退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「サンゴで占う世界と好ましい『霊感』」について

2018-02-28 02:14:53 | Weblog
晴れ。今日もあたたかく。

本川達雄「サンゴとサンゴ礁のはなし 南の海のふしぎな生態系」を読む。

「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」が出たのは四半世紀以上前か。
本書も十年前の作品で著者は今年古希を迎えることに。

「Q&A」と記述の割合がいい感じ。
「海に潜ってリアルな美しさを知れ」というお誘いも同様に。

当時からさらに進んでいるはずの温暖化の影響はどうなっているのだろう。
こんな記事もあり。

「モノクロの海」と「フルカラーハイビジョンの海」の差を知っておこう。
もっとも「希望」はまだかすかにつながれている模様。

「高温に対するサンゴの耐性」を高めて白化させない努力など。
「地球を砂漠化させるわれわれ人類の存在」を忘れずに。

スティーヴン・ソマーズ「オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主」(’13)を観る。

「『乾いた』描写」とCGに「ギフト=不思議な能力」と青春ドラマを加えた内容。
「オッド=odd」は「奇妙な」で「奇数」という意味も(競馬の「オッズ」もこれだったり)。

「能力」を隠す主人公はいかにも「変わり者」。
ただし彼を愛し信じる彼女と警察署長がいて。

原作は一時期流行ったディーン・R・クーンツ。
なぜかミドルネームの「R」が抜けている紹介が謎。

監督は「ハムナプトラ・シリーズ」で有名。
今回は「同じ味わい」を残しつつ「工夫」した印象。

ただしその「工夫」をしたラストはいささか強引だとも受け取れる。
「部屋の明かり」だけで住人が起きたことを表す描写は悪くないけれど。

楽しめる作品であることは確か。
作品の長さがほぼ90分であるあたりも好ましい。
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「いたずらに『正義』を振りかざす愚と『イベント』に溺れる理由」について

2018-02-27 02:56:30 | Weblog
晴れ。あたかかい。

舛添要一「都知事失格」を読む。

著者の能力が高いことは間違いない。
ただ残念ながらその「合理性」が他の人々には「冷たさあるいはKY」だと映る。

「事実の指摘」が正しいとしても
「普通の人々」にとって一番大変なのが「事実を受け入れること」だったり。

そのあたりの機微に疎かったのがいささか問題だったかも。
新聞記者たちの「無能ぶり」も手伝って。

わが国ではメディアによる「バッシング=いじめ」が絶えたことはなく。
「売れるから」という理由で平気で人を傷つける仕事だという自覚もないまま。

その一方で「正義」を気取るのだから何ともはや。
自らが「ヤクザもしくはハイエナ」だと知ることがないのはどうにも。

少なくとも「事実」を明らかにした上で批判しないと。
戦時も平時も「煽ること」しかしないその在り様はまさに「ゲスの極み」ではないのか。

ここでも「どんな相手であろうと言い分を聞き事実を確かめる姿勢」は見当たらず。
いつまで「敵」を作って「カタルシス」を味わう「貧しさ」にすがるのか。

もちろん著者の言い分がすべて「正しい」かどうかは不明だし
おそらく「正しくない」こともあるのだろう。

政治家に「聖人君子」を要求する「愚」をあらためて。
なぜ「聖人君子」など求めるのかといえば「自分が決してなれないから」と思うくらいがマシ。

分野を問わず「仕事の中身」をきちんと見て判断したいところ。

都合よく切り取った映像や文章で世間を騙すのもいい加減にしないと。
「徹底的な取材」があった上で「判断材料」を提供するのが「ジャーナリストの本来」。

そうした「健全さ」はなぜ維持されないのだろうと思えば
われわれの「不健全さ」があらためて浮き彫りになると思われるのだが如何。

いっそ「すべての仕事の評価」をAIに任せたらどうかと思うほど。
「プログラム」には「邪念」などないから。

さて。

冬季オリンピックもようやく終了。
選手たちの活躍を「感動ポルノ」に変える作業もいい加減にしないと。

スポーツ選手にあればいいのは「素晴らしいプレイ」のみ。
「運動能力の凄さ」を味わえればそれでいい。

「イベント」が終われば「日常」がふたたび。
「生活」にとって重要なのはむしろ後者であることを忘れずに。

「ささやかな幸せ」が普通に存在する「暮らし」は各地に行き渡っていない。
その「欠落」を「イベント」でカバーしようとするのは「間違っている」わけで。

そうしたものが「身近」にありさえすれば
人はいたずらに「イベント」など求めたりしないという「事実」を噛みしめよう。
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「おそらくは各地で『普通』である現実と睡眠障害という病あるいは問われる『人間性』」について

2018-02-26 02:05:58 | Weblog
くもり。おだやか。

福永未来「万引き女子 <未来>の生活と意見」を読む。

タイトルのオリジナルはスターン「トリストラム・シャンディ」。
後に伊藤整による「得能五郎の生活と意見」などのシリーズも。

両親からのDVと性的虐待を受けた少女は「万引き」がやめられなくなり。
「家庭という密室の酷さ」とそれによる「病気=中毒」についてあらためて。

ところどころ「おかしな」文章はあるものの
著者の生活描写は実にリアルでついつい引き込まれる次第。

この種の「現実」はもっと知られなければならず。
よくぞ書いてくれたと思うことしきり。

彼女が「万引き衝動」から解放されるのが「今のままでいい」と思うことなのに注目。
「損」を取り戻すために続けられたという「心理的経済」がポイント。

「生まれる環境を選べない事実」は案外重要。
おそらく各地であることなので是非。

NNNドキュメント「眠れない子どもたち "睡眠障害"という病」を観る。

スマホやゲームはもちろんのこと親の働き方によっても生まれる「障害」について。
この事実ももっと広く知られる必要がありそう。

「病気」であるという認識が広がらないとただの「怠惰」に見えるのがコワイ。
症状の違いはあれどこれまた各地で「普通」にありそうな予感が濃厚。

「眠育」というのもどうやら必要らしい。
たいへんな時代になったものだと思うのみ。

マル激を観る。

「仮想通貨問題の本質」は「ブロックチェーン」というシステムにあることについて。
「書き換え不可能」な「記録媒体」による影響。

ネットの情報と違って「信用」を確実になものにできるそれは「真実」しか記録しないと。
もっともそこでもたらされる「真実」が従来の「権威」その他を大いに脅かすことも。

AIも含め「ルーティンワーク」をすべてそれらに任せた後で人間は何をするのか。
「自由に溺れる問題」がどうやら身近に迫っている模様。

「好きなものがない人」は退屈するだけという「選別」が日常になると。
たいていの人はそこまで好きなものがないというのに。

「テクノロジー」が「人間性」を規定するのはもはや「フィクションの世界のお話」ではない。
映画「ターミネーター」の「スカイネット」が「現実」になるのだと。

人類が地球に必要かと問われれば「ノー」。
そうした物言いがもはや「ジョーク」ではなくなってしまった模様。

さて。

「イデオロギー=無前提の正しさ」はすでに力を失って久しいと思いたいところ。
さまざまな現実をどう解決するのかの「知恵比べ」が始まらないとどうにも。

そこで「人間性」を捨てることになる「決断」を迫られた時に
われわれは「人間」であり続けるのかどうか。
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「野郎ひとりばっかりの客筋と観察者及び実験者の徹底ぶりあるいは『矛盾』」について

2018-02-25 02:06:51 | Weblog
晴れ。あたたかく春の気配。

今宵も老舗バー。

マスターが野郎ひとりの客ばっかりだと嘆く。
まあ仕方ないだろうと思いつつ。

またまた古い映画の話をしてくれて。
大阪に行く機会があったら案内すると言ってくれる。

ありがたいことだと思う一方で
どうせ出かけるなら一泊くらいしたいものだと思うとこれがなかなか。

「ファーブル昆虫記3」を引き続き読む。

エサの蛹に穴を開けることなくすべてを吸い尽くすハチの幼虫にふむふむ。
「寄生の極致」がここにあるような。

何より驚くのは著者がその「抜け殻」に息を吹きかけて
どこにも穴がないことを確認すること。

あらためて「徹底的な観察者および実験者」としての素晴らしさを認識する。
読み切れないので明日借り直すことになりそう。

それとは別に。

友人の体調がすぐれないことを知り久方ぶりにラインなど。

詳細は不明なのでとりあえず「事情を教えて」という内容。
大したことではないとわかれば安心するのだけれど。

かつてソウルバークインビーで知り合い仲良くしてもらった素敵な人は
自らの入院も知らせず電話をしてきて。

何も知らず「身体を大事にね」と言ったものの
その後事情を知らないままお見舞いにも行けず彼岸へ行ってしまった過去があり。

ある種の「トラウマ」ゆえの「過剰な心配」であれば幸い。
少なくとも「好ましい人」には長生きしていただきたい。

ところで。

自分がその立場になったらどうするのかと問われるとこれがまた微妙で。
おそらく「素敵な人」と同じことをする予感が濃厚なのが「矛盾」ではある。
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「専門家の説明の微妙さと『まともなコミュニケーション』」について

2018-02-24 02:21:57 | Weblog
晴れ。おだやか。

坂井健雄「腎臓のはなし 130グラムの臓器の大きな役割」を読む。

本書の内容は残念ながら「素人」には難しすぎる。
というか「不慣れな用語」が多すぎて「理解する気」をなくさせる感じ。

もちろん「不慣れな用語」がたくさんあることそのものは「当然」。
ただしそれが「何を意味するのか」をもう少しわかりやすく書いてもらいたかった。

「新書」としてはやや重すぎたかも。
「知っていることの前提」が大きすぎた模様。

とはいえ「人体」が「宇宙」だと思えるほど複雑であることはわかった次第。
「圧倒的な体内のコミュニケーション」に比べるとわれわれの「日常」は「怠惰」すぎるか。

さて。

実はあらゆる問題の根本にあるのは「男女のコミュニケーション」。
「互いの現実」を知ればもっと仲良くなれるのに。

「意見の違い」以前に何を前提としてどこに向かおうとしているのかを明らかにしないと。
少なくとも「議論を戦わせるに値する存在」でないとどうにも。

いや。

そもそも「話をする」かどうかが問題だったり。
すでにコミュニケーションをあきらめている場合が少なくなく。

なぜあきらめるのかという理由は簡単。
あまりに「前提」が違いすぎるから。

ならばその「前提」をそれぞれに吟味した上でどうするのかがポイント。
もっともそこまで行く前に関係が破綻することは少なくなく。

「譲れないこと」が本当に「譲れないこと」なのかどうか。
そこまで踏み込めれば幸い。

少なくとも確かなのはわが国のオッサンが「女子の負担」についてあまりにも鈍感すぎること。
いずれ世代交代によって変わりはするものの。

「好きに生きること」が出来るだけ可能であることに関してはおそらく一致をみるはず。
ならばそれをどう可能にするかについて知恵を絞るのが「本筋」。

いたずらに「敵」を作る前に「友」を見つけよう。
「どうでもいい人」に関わっているヒマなどないと思ったりしてみてはいかが。
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「『正しい独裁』あるいは『明日は少しマシになるという意志』」について

2018-02-23 02:05:37 | Weblog
晴れ。あたたかくおだやか。

ティム・ウー「マスター・スイッチ」をそれと気付かず再読。

副題に「『正しい独裁者』を模索するアメリカ」。
「それって中国のこと?」と思った次第。

しかしこの程度の「短い歴史の振り返り」で何かが「わかった」ことになるのだろうか。
そもそも「小さな会社が『新しい時代』を切り開く」のは当然のはず。

誰しもが「安全牌」しか握らなければ何も起きないのも同様に。
「既成の秩序」を倒すくらいのパワーのある発明や技術がないとどうにも。

もっともそれらを「受け入れる」のが「普通の人々」であることを思えば
彼ら彼女らが「何を求め何を楽しいと思うのか」が重要でもあり。

個人的には家をもっと安く手軽なものにできないかと思うことしきり。
「衣と食」はすでにそうなっているのに「住」だけがどうにも。

紙や竹の家はすでに技術的に可能なのだからどうにかならないものだろうか。
人口は減るし独居世帯も増えているのだからそれで十分のはず。

「生活の基本」であるはずの「住」がいつまでたっても高いのはおかしい。
いまだに数十年に及ぶローンを組まないといけない理由も謎。

そのあたりを解説してくれる本などあるとありがたいのだけれど。
どこかに「あやしいカラクリ」があると思われることしきり。

何よりわが国では「最低限」がいつまでたっても「途上国並み」。
「衣食住」はもちろん「教育」や「社会保障」についても同様。

「生産性を上げるための手段」が「低賃金長時間労働」というのは時代錯誤も甚だしく。
そんな企業など自分が多少貧乏になっても願い下げだという「気概」はないものか。

志ある若者たちには是非とも「起業」をお願いしたいところ。
「本当の生産性の高さ」は「時間」などとは無関係であることを証明していただきたい。

「昭和」はとうの昔に終わり今また「平成」も終わろうとしているというのに
さまざまな分野に残る「昭和幻想」が足を引っ張っていて。

「理想」に現実的に向かっていきたいもの。
そのためにもまずは「到達したい未来=ヴィジョン」をしっかりと持たないとどうにも。

常に「現実」に引きずられるだけなのはつまらない。
確実に「上を向いて」生きたいもの。
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「セカイから世界へあるいは懐かしい作品と女優あるいはそれにまつわる話」について

2018-02-22 02:34:48 | Weblog
晴れときどきくもり。夜にやや冷える。

東浩紀「セカイからもっと近くに」を読む。

副題に「現実から切り離された文学の諸問題」。
採り上げられた作家は新井素子、法月綸太郎、押井守、小松左京。

無生物のデータベースを家族として表象し、そこに能動性を付与する。
さっさと親元を離れ恋愛して他者に直面する。

不能性のなかに徹底してとどまれ、その反復はだれかほかのひとにとって希望かもしれない。
マザコンが母に見守られて生み出す思弁小説の「罠」から「生殖への欲望」へ。

「諸問題」に対する「答え」は以上の4つで
「カワイイ」「恋愛」「視点の移動」「子ども」と言い換えてみるか。

さらに強引にまとめれば「思い通りにならないこと」への誘い。
「セカイから世界へ」ということでよろしく。

著者に読み解かれたら作家も幸せではないか。
「です・ます」にしたのも飲み込みやすい工夫。

「いじめられっ子」が「大人」になる「ビルドゥングス・ロマン=成長物語」のよう。
敢えて著者そのものに重ねてみたりするのもまた楽しからずや。

ロジャー・スポティスウッド「テラー・トレイン」(’80)を久方ぶりに再見。

ジョン・カーペンター「ハロウィン」(’78)が映画デビューのジェイミー・リー・カーティスは
「お熱いのがお好き」のトニー・カーティスと「サイコ」のジャネット・リーの娘。

「ザ・フォッグ」(’80)では母娘共演もあり
同年の「プロム・ナイト」では「裸のガンを持つ男」(’88)のレスリー・ニールセンとも。

当時立て続けにホラー作品に出演したせいで「絶叫クイーン」と呼ばれたり。
その後「大逆転」(’83)や「ワンダとダイヤと優しい奴ら」(’88)でイメージを変え。

「トゥルー・ライズ」(’94)では大いに笑わせてくれたもの。
58年生まれの彼女は本作では弱冠22歳で今年還暦に。

ジョン・フォード作品でお馴染みのベン・ジョンソンが出ていたのはすっかり忘れていた次第。
というより当時は彼のキャリアを知らなかったというのが正しい。

有名なマジシャンのデヴィッド・カッパーフィールドがそのままの役で出ている。
彼のさまざまなマジックも楽しめる内容。

個人的には冒頭で仲間に脅かされた学生が
ショックのため自らカーテンでぐるぐる巻きになるシーンが印象的。

犯人のかぶっているお面がグルーチョ・マルクスに似ていると思うのは錯覚なのか。
ついでに「You Bet Your life」を載せておく。

もちろん彼の出ている映画を観るのが本筋だけれど。

おや。

ずいぶん話が錯綜してしまった。
もうちょいと飲んで寝る。
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「『情熱』のない男と不幸な独り言」について

2018-02-21 02:29:33 | Weblog
晴れ。やや風が吹くもまずまずおだやか。

「キネマ旬報ベストテン90回全史 1924→2016」読了。

個人的にはどうやら05年あたりから「知らない作品」が増える印象。
「全盛期」は90年代だったかも。

とりわけ最近ではトップの方のいくつかを観ている程度。
例えば二年前なら「シン・ゴジラ」と「ハドソン川の奇跡」のみ。

辛うじて「現在」を齧っている趣き。
それ以外は「過去の作品」ばかり。

「同時代を生きていない」こと夥しい。
まあそういう関わり方しかできないのだということで。

さて。

帰宅途中の電車で目を閉じたまま。

ちょいと酒の入った中年女性がひとりで話し続ける。
隣りにいる連れの男性はほぼ無反応。

声だけ聞いていても気分が重くなるようなタイプ。
「不快な音色」とでも言えばいいのか。

あらためて声に出る「キャラクター」というものについて思う。
もちろん彼女をそうさせたものがあるのはわからないではないけれど。

「あたしが暗いキャラだって知っているのはあんただけだよ」などとのたまう。
「よく明るいって誤解されるんだけどね」

「いやいや赤の他人でも十分にわかります」と心の中でつぶやきつつ。
予想通り同じ駅で降りることに。

誰も話を聞いてくれないからこそ声に「恨みがましさ」がこもる。
だからこそ他人は話を聞かなくなり。

おそらくその種の「不幸」は各地であるのだろう。
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「映画の歴史の一部と何度でも寝てしまうこと」について

2018-02-20 02:04:41 | Weblog
『晴れ。寒さは緩みおだやか。

「キネマ旬報ベストテン90回全史 1924→2016」を半分くらい読む。

とりあえず1983年まで。
ベストテン以外の作品も載っているのがいい感じ。

自分が観てきた映画の数々と年代を確認する。
あらためて「観るべき作品」がたくさんあることに気付く。

昨日も書いたが所詮「評価」は水物。
ただし「歴史」がそれなりにわかるのはありがたい。

1983年以降はリアルタイムで知っているので「実感」できそう。
あれこれ思い出すのが楽しみ。

本書は「資料」として大いに役立ちそう。
巻末にある作品や監督の索引がありがたい。

自分が観た作品の中で一番古いのはフリッツ・ラングの「メトロポリス」(’29)か。
邦画では小津安二郎「生れてはみたけれど」(’32)。

後者の戦前の作品を全く観ていないのは不勉強の至り。
「中途半端な観察者」であるということでよろしく。

やはり「映画の愛人」であることをあらためて。
要は「自分の都合のみ」を優先させている結果。

「ナイトシフト シーズン1 #7 囚われた夜」を観る。

今回はドラマは三つのみ。
ひとつは過食症の少女とそれを軽く見る両親。

次は麻薬絡みの患者を助けたことで主人公たちが人質になること。
もうひとつはポールダンサーの病気の謎。』と書いてまた寝る。
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「審査することの曖昧さと難しさあるいはすでにわが国は『破綻』していること」について

2018-02-19 02:18:16 | Weblog
晴れ。今日も風は冷たく寒い。

小谷野敦「芥川賞の偏差値」を読む。

映画のアカデミー賞同様その時々の「事情」による受賞も少なくなく。
いずれ「賞」というものはそういうものだということを確認する。

著者の評価は別にするとしても
それぞれの受賞者の「最高の作品」が受賞作でないのは確かだろう。

スポーツの記録のように「基準」に曖昧さがなければこんなことにはならず。
あらためて「審査することの難しさ、複雑さ」を思う次第。

ただし少なくとも「選評」において
「どこを評価しどこを評価しなかったか」は明らかにしないと。

「説明責任」はこんな場面でも問われるわけで。

マル激を観る。

今回は安倍政権の「働き方改革」とやらのインチキについて。

電通の高橋まつりさんの自殺などであらためて「過労死」の問題が浮かび上がり。
一般の人々は本気で「ワーク・ライフ・バランス」の改良を求めたものの。

「グローバリズム」と戦う「財界」は「賃金の低下」を是非とも実現したくて。
「裁量労働制」を持ち込みもはや「労働の再生産=明日働ける健康」さえ考慮しない模様。

現在の「労働基準法」の制限を超える残業をさせることが「合法」になる仕組み。
それもほぼすべての仕事において。

もはや「正社員と非正規雇用の差」など問題ではない。
誰もが「低賃金長時間労働という19世紀の扱い」を受けることになるのだから。

若者たちにはとりわけこの種の問題に敏感であってもらいたいもの。
「安定志向」が実は「最大の罠」だったりするので。

それ以上に問題なのは「暮らし方」にする考え方。
「仕事しかない人生の貧しさ」を思い出したいもの。

「貨幣の多寡」に左右されない「楽しい暮らし」をいかに実現するか。
おそらく重要なのは「好ましい人」という「資本」だということを忘れずに。

NNNドキュメント「あたいはやっちょらん 大崎事件 再審制度は誰のもの?」を少しだけ見る。

ヨーロッパでは何十年も前に廃止された検察による「抗告」という制度のため
監獄暮らしを経たのち数十年もの間「再審請求」に関わらざるを得なかった女性について。

感想はただひと言。
「自らの無謬性を維持したいがためだけの検察の無法ぶりは許せん!」。

こんなものが「法の番人」だとしたら敢えて「アウトロー」になりたいくらい。
「すべての証拠」は開示されずそれが数十年を経て明らかになる酷さよ。

「ちんけなプライド」と「デタラメな捜査」によって
ひとりの人の人生が台無しにされる事実が現在もある。

つまり。

財界であろうと検察であろうと「国民を守る気」などさらさらない。
わが国はすでに「破綻」して久しいことを知ろう。
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