退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ないものねだりと食い意地のなさ」について

2014-01-31 03:00:37 | Weblog
雨のちくもり。仕事場で借りた傘を返す。

米原万里「旅行者の朝食」を読む。

著者本来の味わいがあるかというといささか微妙。
「無理矢理の七変化」という印象が残る。

とはいえタイトルにもなっている「旅行者の朝食」の話はなかなか。
「ウォトカの歴史」も後半の「食い意地」も楽しい。

ひょっとして編集者が力みすぎたのかも。
そこまで後押ししたくなる気持ちはわからないではないものの。

健在であれば今年まだ64のはず。
溢れる才能をもっと見せてもらいたかったと思うことしきり。

「ないものねだり」はほどほどにして。

個人的には食べ物にはほとんど興味がない。
普段は粗食なのでたまにおいしいものが食べたいと思う程度。

今どきの「宇宙食」がどれほど進化しているかは不明だけれど
昔ながらのイメージのままに言えば「チューブ入り」で十分。

本作の言葉で言えば「生きるために食べる」タイプ。
必要最小限のカロリーがあればそれでいい。

海外に出たことは一度もないので「日本食」に飢えたこともなく。
学生時代を思い出してもごはんをおかわりした記憶がない。

母親は張り切ると「アメリカ並みの物量」で迫る人なので
「腹八分目」が「基本」になったのかもしれない。

「一日二食」の生活を続けてはや数十年。
これといった文句もなく暮らせるのはありがたいことではある。

そのせいか「不規則正しい生活」をしているにもかかわらず
今のところ大きな病気もせずにすんでいて。

いずれ「ツケ」がやってきたとしても甘んじて受けるつもり。
それが「寿命」だと思えば納得するのみ。

「食い意地はないが意気地はある」
などと無表情で言っておく。
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「好きにすればいいこと」について

2014-01-30 02:11:52 | Weblog
晴れ。今日もおだやか。

鈴木直「輸入学問の功罪 この翻訳わかりますか?」を読む。

敢えて原文の構造そのままに逐語訳するタイプと
日本語としてのわかりやすさを優先するタイプ。

アカデミズムとジャーナリズムの「対立」もあった模様。
「原典尊重」と「理解優先」の形は「宗教改革」に似ていなくもない。

そこに存在しないのは
「どう読もうが勝手じゃないか」という発想。

「正解」にこだわるから物事がややこしくなる。
むしろそれぞれの「解釈」から「生まれるもの」を大切にしたいもの。

たとえばある種の女子は数々の占いを読み
そこから「好ましいもの」を選んで「現在と未来」を確定する。

無根拠なポジティブ大いに結構。
「根拠」に足を絡め取られて身動きできないよりマシ。

そもそもわれわれの限られた能力では「世界」を捉えきれないことは必至。
ならば「興味深い」かどうかで判断することがあってもいいだろう。

それぞれの「可能性」をそれぞれに追求すればよし。
「多様性」を本気で望むならそのままに。

「つまらないもの」には見向きせず
ひたすら興味の赴くままに進め。

いずれ「寿命」が来る「平等」の下に
「やりたいこと」をやればよいはずだから。
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「好ましい文章ふたつ」について

2014-01-29 03:38:08 | Weblog
晴れ。おだやか。

佐々木中「この熾烈なる無力を」を読む。

「後世畏るべし」という印象。
ちゃんとこうした好ましい人は出てくるものか。

著者にはどうやら「扇動する力」がある模様。
今後とも大いにやっていただきたい。

当分お付き合いするつもりは満々。
とりあえず「アナレクタ」というこのシリーズを。

気が付けばなぜか番号が「4」。
無意識に「搦め手」から接触することになるのはいつものこと。

もちろん順序にこだわる必要などなく
「楽しい時間」が過ごせればいいだけ。

知り合いの若い女子から「エントリー・シート」のチェックを頼まれる。

生真面目でどこか抜けているところもありつつ
不器用だけれど腰のすわったキャラクターがありありとわかる文面に思わず笑う。

そのままでいいとは思ったものの
いちおう「世間並みの基準」であれこれと言っておく。

主語と述語がいつのまにか不明になったり
思い付いたことが途中で強引にねじ込まれているような内容。

とはいえ少なくとも彼女のキャラクターは実によく表れていた。
「文は人なり」だとあらためて思った次第。

ちなみに見かけは「アンティークの人形」なので
飲み会の席では「屋根裏でひっそりと朽ち果ててほしい」などと勝手なことを言っていたもの。

当然のようにそれは「おぢさんの独断と偏見に満ちたな感想」なわけで
当人は「嵐」が好きな「ごく普通の女子」ではある。

コミュニケーションの技術にはいささか心許ないところのある彼女に幸あれ。
中途半端に「うまくやる」のはつまらないから。
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「事故が明らかにする『リアル』と無害な『望み』」について

2014-01-28 03:36:27 | Weblog
晴れ。日差しが背中に暖かい。

「3.11を読む」読了。

東北の「物語」について著者はあれこれ詳しそう。
「蝦夷=エゾあるいはエミシ」の違いも忘れずに。

なるほどあれこれ本を読んでいる人は
このようなリアクションをするのかと思った次第。

この「迂回ぶり」を見ると
東浩紀の「福島第一原発観光地化計画」の方が余程「リアル」に思える。

ただ「事故こそが『リアル』を浮彫りにする」というのには納得。
われわれはそういう「科学技術」を手にしてしまったのだ。

少なくとも今どき「心ある者たち」は「スポンサー」を持たないこと。
その一点だけは覚えておいていいだろう。

家庭であろうと国家であろうといずれ「フィクション」に支えられている。
「事故」によって見える「リアル=亀裂」を意識しつつ生きるのが「まっとう」。

とはいえそれには「宙ぶらりん」に耐える「体力」が必要であり
誰にでも簡単にできることではない。

「変わらない日常」を手に入れた方が楽だもの。
それは誰でも「同じこと」で。

その「現実」は「見知らぬ誰かを見捨てること」になるのが厄介なところ。
「倫理」とはどうやら「切羽詰まったもの」であることは確か。

「何が望みか」と聞かれればもちろん「人それぞれ」に。
せめて「他人を微笑ませる望み」であれば。

嗚呼。
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「本質」について

2014-01-27 01:50:59 | Weblog
晴れ。風強し。

今日は全くの引きこもり。
タバコに買い置きがあったため。

途中ウトウトしながらマル激を見る。

細川・小泉連合の「意味」は
それ以外の政治家たちに「風」を起こす力がないということだったか。

エイミー・グッドマンの発言も実に印象的。
オバマが大統領になった時こそホワイトハウスの「窓の外」に国民がいなければならなかったと。

なぜなら「既成権力」の力は大きく
何事かの意志を示す国民がそこいなければ彼は彼らの言うことを聞くしかなくなるから。

「あの国民たちの言うことを聞かないと大変なことになりますよ」
そういう形でしか「既成権力」には対応できないのだと。

なるほど「民主主義の本質」はそこにある。
「戦い取ること」でしか「まとも」は維持されない。

その「まとも」が明らかになったのだとすれば
むしろこの事態は好ましいことかもしれない。

山田洋次「東京家族」(’13)をTVで観る。

小津安二郎「東京物語」(’53)の「山田流」。
オリジナルでは大坂志郎がやっていた三男を膨らませたあたりがポイント。

誘蛾灯のショットがなぜか印象に残る。
3.11もエピソードに絡んで。

普段はむしろ「クドい」橋爪功が「不自然なほど」淡々と話す。
吉行和子の「母ぶり」は「自然」で。

妻夫木聡と蒼井優のカップルが好ましい。
やはり妻夫木の「普通さ」は貴重。

「ヤンキーとホスト」以外の男子の姿が見られるのはうれしいこと。
わが国ではそれらがはびこりすぎているので。

敢えて父親と息子の葛藤を前面に出した設定はいかにも「息子」の監督ゆえか。
これをきっかけにオリジナルが観られるようになることを望むのみ。

「生物学上のDNA」に実は大して意味がなかったりすることもある。
個人的には「時空を超えた家族」を作っているので余計にそう思えるのかも。
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「ある疑問」について

2014-01-26 02:23:13 | Weblog
晴れ。夜になってポツポツ降る。

松岡正剛「3.11を読む」を途中まで読む。

「言葉にならない事態」には立ちすくむのみ。
目の前の光景を「夢」だと思いたい衝動を押さえながら。

「従来の法則」がすべて崩れる時
それでも「世界の不確かさ」の前に「新しい法則」を立てるしかない。

それにしても。

どうして「過去の経験」を生かすことができないのだろう。
もちろん「忘れ去ること」はわれわれの「希望の元」でもあるのだけれど。

「すべてを知ること」が不可能なのは当然だとして
もう少し「大事なこと」を積み上げられないものか。

たぶん「無理」なのだとして
ならばせめて「よりマシなこと」を。

「リアルを生きる」ということはかくも困難なことらしい。
その「条件」を踏まえた上でどうするのか。

それでも「物語」を作らなければ人は生きられない。
どうしようもない「痛切」をどう処理しようか。

ある者は笑いある者は泣く。
いずれが「正しい」わけでもなく。

どんな時間の流れも不可逆なのだから
取り返しのつかないことは山ほどある中で。

さて、あなたはどうする?
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「応援したくなるもの」について

2014-01-24 01:46:08 | Weblog
晴れ。おだやか。

昨日はクインビーへ。

マスターからお子が水疱瘡にかかったことを聞く。
この手のものは早いうちにすませておくに限る。

いつものように激辛ウインナーとあんかけ豆腐の夕食。
大晦日はボトル半分しか飲まなかったことに気付く。

年末は飲み疲れていたということで。
たぶんきちんと食べながら飲めばもうちょいといけるはず。

東浩紀編集「日本2.0 思想地図β vol.3」を読む。

現代美術がどうなっているのかは知らないけれど
村上隆は「世界」で戦っているのでわが国が歯がゆくて仕方ない模様。

「雑音」には耳を傾けることなく自らの道を突き進んでいただきたい。
わが国という「磁場」は残念ながら圧倒的に貧しいので。

久方ぶりに高橋源一郎の短編を読む。
「インテリゲンチャン」は相変わらず元気。

それにしても憲法私案まで作るか。
東浩紀の「懐の深さ」をあらためて感じた次第。

深夜「プリティ・リーグ」(’92)を再見。

アメリカ初の女性プロ野球を描いた作品。
「差別」をものともせずにプレイする選手たちは素敵。

「できる姉とひがむ妹の軋轢」もあり。
戦争の影響も描かれて。

実によく出来た作品だと再確認。
「束の間の夢」が人生を左右することもある。

いや人生がそもそも束の間の夢だとしておこう。
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「神経質の性質」について

2014-01-23 03:46:15 | Weblog
晴れ。夜にしんしんと冷える。

「熟議の壊れるとき 民主制と憲法解釈の統治理論」読了。

ドトールの両隣りにはキャバ嬢コンビと「政治」を語るカップル。
あれこれ話すので集中できずじまい。

前者は途中から片方がある男子を好きなことがわかり
もう片方が「退屈モード」に入ったことを確認。

後者は興奮の度合に合わせて甲高くなる声の男子が「理論がない」とのたまい
女子がそれに応じる格好。

どちらにもある種の「ディスコミュニケーション」があるのをひしひしと感じる。
「一緒にいること=友だち」ならば仕方がないか。

聞きたくて聞いているわけではなく
「自動的に」耳が反応してしまうため。

おかげで肝心の本の内容がおろそかに。
目が活字を滑ってゆくのみ。

いずれもあまり楽しいお付き合いとは思えないのが残念なところ。
言うまでもなく気分は「もう片方」と「女子」で。

こうした形で「需要と供給」が満たされているのだとしたら
やはりそれは「貧しい」と言わざるをえないだろう。

ごく普通に聞き流せる声と会話の質。
それが案外失われて久しいことを覚えておくことにしよう。

「他者の視線あるいは聴覚」を意識しないと
人はいとも簡単に「堕落する」。

どうせ「神経質」になるなら
そのあたりを慮っていただきたいと思うのだが如何。
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「ないものねだり」について

2014-01-22 02:52:58 | Weblog
晴れ。今日も冷える。

「熟議の壊れるとき 民主制と憲法解釈の統治理論」未だ読了せず。

わかるところとわからないところの差が激しい。
参考になるところだけ切り取っておこう。

気分はまるで占いを読みあさる若い女子。
普段は笑っている相手と同じことになるとは情けないこと夥しい。

「天に唾する」こと数十年。
相変わらず「進歩」がないのも仕方ないか。

深夜「めんたいぴりり」というドラマをちょいと観る。

博多華丸のいかにもな「博多ののぼせ男」と
富田靖子のこれまたいかにもな「博多のおなご」。

方言の味わいも含めて「ウェルメイド」でないところがむしろ好ましい。
「すかーん」と言いつつ「すいとー」と思っているあたりの呼吸。

見事に凸と凹が組み合った雰囲気で
現代ではなかなかお目にかかれないカップルではある。

お互いに懐が深いようでちょっと莫迦。
まっすぐな気持ちの在り様は共通していて。

自分にないものは必要以上に「よく見える」という法則を差し引いたとして
こういう「純粋」を生きられたらと思いつつ。

結局それは「ないものねだり」で
自己流を貫くしかないのが「定め」。
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「話せばわかるかということ」について

2014-01-21 02:57:51 | Weblog
くもりのち雨。冷える。

キャス・サンスティーン
「熟議の壊れるとき 民主制と憲法解釈の統治理論」を途中まで読む。

同じような意見の持ち主が集団を作り何事かが話し合われると
最終的には「極端な意見」に落ち着くという「原理」がある模様。

そこで作用するのは「同調圧力」。
仲間の「承認」を得たいがために物事がエスカレートするのはよくあること。

ただし「少数意見」を大きく取り上げさせるためには役立つことも。
「両刃の剣」をきちんと意識すればいいか。

このところ「思い」とは関係なく「どう作用するか」という理論が目立つのは
「客観的であること」を貫こうとする「意志」がなせる業。

「いたずらに感情に振り回されないための知恵」が必要だと思わせる「状況」が
世界の各地にあるのだろう。

「需要と供給」さえあれば何でもアリな「市場的社会」に
いい面もあれば悪い面もあることをわかった上で。

自分の考えなどたかがしれているという「姿勢」を基本に
あれこれ「実験」してみるしかない。

「何用あって月世界へ」と言った山本夏彦をもじるなら
「野暮用あって別世界へ」といったところ。
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