退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

’18 盆休み2

2018-08-13 01:01:04 | Weblog
晴れのちくもり。午後から雷鳴とお湿り程度の雨。

図書館へ行く途中にちょいと降り始め「昼なお暗い」ことに。
帰り道に降られるもののむしろ「暑さしのぎ」といったところ。

烏賀陽弘道「フェイクニュースの見分け方」を読む。

取材するメディアが権力と緊張関係にあるのは当然。
「圧力」などなく実は「自己規制」が問題だという指摘は真っ当か。

「記者としてのリテラシー」をあらためて教えてもらった次第。
「事実だけを重んじること」の重要さも同様に。

たとえそれが「普段は信用している相手」だったとしても。
敢えて「斎藤美奈子」を例として。

詳細は本書まで。

この「徹底ぶり」は好ましい。
もちろん「本書」も「参考意見」にすぎないことを忘れずに。

マル激を観る。

今回のゲストは経済学者の金子勝。

経済がヤバいことになっているという内容。
「現在の糊塗」のために「未来が失われている」と。

何事かが「ダメになる時」にそれが異様に「持ち上げられること」を思い出したいもの。
つまり「わが国が素晴らしい」と言われるのが流行る時はほぼ「終わりの時」だということ。

そのことだけは十分に理解しているつもり。
残念ながら「経済のあれこれ」については心許なく。

例えばソフトボールのワールドカップが象徴的ではないか。

勝つためには上野を交代させるべきだったのは確か。
それを「二試合連続の熱投」という「物語」でフイにしても平気な「体質」よ。

なんだこの展開はと思うのみ。
「現実を無視する采配」がここでも。

どこまで「現実を受け入れないこと」が「当然」になっているのだろう。
なるほどわが国は「パラダイス」。

この「物語もしくは祭り好き」をどうにかするためには「賢くなる」しかないのだとして。
「祭りの後」に待っているのが何かを見据える目を持とう。

「希望的観測」が「失敗」をもたらすことぐらいは知っておかないとどうにも。
たとえそれが「あとワンアウト」だとしても。

相手の力をきちんと理解していれば「一寸先は闇」。
それをヒシヒシと感じられないようでは「現実」に対応しようもなく。

繰り返すが「祈り」は「人事を尽くした後」のお話。
「祈ればどうにかなるもの」ではないのでよろしく。

この種の「バカバカしさ」が各地にあふれて久しい。
これまた繰り返せば「束の間のカタルシス」は「未来」を殺す。

「甲子園での連投」が投手の肩を壊す「原因」であることを忘れずに。
彼の人生に影響を与えているのが「われわれの感覚」だとしたら。

アメリカの投手陣の豊富さと比べてわが国はふたりのみ。
「物量で負けたかつての戦争」を思い出すことしきり。

何より他人を祀り上げてスッキリする前に
「自分の人生」をもっとしっかり生きることが重要なのだと思われるのだが如何。

「大きなもの」にすがる前に「小さなことからコツコツと」。
いやはやここに来て西川きよしが「正しい」のだとは。

「実力」を確かにしないままに「祈りを基本とする物語」に依存するのは止めないと。
いわゆる「ワンチャン=ワンチャンス」など永遠に来ないのが「事実=現実」。
コメント
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