染の拡大を受けて不要不急の外出自粛が求められているお正月には、ご自宅のお風呂で「日本の名湯シリーズ」などの入浴剤で、温泉地に言った気分を味わってみては如何でしょうか?


冬至にユズ湯の謂れ

2020-12-21 | 季節

今日は二十四節気の一つで、1年で最も昼が短く、夜が長い日と言われている冬至です。
昔から『冬至 冬中 冬初め』と言われており、この言葉は、冬至は暦の上では冬の中間点ですが、実質的な冬はこれからで、むしろどんどん寒くなることを言っています。

ところで、冬至と言えば、この日は柚子湯に入り、冬至粥やカボチャを食べると風をひかないと言い伝えられていますが、その謂れをご存じでしょうか?
今日は「冬至と柚子湯の謂れ」について調べました。

「冬至とユズ湯の謂れ」
昔は、冬至の日は「死に一番近い日」と言われていたそうです。
何故か?
それは、冬は植物が枯れ、食料が手に入りにくくなることや日照時間が短く、生命の源である太陽の恵みを享受することができにくいことからで、江戸時代では命に関わる危険な日と考えられていました。
そして、その厄を払うための禊として、香りに邪を祓う霊力があると信じられている柚子のお風呂に入ったということです。

また、冬至を「湯治」とかけて生まれたのが「柚子湯」とも言われ、更に、柚子自体にも意味があって、「融通(ユズ)が利くように」との願いも込められていたとも言われています。



「かぼちゃを食べる謂れ」
また、冬至にはかぼちゃを食べますが、その謂れは次のように言われています。
かぼちゃを食べるのは、野菜の少ないこの時期に、カボチャを食べて栄養補給をし、無病息災を祈るという意味は勿論あるのですが、他にも、冬至を1年の締めくくりの日ととらえ、「いろは48文字」の最後が「ん」であることから、「ん」の付くものを食べるのが良いという縁起担ぎからとも言われているようです。
その中でも、「かぼちゃ(なんきん)」「人参(にんじん)」「蓮根(れんこん)」「銀杏(ぎんなん)」「金柑(きんかん)」「寒天(かんてん)」「うんどん(うどん)」の「ん」が重なる食べ物は、「冬至の七種(ななくさ)」と呼ばれ、特に縁起が良いとされています。

今年は新型コロナが猛威を振るっています。
カボチャ(なんきん)を始め、冬至の七種を食べて、コロナに負けない体力を作り、元気にこの冬を乗り切りましょう。


百人一首99番「後鳥羽院」

2020-12-19 | 雑学

比較的温暖な大阪南部の熊取地方も、寒波の襲来で先日から寒い日が続いています。
昨日までの3~4日間は最低気温が5度を下回り、最高気温も8度前後ととても寒く、雪花が舞った日もありました。
このような日には畑には行かず、録り溜めているドラマを観ることにしており、先日は内田康夫原作の浅見光彦シリーズ第14弾の「後鳥羽伝説殺人事件」を観ました。

「後鳥羽上皇の配流ルート」
後鳥羽上皇は承久の乱に敗れ、隠岐へ配流されるのですが、そのルートは、『承久兵乱記』 では、 京都から播磨明石浦へ出て美作(現岡山県)と伯耆(現鳥取県)の境を越えて出雲大湊へ着き、そこから隠岐へ向うと記されています。
一方で、備後(現広島県)から雲南(現島根県)の一部にかけても配流伝説が残っており、ドラマはこのルートの伝説をもとに作られています。

ドラマは、浅見光彦が後鳥羽上皇が隠岐へ配流されるときの伝説が残る尾道から出雲へのルートをたどり、浅見家を襲った哀しい事件の謎に挑むものです。
浅見家を襲った哀しい事件とは、12年前、妹・祐子が卒業旅行中に火災に巻き込まれ、非業の死を遂げた事件です。
この時、一緒に旅をした祐子の友人・正法寺美也子もその後、後鳥羽院御陵で遺体となって発見されたのです。
警察は火災事故と処理していたものが殺人事件に発展し、光彦がその謎を解く形でドラマが展開していきます。

「百人一首第99番の和歌」
ドラマの内容は兎も角、この中で後鳥羽上皇の和歌が出てくるのですが、後鳥羽上皇と言えば、百人一首の第99番に次の歌が登場しています。
今日はこの歌についてご紹介します。

「人もをし 人も恨(うら)めし 味気(あぢき)なく 世を思ふ故(ゆゑ)に もの思ふ身は」後鳥羽院(99番)『続後撰集』雑・1199

現代語訳」
人間がいとおしくも、また人間が恨めしくも思われる。つまらない世の中だと思うために、悩んでしまうこの私には。

・百人一首第99番、後鳥羽院の和歌です。


「語句の説明」
・【人もをし 人も恨(うら)めし】・・・「をし」は「愛(を)し」と書き、「愛おしい」という意味。
                    「恨(うら)めし」は「恨めしい」という意味です。
・【あぢきなく】・・・「面白くなく」という意味になります。
・【世を思ふ故(ゆゑ)に】・・・「世を思ふ」は「世間・天下のことを思いわずらう」という意味です。
・【もの思ふ身は】・・・「もの思ふ」は自分の心に沸き上がるさまざまな思いのことで、「身」は作者自身を指します。

「和歌の背景」
後鳥羽院のこの歌は、承久の乱の9年前、上皇になって14年目、33歳の時に詠んだ歌と言われています。
後鳥羽院は武家から政権を取り戻すことと、歌を作ることの二つに生涯を懸けた天皇ですが、承久の乱で天皇の政治上の画策は失敗します。
この歌はその苦悶の生涯から自然に生まれた嘆きであり、憎い連中に対する怒り、思うようにならない世の中に対する嘆きが強烈に詠まれています。

「承久の乱」
なお、承久の乱というのは、鎌倉時代の承久3年(1221年)、後鳥羽上皇と鎌倉幕府 北条義時 との間で起こった戦いです。
執権北条義時追討の院宣を出し、挙兵したものの召集に応じた兵力は少数で、幕府の大軍(19万騎とも)になすすべなく完敗しました。
即刻、後鳥羽院は隠岐へ、息子順徳院は佐渡へと配流となり、土御門院も自ら土佐へと落ちたのです。

「後鳥羽院(1180~1239)」
後鳥羽院とは、第82代後鳥羽天皇(在位1183年~1198年)のことで、いまから830年ほど前の天皇です。
「院」とは位を退いた後の呼び名です。
19歳で譲位した後は、24年間にわたり、天皇を後見する院政を行なって、権力を維持していました。
貴族社会の終わりに立ち会った後鳥羽院は、政治権力を奪われた立場にあったことから、その復権を強く望み、鎌倉幕府の権力者北条義時を打倒しようとして挙兵しましたが、失敗し、隠岐(現在の島根県)に配流され、60歳の生涯を閉じました。


「ことば食堂」 【奇特】

2020-12-17 | 雑学

以前、文化庁が製作した動画に「ことば食堂」がありました。
この動画は「国語に関する世論調査」から、言葉の意味を尋ねる問題を解説しているものです。
今日はその中から「奇特」という言葉についてご紹介します。

動画の内容は次のようなものです。
「動画の内容」
ある家庭の母と娘の会話です。
娘の友達が新聞配達して大学の学費を稼いでいるという話題になり、
母:「今どき奇特な若者ね」「あんたも見習いなさいよ」
娘:「へー、人と変わっていることって見習ったほうがいいんだあ~」
と言い、母と娘の間で「奇特」の意味に食い違いが生じたのです。

「奇特」の意味について、皆さんは次のどちらだと思いますか?
(ア) 「優れて 他と違って感心なこと」でしょうか?
(イ) 「奇妙で珍しいこと」でしょうか?

それでは文化庁の動画「ことば食堂へようこそ!」をご覧ください。
 

動画が解説しているように『奇特』 とは、本来 『優れて  ほか と違って感心 なこと 』という意味なのです。
広辞苑でも、特に優れて珍しいこと。また、心がけや行いが優れてほめるべきものであること。と説明しています。

このように奇特の意味は、(ア)の「優れて、他と違って感心なこと」なのですが、「平成 14 年度の『国語に関する 世論調査 』 でその意味を聞いたところ、本来の意味ではない 『奇妙で珍しいこと  』と回答した 人の割合は 約 25.2%、本来の意味の(ア)と回答した人は49.9%でした。
ところが、年代別では、16歳~19歳は45.5%の人が、20歳代では42.7%の人が(イ)の本来の意味ではない「奇妙で珍しいこと」と回答しており、若い人の間で誤解している人が多い結果となっています。

『奇特』という言葉が『奇妙で珍しいこと』として使われている理由としては、『奇』という字が『奇妙』のほかに、『奇抜』『奇怪』という言葉や『奇をてらう=(一風変わったことをして見せる)』といった言い方でもよく使われることから、これらの言葉の意味が影響していることなどが考えられるということです。

『奇特』の本来の意味は、『優れて ほか と違って 感心なこと 』です。
間違って使用しないように気をつけたいものですね。


秋のじゃが芋栽培(収穫)

2020-12-15 | 家庭菜園

先日、9月10日に植え付けたじゃが芋を収穫しました。
今年は夏の暑さが遅くまで続いたことから、植え付けは例年と比べて半月ほど遅くなりました。
このため、栽培期間も例年と比べて短かく、芋の肥大が心配されましたが、案の定、殆どが小さな芋でした。

当地方(大阪南部熊取地方)の「秋植えジャガ芋」の植付け時期は8月下旬頃といわれています。
植え付けが遅いと栽培期間が短くなるので芋の生長に影響し、植え付けが早いと、夏の暑さで腐ってしまうことがあります。
以前、その苦い経験をしているので、暑さが一段落するまで待って植え付けるようにしています。

・収穫の目安としている茎が枯れた「キタアカリ」の株です。


9月10日に植え付けた種芋は、春に収穫し、保存中に出芽した「キタアカリ」と言う品種です。
「キタアカリ」は生長が遅く、春栽培でも毎年小さな芋しか生りません。
それだけに早く植えて栽培期間を長く確保したかったのですが、前述したように、今年は夏の猛暑が遅くまで続いたため植え付けが遅くなってしまいました。

・掘ってみるとほとんどが小さなものでした。


「秋植えじゃが芋の栽培」
一般的に秋のじゃが芋栽培は次のように言われています。
・植え付け時期・・・8月下旬から9月上旬
・種芋の品種・・・・デジマ、ニシユタカ、アンデス赤など
・種芋は切らない・・秋ジャガ栽培で使う種芋は、切らずに丸ごと植え付けます。
          植え付け時期の気温が高いため、種芋を切って植え付けると、断面から傷んでくる可能性があるということです。
・植え付ける株間・・株間は25㎝~30㎝に植え付けます。
          春植えより小ぶりに育つため株間はやや狭くてもいいようです。
・芽かき・・・・・・植え付けて1か月もすると複数の芽が出てくるので、太くて優良なものを残し、後は抜き取ります。これが芽かきです。       
・追肥と土寄せ・・・1回目の追肥は芽かきと同時に行い、併せて土寄せをします。
          追肥の2回目は蕾が付いたころです。
          土寄せは茎が生長した時にぐらつくのを防ぐ目的と、土中のイモが育ってきた時に、イモが外に露出するのを防ぐために
          行います。
・収穫・・・・・・・葉や茎が黄色く枯れるのが収穫の目安となります。

以上が秋植えじゃが芋の栽培方法ですが、私の今年の栽培はキタアカリを植えたのが、大きく生長しなかった最大の原因のようでした。


ボーナスはなぜ夏と冬なのか?

2020-12-13 | 季節

12月はサラリーマン待望のボーナス月です。
ところが今年は新型コロナの感染拡大で企業業績が低迷していることから、ボーナス支給が前期と比べて大きく減少する会社や出ない会社など、サラリーマンにとっては相当厳しい年末になっているようです。

そうした中、12月10日には全国の殆どの公務員にボーナスが支給されました。
国家公務員の平均支給額は、民間企業との格差を解消するための引き下げなどで、去年より3万円余り、率にして5%少ない、およそ65万円で、3年連続の減少となったということです。
一方、三菱UFJリサーチによる調査では、民間企業のボーナスは1人当たりの平均で347,800円、前期比10.7%の減少となっており、この調査を見る限りでは、まだまだ相当な官民格差があるような気がします。

「ボーナスの語源」
ところで「ボーナス」の語源はどこからきているのでしょうか?
調べてみると、ボーナスの語源はラテン語の「bonus(ボヌス)」であると言われています。
このボヌスはローマ神話に登場する、成功と収穫の神「Bonus Eventus(ボヌス・エヴェントス)」で、bonusには「良い」という意味があります。
ブリタニカ国際大百科事典にも、原義はラテン語で「良いもの」「財産」という意味と説明しています。

「ボーナスの起源」
では、日本においてボーナスはいつから、どのようなきっかけで支給されるようになったのでしょうか。?
日本では、ボーナスと似たような風習に、江戸時代の習慣の「お仕着せ」があります。
お仕着せとは、主人が奉公人に着物を与えることを言います。
これは、住み込みで働く奉公人が唯一の休みである盆や正月に田舎へ帰る際、身ぎれいにしてお帰りなさい、といった意味を込めて主人から支給されるものです。
更に、暮れには主人から奉公人に対して「餅代」と記された包み金が与えられました。
これらの「仕着せ」や「餅代」が時代と共に変化し、現在の夏と冬のボーナスになったと言われています。

そして、企業が従業員にボーナスを支給したのは明治7年(1874年)、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎が初めてといわれます。
ボーナスは、従業員の奮闘で競合他社との価格競争を勝ち抜いたことに対する報奨という意味で一時的に支払われたものですが、明治21年(1888年)からは制度として、毎年決まった時期にボーナスが支給されるようになりました。
それをきっかけに、日本国内にボーナスという制度が普及したといわれています。

「夏と冬に支給する理由」
でもなぜ、ボーナスは春や秋ではなく、夏と冬に支給されるのでしょうか? 
その理由は、戦後の日本の経済復興期に、労働者が足並みをそろえて、夏季(お盆)や冬季(年末年始)に休暇を取得して帰省や旅行などをする風習が定着し、それに対する臨時収入という意味合いでボーナスを支給する企業が多く現れ、夏季・冬季のボーナス支給が定着したというのが実態のようです。
 
いずれにしてもボーナスはサラリーマンの大きな収入源です。
昨年までのように、どの会社もボーナス支給が可能になるように、好調な経済状態に早く戻ってほしいものですね。