退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「アリとしての人間あるいは同類を『モノ扱い』する過去を踏まえること」について

2018-01-31 02:44:05 | Weblog
くもりときどき晴れ。少しだけ雪もチラつく。

小笠原光雅・酒井邦登・森川誠司「新トンネル なぜなぜおもしろ読本」を読む。

地質・岩盤などを出来るかぎり調べた上で掘られるものの
「現場」は結局のところ「未知」なので臨機応変が重要な模様。

圧縮強度の極端に高いところでの掘削によって大きな岩が飛び出てきたりする「山ハネ」や
「黒部ダム」でお馴染みの「断層破砕帯」などにふむふむ。

「湧水」をどう処理するかについても同様。
「トンネル」は「物理と土木技術の組み合わせ」であることをあらためて。

菊池寛「恩讐の彼方に」で有名になった大分の「青の洞門」は
ノミと槌だけで「30年かかって144m」掘られたものだということも覚えておこう。

それにしても。

この「情熱」は何なのだろうと思うことしきり。
その結果生まれた「交通」が人々の役に立っていることはわかるものの。

「ファーブル昆虫記」を読み始めたせいでもないけれど
「地球という住処を掘り続けるアリ」のようだと思わざるを得ず。

老舗バーのマスターから借りた「ナチス特集」の中から「ナチス絶滅収容所」を観る。

死体のさまざまな「リアル」と骨と皮のみに痩せ衰えた人間の「リアル」。
米軍及び連合軍が解放した収容所の様子を映したドキュメンタリー。

冒頭に「これらは本物だ」という米軍兵士による「宣誓」があったりする。
映像が「事実」なことはわかるもののやはり「プロパガンダ」の臭いが。

「ジョン・フォード」という名前が書類にある。
これはかの映画監督の名前と同じなのだが詳細は不明。

「扱いが大変だから殺してしまえ」という「奇妙な合理性」よ。
「作業」を粛々とこなしたのは「ごく普通の人々」。

その一方。

収容所解放後あまりに多い死体の処理をする人々の姿もさして変わらず。
生きている人も死んだ人も「モノ扱い」なのは立場を問わず同じらしい。

思い出すのは芥川龍之介の「羅生門」。

死体の髪を抜く老婆に一度は怒りを覚えたはずの下人のその後を思えば。
少なくともわれわれは「そうした存在になりうる」ことを忘れずに。

さて。

その上でどう生きるのかはそれぞれの「自由」ではある。
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「徹底的な観察ぶりと素敵な文章あるいはドラマのパッケージと『ライバル』になることの重要さ」について

2018-01-30 02:10:49 | Weblog
くもりときどき晴れ。仕事場では帰りに雪。

「ファーブル昆虫記1」を読了。

徹底的な観察とその結果よ。
おまけにそれを記録する文章が素晴らしく。

全十冊ということなのでここがスタート地点。
最低でもあと10週間はかかるはず。

「自然の精妙さ」をじっくり味わいたいもの。
ひょっとして読み始めるのが「早すぎた」かも。

もっとも「寿命」は常に不明なのでこれくらいでいいか。

深夜「ナイトシフト 真夜中の救命医 #4 アラモの夜」を観る。

かつての「ER」のパターン。
キャストが安いけれど「夜勤」ならそれもまたよし。

メンバーの顔触れに「慣れてしまう」とそこそこ楽しめる感じ。
どんなドラマでもそれは同じ。

今回は4つの話がそれぞれに。
いちおう具体的に挙げておくと。

「宗教上の理由」で治療を拒否する患者の意思表示の有無と女医の過去。
ゲイであることを隠す「マッチョ」な「衛生兵出身」の医者の進退。

主人公の元彼女と現在の彼女との「対立」と「和解」。
間違えて「エクスタシー」を飲んでしまった怒りっぽい事務長の健康と家庭事情。

さらに2つ付け加えるなら若い医者の患者より医療技術を優先した結果と
「パイプカット」の手術に臨むベテランの医者についてなど。

「夜勤」の中で「複数の物語」が同時に語られていくのが「基本」。
おそらくこの「厚味の味わい」が視聴者を惹きつけることになるはず。

キャラクターや人種もさまざまでそれぞれの「事情」もあり。
「現実」を描いているように見えて実は「理想的な姿」であることを忘れずに。

最低限ここまでやればある程度の「魅力」を持つ作品は出来るということ。
この「定型」についてはリテラシーとして知っておきたいもの。

つまり。

この種の「パッケージ」を作ってしまえば「スター」は必要ない。
個々のキャラクターに関するシナリオを充実させた上で組み合わせるだけですむ。

まあ「便利な仕組み」であることは確か。
シナリオライターを複数使うことも可能だし。

さて。

現実の各分野でこうしたことが起きれば楽しそう。
そのために重要なのは「対立しつつも互いを認めること」だったり。

いたずらに「敵」を見つけて「攻撃する」といった「カタルシス」より
何度でも繰り返すが「敵ながらあっぱれ」と思わせる存在が各地に生まれることを祈るのみ。
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「思い込みという『足かせ』とデタラメな軍備あるいはデタラメなセキュリティ」について

2018-01-29 02:39:00 | Weblog
『くもりのち雪。アスファルトを濡らす程度。

信田さよ子「コミュニケーション断念のすすめ」を再読と気付かず読む。

「絆」を始めとする人間関係が実は「拘束」であることをあらためて。
「韓流」を好む女子たちが「エロ」を求めたことも。

問答無用に「こうでなければならない」という思い込みの「暴力」よ。
「寛容」になりきれない現代からすると「浅いお付き合い」がいいのか。

「鶴瓶の家族に乾杯」に人気があるのは
「現実」では少ない「実例」が示されるからだと思ってよさそう。

「希少」だからこそ持ち上げられる「事実」。
そのことは覚えておきたいもの。

マル激を観る。

今回は膨らむ防衛予算と中身に関するチェック。
「FMA=foreign military sales=外国の軍事商売」という言葉を覚えておこう。

具体的には「アメリカが日本に『言い値』で武器を売ること」だと思って頂いて結構。
「戦略」もないまま「格落ち」の武器を買わされる「貧しさ」。

年間60兆円を軍事費にしているかの国は
「武器商売」の分野では「独占」を可能にする地位を占めているらしい。

「最新兵器」は圧倒的にアメリカ製が優れているので
その「トレンド」と「価格交渉」についてはどの国も逆らえないこと。

もちろん「最新兵器」を売るのは相手国を「有利」にするので
「格落ち」を売るのが「普通」だったり。

「イージス・アショア」とかいうブツは性能は優れているとしても
「敵国」から必ず狙われるものであり周辺地域に「被害」をもたらすものでもあり。

「平和ボケ」というのは結局「軍事知識」に圧倒的に欠けることだろう。
わが国への「侵略」をたやすくするのは実は「原発」であることも。

沖縄の圧倒的な「犠牲」を考えれば
その種のことにわれわれはもっと敏感でなければならず。

少なくとも信用できる「軍事専門家」を知っておかないとどうにも。
「判断」などしようもないまま「幻想」にふけるのは無益。

深夜全豪オープンのチリッチvsフェデラーを流し観る。

チリッチの「勢い」がところどころでフェデラーを圧倒するものの
「百戦錬磨」の後者は慌てることなくという結果。

おそらく「戦略」を考える者として十二分に参考になるはず。
この「懐の深さ」はわが国の人々が失って久しいもの。

それとは別に。

出川の「コインチェック」のCMが急に流れなくなるのに笑う。
「脆弱なままのセキュリティ」を問題だとも思わず放置する感覚に茫然とする。』でまた寝る。
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「『いらち』になるのは老化であることと楽しい読書あるいは『現実』に従うこと」について

2018-01-28 02:02:09 | Weblog
晴れのちくもり。昼間の冷えは緩むが深夜には冷える。

今宵も老舗バー。

案外盛況でマスターの「いらち」が全開。
またまた昔の映画の話など。

ニューボトルを3分の1くらい空ける。
要はあまり酔わなかったので帰宅後飲み直す。

山田吉彦(きだみのる)林達夫訳「ファーブル昆虫記(一)」を半分読む。

素敵な日本語をじっくり味わう。
もちろん「聖たまこがね=スカラベ」の詳細な描写も。

ダーウィンを皮肉っているのを初めて知る。
「徹底的な観察者・実験者」からすると「本当か」と思ったよう。

全巻読破することを決意する。
「読むことの楽しさ」をあらためて知った次第。

仕事場でちょいとバグる。

そうかこうして「老化」はやってくるのか。
ふむふむと思いつつ。

それもまた楽しからずや。
「現実」は受け入れるよりなく。

いたずらに抵抗してみても仕方ないだけ。
確実に「機能低下」しているのは事実だから。

さて。

眠くなったら寝る。
このシンプルさは確保しておくことにする。
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「アメリカの本作りの奇妙な慣習と『本当の自己投資』あるいは『正解』などない普通」について

2018-01-27 01:26:30 | Weblog
晴れ。今日も冷える。

「一緒にいてもスマホ SNSとFTF」読了。

最後まで「論理」はなく「具体例」のみ。
この種のアメリカ本は如何せん長すぎる。

おそらくこの半分の量で言いたいことは十分伝わり
さらにはそれ以上の展開も可能なはず。

かの地の「本作り」における「奇妙な慣習」に少し苛立つ。
必ずしも「量は質に転換しないこと」を忘れずに。

「SWITCHインタビュー達人達」の「マツコ×つんく♂」の回の再放送を観る。

つんく♂はマツコに「同じ境遇=仕事しかない時間」を過ごした「先輩」としてアドバイスなど。
マツコは「現在の自分」が「他人の判断に従ったこと」によって生まれたことを。

後者はとりわけ「神のようにふるまいたがる人々」が増えた現代には「批評」となる。
「自分を知っているのは実は他人」だというシンプル。

もっともそうした他人を「見分けられる力」の有無が重要だったり。
誰彼なく相手の言うことに従えばいいわけでもなく。

「人やものを見る目」を代表とする「基準」をいかに身につけるのか。
その種の「自分への投資」を確保しないとどうにも。

「現在の自分の基準」が絶えず「書き換えられる」ようでないと。
そうでなければ「面白くない」わけで。

そもそも。

一回失敗したら「おしまい」という「価値観」を変えることを考えたいところ。
「試行錯誤」が許されない世界では何も新しいものは生まれず。

「健全な競争」はそこでこそ行われるべき。
もちろん「セーフティネット」がある上で。

「正解」がないのが普通。
「クイズ王」は貧しいことを知ろう。
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「浅墓であることあるいはプロの本当の凄さという基準」について

2018-01-26 02:14:49 | Weblog
晴れ。仕事帰りに雪がちらつく。

シェリー・タークル「一緒にいてもスマホ SNSとFTF」を半分くらい読む。

「FTF」とは「フェイス・トゥー・フェイス=対面」のこと。
後者が「共感」を育てる一方でスマホによるコミュニケーションに夢中な人々。

直接ケンカすると後で互いに何を言ったかが曖昧になるので
敢えてメールでするというのに驚く。

要は「記録が残る」ということらしい。
「ケンカのドライブレコーダー化」とでもいったところか。

「間違えたくないという神経質ぶり」は「装った自分=理想」を維持したいがため。
いずれ「素の自分=現実」に「復讐される」のがわからない模様。

繰り返すが「常につながっていたい気持ち」はその「内実」を問わず。
残念ながら「浅いお付き合い=軽い情報の交換」にしかならず。

「いいね!」を数多く集めることは「貨幣の多さを競う」のに似て。
あらためて「身近な範囲での承認の少なさ」を浮き彫りにするのみ。

中には「性格判断アプリ」に決定を委ねて実際の行動をする者まで。
いったい誰の人生なのか。

ここまでテクノロジーに「支配」されることに鈍感なのねといった趣き。
「未知」をかくも怖れる人々の群れよ。

もっと「身銭」を切らないとどうにも。
「学習」しないまま「賢くありたい」というのは「愚かさの象徴」だと思うくらいがいい。

それとは別に。

深夜全豪オープン女子ハレプvsケルバーの試合をちょいと観る。

地力に勝る前者とカウンターが得意な後者による熱戦。
どちらも「女王」としてはまだまだ未熟な印象。

互いに勝利を決めきれないままの第3セットの様子はむしろもどかしく。
「長期戦」となれば前者が勝つのはある意味で当然。

「最高のプレーの差」がにじみ出たとでも言うべきか。
ショットのパワーと精度を増すことが出来るかどうかが後者の課題だと思われる。

この「ドラマ」はいささか「お子様向け」だということでよろしく。
「本当に優れた者同士」がぶつかりあって初めて「大人のドラマ」は生まれるはず。

「懸命に頑張る姿」にだけ感動するのは
むしろ自らの「未熟ぶり」を示すものだろう。

なぜなら程度の差はあれ誰もが「懸命に頑張ること」は出来るから。

「プロ」は「結果がすべて」。
それをいかに「優雅に見せるか」が「本物」だという「基準」を忘れずに。
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「シベリアあるいは函館つながりのアーティストたちあるいはフェデラーの非情と錦織の復帰」について

2018-01-25 02:31:53 | Weblog
晴れ。夕方から雪が降る。

「別冊太陽 香月泰男」を観て読む。

初期の頃からすでに「独特の魅力」があるのを確認する。
「私には私だけの目がある。」という言葉は全く正しい。

構成、形、色彩、質感など。
「シベリアという地獄」を見たからこその「生きる喜び」も。

「シベリア・シリーズ」の異様な迫力と
「ハイラル通信」や雑誌の表紙、年賀状や旅のスケッチとの「対照ぶり」よ。

「絵を描く才能」が結果的にシベリアでの重労働を軽くしたことを思えば
当人には苦痛であっても「描くことが生きること」にならざるを得ず。

たとえば同様にシベリアに抑留された詩人石原吉郎は彼の絵や生き方をどう思っていたのだろう。
作家では「シベリア物語」を書いた長谷川四郎がいて。

ちなみに長谷川四郎は画家長谷川潾二郎の兄。
一番上の兄は牧逸馬・林不忘・谷譲次のペンネームを用いた作家長谷川海太郎だったり。

「函館中学つながり」で言えば久生十蘭も。
いずれも素敵なアーティストであることは間違いない。

深夜全豪オープンのベルディッヒvsフェデラーの試合をちょいと観る。

後者の「非情さ」さえ感じさせる試合運びにふむふむ。
その「合理性」はまるで機械のよう。

前者の体調が万全ならもう少し長引いたとは思われるが結果はストレート。
大坂なおみが「何とも思わなかった」猛暑の影響もありそう。

ビジネスの要素が強まっているという情報もあり
昼間に試合をするのかそれともナイターなのかで結果に差が出る模様。

その一方。

錦織が復帰戦で負ける。
いまだに手首の痛みはあるのが不安材料。

休んだ期間を思えば相当に重症なはず。
それでも「トップ・プレイヤー」としては「試合しながら治す」のが「普通」。

この苦境をどう乗り越えるのか。
とりあえず今後の展開を見守るだけ。
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「圧倒的な情熱の結果とスペインの物語」について

2018-01-24 02:29:12 | Weblog
晴れ。昼に風が強く冷たく。

堀内二彦「増補改訂版 The eyes」を見て読む。

とりあえず圧倒的な情報量に驚きつつ十二分に味わえない自らを思う。
もっとじっくり付き合うべきだったのに。

俳句も交えつつ文章のところどころに見えるユーモアが素敵。
本書には著者のすべてが込められているよう。

あらゆる生き物たちの目の構造もさることながら
それ以外の分野に関する知識も盛りだくさん。

「好奇心に従って生きることの楽しさ」を実感させてくれる作品。

ルーベン・マムーリアン「血と砂」(’41)を観る。

有名な闘牛士の血を引くやんちゃな少年が長じて一流の闘牛士になる。
遊び上手な上流階級の女に迷った挙句改心するもののというお話。

いかにもなスペイン。
ヴィンセント・ゴメスのギターはナルシソ・イエペスによって「禁じられた遊び」に。

タイロン・パワーには案外魅力を感じず。
むしろ「これが最後のシーズンだ」と繰り返すジョン・キャラダインがいい。

スクリーンのサイズや劣化した画像のせいかもしれないけれど
「愛人」リタ・ヘイワースよりも「妻」リンダ・ダーネルが見栄えする感じ。

「運命」を予感するナジモヴァの母や「かつての英雄」ガルバートのJ・キャロル・ナイシュ、
「評論家」クーロのレアード・クレガーや「パトロン」ドン・ホセのペドロ・デ・コルドバ。

主人公にすがるフォルチュニオ・ボナノヴァと姉リン・バリの「寄生虫夫婦」もなかなか。
そしてマルロのアンソニー・クインよ。

血縁を経ずとも「悲劇は繰り返される」予感を残して。

オリジナルはヴァレンチノ主演で1922年の作品。
リタ・ヘイワースの役はニタ・ナルディ。

「女神マカレナ」は妻の心を理解するけれど「男神キリスト」は無情。
母、妻、愛人いずれをとっても「男=少年」より「うわて」というのが「ラテン系」なのか。

ある意味で「正しい」ことに間違いはないのだけれど。
南部セビリアから北部マドリードまでの「距離の遠さ」は「男女の仲」に似て。

友人ナシオナル同様に「読み書きを学ぶ機会を奪われたこと」を訴えるフアン。
「大衆」を罵るガルバートにはオルテガ・イ・ガセットの「面影」がなくもない。
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「是非を問わない実験を続けるアメリカあるいは壮大なコントを続ける日本」について

2018-01-23 01:57:19 | Weblog
雨。夜になって止む。

渡辺靖「アメリカン・コミュニティ 国家と個人が交錯する場所」を読む。

NYやLAではないアメリカの姿がここに。
「コミュニティ」の意味をあらためて思った次第。

著者の観察によればいずれの場所をも貫いているのが
「資本主義と市場主義」らしい。

「しなやかな原理主義」「コミュニティの再生力」「ゲーテド・コミュニティ」
「かつての『典型的なアメリカ』」「連帯しつつ衰退へ向かう農牧業」

「メガ・チャーチ」「ディズニーが創った町」「複雑なサモア」
そして「テキサスの刑務所の町」など。

その是非を問う以前に「実験は行われつつある」のだという印象。
良くも悪くも「未来」を感じさせる内容。

普段われわれが見ているつもりになっている「アメリカ」との落差を
具体的に味わっていただきたい。

さて。

仕事から帰宅後観ることにしている「NEWS ZERO」(この番組が好きなわけではなく)。

今宵はいつもの「編成」でなく「東京の大雪」ばかり。
同じ映像を繰り返し流し大して意味のない「現場中継」も同様に。

ほぼ「ローカル・ニュース」としか思えないような。
おまけに映像は雪国の人々からしたらバカバカしいようなことばかり。

これが「ニュース」なのか。
ここでも何か「圧倒的な勘違い」があるとしか思えず。

雪で困るくらいならマシで
河川が氾濫したら一気にすべての機能を失う「危険都市」であることも忘れ。

どうにも「現実」を観ていない感じが強く。
これを「標準」とすることになる後世の人々の「劣化」を推し進めるのみ。

「リアルのなさ」が夥しいことを「定点観測」で確認しているつもり。
やはりわが国では「壮大なコント」が行われているのだと思うしかない。

違った意味での「ディズニー化」だとでも思えばいいのか。
ならばせめて「ダンボが宙に舞う」くらいの仕立てがあってもいいのに。
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「興味深い人と性暴力の複雑あるいは素敵な人を失うこと」について

2018-01-22 01:53:23 | Weblog
晴れ。風がやや冷たく。

末井昭「結婚」を読む。

母親は若い男とダイナマイト自殺、父親は食と性にのみ旺盛なだらしない男。
そうした環境で育ち「幸せな家族」など嘘だと思ってきた著者による「嘘のない話」。

「イエスの方舟」千石イエスの教えに惹かれたというのにふむふむ。
パートナーになった神蔵美子も何だか不思議な人。

彼女の前夫坪内祐三も同様に。
こういう「出会い」もあるのだから「世の中は広い」。

いろんな考え方もしくは生き方があることを知ろう。

マル激を観る。

今回は「性暴力被害者に寄り添う社会を作るために」というテーマ。
その種の理解に対する「逆風」の環境を説く宮台真司に食い下がる後藤弘子。

被害者が往々にして「正当化=自分が望んだ」というかたちで生き延びていること。
その「事実」は覚えておきたいところ。

実際のレイプが「見知らぬ人」による「夜道での襲撃」ではなく
「見知った人」による「室内」の出来事であるのも。

「予断」を排して被害者を「元の存在」に戻す重要さ。
敢えて声を上げた伊藤詩織に対する「非難」を思えば。

基本は「他人とのコミュニケーション」。
「相手がイヤなこと」をきちんと受け止められるかどうかだったり。

「ポジショントーク」ではなく個々の事例に真剣に応える必要があり。
「犯罪」にはならないケースが非常に多いはずだということも忘れずに。

少なくとも「声を上げた者」を「自分だけの基準」で測らないこと。
被害者を「自分の思う被害者像」に閉じ込めないこと。

そのあたりを「最低限の倫理」だとして共有したいもの。
「被害者の現実」を我が事だと思える「共感」についても。

それとは別に。

西部邁が自死する。
遺書の内容が知りたいのだけれど今のところ不明。

「自分の覚悟」が試されているような印象。
「自己責任の究極のかたち」のような。

「自分の思い通りを貫く」結果よ。
「素敵な人」を失った気分。

勝手な言い草だがもう少し「好ましい影響」を与えてほしかった。
もっとも「活字の中の彼」は永遠に残るか。
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