らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

京都・東山を歩く(1)

2017-01-31 | 趣味

先週土曜日に現役時代の趣味の会である「歴史探訪同好会」のメンバー10名と、快晴の京都・東山を散策してきました。
今回のコースは、京阪電鉄清水五条駅から京阪出町柳駅までの約10㎞です。
今日から数回に分けてご紹介します。

「清水五条(きよみずごじょう)駅」
集合場所の清水五条駅です。
この駅は1910年に京阪線の終着駅として開業、五条通の南側の琵琶湖疏水(そすい)の上に駅舎が造られました。
この出口すぐ横に鴨川が流れており、そこに架かる橋が五条大橋です。


「五条大橋」
鴨川に架かる五条大橋です。
五条大橋と言えば牛若丸と弁慶の伝説で有名ですが、現在はご覧のように人や車の通行が多く、昔日の面影は全く見られません。
この橋は今回歩くコースには入っていないので撮影だけしてきました。



「五条坂」
五条坂は西は大和大路通りまで、東は坂を上って清水坂に至るまでの間を言います。
近年では昔の姿を失っていますが、この辺りは清水坂と共に清水焼の陶工の家が多く、上品で風雅な清水焼が作り出されたところだそうです。



「六波羅蜜寺」
963年(応和3年)空也上人が開いた真言宗智山派の古刹で、西国三十三ヵ所第17番札所となっています。
本堂(重文)は、南北朝時代の再建です。
1183年(寿永2年)の兵火で本堂を除いて焼失しました。
空也上人像、平清盛公坐像(ともに重文)など平安、鎌倉時代の優れた彫刻が見られます。

なお、六波羅蜜とは、この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行をいいます。
波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることだそうです。

本堂です。


「平清盛塚」
境内にある平清盛公の塚です。
平清盛は、伊勢平氏の棟梁平忠盛の嫡子です。1156年(保元元年)の保元の乱で源義朝とともに戦い勝利をおさめて栄達の基礎をつくりあげ、1159年(平治元年)の平治の乱義朝を破って武家政権樹立の基礎を築きあげました。
その後、昇進を続けた清盛は、武士としては初めてとなる太政大臣にまで昇り、「平氏にあらずんば人にあらず」とまで言わせ、一門による独裁政権を実現しました。
しかし、後白河法皇と対立、次第に反平氏勢力が大きくなる中の1181年(治承5年)閏2月4日、九条河原の平盛国邸(清盛の側近)で亡くなりました。(享年64歳)。


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プレミアムフライデー

2017-01-30 | 時事

「プレミアムフライデー」をご存知ですよね。
「プレミアムフライデー」とは、政府と経済界が連携して取り組む消費喚起策のことで、月末の金曜日の退社・退庁時刻を早め、働く人々が夕方から買い物や飲食、趣味、旅行などを楽しめるように促す全国的なキャンペーンのことです。
この運動がいよいよ来月からから始まります。

「プレミアムフライデー」は働き方の見直しとともに、伸び悩む個人消費の拡大につなげるのが狙いですが、その背景には、政府の掲げる「平成32年をめどに、名目国内総生産600兆円を実現」という目標があります。
これを実現するには、GDPの6割を占める個人消費を現在の300兆円から360兆円程度まで引き上げなければなりません。
月末の金曜限定で午後3時を目安に仕事を終えるよう企業に促すとともに、増えた夕方からのオフタイムを買い物や食事、旅行に充ててもらうための一大キャンペーンを展開し、官民一体となって労働時間の短縮化を個人消費拡大へと結びつけるのが本構想の主眼です。

 嘗て、バブル全盛期の頃、「ハナキン」という言葉がよく使われました。
翌日の仕事を気にせず心置きなく遊べる“花の金曜日”という意味ですが、当時は景気がよく、完全週休2日制の導入も進み始めていたことから、多くのビジネスマンやオフィスレディが「花金」を謳歌したものです。
その復活を狙い、普段よりワンランク上の消費行動を起こしてもらうきっかけとして打ち出されたのが「プレミアムフライデー」と呼ばれる消費拡大策です。
2月24日から東京・丸の内や日本橋界隈で実験的に展開し、効果を検証した上で、4月以降は毎月実施して、各地に拡大していく方向で検討されています。

しかし、公務員は実施できても、一般企業で3時に仕事を終えることができるのでしょうか?
政府や経団連が呼びかけても、会社には会社の事情があります。
政府の思惑通りに個人消費が増えてくれればいいのですが・・・。


 

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「琵琶湖周航の歌」誕生から100年

2017-01-29 | ナツメロ

♪われは湖(うみ)の子…という歌い出しで始まる琵琶湖周航の歌。
倍賞千恵子さんや加藤登紀子さんら多くの歌手に歌われたことから、滋賀県民以外の人にも広く知られていますが、この歌が今年誕生から100年になります。

この歌が生まれたのは大正6年(1917年)6月28日で、旧制第三高等学校(現:京都大学)ボート部に所属していた小口太郎氏が琵琶湖周航2日目の今津(現:高島市)の宿でクルーに詞を披露し、仲間が当時学生の間で歌われていた「ひつじぐさ」の曲にのせて歌ったのが始まりだそうです。
大津、高島、長浜などの情景が1~6番で歌われており、周航のロマンを情緒豊かに歌い上げる「琵琶湖周航の歌」は今も当時も変わらず、人々に愛されているようですが、時代が変わるにつれ認知度が下がってきていると言うことです。

そこで今日は鮫島有美子さんが歌う「琵琶湖周航の歌 」をお聴きいただきたいと思います。


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おそまつさま

2017-01-28 | 雑学

日本を訪れる外国人が増えています。
中には日本に滞在して日本の文化や伝統を学ぶ人もいれば日本人と結婚して永住する人もいます。
そのような人たちは日本の美しい言葉や伝統を知って驚くようです。
先日、某新聞に日本に移り住んだ外国人が書いた「相手を敬う謙遜の心」の記事があったのでご紹介します。

この記事を記したのは、冬の厳しいカナダ内陸から東京に移り住んだ一人の女性翻訳家です。
彼女によれば、カナダから東京に移り住んで2年経った頃、雪が恋しくなり、大学の冬休みになると毎年、長野県白馬村にある民宿「Y荘」でバイトをするようになったそうです。
掃除、皿洗い、配膳など可なり忙しい毎日です。
お客さんは食堂から出る時「ごちそうさま」と声をかけてくれ、それに対しキッチンにいる皆が「おそまつさまです」と返すそうです。
そして、この言葉はいつしか彼女の口癖になりました。

でも、東京に戻ると「ごちそうさま」に「おそまつさま」と返す人はなく、私が使うと変な顔をされます。
不思議に思って意味を調べてみたら「たいしたものを用意できなくてごめんなさい」と言う意味であることを知り、驚いたようです。
と言うのも、民宿で出された料理は豪華そのものだったのです。
若いスキー客向けの献立は、刺身、焼き魚、肉、小鍋、煮物、サラダ2種、果物、みそ汁とご飯。これが一食分です。
私から見れば5食くらいの量で、このバイトに行くといつも太って帰ってくるのですが、これを「おそまつ」と心をこめて言える民宿のオーナー夫婦は大した人たちだと思ったそうです。

相手を気遣った敬う謙遜の心、もっと喜ばせたい気持ち、そんな心を込めた言葉は素敵ではありませんか。
日本に来て40年近く。周りが使わなくなっても、そういう心を忘れないために、今も「おそまつさま」を愛用していると言うことです。

日本人が忘れかけている相手を思いやる心と謙遜の言葉、永住外国人に教えていただいた思いでした。

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聴導犬

2017-01-27 | 情報

 身体障害者補助犬法という法律があります・。
この法律は、身体障害者補助犬を使う身体障害者が自立と社会参加することが促進されるための法律で、平成14年(2002年)5月29日に制定され、平成14年10月1日から施行されました。
この法律の第2条第1項にに、身体障害者補助犬とは、盲導犬・介助犬・聴導犬をいう、と規定されています。
この三種の身体障害者補助犬のうち、盲導犬と介助犬はよくご存知だと思いますが、聴導犬についてはどうでしょうか?
今日は、余り知られていないと思われる「聴導犬」について調べました。

聴導犬とは、聴覚障害者の生活を安全で安心できるものにするために、生活で必要な音をタッチして教え、音源に導く身体障害者補助犬のことです。
人の指示を待つ盲導犬や警察犬と異なり、周囲の音に反応して自発的に対応するのが特徴です。

聴導犬の起源は、1966年のアメリカに遡ります。
当時16歳だったリンダ・プリチャードさんが購入したジャーマン・シェパードのスキッピィは、何の訓練も受けていない生後4ヶ月くらいから、ドアベルや電話、嵐の最中に開けっ放しになっていた窓や扉のバウンドする音などを、リンダさんに前足でタッチすることで教えたそうです。
このことからリンダさんの両親が訓練士に委託し、さらなる訓練をほどこしました。
1968年には、スキッピィは、”Hearing-Ear Dog(聴導犬)”として世界で初めて行政の認知を受け、盲導犬同様に公的補助(税の控除)を受けられるようになりました。
この成功を知って、アメリカの福祉団体が「聴導犬」の試験的訓練を1975年から始めたということです。

日本では、1981年(国際障害者年)から聴導犬の訓練が始まり、現在までに推計で100頭以上が訓練されたといわれています。
しかし、聴覚障害は周囲に気付かれにくいため、聴導犬の認知度も高まらず、2016年3月現在、日本で働いているのは65頭前後で、盲導犬の10分の1以下にとどまっているようです。

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ファーストペンギン

2017-01-26 | 時事

NHKの朝の連ドラをご覧の皆さんは「ファーストペンギン」と言う言葉を覚えていますか?
この言葉は、2015年9月28日から2016年4月2日に放送されNHKの連続テレビ小説「あさが来た」でディーン・フジオカさん演じる五代友厚がよく口にしていた言葉です。
先日、小池東京都知事がこの言葉を使用してコメントしていたので、その意味と由来を調べました。

小池都知事はマスコミの質問に答えて、「私を最初から玄関で迎えてくれた貴重な3人“ファーストペンギン”」と表現していたのです。
では、ファーストペンギンとはどのような意味なのでしょうか?

「ファーストペンギン」とは、集団で行動するペンギンの群れの中から、天敵がいるかもしれない海へ、魚を求めて最初に飛びこむ1羽のペンギンのことです。
そこから転じて、その“勇敢なペンギン”のように、リスクを恐れず初めてのことに挑戦するベンチャー精神の持ち主を、米国では敬意を込めて「ファーストペンギン」と呼んでいるのだそうです。

ペンギンは、多くの個体が隊列を組んで氷上を移動したり、エサの魚を囲い込んで捕食したり、つねに群れで固まり集団行動をとることで知られますが、実はそのペンギンの群れには、特定のリーダーがいないそうです。
例えば、群れに何らかの危険が迫った場合は、いち早く察知した1羽の後に続くことで、まわりもいっしょに難を逃れるのです。

この習性は陸上で過ごすペンギンたちが、エサの魚を採るために海へ入るときにも発揮されます。
集団性が強いので、群れの中の誰かが海に入るまでは、みんな氷上にとどまって動きませんが、1羽でも先陣を切って飛び込めば、後に続けとばかりに次々と海に入っていくのです。
そこにはシャチやトド、オットセイなど、恐ろしい天敵が待ち受けているかもしれません。
生命の危険を顧みず、真っ先に飛び込んだペンギンは、身をもってその海が安全であると仲間に示す一方、そうすることで誰よりも早く、確実にお腹いっぱいのエサにありつくチャンスを得るわけです。

小池都知事が立ち上げた「都民ファーストの会」は、夏の都議選の候補として音喜多駿都議など都議ら4人を第一次公認し、知事は彼らを”ファーストペンギン”と表現して歓迎の意を評したのです。
都議選ではファーストペンギンの面々や彼らの仲間たちが多数当選して、知事が押し進める改革を後押しできるのか、注目されるところです。

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稀勢の里横綱昇進おめでとう

2017-01-25 | 時事

待ちに待った日本人力士の横綱が今日誕生します。

一昨日、大相撲の横綱審議委員会が東京・両国の国技館で開かれ、大関・稀勢の里の横綱昇進について審議し、全会一致で「推薦」の答申を出しました。
その答申を受けて、日本相撲協会は今日午前に開く春場所番付編成会議と臨時理事会で稀勢の里を72人目の横綱に推挙して、正式に横綱が誕生する運びとなっています。
日本出身力士では、1998年夏場所後に横綱となった3代目若乃花以来、実に19年ぶりの昇進となります。

稀勢の里は初場所に14勝1敗で初優勝しましたが、昨年11月の九州場所は優勝次点の12勝止まりで連続優勝ではないものの、昨年は初めて年間最多勝を獲得し、過去6場所で安定した実力があることや、この後も活躍が期待でき、横綱として相応しいこと等が評価されて、横綱に推挙されるものです。

相撲では、立ち合いで相手の虚を突く奇策の数々を「変化」とか「注文」と言い、これらは相撲の常道を外れた外連(けれん)とみなされますが、稀勢の里の相撲はこのような外連な相撲ではなく、常に相撲の常道を歩み、正面からぶつかって真っ向勝負を挑む豪快な相撲が特徴です。
横綱に求められる相撲は受けて立つ真っ向勝負であり、相撲内容からは彼は既に横綱相撲をとっている力士と言えます。

一方、最近気になるのが白鵬の“張り手”相撲です。
白鵬の力量からすれば“張り手”を使って相手をひるませなくても真っ向勝負が十分取れる筈です。
稀勢の里にはこのような手口を真似ず、今まで通り、日本人横綱として堂々と受けて立つ横綱相撲を心掛けてほしいものです。
更に、品格の面をもっともっと磨いて、日本国民全員から敬愛されるような大横綱になることを願っています。

稀勢の里の今後の一層の活躍を期待してエールを送りたいと思います。
    稀勢の里横綱昇進おめでとう!

 

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LINE(ライン)開始

2017-01-24 | 趣味

若い人の間では「LINE(ライン)」がコミュニケーションや人間関係の主流となっているようですね。
先日、所用で帰省したとき、50歳前の姪が自分の娘とラインをしていたので、ラインについて質問したところ、「おじちゃんのタブレットにラインができるように設定してあげる」と言って設定してくれました。
そこで、今日はラインについて調べてみました。

LINEは無料通話・無料メールアプリの決定版で、24時間、いつでも、どこでも、無料で好きなだけ通話やメールが楽しめる新しいコミュニケーションアプリです。
日本、タイ、台湾、スペイン、中国、インドネシア、シンガポール、香港、マレーシア、インド、スイス、サウジアラビア、メキシコ、ロシア、マカオ、アラブ首長国連邦など、世界52ヶ国でダウンロード1位を記録しているそうです。

LINEは、韓国NHN株式会社(現:ネイバー株式会社)傘下の日本法人NHN Japan株式会社(現:LINE株式会社)が開発したアプリケーションソフトで、会長の李海珍(イ・ヘジン)が家族や親戚と連絡を取ろうとする東日本大震災被災者の映像を見て発案し、自ら日本に滞在して開発したそうです。
2011年6月のサービス開始以来、ユーザーはうなぎ登りに増え続け、いまや日本人の2人に1人が利用していると言われており、もはやコミュニケーションに欠かせないツールとなっていると言うことです。

私は、高齢者には取りつきにくいイメージがあったのですが、通信の基本的な操作を教えてもらい、数回メール交換をしたところで、これは使えそうだと思うようになり、案外面白いのではないかと感じました。
フェイスブックより利用価値があるような気がします。
しかし、メールの相手方からはすぐに返信が来るので、それに対してすぐに返信をしなければならないようでは、忙しい人には相当負担になるかもしれません。

酉年の今年は思わぬ方向に羽ばたきそうです。


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君子は豹変す

2017-01-23 | 雑学

所用のためブログの書き込みを休止していましたが、今日から再開しますのでよろしくお願いします。

早速ですが、「君子は豹変す」という諺があります。
この諺の出典は孔子が集大成したといわれる中国の古い書物「易経」ですが、その意味は次の内のどれだと思いますか?
  1.普段は温厚な彼が、怒ると見たこともない怖い顔になった
  2.人望の厚い部長が、自分の過ちに気付くとすぐ意見を撤回した
  3.紳士だと評判の男性が、2人きりになった途端目の色が変わった

この諺の本来の意味は、「学識・人格ともにすぐれた立派な人は、過ちをすみやかに改め、善い方へ移ることがはっきりしていること」です。
広辞苑にも、徳の高い立派な人物は自分の過ちに気付けば即座に改めて、善い行いへと転じることが極めて素早く、はっきりしているということ。
と説明し、注釈には、豹の斑紋(はんもん)のように、際立って鮮やかに変わること。
元来は良い方に変わる場合を言ったが今では悪い方に変わる場合にも使われる。と説明しています。
英語でも、A wise man changes his mind, a fool never.(賢者は考えを変えるが愚者は決して変えない)の表現があります。

この諺は、「豹変」という言葉から、「おとなしかったものが突然、豹のように変わる」という意味に捉えて、「急に行いや考え方が悪くなった」状態を指して用いたり、「温厚な人や紳士がケダモノのようになること」を表現する場合に使用したりしがちですが、本来の意味は「立派な人は過ちをすみやかに認め態度を改める」ことなのです。

そこで、冒頭の質問の正解は「2」となります。
今では悪い方に変わる場合にも使われようですが、本来の意味をよく理解しておきたいものですね。



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京都に大仏様

2017-01-15 | 雑学

大仏と言えば世界遺産に登録されている奈良東大寺の大仏が有名ですが、その東大寺の大仏を上回る大仏が嘗て京都にあったことをご存知でしょうか?
その大仏は、1586年に豊臣秀吉の命により造営されるのですが、秀吉は開眼法要を待たずに亡くなりました。
今日は、地元の人にも余り知られていない京都の大仏様についてご紹介します。

・方広寺の大仏殿跡の案内板です。


秀吉が大仏造営を始めたのは、1586年に起きた天正地震がきっかけだと言うことです。
天正地震(てんしょうじしん)は、天正13年11月29日(1586年年1月18日)に日本の中部で発生した巨大地震です。
当時、人々は相次ぐ地震に不安を感じていました。
その人々の不安の解消と安寧を願って秀吉は大仏の造立を発願するのです。
しかし、地震や火事などの災難続きで、秀吉生存中には完成せず、後継の豊臣秀頼によってようやく完成しました。
大仏の高さは、なんと19メートルもあったとのことで、東大寺の大仏18メートルより大きかったそうです。

・京都の大仏です(ネットより)


この京都の大仏様の開眼法要のために造られたのが国家安康の鐘だったのですが、これが悲劇の始まりでした
1614年,すっかり寺観も整い,開眼供養を待つのみとなったとき、世にいう「方広寺鐘銘事件」が起きたのです。
梵鐘の銘文に「君臣豊楽」「国家安康」という語句があり,家康は「国家安康」は「家康」の名を割って呪ったものだと法要中止を求めました。
この後は豊臣と徳川の対立が激化し、大坂の陣へと進んで豊臣家滅亡へ道を歩むことになるのです。

この大仏はその後も度重なる地震や火災に遭遇し、その都度再建されて、1798年(寛政10年)に落雷で炎上するまで「京の大仏つぁん」として、都の人々に親しまれたそうです。


「お詫び」
  いつも当ブログにアクセスいただきありがとうございます。
  所用のため、明日から4~5日の間ブログの書き込みを休ませていただきます。(少し長引くかも知れません)

 

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