退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『傀儡』に支配されることと『質問に答えられない首相の姿』あるいは『独裁の影』の影響」について

2020-11-30 02:16:24 | Weblog
晴れ。ということで。

有馬哲夫「昭和史を動かしたアメリカ情報機関」を読む。

著者の文書発掘ぶりを確認するために。
「A級戦犯」の一部がなぜ釈放されたのかを思えば案外単純な理屈ではあるものの。

「天皇制保持」こそが相手の弱点だと見抜いた上で。
ここまで見事にされると感心するよりなく。

正力松太郎がいかにもな「傀儡」で。
テレビの整備が実はソ連に対する「通信網」を目指したことにふむふむ。

アメリカのテレビ番組があれこれ放映されていたのも確かで。
現在の「ディズニーの遣り口」と同じ手法だと思ってよさそう。

幼い頃からさまざまなものを見せておけば。
大人になってもそうしたものへの「愛着」は変わらず。

そもそも他国であるはずの「アメリカ大統領選挙」がかくも話題になるのは何故。
曰く「51番目の州」だと思うくらいが適当か。

マル激を観る。

今回は是非とも多くの人に観てほしいと思うことしきり。
「質問」に答えない菅首相あるいは官僚の姿を確認してもらいたいから。

「論理的な整合性」が全くないところを官僚に「丸投げ」する姿が。
それをカバーする彼らの「出世」は約束されて。

「日本学術会議」に対して「欠員」をもたらしたのは「違法」でしかなく。
その「無理筋」を「ウンコ官僚=出世しか見ない人」がカバーする姿よ。

あまりにバカバカしい現実がここに。
「学級会」でこんなことをしたら「バカ」のひと言で終わるものを延々と。

質問に対してこれほどまもともに答えない姿が堂々と記録されている事実を見よう。
「バカな上司」というものがかくも悪影響を与えるものだと知ろう。

少なくとも菅首相は「自分の言葉」では何も話せないのだから。
「同じ台詞」を繰り返す「ロボット」。

むしろ「ロボット」には失礼なほどに無様。
こういう人物がわが国の首相であることについてあらためて考えたいもの。

アルベルト・ロドリゲス「マーシュランド」(’14)を観る。

「スペインの過去」がここに。
「フランコ独裁の影」が「正義」に疑問を抱かせる内容。

ペドロが「姿の見えぬ妊娠中の妻」と電話で話すのがいかにも象徴的で。
「新しい現実」が「産み出されるのかどうか」ということ。

ベテラン刑事フアンの在り様がいかにも。
彼の「正体」が何なのかは「どこかで見たことのある顔」だということで引き延ばされ。

欧州の映画は少なくともこうした内容の映画を撮っている一方。
わが国のそれがその種の「現実」を全く描かないのは何故なのだろう。

安倍の祖父岸信介は「CIAの傀儡」。
その程度のことは「常識」にしたいもの。
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「言葉によって浮かび上がる『過去』と久方ぶりの楽しい飲み会」について

2020-11-29 01:12:35 | Weblog
晴れ。冷える。

「明治東京風俗語事典」読了。

三遊亭円朝の落語から本書が始まったことを確認する。
「牡丹燈篭」が有名か。

「読み物」として「固定された日本語」が「話芸」によって変わる姿にふむふむ。
ひとつひとつの言葉にある「背景」に思いを致すのみ。

そこから浮かび上がる「生活」がある。
そして二度と戻らない「民度」についても同様に。

この種の「豊かさ」は失われて久しい。
落語や講談が「常識」であった時代を思い出したいもの。

いつも通りに仕事をこなした後で飲み会。

2時間の予定が何だかんだで伸びるのに納得。
結局終電で帰ることになる。

上司の顔が早々に赤くなり新婚の人妻は「可愛い」を連発。
こちらは「ヤクザな過去」について話す。

ピザとピスタチオを腹に入れてビールと赤霧島を飲む。
案外酔いが回らないと思ったものの実際はどうだったのか。

とりあえず楽しい会になってよかったのは確か。
持ち寄った菓子が余りに余ったはずで。

自分が帰ったあとの展開が気になるところ。
まああれこれ聞けばいいだけのことだけれど。

いやはや。
ちょいと飲み直す。
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「昔言葉に遊ぶことと『身の程』を知ること」について

2020-11-28 01:46:40 | Weblog
晴れ。おだやか。

正岡容「明治東京風俗語事典」を半分くらい読む。

案外知っているものがあることを知るといった趣き。
もちろん知らないものもたくさん。

「あたじけない=ケチな、しみったれた」がないのが不思議。
とはいえこの「世界」に浸るのは愉しい限り。

いちおう明日読了予定。
じっくり味わうことにする。

ジャン・ルノワール「黄金の馬車」(’53)を観る。

カミーラのアンナ・マニャーニの姿を久方ぶりに観る。
当時45歳の彼女の魅力はその「笑い声」か。

舞台はスペイン支配下のペルー。
なぜかそこにイタリアのコメディア・デラルテの一座がやってきてというお話。

「演劇」の中でしか輝けない女優の姿にふむふむ。
総督や闘牛士らを「手玉」に取りつつ。

ちょいと逡巡しながら「自分の『持ち場』」を確認する格好。
いずれ好きにすればいいだけなのだけれど。
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「問答無用の『絶対』がもたらすものあるいは自らの『不全感』を『正義』で補うことの貧しさ」について

2020-11-27 02:14:19 | Weblog
晴れ。昼間はコートを着ると暑い。

カレル・チャペック「絶対製造工場」を読む。

ちょっとした燃料のみで莫大なエネルギーを生み出す「カルブラートル」。
その発明が世界にもたらしたものとはというお話。

物質を完全に燃焼してしまうとそこに残るのは「絶対=神」で。
それがさまざまな「奇跡」を起こす一方。

各国の人々は「神」を「自分たちだけのもの」にしたくなり。
互いに相手の持つカルブラートルを「ニセモノ」だと言って破壊し。

やがて世界各地で戦争が始まることになる。
ちなみにわが国も登場して北アメリカを「占領」したり。

「問答無用な『絶対=信仰』」を信じるより「相対的」であれということか。
駄洒落にするなら「信仰」は「侵攻」を生み出すのだと。

本作が書かれたのは1921年から1922年にかけの「戦間期」。
「社会権」を認めたワイマール憲法のドイツは「戦争の負債」からナチスを生み出し。

「戦勝国の正義とルール」がもたらしたものを忘れずに。
ちなみにわが国でも日露戦争後に「日比谷焼き打ち事件」が起きたりしていて。

そうした動きを煽るのは常にマスメディア(当時は新聞)。
今ではネットやSNSによって個人がそうしたことを出来るようになっている次第。

フリッツ・ラング「M」(’31)を久方ぶりに再見。

アマゾンプライムで観られる本作の字幕の酷さたるや。
こうしたものを平気で流通させていいのだろうかと思うことしきり。

おそらくはドイツ語を知らない人が単語の特定の訳語のみに頼ったような感じ。
あるいは「不出来な翻訳機械」がなせる業か。

本作は少女連続殺人犯のせいで厳しくなった警察の捜査に犯罪組織が業を煮やし。
自ら犯人を捕まえにかかるという設定が面白い。

チョークで犯人のコートに書かれた文字は「Mörder=殺人者」の「M」。
この「聖痕=スティグマ」によって「人民(ただし犯罪者による)裁判」も起こり。

そうした姿はむしろ「リンチ」に似て。
「犯人の病気」を無視して「死刑」を要求し興奮する人々の姿よ。

女のひとりが「母親の気持ちになれ」と主張する姿にふむふむ。
「ネットの『正義漢』」が今でも同じことをしているのを覚えておこう。

もちろん子どもを失った母親が犯人に対して憤るのは当然。
ただし「自らの不全感」を「正義」で解消しようとする「他人の姿」は「浅ましい」。

もっと楽しいことをすればいいのに。
そもそも「楽しいこと」は自分次第でいくらでも見つけられるというのに。
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「『思い通り』でない人生の醍醐味と若き日のあれこれあるいは『肝心なこと』が報じられない事実とナチス・ドイツの影響の大きさ」について

2020-11-26 02:49:47 | Weblog
晴れ。夜はそこそこ冷える。

原野健一「ミツバチの世界へ旅する」を読む。

本書はセイヨウミツバチの生態についての研究があれこれ。
目的が曖昧だった研究者の人生についても。

自分も含めこういう人生の結果を見るにつけ。
「思い通りにすること」にあまり意味はないかも。

「なぜかそういうことに」というのが「本当」のような。
むしろ「醍醐味」はそちらの方にあるかもなどと。

今は無きソウルバー、クインビーのダンサーから22年前の映像が送られてきて。
深夜3時過ぎに彼と一緒に踊っている自分の姿を確認する。

当時は体力があったということで。
寝落ちがほぼ日常になった現在を思えば何とも。

「酔いの回りが早くて経済的」だという理由で
アルコール度数96度のスピリタスを飲んでいたりしたもの。

今では25度の焼酎で酔うのだから「若さ」というものは無駄にエネルギッシュで。
いやはや。

土曜日には久方ぶりに仕事場での飲み会があり。
文字通り「仕事場」でという展開はコロナ禍ならでは。

TVのニュースでは「緊急事態」が報じられる一方。
肝心の「医療体制」がなぜ整っていないのかについては全く触れられぬままに。

「そこが問題でしょうにが!」と広川太一郎のマネなどしておく。
ユーモアにあふれた声優は12年前に亡くなった模様。

クリストファー・ポー「特捜部Q カルテ番号64」(’18)を観る。

デンマークでの大ヒットミステリー小説の映画化第4作だとのこと。
「福祉国家の闇=優生思想」がもたらしたものよ。

1934年から1967年まで11000人以上の人々が強制不妊手術を受けたことを覚えておこう。
わが国でも「旧優生保護法」に基づいて同様の過去があったことも。

現在移民に対して同じことが組織的に行われているという設定が怖ろしい。
ナチスによるデンマーク侵攻は1940年4月9日のこと。

ノルウェーも同じ日に。
北欧の国が「ナチス寄り」になった「歴史」があるのを忘れずに。

ナチス・ドイツの影響の大きさをあらためて。
「勝てば官軍」という言葉に含まれる意味を噛みしめたいもの。
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「岩石の魅力と『ヨーロッパの頽廃』を描いた映画」について

2020-11-25 02:37:45 | Weblog
晴れ。おだやか。

チームG「薄片でよくわかる岩石図鑑」を見て読む。

たぶん再読だと思うのだが詳細は不明。
かつて地学で習った岩石のあれこれを見るのは愉しい。

そこに「地球の歴史」が刻まれていて。
橄欖岩の綠が美しく。

偏光顕微鏡の下で見せるさまざまな色合いも素敵。
「自然が生み出すアート」も楽しめる次第。

リリアーナ・カヴァーニ「愛の嵐」(’74)を観る。

ダーク・ボガードの「妖しさ」を確認。
シャーロット・ランプリングの「狐っぽさ」も同様に。

ナチス親衛隊だった主人公マックスはホテルの夜番。
そこへかつて強制収容所で弄んだユダヤ人のルチアが指揮者の妻として現れてというお話。

「ナチス残党狩り」を怖れる「仲間たち」の「審問」に付き合うよりない彼は。
「証人の抹殺」さえ行う彼らに対して彼女を守ろうとするのだが。

「異様な状況での愛」がもたらす影響の大きさにふむふむ。
ルチアが夫を次の演奏場所へひとりで行かせるあたりの複雑さよ。

クラウスのフィリップ・ルロワのいかにもな「モノンクルのドイツ人ぶり」。
あるいはイザ・ミランダの「いやらしい白塗りの伯爵夫人」。

ダンサーのバート、アメデオ・アモディオはマックスが好きだったり。
いやはやいわゆる「異常さ」が満開の趣き。

とはいえマックスは「何が異常で何が異常でないかを誰が決めるんだ」と言う。
もっとも彼は自分の正体を隠すために食堂を経営しているマリオを殺すのだが。

「ヨーロッパの頽廃」はこういうものであることを知っておこう。
おそらくはいまだにそれが続いていることも。
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「あれこれ教えてもらった人の作品と『オッパイの氾濫』がエロでなくなること」について

2020-11-24 02:04:55 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

和田誠「忘れられそうで忘れられない映画」を読む。

本書で採り上げられている映画の中で観たことがあるのはふたつのみ。
「春の珍事」(’40)と「放射能X」(’54)。

去年亡くなった著者が最初から最後まで映画を描写する姿にふむふむ。
ヴィデオもしくはDVDを観ながら書いたのだろうか。

「異様な情熱ぶり」がむしろ「死」の接近を思わせる内容。
おそらく本人はそれを知っていたのではないかと思わせるほど。

「お楽しみはこれからだ」のシリーズが懐かしい。
You ain't heard nothing yetは世界初のトーキー映画「ジャズ・シンガー」(’27)から。

いろいろ教えてもらってありがたい限り。
イラストの魅力も同様に。

園子温「みんな、エスパーだよ!」(’15)を観る。

現在のNHK朝ドラ「エール」と同じ豊橋が舞台。
三河方言も満載で。

これだけ「オッパイ」が出て来ると「性的魅力」は薄れる効果になるほど。
エロにならないというよりむしろ笑える。

池田エライザ、真野恵梨菜、筒井真理子、神楽坂恵、高橋メアリージュン、
冨手麻妙、サヘル・ローズ、 今野杏南、 星名美津紀、 篠崎愛、 星名利華ら。

板野友美や関根勤がカメオで。
男優陣は染谷将太、柄本時生、マキタ・スポーツ、深水元基、柾木玲弥に安田顕。

そうそうイジリー岡田も忘れずに。
「高速ペロペロ」は健在で。

勢揃いする妊婦のシーンがなかなか。
「集団」の姿を描く監督の「得意技」か。
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「この2日間のあれこれ」について

2020-11-23 03:09:22 | Weblog
晴れだったかくもりだったか。ちょいとポツリ。

連日の寝落ちをどうにも出来ず。

自分の現在の体力と意識のギャップがまたまた。
繰り返すが「身体に任せる」のみ。

菅原道夫「比較ミツバチ学」を読む。

ニホンミツバチのオオスズメバチに対する「蜂球(ほうきゅう)」による「熱殺」をあらためて。
二酸化炭素の濃度を上げることでより低い温度で殺せる模様。

本書は写真も魅力的で。
密集するミツバチの絵は美しい。

「日本のオルタナティヴ」を読む。

金子勝、大沢真理、本田由紀、遠藤誠治、猿田佐世、山口二郎による「提言」。
それぞれの主張には納得する一方でこれらを「どう現実にするのか」。

「正しいこと」を主張するだけではどうにもならず。
「動員」についてもっと考えないと。

マル激を観る。

今回のゲストは吉見俊哉。
「大学」や「授業」の在り様についてあれこれ。

「中世の知識人」が「旅人」であったという指摘にふむふむ。
コロナ下の現在にそれを「取り戻そう」とのこと。

ただしわが国ではとりわけ「既得権益」が邪魔をするのが大きく。
オンラインで「教員の力量の差」が露わになったことなど。

「グローバル化と疫病の関係」については是非知っておきたいもの。
前者があるから後者があってその結果「パラダイム」が変わることも。

実は学期の初めを秋にすることは「国際ルールに合わせること」であったり。
わが国の大学の取得すべき科目が多すぎることも忘れずに。

少なくとも夏休みを3ヶ月にすることで学生はいろんな経験が出来。
いたずらに「時間をかけるスタイル」の「生産性の低さ」を思おう。

ロブ・ライナー「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(’17)を観る。

「イラク戦争のインチキ」に「抵抗」したメディア「ナイト・リッダー」の物語。
ニューヨーク・タイムズを始めとする大手メディアがすべて政府情報を受け入れる中で。

ウディ・ハレルソン、ジェームズ・マースデンの記者ふたりは「大統領の陰謀」(’76)のよう。
ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードに比べると地味だけれど。

監督ロブ・ライナーは「デスク」としても出演。
女優陣はジェシカ・ビールとミラ・ジョヴォヴィッチ。

当時の映像がたくさん出て来る次第。
ちなみにバイデンもイラク侵攻には賛成している。

かの国ではこうした作品がちゃんと撮られているのが「真っ当」。
わが国でなぜそうならないかを考えよう。

小津安二郎「学生ロマンス 若き日」(’29)を観る。

「紅一点」を基本とした「男子の和解」が描かれる内容。
「無声映画」ということでよろしく。

当時から「森永」や「三ツ矢サイダー」あるいは「美津濃=ミズノ」が存在していて。
ヘンリー・キング「第七天国」(’27)のポスターが「質(七)屋」につながる展開など。

冒頭で次々と右から左へとパンするキャメラがラストで逆になったり。
これまた当時から「赤倉」がスキー場であったことも。

結城一郎のいかにもな「要領のよさ」がポイント。
斉藤達雄は彼に振り回されて。

笠智衆、坂本武、日守新一、飯田蝶子の「若き日」を確認する。
高松栄子に至っては「へぇー」と思うのみ。

ヒロイン松井潤子はいかにも「可愛いタイプ」。
もちろん現在からの評価は別にして。

「都の西北」とあるので主人公たちは早稲田の学生たちだと思ってよさそう。
それにしても当時から「いかに試験を乗り切るか」が「問題」なのは今も変わらず。

1929年は昭和三年。
馬場康夫「わたしをスキーに連れてって」(’87)の「昭和初期バージョン」かも。
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「『時代の都合』による国語の姿あるいは『好ましいサイコパスたち』」について

2020-11-20 02:51:02 | Weblog
晴れ。仕事場では少しだけ雨も。

安田敏朗「国語審議会 迷走の60年」を読む。

戦中には「植民地向け」の「簡潔な日本語」が目指され。
戦後には「新しい日本」のために「漢字廃止もしくは制限」が同様に。

いずれも「バカげた話」であり本書の読後感は曰く「胸糞悪い」。
それでも「時代の都合」で言葉が変わってゆくことだけは確か。

個人的には「ら抜き言葉」がダメ。
例えば今井美樹「piece of my wish」はいい曲だが「素直に生きれないの」はアウト。

現在を思えば「多勢に無勢」であるのは承知の上。
そんなこととは関係なく「好ましい言葉や文字」を使うのみ。

マーティン・マクドナー「セブン・サイコパス」(’12)を観る。

映画の脚本が書けずに苦しむアイリッシュアメリカンのコリン・ファレルは酒に溺れる一方。
友人ビリーのアイデアに助けられるのだがというお話。

サム・ロックウェルの魅力が全開。
クリストファー・ウォーケンは「ディア・ハンター」(’78)つながりかベトナム人も登場。

ウディ・ハレルソンはマイケル・ルーカーに似て。
トム・ウェイツがこんなところに。

アビー・コーニッシュにはあまり魅力が感じられず。
オルガ・キュリレンコの顔はやはり気になりマイラのリンダ・ブライト・クレイがいい。

ハリー・ディーン・スタントンがまだ健在だった頃の作品。
北野武「その男、凶暴につき」(’89)が冒頭に使われ。

思えばタイトルは黒澤明「七人の侍」(’54)からか。
このサイコパスたちの「生き方」はなかなかに趣き深い。
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「30代で『人生』を描いた作家の本と『プライバシーのない近未来』を描いた映画」について

2020-11-19 02:38:36 | Weblog
晴れ。コートなしで出かける。

カレル・チャペック「もうひとつのポケットからでた話」を読む。

訳者の栗栖茜はチェコ文学者継(けい)の娘だと。
かの父親はエスペランティストでもあった模様。

本作はサロンに集まった人々が次々に物語を話す形式。
「面白い」と言うより「趣き深い」内容。

「すべて、痛みがあってこそ価値があるのです。」
ラストの「人生のおわり」の台詞など。

冒頭の「盗まれたサボテン」の展開は何とも愉しく。
もちろんその内容については敢えて書かない。

「切手収集」のせつなさもあり。
「愛情の結果」が「大事なものを失わせること」になるのを忘れずに。

年齢を重ねていればいるほどその味わいを深く知ることが出来そう。
ただし著者が本書を30代で書いているのも覚えておこう。

アンドリュー・ニコル「ANONアノン」(’18)を観る。

プライバシーがすべて失われた世界で匿名を維持する若い女と
彼女の犯罪を追いかける刑事の話。

「ANON」とは「anonymous=アノニマス=匿名」の略。
匿名で書き込みをするネット利用者のことも指すらしい。

クライヴ・オーウェンの苦み走った中年男の魅力がなかなか。
アマンダ・サイフリッド(いろんな読み方があるがとりあえず)はキレイな裸体も。

同僚の刑事コルム・フィオールの「アイリッシュな風貌」も素敵。
メイコ・ニュイエンの顔は「リ・ジェネシス バイオ犯罪捜査班」で観たはず。

自分の過去の記録や現在見えているものを「書き換えられる技術」がポイント。
「私には秘密などない。見せたいものがないだけ。」という台詞にふむふむ。

よく考えると物語にはあれこれ矛盾がありそう。
ただしこの「近未来の雰囲気」は悪くない。
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