退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「文体に慣れてしまうことと『法』より『掟』であることあるいは『男子の思い込み』と『技術』がもたらすもの」について

2021-01-31 03:23:16 | Weblog
晴れ。そこそこ冷える。

宮下志朗訳ラブレー「第四の書」読了。

ここまで読んでくると「いつもの調子」という感じ。
もう一冊あるので最後をどうまとめるのかが気になるところ。

訳者が気にしていたほど「面白さの減り具合」はなく。
というより異様なスピードで読めてしまうことに驚く。

マル激を観る。

今回は5金で映画紹介のあれこれ。
やはり東京に居ないと最新の興味深い映画は観られないのだということをあらためて。

ドキュメンタリーの力と実話の力など。
宮台真司曰く「社会がクソなら法ではなく掟に従え」と。

全面的に同意する。
すでにいろんな意味で「崩壊している」現実があるから。

アンドリュー・ニコル「ドローン・オブ・ウォー」(’14)を観る。

「現場」で戦闘機に乗りたい男は「コンテナ」からドローンで「敵」を撃つことに。
民間人がそばにいることにも関係なくCIAからは攻撃命令が繰り返し出され。

そのストレスゆえに家族との関係も壊れ。
妻との時間もうわの空になり。

とはいえ「現場に戻りたい」という彼の思いがそもそもの「元凶」なのは確か。
結局彼は「自己中心的」であるしかなく。

「意味不明な命令に従わざるを得ないこと」は軍でなくとも同じこと。
どのような「現場」でも今では「普通」になってしまっていることで。

同僚になる女子が彼を誘うあたりの描写はむしろ「男子寄りすぎる」のではないか。
要は主人公の彼が「従来の欲求」を捨てればいいだけのことなのに。

「システム」が「個人の判断」をないがしろにする姿がここに。
もちろん「システムの判断」が正しいわけでもなく。

「ゲーム感覚」で人を殺してしまえる「現実」がすでにあることを忘れずに。
「動員」をしないまま「戦争が出来る現実」がここに。

「なぜある種の人々は『アル中』になるのか」。
その理由をきちんと受け止めたいもの。

答えは簡単で「自分で受け止めきれない現実」があるから。
ならば人々をそういう場所に追い込んではいけないという事実だけが浮かび上がる。

「技術の発達」がこうした現実を生み出すのは確か。
敢えてちょいと「時代おくれ」になるのもまた楽しからずやと言っておく。
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「奇妙な人間たちの国と宗教の在り様を描く小説あるいはいつも通りの『心理主義』な映画と『朝生』に神保哲生が出ていること」について

2021-01-30 02:46:26 | Weblog
晴れ。夕方から雪が降る。

宮下志朗訳ラブレー「第四の書」を途中まで読む。

「奇妙な人間たち」がいる国を巡るパターンは後にスウィフト「ガリヴァー旅行記」へ。
「宗教改革」に関するあれこれも暗に批判されている模様。

とりあえず明日読了予定。
スイスイ読んで終わるはず。

川崎拓也・平牧和彦「東京喰種S」(’19)を観る。

冒頭の音楽にアレっと思ったら小田朋美と菊池成孔。
ほぼそれのみがいい内容。

小さい身体ながら大きく見える山本舞香のアクションぶりはなかなか。
知英の日本語のうまさにてっきり日本人俳優だと思ってしまったり。

ブリア・サヴァラン「美味礼賛」を引用してみたものの。
「新しい御馳走の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上のものである」。

それで何という感じ。
思った通りに「心理主義」に傾き過ぎていて残念。

映画の基本が「アクション=動き」だということを忘れずに。
さんざんいたぶられた挙句にようやく窪田正孝が動くのではどうにも。

重大な疑問は途中で彼の目が「普通の人間」になっていること。
そこに関する合理的な説明はないままだもの。

深夜何気なく「朝生」を観たところ。

神保哲生が出ているのに驚いた次第。
彼の話がどこまで共有されるのか。

あるいは上昌広の意見についても同様に。
いちおう起きていられるだけ確認するつもり。
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「遅れて来たドイツ・ルネッサンスの画家たちとまあ好ましいロシアの災害映画」について

2021-01-29 02:42:21 | Weblog
晴れ。おだやか。

新藤淳・岩谷秋美「ドイツ・ルネサンスの挑戦 デューラーとクラーナハ」を見て読む。

仕方ないのでタイトル通りに「クラーナハ」と書いたが以降は「クラナッハ」で。
彼が宗教改革のルターと親しかったのを初めて知る。

当時は絵が「プロパガンダ」になることも。
デューラーがイタリアから得たものと自分を混ぜて表現したことを覚えておこう。

アルトドルファーが初めて「風景画」を描いたことも同様に。
クラナッハの「ユディット」と「サロメ」の意味の違いにふむふむ。

こういう絵を観ていると気持ちが和む次第。
地元の美術館での横尾忠則展にもそのうち出かけるつもり。

ニコライ・レベデフ「フライト・クルー」(’16)を観る。

前半の緩さと引き換えの中盤以降の盛り上がりがなかなか。
火山島での災害と迫り来る溶岩の迫力が素敵。

ワイヤーでつないだカゴを使って二機の飛行機の間で乗客を移動させるという設定がうまい。
現実にそれは不可能だろうけれどそれはどうでもよろしい。

正直キャストにあまり魅力は感じられないが「パニックもの」としてまずまず。
「恋人や親子の愛情ぶり」より災害そのものをどう描くかがこの種の作品の肝心なところ。

前半を削って30分ほど短くしたらもっといい作品になっただろうに。
とりわけ主人公たちのケンカやベッドシーンは余計。

製作にニキータ・ミハルコフの名前があるのに気付く。
「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」(’77)が懐かしい。

そう言えば「光と影のバラード」(’74)や「愛の奴隷」(’76)も観たはず。
それ以降の作品にはご縁がないままで。

昨日今日とロシア映画を観ているのはアマゾン・プライムのリストのせい。
すでに観たもの以外のアメリカ映画に楽しそうな作品が見当たらない結果。
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「ムササビのあれこれと魅力的だが惜しいロシアのSF映画」について

2021-01-28 02:06:57 | Weblog
晴れときどきくもり。風やや強し。

川道武男「ムササビ 空飛ぶ座ぶとん」を読む。

それにしてもよくこんなに地道に観察できるもの。
若き日に世界を巡り山々を踏破した著者ならではのことか。

「鵺(ヌエ)」の正体がこのムササビだとも。
あれこれの指摘になるほどといった感じ。

「交尾栓」というものを初めて知る。
オスがメスに注入した精液をより確実に子宮に届けるためのものらしい。

一方でメスがいろんなオスたちと交尾する理由は不明だったり。
この分野の若き研究者の活躍を祈りたいもの。

ドミトリー・グラチョフ「カリキュレーター」(’14)を観る。

久方ぶりにロシアのSFをということで。
タルコフスキー「惑星ソラリス」(’72)が懐かしい。

システムに支配された星で未知の生命体が潜む沼に流刑された人々の行く末やいかにという内容。
ロケ地の風景がいい感じ(特に湿地)。

あれこれロシア風な描かれ方にふむふむ。
ショートカットのアンナ・チポフスカヤがなかなか。

エフゲニー・ミローノフの存在感も素敵。
そこへいかにもゴツいヴィニー・ジョーンズも加わって(もちろん彼の台詞は吹替)。

姿を見せない総統や大佐とその部下などの描写は微妙。
そのあたりにもう少し工夫があればもっと面白くなったはず。

なかなかに魅力的だが惜しい作品といったところ。
こういうものこそハリウッドでリメイクしたらいいのにと思った次第。
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「昔の友禅のデザインの素敵さと『死んだ人』とのお付き合いあるいはあまり魅力のない映画」について

2021-01-27 02:33:56 | Weblog
晴れのち雨。深夜まで降る。

「岡重コレクション 京都テキスタイル」を見て読む。

キレイだったりポップだったり。
友禅の「生き残り」を賭けた行動よ。

何より昔のデザインが残っているのが強み。
久方ぶりに「目の保養」をした次第。

「世界はほしいモノにあふれてる」でも採り上げてくれないかな。
問答無用の力を持つものはやはり素晴らしい。

案外早く読み終わってしまった結果。
古本屋で山本夏彦「愚図の大いそがし」を買って読む。

「伝わる人には電光石火」の内容を確認する。
詳細については敢えて書かない。

年齢も時代も空間も超えることが可能になった現在。
相変わらず「彼岸にいる人とのお付き合い」が多い。

現在があまり面白いものでなければそれも仕方ないということで。
もちろん誰にでも出来ることなので興味のある向きは是非。

マーク・スティーヴン・ジョンソン「デアデビル」(’03)を観る。

ベン・アフレックもコリン・ファレルも若く。
ジェニファー・ガーナーの魅力は微妙(スピンオフで「エレクトラ」(’05)もある模様)。

デヴィッド・キースやマイケル・クラーク・ダンカンの姿も。
毎度お馴染みのマーヴェル・コミックものだが内容はと言えばあまり面白くない。

「バットマンの亜流」だもの。
これまた残念ながら物語が不出来で。

観客の感情を盛り上げる演出がなく。
「戦いの描写」にも魅力を感じられず。

カレン役のエレン・ポンピオが案外悪くないのだけれど。
観るべきかと問われたら観ないでもいいという作品。
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「ウイルスとは途方もない昔から共存してきたことあるいは親の抑圧が子に報いること」について

2021-01-26 02:40:18 | Weblog
晴れ。暖かすぎる。

永田恭介監訳「ウイルス」を読む。

「ウィズコロナ」などというずっと前から我々はウイルスと共存してきたこと。
そしてウイルスを取り入れたことで生き延びたかもしれないことなど。

「宇宙の始まり」に似た謎がここでも。
あらためて「ウイルスという存在の不可思議さ」を知った次第。

何者かに「寄生」しなければ生きられない存在は
「生き延びること」を究極に「シンプル」にした存在かも。

地球温暖化によって永久凍土が溶けたりもして。
今後もわれわれは様々なウイルスに襲われることだろう。

ただし今のところなぜか人類は「絶滅」しない。
それがいいのか悪いのかは別として。

デヴィッド・フィンチャー「ゴーン・ガール」(’14)を観る。

タイトルは「消えた少女」でもあるけれど「イっちゃった女」だと訳せばいいことにしよう。
ニコール・キッドマンの「誘う女」(’95)をさらに「進化」させたような内容。

「現実」と「他人にどう見えるのか」という差の激しさたるや。
ロザムンド・パイクはどこかニコール・キッドマンに似ていなくもなく。

「結婚」を元にした「対人関係の危うさ」を描いてもいて。
「演技してたあなたが好きだった」というのがなかなかに趣き深い。

そこに「メディア環境」が加わって。
自分がどういう人間であるか以前に「メディアにどう映るか」。

「有名であること」などとは関係なくおだやかに暮らせばこの種のこととはご縁がないはず。
ただし主人公の両親が彼女の現実を無視した「理想の彼女」を描いて人気を得たのも忘れずに。

「『現実』って何?」という問いかけだと思えば如何。
彼女がひたすらに自分の「思い通り」を優先するのは「両親への復讐」のような。

この種の「病気」を描くと監督の作品は輝く。
「敢えて突っ込む描写」にふむふむ。

曰く「『現実』はバカバカしい」のだと。
「すべてうまくやったはず」の彼女が「『愚かな』男女に金を奪われる」のも覚えておきたい。
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「現実にある女子の貧困の酷さとかつて『ポップ』だった監督の映画」について

2021-01-25 02:02:15 | Weblog
雨のちくもり。夕方に止む。

中村淳彦「東京貧困女子。」を読む。

どうしようもないクソ男子のせいで貧困に陥る女子たちよ。
すでに現実が「ジャングル」であることをあらためて確認する。

「介護」の仕事に就くのは止めたほうがいいこと。
「介護離職」も同様に。

要はいったん「普通」から零れ落ちた途端に「貧困」が待っている。
大学生たちが「水商売」に頼らざるを得ない現実もあり。

「ブラックな仕事場」によって肉体と精神が蝕まれる「現実」がここに。
政治家たちはこの種のことを知っているのかどうか。

あまりに「酷い現実」に驚くのみ。
「負の連鎖」がかくも「普通のこと」になっているのか。

どうやら「自分がよければ他人などどうでもいい」という姿勢が各地に。
「本当に困っている人々に対する援助」を現実にしないとどうにも。

「TVが描く現実」はとてもじゃないがこの「世界」とは程遠く。
「自分が経験した過去」でのみ彼女たちを判断する愚を知っておきたいもの。

中平康「牛乳屋フランキー」(’56)を観る。

冒頭に荊軻「壮士一たび去りて復た還らず」の台詞が出て来る。
当時この漢籍は理解されたのかどうか気になるところ。

「ブーチャン」市村俊幸の姿を確認するのには本作がうってつけか。
それにしても小沢昭一は相変わらず「配達」をしていて。

「狂った果実」(’56)の「太陽族」を皮肉っていたりして。
若き日のフランキー堺の「体技」が素敵。

豊頬手術をする前の宍戸錠の姿も忘れずに。
フランキーと中原早苗のデュエットは楽しく。

思えば「牛乳屋」というものもすでに失われて久しく。
そういう時代があったことを覚えておこう。
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「微妙になってきた古典とアメリカの『思想史』あるいは残念な映画」について

2021-01-24 02:22:56 | Weblog
雨。終日そぼ降る。

宮下志朗訳ラブレー「ガルガンチュアとパンタグリュエル 第三の書」読了。

スラスラと読み進めてとりあえず最後まで。
かの著者は知っていることを全部ぶちまけたかった模様。

このシリーズは最後まで確認するつもり。
ただしその内容を全部受け止めることが出来るかと言われると微妙。

マル激を観る。

アメリカの「思想史」を振り返るとなかなかに興味深い内容があれこれ。
「陰謀論」が流行する基本には「歴史に対する無知」がある模様。

「捨てられた人々」はそこに「計画」を見るのだというのにふむふむ。
自らの「不遇」についての「浅墓な解釈」だということで。

「支配する者たちと支配される者たち」という関係は今後も続くはず。
バーニー・サンダースの在り様に象徴される「分断」に今後も注目したいところ。

三池崇史「テラフォーマーズ」(’16)を観る。

「豪華な俳優陣」と比べて何とも貧相な内容としか思えず。
「昆虫>人間」という設定はわからないでもないけれど。

本作はいっそ「仮面ライダーシリーズ」のような描写だったらよかったのに。
ゴキブリの人間版の姿もあまり好みに合わず残念。

冒頭の「ブレードランナー」(’82)の暗い街並みを明るくした感じは悪くなく。
物語にもっと工夫がほしかったところ。
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「実に素敵だった俳優と劇作家と微妙な展開のフランスの小説あるいは『まともなジャーナリズム』について

2021-01-23 02:10:05 | Weblog
雨のちくもり。案外あたたかい。

昨日はまたまた寝落ちする。

ネットへの接続不可能騒動で見られなかったマル激を続けて観ているせいもあるのか。
あるいは単なる「老人力の更新」のせいか。

如月小春「俳優の領分」を今頃読む。

副題に「中村伸郎と昭和の劇作家たち」。
とりわけ前者の「個人的な歴史」を知って趣き深い限り。

演劇に興味が無くても実に興味深い内容にふむふむ。
何より著者の「わかりやすい記述ぶり」に感服した次第。

少なくとも何らかの「表現」に携わっている者にはおそらく「必読書」だと思われる。
そして「心ない劇評」が「素敵な俳優」を死に追いやったことも覚えておこう。

宮下志朗訳ラブレー「ガルガンチュアとパンタグリュエル 第三の書」を途中まで読む。

前二作は実に面白かったものの本作はというと微妙。
天衣無縫なはずのパニュルジュがそもそも「結婚について悩む」のはどうなのか。

まあ「きんたま」という活字がこれほど並ぶのも珍しいけれど。
いちおう明日読了予定。

先週分のマル激を観る。

いわゆる「コロナ対策」についてはゲストの米村滋人の意見を元にしないとどうにも。
「正当性のない強制」はむしろ「面従腹背=実態を隠すこと」につながるをのを忘れずに。

政治家・官僚・国民の劣化の「三つ巴」をあらためて。
少なくともあらたにコロナ専門施設を作って人的資源をそこに集めるのが「最良」。

コロナを扱う能力のない民間病院は「通常医療」をカバーすればいい。
そうしたことをコーディネートする部署もないというのだからいやはや。

「ダメな人をリーダーにしてしまうことの罪」の結果がここに。
その原因が「小選挙区制」だとするならさっさと変えないと。

それにしても「正しい情報」を元に先々を見据えることの出来る人々の少ないことときたら。
神保哲生が総理の記者会見で「食らいつく姿」こそが「ジャーナリズムの基本」だと知ろう。

「思いがけない反応」を引き出すことで何事かを明らかにすること。
事前に提出済みの質問に「官僚作文で答えること」の出来ない「リアル」を確認したいもの。
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「『かくも長き不在』の理由」について

2021-01-21 03:00:43 | Weblog
晴れ。暖かい。

始まりは母親がキャッチセールスに捕まったことから。

ケーブルテレビに変える話が進んだ結果。
まあいいだろうと思ってそれを受け入れたところ。

wifiがあまりに弱くネットに繋がれないことも増え。
こりゃダメだと解約したのはいいのだけれど。

元々の有線接続が続いていることを忘れ。
いたずらにケーブルテレビのwifiの接続を可能にしようと努力し続けることに。

これまた愚かなことに当初は配線の不備に原因があると思い込み。
無意味な接続のあれこれに奔走し。

ようやくそれではダメだとわかり。
それでももう一度「有線の開通」が必要だと勘違いしたまま時は過ぎ。

今日あれこれ電話をした挙句に「接続の設定」に問題があることにようやく気付く。
もっとも「windows7は説明できません」と言われたりした挙句のこと。

要は「勘どころ」がわかっている相手と会話できるかどうかが肝心だと知る。
いたずらにスマホで映画を観たりして回線が遅くなって自分のは使いにくくなったせいもあり。

上の妹のスマホを借りて接続の設定を確認。
windows10の解決策を採用したらこうして接続が可能になった次第。

ちなみにGoogle Chromeも再度のダウンロードで使用が可能に。
いくらクリックしても消えちゃうんだもの。

いやはや。

あれこれわかっている人からすれば「おっさんアホか」ということになるのだろう。
おっさんアホでした。

いちおうあらためてwifiの契約は結んだがひと月先だとのこと。
とはいえこの結果は「サービス業」としてどうなのと思うことしきり。

ケーブルテレビも元々の接続先も含めて。
「圧倒的な劣化の現実」に振り回されたということか。

敢えて言えば「それもまた愉しからずや」。
「経験」は「人を賢くする」のだということでOK。
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