退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「英国の古典が落語に似ていることと米国のコメディアンの記録あるいはダメなリメイク映画」について

2024-02-29 01:54:39 | Weblog
快晴。風は冷たく。

フィールディング「トム・ジョウンズ(一)」を半分くらい読む。

ほぼ「落語の語り口」に近いのか。
なるほど小林信彦が「英文学」に惹かれたのがわかる内容。

おそらくは漱石も同じく。
「人々の『現実』」を描くというのにふむふむ。

昔ながらの喫茶店を探して歩いたものの見つからず。
結局地下街のチェーン店に落ち着く。

大須商店街も覗いたものの好ましい場所はなく。
「個人による喫茶店」という存在が難しくなっていることを知る。

R・J・カトラー「BELUCI ベルーシ」(’20)を観る。

「サタデー・ナイト・ライブ」が始まりで。
「アニマル・ハウス」(’78)「ブルース・ブラザーズ」(’80)で知られた俳優の人生。

彼が「アルメニア移民の息子」だということを遅まきながら初めて知る。
「自己肯定」が出来にくい環境で育ち。

「繊細な感性の持ち主」であるにもかかわらず。
それを「隠す」ためにどこまでも「過剰」を演じた結果。

コカインからヘロインにまで手を出してしまい。
最愛の彼女ジュディスを「救い」にしたものの最後は「崩壊」。

貪欲に「成功」を求めそれを果たしたが「両親」は救えず。
当時は「麻薬依存」が「意志の強さ」でどうにかなると思われてもいて。

天国にいるはずの彼に伝えたい。
「安心して。君のことは好きだし覚えてるよ」。

アンドリュー・ダグラス「悪魔の棲む家」(’05)を観る。

スチュアート・ローゼンバーグの同名作品(’79)のリメイク。
残念ながら全くダメ。

「怖さ」を感じさせるシーンが全くないのだからいやはや。
ライアン・レイノルズにこんな「時期」があったことを覚えておこう。

物語はスタンンリー・キューブリック「シャイニング」(’80)に同じ。
「ホテル」が「格安な豪華な家」に変わっただけ。

幼い娘がどこかで見た顔だと思ったら。
クロエ・グレース・モレッツで本作がデビュー作な模様(当時8歳)。

「キャリー」(’76)のリメイク(’13)にも出ていて。
「早熟のアイオワ」(’08)「キック・アス」(’10)。

デンゼル・ワシントンの「イコライザー」(’14)
「サスペリア」(’77)や「アダムス・ファミリー」(’91)のリメイクにも。
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「豊かな数学の世界とロシア映画の微妙な面白さ」について

2024-02-28 02:44:01 | Weblog
晴れ。風強く冷たし。

矢野健太郎「暮しの数学」を読む。

オリジナルは1962年。
それが2020年になって文庫化され。

前半では英語も学べる。
もっともあまり一般的でない単語が多いけれど。

遠近法や音階についてもあれこれ。
世界各国のいろんな計算法の紹介もあり。

この「豊かさ」を知っておきたいもの。
「代数のわかりやすさ」についても。

イゴール・バラノフ「ワールドエンド」(’19)を観る。

本作の設定にはいささか無理があるものの。
「ゴジラが東京しか襲わないこと」を思えばそれもよし。

「口のないエイリアン」が「敵味方」に分かれるのにふむふむ。
「超能力者」が敵を察知したり。

「スペツナズ」のユーリがアリョーナをレイプする描写が唐突。
前半の色彩の描写は好ましく。

ラストは「エイリアン」(’79)の影響がありありと。
そこからの展開が面白く。

それにしても152分というのは長すぎる。
「エイリアンが操る人類の姿」が「人間らしいゾンビ」だったり。

これも「不安のなせる業」か。
要は「誰も信用できない」ということで。
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「『泰西名画』はキリスト教を宣伝するものであることと久方ぶりの悪魔祓い映画」について

2024-02-27 02:01:23 | Weblog
晴れ。夜風が強く冷たく。

中野京子「絵の中のモノ語り」を見て読む。

今回はそういう「切り口」かと思った次第。
「泰西名画」をあれこれ見せてくれるのは有難く。

以前に見たものもそうでないものも。
わが国の「春画」ほどではないにせよ「同じ匂い」がする作品も。

われわれ男子の「変わらない欲望」を確認する。
もっとも女子がそれをどう思うかにもよるのだけれど。

「遺伝子のなせる業」という説明では納得できないはず。
「キリスト教の影響の大きさ」をあらためて。

ジュリアス・エイヴァリー「ヴァチカンのエクソシスト」(’23)を観る。

おそらく「悪魔憑き」はたいていが「精神疾患」のはず。
本作では「2%が本物」だというあたりの設定がなかなか。

アモルト神父のラッセル・クロウはこんな風になったのねといった趣き。
「教皇」フランコ・ネロが「健在」であることを知る。

かつての「異端審問」の悲劇よ。
「十字軍」も中世の「魔女狩り」もあり。

何よりこの種の世界では「性的虐待」が多いことも忘れずに。
「無宗教の身」としてはやはり「宗教なんかいらない」と言いたくなる。

ただし微妙なのは。
それを信じる人々が「好ましい行い」をすることで。

「懺悔室での告白」ですべてが許される「システム」はいかにも「ご都合主義」。
ヒッチコック「私は告白する」(’53)はそれを逆手に取った内容。
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「よくも悪くも『役に立っていた』政党の劣化と『スクリューボール・コメディ映画』を知らない人々による映画」について

2024-02-26 02:22:47 | Weblog
雨。終日そぼ降る。

石破茂、村上誠一郎、内田樹、御厨貴、前川喜平、古賀茂明、望月衣塑子、小沢一郎
「自民党 失敗の本質」を読む。

3年前にすでにこういう本が出ていて。
「劣化の過程」を確認した次第。

小泉の「意味不明な言葉」に始まり。
安倍は「選挙で勝つこと」を重んじ菅は「官僚の人事権」を。

残念ながら「民度の低さ」がこの種の現実をもたらしたことは確か。
「単純化された『現実』」しか見えない人々は今後一層増えるのだろう。

「相手の批判」に答えられない人々よ。
立場のどうこうには関係なく。

「それをさせない」といった展開になればプーチンと変わりなく。
「議論」が出来なくなっている「事実」をあらためて。

この自民党がどうしようもないとして。
なぜ「野党」は「まっとうな準備」が出来ないのかについても忘れずに。

「頭のいい人々」がこの「世界」に加わらないことも同様に。
もちろん「ウンコ」と付き合えるかということだけれど。

結局のところ「自分」が大事なよう。
「公共=他人のため」についてあらためて考えたいもの。

アーロン&アダム・ニー「ザ・ロストシティ」(’22)を観る。

ブラッド・ピッドが冒頭で「消える」。
「ハリポタ」のダニエル・ラドクリフは「悪玉」としては「寸足らず」。

サンドラ・ブロックを「中心」にするのはいささか古過ぎないか。
「スピード」(’94)や「デンジャラス・ビューティー」(’00)はいいとして。

何より気になるのが「お洒落」なつもりの会話と展開。
これはダメでしょう。

「当時の感覚」をきちんと理解していないのは明らか。
ベスのダヴァイン・ジョイ・ランドルフも「活きずじまい」でもったいなく。

「お宝探し」もこれでは。
「スクリューボール・コメディ」をきちんと「勉強」していただきたいところ。
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「結婚と身分差と現在に通じる「フィルター・バブル」を描いた古典と前作ほどではないが楽しめる映画」について

2024-02-25 03:17:40 | Weblog
雨。終日そぼ降る。

ジェーン・オースティン「高慢と偏見(上)」を読む。

富田彬訳は一部を除いてはまずまず。
「岩波の劣化」をどうやら回避できた模様。

「五姉妹」はジェーンとリジーが中心で。
メアリとキティとリディアは「彩り」。

ベネット夫妻のキャラクターはどちらもいい感じ。
前者は「ひねくれ者」で後者は「俗人」。

この二人が結婚することになるのが「当時の常識」で。
「身分差」も登場。

すべて「お見通し」のつもりのリジーの行方よ。
「気難しい」ダーシーの手紙でそれが明らかになり。

このお話の展開はブライアン・シンガー「ユージュアル・サスペクツ」(’95)に近く。
さらには「フィルターバブル」に包まれたわれわれの姿にも似て。

明日(下)も読了予定。
やはり「古典」は読んでおくべきだとあらためて。

ジョン・M・チュウ「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」(’16)を再見。

「グランド・イリュージョン」(’13)を観た後だと感想が異なることに。
プロデューサーに世界的なマジシャン、デヴィッド・カッパーフィールドの名前が。

ウディ・ハレルソンの二役にふむふむ。
ただし物語の展開は前半が微妙。

アイラ・フィッシャーに代わってリジー・キャプランが登場。
後者は前者よりグッド。

監督はその後「クレイジー・リッチ」(’18)を撮り。
そちらは未見なので要確認。

ひょっとして主人公アトラスの父親の「復活」があるのかもと思ったのだけれど。
モーガン・フリーマンによって「真相」が明らかになる。

このシリーズの原題は「NOW YOU SEE ME」。
その意味は「見えますね」と同時に「ふむふむ」という意味があったりする。
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「米国国立公文書館の所蔵写真集と『君子』あるいは検察のいたずらな権力あるいは残念な映画」について

2024-02-25 02:15:38 | Weblog
晴れ。おだやか。

編著半藤一利「敗戦国ニッポンの記録 下巻」を見て読んだのは昨日。

「米国国立公文書館の所蔵写真集」だというのがポイント。
どんなことが起きようと「記録」があれば参照出来ることの大切さよ。

翻ってわが国は「公文書の保管」に関しては全くダメなことも。
「他人に言えないこと」をしているせいだというのを忘れずに。

「鈴木邦男の愛国問答」を読む。

「君子は豹変す」という言葉を生きた人で。
間違っていた「過去」をきちんと受け止めて。

「右翼か左翼か」はどうでもよく。
「迷える自分」を真摯に表現して。

かくも「自分に正直に生きられる人」がいるのだろうか。
著者に降りかかるあれこれはむしろ「われわれの愚かさ」を表しているよう。

「何事かを声高に言う輩」にはご注意を。
「どうでもいい自分の怨念」をそこに込めているだけだから。

マル激を観る。

今回のゲストはお馴染みの郷原信郎。
政治家の「裏金問題」に隠された問題を指摘。

「まともな捜査」も出来ないまま。
結果的に「安倍派」を壊滅させた検察のいたずらな「権力」を。

カルロス・ゴーンが「逃亡」したのは。
「関係者=妻」と会ってはならないという「条件」を課されたかららしく。

それが会社社長なら「元の仕事」に戻れず。
保釈されても「社会的に抹殺される」のを覚えておこう。

関西ローカルのテレビを中心にこの種のことを話したというのだが。
在京のテレビは彼を全く無視。

その理由は「検察のリーク」をもらうためだという愚かさ。
「マスメディアの現在」も知っておきたいもの。

ニア・ダコスタ「マーベルズ」(’23)を観る。

ブリー・ラーソンが観たくて。
「物語」がほぼ成立していない展開は何とも残念。

女子3人が「入れ替わる設定」の意味を考えたいもの。
「いろんな顔」があるということで。

パク・ソジュンは以前に「社長役」のドラマを観たことがあったはず。
タイトルは失念してしまったけれど。

「バングル」の設定も活きていず。
とにかく「とっちらかっちゃった」趣き。
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「3連休の初日」について

2024-02-24 02:10:17 | Weblog
雨のちくもりのち晴れ。ややこしい天気。

昨日は「ドラマ 沈黙の艦隊 シーズン1 東京湾大海戦」を観ているうちに爆睡。

いちおうの確認として最後まで観る。
うーむと言うよりない。

「潜水艦映画」としては圧倒的にダメだと思いつつ。
原作の力によって辛うじてといった趣き。

かつての「東宝SF映画」のよう。
俳優陣の演技によってどうにか観られる内容に。

全体に「ひと昔前」という感じは否めず。
わが国に「こんな影響力」はないはずで。

現実は株価がバブル期を超えたとかいって騒いでいるのだからいやはや。
「数字を増やすこと」は楽しいらしく。

本作の意味は「従来の常識を変えること」。
それがいつまでも行われないならどうしようもなく。

AMAZONはこれで「世界に通用する作品」になっていると思うのか。
残念ながらアウトということで。

今日から珍しく3連休。
たまにはどこかへ出かけようかと思う一方。

そのことを考えている時間が実は一番楽しかったり。
「苔寺」や「東京」、「鳥取」や「福島」を思い浮かべながら。

結局「どこにも行かないこと」になるのが常。
どうにも「腰が重い」模様。

どうしてそういうことになるのかは不明。
荒井由実に倣うならば「14番目の月が一番好き」なのかも。

どこまでも「現実」に対処しない姿勢があるのか。
それが「一番の問題」だというのに。

要は「ひきこもり」ということで。
「硝子戸」からあれこれ観るスタイルに変わりはなく。

「病気」です、はい。
アル中もニコ中も活字中毒も変わりなく。
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「『若き才能』を味わうことと『This Is Me』が素敵なミュージカル映画」について

2024-02-22 02:41:54 | Weblog
雨のちくもり。夜に止む。

プルースト「楽しみと日々」を読む。

「若き才能の萌芽」を味わう。
フローベール「ブヴァールとペキュシェ」が好きだった模様。

花々と色の描写と同時にスノビズムの観察と嫉妬の行方など。
当時の作曲家を詩で表す大胆さこそ若さか。

フランス語らしく「形容の連続」もあり。
「シャルリュス伯爵の誕生」を予感させるキャラクターも。

「同性愛」の何が悪いのかと問う文章があったり。
「現代に通ずるもの」があることを確認する。

本作で描かれる「サロン」は何とも「罪作り」。
もっとおおらかに開かれたそれがあればいいのに。

マイケル・グレイシー「グレイテスト・ショーマン」(’17)を観る。

セシル・B・デミル「地上最大のショウ」(’52)がこんなかたちで「復活」。
「上流階級のいやらしさ」に対しての「This Is Me」が素敵。

「サーカスの誕生」が描かれているのを覚えておこう。
それがなぜ「テント」になったのかも。

始まりは「金儲けのためのフリーク・ショー」。
それがさまざまな道をたどって。

「同じ境遇の『本物』」を知ってしまったゆえの「放蕩」など。
もっとも西洋では「放蕩息子」は必ず「帰還」するもの。

アンのゼンデイヤよりレティのキアラ・セトルに惹かれる。
ジェニー・リンドのレベッカ・ファーガソンの「哀しみの歌」の「本当」。

主演のヒュー・ジャックマンがザック・エフロンを誘うシーンが素晴らしい。
バーテンダーの技がなかなか。

もちろんフィリップが一度は「捨てた」アンに「告白する」シーンの上下の動きも。
「サーカスの円」は「聖域」だということでよろしく。
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「昨日と今日の記録」について

2024-02-21 03:44:33 | Weblog
晴れときどきくもり。異様な陽気。

昨夜は気付いたら朝。

疲れがたまっていたのだろうということで。
何度でも身体に従うのみ。

中野京子「名画の中で働く人々」を見て読む。

こういう分類も出来るのねといったところ。
著者の解説は好ましく。

「『マクベス夫人』に扮したエレン・タリー」が印象に残る。
いずれにせよもっといろんな絵について教えてもらいたいところ。

チャン・フン「高地戦」(’11)を観る。

朝鮮戦争を描いた作品。
停戦協議がいたずらに長引く中で死者の数は増えるばかり。

とりわけそれが成立するまでの残り12時間の戦いよ。
北のスナイパーによって主人公の仲間が二度「同じ死に方」をし。

取ったり取られたりのエロック高地では「思いがけないやりとり」が。
その結果たるや。

過去の戦闘における「悲惨な事実」もあり。
「戦争というものの酷さ」をあらためて。

戦線夜曲」を挙げておく。
「この戦争は一週間で終わる」と言った北の兵士のその後も覚えておきたいもの。

以上が昨日の分。
「記録」ということでよろしく。

廣末登「テキヤの掟」を読む。

ヤクザとの付き合いは仕方なくあるものの「商売」をしている人々が。
「元暴五年条項」によって「排除」される姿よ。

何より「一般人が彼らと付き合うのも禁じる」という「意味不明さ」もあり。
「現実を知らない官僚」による「理不尽」がここに。

男女ふたりの「強力なキャラクター」は「人生」を思わせて。
本書に接すると「祭りの場における屋台」が今までと違って見えること請け合い。

ルイ・レテリエ「インクレディブル・ハルク」(’08)を観る。

エドワード・ノートンやティム・ロスが出ているとは知らず。
ウィリアム・ハートが珍しく「非情な将軍」を演じていて。

リヴ・タイラーの魅力が微妙。
「アルマゲドン」(’98)の時はそうでもなかったのに。

「グレイシー柔術」のヒクソン・グレイシーも登場。
特殊部隊を編成するピーター・メンサーの扱いがもったいない。

今日も本作を観ながらちょいと寝てしまった次第。
「体力の限界とそれについての意識の乖離=老人力の更新」か。
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「映画で歴史を学ぶこととようやく観られた映画」について

2024-02-19 02:26:13 | Weblog
くもりときどき雨。セーターだけでも汗ばむほど。

伊東順子「続・韓国カルチャー 描かれた『歴史』と社会の変化」を読む。

朝鮮戦争やヴェトナム戦争に関する記述にふむふむ。
「ドラマや映画から学ぶこと」をあらためて。

プライムビデオで観られる作品を探ったのだけれど。
いずれも2時間以上なのでやや腰が引けて。

むしろ著者の紹介ぶりで観てしまったような気になることも。
唯一のマイナスか。

これまた「宿題」を課された感じ。
「外国の文化に触れることと理解すること」の「複雑さ」に思い至ったり。

押井守「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(’84)をようやく観る。

ウルトラマンやカネゴン、バルタン星人などかのシリーズのキャラクターが冒頭に。
「ショットとカット」が何事かを感じさせる。

その他のキャラクターがほぼ「学生運動の時代」を思わせることを覚えておこう。
本来の主人公あたるとラムは「物語の外」へ。

「チェリー=錯乱坊」が案外活躍せず。
「夢邪鬼」の藤岡琢也の「落語口調」が好ましく。

「あなたの見たい夢を見させてあげる」という存在の意味を思おう。
それは間違いなく「管理」で。

古川登志夫、平野文、 神谷明、 杉山佳寿子など今にして思えば何とも「豪華」。
鷲尾真知子がサクラで「ちびまる子ちゃん」のTARAKOの名前も。

その他に田中真弓や緒方賢一、永井一郎など。
「声優の歴史」を思うのもいいかも。
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