退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「どこまでも『制限もしくは限定』のある自由と『吸血鬼のちカニ』になること」について

2018-08-21 02:00:05 | Weblog
くもり。時折日が差す。

筒井淳也「結婚と家族のこれから 共働き社会の限界」を読む。

「インチキ保守」が「伝統」だとする姿が「特定の近代」に過ぎず
「イデオロ革新」が「称賛」する「共働き」の「陥穽」についても同様に。

「イデオロギーに左右されずに現実を見ることの大切さ」をあらためて。
ポイントは「経済の在り様とロマンチック・ラブ」か。

前者については「自立できる経済力」を持たなければ
「結婚」という形でそれを手にするしかなかった過去も。

周囲に「人間関係資本」があれば「結婚」にあまり意味がなかったことも。
むしろ「夫という存在」よりも「親しい人々」がたくさんいたから。

後者については「家庭の中に公正を」というフェミニストに対して
「親密さ」は「特別扱い」を生み出すものだから「無理筋」だというのが鋭い。

要は「親密さを感じる相手」に対する時に「公正さ」など考えるかということ。
むしろ「損得を無視する」のが「普通」だもの。

さらには「自分が感じるロマンチック」が「育ってきた環境」に左右されるゆえに
結局は「似た階層の相手」と一緒になることになり。

それが進めば「豊かな人々」はさらに豊かに。
「そうでない人々」との格差は広がる一方になると。

最後に税金の話も登場するのは「公平であること」の意味と
「万能の制度などない」という事実を教えるために。

著者の分析はなかなか。
こういう人物がいると安心して遊べる感じ。

さて。

「血縁上の家族」がもたらすネットワークに依存しつつ
そうでない「家族」を求める者とは。

とりわけすでに「この世にいない人々」を望むことも少なくないのだからいやはや。
どうやら「あやしい人」であるのは確かで。

「時空を超える」のだと言えばいささか「オシャレ」だけれど
果たしてその「実態」は如何に。

案外「吸血鬼」だったりするのでご用心。
吸うだけ吸ったらサヨナラしたり。

それも拙い脳のなせる業。
できれば「楽しいお付き合い」をなどと泡のように繰り返すのみ。

ブクブク、クブクブク。
コメント
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