退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「加齢効果あるいは非難より知恵を出し合うこと」について

2018-08-30 02:01:08 | Weblog
晴れ。暑さはそこそこ。

以前には感じなかったエアコンの冷えがテキメンに。

思えば半袖シャツを着なくなって久しい。
なるほどこれが「加齢効果」か。

今日も本は読んだものの今ひとつ。
「9年前の現状を語るもの」なので「リアルさ」に欠けるのかも。

当時と比べて現状は悪化している気がして乗れずじまい。
「手遅れ」な感じがしないでもない。

さて。

わが国で本格的に「論理」が失われたのは小泉政権のあたりからだろう。
それ以降を「新たな戦時中」と考えてもよさそうな。

「大本営発表」が各地で行われ。
「感情のカタルシス」のみが優先されるようになり。

「見たいものだけを見る」という情報の偏りが「普通」になって以来
「まともな議論」も出来なくなった次第。

自らの無知に対する恥を忘れると「罵詈雑言」が跳梁跋扈するばかりで。
「真実もしくは現実」を知るための「努力」も失われ。

もちろんそこには「長期的なビジョン」はなく「短期的な利益」が求められるのみ。
「ジリ貧」がこのまま進めばかつての「真珠湾攻撃」はどういう形で「再現」するのか。

まずはあらゆる場所での「貧しさの現実」を認識したいもの。
その上でそれをなくすためには何が有効な手段なのかのアイデアを出し合いたい。

そして数少ない「成功例」を参考にいかに「普通のもの」にするか。
いい加減に「ポジション・トーク」は止めて一緒に考えたいもの。

相手を非難する前に「評価すべきもの」があればきちんと評価しよう。
その上で「別な道を行く」のであれば大いに結構。

マスメディアに「対立を煽られ」て興奮するのは「子どものすること」。
それはネット上でも同様に。

そうしたものに「操られて」いないかどうかの確認を是非。

さらに重要なのは。

いたずらに「注目を集めたい」のはそれ以外に「評価されない」から。
身近な関係を「豊かなもの」にすればなくなるものであることを忘れずに。

要は。

「そこそこ楽しい環境」を維持できさえすれば人は「他人に無頓着」になれる。
それを誰もが簡単に手に入れられるのを「現実」にしたいのだが如何。
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