退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「俗事とクスリに頼り過ぎる危険あるいはアメリカの『危さ』とわが国の『反省のなさ』」について

2018-12-31 02:18:11 | Weblog
晴れ。今日もそこそこ風が吹く。

母親のリクエストに応えて部屋や玄関の掃除などする。

その後いつものドトールへ。
「鷗外歴史文學集 第十一巻」で「北条霞亭(下)」を少しだけ読む。

夕べの酒のせいか捗らず。
今年中の読了はやはり無理だった模様。

帰宅後ダラダラTVなど観つつ二階へ。
相変わらず「動き過ぎ」の母親は「同じパターン」を繰り返し。

マル激を観る。

今回はアメリカで相当問題になっている「オピオイド」について。
「依存性の高さ」が災いして知らぬ間に「呼吸停止」に至るとのこと。

わが国は「国民皆保険」と「規制の網」によってどうにか「セーフ」らしい。
「まともな使い方」をすれば問題ないことも。

「クスリ問題の基本」はどうやら「孤立」のよう。
「止める他人」がいないから使う量が増えるままに。

「痛みをすべて抑えるべき」という「考え方」も手伝って。
「生活の質=quality of life」が行き過ぎた結果。

かの地では「安い保険」に入っていると「安いクスリ」が処方されることもあり。
「規制」を強めたせいで「アンダーグラウンドからの供給」が増し。

どうしようもない「経済的苦境」に陥ると
クスリによる「束の間のしあわせ」が必要になるわれわれよ。

フランク・ダラボン「ミスト」(’07)を観る。

「ショーシャンクの空に」(’94)「グリーンマイル」(’99)を撮った監督の作品。
本作もスティーヴン・キング原作。

「怪物の姿が見えない」のはいいとして
キリスト教絡みのあれこれはむしろ「アメリカの姿」を描いたものと思っていいかも。

「銃の描かれ方」について注目したい。
その「解決」が「解決でないこと」を。

一見「正しい」主人公たちの辿る結末は
どこか現在の「トランプ・ワールド」を思わせて。

この「気持ち悪さ」の元は何なのだろう。
「リンチ」があってもそうした「共同体」が生き残るのだとすれば。

それが「アメリカ」なのだと言われれば頷かないこともなく。
「宗教に基づく立国のあやうさ」とでも言ったらいいのか。

われわれの「ひよわさ」をあらためて。
「イラク侵攻」でその「大義」であった「生物化学兵器」がなかったことを思い出そう。

そしてその「反省」がかけらもないわが国のことも。
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「墓参りと素敵なおっさんふたりあるいはアホであること」について

2018-12-30 01:27:58 | Weblog
晴れだったはず。寒風は吹きすさび。

墓参りに行く。

帰りに喫茶店でピザトーストとコーヒー。
カバンのファスナーがバカになっていたので久方ぶりに新しいものを買う。

帰宅後カレーを食べて老舗バーへ。

今宵は客も少なくマスターの対応もどうにか(ニューボトル入れました)。
飲んでいるうちに隣りにいたオッサンふたりとあれこれ話すことに。

片や元暴走族の頭で片や機械としか会話できなかった人のつながりが好ましく。
前者の「身体の頭のよさ」に驚く。

今は介護関係の輸送に携わっている模様。
後者はさまざまに「死にかけた体験」など。

こういう人たちと出会うとなぜか「落ち着く」。
とりわけ前者の「声のよさ」を確認した次第。

熱心なキリスト教信者である妻とは「衝突」もあるという年上の彼に
「寿命」という言葉の解釈と「それぞれ実験するしかないでしょう」ということを伝える。

「正しさ」にこだわるなかれと。
後者には「当時は死にたかったんじゃないですか」などと。

何とも楽しい時間はあっという間に過ぎ。
もっと一緒に飲みたかったけれどそこはそれ「適度」に。

「腹八分目の関係」がいいもの。
だってまた会いたくなるでしょ。

こちらとしては大いに「満腹」。
年末の楽しい夜をありがとうというのみ。

深夜「世界はほしいモノにあふれてる」をちょいと観る。

JUJUはやっぱり好き。
彼女の「存在」そのものが好きかも。

「スナック・ジュジュ」に通いたい。
「ライブ」じゃなくて「お店」に。

常連になってバカみたいになって。
楽しそうな彼女を見てしあわせになって。

ほぼ「基地街」だけれどそれでいいくらい。
おっさんアホか。

そうです、アホなんです。
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「過去の事実を思い出させてくれる素敵な作品と仕事終わりのサプライズ」について

2018-12-29 01:51:04 | Weblog
晴れ。小雪がチラつく。

「ふたつのオリンピック 東京1964/2020」読了。

ラストは「大文字の歴史」にやや重きが置かれた感じ。
つい最近のあれこれについて思い出す。

プロ野球におけるかつての「助っ人」たちの姿は
現在の「外国人労働者」たちの姿を思わせて。

年月が過ぎても変わらない「扱い」に何ともはや。
この「島国根性」は相当に強固なものらしい。

いわゆる「記者クラブ問題」がこんなところにも顔を出し。
一度是非マル激にゲストで出ていただきたいと思うことしきり。

わが国の「広報」がむしろ「隠蔽」を担っているのにふむふむ。
もっともスポーツ界の「国際化」は進んでいる一面もあり。

著者がはしだのりひこ&シューベルツの「」を好きなのが意外。
そしてユーミンの「あの日にかえりたい」で泣いたことも。

現在の日本人がすっかり忘れてしまった過去を思い出せてくれる素敵な作品。
「あとがき」で玉木正之が書いているように「ビルドゥングス・ロマン=成長物語」でもある。

著者と同世代の人々に強くお勧めすると同時に
若者たちにもこうした「過去」を知っておいてもらいたいところ。

クリント・イーストウッドが勲章をもらったのだから
ジョン・ダワーや本書のロバート・ホワイティングも貰っていいのではないか。

読み終えて久方ぶりに「感慨にふける」気持ちに。
「歴史の重要さ」にあらためて感じ入った次第。

それとは別に。

かつての若い同僚が唐突に仕事場に現れる。

たいていの場合それは「現在」より「過去」が楽しかったせいであることが多いのだけれど
彼女の場合は様子が違っていて。

相変わらず元気で「近況」を話したかったのが第一のよう。
本人同様「ちょいと変わった同僚」に接近中らしく。

車中で彼女が「お腹がすいた」と言ったところ。
彼は側にいた数人分のお金を出して「食べてきたら」と答えたとのこと。

「『じゃ、どこかで何か食べようか』というのが普通じゃないですか!」と力むので
「相当な『昭和男子=オヤジ気質』なんじゃない?」と適当な返事など。

「君が好意を持つタイプは以前からちょっと変わり者でしょ」と付け足す。
「過去の歴史」を知られているだけに当人は「そっかぁ」と。

とりあえず二人での食事には漕ぎつけたようなのでまずまず。
「君にしては上出来じゃない」と言うと「えへへ」。

仕事終わりの日のちょっとした「サプライズ」としては悪くない。
彼女に幸あれ。
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「東京オリンピック当時の様子と今ふたたびのオリンピック」について

2018-12-28 01:28:01 | Weblog
『晴れ。強風が吹く。

ロバート・ホワイティング「ふたつのオリンピック 東京1964/2020」を半分くらい読む。

「菊とバット」「東京アンダーワールド」を書いた著者の作品。
個人的な歴史と大文字の「歴史」が交錯する内容。

「当時の雰囲気」を生で知っている人だからこその記述が何とも楽しく。
仕事帰りの電車でもついつい読んでしまった次第。

ある時期の東京は「天国」だった。
ただしそれは異様な労働時間がもたらす「地獄」でもあったということ。

オリンピックのための準備についても同様。
景観は汚され犬猫は殺され。

例えば。

NHK「東京リボーン」などという番組は「ゼネコンの手先」のような内容で。
人々の生活を無視したイベントのために「施工技術の素晴らしさ」を取り上げて。

なぜある種の男たちはやたらに「イベント」をしたがるのだろう。
「ベイエリア」が実は災害に対して「最大の危険地域」であることも忘れ。

「穏やかな生活」を望む者たちにとってそれはほぼ「災害」。
そのことが理解されないのが不可解であるのみ。

おそらくそうした内容が本書の後半だと思われるけれど。
明日の読了が楽しみ。

深夜TVで「ゴッドファーザー」(’72)をやっていたのでついつい観る。

「男たちの勝手な世界」がここにも。
女たちが常に軽んじられている「事実」よ。

ただしこうしたことが過去にあったのは確か。
その「歴史」は知っておきたいもの。

やはり当初は「家の仕事」を嫌っていたはずのマイケル=アル・パチーノが
いつのまにか「立派なドン」になっていく過程にふむふむ。

どうにか穏やかに事を収めたかったドン・コルレオーネ=マーロン・ブランドの思いとは別に。
「部下の裏切り」や「相手の出方」を承知の彼は孫と遊んでいるうちに倒れて死ぬ。』で寝る。

どうやら酒のピッチが早かった模様。
このところ冷えるせいも手伝って。

寒すぎて眠ると生命に危険が及ぶ一方
暖かすぎて寝ると何も感じない。
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「世界文学の翻訳のあれこれと『相互不信』ゆえの神経質さあるいは『具体的に生きること』」について

2018-12-27 02:56:35 | Weblog
くもり。ときどき晴れ間も。

小谷野敦編著「翻訳家列伝101」を再読する。

主に学生時代に文庫で見かけた名前がたっぷり。
読んだ作品そのものもあれこれ思い出した次第。

当時と比べるとたまに行く新刊本屋には「古典」が少ないような。
まあこちらが年を取ったせいもあるのだろうけれど。

仏露英米独中という国別の分類の他に「明治・大正期」「推理・SF」「児童文学」に加え
古代ギリシャの呉茂一、ラテンアメリカの鼓直、イタリアの河島英昭に河野与一ら。

どうせここまできたのならその他の国の翻訳家も紹介してほしかったところ。
出版時の制約もあったことは偲ばれるものの。

むしろいまだに翻訳されていない国を挙げてみるのもいいかも。
それぞれの国の専門家を集めて紹介する本があったら楽しそう。

鶴瓶の「巷の噺」でたけしがゲストの回を観る。

今のTVは「コンプライアンス」とやらであれこれ喧しいことなど。
たけしの子どもの頃のイタズラぶりに笑う。

現在が「せせこましい世の中」であるのは確か。
いたずらに「神経質になる原因」が「相互不信による疑心暗鬼」であることを知ろう。

「具体的なお付き合い」のないまま「相手を斟酌する」とそんな具合になる次第。
「被害者のことを思え」と実情を何も知らない他人が言うことになる。

仲のいい間柄なら相手を相当にくさす言葉が平気で出ることを忘れずに。
もちろんそこには「笑い」があり。

見知らぬ人にいきなり「てめえ、うるせーんだよ」と言われれば腹も立つが
それがよく知る相手なら「おめえがうるせーんだよ」と言い返せる。

ただし前者のような発言がネットやSNSでは可能になり。
自らの「どうでもいいウサばらし」がはびこることになるわが国の「貧しさ」よ。

そういうことが出来やすい「テクノロジー」の扱いにご用心。
もっともその基本は「相互不信」であるのを忘れずに。

さて。

自分に「未来がない」と思えるのは「特定の過去」に縛られているから。
とりあえず生きている以上「そこそこの未来」はありそれがどうなるかは誰にもわからず。

繰り返すがもっと「実験」を。
狭い自分の脳内ひきこもりを続けるかぎり「新たな世界」が見えるはずもなく。

「なぜダメなのか」を思うより「どうしたらよくなるか」を試すのみ。
それぞれの人生をもっと「具体的なもの」にしたいもの。
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「マンガにするとわかりやすいのか問題と好ましいバンドと番組あるいは頭の中でなぜか鳴る曲」について

2018-12-26 03:12:47 | Weblog
晴れ。今日も上天気。

北村雄一「はたらくしくみがマンガでわかる! いでんしずかん」を読む。

そもそもこの種のことがマンガでわりやすくなるのかというのがいささか謎。
「取っ付きやすさ」と「理解」は別物ではないのだろうか。

本書で好ましいのはそれぞれの言葉をきちんと説明しているところ。
ラテン語やギリシャ語の語源にふむふむ。

中には「フシタラズ」という日本語やマルクス兄弟の「グルーチョ」なども。
前者は日系の科学者が発見したためで後者はおそらくアメリカ人だろう。

さまざまな物質や仕組みが「コミュニケーションしていること」をあらためて。
われわれも「人体並み」にそれをしたらもっと賢くなれるだろうに。

「Suchmos 8k super live」の再放送を観る。

「Suchmos」の読み方はてっきり「サッチモス」だと思っていたら「サチモス」のよう。
「ルイ・アームストロングの愛称」が元なら「サッチモス」でよさそうなものだが。

それはそれとしてさすがにCMに使われた「stay tune」は耳についたもの。
今回はベースとギターのカッティング、シャープなドラムを確認。

ヨンスの歌声と歌詞の内容もなかなか。
技術のある演奏は心地よく聴けることもあらためて。

深夜「久保みねヒャダこじらせナイト【お客様のおかげで1周年】」を途中から観る。

この「センスとこじらせ具合」はやはり面白い。
熱心な視聴者ではないので「1snt=シニタ=死にたい」を初めて知った次第。

個人的には「過去のイタイ失敗を唐突に思い出すこと=10000snt」くらいか。
この「フラッシュバック」はなかなかに厳しいものがある。

さて。

このところなぜかYMOの「東風」が頭の中で鳴る。
ほぼ40年前のものを挙げておく。

渡辺香津美のギターソロが印象的な回。
教授のアドリブと矢野顕子のポップな演奏も同様に。

みんな若いな。
当たり前のことだけれど。
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「男子も知っておくべき『女子の世界』と『物語の交錯ぶり』が楽しいドラマ」について

2018-12-25 01:20:18 | Weblog
快晴。風が冷たい。

内田静枝編「女の子の憧れを描いたファッションイラストレーター 森本美由紀」を観て読む。

作品はこちらまで。
カラーも墨汁を使ったのもどっちも素敵。

イヴ・サンローラン、ジバンシー、シャネルなど懐かしいブランドや
セルジュ・ゲンズブール、ジェーン・バーキンといったスターたちも同様に。

そうした「かっこいいスタイル」とは別の「ほのぼの系の画風」もあり。
「着せ替えセット」や手帳、レコードやCDジャケット、アメコミ風の作品など実に多彩。

「ブック・レビュー」では竹久夢二、中原淳一の「王道」は元より
松本かつぢ「くるくるクルミちゃん」があるのにふむふむ。

内藤ルネ作品を模した展示会なども手がけた模様。
中野翠に倣って言うならいかにもな「高級少女趣味」。

残念ながら彼女は5年前に彼岸へ。
59年生まれなので健在であれば来年「還暦」という若さよ。

この種の「豊かさ」を女子のものだけにしておくのはもったいない限り。
「心ある男子」は是非とも知っておきたいもの。

「個人的なライフスタイル」はこうした「お洒落さ」とは全く無縁だけれど
「目の保養」になるのは確か。

深夜「ナイトシフト 真夜中の救急医 シーズン2」を観る。

父親の反対を無視してボーイフレンドと結婚した16歳は
彼と一緒に乗っていた車の事故で重傷を負う。

戦争の「傷」もあって娘を「すべて」だと思う父親は
口論で彼女を興奮させ症状を悪化させてしまい。

「回復不能」になった娘に彼は耐えられず銃で自殺する。
ただし娘が奇跡的に回復してという皮肉な物語がなかなか。

まるで「父親の思い込み」に対する「娘の復讐」が成就したような展開。
このシナリオは女子が書いたものだと推察される。

複数の脚本家を用意すればこの「マルチドラマ」は簡単にできるはず。
わが国でいまだにそれを見ないのは何故か。

もっともそれがこちらの「無知」ゆえなら幸い。
深夜にしかTVを見られないので。

今回はその他に物語が5つほど。
その「交錯ぶり」が楽しいドラマなどいかが。
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「フェイクニュースがありふれた世界での対処」について

2018-12-24 02:41:38 | Weblog
くもり。小雨がパラつく。

福山哲郎・斉藤環「フェイクの時代に隠されていること」を読む。

「ファクト・チェック=事実確認」がここに。
「ひきこもりの高齢化問題」は相当に大きそうで。

オープン・ダイアローグ」という説得をしない「対話」にふむふむ。
患者がそれを聞いて病状がよくなる模様。

やはり「対人間の権力関係」の影響は相当に大きいのか。
「正しさ」も「批判」もない中で生まれるものを参考にしたい。

すでに「議論」が「不可能」になっているのだから
この手法は結構重要だと思われる次第。

マル激で先週分と今週分をまとめて観る。

前者は計算社会学者笹原和俊による「認知バイアス」についてのあれこれ。
「定量的=数字で明らかになるかたち」で「意見の極化」が起きることを明らかに。

とりわけSNSで「見たいものだけ見ている」と
「対話が不可能な二極」が出来てしまうという事実よ。

「ビッグデータの活用」によってそういう分析が可能になったのと同時に
われわれが常に「データ」として分析されていることも忘れずに。

後者ではゴーンやファーウェイ問題の背後に「アメリカへの『ケツ舐め』」があることなど。

敢えてさらに突っ込めば「ソフトバンク上場」の株価下落にも関係するかもなどと。
あくまで「推測」で詳細は不明なのでよろしく。

いずれにせよあらゆる情報に関してはまず「ソース=情報源」のチェックを。
要は「宙ぶらりんでいられるのか」試されているわけでもあり。

判断は簡単だがその真偽は微妙。
「白黒付けたい気持ち」に流されるだけではどうしようもなく。

できれば「さまざまな参考意見」を持っていたいもの。
もちろんそこには「自分というフィルター」によるバイアスがかかってはいるものの。

「わからないという思い」に拘るだけでは何も生まれない。
「わかること」を尽くしてからその先へ進むよりないもの。

とりあえずは「身近な場所」を楽しいものに。
ただし「敵を作ること」で「集団の結束を図ること」にはご用心。

何より自分が楽しくいられる環境を確保すること。
「余裕」がなければ他人を思うことも出来ず。

「判断を留保できる」ことも叶わず。
「いい意味」で「自己中心的」になれるように。

肝心なことをひとつ。

なぜ「他人からの承認」がなければ満足できないのか。
自分が「満足できる生活」を送っていないからだろう。

何度でも繰り返すけれど。

それを「見知らぬ他人に求める」のは身近にそれが得られないから。
「『正解』を求める心」とでも言っておくか。

褒められたい人に褒められたいこと。
それじゃダメなのかとあらためて問いたいところ。
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「老舗バーの微妙な行方と『出世と親への忠孝』あるいは『そうなってしまうことの皮膜』」について

2018-12-23 02:36:25 | Weblog
くもりときどき雨。夜には止む。

本当に久方ぶりの老舗バー。

時節柄新規の団体客が来ていてマスターは「もうイヤ」などと。

注文も覚束ないのでお手伝いを。
11時くらいに「潮が引いた」のでその後あれこれお話する。

店の行方はいまだ不明。
来週も開いているというので行く予定。

音楽をかけたいというのでちょいと中に入ってみたらほぼ「ゴミ屋敷状態」。
この仕事に興味のある向きは助けてあげて下さい。

本格的なバーテンダーを目指す女子にお願いしたいところ。
もちろん「なごやん」でなくって結構。

「鷗外歴史文學集 第十巻」の「北条霞亭(上)」をどうにか読了。

「それなりの筋に引き立てられること」を望みつつ叶わず。
「浮世」とは無関係にいたかったものの「両親の安心」のために婚姻も。

この「微妙なところ」をおそらく鷗外は描きたかったと思われる。
まだ下巻もあるのでどう落ち着くのかは不明のまま。

さて。

何を「最優先」にするかはそれぞれの選択。
個人的にはそれが「読書」になり。

なぜか高校を卒業する時にそう思ってしまった次第。
それ以来その「基本方針」以外は「どうでもいい生活」を重ねて。

どうにか続けられているのはありがたい限り。
「森羅万象に多情多恨たれ」という思いのままに。

「好奇心」がそのすべて。
ついつい「狭量」になりがちな自分をもっと「違う世界」へと駆り立て。

「世界」を把握することなど不可能だと知っているからこそ
自分が知らない世界をもっと。

できる限りするだけ。
そういう「人生」になってしまい。

それとは別に。

深夜「broadchurch」を観る。

オヤジの「自分勝手な夢」が子どもを犠牲にする「因果」。
「妄想」のややこしさと「力関係」がもたらす結果よ。

繰り返すが謎が明らかになると「ため息」が出るだけ。
せめて「知性」は「なぜそうなってしまうのか」と問いたいところ。

結局「犯人は見つけてほしがっている」という単純な事実に。
犯罪捜査をしていた女刑事の夫が犯人だという「意表を突いた」つもりの結果。

身近な世界に実は「相当なあやしさ」があるという指摘だと思っていいか。

家族であっても相手のことはわからない。
なるほど「真実」は実に味気ないものだということを描いた作品。

本作が評価されるのはそれぞれがそのように「感じている」からこそ。
もっともそれはそもそも「既定の事実」だったりするのでご用心を。
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「鷗外の俗人仮説と『四国』による大阪いじりあるいは『宇宙人ネタ』」について

2018-12-22 02:34:11 | Weblog
晴れ。夜になってちょいと降る。

「鷗外歴史文學集 第十巻」で「北条霞亭(上)」を読み進める。

繰り返すがこの「執拗さ」は謎のまま。
敢えて解釈するなら鷗外その人が「俗人」だったからということか。

ある種の「罪滅ぼし」だというのはいかが。
あまりに「お手軽な解釈」ではあるけれど。

「高瀬舟」の主人公と作者を重ね過ぎなのかもしれぬ一方
「足るを知る」をテーマにしたくなる気持ちはそのあたりにあるかも。

「酸っぱいブドウ」は敢えて遠ざけられ
「罪人」は敢えて持ち上げられる仕組みなどと。

いずれも自分の「心理学上の経済」によるもの。
「舞姫」の事情もあったことだし。

「嘘の無さ」にこだわるのもその「一環」だとすれば。
そうした人はおそらく「過去の自らの嘘」に敏感な人のはず。

帰宅後「検索ちゃんネタ祭り」を途中から観る。

今回は「我が道を行くメンバー」以外のベテランのネタに力がない。
珍しく爆笑問題が案外よかった次第(最後に噛んだのはいかにもだけれど)。

「大阪ミュージカル」は「愛媛出身」の友近ゆえのネタ。
「関西」という大雑把な括りでない「客観視」が出来るから。

それにしてもこの「いじり」は新しい。
関東が大阪をそうするのはよくあることだが「四国」がそれをするとは。

かつてタモリが名古屋をいじったのとは別種。
とはいえどこか「差別の匂いがする」のは同じく。

まあ何度かここで書いたことのある「宇宙人ネタ」もさして変わらず。
いまだに堂々と使っているのだからタチが悪いか。

「地球人のマネが下手すぎ」とか
「地球人でないという自己主張を繰り返すよりUFOを呼んで故郷の星に帰れ」とか。

「これ以上仲間を地球に呼ぶな」とお願いしたり
「そろそろ着ぐるみを脱いで正体を明らかにしてもいいよ」と言ったり。

「わずか数センチ隣りの文字」が見えなかったり
ついさっき指摘したミスを何度も繰り返したりするので。

「重力」を意識しない振る舞いもあり。
「君の星の文明はもしや地球より遅れているのか」とも。

結局「早く地球環境に慣れてくれ」で終わる。
あるいは「地球を占領してくれたら君たちの天下なのに何故しない」。

それらに対する答えがなかなか。
曰く「あなたが宇宙人じゃないんですか」。

言われてみればふむふむ。
この星に生まれたという記憶も「植え付けられたもの」だとすれば。

「未知との遭遇」(’77)よろしく「特定の音階」を奏でるべきか。
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