退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「政治的な映画が男女のコミュニケーションギャップであることあるいは『おっさんアホか』ということ」について

2018-03-31 03:49:06 | Weblog
晴れ。気温はやや下がる。

スティーヴン・スピルバーグ「ペンタゴン・ペーパーズ」を観る。

原題は「the post」つまり「ワシントン・ポスト」のこと。
ニクソンの「ウォーターゲート事件」で終わるのがポイント。

当初は「男たちの争い」であるものが
夫の自殺のために「45歳にして新聞社の当主」となったケイトの話になる。

映画を最後まで観ない人々が案外いるのに驚く。
「ノーラ・エフロンに捧ぐ」というのが重要なのに。

ちなみにノーラ・エフロンは「恋人たちの予感」(’89)や
レオ・マッケリー「めぐり逢い」(’57)のリメイク「めぐり逢えたら」(’93)

あるいは「ユー・ガット・メール」(’98)の監督であり
さらに遡れば「シルク・ウッド」(’83)「心みだれて」(’86)の脚本家でもある。

「何も知らない専業主婦」が「企業の社長」になって
「男性中心の企業家たち」から「無視」され続けた結果。

愛した夫の新聞社を「守りたい」と思いつつ逡巡は続き
最終的には「嘘」によって「ヴェトナムで死んだ若者たち」のことを思い。

つまり。

男性企業家たちは「現在の価値」を信じで行動し
彼女は「過去と未来」のために行動したということ。

編集長のベンが妻の言葉でケイトの決断の「重み」を知るあたりがなかなか。
どうやら「男女のコミュニケーションギャップ」が基本のような作品に。

だからこそ「ノーラ・エフロンに捧ぐ」という言葉が最後に出てくるわけで。
もっとも現在のアメリカの最高裁が「まともな判決」を出すかどうかは別の話。

「文脈を読めない人々の貧しさ」がここにも。
映画は最後まで観ようよ。

さて。

東宝シネマの「シネマイレージ」の登録でジタバタする。
結局は「ふりがな」を「カタカナ」にしていなかったことが原因だったり。

「おっさんアホか」というのみ。
なぜそんな単純なことに気付かなかったのだろう。

自らを振り返ればそんなことばかり。
せめて「お互い様」だと思いたいところ。

深夜朝生をちょいと覗く。

池田信夫の「相手の意見を聞かない態度」と「数字のみのどうしようもなさ」を知る。
ここでも「おっさんアホか」となり。

もって「他山の石」としたいところだけれどできるかどうか。
「反面教師」がかくも多いと人はむしろ「賢くならざるを得ない」と思いたい。

「故郷」や「生活」を失わせる「事故」を起こす可能性がある「原発」。
それをなぜ「減らす工夫」ができないのか。

一緒にその「方策」を考えればいいだけじゃないのか。
「好き嫌い」を元に罵り合っても仕方がなく。

かくも「まともな議論」が不可能だとすれば
われわれはもはや「話す必要」などない。
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「『写真』の意味あるいは『他人の生き方』を制限する愚」について

2018-03-30 02:18:34 | Weblog
快晴。連日の夏日。

映画を観ようと出かけたものの明日公開の作品であることに気付かず。

それ以外に観たい作品もなかったので仕方なく喫茶店へ。
別冊太陽「木村伊兵衛 人間を写しとった写真家」を見て読む。

写真の賞の名前にもなっている人物の作品を初めて見る。
若い頃は芸者と一緒になろうともした相当な人物らしい。

表紙の本人の写真はなぜか俳優の「安部徹」にそっくり。
他の写真では全く異なる印象なのだけれど。

その場の「雰囲気」を見事に写していることにふむふむ。
「作者のいない作品」であるのが素晴らしい。

もちろんそこに至るまでにはさまざまな葛藤も。
「ひとつのシーン」にさまざまな「焦点」があるのが特徴。

それらを「同時に見る目」は「全体性」につながり。
なるほど「素敵な人」だったのだと思うことしきり。

時間が余ったので自転車で川沿いの桜を見に行く。

すでに散り始めていて「ちょうどいい感じ」。
途中で軽い「桜吹雪」など味わい。



以前適当に遊んだ絵など載せておく。
本当は今日撮った一枚だけの写真を載せたかったのだが方法を忘れたせいということで。

先週分のマル激をようやく観る。

「官僚=企業人」であることをあらためて。
「組織に対する忠誠心」は「他の場所へ行けないゆえの恩義」だとして。

そうした形でしか「生活できない不自由さ」を改善しようとしないのはなぜか。
「決まったレール」からはずれて久しい身としてはむしろ不可解。

「旧優生保護法」の人権無視とその適用を「ノルマ」とする「自動機械ぶり」よ。
法律そのものを改正した後で20年以上その「補償」がなされない事実も忘れずに。

「子どもを生む権利」を蹂躙したことに間違いはなく。
それは「出生前診断による中絶」を選ぶこととも「つながり」があり。

「相模原事件」についても同様。
「障害とともに生きる人々」を「死んだ方がマシ」と決めつけるのは「セカイ系」の判断。

「冴えない自分」を元に他人に必要以上の「影響」を与える「傲慢さ」を振り返ろう。
あるいは「無知」ゆえの「価値判断」についても。

繰り返すが「世界の因果は複雑」。
「一時期の善意」が必ずしも「よい結果」につながらないのを「常識」だとしたいもの。

「他人の生き方」にそうそう口をはさむものではないということ。
何より「あらゆる試行錯誤」によって世界は「豊か」になるから。

それは人間以外の生きものたちを知ればよくわかるし
人間に限っても同様に。
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「きのこと危機管理の杜撰さあるいはマッシュルーム・カットのバンドの音楽の素晴らしさ」について

2018-03-29 03:22:26 | Weblog
快晴。スーツの上着を脱ぐほど。

根田仁「きのこミュージアム」を読む。

副題に「森と菌との関係から文化史・食毒まで」。
文字通りきのこに関するあれこれ。

大昔の本からの引用もたくさんあり。
著者の「きのこ好きぶり」が大いに伺える次第。

もっとも素人はそこまで入れ込むこともなく。
「きのこの同定」が案外難しいことはわかったけれど。

詳細については敢えて書かないので興味のある向きは是非。

「メルトダウン File.7 そして冷却水は絞られた ~原発事故迷走の2日間~」を途中から。

現場が周囲からあれこれ言われれば混乱するだけという「当然」よ。
わざわざIBMのワトソンを使って解析するほどのことか。

「水位」さえわかればすべてがわかるといった「マニュアルのいい加減さ」も。
事故で計器が狂うことは「想定外」なのだからいやはや。

本来は優先度の高い電源復旧作業が2日も遅れ。
現場の作業員の被ばく量が高くなりすぎたことも手伝って。

これらのことが本当に「後知恵」なのかは大いに疑問。
わが国の「危機管理」なるものの「あまりの杜撰さ」に驚くのみ。

現在においても原発には「テロ対策」や「避難対策」はないままで。
どうしてこうも「現実に向き合えないのか」をあらためて考えたいもの。

結局のところ「全体を見る目」がどこにもない。
もちろんすべてを見ることは不可能だとして。

医療現場で行なわれる「トリアージ=治療優先順位の決定」は案外知られているはず。
どの現場でもそれが出来るだけ「正しく判断される環境」は整えておくのは「常識」で。

このあまりの「貧しさ」はどうしたら「豊かさ」へと踏み出せるのだろう。
そしてわれわれはいつまで「愚民」であり続けるのか。

それとは別に。

「サージェント・ペパー ビートルズの音楽革命」を観る。

ビートルズの名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」。
あるいは「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ペニー・レイン」。

これらの曲の「作られ方」やその分析ぶりにふむふむ。
なかなか健闘している「関ジャム 完全燃SHOW」をはるかに超える内容。

録音当時の本人たちの会話もあり。
ライブ演奏がファンたちの歓声でかき消されるためレコーディングに専念したことも。

ジョン・ケージやピエール・ブーレーズなどの影響があったことを初めて知る。
「音を創り出す面白さ」というのはこういうこと。

このアルバムは1967年6月1日発売で今から半世紀以上前のもの。
さすが本家イギリスの番組と言うよりなく。

「過去の歴史」をきちんと踏まえるという意味で実に素敵。
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「オスという生き物あるいはささやかな『遺伝』」について

2018-03-28 02:44:35 | Weblog
晴れ。道端の桜が満開。

池田清彦「オスは生きてるムダなのか」を読む。

基本的には「性」がテーマではあるけれど
「鳥獣虫魚に関する小ネタ集」といった感じの内容。

「遺伝的多様性」を保つことで「環境の変化」に対応する一方で
「安定した環境」にいるものたちは全く変化しないことも。

「不死」を敢えて捨て「死」を受け入れることが「種の保存」につながったり。
そのダイナミックさあるいは「いいかげんさ」には驚くばかり。

個人的には「SRY」という言葉が
「sex determining region Y=性別決定領域Y」のことだと知ったのが収穫。

「生殖を可能にすること」以外にオスの役割はないのだと思えば
タイトルの言葉にもうなずくよりなく。

オスなしでそれが可能な生き物もいることだし
ますます「オスの生きる意味」は失われることになりそう。

そんなオスがこの人間界では「なぜ威張っているのか」。
「存在が無意味だから」といったあたりに落ち着くのかも。

「メスへの嫌悪や侮蔑」はむしろ「自らの無能力さに対する無意識の自覚」のせい。
それくらいに思っている方がマシだろう。

関係各位にはあらためて「よろしく」。
寿命が来るまでどうにかお付き合いいただきたい。

さて。

もうちょいとゴソゴソして寝る予定。
明日の仕事が終われば4連休。

今回も「旅に出ようか」と思いつつ果たせずに終わりそう。
それがどうやら父親の口癖だったことを思い出しつつ。
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「頼りなくってかなりバカであることと若い女優の表情の変化あるいは音楽の力」について

2018-03-27 02:33:43 | Weblog
晴れ。おだやか。

平山亮「迫りくる『息子介護』の時代 28人の現場から」を読む。

いたずらに「答え」を求めるのではなく
さまざまなケースについてあれこれ考える姿勢が好ましい。

「息子介護」から浮かび上がる「男子の事情」にはふむふむ。
あらためて男子というのは「やっかいな生き物」であることを確認した次第。

現在母親及びその「女縁」に相当程度助けられている身でありながら
自分ではその種の「ネットワーク」を少しも作れていない事実よ。

「いい気なもの」だと言われても返す言葉はなく。

「自分が生かされている意味」はおそらくどこかにあるのだと思いたいもの。
こればっかりは「寿命」と「未来」に聞くしかなさそうで。

読んだこともない「優しくって少しバカ」というタイトルの本を思い出す。
もっともこちらは「頼りなくってかなりバカ」ということになりそう。

さて。

今度のNHKの朝ドラの主演永野芽郁の顔が変化しているような。
まだ18歳だから当然のことか。

CMでは見えなかった彼女の表情がなかなか。
ちょいと「ブサイク」だったりするあたりもいい感じ。

基本は「蒼井優のライン」。
なぜか似たような顔の女子が同時代で評価される不思議さも。

それとは別に。

週刊文春「小林信彦のコラム」は脳梗塞からの「生還」というタイトルで続いていて。
しばらく前に読んだときは「大丈夫か」と思ったもののどうやら「復活」。

あるかわからない「老後」の参考にさせてもらうつもり。

深夜「目撃!にっぽん」の「人生にささげる一曲 ~音楽療法士 命の記録~」を観る。

音楽がこうした場面で役に立つことをあらためて。
病気の人にとってだけではないのも同様に。

「心が救われることが一瞬でできるのが音楽療法かな」という医師の言葉もあり。
ミュージシャンは必見の番組。

「耳だけで生きる状況」になっても人は「楽しめる」のだということ。
ここらあたりを「基本」にして素敵な曲を作っていただきたい。
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「久方ぶりの好ましい飲み会あるいは『帰国子女』の微妙な立ち位置」について

2018-03-26 01:22:08 | Weblog
晴れ。おだやか。

図書館に行った後で飲み会へ。

「おされなイタリアンの店」ではおとなしく。
二次会の居酒屋でどうにかほぐれる。

敢えて「恋愛事情」などについてあれこれ。
それそれ「独自のルール」に縛られていることを確認する。

三次会ではほぼ自分だけが飲んでいる状態。
会計はこちらにおまかせ。

いやはや久方ぶりのいい感じ。
こういう機会がもっとないとどうにも。

品川亮「<帰国子女>という日本人」を読む。

われわれは「単純化」することでしか相手を認識できない。
その「限界」を知って相手とお付き合いしたいもの。

ただし。

「数の多少」が「空気」を決めるようで。
レッテルの詳細は問わず。

やはり基本は「相手への想像力」か。
「帰国子女」でなくとも同様に。

その一方で。

圧倒的な「偏見の持ち主」であっても「好ましい人物」であること。
そのあたりの「複雑さ」を受け入れよう。

身近で言えば「わが母」。
彼女は中国あるいは朝鮮半島についての「差別意識」が無意識に激しい。

「鹿児島出身」であることがそれを助長したのかどうかは不明。
でも「いい人」であるのは確かだったり。

少なくとも「○○人」だからという理由で相手を非難することは「無意味」。
どこの国の人であろうと「いい人」も「悪い人」もいるわけで。

複雑なものをそのままに。
「原理」は単純だったりするのでよろしく。

もちろん「自分の経験」は疑いようもない事実だとして。
その「因果」についての判断はできるだけ慎重に。
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「営業として好ましい店の現実と未来に影響を与える仕組みあるいは相変わらずヘタレなサッカー」について

2018-03-25 01:41:11 | Weblog
晴れ。毎日歩く道沿いの桜は少しだけ開花。

今宵も老舗バー。

案外盛況でマスターの「いらち」が全開。
営業トークに忙しくしばしいつもの「放置プレイ」。

その後「老け役の俳優」が男女ともにいなくなったことなど。
明日はまた大阪へ行くらしい。

アンドレアス・M・アントノプロス「ビットコインとブロックチェーン」を読む。

このシステムを考案したのは「サトシ・ナカモト」という人。
もっともそれはあくまで「ハンドルネーム」で実際は複数の人々かもしれず。

「見事な仕組み」を考えやがったなといったところ。
「すべてを記録する装置の誕生」が及ぼす影響はおそらく今後徐々に。

本書は「プログラマー向け」なのでその詳細についてはほぼ理解しないまま。
ちょいと覗いてみただけということでよろしく。

さて。

明日は久方ぶりに仕事場の飲み会。
ただし若い女子が好む「おされな場所」での開催。

むしろその後の展開に期待したいところだけれど。
おそらくあまり多くは望めないだろうと思っているくらいがよさそう。

昨日は同様にあまり期待せずにサッカー日本代表の試合をチラ見する。

DFはマリの選手に抜かれ放題。
FWは後ろを向いて何の意図もなくパス回しするのみ。

いつまでこんな下手なサッカーをし続けるのか。
20年前と変わらず。

クラブチームを「日本代表」にした方がよほどマシ。
何かが間違っているはずなのにいつまでもそれを解決できないのは何故なのだろう。

言い方は悪いがマリ相手にこの程度ではワールドカップで活躍できるはずもなく。
もっと強い相手と試合を組めない理由も疑問。

セルジオ越後にその詳細を聞いてみたいもの。
おそらく「貧しい現実」に対処できないせいだろう。
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「男子の『落とし前』の微妙さと『魔女』に関するあれこれ」について

2018-03-24 02:00:16 | Weblog
晴れ。冷たい風が吹く。

橋爪大三郎「丸山眞男の憂鬱」を読む。

著者の「問題意識」と「説明」には納得するものの
途中からほぼ「繰り返し」になる内容は如何。

引用する漢文を書き下しにしないところを見ると
丸山眞男がやたらにドイツ語を使ったのを批判できないような。

「宗教」についてあれほど明快だったはずの著者がこんな姿を見せるだなんて。
「固執すること」の意味をあらためて思った次第。

佐藤義和「バラエティ番組がなくなる日」を引き続き読む。

フジテレビの「ひょうきんディレクター」が述べるところは
これまた意図はわかるものの微妙。

むしろ「後続を育てること」の難しさを思うのみ。
この種の「センス」も知らぬまま高学歴の学生がテレビ局に就職した結果かも。

どんな世界でも「優秀な人材は一握りであること」を痛感する。
そもそも「教育が可能であるかどうか」についても同様に。

ダリオ・アルジェント「サスペリア」(’77)を久方ぶりに再見。

「第三の男」(’49)のアリダ・ヴァリや「飾窓の女」(’44)のジョーン・ベネット。
あるいは「悪魔のはらわた」(’73)のウド・キアが出ていたことを忘れていた次第。

整然と分割された原色の照明とスタイリッシュな建物に加えて
「包丁や鉈のシルバー」が光る魅力よ。

もちろんゴブリンの音楽の効果もあって。
「近代的デザイン」の中で「ゴシックな魔女」が出てくる「倒錯ぶり」もなかなか。

監督が得意な「透明なガラスを隔てた描写」もあり。
「かつての欧米の美女はやがて魔女になる」ことも。

現在のわが国で「立派な魔女」なのは夏木マリか。
「奥様は魔女」(’04)というドラマが懐かしい(オリジナルはアメリカ)。

その「先輩」はと言えば富士眞奈美のはず。
岸田今日子も吉行和子もその「一派」。

イタリア語通訳の「シモネッタ」こと田丸公美子もこの「ライン」に加えたいところ。
結局「魔女」とは「優れた女性」に過ぎないのかも。

ならばその存在は今でも各地に。
大いに活躍していただきたいと思うことしきり。
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「場所やアルコールに影響される人格あるいはラブホテルという『文化』」について

2018-03-23 02:11:40 | Weblog
晴れ。風やや強し。

仕事場に着く直前に以前の若い同僚と会う。

気付かずに通り過ぎたところで彼女の方から声をかけてきたのだけれど。
「おっ、おっ」と意味不明な返事をして別れる。

彼女にとっては地元ゆえこの「出会い」はある意味で「当然」。
こちらにとっては「不意打ち」でいささか動揺した次第。

何とも間の悪い感じ。
おそらくこれが仕事場でならきっちり対応できたはずなのに。

そういえば。

大昔にクインビーで初めて会った女子に
酒の勢いもあってか意味ありげなことを言って結構なインパクトを与えた後。

その次に店で会った時にはシラフで何だか恥ずかしく
彼女の友人にばかり話かけていたところ。

「この人、あたしのこと無視する」と言われ店を出て行かれたことを思い出す。

それとは別の女子を怒らせて店を出て行かれたこともあるのだからいやはや。
実は男子に関してもそうしたことがなくもなく。

ある場面ではそこそこのコミュニケーション能力を発揮するものの
そうでない場面では「ダメな人」。

さて。

「どちらの人格が本当なのか」などという問いは立てずにおこう。
「いずれも自分」なのだというのが「本当」だから。

金益美・村上賢司「日本昭和ラブホテル大全」を見て読む。

「ラブホテル」という存在が「ある種の文化」だというのにふむふむ。
亜美伊新という「デザイナー」がいたことも同様に。

今では「コスプレ」や「宴会」、「映画の撮影」に利用されることも多く。
予算など気にせず「好きに作れた時代の遺産」を大切にしたいもの。

「豊かさ」が「文化」をもたらす事実がこんなところにも。
残念ながら個人的には「地味な場所」しか知らず。

「非日常の空間」が「日常を生きるため」には案外重要だったりする。
こうした「悪場所」はきちんとあり続けていただきたいもの。

そうでないと妙なかたちで「暴発」したりするから。
そのあたりの「バランス」を心得た上で。

一見「無意味な散財もしくはエスカレーション」が
何がしかの「役割」を果たす事実を知っておきたいもの。

というわけで。

明日も有給休暇なのでもう少し飲んで寝る。
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「複雑ゆえに避けられていることと残念な映画化」について

2018-03-23 02:07:58 | Weblog
『雨。少しは止むも一日中降る。

柳澤協二・伊勢崎賢治・加藤朗「新・日米安保論」を読む。

アメリカの世界からの撤退や中国やインドの台頭など。
国際情勢が複雑さを増すにつれていよいよややこしいことに。

「冷戦時代の核の傘」にいる時間が長かったせいか
わが国が「戦略的思考」を失って久しいのは事実。

アメリカに依存したままでいいのかあるいは独自路線を目指すのか。
少なくとも「従来の路線」はダメなことは確かなよう。

どこにも「正解」がない問題について「考えたくない」ではどうしようもなく。
本書で提起されたことについてはじっくり腰を据えて考えないとどうにも。

そして自らが「どんな国を目指すのか」が肝心だったり。
伊勢崎賢治と佐藤優の対談などあったら面白そうなのだけれど。

テイラー・ハックフォード「PARKER/パーカー」(’13)を観る。

リチャード・スタークことドナルド・E・ウェストレイクの原作。
「悪党パーカー」シリーズがこんなところで映画化されていたのは不覚にも知らず。

ジェイソン・ステイサムが原作のイメージ通りかは別にして。
ジェニファー・ロペスの「コメディエンヌぶり」はさほどでもなく。

作品の「キズ」は彼女の元夫とのからみ。
この描写が必要だったのかと思うほど。

パーカーの彼女にも今ひとつ魅力がないし。
観られる作品にはなっているものの本来はもっと面白いはずだと思うことしきり。』でまた寝る。

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