退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

政治的であることの倫理

2009-02-28 03:51:18 | Weblog
くもりときどき雨。

ひどい現実がある時のよくある伝え方は主にふたつ。

ひとつはその現実のひどさをひたすら訴えるタイプ。
もうひとつは「聖人」のすばらしさをひたすら訴えるタイプ。

前者は「告発する」というカタルシスにとどまり
後者は「賛美する」というカタルシスにとどまる。

一時的に「心」はすっきりするけれど
複雑な「現実」はどうにも動かないという意味でどちらも変わりない。

もちろん何も知らなかった人に
特定の「事実」を伝えることは出来るのだけれど。

そこで落ち着いて考えなくてはならないことは
おそらく「どうしたら現実がうまく回るか」ということになるのだろう。

本気でそれを考えると
「自分に都合のいい解釈」は出来なくなるはず。

がしかし。
人は「自分に都合よく生きる」のが好きだ。

せめて、そういう「悪癖」があることだけは知っておきたい、と思う。
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ぬくもりを感じるということ

2009-02-27 03:41:00 | Weblog
晴れ。適度な冷えが心地いい。

仕事先の駅に降りると地球を感じさせるやわらかい弧を描くひこうき雲。
空を見上げることを忘れないように。

おそらくひとりで空を見上げている姿は
「ヘンなおじさん」ではあるのだけれど。

中学生が「彼とギュッとしてる時が幸せ」だと言うのを聞く。
そういうことを味わっておくのもいいだろう。

森羅万象に興味を持って味わうこと。
その基本は人種・性別・国籍その他を問わず「同じ」だ。

思わず抱きしめたくなる気持ち。
そういうものを感じられる環境が誰にでもあるといい、と祈る気持ち。
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水の如く

2009-02-26 03:08:15 | Weblog
くもりときどき雨。夜になって風が吹く。

ベネディクト・アンダーソン「定本 想像の共同体」読了。

「均質な空間」というものが当たり前になると
たとえば地図上で空白になっている地域を何かで埋めることになる。

「~人」という分類がたとえ植民地を支配するための便宜であっても
それがいつのまにか「力」を持って現実になり始める。

自分の起源が曖昧なことを知る「国家」は
自分の正統性を「物語」という形で証明しようとする。

いたずらにアイデンティテイとやらを求めるあたりは
その脆弱さにおいて「個人」と似ている。

「ゆるぎないもの」を求めるのはとっくに死んだはずの「神」を求めるのと同じこと。
自分の身体の細胞が絶えず死んでは生まれ変わる「事実」を生きよう。
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あれこれを超えて

2009-02-25 05:28:02 | Weblog
Gyaoで「アウトブレイク」(’95)を観る。

監督は「Uボート」('85)「パーフェクト・ストーム」(’00)の
ウォルフガング・ペーターゼン。

かつてアメリカ政府は極秘に開発した細菌兵器の秘密を守るため
ザイールの小さな村を「蒸発」させた。

ところがそこで生き延びたサルがアメリカに輸入され
新たに空気感染するようになったウイルスは次々と患者を産んで、というお話。

この監督のいいところは
「事件」に遭遇した人々の日常とユーモアをきちんと描くこと。

ダスティン・ホフマンとレネ・ルッソの元夫婦の仲を
やや後処理が不十分なケヴィン・スペイシーが取り持ったりする。

村を「蒸発」させた共犯者で将軍のドナルド・サザーランドが繰り返す過ちに
まるで「東映ヤクザ」のように最後の最後で反抗するモーガン・フリーマン。

ドイツ人の監督が合衆国憲法を高らかに謳い上げるシーンを撮ることの意味。
ワイマール憲法が初めて「社会権」を産んだ伝統なのだろうか。

細かいキズはいっぱいあるものの
この土臭い「理想」は捨ててはならないものだろう。

ドイツ流の「浪花節」には
「宵越しの銭」に縁のない江戸っ子のぬくもりがある、としておこう。
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幻想の力

2009-02-25 01:51:31 | Weblog
雨。夜になって止む。

キング・ヴィダー「群衆」(’28)を観る。

「大物になる」と夢を抱いた男は友人の紹介で出会った彼女と結婚、
貧しいながらも息子と娘の4人家族はどうにか日々を乗り切っていく。

ところが幼い娘がトラックに轢かれて死んでしまう。
ショックから立ち直れない夫は妻に黙って会社を辞める。

それでも彼を励まし内職で家計を支える妻に対して夫は職を転々、
見かねた妻の兄たちが紹介した仕事を断った夫に妻の堪忍袋の緒も切れる。

死のうとして死に切れない夫を救うのは幼い息子の言葉。
「パパのこと好きだよ。大きくなったらパパみたいになりたい」

3年後に「チャンプ」を撮ることになる監督らしい展開で
1979年のリメイクでは子役リッキー・シュローダーが観客を泣かせたもの。

80年前の上質のメロドラマは無声で
夫ジェイムズ・マレーの情けなさと妻エリノア・ボードマンがジョディ・フォスターを思わせるのに注目。

ベネディクト・アンダーソン「定本 想像の共同体」を途中まで読む。

近代に生まれた新しい「ナショナリズム」の力は強く
そのために多くの人々が自ら戦争に参加して死んだ。

神と人をつなぐ特権的な言語だったラテン語が衰えて俗語が広がる。
印刷技術の発達が俗語を読む新たな読者層を形成する。

「宗教改革」と大航海時代は
言語と人々の移動を媒介に「国家意識」の基礎を作り上げたのか。

宗主国の文化を身につけながら
植民地でしか自分を生かせないクレオールの存在も大きいという解釈もある。

そういえば「鉄砲伝来」は長篠の戦いで
当時最強と言われた武田の騎馬隊を信長が打ち破ることを可能にしたりもした。

「風が吹けば桶屋が儲かる」

そのカラクリの成否は別として
世界は幻想によってつながれているらしい。
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停滞気味

2009-02-24 01:52:19 | Weblog
晴れ。だったと思う。

布団でグズグズして
ギリギリになってシャワーを浴びて仕事へ。

土曜にソウルバーへ行って以来
なんだかダラダラする。

まともに本も読まずDVDも観ないと
ずいぶんサボっている気分になる。

「義務」ではなく「愉しみ」なので
うしろめたい気持ちにはならないけれど。

更なる刺激を求めて
あれこれさまようのは相変わらず。
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論理だけでは生きられないので論理に頼ったりするということ

2009-02-23 04:48:10 | Weblog
晴れ。夜になって降る。

野暮用ついでにぐだぐだ過ごす。
やたらに眠る。

眠るということは外界からの刺激を遮断することを意味するとして。
束の間の「鎖国」。

刺激を求めて生きている身としてはおかしな所業。
何か非論理的に確立したいものでもあるのだろうか。

考えてみれば単純な話で。

論理は完結するものの現実は曖昧なまま。
それがたとえば「脳の要求」だとするなら、それを疑うのが誠実というもの。
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500マイルと8マイルの差

2009-02-21 03:39:59 | Weblog
「500マイルも離れて」はピーター・ポール&マリーが有名か。
「8マイル」はエミネムの自伝的映画。

前者では汽笛の音の距離を
後者では繁栄する街との距離を表している。

物理的な距離で言えば前者が圧倒的に遠い。
けれども心理的な距離で言えば後者の方が遠くなったりする。

人と人とがそれぞれ島宇宙ほど離れている現在
新しい距離が求められている。

それはたとえばインターネットを介在させると
ほぼ無限の彩りになるはず。

残るものは「言語の壁」だったりするけれど
易々と乗り越えられる壁もなくはない。
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眼高手低ではあれども

2009-02-21 03:24:32 | Weblog
くもり。夜に風冷たし。

色川武大「映画放浪記」読了。

小林信彦と生まれが3年しか違わないのに
著者はさらに一世代前の感覚を持っている。

それはあるいは軍人だった父のせいなのか
おそがけに生まれた子どもだったせいか。

著者の脇役好みは
各作品のちょっとした出演者の名前を明記していることからもわかる。

この独特の物事のつかみ方はアカデミズムとは対照的で
トリュフォーの作品ではないけれど「野生の少年」ということにもなるのか。

「映画の友人」というタイトルの本を出している中野翠は
こうしたまっとうなラインを意識している。

そのまた後の世代として
受け継げるものを受け継いでいきたい、とは思う。
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思い立ったが吉日

2009-02-20 04:26:11 | Weblog
くもり。深夜に降る。

youtubeで椎名林檎と長谷川きよしのコラボを聴く。
名曲「別れのサンバ」誕生から40周年だと気付く。

甘いミルクの歌声と気合いのカッティングのギターの好対照。
雑誌「話の特集」で「きよし蛇に怖じず」という連載もあった。

具体的にはこちらまで。
http://www.youtube.com/watch?v=wSFrDiURf0M

リンクの仕方が変わったのか詳細が不明。
コピペでおながいします。

やり方がわかる方は教えてください。
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