退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「確かな『相手』が引き出すものあるいは『狂った現実』とそれがわが国の現実であること」について

2020-08-31 03:07:25 | Weblog
晴れ。暑い。

橋下徹・木村草太「憲法問題」を読む。

「法律を学んだ者」という「共通感覚」が生み出したものとは。
後者の「論理」に前者の「現実対応」が絡んで。

敢えて「騒動を起こす手段を採る者」と「法理に忠実な者」の対談。
「相手次第」で「引き出されるもの」があることをあらためて。

とりわけ本作で思うのは木村草太の「ブレなさ」。
それが「信頼」を生み出し橋下徹に何事かを感じさせた内容。

この種のコミュニケーションがもっと各地であることを願うのみ。
「適当なレッテル張り」で相手を判断してはいけないということ。

少なくとも「オール・オア・ナッシング=白か黒か」では何もわからず。
それぞれの「知恵」を集めて「最良の方策」を採りたいもの。

瀬々敬久「なりゆきな魂、」(’17)を観る。

原作がつげ忠男であることを観終わって知ってふむふむ。
「異国の丘」が最初と最後に歌われる。

宮台真司流に言えば「世界のデタラメさ」がここに。
「That's Japan」と言ってもいいような。

「バス事故の遺族」のそれぞれの在り様を噛みしめたいもの。
「その場の『空気』」が「すべて」だったり。

「一定の状況」にいる中でただただ「反応するだけ」で。
なるほど「合理性のかけらもない」ことをあらためて。

冒頭に「米兵とのケンカ」が描かれるのも忘れずに。
「わが国の在り様」を描いたものだと思って結構。

「圧倒的に貧しいわが国の現実」がここに描かれているような。
そこに「性」を加えるのが監督印。

要は「セックス=権力関係」だということか。
「黒船」によって「犯された過去」もあり。

「『戦争』の結果」を描いているのだと思えばよさそう。
「端正なバレエ」との「対照ぶり」を覚えておこう。
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「久方ぶりの疲れとスウェーデンの現実あるいはわが国の現実あるいは久方ぶりに魅力的な潜水艦映画」について

2020-08-30 21:07:01 | Weblog
昨日は久方ぶりの寝落ち。

2日ほど「早起き」があったので疲れたのだろう。
結局本は読めずじまいのままドトールでボーッとしてから仕事へ。

マル激を観る。

今回はちょうど気になっていたスウェーデンのコロナ対策とお国柄について。
持続不可能な「ロックダウン」を繰り返すよりはしない方が「合理的」。

「長期戦」を戦い抜くためにはそれが必要だというのにふむふむ。
「日常」を続けながら対処できるからというのがポイント。

その一方。

「高福祉高負担」で安心な「老後」が「普通」のはずが
介護施設で働く貧しい移民が体調悪化を押して出勤したために死者数が増えたとのこと。

さらに移民が増えたことに反発した高齢者層が従来の支持政党から離れ。
「極右政党」を支持して大幅に勢力を伸ばしている現実も。

翻ってわが国はというと。

コロナの「第一波」をどうにか抑えられたという「時間稼ぎ」の間に
本来は「医療体制の充実」を図るべきだということが忘れ去られ。

「歴代最長の在任期間」を記録した総理は
「記者会見」で神保哲生の質問に最後までウソの答弁を繰り返す始末。

「質問内容とその答え」が事前に用意されて読むだけの「サル芝居ぶり」よ。
そしてそれを支え続ける「記者クラブ」がいて。

「後継者争い」などを盛んに報じている場合ではないのだが。
おそらく「不治の病」だから彼らに望むものは「何もない」。

ケヴィン・マクドナルド「ブラック・シー」(’14)を観る。

妻に見放された男はナチスの金塊を手に入れることで「家族の復活」を願うのだがというお話。
ジュード・ロウのキャラクターがなかなか。

久方ぶりの「潜水艦映画」にふむふむ。
英語とロシア語のやりとりも同様に。

「一攫千金」を目指す男たちのそれそれの「事情」を味わおう。
「大手企業」の首切りに遭って「やさぐれる男たち」の物語でもあり。

「実力」はあるのに「時代おくれ」になった次第。
ただし彼らに与えらたのは「錆びに塗れた潜水艦」だったり。

主人公がちょいと「弱い」若者トビンをどこまでも守る姿など。
「大手企業」から派遣された男の「判断」も忘れずに。

ラストの味わいが好ましく。
もっとも「海中を行く潜水艦の姿」の描写が微妙。
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「真名を仮名に変えた『発明』の凄さと『海底での戦い』の映画あるいは『透明な曲』と『価値観の仕組み』」について

2020-08-29 02:16:23 | Weblog
くもり。「打ち水」ほどの雨が降り幾分涼しく。

小川環樹「唐詩概説」読了。

後半の「助字」の解説がありがたい。
素人にもいかにもわかりやすく。

「唐詩」を全体的に振り返ることの出来るほどの「経験と知識」はないまま。
自分なりに「受け止められる部分」をどうにか掬って味わった次第。

「描写の経済」に関する説明もあり。
今後もあれこれ「お付き合い」することになりそう。

それにしても「外国語の詩」を「自国流に読む」などということが他にあるのだろうか。
「書き下し文」を最初に始めた人物の「発明」に驚くのみ。

もっともわが国の言語はそもそも漢文=真名が基本だったり。
「仮名文字」が生まれて広がった「世界」に感謝。

ロン・スカルペロ「プレッシャー」(’15)を観る。

潜水夫たちの「海底での『戦い』」を描いた内容。
嵐の中母船は沈み会社から見放された彼らは懸命に生きようとするのだがというお話。

「それぞれの過去=事情」を背負っているのがこの種の作品の「かたち」。
「殺人鬼もの」とは異なるものの「どう死ぬのか」がポイントで。

エンド・ロールで流れるジョアンナ・ウォールフイッシュ「サテライト」が耳に残る。
「人工衛星は彼女の上を行く でもボートの上で祈っている彼女はそれに気付かない」のだと。

ピアノとヴォーカルのみの編成は大貫妙子&坂本龍一を思わせて。
ただ残念なのは音の状態がよろしくないこと。

とはいえ「透明な哀しみ」の具体例がここに。
手嶌葵「さよならの夏」の「英国版」とでも。

水に溶けてしまいたくなる気持ちはどこから。
われわれが「海から上がってきた生きもの」だからなのなら幸い。

「キレイは汚い、汚いはキレイ」。
シェークスピア「マクベス」の一節の意味があらためて思い出される。

結局のところ「価値観」は「相対的」でしかないことが多く。
繰り返すがわれわれはその「仕組み」から逃れられない存在。
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「貴重な『時代の証言者』と『世界沈没のシナリオ』あるいはまだ沈むのかというわが国の現状」について

2020-08-28 02:30:59 | Weblog
晴れ。蒸し暑い。

大岡昇平「証言その時々」を再読。

「戦争を知らない人間は、半分は子どもである」という「野火」の台詞よ。
そうした人間がすでにわが国の大半を占めるようになって。

「活字を読まない若者」が増えて久しいだけでなく
「マンガを読まない者」も増えて。

「文脈」が読めないゆえいたずらに「ショッキングな映像」が求められ。
今日はスーパーでコロナ予防のビニールシートを引きちぎる男性の姿など。

そもそもそうした人物が少ないからこそニュースになることは忘れ去られ。
いたずらに「体感治安」を悪化させるのみ。

著者は「明治維新」からの「三代目」が「元も子もなくした」と言うが
そこからさらなる「三代目」は何をしているのやら。

「捕虜」になった自分がと文化勲章を辞退する姿にふむふむ。
亡き戦友たちに呼びかける「詩」はほぼ「絶唱」(中原中也の友人であることを思い出そう)。

ギャレス・エドワーズ「世界沈没」(’05)を観る。

BBCが用意した「破滅の4つのシナリオ」が描かれる内容。
同じ映像の繰り返しと「陽気な」音楽がもたらす雰囲気がなかなか。

大津波、巨大隕石、ウイルス、粒子加速器の実験がもたらすブラックホール。
本作には出て来なかったが「火山噴火」もある模様。

わが国はすでに大津波とウイルスを体験している次第。
「大規模な火山噴火」も歴史を振り返れば「身近なもの」だったり。

ここには描かれていない「温暖化」が日々実感されるこの頃。
「世界中の科学者の叡智」を集めて間に合うかどうか不明でも「対策」をしないと。

それとは別に。

東京都は二十三区内の「酒を出す店」に午後十時までの営業時間短縮の要請など。
「感染すること」をいたずらに怖れて「生活を殺すこと」に。

「医療体制の逼迫」を煽る前に「具体的な準備」を整えるのが先決。
なぜそうした「現実」に向き合えないのだろう。

「ノーガード作戦」を採っているスウェーデンはその点どうなっているのか。
せめて「参考材料」くらいは正確に手に入れないとどうにも。

繰り返すが「感染判明者」の数をいたずらに数え上げても仕方なく。
そういうのを「大本営発表」だと言うはずなのだが。

何とも「隔靴掻痒」な感じは否めず。
「芸能人の感染」を伝えることに意味があるのかといえば断固ない。

なるほどここまで「愚か」になれるのかというのが「現在の事実」。
そうしたことの「反動」がやがて訪れるのだろうか。

少なくとも「近代以降」のわが国の歴史を振り返る限り
「圧倒的な劣化」が続いているように思えてならないのだが如何。
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「眠気に襲われることと意外な『拾い物』」について

2020-08-27 03:44:44 | Weblog
晴れ。昼間は暑いが夜はやや涼しい。

藤島弘純「雑草の自然史」を読み始めたものの眠気に襲われどうにもならず。

ドトールでしばしウトウト。
電車の中でも同様に。

仕事には支障がなくてよかった。
それなりに寝たはずなのだが身体にまかせるのみ。

マノロ・ムンギア「パスワード:家」(’19)を観る。

久方ぶりに集まった大学時代の友人とそのパートナーたち。
当時リーダーだったラファが拡張現実アプリで未来が見えると言い出してというお話。

前半の議論の長さはこの種のことに興味があればどうにか。
中盤以降の盛り上がりのための敢えての「停滞」だと思えばよさそう。

アプリの時間に関する変数をいじってみると実は過去も見えたり。
ラファの恋人ルシアが「最も先の未来」を覗いたことから事態は大きく変わり。

この人工知能への恐怖はいささか「盛り過ぎ」のような。
ラスト近くでは「スマホを切れ」というメッセージなども。

人はたいてい同じパスワードを使い回し
「5つの質問」でそれがわかるというシークエンスがなかなか。

ジュリアン・アサンジやエドワード・スノーデンの名前を出して「リアルさ」を増す工夫など。
ラストの展開は「わかりやすすぎるほどの描写」で明らか。

これを「わからない」というのは観客に問題あり。
「スペイン風ホラ話」にテクノロジーを加味した本作は意外な「拾い物」。
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「免疫の複雑さと若き研究者のための基金が出来るかどうかあるいは『王道パターン』に彩りを加えるのはキャストであること」について

2020-08-26 02:27:10 | Weblog
晴れ。まだまだ暑い。

本庶佑「生命科学の未来 がん免疫治療と獲得免疫」を読む。

「免疫の『ブレーキ』」を外したらがんに効いた模様。
その一方今回のコロナウイルスでは免疫の過剰が症状を劇的に悪化させたり。

「人体の複雑さ」をあらためて。
これまた「気の遠くなるような時間の経過」がもたらしたもので。

川勝平太は相当な「教養」がありながらなぜか「日本」がやたらに好きで。
どうしてそうなるのかが知りたいところ。

もちろんこちらとて日本が嫌いなわけではなく。
ただその「異様な好きぶり」が謎なだけ。

ノーベル賞を獲った博士と小野薬品の「戦い」はまだ続いているはず。
「研究成果」によって生まれた「利益」が未来のための「基金」になるのかどうか。

「不安を取り除くのが宗教だ」というのがかの博士の結論だけれど
こちらの言い方にすれば「『理不尽』を解決する物語が宗教だ」ということになり。

いずれ「思い通り」にしたいだけのこと。
その「思い」が果たして「妥当」なのかどうかは大いに疑わしいのだけれど。

デヴィッド・R・エリス「ファイナル・デッドサーキット」(’09)を観る。

本作は「3D」だったようだがその効果は確認出来ず。
物語のパターンはジェームズ・ウォン「ファイナル・デスティネーション」(’00)に同じ。

一度は予知夢によって死を逃れた人々を「死神」が追いかけてきて確実に殺すお話。
本作は「レントゲン」のようなタイトル・ロールが「工夫」なのか。

要は「『ピタゴラスイッチ』の死神バージョン」なので
「13日の金曜日」(’80)よろしく「どう殺されるのか」がポイント。

本作は主役ふたりの「見栄え」が「安物感」を消すのに手伝った趣き。
「水戸黄門」のようなマンネリズムの安定感にプラスアルファがあればそれなりに。

ニックのボビー・カンポは「嫌味のない爽やかさ」があるし
ローリーのシャンテル・ヴァンサンテンはアメリカのティーンズに人気がある模様。

84分という長さが好ましい。
これなら観て損するという感じはないもの。
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「好ましい夫婦の在り様と別種の『戦争映画』」について

2020-08-25 02:31:43 | Weblog
晴れ。暑さはやや緩んだように思えるけれど。

野坂昭如「男の詫び状」を読む。

タイトルは向田邦子「父の詫び状」に似て。
リハビリに励んでいた頃の著者の友人たちとのやりとり。

暘子夫人が17年もの間介護していたことに驚く。
タカラジェンヌだった彼女は著者のプロポーズを受け。

「芸事」以外に何も知らぬまま家事に七転八倒した挙句「料理のプロ」になり。
著者の「アル中ぶり」にも付き合って。

「愛情」というのはこういうものだと思うことしきり。
何とも「濃密な関係」が好ましい。

戦争と飢餓がもたらすものについてあらためて。
電車の中で上を向く。

かの作家が訴え続けたことを忘れずにいたいもの。
その「含羞」も含めて。

マット・リーヴス「クローバーフィールド/HAKAISYA」(’08)を観る。

「手持ちカメラの映像」がミソ。
ただし「怪獣の姿」がハッキリ映されて以降は味気ないかも。

もっとも85分という「描写の経済」は悪くなく。
9.11を思わせる映像など。

以前から気になっていた作品をようやく観ることが出来てよかった。
こういう内容だったのね。

何事もなかった頃の映像が挿入されるあたりの演出よ。
これも「戦争」だと思えば「現在の平和」をどうにか維持しないと。
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「『根拠』とする統計の解釈の緩さとある種の男子のロマンチックの『ひとりよがり』」について

2020-08-24 02:24:40 | Weblog
晴れ。案外暑くないじゃないと思いつつ35°越え。

本川裕「なぜ、男子は突然、草食化したのか」を読む。

著者はエドガー・アラン・ポーが好きなようだけれど
残念ながら本作の内容はそれとは程遠く。

統計資料によって「体感現実」とは異なる「現実」を描いたのにはふむふむ。
ただし圧倒的に「詰めが甘い」。

これで何事かを「確かめたこと」になるのか。
せいぜいが「材料と解釈」を挙げただけで。

かの作家の作品は「論理的必然」をもっと意識していたような。
この「探偵ぶり」はいかにも「素人」と言うよりなく。

もちろん「統計」によって「意外な『事実』」が浮かび上がるのは「いいこと」。
それだけに「残念さ」が募る次第。

佐々部清「ミッドナイト・ジャーナル 消えた誘拐犯を追え 七年目の真実」(’18)を観る。

テレビ東京の単発ドラマ。
監督の名前に惹かれて観た次第。

上戸彩が「紅一点」にいかにもふさわしい存在であることを確認する。
彼女は「男子のわがまま」を「何の問題もなく受け入れてくれる存在」のよう。

内容はかなり「ナイーブ」な感じ。
要は「正義は勝つ」といった趣きで。

そもそも出産する妻の電話に出ない主人公の「謎」たるや。
彼女は結局子どもは産むものの死んでしまい。

そのことが却って「自らの仕事の真っ当さ」に対する「言い訳」に。
つくづく「特定の男子に『都合のいい内容』」だと思うのみ。

この「働き方」はダメなだけで。
娘が最後に主人公に「なつく」展開も何だか。

どうして男子はこの種の「ヒロイズムの独断」について「鈍感」なのだろう。
どこかに「圧倒的な勘違い」があるように思われるのだが如何。
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「漢詩の在り様と『死にたい人々』に向き合うこと」について

2020-08-23 03:54:41 | Weblog
晴れ。夕方には烈しい雨など。

小川環樹「唐詩概説」を半分くらい読む。

「漢詩の在り様の解説」が大部分なのにふむふむ。
「平仄」についても概要は了解できた次第。

また来週末あたりに読了することになりそう。
知らない詩人たちの名前がたくさん出て来るのと同時にその知識量に驚く。

専門家なら当然のことか。
後半もあれこれ教えてもらおう。

マル激を観る。

今回のテーマは「死は自分で選ぶことができるものなのか」。
「死にたい人々」にきちんと向き合えるかどうかが問題なよう。

いたずらに「生きよう」と呼びかけるのも「ご自由に」と言うのも微妙。
「死にたい」と思う気持ちの底に何があるのかが重要で。

一度は死ぬと決めたつもりがそうでなくなることもあり。
決意を貫く人もあり。

「死に方」が周囲の人間たちに影響を与えることも少なくなく。
互いの関係の中で「納得できる結果」であれば幸い。

とりわけそうした「現場」を生きる医療者たちにとっては大変なこと。
そもそも「人を生かすため」に働く人々で。

「死にたい人々の自由」を尊重する一方で
「それに手を貸したくない人々の権利」も尊重されなければならず。

さて。

われわれはこの種の「現実」に向き合えるのかどうか。
いたずらに「白黒付ける」前に「具体的な経験」を重ねるしかなさそう。

若い頃からあれこれ考えたり話し合ったりするのが大事で。
もちろん考えはその時々によって変わるだろう。

「法律で決める」かたちで「解決を図る」のも何だか。
やはりケース・バイ・ケースか。

とはいえ「特定の個人」にすべてを委ねるのも辛く。
堪えがたい苦痛を抱える人々に「安心して死ぬこと『も』できる環境」を作りたいものではある。

おそらくは「いつでも死ねる」というのが肝心。
その上で「生きるかどうか」を試すしかないかも。

とりあえず「孤独であること」はよろしくない。
いろんな考え方があるのを知っておきたいもの。
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「微妙な内容の本と『あやしい郊外』がもたらすもの」について

2020-08-22 02:58:46 | Weblog
晴れ。夜が案外涼しい。

塩沢幸登「昭和芸能界史 戦後の芸能界は如何にして成立したか」を読む。

著者は雑誌「平凡」「週刊平凡」「平凡パンチ」などの編集者だった模様。
ところどころに「独自の見解」があってやや意味不明なところも。

どんなものかと思って読んではみたものの。
どうしてもこの種のことをまとめておきたかった気持ちだけが伝わる。

ただしそれが興味深いかと言われると微妙。
あれこれ知っていることが自動的に「表現」につながるものではないことをあらためて。

黒沢清「クリーピー 偽りの隣人」(’16)を観る。

圧倒的に気持ち悪い香川照之がいい感じ。
人がいなくなった後の風景に何事かを感じさせる演出が監督印。

風の描写が繰り返される。
揺れるカーテンは「不穏」を象徴して。

ただし今回は「CURE」(’97)とは違って「遺伝子」は伝えられず。
「クスリ」が使われるのは「現実」に近いのか。

「場所に棲みつく『あやしさ』」が強調され。
本作では特定の住居の配置だが実はそれが「郊外」だということでいいはず。

主人公がかつての事件現場を見て「犯罪現場特有の臭いがする」と言うのも覚えておこう。
「各地に『ジャングル』があること」を忘れずに。

竹内結子が香川照之に「操られている」ようでそうでもないことも。
「扇風機の風」が彼女に辛うじて「正気」を維持させたのかも。

死体を「真空パック」する姿は面白く。
敢えて思い出すなら「暗闇にベルが鳴る」(’74)のワンシーンか。
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