くもりときどき雨。
ひどい現実がある時のよくある伝え方は主にふたつ。
ひとつはその現実のひどさをひたすら訴えるタイプ。
もうひとつは「聖人」のすばらしさをひたすら訴えるタイプ。
前者は「告発する」というカタルシスにとどまり
後者は「賛美する」というカタルシスにとどまる。
一時的に「心」はすっきりするけれど
複雑な「現実」はどうにも動かないという意味でどちらも変わりない。
もちろん何も知らなかった人に
特定の「事実」を伝えることは出来るのだけれど。
そこで落ち着いて考えなくてはならないことは
おそらく「どうしたら現実がうまく回るか」ということになるのだろう。
本気でそれを考えると
「自分に都合のいい解釈」は出来なくなるはず。
がしかし。
人は「自分に都合よく生きる」のが好きだ。
せめて、そういう「悪癖」があることだけは知っておきたい、と思う。
ひどい現実がある時のよくある伝え方は主にふたつ。
ひとつはその現実のひどさをひたすら訴えるタイプ。
もうひとつは「聖人」のすばらしさをひたすら訴えるタイプ。
前者は「告発する」というカタルシスにとどまり
後者は「賛美する」というカタルシスにとどまる。
一時的に「心」はすっきりするけれど
複雑な「現実」はどうにも動かないという意味でどちらも変わりない。
もちろん何も知らなかった人に
特定の「事実」を伝えることは出来るのだけれど。
そこで落ち着いて考えなくてはならないことは
おそらく「どうしたら現実がうまく回るか」ということになるのだろう。
本気でそれを考えると
「自分に都合のいい解釈」は出来なくなるはず。
がしかし。
人は「自分に都合よく生きる」のが好きだ。
せめて、そういう「悪癖」があることだけは知っておきたい、と思う。