退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『原っぱ』という場所があった過去と自覚のない『魅力』ゆえに翻弄される女子の姿」について

2021-04-30 03:02:31 | Weblog
雨。終日降るが深夜に止む。

橋本治「『原っぱ』という社会がほしい」を読む。

自分が子どもの頃には確かに「原っぱ」があり。
そこでいろんな遊びをしたことを思い出した次第。

あの頃の「楽しさ」を絶対に忘れないこと。
こんなに素敵な作家がなぜか「無視」され続けたことも。

実は「ルール」など「その場限りのもの」であること。
嗚呼。

鈴木清順「河内カルメン」(’66)を観る。

野川由美子の「野人ぶり」が何ともいい感じ。
「鄙には稀な存在」が評価されてしまう「現実」よ。

彼女を好きになる冒頭の佐野浅夫が気にかかる。
「ぼん」和田浩治の「関西弁」のインチキぶりも。

「友だち」としての川地民夫がなかなかに趣き深い。
バーの同僚松尾嘉代や「先生」楠侑子も同時に。

嵯峨善兵の「変態ぶり」がいやはや。
桑山正一の「生臭坊主」たるや。

何より宮城千賀子の母親の「どうしようもなさ」が。
「性」をめぐる「世界」に放り出された女子の姿を確認しよう。
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「クドさが鼻に付きはじめた小説と『フィリピンのスラム街のリアル』を描いた映画」について

2021-04-29 02:53:31 | Weblog
くもりのち雨。深夜まで降る。

プルースト「失われた時を求めて11 囚われの女Ⅱ」を読む。

「私」の「自家中毒ぶり」にはそろそろ飽きてきたかも。
実は「囚われの男」だったり。

シャルリュス男爵のそれの結果が今回は趣き深い。
アルベルチーヌがようやく「私からの脱出」を。

本作は「ダレ場」だと思うくらいがよさそう。
いずれにしても「『自分』しかない人々」の姿よ。

この後にどのような展開があるのか。
もうちょいとドラマチックなものを期待するのだが如何に。

ブリランテ・メンドーサ「ローサは密告された」(’16)を観る。

フィリピンの「スラム街の実態」にふむふむ。
「揺れるキャメラ」と「稲光りする空を電線が区切るショット」が印象に残る。

生き延びるために覚醒剤を売る家族が密告され。
両親の釈放のために子どもたちは努力するのだがというお話。

ローサのジャクリン・ホセの存在感が圧倒的。
なるほどカンヌで主演女優賞を獲るだけのことはある。

ただしラストが微妙。
とはいえそのことが本作を「バズらせる仕組み」のような。

いかにも欧州で受けそうな「警察の腐敗ぶり」とかの地の「現実」。
「ドキュメンタリー」な描写が続く中。

「腐敗警官」も「ローサ」も「堂々巡り」をするのを覚えておこう。
「解決のための答え」はないというメッセージを受け取った次第。
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「あれこれ教えてくれる著者と『貧しい環境』を生きた結果あるいは『天才アーティスト』の映画とそうした『伝説』を作ってしまうドキュメンタリー」について

2021-04-28 02:18:49 | Weblog
晴れときどきくもり。だったはず。

昨日はまた眠くなって寝てしまう。

「家族ゲーム」での疲れゆえか。
いつもと違う時間に起きて行動するとそうなる模様。

町山智浩「『最前線』の映画」を読む。

あれこれ観た映画の中にそういう「意味」があったのかと。
キリスト教の影響の大きさをあらためて。

ただし。
その種の「前提」が他者に伝わるかどうかについての「鈍感さ」たるや。

今回もあれこれ教えてもらった次第。
そのことは素直にありがたいのみ。

園子温「自殺サークル」(’02)を観る。

今となっては何とも贅沢なキャスト。
石橋凌、長瀬正敏、麿赤兒、さとう玉緒、宝生舞、ROLLY、嘉門洋子、余貴美子に加え。

北見敏之、金子貴俊、岡安泰樹、田中圭、林家たいへい、蛍雪次郎の姿など。
放送作家の倉本美津留が顔を出したりもしていて。

およそ20年前の「アイドルの姿」がいかにも安く。
個人的にはミツコの萩原明の「不敵な顔」が印象に残る。

「勝手に生きろ」というメッセージが最後に。
個人的にはほぼ自動的にそうしている次第。

谷本真由美「脱!暴走老人」を読む。

著者は相変わらず「ヨーロッパの『好ましい基準』」を示している。
「自分が楽しむこと」を「最優先にする当然」がないわが国の人々には「響く」のか。

「会社がすべて」という「貧しい環境」を生きた「老人たち」の現実の結果。
いたずらに「孤独」を抱えて「不全感」ゆえに「暴走する姿」はほぼ「ネトウヨ」。

つまり「ネトウヨの『先輩』」がこうした人々であることを覚えておこう。
「横のつながりのない男子のダメな姿」だと思ってもよさそう。

大島新「園子温という生きもの」(’16)を観る。

かの監督の姿がここに。
「表現者であること」以外は「どうでもいい」という姿にふむふむ。

妻である神楽坂恵(園いづみ)が過去の作品を撮った時の状況を思い出して泣く。
「アーティストである夫」については理解を示しているけれど。

ある種の才能を持った人物が「極道」であることをあらためて。
その最たるものはピカソだったり。

俳優の染谷将太や二階堂ふみからすれば「好ましい存在」。
もっとも彼ら彼女らは監督の「日常」に接することはなく。

「破綻者」としてのアーティストを描く本作は「天才伝説」をいたずらに持ち上げる趣き。
たとえば横尾忠則はアート以外に関しては「常識人」なので。
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「残念な家族であることと事情はわかるが『プロパガンダ』な映画」について

2021-04-26 03:04:34 | Weblog
晴れ。終日風強し。

「早起き」して藤を観る「ツアー」に連れて行かれる。

その途中で「残念な叔母」の「食料供給」もしつつ。
何だかんだで時間を奪われ。

ギリギリで図書館の閉館に間に合う。
ただし本は借りられたが読めないままに終わった次第。

母親と上の妹は「同類」でやたらに「家族ゲーム」をしたがる。
実はその原因が「家族以外は信じられない」という「不信」にあるのでは。

あれこれメンドくさいこと夥しい。
いずれも「悪い人」ではないのだが「残念な人」と言うべきか。

もっとも自分もその種の「批判」を免れず。
「厄介な家族」だということでよろしく。

スパイク・リー「インサイド・マン」(’06)を観る。

デンゼル・ワシントン、クライヴ・オーウェン、ジョディー・フォスター、
クリストファー・プラマー、ウィレム・デフォーという豪華キャスト。

「過去の悪事」を秘密にして「名士」になっている人物への「告発」。
それが「銀行強盗」というかたちでないと「明らか」にならず。

要は「肝心なことは常に知らされない」という指摘だと思ってよさそう。
繰り返すが「under control=支配下」にあるわれわれについて。

その事実を公開するためには「犯罪」もやむなしだと。
相変わらず「強烈なメッセージ」を訴えるかの監督よ。

犯人たちが決して人を殺さないことを覚えておこう。
「人質の誰もが犯人だと思われる服装」をする描写が意味深。

ただし「物語と映像の魅力」があるかというと微妙。
映画が「プロパガンダ」になってしまってはつまらないから。
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「嫉妬をもたらすのは『自分の認識』でしかないこととコロナに関する『真っ当な情報』あるいは微妙なホラー映画」について

2021-04-25 02:36:00 | Weblog
くもりときどき晴れ。今日もおだやか。

「失われた時を求めて 10 囚われの女」読了。

「自分」という限られた存在の中での「嫉妬」の繰り返し。
この「病気ぶり」をあらためて。

「マロニエの木」なども登場して「サルトルの先駆け」だとも。
「真実」を求めながら求められるわけもない「地獄=世界」。

いったん「疑うこと」を知ってしまえばそれはどこまでも「広がる」だけ。
「すべてを知ること」など出来ないからわれわれは「神」を造ったのに。

マル激を観る。

われわれが知らない「世界」ではすでにコロナに対する「グローバルな仕組み」が出来ていて。
「公的資金」が投入された結果出来たワクチンに「知財権」が主張されたりする「矛盾」よ。

「儲け」が確定した世界的製薬会社がそれを言う愚たるや。
元々は「アフリカの子どもたち」を救うための仕組みだったのだけれど。

ノーベル賞受賞者や元首相や元大統領たちが「コロナ鎮圧」まではそれを言うなと。
バイデンに訴えたという事実も初めて知った次第。

それにしてもなぜこうした「情報」が「普通」に伝えられないのか。
同時に「非常時」にまともに対応できないわが国の姿をあらためて。

ゲスト稲葉雅紀が教えてくれる情報に敏感でいたいもの。
「世界」で「普通」に使われている「契約済みのワクチン」を使えない「事実」についても。

コリン・ハーディ「死霊館のシスター」(’18)を観る。

バチカンも登場しての「悪魔祓い」の物語。
「河北麻友子」をピュアにしたようなタイッサ・ファーミガの魅力が基本。

ラストの「工夫」はどうなのか。
「観客の予想」をちょいとハズしたつもりのようだが微妙。

「悪魔のシスター」の描写も同様に。
フレンチーと主人公が「互いに好ましく思う」設定もいやはや。

そもそも「悪霊」に銃が通用するのは何故という大きな疑問など。
舞台は「ドラキュラの故郷」であるルーマニアではあるのだが。
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「脳内独語の古典小説といささか微妙なリメイク」について

2021-04-24 02:31:20 | Weblog
晴れ。おだやか。

プルースト「失われた時を求めて 10 囚われの女」を途中まで読む。

どうしてこんなに速く読めてしまうのだろうと思ったのだけれど。
本書は「脳内独語」を再現しているからだということに気付く。

そこには「時計で測るような時間」は存在しない。
ただひたすら「流れる」だけだから。

これまた明日読了予定。
いよいよ「第3コーナー」を曲がりつつある趣き。

クリス・アディソン「ザ・ハッスル」(’19)を観る。

本作がフランク・オズ「だまされてリヴィエラ」(’88)のリメイクだと知ってふむふむ。
マイケル・ケインとスティーヴ・マーティンを女性に変えて。

プロデューサーでもあるレベル・ウィルソンの目の付け所の「勝利」。
ただし個人的にはアン・ハサウェイに魅力を感じないのでそこが残念。

お肉たっぷりの「可愛い女子」の魅力をあらためて。
「just the way you are=あなたのままで」という言葉を思い出した次第。

冒頭のアニメーションが好ましい出来。
もっともオリジナルに比べると内容は微妙だったり。

とはいえそれを知らなければ楽しく観られることは確か。
というわけで是非ともオリジナルを観るべしと言っておく。
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「不思議な生きものと微妙な魅力のあるB級映画」について

2021-04-23 02:39:38 | Weblog
晴れ。日差しが熱い。

サラ・ローリー「タツノオトシゴ図鑑」を見て読む。

「タツノオトシゴ」は「海馬」で英語でも「seahorse」。
ギリシャ語で「馬」を意味する「hippo」と「海獣」を意味する「kampos」が属名。

元々「真っ直ぐ」だった身体がなぜか途中から「垂直」に。
「圧力の差」によって獲物を吸い込む仕組みよ。

各国の神話に登場したり漢方薬として使われたりも。
何とも魅力的なその姿ゆえか。

その仲間であるリーフィー・シードラゴンはやはり印象に残り。
こうした生きものが生まれてしまう「自然の不思議さ」たるや。

フェルナンド・ディ・レオ「ミラノカリプロ9」(’72)を観る。

「物語の結末」は途中でわかる内容。
犯罪のプロフェッショナルが足元を掬われてしまう。

前半の「ダルさ」はラストを盛り上がらせるための「仕組み」か。
なるほどタランティーノが好きそうな「B級映画の魅力」。

「昔ながらのやり方」を貫く警察本部長と「犯罪の温床に対する手当て」を説く部下の姿など。
いかにも当時の「イタリアらしさ」が感じられる次第。

主人公ウーゴの恋人ネリーの部屋のデザインが素敵。
当初は敵対しているロッコの「行方」も忘れずに。

微妙にボヤけた街の姿のショットも覚えておこう。
地面から見上げるように人物を捉えるそれも同時に。
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「残念な本と実に素敵な映画」について

2021-04-22 02:29:55 | Weblog
晴れ。汗ばむ陽気。

トム・ヴァンダービルト「好き嫌い 行動科学最大の謎」を読む。

「早川書房」だからと思って信頼していたのにあにはからんや。
何とも「散漫な内容」が延々と続くのみ。

ビッグデータを集めれば「個人の好み」はわかるだろう。
ただしそれは「なぜ好き嫌いが生まれるのか」の説明にはならず。

著者は「それなりの教養の持ち主」ではある模様。
興味を引かれる部分がほとんどないのが残念。

アルフレッド・ワーカー「夜歩く男」(’48)を観る。

ロサンゼルス警察は警官殺しの犯人を探るもののなかなか正体が掴めず。
警察無線をカバーしている犯人は捜査の先手を打つのみ。

音楽が目立たない「セミ・ドキュメンタリー」にふむふむ。
「地下水道」がポイントだったり。

犯人役のリチャード・ベイスハートはフェリーニ「道」(’54)の道化役が有名。
ブリーン警部のロイ・ロバーツの風貌が好ましく。

本作はアンソニー・マンが撮ったシーンが魅力的。
撮影ジョン・オルトンのモノクロ映像が何ともシャープで。

犯人に襲われた人々を集めて「似顔絵」を作る設定が古臭いけれどなかなか。
なにより「79分」という「描写の経済」よ。

アンジェイ・ワイダの「地下水道」は本作の8年後に。
もっともこちらは「戦争絡み」だけれど。
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「アーティストを育てる場所としてのライブハウスとジョン・ウーの中国絡みのリメイク」について

2021-04-21 02:51:09 | Weblog
晴れ。あたたかく穏やか。

平野悠「定本ライブハウス『ロフト』青春記」を読む。

「アーティストを育てる場所」としての「ライブハウス」。
かつてそういうものがあったことを覚えておこう。

「学生運動の過去」ゆえまともに就職できなかった著者の「歴史」。
「浅間山荘事件」に知った顔があったとのこと。

「流行の最先端にいたい」という気持ちと若さが成した結果よ。
ジャンルを問わず著名なミュージシャンたちがここから。

「世の中に対する反抗」とかはなくなり。
「センスの良さ」のみが評価されることになった現代からすると趣き深い。

かくも「劣化した現実」を著者はどのように捉えているのだろう。
「祭りがあった時代」からするとということでよろしく。

ジョン・ウー「マンハント」(’17)を観る。

原作西村寿行・監督佐藤純彌「君よ憤怒の河を渉れ」(’76)のリメイクらしい。
倉田保昭の「現在」を確認した次第。

國村隼が全体を締め。
福山雅治と「相棒」桜庭ななみの関係がいい感じ。

オリジナルの主演が高倉健ゆえのリメイクか。
なるほど遠波真由美役のチー・ウェイは若き日の中野良子に似ている。

竹中直人、斎藤工、池内博之、田中圭、吉沢悠、矢島健一ら。
個人的にはドーンのアンジェルス・ウーが好ましく。

主役のチャン・ハンユーにはそれほどの魅力を感じられず。
「健さん」と比較されたら劣ること間違いなしだから可哀想ではあるものの。

「男たちの挽歌」(’86)のシャープさはなく。
アクションそのものはそこそこだけれど。

大阪の街の描写はリドリー・スコット「ブラック・レイン」(’89)とは異なる「当然」。
もちろん「リアルに近い」のは本作。
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「『夢』に憑りつかれる人々と『貧しさ』ゆえ沸騰してしまう人」について

2021-04-20 02:37:48 | Weblog
晴れ。夜はまだ冷える。

アーサー・オードヒューム「永久運動の夢」を読む。

「永久運動」に憑りつかれた人々の群れよ。
それが「不可能」だと知らぬままに。

そこには「詐欺師」も含まれ騙された人々も少なくなく。
もっともやがて「バレるケース」も多々あった模様。

科学者から全くの素人までのあれこれ。
われわれの「愚かさ」をあらためて思い出したいもの。

ドゥニ・ヴィルヌーヴ「静かなる叫び」(’09)を観る。

1989年カナダのケベック州モントリオール理工大学で起きた銃乱射事件をモチーフに。
モノクロの映像の中では雪が積もった木のショットが記憶に残る。

いたずらに「フェミニスト」を敵視する犯人の姿を覚えておこう。
彼が言うところのそれは「技術系の仕事を目指す女子」だったり。

生き延びたヴァレリーと負傷者を助けようとしたジャン・フランソワの「その後」も。
かの国でもこんなことが起きてしまうことに驚く。

さまざまな「事情」で追い詰められてしまう人々への手当てをもっと。
その一方でやはり「銃規制」はどう考えても必要だろう。

「誰もが簡単に銃を手に入れられる環境」があることの「罪」について考えないと。
いったん「狂って」しまったらいつでも「乱射」は起きるのだから。

「虐待」を受け「女性蔑視」を植え付けられた犯人は同大学への受験に失敗。
そうした「過去」から「技術系を目指す女子」ゆえに自分が「排除」されたと思った模様。

「貧しさの連鎖の結果」がここに。
何ともはやと言うよりない事件に基づいた作品。
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