退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ドームの外にある世界」について

2012-09-28 03:18:38 | Weblog
晴れ。日差しはまだまだ強い。

溝口敦「暴力団」を読む。

「暴力団」という組織がどういうものであるかについての説明があれこれ。
出来るだけいろんな側面を描こうとしている意図がうかがわれる内容。

最近はバブルの頃とちがってヤクザも「不景気」らしい。
新たなメンバーを集めるのにも魅力薄でやがてはなくなるものだと著者は言う。

「暴対法」のせいでむしろ組に属さない「半グレ」の方がしのぎやすいとも。
一方「撲滅」を謳いながら「暴力団」を「非合法」にしない警察の「奇妙さ」があったり。

香港マフィアがある程度金をつかむと「カタギ」になり
「集団」としてより「個人」として動くものだということは初めて知った。

なるほどその方が「理にかなって」はいる。
「足抜け」しようとするとひどい目に遭うわが国のそれとはかなり違うよう。

もっともどちらかが「優れている」わけでもなく
それぞれの国にそうした人々を生み出さざるをえない「現実」があるということだろう。

それにしてもヤクザに刺されたことがありながら
決して屈することなく彼らについて書き続ける著者はスゴイ。

そこまでの「意志」をもって何事かに取り組めるかというと
なかなか出来ることではないもの。

イタリアやロシアでも同じような検事やジャーナリストたちがいて
彼らが殺された事実もある。

「世界の新たな一面」を知る上で
ちょいと触れておいてもいいような気がするのだが如何。
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「バランスの妙」について

2012-09-27 02:48:16 | Weblog
晴れ。日差しは強いが風は涼し。

佐々木敦「未知との遭遇 無限のセカイと有限のワタシ」を読む。

面白そうなあれこれを教えてくれてありがたい内容。
共感できる部分も少なくない。

大雑把にまとめてしまえば
キリスト教の「予定説」を受け入れた上でだからこそ「自由に生きろ」ということ。

ちなみに「予定説」とは「すべて神の思し召し」。
敢えて「運命」に逆らう動きをしてもそれも含めて「予定通り」になる。

たとえるなら映画「ファイナル・デスティネーション」。
そこでは「予定された死」が必ず訪れることになっていた。

いたずらに「小さい自分」にこだわるよりその方がマシなことは確かだろう。
とはいえ今となってはそれは結構「高度な心構え」なので「実現」は難しいかも。

もっとも「まともな好奇心」さえあればいつの世であれ「楽しく暮らせる」のも「事実」。
結局は「中庸=そこそこ」が大事なことも相変わらず。

ひとつだけ難を言うなら「シンプルなこと」を言うのに「手間」をかけすぎているところか。
もちろんそれが「楽しませるためのもの」であることは重々承知の上で。

好ましい著者だけについつい文句を言いたくなってしまうのだということでよろしく。
個人的には「ややこしいこと」は著者に「おまかせ」したいくらいの気持ちはある。

さて。

覚えておくといい「原理」のひとつは「強力な一方」は必ず「強力な他方」を生むということ。
物理における「作用・反作用の法則」は人間界にも通用すると思ってよさそう。

そもそも何事かが「声高に」言われるのは「現実」が「イヤ」だから。
ただし「イヤ」だと言って「現実」がどうにかなるものでもない。

人は自分が思っている以上に「非合理的」なので
それゆえ「非情な合理」にあこがれるところもあったり。

そういった意味でむしろ
「思い通り」にならないからこそ面白いのだという「視点」は重要。

いとも簡単に解ける「パズル」など端から解く気にならないのが「基本」だろう。
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「若者」について

2012-09-26 02:45:35 | Weblog
晴れ。秋の気配が濃くなる。

「若者の現在 文化」を読む。

「労働」「政治」に続くシリーズ三巻目らしいが
それほど刺激的な論考はない模様。

むしろそれぞれの書き手の作品を読んだ方がまだしもという感じ。
「若手学者の紹介」だとしてもいささか迫力に欠けるか。

そもそもなぜ「若者」と「文化」なのかということもある。
おそらくごく普通の若者は決してこうした本を読まないはずだし。

「近頃の若者は」というのはよくある「オヤジの説教」だけれど
今さらその「紋切型」を批判してみても始まらないような気がする。

すでに「ひとりひとりが違う」のは「常識」なのだから
「全体傾向」を捉えるつもりなら「目からウロコ」がないと困るのではないか。

さて。

個人的な感想を言うなら
身近な若者たちは「言語」と「色彩」に関する感覚が鈍い。

前者については「言いたいこと」をきちんと言えるだけの言葉を持てと思い
後者については「もっと美しいもの」を見ろと思う。

あくまで限定的な「感想」であって「一般論」ではないのであしからず。
もちろん「余計なお世話」だと思ってもらって結構。

それぞれに「生きにくさ」はあるだろう。
ただし小林秀雄に倣って言えば「若者が生きやすい時代などない」はず。

お互いに適当な刺激を与え続けられる存在であれば幸せ。
とりあえずそこそこ楽しく暮らすように勝手ながらお願いしておく。

たとえばヴィスコンティに「若者のすべて」という作品があったりするので
「昔の若者の姿」を垣間見るのもよし。

生き延びた誰もが「若者」である時期を過ごすことだけは確かで
実はそれ以上に確かなことはなかったりする。
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「十年一昔」について

2012-09-25 02:43:02 | Weblog
くもりときどき晴れ。いよいよ秋か。

「90年代アメリカ映画100」を読む。

少し知らない作品もあったけれど
観たことのあるものをあれこれ懐かしく思い出した次第。

「ジュラシック・パーク」「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」のスピルバーグ。
「レザボア・ドッグス」「パルプ・フィクション」「ジャッキー・ブラウン」のタランティーノ。

「ワイルド・アット・ハート」「ロスト・ハイウェイ」「ストレイト・ストーリー」のデヴィッド・リンチ。
「裸のランチ」「M・バタフライ」「クラッシュ」「イグジステンズ」のデヴィッド・クローネンバーグ。

「アウト・オブ・サイト」「イギリスから来た男」のソダーバーグ。
「マルコムX」のスパイク・リー。

「ゆりかごを揺らす手」「激流」「L.A.コンフィデンシャル」のカーティス・ハンソン。
「羊たちの沈黙」「フィラデルフィア」のジョナサナン・デミ。

「バートン・フィンク」「未来は今」「ファーゴ」「ビッグ・リボウスキ」のコーエン兄弟。
「バウンド」「マトリックス」のウォシャウスキー兄弟。

「ターミネーター2」「トゥルー・ライズ」「タイタニック」のジェームズ・キャメロン。
「エイリアン3」「セブン」「ゲーム」「ファイト・クラブ」のデヴィッド・フィンチャー。

「ザ・プレイヤー」「ショート・カッツ」「プレタポルテ」のロバート・アルトマン。
そして「ブロードウェイと銃弾」「世界中がアイ・ラヴ・ユー」のウディ・アレンなど。

疲れたので羅列はこれくらいにしておくが
まだまだ魅力的な監督と作品はたっぷり。

振り返ってみれば相当な粒揃いで
なるほど「アメリカ映画が豊かな時代だったんだ」ということがよくわかる。

興味のある向きはちょいと覗いてみてはいかが。
個人的には「光陰矢の如し」と言うよりないけれど。
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「地上と天国の違い」について

2012-09-24 02:27:05 | Weblog
雨のち晴れ。ずいぶん涼しい。

図書館から帰宅後酒を買いに自転車で出かける。
風が心地よくペダルを漕ぐ足も快調。

夕食後TVで「岳」を観る。

冒頭から「泣かせ」が入りすぎていていささかウンザリする。
山岳救助ヘリが近寄れない場所にある遺体を仕方なく投げ捨てるのは初めて知った。

「ドラマ」に起伏がないので感情移入がしにくいのが難点。
とりあえず長澤まさみの「確認」が出来たのでOK。

足が妙な方向にねじれている映像はいかにも「痛い」。
小栗旬の親友の「ちぎれた手」も同様。

その種の「リアル」だけが興味深く
キャラクターが全く「立っていない」のが残念。

さて。

最近ハマっているのはyoutubeの「char meets ○○」のシリーズ。

当初は清志郎に惹かれたのだけれど
山岸潤史・渡辺香津美らとのギターの競演についつい見とれ。

やはりというかギター・プレイヤーとして優れている相手の時に
「音による会話」が長くなる模様。

あらためて坂崎幸之助の「凄味」を知ったり
「ヨッちゃん」野村義男の「在り方」の特異さに気付いたり。

ついつい朝を迎えてしまうこともしばしば。
こんなに楽しい番組をなぜ地上波で出来ないのだろう。

ここには文句なしの「素晴らしさ」があるというのに。
そういう「すぐれもの」からなぜ遠ざけられなければならないのか。

意味不明なのが「常識」だったりするのがわが国の「通例」とはいえ
この「豊かさ」を知らずにいるのは何ともはやもったいない限り。
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「戦場ふたつ」について

2012-09-23 02:08:30 | Weblog
晴れ。おだやか。

「従軍日記」読了。

空襲の描写はさすがの迫力。
とはいえ人間関係のあれこれは「貧しい」。

「見物客」に対する嫉妬もあった模様。
「戦争」という「非日常」はやはり人を狂わせるのか。

深夜「ブラック企業に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」(’09)を観る。

新刊本屋でちょいと見かけたこともあって
どんなものかと覗いてみることに。

小池徹平が悪くない。
表情の「引き出し」がいろいろあってなかなか。

ある種の「青春映画」として十分に成立している。
なるほど「人生は戦場」だったり。

ここでも肝心なのは「人」。

どんな苦境にあっても
わずかな「ぬくもり」があればどうにかなるという「真実」。

宮沢賢治ではないけれど
そういう「魅力」のある人間でありたいもの。

要は「何事かを一緒にすることで生まれるもの」。

すでに知っているあなたとまだ見ぬあなたに告ぐ。
いつその時が来ても「準備」できているつもり。

その程度のことはきちんとしておきたいので
まるで「宣言」のように自らに言い聞かせつつ。
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「あれこれ」について

2012-09-22 04:23:03 | Weblog
くもりときどき晴れ。風が涼しい。

昨日のジンが今頃効き始めたのかどうかは不明だけれど
いささか低調な気分で出かける。

時間が余ったので新刊本屋に立ち寄ったところ
久生十蘭「従軍日記」を見つけ購入、読み始める。

「徹底したスタイリストの日常」を覗いてみたら
「普通のおじさん」だったのが面白いところ。

とはいえさすがに描写はすぐれていて束の間南方を旅した気分に浸る。
「どうしようもない人々」には著者でなくともウンザリするだろう。

「この人にして」と思わなくもないものの
誰にとっても「日常」は大差ないものだとあらためて思い知った次第。

それにつけても驚くのは店頭に並ぶ本の多さ。
食指をそそられるものが少ないのは残念だとはいえ。

深夜「Rupin the Third 峰不二子という女」の最終回をちょいと観る。

「謎解き」はむしろつまらなくなるのが定石で予想通りの出来。
原作のテイストに近づけた絵と菊池成孔の音楽は「大人向け」でよろしい。

男を迷わせる魅力を持ちつつ決して「誰かのもの」にならない主人公と
敢えて彼女と「戯れる」ルパンとの関係の在り様はなかなか。

「カリオストロの城」ではラストの銭形の台詞が有名だけれど
性別を入れ替えても同様の物語は十分に可能。

彼女に関する分析がフェミニストから出てもよさそうだが寡聞にして知らず。
おそらく誰も手を付けていないと思われるので興味のある向きは是非。

「ReGenesis 2」もついでに観る。

基盤を破壊する謎のウイルスとその背後にある「巨大な陰謀」。
一方視力を取り戻すための手術を受けたボブには「異変」が。

このレベルのお話をわが国のドラマでも観たいもの。
繰り返すがゴールデンで放送したら間違いなく高視聴率を取れるのに。

この「ボーダーレスの時代」にテレビは相変わらず閉鎖的らしい。
もっとも深夜に観るべき番組が辛うじてあるのが救いだとは言えるのか。

ただしレンタルで借りてしまえばそれまででもあり
タレントが「頻繁に出演すること」で認められるようなバラエティはどうでもいい。

予算がないなら知恵を絞れ。
その当然がなぜ出来ない。
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「正当であること」について

2012-09-21 02:29:16 | Weblog
くもりときどき晴れ。今日もおだやか。

午前中に歯医者へ行く。
通い始めてもう一年になるが非常にゆっくりしたペースでしか治療は進まず。

それもまた楽しからずやと
「お付き合い」を続けている。

仕事後に久方ぶりのソウルバー。
マスターの話を聞いて最終電車で帰る。

空きっ腹にジンが今日はあまり効かず。
もっともついつい料理の注文のタイミングを失った結果だけれど。

「客としてのマナー」を守るとそういう結果になりがちなこの頃。
「前がかり」でボトルを入れて帰宅。

飲み直しながらマンUとトルコ王者ガラタサライのサッカーを観る。

正確なキックと常に揺れ動く「現在」を認識した上でのパスの凄さよ。
ひとつのミスを逃さない油断のなさも同様に。

スポーツの「世界標準」を見れば
それが「国際関係の標準」だと思ってよさそう。

中継アナウンサーの「国内文脈」による発言がうるさいので
途中から無音にして動きだけを見る。

ファンペルシーの不調が目立ち結局後半の途中交代。
いずれにせよ「一瞬の重要さ」がわかる内容。

「次の展開」を読む力とそれを実行する力がないと
「世界標準でのプレー」はできないという「当然」。

繰り返すが「圧倒的なもの」は有無を言わせない。
それが「正統」なのだとあらためて思う。
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「ぬるま湯と歴史に学ばないこと」について

2012-09-20 02:53:37 | Weblog
晴れのちくもり。おだやか。

橋爪大三郎・大澤真幸「ふしぎなキリスト教」を読む。

昨日古本屋で100円で購入。
いちおう読んだものの詳細を確かめるために再読中。

周囲に左右される自らの「運命のはかなさ」のあまり
「絶対的な安全保障」として「唯一の神」を想定するのが一神教のよう。

面白いのはその神と人間のコミュニケーションがほぼ不可能だというあたり。
「圧倒的な力」を持つものに対して一方的に「対話=祈り」を続けるのだと。

すべて身に降りかかることは「試練」で
そうした「態度」を引き受けるのがポイントらしい。

「全知全能の神」が作った計り知れない「自然法則」を
一時的に「停止」したのが「奇蹟」だというのもなかなか。

前者を追究しようとしたのが「科学」であり
「科学」と「奇蹟」のいずれの背後にも「神の意志」がある模様。

われわれ日本人がいつまでも「多神教」でいられるのは
そこに「滅亡寸前の歴史」がないからだとも。

たとえばそのことを宮台真司は「悲劇の共有」という言葉で表している。
「周囲を海で囲まれた辺境」という地理的条件が「ぬるま湯」を可能にしていると言うべきか。

ユダヤ人が「自分に対する投資=教育」を信じるのは
それ以外に何も信じられない「苛酷」のなせる業だということも参考に。

要は「永遠のおちょぼ口」。

わが国にはさらなる「悲劇」が必要なのかと思うと
いささかウンザリせざるをえない。

かつての「敗戦」でさえ「民族全体の悲劇」にはなりえなかったのだとすると
あまりの「脳天気ぶり」に笑うしかなくなる次第。
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「血縁における違和感」について

2012-09-17 02:14:41 | Weblog
晴れ。やや風が吹くもおだやか。

午前中に野暮用をこなし
その後妹夫婦に付き合い花とカフェの店へ。

久方ぶりに花をあれこれと見る。
造花の中には「ゴスロリ」を思わせるものも。

「圧倒的」な印象を与える花はなし。
とはいえ「天然色のキレイさ」はやはりあなどれない。

あれこれ見ながらしばし待った後で
アイスコーヒーとケーキ。

バイトちゃんが会計を間違えたのか「ひとり分」得をしたような。
いわゆる「おシャレな店」だけれどシロップとクリームがプラスチック容器。

どうせ凝るならもう少し「気合い」を入れてもらいたいもの。
「チープさ」が出てしまってはいささか興ざめ。

ただし妹と母親は「お気に入り」らしい。
客の数もそこそこいたことを思えばそのあたりが「世間並み」なのか。

深夜女子ゴルフ全英オープンを観る。

イギリスの天候の変化の激しさをあらためて感じる。
シン・ジエの機械のような正確さが際立つ内容。

以前から「資質の素晴らしさ」を讃えられていた
宮里美香の「今ひとつさ」は記憶にとどめてよさそう。

最後に「意地」を見せたポーラ・クリーマーはさすが。
それにしてもゴルフ界における韓国勢の強さよ。

ベテラン、カリー・ウェブの頑張りも記憶に残る。
どうでもいいことだが小林浩美っていつのまにか「会長」になってたのね。

一方。

妹の子どもがこちらの勧めた「ブレードランナー」を観た後で
「内容が全くわからなかった」というメールを送ってくる。

「読解力に問題がある」と返事したところ
どうやらナレーションの入ってないヴァージョンを観たせいらしいとわかる。

とりあえず「ナレーションのあるのを観ろ」と言っておく。
それでも「読解力」に問題はありそうな気がしなくもないのが残念。

なるほどシネコンで吹替版のみを上映するのもわかるというもの。
個人的には「字幕が読めない人はダメ」と思っているのだがこれもまた「反時代的」なのだろうか。
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