退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「君子の未だ現れざること」について

2011-05-31 02:53:49 | Weblog
晴れ。台風一過だが風強く深夜まで吹く。

高木貞治「数学の自然性」の内容には歯が立たないことがわかったので
金谷治訳注「大学・中庸」を読み始める。

「維新」「格物致知」「小人閑居して不善をなす」「中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず」など
何となく知っている言葉が出てくるので親しみが湧く。

「四書五経」と言えば前者は「論語」「大学」「中庸」「孟子」、
後者は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」を言う。

かろうじて読んだことがあるのは「論語」と「易経」だけだったので
不勉強を省みて読んでみることに。

おそらく「真の保守」は「中庸」と似ているところが少なくないだろう。
「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉をあらためて噛みしめるのもいいかも。

対句を上手に使って短いフレーズで簡潔に物事の本質を表す漢文の魅力はやはり好ましい。
西洋のものはいたずらに長いものが少なくないので余計にそう感じる。

もっともそれは「体力のなさ」がなせる業かもしれず
「肉食」と「草食」の違いは何も恋愛だけにとどまるものではない。

とはいえ言語からすると
「I love you」と「我愛你」は「主語+動詞+目的語」の形が同じだったりもするけれど。

発音をきちんとしないと「我愛泥」となるのだと書いたのは竹内好だったか。
個人的には「四声」の区別も相当怪しいもので。

まずは「克己」が出来なければ家も国も治めることは出来ないとの教えには
ひたすら頭を垂れるのみ。

ところでわが国の「困難」は相当なものだと思われるものの
いまだ「君子」が現れないところを見るとまだまだ「困難」は続くのか、嗚呼。
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「祭りが祭りでないこと」について

2011-05-30 01:00:16 | Weblog
雨。ほぼ台風のように。

夕方から仕事場の飲み会に出かける。

いきなりクジで席を決めることから始まって
あとはめんどくさいことがあれこれ。

メンバーのほとんどが飲まないもしくは飲めず
それに加えてアルコールは別料金だったので予算の都合もあった模様。

仕方がないとはいえ
予想通り「単調な展開」に終始する。

おそらく飲み会で初めて一次会のみで帰る。
盛り上がっているのはどうやらオタク系でその後カラオケだったので。

敢えてこちらからは何もしなかったのだけれど
やはり知り合いの「若者たち」は「全体」を見ない。

初めて参加した若者たちには申し訳ない出来。
明らかに退屈していたのが伺えたもの。

基本は彼ら彼女らを「イジること」で
ある種の「通過儀礼」があって親しくなるのが「定石」だろうが。

そのあたりを考慮せずにいきなり「仲間内のノリ」で盛り上がろうとするのは無理がある。
けれどもそれ以外の「ネタ」がどこにもなかったり。

人と人が「交わること」はどうやら難しくなっているのか。
もちろんこれは特定の集団の話なので一般論にはつながらないことは承知の上で。

こういう「チマチマ」がおそらくは各地にあるのだろうことは予想がつくものの。

そこにどうやら「遠慮」があるのはわかる。
でもそういう「ルール」の中にいて楽しいのか。

あるひとりの男子が「ハジけようとした」事実は覚えておく。
それ以外はほぼ「ゾンビ」という解釈でいいだろう。
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「平和なこと」について

2011-05-29 09:17:33 | Weblog
雨。今日も一日中(28日)。

高木貞治「数学の自由性」を読み始める。

ほんの数十頁読んだだけだけれど
著者の「上品なユーモア」が十分感じられて今後が楽しみ。

ただしそこで述べられている数学の内容について
ついていけるかどうかは別の話。

仕事のあとガストへ行くことになる。

いかにも「力の余った」若者たちが腕相撲を始める。
ひとり非力な男子の上げる悲鳴に似た声と表情はまるで「奇妙な生物」。

帰宅後飲み直しながらマル激を観ているうちに眠ってしまう。

地元の「ワル」だったふたりの若者に罪をかぶせた「布川事件」について知る。
自白と目撃証言のみで公判を維持した司法のあまりの非道ぶりに驚く。

結局そうした行動をもたらすのは
とりあえず「犯人」を見つけて「平和な日常」を取り戻そうとするためらしい。

犯人が捕まり事件が「解決」することによって
「世の中」はふたたび以前のような「平和」を取り戻す。

そのためなら「多少の犠牲」はやむを得ないどころか
むしろ積極的にそうすべきだというのが当時の「司法」の考えだった模様。

「推定無罪」の基本はたしか
たとえ100人の怪しい犯人を取り逃がしてもひとりの冤罪も出さないことだったはずで。

「権力の横暴」に苦しんだ歴史を持たないわが国では
その種の「力」に対する感性が鈍いのだと。

なるほどとうなずきつつ
それで「平和」かと複雑な気持ちにならざるを得ない。
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「理解」について

2011-05-28 04:26:05 | Weblog
くもりのち雨。深夜になってもパラパラ。

ルソー「社会契約論」読了。
ただしもう一度読み直さないと評価は出来ない状態。

とりわけ後半は当時の政治組織についての固有名詞があれこれ出てくるので
とりあえず読んでしまうだけに終わってしまった。

ひとつだけ面白かったのは「等比数列」を使って説明しているところ。
それだけで割り切れるものではないがと断っているあたりの「科学を過信しない」態度は好ましい。

深夜に朝生を観る。

飯田哲也は前回に比べればややマシ。
彼の専門外なので仕方はないけれど「内部被爆」の話が一度も出ないのが残念。

さらに司会の田原総一郎の「無意味な決め付け」の「ダメさ」がさらに明らかになった。
誰も「正解」がわからないものになぜ「正解」を出させようとするのか。

たとえそれが「敢えて」であっても
それはただ「質問する側」の立場の「優位」をいたずらに見せるだけ。

「知恵」を集めて解決策を探るしかないのなら
いわゆる「斬る」という形で物事を処理しても仕方ないのは自明なはずなのだが。

そもそも被災地の人々にとってはすべて「どうでもいいこと」だろうし
幼い子どもを持つ人々にとっても同様。

大人の基準と幼児の基準を同じにしてもいいのかという話も出ず。
「人は自分の興味のあることについてしか話せない」という「限界」を再確認する。

「過去のデータ」を「真実」だとする医者は
たとえば水俣病における「疫学的な想定」の「正しさ」を受け付けない模様。

誰もが「絶対的な正しさ」を言えないことは「常識」なのだから
互いにもう少し「謙虚」にはなれないものか。

そしてそれはひたすら「正解」を求めるだけの人々にも言えることで
「わからないこと」に対してはそれぞれが「大事なこと」を挙げて押さえていくしかない。

もはや「真実」を知る人などどこにもいないのだということ。

おそらく「重要なこと」は
互いに「敢えてもの申したくなる人」にしか出会わないことかも。

それぞれの「懸念」が一向に消えない理由はどこにあるのか。

そこで味気ない「事実」をひとつ。

あなたは相手を決め付けることがあるけれど
相手は必ずしもそういう存在ではないというあたりがおそらくは「正しい」こと。

「あいまいさ」を抱えて生きるしかない「事実」を素直に受け入れよう。
出来れば相手の「本意」を理解できるように。
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「増える雑音と消えた心意気」について

2011-05-27 02:37:41 | Weblog
くもりのち雨。パラパラ降る。

作田啓一訳ルソー「社会契約論」を途中まで読む。

このところドトールでの読書が周囲の喧騒のせいで今ひとつ。
ややオープンな座席だと余計に集中しづらい。

自分に落ち着きが足りないのかもしれない。
静かに過ごせる昔の「喫茶店」のような店を見つけるべきだとは思うものの。

「客単価が安い」という経済的な理由のせいか
町から「落ち着ける場所」が減ってしまったという「言い訳」もないわけではないけれど。

たとえば必ずと言っていいほど話の中身と比例するように「不幸な臭い」のする不自然な笑いと声の大きさ。
「キャリーバッグ」という不快な音を立てるかばんのゴロゴロ(お年寄りは仕方ないのでOK)。

テーブルの上でプラスチックの灰皿がコマのように回って立てる音や
「かかとを上げて歩くこと」も知らずやたらにドタドタもしくはカンカンという靴音。

あるいは時間帯に関係なく大きな音で閉められるドア、
身体を投げ出すように電車の座席に腰を下ろす動作も含めて。

気分はほぼ「他人の心の声が聞こえる超能力者」と言うのは大げさか。
彼ら彼女らは疲れ切っているのかその言動には「弛緩」しか感じられない。

「たまたま同じ場所にいる他人」には「無関心」であるのが基本とはいえ
その「所作」をもう少しどうにかしていただきたい。

かつて永井荷風は近所から聞こえる「ラジオの音」を不快に感じたという。
そこまで「神経質」ではないつもりなのだが。

麻雀マンガ「哭きの竜」の主人公の台詞になぞって言えば
人々の「背中」だけでなくあらゆるものが「煤けている」。

「ボロは着てても心の錦」と歌ったのは水前寺清子だったか。
そのような「心意気」はどこに消えてしまったのだろう。
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「麻薬としての音楽」について

2011-05-26 04:28:02 | Weblog
調子に乗ってyoutube。

スタートはなぜかperfume「レーザービーム」。
まだまだテクノの力は侮り難い。

そこで敢えて吉田拓郎「落陽」へ。

さらにトーキングヘッズ「サイコ・キラー」。
キング・クリムゾン「イージー・マネー」など。

オリガ「ポリュシカ・ポーレ」。
ロシア語の響きを味わう。

ヒカシュー「プヨプヨ」。
クラフトワーク「アウトバーン」とか。

アイズレー・ブラザーズで「for the love of you」。
元ちとせ「ワダツミの木」も。

マーティン・デニー「エキゾチカ」。
ジェフ・バックリー「ハレルヤ」。

鈴木清順作品の主題歌「東京流れ者
バッハ「G線上のアリア(雑音入り)」。

大瀧詠一「恋するカレン」。
ボアダムズ「super go!

久保田早紀「異邦人」。
村治佳織「アランフェス協奏曲」。

グレン・ミラー「茶色の小瓶」。
ラヴェル「ボレロ」。

人はかようにさまざまな音楽に魅せられて。
繰り返すが「音楽は麻薬だ」と言ったホメイニは圧倒的に「正しい」。

要は「キリがない」ということ。
とりあえずの最後にAKB48「言い訳maybe」。
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「科学の社会学化」について

2011-05-26 02:00:10 | Weblog
晴れ。気温の変化がやや激しいのか。

藤井直敬「ソーシャル・ブレインズ入門」を読む。

「自己と他者の脳が作る社会を前提として、その社会に組み込まれた状態の脳のしくみをとらえる」
という考え方のことを言うらしい。

著者はどうやら「学問に関する『閉所恐怖症』」らしく
「ハブ=多様なつながりを持つもの」になるような話題を提供した模様。

「権威ある指令者」に従って被験者に電流を流す「ミルグラム実験=アイヒマン実験」や
映画「ES」の元である「スタンフォード監獄実験」についてはいずれも知っておいて損はないはず。

科学の基本的な用語として
「定性的=主観的」「定量的=客観的」という意味も同様に。

ミラーニューロン」についても出てくるので
それに対する考え方をどう評価するのかも興味深いところ。

あまりに人工的な環境の中での実験の結果と
脳の特定の部位に特定の機能を当てはめることを重視しすぎるのはどうかというのが基本的な態度。

要はいたずらに「タコ壺化」するより
もっと「オープンな視点」を確保しておこうというもの。

「量子力学」など持ち出して「観察者の存在が対象を変える」と言うまでもなく
人は置かれた環境によって態度や視点をいくらでも変えてしまう存在であることを再認識しておこうと。

個人的な印象としては「科学の社会学化」という感じ。
「時代の流れ」を見ていれば当然出てくる考え方だと思われる。

著者の前作で未読の「つながる脳」の方がおそらくわかりやすい内容なはず。
本書はやや「風呂敷を広げすぎた」ようで著者の思いとは逆に素人にはとっつきにくいのではないか。
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「切磋琢磨」について

2011-05-25 02:52:34 | Weblog
晴れ。朝は雨だった模様。

高田明典「現代思想のコミュニケーション的展開」を読む。

親切な作りになっているけれど
個人的な「アンテナ」にはあまりピンと来なかった。

著者が真面目に勉強している「いい人」だということはわかる。
ただしそこに「刺激」がないのがやや残念。

もっともいつも通りにこちらの感度が低いことも考えられるので
とりあえず「ご縁」がなかったという解釈をしておく。

知らない固有名詞の中では「アーペル」という人が少し気になったので
機会があれば読んでみることにしたい。

ただひとつだけ面白いのは
結局コミュニケーションにおいてはやはり「受容」の割合が相当大きいらしいこと。

要は「発信の文脈」をある程度共有してくれる相手でないと。
さらにはそうした人々が基本的に「善意と誠実さの持ち主」であることが望ましいのだとしたら。

「完全な理解」などないからこそ人は「理解」を求めるものだというのはわからなくもない。
とはいえそれほど相手に興味を持てるかどうかが微妙なところで。

むしろよくあるのは「安易な拒絶」で
そうした「対象」を見つけて互いに確認することで「仲間意識」を高めるのがありふれた「貧しさ」。

出来れば互いの「面白さ」で結び付きたいもの。
意見の違いも「敵ながらあっぱれ」なら十分に受け止められる。

そのためには「本当にいいもの」を見分けられる力が必要。
個人個人の「眼力」が試されるのでご用心ご用心。
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「嘘」について

2011-05-24 02:53:46 | Weblog
雨。一日中降る。

コリン・ウィルソン「人狩り 連続殺人犯を追いつめろ!」読了。

家庭環境のヒドさ、子どもの頃頭部を強打したことが「連続殺人犯」を生む要素として大きいらしい。
「権力欲」と「性欲」はどうやら重なり合うものでもあるよう。

「権力」を持ちたがるのは実は自分が「大したことのない存在」であることを無意識に知っているから。
その種の「嘘」には出来れば敏感でありたい。

深夜「Lie to me」をまた観る。

このドラマで面白いのはブッシュやニクソンあるいはペイリンといった
実在の政治家の表情まで紹介していること(エリザベス女王までいたかも)。

第二話のラストで主人公のティム・ロスが「人を傷つける」という言葉を発した時
スカウトした部下のモニカ・レイマンドが「恥じらいの表情」を見つけるのがミソ。

一見「非情」な男にも「情け」はあるという描写。
主人公に好感を抱かせるための重要な「テクニック」なので覚えておこう。

話は変わるけれど
某焼肉チェーン店のCMには「魔法のなんたら」や「すきやき風」など「新しい食べ方」が必ず描かれている。

N市の有名な肉屋が出している店も
濃厚というよりむしろ肉の味を消すようなソースをかけたメニューを出している。

いずれも明らかなのはそこで出されている肉の質が間違いなく劣ったものであることで
「当事者」がそれを十分に自覚しているからこその「対処」。

ただこちらからすると
むしろ「肉質の悪さ」を「宣伝」しているように思えてならないのだけれど。

どうせ「自覚」するなら
そのあたりの事情まできちんと自覚した方がいいように思う。

ついでに言えばN市のデパートのほとんどの料理店は
「なんじゃこりゃ」と思うほどマズイ。

デパートとしては「美味しい店」を出す方がいいはずだという「真実」を前提にすると
そこに何らかの「利権」がありそうな気もしないではない。

一方には「高い家賃」を簡単に得られるという「うま味」があり
もう一方にはデパートに出店することで「ステータス」を得られるという「うま味」がある。

結局「損をする」のは「消費者」なので
せめて「まともな味」を理解できる舌の持ち主ではいたいもの。
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「犯罪」と「犯罪的なもの」について

2011-05-23 02:19:24 | Weblog
くもりときどき雨。夕方からは晴れる。

コリン・ウィルソン「人狩り 連続殺人犯を追いつめろ!」を読み始める。

久方ぶりの著者の作品は相変わらずという感じ。
大体知っている話をもう一度あらためて。

「犯罪=時代の鏡」という考え方も今となっては「定石」。
個人的な印象だけれど現在の状況は以前と比べて広く薄く「悪」が広がっているような。

全体的に「レベルダウン」していることだけが明らか。
それが何故なのかについて教えてもらえるような類いの本があればいいのだけれど。

某N市交通局がらみのあれこれについて。

薄皮に包まれたあんこ菓子のような名前をもつカードを「定期券」として否応無く使わされているのだが
かつてのペラペラなものと違ってきちんと反応させないとその後改札を通れなくなる厄介さがある。

期限切れのブツがなぜか一度は乗車駅を通り抜けられたものの
乗り入れている某M鉄の駅で通れなくなって駅員に尋ねあらためて買い直すことになったり。

その後某N市交通局の駅で定期を継続しようとしたら
「M鉄の記録を一度消さないと買えないんです」と言われ駅長室まで行っていたずらに時間をとられたり。

おまけに駅長室では何事かの「締切り」に追われていて
PCを扱える駅員がひとりだけのせいで長々と待たされる始末。

結局は「新規購入扱い」で
あらためて販売機にデータを入力しなければならず。

もう少し「マシな」システムが作れないのだろうか。

そのカードで買い物が出来たりポイントがたまったりすることはどうでもいいから
「使い勝手のよさ」を考えてもらいたい。

おそらくそこにはそうした「システム」についてほぼ理解していない「鉄道関係者」と
大した技術もないままにとりあえずの「システム」を作れる「技術者」がいるのだろう。

便利さを追求した挙句に不便をもたらすのだとすれば
それはほとんど「哄う」しかないもの。

おそらく「本当の技術」はもっとしっかりしているのだろうから
「事情を把握している人」に「システム」を作ってもらいたいもの。

ある時期に「ユビキタス」という言葉が出てきて
「特定の個人情報を元に好みに合わせたサービスが出来る」というようなことが言われもした。

で?

今のところ人ほど複雑なシステムをもてないものに
気分も何も関係なくあれこれ勧められても「ただの迷惑」でしかない「事実」を確認していただきたい。

「単調な複雑さ」しか提供できなければ
「単調さ」と「複雑さ」を兼ね備える「人」に対応できるわけもないのは自明だろう。

要は「大きなお世話」。

そのあたりを勘案した上で
「システム」を作っていただきたいというのは「贅沢」なのか。
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