退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「文化交流」について

2014-07-30 02:23:26 | Weblog
晴れ。暑さはそれほどでもなく。

秋尾沙戸子「スウィング・ジャパン」を読む。

副題は「日系米軍兵ジミー・アラキと占領の記憶」。
彼は戦後の日本のジャズメンたちに「本場のジャズ=ビ(-)バップ」を教えた模様。

南里文雄やビッグ・フォー(ジョージ川口・松本英彦・小野満・中村八大)
渡辺貞夫や日野皓正、宮間利之など。

ライオネル・ハンプトンに誘われるほどの腕を持ちながら
ハワイ大学で文学研究をする道を選ぶというのが「複雑」な印象。

個人的にはジャズにまつわる話を興味深く読んだものの
「幸若舞」の研究などに関わる後半はいささか「流した」感じになった。

ただし「日系」の才能にあふれた人物が
いろんな面で日本の文化に影響を与えているという視点はなかったのでふむふむ。

戦争はこんなところにも作用しているのか。
あらためて考えてみればそれは「巨大な交通=やりとり」ではある。

さて。

たとえばクリント・イーストウッドのように
「映画」という形でわが国から「勲章」をもらう人もいる。

勲章そのものはどうでもいいのだけれど
アメリカに対してそのような「好ましい影響」を与えた日本人はいるのだろうか。

映画絡みならかつては早川雪州がいた。
現代ではどうなのだろう。

おそらくそうした「お付き合い=交通」こそが楽しく
味わい深いものになると思われるのだけれど。
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「『外』から見た社会」について

2014-07-29 02:28:40 | Weblog
晴れ。なぜか風が涼しい。

末井昭「自殺」を読む。

偶然図書館で見かけたので借りてきたもの。
新聞か何かで賞を取ったという記事を読んだばかりだったので。

パチンコ雑誌の編集者でずいぶん変わった人だとは知っていたけれど
「『純真な蛭子能収』のような人」だという印象。

「どうしても死にたいと思う人は、まじめで優しい人たちなんです。」
つい先頃まで年間三万人を超えていた自殺者たちを著者はそう表現する。

彼ら彼女らを「切り捨てる社会」を浮き彫りにした格好で
「社会的包摂」の重要性をあらためて思わせる内容。

当然の事だが「年間の自殺者が三万人以上」というのはどう考えても異常事態。
それが確か十年以上続いていたのだからなおさらおかしいはず。

ところが「社会」は何事もなかったかのように続いていて
あの3・11でさえ忘れ去られようとしている始末。

そのような「社会」とはいったい何なのかということを考えさせつつ
「望ましい社会のかたち」を思い出させる「きっかけ」としては最適。

「自殺」という一見ネガティブな行為に対して
こういう受け止め方もできるんだということがわかると「違う世界」が現れるはず。

できれば「視野狭窄」には陥りたくないもの。
もちろん視点は本来人の数だけあっていい。

どうせ生まれたんだから
いろんなものが見てみたい。

それだけのためでも生きている価値はあるだろう。
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「倫理という知性」について

2014-07-28 02:37:06 | Weblog
くもり。ちょいと降ったり晴れ間も見えたり。

石川結貴「誰か助けて 止まらない幼児虐待」を読む。

幼児虐待における「負の連鎖=虐待された者は繰り返す」というのは
必ずしも正しくないことを知るのは重要。

興味深いのは幼児を自分と「対等」だとみなす「認知のずれ」。
だからこそ「言うことを聞かない」と「悪意」を感じてしまうこと。

「過酷な現実」に対処する人の意識や法律が追いついていないのもポイント。
繰り返すが「子ども」は「みんな」で育てよう。

深夜マル激を観る。

3・11の経験が「なかったこと」にされる「現実」よ。
防災計画もない「チェック」を誰が認めるというのか。

官僚の「お手盛り人事」による原子力規制委員会の判断がいたずらに「根拠」とされて。
今回のメンバー交代はそれがさらにヒドいことになっている模様。

ただしそれを許しているのは「専門家におまかせ」のわれわれでもある。
とはいえ「技術」の詳細が分からなくても「利益相反」はわかるはず。

要は「金をもらっているスポンサー」にはあれこれ言えないということ。
そういう人間が平気で「規制委員会」のメンバーになっているのだから。

原発が産業のない地域に造られていることをあらためて意識しよう。
「目先の金」のために「国土を失う」ことになることがあるというのが3・11の「経験」のはず。

「学習能力」があるのかどうかわれわれは試されている。
たとえ「貧乏」でもそれだけはしないという「倫理」も同様に。

その種の「知性」さえ持てないなら
われわれはほとんど生きる意味がないのだと言っておく。
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「慣習とお願い」などについて

2014-07-27 02:41:36 | Weblog
晴れ。今日もそこそこ暑い。

本切れで古本屋へ行き
以前読んだものと知りつつ100円で買って読む。

さすがにあっという間に読んでしまい
あとはしばしボーッとする。

仕事終わりがちょいと遅れたもののクインビーへ。

ニューボトルを入れてマスターのお子話を楽しく聞く。
後でやってきたのは若いカップル一組のみ。

男子が相当口説いている様子が伺えたので
「さっさとくっつけばいいのに」と余計なことを思いつつ。

さらに繰り返すが全国のクインビーファンはもっと店に通っていただきたい。
このところ夜がかなりヒマな模様。

個人的にはマスターとの会話が楽しいとはいえ
営業面で苦しいのは気がかり。

猛暑が続いているせいで普段の客もビアガーデンへ行ったのか。
その帰りにきちんと寄るようにお願いしたい。

帰宅後さすがに汗でベトベトなのでシャワーを浴びる。
さっぱりして飲み直す。

明日は二週間ぶりの図書館なので
きちんと吟味して借りてきたいもの。

とはいえその場の感じで失敗することも少なからず。
なんだか「ナンパ」に似ていなくもないが実際にその種の経験は皆無。

少なくとも漢籍を借りることは続けるつもり。
「浮世離れ」が基本なのでよろしく。
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「秘訣」について

2014-07-26 02:05:05 | Weblog
晴れ。猛暑。

仕事場のエアコンが効かないほど。
もっとも相当型が古いので致し方ないかも。

二十数年以上エアコンなしで暮らした身としてはどうということなし。
エアコン生活に慣れきった身には辛そう。

ただ今後造られる建物の屋上はすべてにするといった程度の条例は
どこの町にもあっていいかもしれない。

あるいは断熱効果のある新たなかつ無害な建材の開発も期待される。
「技術」はこうした場所にこそ使われるべきだろう。

いたずらに高層ビルを造っている場合か。
人が落ちついて暮らせる環境を整えることが重要。

「白楽天詩選(下)」読了。

後半はあまり「成果」なし。
いささか作品が多すぎるのが原因か。

漢字は「喚起力」が強いだけに
反復されすぎるとすぐに「紋切型」になるきらいがある。

「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」だとすれば
どこでも求められるのは「中庸」。

その上でちょっとだけ「プラス」が勝っていれば言うことなし。
ちょっと「マイナス」が勝っていても文句はなし。

「持続可能」は「過剰」でも「過少」でもダメ。
無理せず繰り返せる生活を同じように続けること。

まるで「夫婦の秘訣」のようだと思うと可笑しい。
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「知足と自由」について

2014-07-25 01:58:29 | Weblog
『晴れ。今日も暑い。

「白楽天詩選(下)」を読み始める。

白文にもずいぶん慣れてきたようでのんびりと詩の世界に浸れる感じ。
それにしても初めて見る漢字の数々よ。

ただその「凝縮」はむしろ好ましく
意味を知ってしまえば誰もが「読みやすい」ものではある。』と書いて昨日は寝る。

引き続き読み進める。

ところどころ引っかかる表現はあるものの(上)ほどではなく。
後半生は息子の死を別にすればかなり満足できるものだったよう。

ただ「知足=足るを知る」というのには納得。
誰もがそう思うことができればいいのだが所詮無理筋ではある。

さて。

「現在の自分=個性」と思っている人間には「時間」の観念がない。
「時間=変化」を拒絶したところに成長はなくそもそも「個性」は他人が認めるもので。

なぜ「自分などたかがしれている」と思えないのかというと
その「事実」を認めるとすべてが「崩壊」するから。

実は「崩壊」こそが「変化」をもたらすことも知らず。
一度もその種の経験がない者はいたずらに怖れてばかり。

さらに「小心」の裏返しとしてやたら大きな「声」を出す。
「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせつつ。

「底」を打てない者は上がることもない。
「事実」は常に味気なく「無情」だったりするのだけれど。

無論そうしていたければそれはそれでいい。
「自由」とはそういうもの。
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「変幻自在」について

2014-07-23 02:47:30 | Weblog
晴れ。やや雲多し。

「白楽天詩選(上)」読了。

「琵琶引」が物語としてキレイ。
作家上林暁の名前の由来は「聞早鶯」にあった模様。

ある種の「自己紹介」とも言うべき
「香鑪峰下、新置草堂、卽事詠懐、題於石上」が軽快。

「劉十九同宿」の「紅旗破賊非吾事」が
藤原定家によって「紅旗征戎は吾が事に非ず」に改変されたとのこと。 

「弄龜羅」における「好々爺ぶり」も微笑ましく
「東南行一百韻」の第四段での仲間との歓楽はいかにも楽しそう。

杜甫や李白、陶淵明らへのオマージュもあり
そこには自らの才への自負も感じられて。

なるほどこの「変幻自在」が先人たちに愛された所以かと思い至る。
下巻を楽しみにしよう。

そこで唐突に思い出したのが「多羅尾伴内」。
「七つの顔を持つ男」として古くは片岡千恵蔵、小林旭によって演じられたのは映画。

マンガだと小池一夫&石森章太郎の作品があったはず。
現代だとこのリメイクは無理筋だろうか。

千恵蔵も旭もどう見ても本人でしかなく
これで周囲が煙に巻かれるのが逆に面白かったような記憶があるのだが。

「七つの顔」(’46)がyoutubeにあったので
興味のある向きはどうぞ。

若き轟夕起子はどこか原節子に似ている。
千恵蔵の声はまるでヘリウムガスを吸ったような感じもしなくはない。
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「いい気なものとスタンス」について

2014-07-22 01:36:52 | Weblog
晴れ。暑さはそこそこ。

久方ぶりに早朝から出かけるものの。

出来れば朝早くから働きたくないので
ちょいと「ベテランの主張」を仕事場で通してもらった結果。

今年は「季節労働」がずいぶん楽なものになりそう。
もちろん収入はいささか減るものの個人的にはむしろありがたいこと。

「生活」はいつも「同じもの」であるのがいい。
どうやらその種の「根気よさ」はありそうなので。

「ワーキング・プア」でものんびり暮らしたい気持ちに変わりはなく。
物欲はないしそれで十分。

いつまで「寄生」するのかと聞かれたら
内田樹に倣って「ひとりでは生きられないのも芸のうち」だと答えておく。

全くいい気なものだと笑わば笑え。
「生活」にはあまり興味がないだけ。

今後も「下等遊民」として暮らしていくはず。
「ご縁」があったらよろしくお付き合いを。

今日は地元の祭りの日。

いつもより仕事が早く終わったせいで大勢の人々が帰るのに出くわす。
威勢のいい若者や楽しそうな親子連れで道が塞がれる中隙間を見つけ早足にて帰宅。

花火はすでにクライマックスを過ぎ
露店から漂う甘い香りにいくぶんゲンナリ。

子どもの頃から気が付くといつもこのスタンスにいる。
「見送る人」とでも言えばいいのか。

というわけで皆さんお幸せに。
こちらは適当にやってますから。
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「つまらないこと」について

2014-07-21 01:30:21 | Weblog
快晴。ほぼひきこもり。

マル激を観る。

「思い通り」になることはつまらない。
ところがそうでもないように思う感覚が育てられている模様。

時間と金をかけさえすれば勝てるゲームの横行とか。
そこに自分の「頭脳もしくは技術」は介在しない。

ならばそんな「自分」とは何かと疑問に思い始めるのが当然なはずだが。
それはただの「操られる駒」ではないのか。

たとえばハッカーのそもそもは「管理されることへの抵抗」だったはず。
それがいつのまにか「壁を打ち破ること」そのものが目的になってしまい。

古典的な問題設定であるとはいえ
「目的と手段のはき違え」がそこにはある。

あなたは一体何がしたいのか。
そう問われて答えられる「生活」があるのだろうかと。

「食わなきゃ生きていけない」という環境があるとして
「食わなきゃ」という具体的なレベルはどこにあるのだろう。

たとえそれがどんなレベルであろうとそれだけに追われる生活は「貧しい」のだし
貨幣の量が少なくても「充実した毎日」は送れる。

もちろんその種の「発想」さえ持てないのかもしれないとしたら
一度は考えてみてもいいだろう。

「筋の通らないこと」は気に入らないのが基本だとすると
やはり自分はある種の「ヤクザ」だということになりそう。

もっともそれは映画の中の存在を念頭に置いたもの。
実際には相当違うものであることは承知の上で。

少なくとも「身ぎれい」でないことは確か。
「叩けばホコリの出る身体」なのでよろしく。
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「ささやかな希望」について

2014-07-20 01:51:07 | Weblog
くもりのち晴れ。午前中に夕立ち。

いつものようにクインビーへ。

マスターとおだやかな会話をしつつボトルを減らす。
ほぼなくなったもののニューボトルは次回に持ち越し。

「家電寿命十年説」を聞いたので
メーカーの陰謀ですと答えておく。

今週は客が少なかった模様。
繰り返すが全国のクインビー・ファンはよろしく店に行っていただきたい。

全英オープンをちょいと観る。

マキロイがトップを走り続ける。
松山が13番パー3であわやホールインワンかというスーパーショットを見せる。

実に頼もしい限り。
無表情で見送った彼のハートは鋼鉄なのかもしれない。

知り合いの若い女子が両手にネールをするのに3時間かかると言う。
誰に見せたいわけでもなく自分のためらしい。

ふとした姿が妙に「奥様」に見えたり。
その落ち着きを別のところで生かしてもらいたいものだが。

「エネルギー」として計測するならあらゆるものは数字で比較できるけれど
「どこに注がれるか」については本人の気持ち次第。

「物理学」より「心理学」が優先するということか。
それが行き過ぎると時に他人に「害」を及ぼすことに。

かつてウォシュレットのCMで「おしりだって洗ってほしい」と言ったのは戸川純。
「おしりは自分で拭いてほしい」と言うのはヘンなおぢさん。

希望はそれぞれにありつつ実現するかどうかはまた別の話。
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