退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「お付き合い」について

2012-01-31 03:44:38 | Weblog
くもり。だとしておく。

ナンシー・フレイザー、エリ・ザレツキー「9・11とアメリカの知識人」を読む。

「社会的正義の実現」について「再配分」と「承認」という切り口があり
それらの「二者択一」でなく「第三の道」があるのだという見立て。

前者は主に経済的側面、後者は心理的側面を表したもので
「収入の確保」と「『存在』の承認」とでも言えばいいのか。

たとえば「日雇い派遣」は前者のために「仕方なく」後者に目をつぶり
「原理主義者」は後者のために「自爆テロ」という形で前者どころか命を失いさえする。

また女性は「家事」という「無給労働」をこなすことを「当然」とされ
「仕事と家庭」を「ごく普通」に手に入れる男性より大きい「負担」があると認められていないこと。

さらに「男性」や「女性」といった「分類」からはみ出た人々は
「特定の職業」でないと「収入」を得にくく「恋愛・結婚」についても「異性間」と同様でないことなど。

そういったすべての「めんどくささ」を「チャラ」にしようというのが著者たちの考えで
前者後者を合わせたものを「ステイタス=地位」と呼んで「平等」を保証しようということらしい。

考え方としては賛同できるし
ある種の「理想像」としては十分に理解できるけれど。

われわれがそこまで「他人と付き合うこと」を望んでいるのかどうか。
「自分より劣った者」を見つけることで辛うじて「幸せ」になる人々も少なからず。

あるいは無意識に「敵」を作ることで「自分」を見い出したり
いたずらな「自分」にこだわることが「個性」だと思ってもいたりして。

とはいえその「貧しさ」に甘んじるのもよろしくないのは「事実」なのだから
せめてそれぞれが「いいもの」を生み出すしかないのか。

「いいお付き合い」ができれば
もしくは「付き合うことにしたんだもの」というあたりに「落とし場所」があるようなないような。
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「怠惰」について

2012-01-30 03:12:42 | Weblog
くもりときどき晴れ。くらいだと思う。

今日は図書館へ行かないことにしたのでほぼ引きこもり。
コンビニにタバコを買いに行った以外は外出せず。

本も読まず一日中ダラダラする。
このところどうも怠惰なペースになっている模様。

今週中にはホッブズ「リヴァイアサン」を読み終わる予定。
果たしてどこまで歯が立つことやら。

「たかじんのそこまで言って委員会」に珍しく「リフレ派」が登場。
アメリカもようやく「インフレターゲット」を採用したことを知る。

繰り返すが何をしても「デフレ脱却」はできていないのだから
エネルギーの転換ともどもさっさと実行しないと。

そうした「未来」のないままの増税はいたずらに消費意欲を下げるだけ。
まずは「日銀法改正」から始めよう。

TVは「死にかけのメディア」だとはいえその影響力はまだまだ大きいので
少なくともそうした「選択肢」があることを知るのは悪くない。

さて。

話は全く変わるけれどブラザー・トムと国分太一は「似ている」。

前者がやっていたバブルガム・ブラザーズには「won't be long」
後者がやっているTOKIOには「宙船(そらふね)」という曲がある。

で、何なのか。

解釈はおまかせすることにする。
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「見上げてごらんということ」について

2012-01-29 03:36:09 | Weblog
くもりのち晴れ。仕事帰りの空にオリオン座。

今日もなぜか目覚めが遅く早足で地下鉄の駅まで歩く。
バスで2区の距離を毎日往復するのに慣れてしまったせい。

母親が下の妹の「応援」から帰ってくる。
妹の長男はまだ熱が出ているらしくあれこれ手伝って疲れ切った模様。

ただでさえ「力の入りやすい体質」なので
年齢も考えずにひたすら動いたのだろう。

先日「ただ毎日を暮せばいいというのではダメだ」と言われた。
何事もなく暮らせるありがたみを知っている身としては適当に「張り子の虎」をしておく。

仕事場で適当に「研修」をこなす。
「電話に出ると緊張する」という若いおなごと組んで。

彼女は何かに急き立てられるように口早に「心ない話し方」をするタイプ。
少し話すとすぐに「ハハハ」と乾いた笑いを見せる。

おそらくは自分の緊張をごまかすために身につけたスタイルだけれど
それが他人からどう判断されるのかをあまり考えていず。

そこそこ他人の「批判」はしつつ案外「容赦ない」。
イベントで「何かやれ」と言われて普通にうまくもない歌をうたったという過去も。

「イタイ」と言ってしまえばそれまでのこと。
その彼女にも「彼氏」はできるのだから「世の中」というものの「懐」は深く。

もちろん「カップル」などというものは「組み合わせ」に過ぎないので
要は「相性が合えばいい」だけのこと。

一方通り過ぎる人々の中に「好ましいそれ」が少ないのはなぜかと
らちもないことを思ったりしてしまうわが身も「大差なし」。

いずれ「ろくでなし」ということでよろしく。
ただし「自分の貧しさ」を他人に「投影」するのはよろしくない。
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「同じこと」について

2012-01-28 03:58:25 | Weblog
くもり。冷えはそこそこ。

地下鉄で人身事故があって遠回りを余儀なくされ
ドトールでの読書時間がなくなる。

仕方なく仕事場の駅前のコンビニでカフェオレのペットボトルを買うものの
これがなんとも甘ったるい代物で参る。

普段と同じ行動をしないと何となく落ち着かない。
ここでも「どうでもいいこと」はいつも「同じ」でいいという「ルール」。

むしろ「同じ」でないとめんどくさい感じが強い。
どこかで余程気に染まない「ルール」を押し付けられたのだろうか。

若い女子から「集団の難しさ」についての話を聞く。

大して仕事もできないのにやたら「やる気まんまん」だったり
仕事はできるのだが「ほどほど」にしかしなかったり。

「仕事に身を捧げる」という経験のある彼女は
そのいずれにも不満で彼ら彼女らの「不平不満」にはうんざりだと言う。

ひとりで好きなように動けばいいじゃないかと言ったけれど
彼女はどうやら「集団で動く楽しさ」を味わいたいらしい。

おそらくそれはかつてそうした「充実」があったからで
「同じこと」を「再現」したいのだろうという予測はつき。

彼女はやがてその場所は「崩壊」するだろうと言ったので
また別の場所で楽しくおやりなさいと言っておく。

ひたすら「不平不満」だけを述べる輩はどこにでもいて
その種の人々が「ありもしないリーダー」をいつまでも「待望」する。

それぞれが互いに気に入ったところでくっつきそうでないところでは離れればいい。
そのうちどの程度なら「許容範囲」なのかはハッキリするはず。

人は相手のことを全面的に「認めること」も「認めないこと」も無理にしなくていいのだし
そもそもそんな「立派な人」はそうそういない「事実」を忘れずに。

「お互い様」という言葉の意味をあらためてかみしめた上で
「お付き合い」ができれば幸い。
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「ジャーナリスト」について

2012-01-27 03:24:09 | Weblog
くもり。いつもより遅くでかける。

田原牧「中東民衆革命の真実 エジプト現地レポート」を読む。

なるほど中東にはそういう事情があるのかと思わせてくれる作品。
今回の革命には「世代交代」があったというのに納得。

ムバラクを追い詰めたのは「裕福な若者たち」によって始まったデモ。
グローバリゼーションとIT(主にフェイスブックと格安ネットカフェ)も背景に。

「広場」に集まる従来は対立していた様々な勢力の様子が
「タハリーク共和国」として「束の間の幸福」を感じさせるのがいいところ。

学生時代に冗談で言っていたのは
「中核だの革マルだのまだやってんのか」という「ノンポリ」による「制圧」。

それがエジプトでは一瞬「現実」になったようで面白い。
もちろんその後の「困難」もしっかりフォローされている。

著者は「東京新聞特報部デスク」だとのこと。
どこかかつての近藤紘一を思わせるところもあり「文学のたしなみ」もありそう。

このところ東京新聞は我が国では数少ないジャーナリストを輩出している模様。
できればそれを「伝統」としていただきたいもの。

現地の言葉を学び暮し人々と交われば
「信頼できる情報」がきちんと発信できる「当然」を知ろう。

ひとつ忘れずにいたいことは
そうした著者でさえ今回の事は予測できなかったこと。

その「事実」を「世界の複雑さ」と捉えて
自らの「あさはかさ」をあらためて思い出すのが「心ある者の義務」だと思いたい。

こういった本は売れなければならないと思うし
それが「民度」を示すものだと思うのだけれど。
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「文脈」について

2012-01-26 03:26:57 | Weblog
晴れときどきくもり。小雪もちらつく。

「戦後日本の思想」読了。

現東京都知事石原慎太郎が「新人」の頃の話ゆえ何かと「事情」がわかりにくい。
とはいえ「今後の参考」になることは少なからず。

妹の長男が高熱で入院する。
「応援」のため母親が妹の家に「出張」するので明日からしばし「一人暮らし」。

当初は「インフル」という診断だったらしいがそうでもないとのこと。
高校入試直前に入院するとはヤツもなかなかの「おシャレ」。

社会に出る前に「一寸先は闇」だという経験ができるのは好ましい。
もっとも当人がどう思うかによるのだけれど。

少なくとも「話のネタ」として「一生ものの話」になることは確か。
「身銭を切ること」の意味がそこにあるのだとしておこう。

何らかの「出来事」が自分の身に降りかかった時に
その事実をどう解釈するかはそれぞれの「文脈」次第。

「それまでどう生きてきたのか」や「今どういう状況で生きているのか」
そしてそれらをどう捉えているのかが「文脈」を決める。

ある種の女子が「占い」で「いいとこ取り」をするような「積極的な判断」もあれば
ある種の男子がやたら「悲観的な判断」を下すこともあるだろう。

もちろん性別を問わずそれぞれのパターンがあり
当人の「性質=os」による。

唐突だけれどなぜか画面の文字が小さくなってしまい
それを元に戻すことができない。

おそらくはシンプルな原因だと思われる。
それでも解決できないままとりあえず寝ることにする。
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「戦後」について

2012-01-25 03:04:27 | Weblog
晴れのちくもり。やや冷える。

久野収・藤田省三・鶴見俊輔「戦後日本の思想」を途中まで読む。

かつての日本のマルクス主義が「硬直化」していたのを批判しているのはわかるけれど
今のところそのこと以外はほぼ不明。

いわゆる「骨のない」わが国に「輸入」された思想が
不幸なことにあらゆる「問題」に「正解」を出せる装置だと受け止められた時代。

戦中の「翼賛体制」が終わったことで
昭和十年代の「問題意識」がそのまま戦後に持ち越されたという指摘もあり。

「翼賛体制」に積極的に関わらなかったことが
かえって「戦争」そのものがもたらした影響を顧みず「視点」を固定した模様。

まさに「禍福はあざなえる縄のごとし」で
「状況」が人の「立ち位置」を変えてしまうのが「不変の真理」か。

「同じ問題」が「過去の経過」をふまえられないまま
何度も繰り返されるという「歴史意識のなさ」も。

おそらくはわれわれもそうしたものからは逃れられないと思われるので
十分に心しておきたいところ。

たとえば「東日本大震災」を「第二の敗戦」と呼ぶのなら
せめて上に挙げたことについては敏感でありたいもの。

さて。

「消費税はそもそも戦費調達の手段として始まった」と書いたのは立花隆だったか。
わが国ではそれが「食料」を初めとする「日常生活に必須なもの」にも当然のようにかけられていて。

「財源」がないのは重々承知の上で
それより不足しているのは「ビジョン」と「知恵」だったりすることも忘れずに。

「あぶく銭」をかき集めるのも結構だが
その「使い道」も満足にわかっていない者たちの手に渡すのはどうなのだろう。

「電力不足」が「真っ赤なウソ」だったように
「財源不足」もこれまた同様のものではないと誰が言えるのか。

少なくとも現在の総理は「財務省の言いなり(ただし本人は真剣)」で
いかにも「器が小さい」ことは知っておいていいはず。

いずれにせよ「まともな現状認識」と「私心のない知恵」こそが
最も必要なものであることだけは確か。
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「大木」について

2012-01-24 03:07:49 | Weblog
晴れときどきくもり。夜に雨。

阿部和義「トヨタモデル」を読む。

「社史」のような内容であまり面白くなかった。
オヤジ雑誌「プレジデント」の編集者の依頼による本なので仕方ないか。

基本的に「いいこと」しか書いてなく
たしか文庫で「トヨタの闇」を描いたものがあったがそちらの方がむしろ気になる。

ただこの作品からうかがえるのは
「トヨタ」という世界的企業はある種の「ドーム」であること。

その内部にいて「秩序に従う者」には「やさしい」けれど
いざそうでなくなった時には徹底的に「排除」される気がする。

よく考えてみればこれは「ムラの体質」であるものの
企業としての「安定性」がたとえば海外の人々をも納得させるのか。

「目についた無駄をすべて省くシステム」はかなり機能している模様。
それにしても有り余る「内部留保」を持ちながらの「ケチぶり」がなかなか。

常に危機感を持っていていつでも「技術革新」が可能なところが強み。
きちんと「人材」を確保しているのだろう。

7年前に出た本なので
アメリカでのバッシング以降トヨタがどうなっているのか知りたいところ。

「系列」を組織して生き延びる姿は
あらゆるところに根を張りめぐらせた「一本の大木」のイメージも。

もちろん「大木」が生き続けるためには
その陰で「死んでゆくものたち」があってのことなのでそこが知りたいところではある。
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「貧しさを再生産するシステム」について

2012-01-23 03:08:36 | Weblog
晴れ。おだやか。

広河隆一「福島 原発と人々」を今頃読む。

チェルノブイリへの取材と援助活動で有名なジャーナリストが
今回の福島の原発事故をどう見ているのかと思って。

やはり心配なのは子どもたちの被爆。
やがて我が国でもおそらく甲状腺その他にまつわる病気が多発するのだろう。

いずれにせよ明らかなことは
「政府と電力会社による情報の隠蔽」とそのことによる「被害の拡大」。

メディアが「情報の垂れ流し」をするだけに終始し
何ら「チェック機能」を果たさなかったことも大きい。

とはいえ二十数年前に「原発ジプシー」「東京に原発を」といった作品や
「まだ間に合うのなら」というブックレットはすでにあったはずなのに。

とりあえず「事故は起きていない」という「事実」の「綱渡り」に
いつのまにか「不感症」になってしまう程度の認識しかなかったということか。

それにしてもわれわれのこの「鈍感さ」が
どうにも手の付けようのないほど「強力」だったりするのはなぜか。

それが仮に「我が国における絶え間ざる生き難さ」のせいだとするなら
あらためて「なぜそのようにしか生きられないのか」を考えるべきだろう。

「世界標準」からすればまだまだ「恵まれている」はずなのに
何がそこまでわれわれを「追い詰める」のか。

おそらくそれは「世界」を知らないまま
いたずらに「欲望のみをかき立てるシステム」のせいだとしておく。

その種の「貧しさ」がなぜ生まれ継続するのか。
そうした「仕組み」について一度きちんと考え直す時間は持ちたいところ。

誰もが不安もなく生活できる「環境」は
同様に誰もが持つ「生存権」だと確認しておこう。
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「再生産されること」について

2012-01-22 03:17:18 | Weblog
くもりのち雨。パラパラ降り続ける。

「リヴァイアサン序説」ようやく読了。

著者ウォルツァーの文体はかなり「硬い」感じ、
ようやく慣れてきた頃に読み終わるというタイミングの悪さ。

「本家」ホッブズを読んだ上で再読決定。
とりあえず「本家」は今日図書館から借りてくるつもり。

ところでいわゆる「現実」と向き合えない若者は増えているのか。
自分に「不都合な真実」を認めようとしない模様。

勝手に「テンパって」は「魂を飛ばす」始末。
「盲動」の後に「見かけだけの反省」を繰り返す。

口とは別にその行動は「わずかな成功体験」にこだわり
やがてくる「破局」をいたずらに待つのみ。

彼ら彼女らはなぜ
そんな「ちっぽけで間違ってばかりいる自分」を認識できないのだろう。

「同じような仲間」と一緒に
感じている不安をまぎらわせるための束の間の「笑い」に走り。

それが結局は「堂々めぐり」であることも知らず
日々を「ごまかしやりすごそう」として。

おやおや。

この姿は若者ばかりでなく見られるもののよう。
まして「大人」が彼ら彼女らの親であるならある意味仕方のないことか。

そうした「負の教育」については
できるだけその影響を少なくしたいものではあるけれど。

そして、貧しい「現実」は続く。
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