退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「自分に見える限界と対中国の『歴史』」について

2016-08-31 04:02:21 | Weblog
晴れ。風やや涼しく仕事場にトンボが舞う。

「淀川長治の『1/24秒』」を古本屋で見つけて読む。

観たことのある映画とそうでない映画を「思い出す」。
冒頭の「かくも長き不在」(’60)の「アルベール・ラングロワ」よ。

物語の要点どころかショットの構成まで記憶する天才ぶりにあらためて感嘆するのみ。
われわれがいかに「目の前にあるもの」をきちんと見ていないかがわかる。

すでに活字でさえ飛ばして見る「習慣」が当然になった現在
それがいかに「怠惰」であるかをあらためて思わせてくれる内容。

「見えていないものを畏れよ」

一見何もかもが「見え過ぎている」ように思われることを省みたいもの。
それぞれに見えているものは所詮たかが知れているということを。

小林正樹「人間の條件 純愛編」(’59)をようやく観る。

「ヒューマニスト」がいかに「戦争」と対峙するかというのがポイント。
仲代達矢と新珠三千代が初々しい。

沖島役の山村聡が主人公を見守る。
彼らと対立する現場監督小沢栄太郎がいかにもな演技。

石浜朗の陳が日本人と中国人の間にいる微妙な役どころ。
黒木所長の三島雅夫のいやらしさよ。

安部徹の憲兵がいかにも。
こんなにも軍隊を表せる人がいるかと思わせるほど。

その他キャストの詳細はおまかせするけれど
これほど日本人が中国語を話す映画はおそらくないはず。

淡島千景と有馬稲子の「中国人慰安婦」の在り様の違いもなかなか。
ついつい次作を観たくなる展開のままに。

「人間の條件 激怒編」(’59)を観る。

出来るだけ捕虜の中国人を「人間」として扱いたい主人公だけれど
それを信じない彼らとそれを実現できない葛藤に悩むところに夫婦関係も混じって。

古屋の三井弘次の何とも言えないいやらしさ。
南原伸二(後の宏治)と有馬稲子との鉄条網を挟んだ恋も。

朝鮮人の張、山茶花究の「隙間」を生きる感じになるほど。
芦田伸介の「食料管理係」もこちらの想像に近い印象。

慰安婦の訪問を喜ぶ捕虜たちと
祖国への気持ちと若さゆえ淡島千景の色香に騙される石浜朗の苦悩。

主人公に「人間であること」を説く王亨立役に宮口精二。
彼の言葉に導かれる主人公の運命やいかに。

拷問シーンもリアルではあるものの
夫婦の関係と再会に重点がありすぎるような。

もっとも有馬稲子は「日本人鬼」と叫びつつ彼らの砂の塊を投げる。
それでもちょっと日本人に都合がよすぎる部分があるような。

いずれにせよ残りの作品の内容が楽しみ。
少なくともこの種の「歴史」があったことは知っておくべきだろう。
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「不摂生」について

2016-08-30 02:11:45 | Weblog
晴れのちくもり。風が吹き深夜に雨も。

土曜は老舗バーをお休みして元同僚と飲み会。

調子に乗って朝まで飲んだら翌日に爆死。
少し風邪気味だったせいはあるものの。

結局図書館へも行けずじまいでひたすら横になって終わる。
久方ぶりに熱も出たかも(測らなかったので不明)。

仕事に影響はなかったのだが「衰え」を感じた次第。
そもそも夏場に風邪なんぞ引いたことはなかったのに。

以前より寒さに敏感になった自覚はある。
「イメージ」と「現実」のギャップを調整するのにもう少し時間がかかりそう。

とはいえ飲み会の場所に行く前に吸ったタバコの味がいつもと違っていたのは確か。
「シグナル」は出ているのに無視しているらしい。

日曜はこんなに眠れるものかと思うくらい寝たことからすると
疲れがたまっていたのかもしれず。

「身体の訴え」にはできるだけ謙虚でありたいけれど
「やらかす」までわからないのが玉にキズ。

さて。

ごく軽い症状のみになったので
今宵から「いつも通り」過ごすことにする。

ちなみに風邪にかかってもクスリは飲まない主義。
長くて2週間で元に戻るから。

もちろん酒は毎日飲む主義。
実は日曜もビールを少々。

いつでも「不健康」でいられる「健康さ」を維持するつもりだけはある。
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「盛者必衰と小国民あるいは『現実』を生きること」について

2016-08-26 03:12:17 | Weblog
くもりのち晴れ。暑さは少し和らぐ。

アンドリュー・ゾッリ+アン・マリー・ヒーリー「レジリエンス 復活力」を読む。

分野を問わず「世界の複雑さ」を「生態系」として捉えること。
「過剰適応」はやがて決定的な「脆弱性」になること。

好ましい具体例を示しながら著者はそうしたことを説く。
途中で瞑想が入ってくるあたりで少し「眉唾」なところも。

言葉は新しいけれどどうやら「基本」は同じ。
曰く「盛者必衰」と「小国寡民」。

かつての「くに」が「藩」であったという事実を思い出しつつ
さらにスケールダウンした「地域」でそれぞれにといったあたり。

「独立した集団」が各地にあるのがよさそう。
「ハブ」としての人材が活躍することを祈るのみ。

これまた繰り返せば重要なのは「『ハブ』になれる人材の育成」。
もっとも「通常の教育」からは生まれないものではあるのだけれど。

新海誠「言の葉の庭」(’13)をTVで観る。

新宿御苑と思しき東屋で雨の日に出会ったふたり。
その後互いの事情から何度も会うことになりあれこれあってというお話。

監督の名前は確か東浩紀の著書で初めて知ったはず。
ひとりで全部作った「ほしのこえ」という作品の紹介だったか。

雨と綠のしたたり具合が素敵。
「カメラ」と「アニメ」の隙間のような映像に魅力あり。

物語そのものについてはむしろどうでもよく。
「重さ」を感じさせる題材を少し集めて淡く描いた印象。

いっそ人物が全く出てこない風景のみの作品だったらなどと。
「コヤニスカッツィ」(封切当時は「カッティ」だったはず)(’82)を思い出したり。

「本当のわたし」という発想はそもそも「青春時代」のもの。
「ありのまま」というのは案外厄介なものだったりすることを忘れずに。

本気で「失われたまっすぐさ」を取り戻したいなら実はいつでも可能。
それを「不可能」だとするのは「現在」を維持した上での「安全な場所」からの発想。

果たしてそれが自動的に「維持すべきもの」かどうかなど考えもせず。
「偽物のノスタルジー」は醜いだけ。

「束の間のカタルシス」に溺れる前に「現実」を生きよう。
たかが知れた自分の「物語」のみを生きないように。
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「楽しい物理とサッチモ」について

2016-08-25 02:30:10 | Weblog
くもりときどき晴れ。雨も。

ファインマン・ゴッドリーブ・レイトン「ファインマン流 物理がわかるコツ」を読む。

カルテックで行われた半世紀以上前の講義を元にした内容。
歯が立たないところもありつつあれこれ楽しめたのは幸い。

もっとじっくり付き合うべきなのだけれど
こちらの事情で1時間余りで終わってしまう。

微分・積分の基本的計算を押さえた上で
その他の公式を暗記せずにいろんな方法で解を求めることの大切さよ。

本来は理系の高校生あたりが読むといいかも。
優秀な学校に入ってかつての「位置」を確保できない学生への心構えもあったり。

もっとも当時のファインマンは学生たちの反応に不満だった模様。
おそらくもっと「上出来」を期待していたのだろう。

そもそもが「あまり物理が得意でない学生向け」だったせいもあり仕方のないところ。
「自分の不甲斐なさ」を必要以上に感じる「天才」ゆえということで。

ルイ・アームストロング「HOT FIVE & HOT SEVEN 1925-1928」を聴く。

いい感じの曲もあるもののやはりいささかテンポが遅い印象。
大正末期から昭和初期だから仕方ない。

彼は1901年生まれなので20代の演奏。
歌声も含めて後年の円熟期の方に馴染んでいるせいかそちらの方が好ましい感じ。

ハロー・ドーリー」「セントルイス・ブルース」「ラ・ヴィ・アン・ローズ」など。
ついでに「本家」エディット・ピアフ

それにしても。

レコード時代には「アルバム」という形でしか聴けなかったものが
今となっては自分の好きな曲を好きな順序で聴ける。

「コンセプト」を理解するのも楽しく「思いのまま」も同様。
ただし後者ばかりだと「貧しくなる」のでご注意を。
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「うまいことと素敵なギター弾き」について

2016-08-24 03:19:06 | Weblog
晴れ。一瞬だけ降る。

佐藤健志「夢見られた近代」を読む。

「現実を生きることとは、事実とフィクションの間を生きること」という
著者の映画の分析にふむふむ。

「物語」とは「時代や社会のあり方に関して、通常ならば客観的・実証的に分析できない
諸々の要素を、分析可能な形に変換したシミュレーション・モデル」だと。

その名も「幻想政治学」。
なるほどうまいことまとめやがったなという感想。

本作はすでに8年前の作品なので
近年の作品についてもチェックしてみたいところ。

ジャンゴ・ラインハルト「ジャンゴロジー ザ・ジプシー・ジーニアス」を聴く。

1910年ベルギーで生まれた「ジプシー・スウィングの創始者」によるアルバム。
43歳で早世したのは残念。

とりあえず「Minor Swing」「Nuages」「After you've gone」を載せておく。
その他にスタンダード・ナンバーもたっぷり。

「Nagasaki」「Japanese Sandman」など日本にまつわる曲もある。
「Crazy Rhythm」はクレイジー・キャッツが演奏していたのを思い出したり。

「Beyond the sea(フランス語だと「La Mer」らしい)」もついでに。
ボビー・ダーリン(やっぱりケヴィン・スペイシーに似ている)が懐かしい。

youtubeで追いかけるとこのアルバムの選曲にはいささかの偏りがある趣き。
興味のある向きはそれぞれに。

ズンチャッ、ズンチャッという単純なリズムが心地よく。
かき鳴らされる弦の味わいもたっぷりと。
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「存在の厄介さ」について

2016-08-23 03:29:13 | Weblog
晴れ。普通に暑い。

牧潤二「詐病」を読む。

古くは「徴兵忌避」や「刑罰逃れ」のために行われ
近くは「保険金詐欺」や「登校しないこと」のために行なわれている模様。

「不都合な現実」から目をそらすという手段がある一方
「都合のいい現実」を生み出すという手段もある。

人はいかに「現実を受け入れがたい存在か」ということがあらためてわかる内容。
自分の胸に手を当ててみれば実は誰にでもあることだったり。

その事実を知った上でできるだけ現実を直視したいもの。
そしてそれが為し難いことだと知っておきたいもの。

ダリオ・アルジェント「シャドー」(’82)を観る。

唯一覚えていた白い腕が斧で切られ血がシャワーのように飛び散るシーンはラスト近くに。
結末はすっかり忘れていた。

犯人の視点で家の壁を登るキャメラがやはり印象に残る。
いつもの「目のアップ」は今回も。

「荒野の1ドル銀貨」(’65)が懐かしいジュリアーノ・ジェンマが刑事役で登場。
女優陣の裸のシーンがやや増えている感じ。

「謎解き」としてはちょいと微妙。
犯人の「女嫌い」とそれをもたらした過去よ。

それにしても結局自分の都合のためなら誰でも殺すという身勝手さは
今日のニュースにもあった「母親による無理心中」と変わりなく。

われわれはかくもやっかいな存在であると自覚しつつ
できれば穏やかに暮らしたいところではある。
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「相変わらずであること」について2

2016-08-22 03:32:04 | Weblog
晴れ。この暑さはいつまで続くのか。

昨夜はいつもの老舗バー。

客は結局自分ひとり。
マスターは観ないという「シン・ゴジラ」の話をする。

座って飲んでいる間はそうでもないのだが
いざ店を出ると思ったより酔いが回る次第。

首まで来ているところを辛うじて乗り切り帰宅。
シャワーを浴びて飲み直しているうちに爆睡。

本は読んだものの今ひとつ。

敢えて選んだものだったのだけれど。
まあ仕方のないことだと思うことにする。

「ダリオ・アルジェントのドラキュラ」(’12)を観る。

冒頭から映像の色を見て「こりゃダメだ」と思ったら案の定という結果。
ついつい途中を早送りしてしまう。

どこかで見た顔だと思ったらルトガー・ハウアーがヴァン・ヘルシングで登場。
「ブレード・ランナー」(’82)はもう34年前になるのか。

どうやら本作は「3D」のようで
残念ながらその「効果」を確かめることもできず。

引き続きダリオ・アルジェント「フェノミナ」(’85)を観る。

当時まだ15歳のジェニファー・コネリーがキュート。
夢遊病にもなる「虫愛づる姫君」。

「ハロウィン」シリーズに出ていたドナルド・プレザンスは昆虫学者。
彼の可愛がっているチンパンジーがなかなか。

今回見直して思ったのは「13日の金曜日」(’80)をかなりパクっていること。
やはり「サスペリア」の頃が絶頂だった模様。

元同僚からメールで飲み会の誘いが来る。

全体にどういうメンバーになるのかは不明なものの
おそらく楽しく飲める雰囲気になりそう。

思えば久方ぶりの「イベント」。
とりあえずそれぞれの「近況報告」をじっくり聞くことにしよう。

もっともこちらはいつまでたっても「相変わらず」で
大して面白味がないのが申し訳ないような気もする。
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「映画と音楽」について

2016-08-20 02:32:18 | Weblog
晴れ。夜に少し降る。

小林信彦「ぼくが選んだ洋画・邦画ベスト200」を読む。

ここに挙げられた作品の数々が「氷山の一角」でしかなく
こちらは未見の作品も少なくないのだからこの「キャリア」の違いたるや。

「おまえには人間の心はわからねぇ!」という文章で著者は珍しく「叫んでいる」。
もっともこれが「本来の姿」なのだ。

「この胸のときめきを」についても同様。
「貧乏ごっこ」をする若者たちとは違って貧乏から手が切れなかった事実よ。

「本気を出す」と周囲から浮いてしまう「体質」は橋本治とよく似ていて。
いまだに「現役」であるパワーの源を垣間見たような。

アマリア・ロドリゲス「tudo esta e fado」(’05)を聴く。

ポルトガル民謡ファド(運命あるいは宿命)の「女王」のアルバム。
感情を直撃する歌声にしばし酔う。

ただし後半にはやや飽きたのか
前半にいい曲が集中しているように思えてしまう。

引き続き「Tango Mania」(’99)を聴く。

男性ヴォーカルの声は魅力がないわけではないけれど女性の方が落ち着く。
いわゆる「普通のタンゴ」とは異なりあれこれ「工夫」をした内容。

タンゴを十分に知った上で聴く必要がありそう。
素人にはいささかヒネりすぎかも。

さらにカーティス・フラー「BLUES-ETTE」(’59)を聴く。

デトロイト出身のモダンジャズのトロンボーン奏者だとのこと。
全体に落ち着いて聴けて気持ちいい。

ついでに「オリジナル・サウンド・トラック ベスト60 VOL:2」を聴く。

ヘンリー・マンシーニ「ムーン・リバー」を皮切りにドリス・デイ「ケ・セラ・セラ」
ジーン・ケリー「雨に唄えば」あるいは「シャレード」など。

エセル・マーマンの「ショウほど素敵な商売はない」がさすがに素晴らしい。
ソフィア・ローレン「マンボ・バカン」という「変わり種」もあり。

かつて観た映画のシーンがさまざまに蘇る仕組み。
これもまた楽しからずや。
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「濁りのない物語と濁りっぱなしの分野」について

2016-08-19 03:12:25 | Weblog
晴れ。蒸す。

仕事を普通にこなして帰宅。

もっとも帰りの電車で乗り過ごしかける。
いつもの駅がいつもと違って見えて。

深夜バドミントン女子ダブルス決勝を観る。

審判の誤審もあり相手が常に先を行く展開からの逆転劇。
泣く高橋と笑う松友の対照にふむふむ。

天才肌の後者とおそらくは努力家の前者の組み合わせの妙。
なるほど好ましいペアというのはこういうものだとあらためて思った次第。

どちらかひとりだけでは生まれない「現実」よ。
「インチキのない物語」を十分に堪能させてもらった。

卓球の伊藤美誠の不敵さと同じ匂いが松友にはある。
いずれも好ましいキャラクター。

表彰式ではさすがに彼女も少し泣いた。
この「少し」が実に味わい深い。

さて。

何度でも繰り返すがスポーツでは世界の頂点に立てる人材も少なくないわが国。
もう少し他の分野でも人材を見出したいもの。

とりわけ政治の分野にそれを望みたいのだけれど
残念ながら今のところはそのかけらもなく。

その理由は明らかで「世界」と対峙していないから。
国内のあれこれにのみ対応しているのではどうにもならないのは必定。

本来はほぼ自動的に「世界」と戦う立場になるはずのものがなぜか。
まずは「同じ土俵」に立たなければ何も始まらず。

少なくともそのことを意識した上で行動できる人物でないと。
そして「政治」を取り巻く「環境=マスコミあるいは国民」も同様。

あらためて「世界」をまともに認識するようにならなければダメ。
そしてその種の人材の育成をもっともっと活発に。

この「当然」がいつまでたっても行われないとおそらく「未来」はないはず。
関係各位に猛省を促すとともに自らも「それなりの見識」を示していきたいもの。
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’16盆休み7

2016-08-18 03:26:41 | Weblog
晴れ。とにかく暑い。

近所の喫茶店へ本を読みに行く。

ただし内容が頭に入って来ず。
会社を先に辞めたオッサンとまだいるオッサンの話が耳に。

かつての海外旅行の想い出と現在の会社の動向など。
独身の先輩の方がしっかりしていて後輩は夫婦の会話もないらしく微妙。

通っていたスナックのママの引っ越しを手伝ったこともあった模様。
どうにも物悲しい。

イングマール・ベルイマン「仮面/ペルソナ」(’66)を観る。

女医が「超自我」で女優は「理性」、看護婦は「魂あるいは実存」だとしよう。
後者は「理性」に共感を寄せつつ自らの饒舌に「墓穴を掘る」ことに。

女性の「人格」の中の争いを映画として男の視線から描いたものだという解釈。
もっとも男(少年)は「母親」の姿を求めつつ「女」に徹底的に嫌われる。

「魂あるいは実存」が「理性」を傷つけようとするのは二回。
一度は熱湯で一度はグラスの破片を踏ませることによって。

その一部始終を見ているぞというのが唐突なキャメラとスタッフの挿入ということで。
全体として「犯されている印象」がどうにも強いのだけれど。

ダリオ・アルジェント「わたしは目撃者」(’71)を観る。

色彩の落ち着いた美しさをあらためて思う。
残念ながら作品はいささか長い。

カール・マルデンがこんなところで主演とは。
エンニオ・モリコーネの音楽は前半がややうるさい。

この監督の採り上げるネタはなぜか「未来志向」で今回は「遺伝子関係」。
イタリアの「前衛さ」が出ているのだろうか。

「謎解き」としても「サスペンス」としても「ゆるい」。
キャラクターで面白いのは「ルーザー」というあだ名のあごの長い鍵開け男。

ひょっとして「座頭市」の影響があるのでは。
詳細は本作を観て確認していただきたい。

などと言いつつ。

明日から仕事。
いつも通りにこなすはず。
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