晴れのちくもり。午後から雷鳴とお湿り程度の雨。
図書館へ行く途中にちょいと降り始め「昼なお暗い」ことに。
帰り道に降られるもののむしろ「暑さしのぎ」といったところ。
烏賀陽弘道「フェイクニュースの見分け方」を読む。
取材するメディアが権力と緊張関係にあるのは当然。
「圧力」などなく実は「自己規制」が問題だという指摘は真っ当か。
「記者としてのリテラシー」をあらためて教えてもらった次第。
「事実だけを重んじること」の重要さも同様に。
たとえそれが「普段は信用している相手」だったとしても。
敢えて「斎藤美奈子」を例として。
詳細は本書まで。
この「徹底ぶり」は好ましい。
もちろん「本書」も「参考意見」にすぎないことを忘れずに。
マル激を観る。
今回のゲストは経済学者の金子勝。
経済がヤバいことになっているという内容。
「現在の糊塗」のために「未来が失われている」と。
何事かが「ダメになる時」にそれが異様に「持ち上げられること」を思い出したいもの。
つまり「わが国が素晴らしい」と言われるのが流行る時はほぼ「終わりの時」だということ。
そのことだけは十分に理解しているつもり。
残念ながら「経済のあれこれ」については心許なく。
例えばソフトボールのワールドカップが象徴的ではないか。
勝つためには上野を交代させるべきだったのは確か。
それを「二試合連続の熱投」という「物語」でフイにしても平気な「体質」よ。
なんだこの展開はと思うのみ。
「現実を無視する采配」がここでも。
どこまで「現実を受け入れないこと」が「当然」になっているのだろう。
なるほどわが国は「パラダイス」。
この「物語もしくは祭り好き」をどうにかするためには「賢くなる」しかないのだとして。
「祭りの後」に待っているのが何かを見据える目を持とう。
「希望的観測」が「失敗」をもたらすことぐらいは知っておかないとどうにも。
たとえそれが「あとワンアウト」だとしても。
相手の力をきちんと理解していれば「一寸先は闇」。
それをヒシヒシと感じられないようでは「現実」に対応しようもなく。
繰り返すが「祈り」は「人事を尽くした後」のお話。
「祈ればどうにかなるもの」ではないのでよろしく。
この種の「バカバカしさ」が各地にあふれて久しい。
これまた繰り返せば「束の間のカタルシス」は「未来」を殺す。
「甲子園での連投」が投手の肩を壊す「原因」であることを忘れずに。
彼の人生に影響を与えているのが「われわれの感覚」だとしたら。
アメリカの投手陣の豊富さと比べてわが国はふたりのみ。
「物量で負けたかつての戦争」を思い出すことしきり。
何より他人を祀り上げてスッキリする前に
「自分の人生」をもっとしっかり生きることが重要なのだと思われるのだが如何。
「大きなもの」にすがる前に「小さなことからコツコツと」。
いやはやここに来て西川きよしが「正しい」のだとは。
「実力」を確かにしないままに「祈りを基本とする物語」に依存するのは止めないと。
いわゆる「ワンチャン=ワンチャンス」など永遠に来ないのが「事実=現実」。
図書館へ行く途中にちょいと降り始め「昼なお暗い」ことに。
帰り道に降られるもののむしろ「暑さしのぎ」といったところ。
烏賀陽弘道「フェイクニュースの見分け方」を読む。
取材するメディアが権力と緊張関係にあるのは当然。
「圧力」などなく実は「自己規制」が問題だという指摘は真っ当か。
「記者としてのリテラシー」をあらためて教えてもらった次第。
「事実だけを重んじること」の重要さも同様に。
たとえそれが「普段は信用している相手」だったとしても。
敢えて「斎藤美奈子」を例として。
詳細は本書まで。
この「徹底ぶり」は好ましい。
もちろん「本書」も「参考意見」にすぎないことを忘れずに。
マル激を観る。
今回のゲストは経済学者の金子勝。
経済がヤバいことになっているという内容。
「現在の糊塗」のために「未来が失われている」と。
何事かが「ダメになる時」にそれが異様に「持ち上げられること」を思い出したいもの。
つまり「わが国が素晴らしい」と言われるのが流行る時はほぼ「終わりの時」だということ。
そのことだけは十分に理解しているつもり。
残念ながら「経済のあれこれ」については心許なく。
例えばソフトボールのワールドカップが象徴的ではないか。
勝つためには上野を交代させるべきだったのは確か。
それを「二試合連続の熱投」という「物語」でフイにしても平気な「体質」よ。
なんだこの展開はと思うのみ。
「現実を無視する采配」がここでも。
どこまで「現実を受け入れないこと」が「当然」になっているのだろう。
なるほどわが国は「パラダイス」。
この「物語もしくは祭り好き」をどうにかするためには「賢くなる」しかないのだとして。
「祭りの後」に待っているのが何かを見据える目を持とう。
「希望的観測」が「失敗」をもたらすことぐらいは知っておかないとどうにも。
たとえそれが「あとワンアウト」だとしても。
相手の力をきちんと理解していれば「一寸先は闇」。
それをヒシヒシと感じられないようでは「現実」に対応しようもなく。
繰り返すが「祈り」は「人事を尽くした後」のお話。
「祈ればどうにかなるもの」ではないのでよろしく。
この種の「バカバカしさ」が各地にあふれて久しい。
これまた繰り返せば「束の間のカタルシス」は「未来」を殺す。
「甲子園での連投」が投手の肩を壊す「原因」であることを忘れずに。
彼の人生に影響を与えているのが「われわれの感覚」だとしたら。
アメリカの投手陣の豊富さと比べてわが国はふたりのみ。
「物量で負けたかつての戦争」を思い出すことしきり。
何より他人を祀り上げてスッキリする前に
「自分の人生」をもっとしっかり生きることが重要なのだと思われるのだが如何。
「大きなもの」にすがる前に「小さなことからコツコツと」。
いやはやここに来て西川きよしが「正しい」のだとは。
「実力」を確かにしないままに「祈りを基本とする物語」に依存するのは止めないと。
いわゆる「ワンチャン=ワンチャンス」など永遠に来ないのが「事実=現実」。