らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

[しつけ」語源

2019-06-30 | 雑学

「身体」が「美しい」と書く「躾」、この漢字は「しつけ」と読みます。
綺麗な文字ですよね。
ところがこの綺麗な文字を隠れ蓑に、親による子供への悲惨な虐待が後を絶ちません。

今年1月に千葉県野田市で、小学4年生の栗原心愛(みあ)ちゃんが自宅の浴室で父親の虐待を受けて死亡した事件がありました。
父親は傷害致死罪などで起訴され、母親も暴行を制止しなかったとして、傷害ほう助罪に問われて千葉地裁から懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の判決を言い渡されています。
子供を守るべき母親がその責任を果たさなかったことから当然の判決と言えますが、最も信頼している両親からこのような理不尽な仕打ちを受けなければならなかった心愛ちゃんのことを思うと、いたたまれない気持ちです。

・虐待を受けて亡くなった栗原心愛ちゃんです。(ネットより)


と言うことで、今日は虐待の隠れ蓑に使用して欲しくない、美しい言葉の「躾(しつけ)」の語源について調べました。

「躾」と言う文字は、「身」と「美しい」を組み合わせた国字で、女性が身ごもった姿を表しているそうです。
この漢字は後に身体の意味となった“像形文字”だということです。
因みに国字とは、中国の漢字にならって日本で作られた和製漢字のことです。

「躾」とは、礼儀作法を身に付けさせること、また、それによって身に付いた礼儀作法という意味でも用いられ、更に、身だしなみを美しくするという意味もあります。 
「躾」は、もともと習慣性を意味する「習気(じっけ)」が一般的に広まる過程で「しつけ」に変化し、「作りつける」「何度もやって慣れている」という意味の動詞「仕付く」が名詞になった言葉で、裁縫にある縫い目や折り目を整えるために仮にざっと粗く縫いつけておく「しつけ」と言う言葉の2つが混合してできた言葉なのだそうです。
繰り返し訓練することで、最初は仮止めのようだった礼儀がしっかりと身につき、身だしなみも元からそうであったように、次第に整うことになるのです。

「躾」は、裁縫時に仕立てが狂わないように仮止めをする「しつけ」のように、しっかりした人間になるよう教育し、身を美しくするために礼儀作法を身につけさせるもので、決して虐待するものではありません。
虐待では身を美しくする礼儀作法は身に付きません。
世のお父さん、お母さん、「躾」と称してかわいい子供を虐待するのではなく、子供と寄り添って、立派な人間になるよう教育して欲しいと思います。

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千羽鶴の由来

2019-06-28 | 雑学

今月16日に大阪府吹田市の交番前で警察官が刺されて拳銃が強奪された事件で、意識不明の重体となっていた古瀬鈴之佑巡査が意識を回復したというニュースが先日流れていました。
医師の呼びかけに反応し、手を握り返すようになったと言うことです。

地元住民の人たちも古瀬巡査の一日も早い回復を願って、約6000羽の千羽鶴を折って交番に届けたというニュースも報じられていました。
近くに住む5歳の玉垣元太朗ちゃんが「はやくげんきになってね」と書いた手紙を添えていることや、母の史津さんの「交番は、地域を丁寧に巡回して声を掛けてくれる誠実な人ばかりです。古瀬巡査には早く回復してほしい」というコメントも載っていました。
地域住民の皆さまから頼りにされている古瀬巡査には一日も早く回復し、元の仕事に復帰できるようお祈り申し上げます。

・古瀬巡査に贈られた千羽鶴です(ネットより)


ところで、病気のお見舞いや祈願をする時によく千羽鶴を折りますが、「千羽鶴」と「願いが叶う」には、どのような謂れがあるのでしょうか?
今日は千羽鶴の由来について調べました。

「千羽鶴を折ると願いが叶う」というのは、比較的新しい風習のようです。
鶴は古代から瑞鳥(ずいちょう=めでたい鳥)とされ、社寺に千羽鶴を奉納する習慣は以前からありました。
しかし、千羽鶴が「願いを叶えてくれる」と言うのは戦前の「千人針」から生まれたもののようです。

「千人針」
千人針は日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などで、出征する兵士に贈られたお守りで、腹巻形のさらしに赤い糸で一人が一針ずつ縫っていき、千人分の針目を通した後、白銅貨を結びつけるものです。
千人と言う多くの人の祈りを集めることで、弾丸除けとなり、無事帰還することが期待されたのです。

(参考) 千人針とは、一片の布に千人の女が赤糸で1針ずつ縫って千個の縫玉を作り、出征兵士の武運長久・安泰を祈願して贈ったものです。
・太平洋戦争の時の「千人針」です。(ネットより)


「千羽鶴の由来」
この千人針の風習が、原爆を投下された広島で千羽鶴に変わったようです。
広島で2歳の時に被爆し、白血病に苦しむ少女が高校生からお見舞いの折り鶴をもらい、これをきっかけに少女は鶴を折り始めます。
少女は千羽の鶴を目標に折り続け、多くの入院患者も折り始めました。
千羽の鶴を折ることによって病気の回復を願ったのです。

千人針が戦死の不安を多くの人の力によって拭い去ろうとしたものに対し、千羽鶴は病死の不安を拭い去ろうとしたものです。
それは鶴が古くから長寿のシンボルとされてきたため、折り鶴に生命の象徴と言うイメージが生じたものと思われます。

残念ながらその少女は白血病で亡くなりましたが、彼女の姿は広島平和記念公園にある原爆の子の像として残っています。
彼女の名前は佐々木禎子さんです。

この話が有名になって以降、千羽鶴は病気が治ることを祈って贈られるものとなり、更には願いをかなえるお守りにもなったと言うことです。
千羽鶴は現在では平和のシンボルと考えられ、多くの国々で平和を願って折られているそうです。

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「黄瓜」から「胡瓜」へ

2019-06-26 | 家庭菜園

「胡瓜」、この漢字は何と読みますでしょうか?
そうです。ご存知の通り「きゅうり」ですね。
では、「黄瓜」、この漢字は何と読むでしょうか?
これは「きうり」で、「きゅうり」の前の呼称でした。

でも、「きゅうり」は緑色なのに何故「黄色」の字を当てたのでしょうね。
調べてみると、「きゅうり」は、嘗て「黄瓜」と書いていました。
何故なら、昔はもっと熟して黄色くなったものを食べていたからのようです。
しかし、黄色く熟してしまった胡瓜は甘みに乏しく、苦みも強かったことから、いつしか緑の内に収穫して食べるようになり、現在に至ったようです。

では、現在使用している漢字の「胡瓜」にはどのような意味があるのでしょうか?
「キュウリ」の呼称は、漢字で「木瓜」または「黄瓜(きうり)」(現代中国語でも「黄瓜」)と書いていたことから「瓜」が、「胡」という字は中国から見た西方諸民族を指し、シルクロードを渡ってきた事から「西方民族の瓜」という意味から「胡瓜」となったようです。
インド北部のヒマラヤ山麓が原産の胡瓜はシルクロードを渡って中国から日本へ平安時代に渡来し、栽培されているようです。



我が家では5~6株植えていますが、最近になって家族が食べる程度は収穫できるようになってきました。
先日は烏に食べられたので下の画像のように防虫網でカラス対策を施しました。
家庭菜園では取れたてをすぐに食べられるのでとても美味しいのですが、時間の経過とともに味が落ちてきます。

・烏対策をした我が家の胡瓜です。5~6株植えていますが、食用には十分収穫できます。


キュウリの主な栄養素は、利尿作用があるカリウムや疲労回復に効果があるビタミンCなどです。
これから本格的な暑い夏を迎えるこの時期に、いまが旬の美味しい胡瓜をたくさん食べて暑さに打ち勝ちましょう。

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水無月

2019-06-24 | 季節

6月もあと1週間になりましたが、大阪地方は未だ梅雨入りしていません。
連日、日照りが続き、菜園はよく乾いていて毎日の水遣りが欠かせない状態です。

大阪の過去最も遅い梅雨入りは昭和35年(1958年)6月25日なので、明日、梅雨入り宣言が発表されなければ59年振りに最も遅い梅雨入り日を更新することになります。
天気予報によれば、26日から雨マークが出ていたので、今週には梅雨入りが発表されるかもしれません。

・田植えが終わり、水を一杯張った田んぼです。(畑の横の田んぼです)


さて、6月は陰暦では「水無月(みなづき)」と言いますが、梅雨で水が多い月なのに、何故、「水無し月」と書くのでしょうか?
今日は「水無月(みなづき)」の由来について調べました。

「水無月」のこの「無」は「無い」という意味ではなく、 連体助詞の「の」の意味合いで使われているのだそうです。
「連帯助詞」という難しい言葉が出てきましたが、連体助詞とは、体言と体言を関係づける助詞で、 連体格助詞とも言い、 語と語の関係をあらわすという意味では格助詞の一種です。

ますます難しくなりましたね。
簡単に言うと、
名詞と名詞をつなぐ助詞 「無」は、「の」という意味だということです。
要するに6月は田植えに水が必要なことから、「田に水を引く月」、即ち、「水の月」で、「水無(の)月」となったと言うことです。

「無」を「の」の意味で使用されているのは他にも旧暦10月の「神無月(かんなづき)」があります。
こちらも「神が無い月」ではなく「神の月」で
「神無月」となったものです。

落語で、全国の神様が出雲に集まることから各地の神様がいなくなるので「神無月」という噺を聴いたことがありますが、これは落語の世界であって実際は「神の月」なのです。

「参考」
参考までに、「水無月」には別名や異称で表されるさまざまな呼び名があります。
次にその一部を紹介します。
・晩夏(ばんか)   
 陰暦では、4月から6月が「夏」になることから、6月である「水無月」が、夏の最後の月になるため「晩夏」とも呼ばれるようです。
・水張月(みずはりづき)
 前述したように陰暦6月の水無月は田に水を引く月であることから、田に「水を張る」という意味合いで「水張月」とも呼ばれたようです。
・鳴雷月(なるかみづき)
 水無月が雷の多い月でもあるため「鳴雷月」と呼ばれました。また、雷や稲妻は神が姿を現しているのだと考えられたため「鳴神月(なるかみづき)」とも呼ばれて
 いたようです。
これ以外にも、全国ではいろいろな呼び名で呼ばれていたようです。

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夏至と北回帰線

2019-06-22 | 季節

今日6月22日は二十四節気の一つ「夏至」です。
「夏至」の日は、北半球では1年の中で太陽の高度が最も高く、昼間が最も長い日であり、日本では最も短い「冬至」と比べると、5時間余りも昼間が長くなっています。
因みに、大阪の今日の日の出時刻は午前4時45分、日の入り時刻は午後7時15分で、昼間の時間(日照時間)は14時間30分、夜間(日没後)の時間は9時間30分となり、丁度5時間、昼間が長くなります。

そして、大阪の太陽の南中高度(太陽が真南にきて、いちばん高く上がったときの地平線との間の角度)は78.8度で、ほぼ頭の真上から太陽が照りつけますが、台湾の北回帰線(夏至線:北緯23度27分)が通る線上では、夏至の日の太陽の南中高度は約90度となり、正午に真上(天頂)を通過することから、頭の真上から強い太陽の日が照りつけます。



「北回帰線」
北回帰線と言えば、今春、台湾旅行をした時に花蓮市を貫いている北回帰線を見学してきました。
北回帰線は、北緯23度27分に位置する線ですが、通過している国は、台湾、中国、ミャンマー、インド、バングラデシュ、オマーン、アラブ首長国連邦、サウジアラビア、エジプト、リビア、マリ、モーリタニア、アルジェリア、西サハラ、パナマ、メキシコの16か国で、台湾の北回帰線は東部海岸、花蓮、阿里山、シラヤ、嘉義、澎湖などの6か所の国立公園を貫いています。
北回帰線が通る これらの国々の線上では、夏至の日に、太陽が真上にくる正午に線上に立つと、自分の影がなくなってしまうと言う珍しい現象が見られるのです。



「熱帯・亜熱帯の境界」
北回帰線は太陽が垂直に北半球を照らす場所であって、亜熱帯と熱帯の境界線でもあります。
毎年の夏至になると、太陽は白い塔に沿って東から昇って、西へ落ちて、その現象を観察するため、標識には細いラインが作られて、夏至の真昼になったら、太陽はちょうどそのラインに移っていきます。
頭の真上から太陽光が届くことから、塔の傍で立ったら、影がないという珍しい体験ができます。

なお、塔の隙間が北回帰線上であり、これより南側(左側)が熱帯、北側(右側)が亜熱帯となります。 

 


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金輪際と仏教の世界観

2019-06-20 | 雑学

先日、テレビに出演していた某タレントが「こんりんざい(金輪際)」という言葉を使っていました。
昔はたまに聞くことがありましたが、最近では殆ど聞かなくなったことから興味が湧き、その語源について調べることにしました。

調べてみると、金輪際(こんりんざい)と言う言葉は仏教用語で、仏教の世界観の金輪と水輪の境目の事、と言うことが分かりました。

日本大百科全書によれば、
「金輪際」とは、仏教の世界観において、大地の下にある金輪のきわを指す。
仏教の世界観では、世界は、有情世間(うじょうせけん)とよばれる人間界と、それを下から支えている器世間(きせけん)とよばれる自然界とに分類されますが、後者は、風輪、水輪、金輪の三つからなっているそうです。

先ず、一番下には、円盤状つまり輪形の周囲の長さが「無数(1059)に相当するヨージャナ(1ヨージャナは約7㎞)で、厚さが160万ヨージャナの風輪が虚空(こくう)に浮かんでいるものと考えます。
その上に、同じ形の直径120万3450ヨージャナで、厚さ80万ヨージャナの水輪があるとされています。

更にその上に、同形の直径は水輪と同じですが、厚さが32万ヨージャナの金でできている大地があり、その金輪の上に九山、八海、須弥四洲(しゅみししゅう)があるといいます。

「金輪際」とは、この金輪と水輪の境目のことをいうのですが、四洲の一つである閻浮提(えんぶだい)に住んでいる有情(生けとし生けるもの)からすれば、はるかな底の底であるところから、「徹底的に」とか「最後まで」という意味が生じたと言うことです。
現在では一般に「いかなることがあっても」「どこまでも」「とことんまで」などの意に用いられる。
と説明しています。

金輪際と言う言葉は仏教界の世界観が由来のようですが、前記の説明でも難しいと思うので、もう少し分かりやすいものはないかと調べてみると下図のようなページが見つかったので、この図に従って更に説明します。



お釈迦様の教えの中には宇宙に関するいくつかの考え方があります。その代表的なものが上図のようになります。

「三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)」
直径が太陽系ほどの大きさの円盤が3枚重なった上に高さ約132万㎞の山が乗っています。
これが一つの世界で小世界と言います。
小世界が千個集まったものを小千世界
小千世界が千個集まったものを中千世界。
中千世界が千個集まったものを大千世界と言います。
この世界全体の中心に存在する仏様が大毘鬳遮那如来(だいびるしゃなにょらい)、つまり大仏さまです。
そしてお釈迦様はこの中の一つの小世界の人々を導くために現れた仏さまです。

「須弥山と有頂天」
円盤の真ん中にある山を須弥山(しゅみせん)と言います。梵語ではスメール、玄奘三蔵法師は妙高山と訳しました。
新潟県にある妙高山はこれから取られた名前だそうです。
お寺の本堂の正面にある壇を須弥壇(しゅみだん)と呼ぶのはこの山を型とったところから来ています。
人間の世界はこの山の裾にある島の一つで、頂上には帝釈天をはじめとして色々な神様の住む世界があります。
そして山上の空中にも色々な世界があり、悟りの一寸手前の世界、ほんの少し煩悩が残る世界を有頂天と言います。
この言葉は得意絶頂の意味に転用されています。

「金輪際」
山の下にある一番上の円盤を金輪と言います。直径はほぼ太陽系くらいで、このような果てまでと言う意味で「金輪際」、一般には「どんなことがあっても」の意味に使われます。
金輪の上には須弥山を中心として九つの山とその間に海があります。「九山八海と呼ばれます。いちばん外側に四つの島があり、南の方にある島が人間の住む世界です。閻浮堤(えんぶだい)と呼ばれます。

「四天王」
須弥山の中腹に仏教を守る四人の神様が住んでいます。
所謂、四天王です。
   ・東方・・・持国天
   ・西方・・・広目天
   ・南方・・・増長天
   ・北方・・・多聞天
いずれもインドで仏教以前から信仰されていた神様です。
ある方面で特に優れている人をあげて、「○○四天王」と言う言い方はここから生まれました。
以上が仏教界の世界観だそうです。

驚きました。
「金輪際」と言う一つの言葉から仏教界の世界観まで調べることになりました。
日頃、よく見聞きする言語が出てきましたね。
勉強になりました。

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大阪府警G20交通総量抑制ムービー

2019-06-18 | 時事

日本で初めて開催される「G20大阪サミット」まであと10日になりました。
ニュースを観ていると、主要国の首脳が来阪されることから大阪府警はその警戒・警備に万全を尽くすべく、本番さながらの警備体制の確認に全力を挙げているようです。

このような中、一昨日の16日には吹田市の交番で若い警察官が襲われて拳銃を奪われると言う重大な事件が発生しました。
丁度1年前の6月に富山の交番で同じような事件が発生し、警官が襲われて拳銃が奪われ、警備員一人が射殺されると言う痛ましい事件がありました。

サミットまで10日ほどとなった今、テロ防止の厳重な警備をしている筈のこの時期に拳銃を奪われるという事件が再び発生した事は、富山の事件の教訓が生かされていなかったのでしょうか?
いずれにしても犯人が逃亡していることから大阪府警や地元は緊迫した空気に包まれました。

警察は面子をかけて5000人体制で懸命に捜索を行った結果、昨日、隣町の箕面市の山中で犯人の飯盛裕次郎容疑者を逮捕しました。
G20サミットが始まる前に逮捕されてよかったですが、厳重な警戒・警備が行われているさなかの大阪府警の管轄内でこのような事件が発生した事は、本番に向けて一抹の不安を残す結果となったようです。
28日、29日のG20サミット本番は勿論、その前後においても万全の警備態勢を敷いてもらい、G20サミットが無事に終わるよう大阪府警にはより一層の警備をお願いしたいと思います。
そして、重体となっている古瀬巡査には一日も早く回復し、元の職場に元気に復帰できる事をお祈り申し上げます。

・拳銃強奪犯の飯盛裕次郎容疑者です。(ネットより)


さて、いま大阪ではG20サミットで話題になっている動画があります。
先日、この動画がNHKニュースで紹介されていました。
ご覧になった方も多いと思いますが、そうでない方のために動画をアップしたいと思います。

その動画とは、G20大阪サミットを前に、大阪府警の警察官がつくった交通規制への協力を呼びかける1分間の動画で、「手作り感がすごい」などと話題になり、230万回以上再生されているそうです。

動画は赤色灯を付けた多くの白バイが走り出すものものしい雰囲気で始まります。
直後、軽やかな音楽が流れて交通安全の妖精「ダイヤちゃん」が登場、サミット期間中の大規模な交通規制について説明し、車を使わないよう呼びかけています。

この動画は4月に府警の公式ホームページなどにアップされましたが、先月末になって「手作り感がすごい」とか、「昭和っぽい雰囲気」、「センスがやばい」などとSNS上で話題になり、動画投稿サイトなどで合計230万回以上再生されているそうです。

サミットをめぐっては、今月27日から30日までの4日間、高速道路が阪神高速の環状線など10の路線で、最長で早朝から深夜まで通行止めになるほか一般道でも首脳の移動に伴って規制が行われます。

動画を制作した大阪府警交通総務課では「再生回数は伸びないと思っていたが、非常に多くの人に見てもらえてうれしい。G20大阪サミットでは大規模な交通規制が実施されるので車の利用は控えて欲しい」と協力を呼びかけていました。

では、230万回以上再生されている今話題の「大阪府警G20交通総量抑制ムービー 」です。
どうぞご覧ください。




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「思い」「想い」「念い」の違い

2019-06-16 | 雑学

ブログを書いている時に「おもいます。」とか「おもいはどのようなものなのか?」など、相手や自分の気持ちを思う時の「おもい」という言葉をよく使うことがあります。
「おもい」を漢字で書く場合、多くは「思い」「想い」「念い」の3語がありますが、どの漢字を使っていいのか迷うことがよくあります。
私はその都度、広辞苑を開いて確認するようにしていますが、それでもよく分からない場合があります。
と言うのは、広辞苑には[思い・念い・想い]とカッコ書きして、その内容は、
1.思う心の働き・内容・状態。
2.物事から自然に感じられる心の状態。
3.(悲しい嘆きで)喪に服すること。喪の期間。
と説明しているだけなのです。

そこでもう少し分かりやすく説明しているものはないのかとネットで調べてみました。
すると次のような解説があったのでご紹介します。

「思い」
「思い」は、気持ちや考えのことを指す言葉で、「思考」や「意思」という熟語からも分かるように、「思」という文字には”考え・気持ち・願い”などの意味があります。
「思い」は単に心の中の感情だけを指すものではなく、理論的に頭で考えたものと、主観的な心の中の感情の両方に関わるものを対象に、広く用いられています。

「想い」
「想い」は、心の中で考えることを指す言葉で、「思い」と意味の上でほぼ同じものです。
「思い」に比べると、「想い」は頭で考えるものではなく、感情やイメージとして受け止められる面が強く出ており、誰かを慕うことや懐かしさを感じることを表したいときには「思い」より「想い」を使うほうが適切だということです。
「想像」や「発想」などの熟語からも分かるように、「想い」が指し示すものは頭で理性的に構築された考えというより、無意識のうちに浮かびあがってくる主観的なイメージ、ということです。

「念い」
「念い」は心に留めることや気持ち、心の中の考えという意味がありますが、「念力」や「一念」という熟語があるように、「思い」や「想い」より強い意志・信念・願望を表しています。
また「念い」の「思い」や「想い」と異なる点としては、「念仏」という熟語が示すように、声に出して読みあげるという意味もあることです。
そのほか「入念」という熟語から分かるように、気をつけるという意味合いもあるため、「思い」や「想い」より幅広い用途を持っています。

「文化庁の見解」
「思い」と「想い」の違いに関する文化庁の見解は、「おもう物の対象が心に浮かんでいる時は”想い”、それ以外の一般的なものは”思い”を使う」となっています。
つまり心の中にあるものは「想い」で、頭の中にあるものは「思い」というように区別しているのです。
しかし、どちらか一方のみが正解というような厳密さはなく、使う人の気持ちや考えで好きなほうを使っても間違いではないということです。

「判断がつかない時」
「思い」は理性と感情の両方での考えを指しているため、感情面のウエイトが大きい「想い」の代わりに使うことができます。
汎用性が高い「思い」は大変使い勝手のよい言葉で、どれを使えばよいか迷ったときには、「思い」を選んでおけば無難だということでした。

以上、ネットからご紹介しました。
参考になれば幸甚です。

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やるせない

2019-06-14 | 雑学

小さな子供たちの生命が脅かされる、或いは命が奪われる悲惨なニュースが相次いでいます。
札幌市では池田詩梨(ことり)ちゃんが親から虐待を受け衰弱死しました。僅か2歳でこの世を去りました。
詩梨ちゃんの発見時の体重が平均を大幅に下回り、濃いあざも体中に多数あったそうです。
報道では、5月中旬以降、母親と交際相手の男の2人による暴行が始まり、十分な栄養を与えない日常的な虐待が続いたと言うことです。

千葉県野田市では、小学4年の栗原心愛(みあ)さんが今年1月、自宅で死亡した虐待事件がありました。
心愛さんもたった10年の生涯でした。
子供を守るべき母親が父親の暴行を黙認したとして、傷害ほう助罪に問われ、32歳の母親が逮捕されています。
栗原心愛さんは”先生どうにかなりませんか?”と助けを求めていたにも拘らず大人たちが守ってあげられませんでした。

更に、大津市では、丁字路で軽乗用車と乗用車が正面衝突し、はずみで軽乗用車が近くの歩道を歩いていた保育園の園児13人と保育士3人の計16人の列に突っ込み、2~3歳の園児2人が死亡、1人が意識不明の重体となる事故が発生しています。

これらのニュース以外でも全国で子供の命が奪われる事件・事故が後を絶えません。
僅か2~3歳や10歳前後で生涯を終えるなんて、子供たちが余りにも可哀そうです。

子供は国の宝です。
第三者は勿論、躾と称して両親の勝手な解釈による虐待で子供の命を奪ってはいけません。
両親には子供を守る責任があります。子供は親にしか頼るところが無いのです。
その最も信頼している両親に躾と称して虐待され、抵抗もできずただ泣くだけの無力な子供がその挙句に命を落とすと言う悲惨な事件はあってはなりません。
そのようなニュースに接した時、亡くなった子供の気持ちを思うと、とても”やるせない”気持ちになります。

・川の瀬です。(ネットより)


ところで、皆さんも「やるせない」という気持ちになることがあると思いますが、今日はその「やるせない」という言葉の語源について調べました。
「やるせない」は 漢字で書くと「遣る瀬無い」となります。
その意味は、「想いを晴らすことができず、切なく哀しい」、「為すすべがない」「気持ちに余裕がない」などです。

広辞苑によると、
「遣る」はその場の勢い、成り行きに任せて他方へ行かせる。進ます。思いを晴らす。等の意味があります。
「瀬」は、①川などの浅くて徒歩で渡れるところ、②水流の急なところ、③(渡るための狭いところの意味から)その場所、立場、と説明しているように、浅瀬の意味で、
       立つことが出来そうもない深い淵に対して、心の安らぎが得られる所を言います。そこから「思いを晴らす」の意味に派生し、「ない」の否定がついて
「やるせない」になると、「思いを晴らす所もない」の意で、「つらく切ない」の意を表すことになります。
無力で無抵抗な子供を虐待する、或いは突然命が奪われるニュースを見るたびにとても「辛く切なく」「やるせない」気持ちになります。

今日は悲惨なニュースから、皆さんも同じような気持ちになったと思われる「やるせない」について私見を書きました。
前述したように「子供は国の宝です。」
両親の勝手で命を奪ったり、無謀運転で命を奪ってはいけません。
善良な国民を「やるせない」気持ちにさせないでください。
子供は社会全体で守りたいものです。

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お中元

2019-06-12 | 雑学

お中元のシーズンが近づいてきました。
我が家では、毎年、大阪・天王寺の百貨店から発送しているのですが、5月初めには早々にカタログが送られてきました。
最近はインターネットから注文できるので便利になりましたが、でも、そもそも、お中元が夏の贈り物、お歳暮は冬の贈り物となったのにはどのような経緯があるのでしょうか?

今日はお中元とお歳暮の由来について調べてみました。



日本には毎年、夏と暮れにお世話になった人に感謝の気持ち込めて物を贈る「お中元」と「お歳暮」の習慣があります。
この年2回の贈り物はセットで考えがちですが、元々は「お中元」と「お歳暮」の意味するところは全く違うものでした。

「歳暮」が単に「年の暮れ」「歳末」を意味するのに対し、「中元」は古代中国における道教(中国漢民族の伝統宗教で、黄帝・老子を教祖と仰ぐ)の祭日である「上元」、「中元」、「下元」の一つなのです。

「上元」は陰暦1月15日、「中元」は陰暦7月15日、そして「下元」は陰暦の10月15日で、「上元」の日には天官(天神様)、「中元」の日には地官(慈悲神様)、「下元」の日には水官(水と火を防ぐ神様)の誕生日として、それぞれお祀りしていました。

やがて、7月15日の「中元」がお盆の行事と結びつき、仏に供えた供物をやり取りするようになり、そこに暑中見舞いの習慣も加わって、親しい人やお世話になっている人へ贈り物をするようになったようです。

こうした習慣が庶民の間に広く定着したのは明治30年代で、その背景は、誕生まもない百貨店が夏の売り上げを増やそうとキャンペーンを行ったことです。
その後、「中元」という言葉が「夏の贈り物」と言う意味で使われるようになったということです。

皆さまのご家庭ではお中元の準備は如何でしょうか?
我が家では、先日、インターネットで手続きを済ませたところです。

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