退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「目覚め」について

2014-02-28 03:58:11 | Weblog
今宵もいつものyoutube巡り。

佐々木中の本であらためて知ったのが「ライムスター」。
宇多丸の名前はかろうじて知っていたものの。

なるほどこれが「ヒップホップの力」か。
ここまで言葉と真剣に向き合っているとは迂闊にも知らず。

once again」「the choice is yours」「ラストヴァース」など。

ここには間違いなく「現代」がある。
詳細は検索まで。

自分でこういう表現はしようと思ってもできない。
それが余計に評価を高めることにつながっているのかどうか。

少なくともこれらの言葉には「知性と謙譲」がある。
そういうことでよろしく。
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「忘れられないこととある種の『不幸』」について

2014-02-28 02:33:54 | Weblog
雨。夜遅くなって止む。

金井美恵子エッセイ・コレクション2「猫、その他の動物」読了。

久方ぶりに小説を読むことになる。
「兎」の「幻想」をしばし堪能しつつ。

「愛猫トラー=大切なもの」を失う悲しみは
「いつもそばにいた存在」が消えてしまうこと。

抑制の効いた表現はそれを伝えて疚むことなく。
透明な膜に隔てられる感覚が「リアル」で切ない。

これもひとつの「ロマンチック」だとして
上質なものはいつも穏やかな余韻を残す。

一番重要なことは「忘れられないこと」。
次から次へと流れる「ニュース」とは違う。

ところで。

仕事場の駅で後ろからドンと押される。

何奴かと思って振り返ると異動した上司。
普通に声を掛けないあたりがいかにも彼女らしい。

かつて彼女には「不幸が似合うキャラ」だと言ったことがあり
それが相当印象に残っているよう。

「元の仕事場」に対する懐かしさが満々なのは
「現在の仕事場」のやりにくさを否応なく物語り。

ただし彼女は「他人の嘘」を的確に見破る能力を持っていて人を「離さない」。
「不幸が似合うキャラ」とはそういうことだと理解してもらいたいのだけれど。

「アルコール消毒で元気ですか」と聞かれたので「はい」と答える。
新しい場所で踏ん張っていただきたいものではある。
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「猫」について

2014-02-26 01:56:00 | Weblog
晴れのちくもり。暖かい。

『晴れ。夜は昨日よりやや冷える。

上野千鶴子「女たちのサバイバル作戦」を読む。

何とも苦い「生きづらさ」が全面に出ていて
文字通り各自が「サバイバル」するより仕方ないという印象。

奇しくも「ベースロード電源」などといういかにもな「霞が関文学」によって
「原発再稼働」を意味するニュースが流れ。

「エネルギーのベストミックス」といい
怪しげなカタカナ作文は「官僚のレベルダウン」を示してもいるよう。

「国家」とは無関係な経済体系を生み出して
のんびり暮らせる「小さな楽園」をあちこちに作る必要がありそう。』

と書いて昨日は寝てしまう。

金井美恵子エッセイ・コレクション2「猫、その他の動物」を途中まで読む。

愛猫トラーが元気だった頃のあれこれは微笑ましく
「その後」を知っているとさらに「輝き」を増す。

個人的には動物を飼ったことはなく
動物病院にいた猫とわずかに接触したら相手が興奮したことがあるくらい。

ちなみに犬と猫なら後者が好み。
ただし「飼いたい」という気持ちは今のところない。

その気持ちが変わるかどうかは定かではないものの
「見ている」のは嫌いではないことだけは確か。

すべて「ご縁」で片づけるクセのある自分としては
これもまた「風まかせ」になりそう。

ひょっとして猫に似ているのだとすれば
少なくとも「同病相憐れむ」ことはできるかもしれない、としておく。
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「抽象的な『前向き』」について

2014-02-25 02:53:39 | Weblog
晴れ。夜の寒さもやや緩む。

佐々木中「踊れわれわれの夜を、そして世界に朝を迎えよ」を読む。

今回も刺激満載で楽しく読了。
「目からウロコ」という経験はやはり「心にいい」。

こうなったら「夜戦と永遠」や小説にも手を出すか。
もっとも気分次第なので確かではないけれど。

わかりやすい言葉で「新たな世界」を語る著者は文字通り「革命」を進行中。
どんどんやっちゃってという感じで頼もしい限り。

しばし絶句。

言葉によって「世界」を描くことを「分節化」と言ったりするのは
「特定の視点による特定の場面が特定の価値観」で表されるから。

ある種の「偶然」が人を盛り上げることもあれば
逆に人を突き落すこともある。

その「無慈悲」は通常「理不尽」と呼ばれ
人は自らの非力も顧みず「納得」を求めることで「宗教」を作り上げた。

異様に「説得力」を持つことになった言葉は「聖典」となり
あとはその「解釈」が「正統あるいは正当」かによってその力を増したり減らしたりして。

「歴史」を振り返れば
一時代に「圧倒的な力」を見せつけたもののその痕跡がまるでないものなどいくらでもある。

その「理由」はわからぬまま
われわれは現在も「同じこと」を続けて。

遺伝子が絶えるまでどこまでも続く道は「果てしない」。
「世界」を知り尽くすこともその「終わり」も誰も見届けることはなく。

「どこにもない故郷」がそこにある。
前を向いて進め。
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「卑怯あるいはスタイル」について

2014-02-24 01:39:17 | Weblog
晴れ。日が落ちると風が冷たい。

佐々木中「足ふみ留めて」を読む。

著者が挙げていたルジャンドルを一冊だけ借りてきたので
どんなものか楽しみ。

ほとんど発言のない対談にその「姿勢」が表れているよう。
「卑怯な真似はしない」というメッセージが直接に伝わる。

ところでわれわれは「卑怯」という言葉を忘れすぎているかもしれない。

「誰でもよかった」と自動車で他人を襲う者がいる。
「人間のクズ」という言葉を安易に使う者がいる。

「すべて私が責任を取る」と歴史と憲法を無視する者がいる。
「リップサービス」の「センス」が悪すぎる者がいる。

子ども万歳!
「まんざい」と読めることもお忘れなく。

ただし「ボケ」は「ツッコミ」あってのもの。
ひたすらボケられてはどうしようもない。

「出来の悪い笑い」がわが国では進行中か。
「バナナ・リパブリック」もずいぶん熟しすぎた模様。

「絶対王政の残酷」は「気に入らない者たち」を「排除」できること。
「王様が裸であること」を教えたのが「近代」だと知ろう。

われわれはかくも「土人」であったのか。
その「事実」は受け入れるより仕方なさそうで。

もう一度「近代」をやり直すとして
そのためには「敗戦」以上の「悲劇」を受け入れるよりないのだとすれば。

実にバカバカしいとはいえ
この「事実」はまさに「小説より奇なり」。

くだくだしく相手の「ひどさ」をあげつらう前に
正々堂々と「いいもの」を目指せばいいだけのことなのに。

「シンプル」に突き進めばいいじゃないか。
うまくいかない時こそ「笑い」が必要になることだし。

それこそが「スタイル」であり
その「真摯」はやがてどこかに伝わるはず。
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「風まかせ」について

2014-02-23 02:03:02 | Weblog
晴れ。今日も夜に冷える。

科学と宗教に関する本を読んだものの
今ひとつピンとくるものがないままに終わり残念。

上司が気遣ってくれていつもより早目に仕事が終わったのだけれど
別口の研修が待っていてこちらも残念なことに。

「二股」をかけているとそういうことになるのか。
と言うより上司同士がコンタクトしてくれれば済む話ではある。

今年もそろそろ「メンバー交代」の季節。
いずれの仕事場も人材がやや小粒になりそうな予感がしているのだけれど。

もっとも新しいメンバーはまだ未定なので
いたずらに悲観することもない。

出会いは別れの始まりではあるとはいえ
出会わなければ別れることもできず。

「ご縁」があればお会いしましょ。
相変わらずの風まかせゆえ。

しばし楽しい時を過ごせるよう準備万端怠りなく。
日々精進していく所存ではあるのでよろしく。

というわけで今宵も気ままに飲んで眠る次第。
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「見える世界」について

2014-02-22 02:20:20 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

昨日QUINVYへ行ったことを書きそびれた。
マスターと話しつつ激辛ウインナーとあんかけ豆腐の夕食。

繰り返すが心ある者は是非行っていただきたい。
ソウル・ミュージックと和食のコラボレーションをお楽しみに。

酔って歩いての帰り道では星がきれいだった。
まさに「見上げてごらん、夜の星を」。

「加藤泰、映画を語る」読了。

先日知り合いの若者に聞いてみたのだが「緋牡丹お竜」を知らなかった。
「富士純子」でなく「藤純子」。

前者は「フラガール」(’06)の「肝っ玉母さん」でお馴染み。
後者を知っているとより魅力が増すはず。

深夜「ガタカ」(’97)を再見。

生まれた時の遺伝子検査ですべてがわかり
それで劣る者は「無言の差別」を受ける世界で。

主人公は「劣る者」だが優れた遺伝子の持ち主と共謀し彼に化ける。
ところが主人公を怪しいと思った上司が殺されて、というお話。

神経質そうなイーサン・ホークにやさぐれたジュード・ロウ。
恋人にはユマ・サーマン、遺伝子ブローカーにトニー・シャルーブ。

アーネスト・ボーグナインもちらっと出る。
ガタカ航空宇宙局長にゴア・ヴィダル。

「つまらない現実」から「引きこもる」のも一手ではあるが
それが実は「現実」ではないとわかるのも一手。

かくして「それもまた一局」。
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「真のドラマ」について

2014-02-21 02:07:38 | Weblog
晴れ。いくぶんおだやか。

山根貞夫・安井喜雄編「加藤泰、映画を語る」を途中まで読む。

伊藤大輔に「ホレた」理由がまざまざと理解でき
なおかつそのシーンの「口伝え」が素晴らしく魅力的。

「真実」にこだわる姿勢も素敵で
なるほどこうして「作品」を作る「作家」だったことがわかる。

語り口がどこか淀川長治に似ているのが面白い。
「不勉強」という言葉の意味がつくづく身に染みる次第。

「活動写真」という形で好きになったものが
徐々に「変質」していくのを見る「辛さ」がしのばれる。

「スター・システム」を否定しているあたりについても納得。
ただし「映画」が数多くの人々に観られるためには「必要悪」かもしれず。

ちなみに地元の「矢場町」という土地は今
「矢場とん」という食べ物屋が「上京」するようなことになってもいる。

好ましいか好ましくないかで言えば残念ながら後者。
著者の言う「矢場」とはずいぶん異なるものだから。

要は「色っぽい場所」であったということ。
詳細はぜひ本書まで。

さて。

深夜に浅田真央の「渾身の演技」を知る。

よかったよかった。
これで彼女も心置きなく引退できるだろう。

彼女のエッセンスが詰まった演技は順位に関係ない出来栄え。
「それが彼女」だと言える「証拠」を残したのだから後ろ髪ひかれることもないはず。

そうか「物語」はこういう展開を見せるのか。
そうした「本物のドラマ」ならいくらでも観たい。

「本物の力」を知ると
人は「いいかげんなこと」は出来なくなる。

その種の「呪縛」に人はもっと敏感であっていい。
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「削ぎ落とすこと」について

2014-02-20 02:06:48 | Weblog
晴れ。今日も風が吹く。

佐々木中「砕かれた大地に、ひとつの場処を」を読む。

あれこれ興味深かったけれど
坂口安吾「堕落論」の「新解釈」にふむふむ。

「丸谷才一批判」はもっともすぎて逆に肩透かしのような。
「面白いおじさん」だったのに「つまんないジジイ」になっちゃったもの。

著者の発言は個人的には読みやすくて刺激的。
どうしてこうも「白鳥の歌」が歌えるのだろうと思うばかり。

残りあと一冊も楽しみ。
どこか水上瀧太郎「貝殻追放」に似た清々しさがある。

少なくとも著者の指摘は「世界の見え方」を変える力があり
「震災と原発」についてはかつての広瀬隆のような「手法」が見事。

この「当然」がいつのまにか見失われてしまうのだから
「千年に一度」などというのは「白髪三千丈」に近い「フィクション」だということを知ろう。

「オリンピック」という「祭り」の最中だからこそ
あらためて福島を代表とする被災地を思うことが大切なのだとしておく。

さて。

生物学的に「できそこない」であるわれわれ男子は
その「無根拠」と「役立たずぶり」を腹の底から味わおう。

その上で「意味のありそうなもの」を作っては壊し壊しては作り続ける。
「遊ぶこと」が好きなのだからそれで十分。

結果として他人の役に立てば幸い。
それ以上に望むべきことはないと思うのだが如何。
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「不出来な日」について

2014-02-18 04:04:59 | Weblog
晴れ。風強し。

「晴れ。夜にやや冷える。

郡司ペギオ幸夫「時間の正体 デジャブ・因果論・量子論」を途中まで読む。

「幽体離脱と経済は同じ問題である」という「つかみ」がなかなか。
「デジャブ=すでに見た」と「ジャメブ=まだ見てない」という「過去と未来」の対比も同様に。

コップ半分の酒を「すでに半分しかない」と思うか「まだ半分ある」と思うか。
「過去」にこだわる前者と「未来」を見つめる後者の違いに注目。

そこからいきなり「集合論」になって
数学的証明がなされるのにはややめんどくさい感じもしたけれど。

「現在」が「現在である」ことを確かめようとすると
同時に「過去」と「未来」が生まれる。

ただしその「過去」は本当に「過去である」かどうかについて「判断」が下されるのであやしく
「未来」は「開かれている」もののそれも「現在の視点」によるのだからやはりあやしい。」と書いて昨日は寝てしまう。

「時間の正体」は読了したものの結局歯が立たずに終わる。
久方ぶりに「取りつく島もない文章」に出会ったのが新鮮。

というよりこちらが数学と物理の知識に欠けているせいで「意味不明」なだけ。
辛抱強く「文脈」を追いかける気力がないのも年のせいにしておく。

というわけで本日はここまで。
「不出来な日」もあるということでよろしく。
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