退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「遺伝子の旅より具体的なドラマあるいは淡泊な入浴スタイル」について

2019-01-24 02:21:32 | Weblog
晴れ。寒いようなあたたかいような。

スペンサー・ウェルズ「旅する遺伝子」を読む。

副題に「ジェノグラフィック・プロジェクトで人類の足跡をたどる」。
十年余り前の作品なのでこれが現在どうなっているのかは不明。

興味をそそられたかと言われるとやや微妙。
それぞれのグループの「移動ぶり」はわかるもののやや「茫漠」とした感じ。

これならNHK「ファミリーヒストリー」の方が具体的でいいかも。
あるいはドラマ「ルーツ」(’77)や映画「ゴッドファーザー」シリーズで十分。

あまりに「遠い昔のこと」だからではない。
そこに「ドラマがないから」だということでよろしく。

むしろ人々が「移動した『事実』」を生んだ環境の変化なら興味はあるのだが。
「ご縁」がなかったということに尽きる。

それとは別に。

自分の「入浴スタイル」についてちょいと。
年中ほぼシャワーのみで冬場の今も湯船につかるのは長くて2分。

寒いとは思いつつ身体を洗い終わってから。
なぜかそういうことに。

いわゆる「カラスの行水」だと思っていただいて結構。
最初は「半身浴」でその間に歯磨きしてから肩までつかる。

湯船を出て頭を洗い終了。
全体でおそらく二十分くらいのおきまりの行程。

だからからか温泉には全く興味なし。
「いい湯だな」などとは思わず粛々と一連の行動を済ますのみ。

かつてワンルームに住んでいた時も同様。
浴槽が横に広かったのでつかるときは寝そべる形になるだけ。

今は四角く狭いので「体操座り」。
両手でしばし湯を掻き続けて「ハイ、終わり」。

あれこれ「淡泊」な模様。
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「かつてのマンガ雑誌の熱気と自分の身体のわからなさ」について

2019-01-23 01:56:20 | Weblog
『晴れ。夜気が冷たい。

大野茂「サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年」を読む。

マンガそのものではなく雑誌のお話。
かつてマンガ全体が「有害図書扱い」されていた「過去」よ。

著者は65年生まれなのでリアルタイムで知る部分は少ないはず。
当時少年マガジン編集部にいた内田勝との出会いがきっかけであるらしい。

50年代後半から70年代前半にかけての「時代の熱気」は感じられる。
さまざまな漫画家たちにSF作家たちも絡んで。

手塚治虫、横山光輝、寺田ヒロオ、藤子不二雄、赤塚不二夫、水島新司、
ちばてつや、川崎のぼる、森田拳次、石森章太郎、谷岡ヤスジ、ジョージ秋山、

白土三平、さいとうたかを、水木しげる、つげ義春らに加え
福島正実、星新一、小松左京、筒井康隆、豊田有恒、眉村卓、平井和正、光瀬龍、半村良など。

「怪獣博士」大伴昌司に関する記述とともに当時の怪獣ブームも。
どこか「プロジェクトX」を思わせる内容。

ただし「聞き語り」ゆえかいささか「平坦な記述ぶり」がやや気になるところ。
もっと「熱を込めて」もよかったのではないか。』でまた寝る。

このところ家で飲む量が減ってきているというか
たいして飲んでないのに眠くなることが増えている。

これも「老人力」のなせる業か。

とはいえ場合によっては「だいぶ飲んだな」となることもあり。
自分の身体ながらよくわからない。

とりあえずその場その場にまかせるのみ。
こればかりは考えてもムダのような。
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「かのミュージシャンの映画好きあるいはもっと昔の作品を観るべきこと」について

2019-01-22 01:58:08 | Weblog
晴れ。おだやか。

細野晴臣「映画を聴きましょう」を読む。

知らぬ間にかのミュージシャンはキネマ旬報で連載を始め
読者賞も獲っていた模様。

今年で72になるというのが驚き。
相変わらず自分の年齢を忘れて。

本職である音楽もさることながらいやはやあれこれ観てらっしゃる。
巻末に「作品と人名リスト」が付いているのが好ましく。

洋画のみならず邦画も。
武満徹、黛敏郎、林光、芥川也寸志、真鍋理一郎ら作曲家の名前も懐かしく。

とりわけ黒澤明「用心棒」(’61)の佐藤勝によるマンボがお気に入りらしい。
川島雄三「洲崎パラダイス 赤信号」(’56)は音楽もいいことを初めて知る。

「悪魔のいけにえ」(’74)を映画館で観たもののあまりの恐怖に途中で出てしまい
「ホラー映画」が「トラウマ」になった過去もあり。

ただし「終わりから観る(!)」という荒業を使ってホラーに慣れたというのがなかなか。
こんな「独特な対処法」は著者でなければできない代物。

その一方で中川信夫「東海道四谷怪談」(’59)を観ていたりするのだから何とも。
西部劇やSF映画好きでもあったりもして。

初期ゴダール作品におけるミッシェル・ルグランの音楽を久方ぶりに思い出す。
市川昆「火の鳥」(’78)の音楽も確か彼だったはず。

読者層を考えてユーミンの「ひこうき雲」(’73)のベースを弾いていることを
「(笑)」付きで書いているのに笑う。

個人的には「銀河鉄道の夜」(’85)の音楽が印象に残っている。
冒頭の音だけは今でも思い出せるもの。

あれこれ言いだしたらキリがないのでこのあたりに。
そこそこ映画を観ていると実に楽しめる内容なので是非。

それにしても。

こういうお話ができる相手が身近にいるとありがたいのだが。
「隠居」しているせいかなかなか。

あらためてもっと昔の作品を観ないとと思うことしきり。
ちょいと時間があってもついつい「ジャンクっぽいもの」を観てしまいがち。

まあたまに「拾い物」もあるので悪くはないのだけれど。
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「『他人の基準』を元に生きることの苦悩あるいは『物事の真偽』とそれがどうでもいい世界に追い込まれる理由」について

2019-01-21 02:13:38 | Weblog
雨のちくもりのち晴れ。吹く風が冷たい。

奥田祥子「『女性活躍』に翻弄される人々」を読む。

「上から規定される『平等』」と「ライフイベント」に揺さぶられ。
「女子の生き難さ」をあらためて。

もっともそれは男子も同様に。

結局「他人の基準を元に生きること」のあやうさが浮き彫りに。
かくも「好きに生きられない理由」を考えたい。

基本は「数字のみを求める企業の理不尽さ」か。
その言い草はまるで「プロレタリア文学」のようだけれど。

「好ましい環境」がなければ作るしかないのだと敢えて言っておく。
誰もが自動的に会社に就職して正社員になるのがいいわけでもなく。

わが国の「普通」は根本的に見直されるべきかも。
「流行」が時代によって異なることも同様に。

相手に「迷惑を掛けまいとすること」が
「コミュニケーション不足」を生むのはつまらないことだったり。

自らの欲望を満たした上で楽しく暮らすためには何が必要なのか。
それが「一番大事なこと」であるのを思い出そう。

そしてそれを妨げているものが何であるのかについても。

マル激を観る。

今回は「真偽確認」をするNGOを立ち上げた楊井人文がゲスト。
本職は弁護士だがこの「仕事」によって収入は減っているとのこと。

基本はいわゆる「フェイクニュース」に関する事実確認。
彼曰く「これですべてが解決するわけではない」と。

われわれは意図しようとしまいと「間違える存在」であること。
そのことをできるだけチェックしようという志が素敵。

もちろんその対象は「事実」についてのみ。
とはいえそれが微妙なケースもあるので「新たな実験」だと思えばいいかも。

すでに何度もウソを繰り返しそれがバレても平然としている輩はいる。
そうした中においてこの試みは「エラいなあ」と思うことしきり。

この「まっとうな仕事」を「最後の砦」として物事の「真偽」を量りたいところ。

「ホントかウソかはどうでもいい」と思っている人々がいる現在
そうした場所に「追い込まれた」のは何故かを考えよう。

そもそも誰もが「『本当』を生きたい」はず。
その実現を妨げたものに関する「カラクリ」に敏感でありたいもの。
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「経済関係のインチキゆえの一貫性あるいは『貨幣量=豊かさ』だとする怠惰」について

2019-01-20 02:44:00 | Weblog
晴れ。また寒さが緩む。

本切れで高橋洋一「この金融政策が日本経済を救う」を古本屋で買って読む。

11年前くらいに出たものですぐに2刷になった模様。
以前にも読んだことがあるはず。

わが国における経済関係の言説には「インチキ」が多いので
過去を振り返ってみるのが重要。

著者が現在まで一貫して同じことを繰り返している理由は
「現状」が一切変わってないからだと思えばいいだろう。

マスコミも議員も「リテラシー」が無さすぎるとのこと。
「バランスシート」に関する話についてきちんと反論できる人はいるのだろうか。

気になるのは「消費増税」を本当にするのかどうか。
やめた方がいいのに。

繰り返すがそもそも経済に関わる人々に「インチキ野郎」が多すぎ。
なぜそうなっているのかを知りたいもの。

数は少ないとしても「まともな専門家」がいることも忘れずに。
いたずらに疑うだけならむしろ自らの判断を疑うくらいがマシかも。

結局「われわれのリテラシー」がきちんとしていないとどうにも。
「専門知識」がないのだからせめて「人を見る目」は養っておきたい。

彼ら彼女らの議論もしくは過去の発言をたどっていけば
ある程度はわかるはずだもの。

ここでも「検証すること」が大事なのをあらためて。
「チェックなしに機能しないのが民主主義」であるのも同様に。

さて。

専門家を見分ける上での基本は「金の出所」。
それだけでたいていのことはわかるという「単純」。

「スポンサー」に不都合な情報を伝えないマスコミを思い出そう。
「金銭で転ぶ」かどうかもポイント。

たとえばシングルマザーの「貧困」のレベルを思えば
「家族を守るために」などというのはほぼ「戯れ言」。

本当にギリギリのところで生活しているかといえば「現在のレベル」を落としたくないだけ。
それを「金持ちの論理」だと呼んでおこう。

もちろんどう暮らそうとそれぞれの自由ではある。
ただし「自分の偏った見方」についてはできるだけ敏感でありたい。

何の疑いもなく「貨幣をたくさん持つこと=しあわせ」だというのは「怠惰」ではないのか。
「何もしたいことがないからだろう」と思うくらいが「本当」。
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「漢詩もしくは漢語の魅力と楽しいB級映画」について

2019-01-19 03:33:23 | Weblog
晴れ。やや風が吹く。

「鷗外歴史文學集 第十三巻」を読む。

ようやく本シリーズも読了に至った次第。
最終巻も鷗外の漢詩だけれどやはりあまりピンと来ず。

昔の人々の作品と比べて「軽い」という印象が拭えずに終わる。

こうなったら漱石の漢詩を読んでみるべきか。
あるいは今まで読んだことのない漢詩人の方がいいのか。

まとまって読んだのは李白、杜甫、白居易、陸游、蘇東坡くらい。
こうしてみると唐に偏っているような。

「四書五経」ではなぜか「論語」と「易経」だけという中途半端さ。
このあたりは「老後の愉しみ」にしておくとしよう。

おそらく本来ならそちらを先に読んでおくのがいいのだろうけれど
そこはそれ「生来の怠惰」と「濫読癖」によるもので仕方がない。

とはいえ簡潔に描写できる漢語に魅力を感じずにはいられず。
欧米は何しろ長いのが基本だから。

TVでスティーブン・カンパネッリ「その女諜報員アレックス」(’15)を観る。

オルガ・キュリレンコはウクライナ出身のモデルで6か国語を操る才媛らしい。
かつてはボンド・ガールも務めた今年40歳になる女優。

この監督はアクションをよくわかっている感じ。
もっともカット版なので部分的にわかるのみ。

主人公とそれに敵対する男との関係がなかなか。
どこかSMの匂いがしないでもなく。

悪玉の上院議員にモーガン・フリーマン。
余計に「セクハラ感」が強まるのも今となっては微妙。

楽しいB級作品。
「拾い物」をするのはいつでもうれしい。
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「経済政策で人が死ぬことあるいはタフさと身体に従うこと」について

2019-01-18 02:02:39 | Weblog
『晴れ。夜にちょいとパラつく。

デヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス「経済政策で人は死ぬか?」を読む。

リーマン・ショックやソ連崩壊、アジア通貨危機やアイスランド、ギリシャなど。
過去の「自然実験」からわかったこととは。

「緊縮財政」はいずれも失敗に終わったこと(IMFの介入は悉くダメ)。
失業や自殺もしくはホームレス対策をしないと経済は回復しないこと。

本書のタイトルに対する答えは「イエス」。
当然と言えばそれまでだけれど。

「有効な対策」が「緊縮財政」ゆえに中断されることもしばしば。
「保守政党」と「保険会社」は「自らの利益」しか考えず現実を無視して。

とりわけ後者が「本来保険を必要としている人々」より
「高額な治療を受ける人々」を優先する「非人道ぶり」を忘れずに。

本書は5年ほど前に出たようだけれど
思ったより長くなく無駄な記述も少ないのがいい。

もっと多くの人々に読まれることを望みたいところ。
とりわけ「経済的困窮」に苦しむ向きには是非知っておいていただきたい内容。

「奴ら」は「あなたたち」を平然と切り捨てる。
そこでは国籍も人種も無関係。

「移民や外国人のせい」ではないのでよろしく。
騙されてはいけない。

深夜錦織vsカルロビッチの試合を観る。

2mを超す長身である後者のサービスエース59本に耐えた前者のタフさよ。
試合後には「ぼくの年間のサービスエースの数と同じ」などと笑いを誘って。

それと同時に39歳でありながら現役を続けるカルロビッチの「強味」にふむふむ。
なるほど体力を温存できる仕組み。

おそらく「歴史に語り継がれる試合」になるはず。
「7」が並ぶセット数に「お疲れ様」と思うのみ。』でまた寝る。

やはり「ちょっと横になろう」とするとそうなる模様。
まあ身体に従っているわけではあるけれど。
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「『含羞』の人と『他人をダシにする』ゆえの悲劇」について

2019-01-17 02:42:30 | Weblog
晴れ。またあたたかく。

長谷川智恵子「鴨居玲 死を見つめる男」を読む。

著者は「日動画廊の副社長」で画家とお付き合いのあった人物。
作品についてはこちらまで。

かの画家は日本人離れしたルックスの持ち主で愛されるキャラクターだった模様。
母親や有名な下着デザイナーの姉、妻や友人たちに「依存」しつつ。

その一方で自殺未遂を繰り返す「厄介さ」も。
どうやらある種の「遊び」だったらしく最期は「事故死」かも。

本書に載っている作品の中では青い「教会」が印象的。
その他にも赤や緑や琥珀色が綺麗。

ただ「死を見つめる男」というタイトルは微妙。
デッサンに励んだ事実からすると「自らの才能」を常に疑問視していた可能性もあり。

自らの意識の中では「眼高手低」だったやもしれず。
「行き詰まり」ゆえの海外を含む何度もの引っ越しに「モチーフの欠如」も伺えて。

思い出すのは作家の開高健。
「特定の才能ゆえの苦悩」と「躁鬱」が似ているような。

いずれも「素敵な人」だったことだけは確か。
彼らの「含羞」を今こそ思い出したいものではある。

それとは別に。

稀勢の里が引退を発表する。

ここでも意識とは異なり身体が付いて行かなかった模様。
敢えて「ありがとう」というファンたちとは違うことを言いたくて。

相当なケガを負った後で無理に出場しては休場の繰り返しの裏には。
「久方ぶりの日本人横綱」などという「物語」を背負ったせいがありそうで。

単に「不運な人」なのだろうか。
おそらく違うはず。

彼をそんなところに追い込んだのはわれわれの「島国根性」ではないのか。
「異常な連投を当然とする甲子園球児たちの悲劇」を思い出す次第。

「他人をダシにする」のもほどほどにしないとどうにも。
娘を「支配する」母親の嫌らしさにも似て。

「自分を生きられないこと」を他人に託すのもほどほどにしないと。
「本当の『自己責任』」はおそらくそこにあるはず。
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「リベラルとメディアの『限界』」について

2019-01-16 01:56:55 | Weblog
くもり。午後から夕方にかけてパラつく。

「#リパブリック」読了。

全体に「アメリカのリベラルの発想」だという印象。
セレンディピティ・ボタン」というのは面白かったけれど。

要は「自分とは異なる意見もしくは世界」を知れということ。
ただしそこに必要なのは「あすなろ」の心構えかも。

「明日は少しでもマシになりたい」という気持ちがなければ
ひたすら「自分の好きなもの」だけに囲まれていたくなるのも当然。

現在の状況を考えると相当に難しい「前提」があるような。
どうも「リベラルの『悪い癖』」が前面に出ている感じが濃厚。

「分極化=極端に違う考えになること」に関しての「プラスマイナスの指摘」は「正しい」。
「プラス=従来にない広がりのある展開」で「マイナス=過激化」ということで。

ただしそういう「どっちつかずさ」こそ現代人が「受け付けないもの」だったり。
やはり「メンバーが限られる発想」で「多数派」にはなれそうもない。

「多数決」で勝ったことのない身としては大いにうなずくところもありつつ。
「選択肢の多さ」が「めんどくささ」を生み「繭」に閉じこもることに。

その仕組みについては知っておいてもいいかも。

他人に左右されることを減らすためにはそれなりの「自信」が必要。
それを担保するのは「地道な実験と反省」だと思われるが如何。

さらには「謙虚であること」も同時に。
「根拠のない自信」が「先鋭化」をうながすことも知っておきたいもの。

いずれにせよ「そういう考えもあったか」と思わせる存在でありたいところ。
相手を罵倒するという「安易さ」に流れないように。

それとは別に。

たとえばツイッターの「字数が限られている」のは事実。
われわれの言語能力を考えれば少ない文字数で何事かを伝えられるかは相当にあやしく。

「わかりやすさ」のみが優先されることにもなりがちで。
そこで大切な何かを伝えようというのはそもそも「可能」なのかどうか。

むしろ「誤解を生みやすいメディア」であることを確認しよう。
そもそも「大事なこと」を話す時には言葉数が増えるのが普通でもあり。

「少ない文字数」は「さまざまな解釈」を生みやすいことも忘れずに。
さらには「それぞれの常識=前提」がぶつかり合うことも増え。

もちろん「相手の顔やその他の反応」を知ることができないのも確か。
せいぜい「支障のないところ」でやりとりするのが「関の山」ではないのか。

それぞれのメディアの「限界」を踏まえた上で「お付き合い」したいもの。
なぜならわれわれはその「限界」に操られやすい存在だから。
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「結局大事なのはコミュニケーションであることとやや低調な『マルチシナリオ』あるいは『たらこの誘惑』」について

2019-01-15 03:04:26 | Weblog
晴れ。連日の好天。

仕事が「早出」であることを忘れドトールに行けず。

キャス・サンスティーン「#リパブリック」を途中まで読む。
副題に「インターネットは民主主義になにをもたらすのか」。

今のところお馴染みの「分極化」についてのみ。
明日の展開に期待したいところ。

深夜「超人女子とズケ女」を観る。

今回のゲストはTENGA広報の西野芙美。
セックスレスに悩むカップルも多い中18歳から34歳までの男女4割以上が童貞や処女だったり。

結局「コミュニケーション」であることを理解することが重要か。

「賢者タイム」という言葉を初めて知る。
オーガズムの後で「冷静になれる時間」を指すらしい。

「性感染症」などの「危険」ばかりが強調されたのが問題かもという指摘もあり。
「楽しい交わり」が各地であるように祈るのみ。

ボノボがわれわれよりうまくやっていることもお忘れなく。

引き続き「ナイトシフト 真夜中の救命医 シーズン2 #5」を観る。

今回は珍しくトファーが戦場の記憶に動揺する。
TCは「コヨーテ」と呼ばれる人身売買の男のために自ら輸血し続けて。

オチはグエンとのラブラブ関係。
「マルチシナリオ」の効果はいささか弱かったかも。

さて。

山下達郎「甘く危険な香り」では「思わせぶり」なのが「口づけ」。
それが高橋真梨子だと「はがゆい唇」に。

渡辺真知子なら「熱く君を語れ」ということにも。
オリジナルラブなら「長く甘い」。

横に長く伸びたM字の「たらこ」が発するメッセージとは。
少なくとも「マヨネーズ」ではないことは確か。
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