今年の大型連休は前半の3日と後半の4日に分かれていますが、和歌山と四国に住んでいる二人の孫たちは前半に帰ってきました。
その二人の孫達が楽しみにしていたのがイチゴ狩りです。
そこで28日の連休中日に畑に行ってイチゴ狩りを楽しみました。
今日もまた爺バカを披露します。
今年のイチゴ栽培は、この日に間に合わせるために、熟れる時期を早めるべくトンネル栽培の実験をしました。
その結果、4月中旬から熟れ始め、丁度この連休に間に合ったことから実験は大成功でした。
・イチゴ狩り前の畝です。
・四国から帰って来た小学校5年生の孫です。
・和歌山から帰って来た幼稚園の年中組の孫です。
6畝植えていることから、二人の孫に3畝ずつ分けることにし、この日は早く帰る和歌山の孫分3畝分だけを摘み取り土産として持ち帰らせました。
残りの3畝は翌日に収穫して四国の孫の土産としました。
・二人とも同じくらいずつ収穫していました。
幼稚園の孫はイチゴが好きなので、大きなイチゴを何個も頬張って食べていました。
今日は春を代表する花の一つである、スミレの語源について調べました。
スミレの名称は大工の道具からと言われています。
大工の道具に墨つぼがありますが、スミレの花の形がこの墨つぼに似ていることからスミレと言われるようになったそうです。
墨つぼとは、小さな糸巻車と墨池があるもので、墨汁を含ませた綿を墨池に入れ、そこに糸をくぐらせ、木材などの上ではじいて墨をつけて直線を引くものです。
墨入れとも呼ばれ、横からみると、墨池の部分がぷっくりとして見えます。
スミレの花も横から見ると蜜がたまる「距(きょ)」の部分がぷっくりとしており、その姿が重なるということで、「墨入れ(すみいれ)」→「すみれ」となったと言われているものです。
・スミレの花です
スミレと言えば『すみれの花咲く頃』が宝塚歌劇団を象徴する歌ですが、原曲はフランツ・デーレ作曲のドイツ映画主題歌『ライラックの花咲く頃』で、シャンソン化されてパリで歌われているのを耳にした白井鐵造が、1930年に宝塚歌劇「パリゼット」を演出した際に「すみれの花咲く頃」の訳詩を付けて主題歌としたのだそうです。
言い曲ですよね。
歌詞を書いておきます。
『すみれの花咲く頃』
〽 春 すみれ咲き 春を告げる
春 なにゆえ人は 汝を待つ
たのしく悩ましき
春の夢 甘き恋
人の心酔わす
そは汝 すみれ咲く春
すみれの花咲く頃
はじめて君を知りぬ
君を想い 日ごと夜ごと
悩みしあの日のころ
すみれの花咲くころ
今も心ふるう
忘れな君 われらの恋
すみれの花咲く頃
・宝塚歌劇団です(宝塚歌劇団HPより)
リタイアしてからは必要ありませんが、現役の時に欠かせなかったものに「名刺」があります。
「名刺」はビジネスマンの必須アイテムで、英語では「calling card」とか「visiting card」、「business card」などと呼ばれていますが、日本では名を刺すと言う物騒な字が当てられています。
何故、この字が当てられたのでしょうか?
今日は名刺の語源について調べました。
名刺は中国が発祥だと言われています。
昔の中国では名刺は、紙ではなくて竹や木を削って名前を記していたものを「刺」と言っていたそうで、元々、《相手に名前を知らせて都合を探り、面会を求めるためのもの》だったようです。
そして「刺」は、一説には、「突き通す」という意味以外に、「探る」「しるしをつける」という意味があるので、相手の都合を探ることから「刺」といっていたのではないかと言われています。
他にも「名刺」は、目上の人に会って貰うためのものだったので“謁(えつ)”ということもあり、“刺”、“謁”、“名刺”と呼び方が混在していたようです。
日本では、名刺は江戸時代には使われていて、当時の名刺も残っているそうです。
小さい紙に、名前だけを墨で走り書きした簡素なものが多かったようで、日本でも“刺”、“謁”、“名刺”と呼ばれていたそうです。
その後、幕末の頃に、印刷した名刺や初めて会った相手と交換するために、西洋から伝わった名刺の使用が始まったと言われています。
明治時代になると、写真入りの名刺が登場し、広く普及するようになりました。
なお、「名刺」には肩書が書かれていることが多いですが、これは、名前の右上にあることから、名前を身体のように捉えて、右肩→肩書となったそうです。
畔の草刈りをしていて、可愛い薄紫色の花を見つけました。
名前が分からなかったので帰って調べたところ、「マツバウンラン(松葉海蘭)」という雑草であることが判明しました。
今日はこの可愛い雑草をご紹介します。
「マツバウンラン(松葉海蘭)」はゴマノハグサ科ウンラン属の一年草または二年草で、葉の形が松葉、花がウンラン に似ていることからこの名がついたそうです。
ウンラン(海蘭)とは、文字の通り海辺に生えている蘭に似た花です。
・これが「マツバウンラン(松葉海蘭)」の花です。雑草ですがとても綺麗です。
マツバウンランは、北アメリカ原産の帰化植物で、日本国内では本州、四国及び九州に帰化し、日当りの良い場所に生える雑草です。
特に関西地方に多いという報告があるそうですが、今、急速に全国に広がりつつあると言われています。
草丈は20〜60cmで、先端には紫色の花を、下の方に細長い松葉のような葉をつけます。
・茎の先端に咲いている花です。
・茎の下の方についている細長い松葉のような葉です。雑草の中で分かりにくいので、別の場所で撮影しました。
4~6月頃に美しい紫色のちっちゃな花を咲かせます。
・拡大すると欄に似ている気もします。
我が家では、雨の日には映画を鑑賞します。
一昨日は一日中雨だったので、撮り溜めていたテレビ映画「Always 三丁目の夕日’64」を観ました。
この映画は1年ほど前に、いつもコメントを頂いているiinaさんが紹介していた作品で、たまたま2月に読売テレビで放映されたので録画していたものです。
「Always 三丁目の夕日’64」はこのシリーズの第3弾のようであり、設定が昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時代でした。
私はこの頃は、既に東京・八重洲口で勤務をしていましたが、住まいが千代田区の靖国神社に近い場所にある会社の独身寮だったので、この映画に出てくるような下町の生活は全く知りません。
当時は高度経済成長期の真っ只中であり、「どんなに時代が変わっても、夢があるから、前を向ける」と言うこの映画のキャッチコピーは、正にその通りで、東京は勿論、日本中が活気にあふれていたように思います。
映画では、オート三輪“ミゼット”や白黒テレビ、ステレオカラーテレビ、新幹線こだま号、当時の乗用車など、戦後復興を象徴する国産品が映し出されていました。
当時はカラーテレビ・クーラー・自動車 の3種類の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝され、これら3種類の耐久消費財の頭文字のCから、「3C」とも呼ばれ、サラリーマンの憧れの的でした。
・昭和39年10月10日の東京オリンピック開会日に、ブルーインパルスが東京の空に描いた五輪のマークをとりいれたポスターです。(ネットより)
「映画のあらすじ」
1964年(昭和39年)、日本は東京オリンピックの開催を前に国全体が活気付き、東京においても近代的なビルや首都高速道路などの建設ラッシュで土地開発が進んでいた。
そんな急激な時代の流れの中でも、夕日町三丁目とその住民たちはいつも変わらない雰囲気を残していた。
一流小説家を目指す東大卒の茶川竜之介と妻のヒロミ、それに高校一年生になった淳之介は仲良く三人で暮らしていた。
茶川は『冒険少年ブック』で連載を続けるも新人作家に人気を奪われ大ピンチ。そんな茶川を陰で支えるヒロミは身重だが生活のため居酒屋を切り盛りする。
淳之介は東京大学を目指して猛勉強するも、内心は夢である小説家になることを忘れられない。
一方で、向かいの「鈴木オート」では将来は海外へ展開したいと野望を持っている鈴木則文と内助の功で夫を支える妻・トモエ。
そんな両親を持つ一人息子・一平は思春期に入り、鈴木オートを継ぐことを嫌がり、リードギターに明け暮れる毎日。
住み込みで働く星野六子にはあるふとしたきっかけで出会った医師・菊池との出会いでいよいよ春がやって来る。
昭和39年10月10日の東京オリンピック開会日に、ブルーインパルスが描く五輪のマークが東京の空に広がったり、開会式の風景、開業したばかりの東海道新幹線や昔懐かしい特急電車、「ひょっこりひょうたん島」に「恋のバカンス」、銀座をかっ歩する「みゆき族」や当時、一世を風びし「アイビールック」など、約50年前に実際に目にした光景が懐かしく思い出されました。
今日は「花言葉」の由来について調べました。
花言葉は、種々の花に、その特質によって象徴的な意味を含ませた言葉ですが、その発祥は17世紀頃のトルコだそうです。
トルコでは、文字や言葉ではなく、"花に思いを託して相手に贈るという風習"があったそうで、これが、ヨーロッパ中に広がり、各国でその花のイメージなどから花言葉を作り出してきたということです。
日本には、明治初期頃、イギリスを中心に西洋から伝わったとされています。
ヨーロッパでは、花言葉は『神話・伝説にまつわるものが多い』そうです。
例えば、オランダから日本に伝わった花の一つに'チューリップ'がありますが、花言葉は「愛の宣告」「魅惑」で、これは、オランダの伝説がもとになっているそうです。
美しい娘が、同時に3人からプロポーズされ、一人だけを選べずに、自分自身をチューリップの姿に変えてもらったという話で、そこからこの花言葉が生まれたと一説には言われています。
一方、日本では、『季語、四季に合わせ、花の特徴(色・形など)を捉えたものが多い』そうです。
古くから日本で親しまれてきた花の一つに'椿'(季語:春)がありますが、花言葉は「控え目」「気取らない優美さ」で、由来は花に香りがないことからのようです。
このように、日本では、花の様子を重視した花言葉が多いそうです。
余談ですが、トルコが発祥で、他国で有名になったものが他にも多々あることをご存知でしょうか?
数年前にトルコ旅行した時にガイドさんが説明していました。
例えば、チューリップですが、オランダが原産地と思っていませんか?
実はチューリップの原産地はトルコなんだそうです。
また、日本でもすっかりおなじみになっているピザですが、これも元祖はトルコのピデだそうです。
イタリアのピザも美味しいですが、本場トルコのピザも決して劣ってはいなかったように思います。
更に、ピラフも発祥はトルコのようです。
言われてみればトルコ料理は中華料理、フランス料理と並んで世界三大料理の一つですから、トルコ発祥の料理がたくさんあっても不思議ではないのですよね。
トルコ発祥のものが他国で有名となるのは、トルコにアピール力が足りないからなのでしょうね。
ご存知のようにトルコはとても親日的な国です。
いくら親日的と言っても、対外発信力の弱さまで日本を真似なくてもいいと思いますが・・・。
最近では滅多に見られない麦。
大阪南部の熊取では、麦を栽培する農家は全くありません。
それほど麦は縁遠くなりましたが、家庭菜園では鑑賞用に育てている仲間がいます。
今日は彼の大麦の穂をご紹介します。
・これが菜園仲間 T氏が育てている大麦です。
麦は米、トウモロコシと共に世界三大穀物の一つとされています。
日本では、縄文時代には既に栽培されていたと言われており、室町時代には下層の人々の主食だったそうで、このようなことから「麦飯は貧乏人の食べるもの」というイメージが出来上がったようです。
そこで思い出すのが、昭和25年12月の参議院予算委員会です。
後に総理大臣となる池田勇人大蔵大臣が国会答弁で「貧乏人は麦を食え」と言って物議を醸しました。
当時、小学生だった私は国会質疑の事は全く知りませんが、何故かこの発言のことだけはよく覚えています。
これは多分、翌日の新聞が「貧乏人は麦を食え」という見出しを掲載し、池田蔵相の発言として紹介していたからではないかと思います。
大人になってこの件を調べたところ、参議院予算委員会での池田蔵相の答弁は「所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持って行きたいというのが、私の念願であります」と言ったそうです。
吉田政権に対して厳しい態度を取っていた新聞社は、これを池田蔵相が「貧乏人は麦を食え」と発言したように書いたのだそうです。
現在では、麦は健康食として金持ちも、そうでない人も見直す人がいるようです。
・大麦の穂です。
ところでパンなどの原料になっている小麦を見たことが有りますか?
日本では小麦の消費量は多いのに栽培農家が少ないことから、こちらも田畑に行っても殆ど見ることができないのが現状です。
そこで、参考のために小麦の穂をネットから探して掲載しました。
・これが小麦の穂です(ネットより)
大雨や暴風などの災害への注意を呼び掛けるための「警報」と「注意報」の違いをご存知でしょうか?
先日、NHKのニュースで、警報と注意報のについて正しく理解している人が半数に満たないと言う、アンケート結果を報道していました。
このニュースを観た方もいるかも知れませんが、今日はその違いをご紹介したいと思います。
ニュースでは、大雨警報や暴風警報など、気象庁が発表する「警報」の意味について、「重大な災害が起こるおそれがあることを警告する情報」と正しく理解していたのは、全体の43.1%で、「注意報」の説明に当たる「災害が起こるおそれがあることを注意する情報」と誤解していた人は43.7%にのぼり、警報と注意報の違いが十分に理解されていない結果だったそうです。
「警報」と「注意報」と「特別警報」
気象庁は、災害への注意や警戒を呼びかけるため、注意報と警報などの情報を発表しています。
その違いは次のようになっています。
・「注意報」・・・・「災害のおそれがある場合」
・「警報」・・・・・・「重大な災害のおそれがある場合」
・「特別警報」・・「重大な災害が起きるおそれが著しく大きい場合」
こうした情報の発表基準は、気象庁が自治体と協議して決めていて、これを元に自治体は、住民に避難を呼びかけるなどの対応を検討することになっていますが、おととし9月に台風12号による豪雨が紀伊半島を襲った際、大雨警報などで警戒を呼びかけましたが、速やかな住民の避難に結びつかなかったそうです。
また去年、九州北部を豪雨が襲った際にも、大雨警報などを発表しましたが、速やかな住民の避難に結びつかなかったということです。
このため、気象庁は、より強い警戒を呼びかけるために「特別警報」と呼ばれる新たな情報の導入を目指していて、先月、今国会に法案を提出しました。
「特別警報」
気象庁は、「重大な災害が起きるおそれが著しく大きい場合」に特別警報を発表します。
発表された場合には、「経験したことのないような激しい豪雨や暴風など異常な気象現象が起きそうな状況だとして、身を守るための最善を尽くしてほしい」と説明しているそうです。(以上NHKニュースより)
現役の頃、よく使っていた言葉に「お開き」があります。
例えば「今日の会合はこれでお開きとします」とか、宴会などで幹事が「そろそろ時間も参りましたので、この辺りでお開きとさせていただきます」など、「お開き」は会合や宴会などで終わりとか閉会(閉じる)、散会(散る)を告げる言葉ですが、何故、会合などを閉じることが「お開き」なのでしょうか?
調べてみました。
「お開き」の語源は武士からで、本来は、武士が「退却する」「退陣する」と言う意味で使った忌み言葉です。
武士は、敵陣が押し掛けてきて退陣せざるを得ないという時も、決して「逃げる」「引き退く」という言葉は使わず、「ここを明け渡してやる」と言う言い方をしていたそうです。
そこから、近世には「帰る」「去る」と言う意味が生じ、明治以降「散会」「閉会」の意味で「お開き」が用いられるようになったそうです。
婚礼などでも「終わる」とか「帰る」というのは、忌み言葉で禁句なため、披露宴が終了することを「お開き」と言い、「お披楽喜」と書くところもあるようです。
(参考)
なお、「忌み言葉」とは、不吉な意味や連想を持つところから、忌みはばかって使用を避ける語で、斎宮では「仏」を「中子(なかご)」と言い、「僧」は髪長(かみなが)」と言い、一般でも「病気」を「歓楽」、「四(し)」を「よ」とか「よん」、「硯箱」を「あたり箱」、「梨」を「有りの実」などと言います。(広辞苑より)
オダマキ(苧環)の花をご覧になったことがありますか?
薄紫のきれいな花です。
鉢植えで育てているそのオダマキ(苧環)が咲いたのでご紹介します。
・これがオダマキの花です。
名前の由来は、花の形が紡いだ「苧(お:アサの古名)」と言う麻糸を、丸く巻きつけた糸玉「苧環(おだまき)」に似ていることからと言われています。
・草丈は20~30cm、花径4㎝~5㎝ほどの花をつけます。
「オダマキ(苧環)」と言えば、「静御前」が「源頼朝」の命により鶴岡八幡宮で舞ったときに歌った有名な歌がありますね。
「しずやしず 賤(しず)のおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな」
この意味は、
「白拍子のような賎しい身分の私を、鎌倉まで呼びつけられたけれど、義経を想う心に嘘偽りはありません。 ああ、昔の華やかだった頃の様に、義経と一緒に幸せに暮らしたい・・・・」
と義経を慕う気持ちを歌って頼朝を激怒させた歌です。
この時、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けたと伝えられている有名な歌です。
なお、「賤(しず)」は粗末な布で、「苧環」と言うのは、昔、麻糸を巻いた糸巻きのことで、この歌の元歌は伊勢物語の『いにしへの しずのおだまき 繰り返し 昔を今に なすよしもがな』だそうです。
・蛇の頭のように見える珍しい形の蕾です。