退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『奇虫』の魅力とひたすらジェニファー・ローレンスな映画」について

2023-09-29 03:06:12 | Weblog
晴れときどきくもり。まだ暑い。

田邊拓哉「世界の奇虫図鑑」を見て読む。

「奇虫」とは「人目を惹く変わった姿の生きものたちの総称」らしく。
その代表がタランチュラ、サソリ、ムカデ、ヤスデだとのこと。

ゴーストマンティス、ニセハナマオウカマキリ、マルゴキブリの形に驚きつつ。
ホウセキタマヤスデやアオミオカタニシの色彩に唸る。

詳細は本書まで。
もちろんその他にも魅力的な虫たちがいっぱい。

フランシス・ローレンス「レッド・スパロウ」(’18)を観る。

20代後半だったジェニファー・ローレンスが「この私を見て」といった内容。
物語はロシアとアメリカの「スパイ合戦」。

シャーロット・ランプリングの「教官ぶり」がさすが。
メアリー・ルイーズ・パーカー、キアラン・ハインズにジェレミー・アイアンズなど。

主人公の叔父マティアス・スーナールツがどこかプーチンに似ていることを忘れずに。
ビル・キャンプやジョエリー・リチャードソン、サキナ・ジャフリーも渋い味わい。

昔から好みだった姪を選択肢のない場面に追い込む叔父よ。
彼女を「バイオレンスとセックスの世界」へ。

ある種の女優はこういう作品を撮りたがるのだなあと思うことしきり。
ネイトのジョエル・エドガートンが「地味」なのも彼女を盛り立てるためか。

音楽には内田光子によるモーツァルトの曲がいくつか。
鈴木雅明指揮のバッハ、ブランデンブルグ協奏曲も。

あれこれおまけはあるもののとにかくジェニファー・ローレンス。
「この人を見よ」ということで。
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「贅沢な時間を過ごせる本とアメリカ人でなければ十分に味わえない映画」について

2023-09-28 03:29:24 | Weblog
くもりときどき晴れ。蒸し暑い。

文・金井美恵子 絵・金井久美子「暮しの断片 シロかクロか、どちらにしてもトラ柄ではない」を見て読む。

ある時期までの「昭和女子」にとって「裁縫が出来ること」は必須。
それも「家計のやりくりの一部」だったということで。

「懐かしく豊かな時間が流れる」趣き。
食べ物についても映画についても。

牧逸馬(林不忘)も同様に。
かつては文庫であって手に入り易かったのに。

今回の金井久美子の「絵」には「4つの山」が繰り返し登場したり。
前作よりいろんな色彩があって「目の保養」になることしきり。

著者たちの作品に触れることは「贅沢」。
現在の「貧しさ」の中でそのことを知っておきたいもの。

クエンティン・タランティーノ
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(’19)を観る。

本作を十分に味わうためにはアメリカ人でないと。
シャロン・テートがチャールズ・マンソン一家に殺された事件など今や知らないだろう。

音楽についても同様に。
こちらが確認できたのはサイモン&ガーファンクル「ミセス・ロビンソン」の他に。

せいぜいディープ・パープル「ハッシュ」や「チュー・チュー・トレイン
夢のカリフォルニア」「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」。

ローリング・ストーンズ「アウト・オブ・タイム」もあったか。
いずれにせよそれくらいしかわからず。

1968年から69年のアメリカで流行した映画、音楽、TV番組を知っていないとどうにも。
監督はマニアだし。

ブルース・ダーンの健在ぶりがうれしく。
アル・パチーノやカート・ラッセルも出ていて。

マーゴット・ロビーが案外活きていなく。
ダコタ・ファニングはこんな風になったのねと。

ブラピの横顔がロバート・レッドフォードに見えることも。
「演技」をしたいディカプリオをイジるのも「笑い」につながるのだろう。
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「かの作家の『巨人ぶり』を確認する本と実に魅力的なロシアのSF映画」について

2023-09-27 03:01:06 | Weblog
くもり。日陰は涼しく。

小林信彦「道化師のためのレッスン」を読む。

著者の作品はほぼ全部読んだはずだけれど。
未読だったものを見つけて借りてきた次第。

大瀧詠一と糸井重里との対談があるのが今となっては貴重か。
80年代、70年代、60年代と遡る文章の配置にふむふむ。

「早すぎた天才」は年上の人々からは理解されず。
むしろ若者たちに理解されたことを覚えておこう。

根本にはイヴリン・ウォー、フィールディングといった英文学があることをあらためて。
初期作品の「虚栄の市」はもちろんサッカレーからで。

ジョゼフ・ヘラー「キャッチ22」も懐かしく。
本作は84年の暮れに白夜書房から出たもの。

それにしても著者の「巨人ぶり」をあらためて。
「パロディとカリカチュアの違い」も忘れずに。

ニキータ・アルグノフ「アンチグラビティ」(’19)を観る。

冒頭の映像から引き込まれる趣き。
「インセプション」(’10)とは違って「絵画を思わせる」から。

主人公が作る建築もどこか「昔の『未来風』」なのがかえって新鮮かも。
かの国=ロシアにはかつて革命当時に「アヴァンギャルド=前衛」もあったことだし。

「マトリックス」(’99)を思い出さなくはないものの。
むしろ「どうしようもない現実より別世界で生きる方がマシ」というのがテーマ。

「新興宗教」が絡むのがいかにもかの国らしく。
「オウム真理教」が流行した過去もあり。

ファントム、アントン・パンプーシュニーの「暑苦しさ」をうまく利用してもいて。
リーダーのヤン、 コンスタンチン・ラヴロネンコも同様に。

それにしてもこの邦題はいったい何なのか。
原題を書いてしまうとネタバレになるので控えておくけれど。

もっと多くの人々に観られるべき作品。
「チェーホフ風味」もあるのだと言っておく。
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「『古典』を遺しながら名前がわからない女人たちと『人種差別』を扱ったSF映画」について

2023-09-26 02:19:21 | Weblog
晴れ。地下鉄も含めたエアコンで冷える。

酒井順子「女人京都」を読む。

アニメならぬ「古典」での「聖地巡礼」。
江戸、幕末、明治も含めて。

ブレイディみかこが西洋の女人を紹介してくれる一方。
著者はわが国の女人をあれこれと。

「歴史」というと武将や武士たちを思い出しがちなものの。
もちろん彼らばかりではないという事実がここに。

例えば「更級日記」を書いた菅原孝標女は本名さえ知られないままに。
彼女の伯母である「蜻蛉日記」の藤原道綱母も。

「男との血縁関係」でしか語られない名前よ。
紫式部や清少納言も「位」でしかなく。

「古典」となる作品を残しながら。
こんなことが外国であったのかどうかと思ってみよう。

ルーク・スパーク「インベイド」(’20)を観る。

期待せずに観たらなかなかの出来。
同じ監督による「オキュペーション 侵略」(’18)の続編らしく。

地球を侵略したエイリアン、グレイの一部が地球人に協力するあたりの設定にふむふむ。
「疑わしいエイリアン」ギャリーはやがて「兄弟」と呼ばれたりもする。

戦争を避け穏やかに暮らしている住民たちがリンチしようとしたり。
「仲間になったエイリアンたち」を「実験道具」にするヘイズ中佐よ。

彼は目の前で妻をエイリアンに殺されている設定。
「人種差別問題」がかたちを変えて登場。

「同じエイリアン」でもスティーヴはファンキーだったり。
「個人」を「人種」で認識する愚についても。

アメリアのジェット・トランターを始めとしてアジア系俳優がメインに多いのも特徴。
エイリアンが昔に作った武器「レインフォール」が敵方エイリアンの手に渡るラストなど。

監督は更に続編を作る気まんまん。
一作目も含めて観てもいいかもと思わせる内容。
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「老人力のメンドくささと存在するだけでいい『美』あるいは独特な雰囲気の映画」について

2023-09-25 03:04:52 | Weblog
晴れ。日が落ちると涼しい。

墓参りに行く。

帰りの喫茶店で母親が持ち込んだ菓子を強引に勧めてくる。
上の妹のパートナーが「同じことをする」と笑う。

なぜ「食べる?」と普通に聞けないのだろう。
「要らない」と言ったら引っ込めればいいだけなのに。

いきなり包装を破って「当然食べるでしょう」というのがいやはや。
それを断ると機嫌が悪くなるのだからどうしようもなく。

茶碗に盛られたご飯を何度残しても「足りなくない?」と言い。
今さら「学習能力」があるとは思えないので仕方のないこととはいえ。

リーヴ・ストロームクヴィスト「欲望の鏡」をそれと気付かずに借りてきて再読。

「美しいもの」はただ存在すればいいことをあらためて。
元々「所有すること」に意味を感じないので。

もちろんそれは人に限らなくてよく。
「関心経済=有名であることによるあれこれ」には全く興味がなく。

ただ「好きなように生きる」だけ。
もっともこれでも「我慢しているつもり」なのだが。

それ以外にも「老人力」が発揮され。
「戦争と平和」の文庫を間違って予約してしまった次第。

渡辺一貴「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」(’23)を観る。

高橋一生と飯豊まりえのコンビがなかなか。
本作は何よりキャメラの仰角を代表とするアングルが気になる作品。

「ヒロイン」の木村文乃をもっとキレイに撮ってあげないと。
例えば三村晴彦「天城越え」(’83)の田中裕子のように。

白石加代子はさすがの貫録。
美波が案外「背が高くないこと」に気付いたり。

もうすぐ終わるNHKの朝ドラに出ている前原滉も確認。
とりあえず全体に「独特の雰囲気」を出せているのはグッド。

「江戸の因果がフランスに交わり」といった趣き。
昔天知茂が演じた明智小五郎シリーズのドラマを「お洒落」にした印象。

冒頭の「馴染めなさ」を乗り越えられれば楽しめる作品。
まるで「19世紀の小説」のよう。
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「自分の言葉が失われることと検察のどうしようもなさあるいは監督の妄想としか思えない映画」について

2023-09-24 03:00:33 | Weblog
晴れ。夜風にようやく秋の気配。

小林信彦「名人 志ん生、そして志ん朝」を読む。

「落語」という芸能を空気のように味わってきた人の思いがあれこれ。
とりわけ「特定の言語=東京の下町言葉が失われること」を確認した内容。

この事態はほぼ「民族消滅」に近く。
自らが「普通に話していた言葉」が消える哀しさたるや。

現在ではそれを「誰もが味わうこと」に。
おそらく日本の各地で同様なことが起きているはず。

「我が輩は猫である」とローレンス・スターン「トリストラム・シャンディ」。
センスが「同じ」であることを今度こそ確認しないと。

後者を読まなければならないことをすっかり忘れていた次第。
おそらくは再来週に。

芝浜」を挙げておく。
素人の選択ゆえ御免。

マル激を観る。

今回はお馴染みの郷原信郎とともに「検察の死」について。
「劣化」の果てに検察が「半グレ」のレベルになったことを確認する。

もっとも上司の管理能力の無さのせいで部下が「まっとうな調書」を書く現実も。
とはいえ「組織内部の力学」で彼らは「出世」をするはずもなく。

「人質司法の悪辣さ」をあらためて。
「無実」なのにそれを訴えなければ「穏便」に終わるという「権力」がもたらすものよ。

M・ナイト・シャマラン「ミスター・ガラス」(’19)を観る。

「シリーズもの」の3作目をいきなり観たせいなのか。
何が面白いのかが全くわからず。

ジェームズ・マカヴォイの「ビリー・ミリガン並み」の演技を味わうのみ。
ブルース・ウィリスやサミュエル・L・ジャクソンも出ているのだけれど。

昔のアメコミと物語は絡んだりして。
「突出した能力」を持つ者は排除されるということらしい。

おそらくは監督の妄想がなせる業なのではないか。
その種のものを持ってしまう者は残念ながら「才能がない」。
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「意外に盛り上がらない古典と『活劇感』が全く感じられない映画」について

2023-09-23 02:36:23 | Weblog
くもりときどき晴れ。おしめり程度に雨も。

「戦争と平和(三)」読了。

ピエールはナポレオン暗殺を思い立つものの。
「柄に合わないこと」は出来ない事実が残り。

フランス軍はモスクワへ入城。
アンドレイはまだ死んでいなかったのか。

うーむ、期待していたよりずいぶん「盛り上がり」に欠ける内容。
あとはどう終わるのかを楽しみにするよりなく。

気が付けば「アキ・カウリスマキ祭り」も終了。
プライムビデオで観られる作品はすべてクリア。

もちろんそれで監督の全作品というわけではなく。
こういう使い方も出来るのだということでよろしく。

ジャウム・コレット・セラ「ブラックアダム」(’22)を観る。

「エスター」(’09)「ラン・オールナイト」(’15)
「トレイン・ミッション」(’18)「ジャングル・クルーズ」(’21)の監督作品は。

冒頭から全く「活劇感」がなく最後までそのまま。
クリント・イーストウッドのマカロニ・ウエスタン映画が引用されているにもかかわらず。

主人公ドウェイン・ジョンソンにも何だか勢いがなく。
ピアース・ブロスナンが「呪い」か(「007」以外の彼の出演作はどれも今ひとつ)。

「感情が動かされるような展開」がひとつもないのに驚く。
それゆえ「カタルシス」もない当然。

要は。

テス・アダムはもっと悪辣でなくてはならず。
「ヒーローは人を殺してはいけない」というだけではどうにも。

その上で「わかりやすいキッカケ」があってJSAとの「和解」がなければ。
とは言ってもJSAのメンバーが特に魅力的でもないので余計にマズく。

「Xメン」(’00)の「縮小再生産」だもの。
残念ながらあらゆる面で「反面教師」でしかない作品。
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「当時の戦争は『渾沌』でしかないことと『本調子でない』映画」について

2023-09-22 02:50:42 | Weblog
晴れ。夜になってスコールのち雨。

「戦争と平和(三)」を読み進める。

ボロジノの戦いをピエールは「見学する」。
アンドレイは砲弾に倒れ彼岸へ。

足を失い叫ぶクラーギンの姿も。
エレンは相変わらず自分の「地位」を維持しようとして。

当時の戦闘における「連絡」のどうしようもなさが混乱を生み出し。
それでもロシアはナポレオンのフランス軍を撤退に追い込むことに。

戦史はいかにもな「理由」を見出すけれど。
その現場はほぼ「渾沌」でしかないことが再び。

アキ・カウリスマキ「街のあかり」(’06)を観る。

いたずらに夢ばかり大きいものの孤独な警備員のコイスティネンは。
若き日のミッキー・ロークに似ていなくもないヤンネ・フーティアイネン。

その彼に魅力的なミルヤ、マリア・ヤルヴェンヘルミが近づくのだが。
冒頭彼女の左目が光って見える不思議など。

フィンランド語のタイトルはチャップリン「街の灯」(’31)に近い模様。
それにしても主人公はどこまでも痛めつけられること。

テッセンの娘アイラ、マリア・ヘイスカネンは彼の「傍」に居続け。
「悪玉」リンドストロン、イルッカ・コイヴラの顔が素敵。

スーパーのレジ係としてカティ・オウティネンがカメオで。
その他の出演者たちも監督作品の「常連」が少なくなく。

物語としてラストの「握手」ですべてが回収されるのか。
どうも「本調子でない」としか思われず。
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「歴史記述と戦争のデタラメさあるいは『過去のないこと』が生み出す新しい現実」について

2023-09-21 02:41:42 | Weblog
くもり一時雨。夜には晴れる。

トルストイ「戦争と平和(三)」を半分くらい読む。

歴史とナポレオン、ボロジノの戦いなど。
「原因」と「証言」のいい加減さに関する記述にふむふむ。

ボルコンスキイ老公爵は彼岸へ。
マリヤは彼の死を望んでいたような罪悪感に苛まれる。

百姓たちの愚かさも描かれて。
ピエールやロストフの今後が気になるところ。

アキ・カウリスマキ「過去のない男」(’02)を観る。

愚連隊3人に襲われた男は辛うじて命は取り留めるものの記憶を失い。
コンテナに住む一家と救世軍のイルマに救われてというお話。

主人公マルック・ペルトラがいい感じ。
そしてここでもカティ・オウティネン。

コンテナに住むニーネマン夫妻のユハニ・ニユミラ、カイヤ・パリカネン。
どこかジョージ・ケネディを思わせるアンティラ、サカリ・クオスマネン。

造船所の事務員エリナ・サロ、救世軍のマネージャー、アンニッキ・タハティ。
あるいは銀行強盗のエスコ・ニッカリなど俳優陣の素敵さは変わらず。

95年に亡くなったマッティ・ペロンパーの写真が出て来るのを忘れずに。
音楽には小野瀬雅生「Motto Wasabi」やクレイジーケンバンド「ハワイの夜」も。

「人生は後ろに進まない」という台詞がなかなか。
ラストシーンが趣き深く。

「暴漢に襲われて記憶を失うこと」がもたらす「新たな現実」よ。
「過去がないこと」はむしろ「いいこと」なのだと思ってもよさそう。
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「あまりに多彩なミュージシャンの足跡と『ほっこり』に至る前提がきちんとしている映画」について

2023-09-20 02:38:33 | Weblog
晴れ。まだまだ暑い。

堀内久彦「大瀧詠一 レコーディング・ダイアリーVol.2 1979-1982」を読む。

名盤「A LONG VACATION」はこんな風にして出来たのかと思うことしきり。
もう42年前になるのか。

それにしてもかのミュージシャンの多才ぶりにあらためて驚くのみ。
あれこれ凝りすぎでしょうと。

A面で恋をして」「風立ちぬ」「君は天然色」「恋するカレン
FUN☓4」「夢で逢えたら」「さらばシベリア鉄道」をとりあえず。

Cider '73 '74 '75」も。
あるいは「イエローサブマリン音頭」「Let's Ondo Again」など。

キリがないのでこれくらいに。
あとはそれぞれで楽しむように。

アキ・カウリスマキ「浮き雲」(’96)を観る。

カティ・オウティネンとカリ・ヴァーナネンの夫婦ぶりが何とも。
エリナ・サロの支配人の「優雅さ」も素敵。

路面電車の運転手ラウリはリストラでクビになり。
イローナが給仕長の「街一番の店ドゥブロヴニク」も客の高齢化と不況で閉店に追い込まれ。

再就職も厳しい中イローナは店の仲間たちや支配人と再会し。
後者の資金であらたに店を開くのだがというお話。

ラウリはバスの運転手に採用されかけるも健康診断で片耳の不調が見つかりアウト。
イローナは場末の店に採用されるものの店主の税金の不払いでこれまたアウト。

そんな中彼女はあらたな店の開店に意欲を燃やすものの銀行に断られ。
どうにもならないままギャンブルに手を出しなけなしの全財産を失うことに。

この厳しさとバカバカしさがあるからこそラストの「ご都合主義」も忘れてほっこりする次第。
原題は「雲が遠くに逃げて行く」といった意味らしいが詳細は不明。

「人間関係さえあれば貧乏は怖くない」のと同時に。
「仕事に対するプライドとそれを支える技術があること」の大切さを覚えておきたいもの。
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