退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ネコが『侵略的外来種』であることあるいは『名は体を表す』こと」について

2020-01-31 02:39:00 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

鹿児島大学鹿児島環境学研究会編「奄美のノネコ 猫の問いかけ」を読む。

ネコが「侵略的外来種」であることを初めて知る。
「地球の自然環境に大きな影響を与え、生物多様性を脅かすおそれのあるもの」。

もっともそれは人間が「飼いネコ」を捨てたりするため。
室内で飼っていれば何も起きないものの。

捨てられたネコたちは生きるためにその地の生きものを殺すだけ。
ただしそれが生物多様性に影響を与えることになって。

「TNR=Trap Neuter ReturnもしくはRelease=捕まえて不妊にして戻すもしくは放す」。
そうした活動も行われているがそれだけではどうしようもなく。

やむなく「安楽死」させることも。
引き取る人を待っているのにも限界がある模様。

現地の事情も知らずそれらを非難する人々もいて。
捕獲したネコたちを飼うにはそれなりの金も労力もかかり。

煎じ詰めればすべてが「人間の都合」。
問われているのは「われわれの暮らし方」であるのを忘れずに。

ディエゴ・ハリヴィス「タイムトラベラー」(’17)を観る。

前半の描写のテンポがいかにも鈍いので作品は短いのにくたびれる。
主演のポルトガル系アメリカン、リンジー・フォンセカは瞳の色が不思議な感じ。

「過去の事実」が「未来の自分」によって「現在の自分」に知らされる仕組み。
「ループ」を脱け出すというのは取ってつけたような。

物語に起伏がなくキャラクターにも魅力がなく。
何とも残念な内容。

いろんなシチュエーションもしくは材料を混ぜた「工夫」はあるとはいえ。
そのことがむしろ「味わい」をなくした結果に。

いろんな色を混ぜたら灰色になるのに似て。
タイトルの「curvature」の意味は「湾曲あるいは歪み」。

「名は体を表す」というオチだと思えばいいか。
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「リーダーシップが困難な時代と『狂信』が『戦場=狂った舞台』で生きても」ということについて

2020-01-30 02:21:53 | Weblog
晴れ。また季節外れの暖かさ。

バーバラ・ケラーマン「リーダーシップが滅ぶ時代」を読む。

かつて敬意を持って信用されていたリーダーたちのあれこれが
情報公開とネットによって暴露される時代の始まりがここに。

本書は7年前に出たものでこの種の言説としては早い方。

誰しも「叩けばホコリの出る身体」。
いたずらに「聖人君子」を求めるのは微妙で。

その一方トランプの「憎悪を掻き立てる手法」もいい加減にしないと。
常に嘘つきな輩が「堂々と権力を保てる」のはいいのか。

つい先日はイランとの戦争を起こしかねなかったというのに。

「ダメなリベラル」を嫌うのは結構。
ただしトランプが本当に「役に立つこと」をしているのかを考えよう。

安倍についても同様に。
彼は残念ながら「まともな日本語」さえ喋れない事実が明らかになった。

そろそろ「立ち位置」のみを優先して「対話」をしない態度を改めたいもの。
「われわれのためになることをしてくれる人物」を選ばないとどうにも。

端から「敵視のみ」では何も生まれず。
互いに好ましいものを探れるように。

メル・ギブソン「ハクソー・リッジ」(’16)を観る。

知り合いの若い女子に勧められて観てみた次第。
「良心的徴兵忌避者の信念」が生み出す「奇跡」の実話だけれど。

「固い信仰」があると人は「とんでもないこと」が平気で出来るという実例。
本作ではそれが効を奏したように見えるが正反対のパターンもあることを忘れずに。

わが国では「地下鉄サリン事件」を思い出せばいいかも。
「宗教はすべて狂信である」という呉智英の言葉を思い出そう。

「戦場という狂った舞台」でたまたま「狂信」が思いがけない効果を生んだものの。
そもそも戦争をもたらすものをどうにかしなければならないということは忘れられ。

ヒットラーのドイツはあまりに大きな賠償による「経済的貧困」が生み出したもの。
インフレにならない程度に紙幣を刷って貧困に苦しむ人々に与えてはどうか。

とりあえず「最低限」を確保した上であとは「お好きに」。
そこから始まるのが本来の「自由競争」ということで。

この「至極当然」を阻むものは何なのだろう。
そのあたりについて「みんなの知恵」を絞りたいもの。

どうしたらそのような「現実」が可能になるのか。
あらゆる「差別」が「相手を知らないこと」によって生まれるのも覚えておこう。

もちろん「好き嫌い」はある。
ただし相手を必要以上に貶めるのはダメ。

そこが「最低限」だと思うのだが如何。
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「リスクを超える勢いを失った人々と失われないロマンチックあるいは和風ミュージカルの心地よい味わい」について

2020-01-29 02:28:56 | Weblog
くもりのち雨。仕事場付近では雷鳴も。

小林盾・川端健嗣編「変貌する恋愛と結婚 データで読む平成」を読む。

「恋の魔法が解けたあとに」という編者対談がなかなか。
人々はどうやら「ロマンチック」でいられなくなった模様。

「恋愛の壁・結婚の壁・出産の壁」を超えないと子どもが持てなかったり。
「それでもロマンチックは消せない」という事実が残ったり。

「いずれもしない選択肢」はもちろんあっていいものの。
「したいのに出来ない」のをどうにかしたいと。

かつてほど「勢い」がなくなったのは「リスク」を考えすぎか。
「女子の肉食化と男子の草食化」は確かなようで。

間違えたらやり直せばいい。
「試行錯誤」という言葉の意味をあらためて。

周防正行「舞妓はレディ」(’14)を観る。

タイトルはもちろん「マイ・フェア・レディ」(’64)から。
バーナード・ショー原作の「ピグマリオン」(’38)がオリジナル。

上白石萌音の歌はこの頃から素敵。
「教授」の長谷川博己がそれぞれの方言を「嫌味なくこなしている」のにふむふむ。

岩本多代の何とも好ましい芸妓ぶり。
踊りの師匠中村久美も同様に。

草刈民代は色気をちょいと。
田畑智子が踊りを頑張っていて。

岸部一徳はそもそも京都の人だから問題なく。
高嶋政宏はミュージカルの経験を活かしてこってり味で。

渡辺えりと竹中直人は「Shall we ダンス?」(’96)を思わせるラストなど。
小日向文世の「旦那ぶり」も悪くなく。

高橋長英と草村礼子の祖父母がいかにもな雰囲気。
花街生まれの濱田岳の「スネた行動ぶり」も。

松井珠理奈や武藤十夢といった「アイドル」を起用する一方で
徳井優、田口浩正、彦摩呂の「ベテラン」が脇を固め。

富司純子の立ち居振る舞いは今となっては「貴重品」。
「祇園」を知っているはずの津川雅彦で締めるキャスティングの妙よ。

そうそう富司純子の若き日は大原櫻子。
周防義和の音楽が気持ちよく。

そういえば少しだけ「小津ポジション」を感じさせるショットも。
観終わって何ともしあわせな気持ちになれる作品。
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「『少年男子』の厄介さと『慎ましさ』を思い出すこと」について

2020-01-28 02:37:59 | Weblog
くもり一時雨。夕方から降る。

根津禎「空飛ぶクルマ 電動航空機がもたらすMaaS革命」を読む。

「MaaS」は「Mobility as a Service=サービスとしての動きやすさ」。
つまり「移動システム全体」を指すもの。

たとえ「空飛ぶクルマ」があってもその安全な飛行を支えるインフラが必要。
そうした諸々のものを含めてそう呼ぶ模様。

「VTOL=Vertical Take-Off and Landing=垂直離着陸」で
そこに「electric=電動」を加えた「eVTOL機」が「主役」らしい。

「未亡人製造機」と呼ばれたオスプレイは何処へといった趣き。
「技術の最先端」が常に「軍事」にあることを思えば。

そもそもそうまでして移動しなければならない理由とは何か。
「ドクターヘリ」なら必要性はわかるものの。

「『SF映画でお馴染みの世界』が現実になること」はそんなに「魅力的」なのだろうか。
ほぼ「隠居の身」としては理解しがたい。

とはいえ「業界」がこの種の「未来」を目指しているのは確か。
やれやれ。

現在の公共交通機関と徒歩もしくは自転車で十分。
「地球温暖化」による気候変動を思うにつけても「安全なシステム」は可能なのか。

残念ながら「お金の使い方」を間違っているとしか思えず。
とりわけこうしたものを良しとする感覚が「少年男子のもの」であるのを忘れずに。

ただでさえ「厄介な存在」であるのが「男子」だというのに。
かつては「町内」ですべてが事足りていたことも忘れずに。

さて。

「物理的な距離」は近いものの「圧倒的な距離」を感じるはずなのが「他人」。
もちろんそこにはそれぞれの「環境」や「歴史」があり。

この「探索」は行われて久しいけれど未だ「結論」に至らず。
各種の「生きもの」は一応「人間」と呼ばれていたりする。

「生態系の頂点」にいるつもりではあるようだが
「地球」からすればあまり好ましい生きものではない。

もう少し慎ましく生きられないものだろうか。
無理筋だと知りつつ敢えて。
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「『一定の好ましさ』を感じさせる女子とトランプのもたらすものの大きさあるいは『残念なSF』について

2020-01-27 02:12:09 | Weblog
くもり。今日もおだやか。

河崎環「オタク中年女子のすすめ」を読む。

どうも好ましい存在は女子の方が多いのか。
それが個人的な偏見だったら幸いだと思うほど。

「子どもを産むかどうかの決断」がもたらすものよ。
少なくとも男子にはないものであることは確か。

その種の「修羅場」をくぐっているのだから「頼もしい」のは当然か。
それに比べてとりわけ現在の男子たちの「ヘタレぶり」を思えば。

繰り返すが「楽しそうに暮らしている女子」の姿を見るのが好き。
ただし著者は「暗闇バイク」などにハマっているあたりが微妙。

残念ながら「これをしていたら時間を忘れるもの」に出会ってない模様。
性別やセクシャリティーを問わず大事な基本はそこでしょう。

マル激を観る。

今回は中東情勢について。
結局トランプの欲望が国際社会に及ぼす影響の大きさを知る。

イランが「中華思想」だというのにふむふむ。
いたずらな「制裁」がかの国を中国に近づけることになることも。

翻ってわが国の首相はよく外国を訪問するものの。
そこに何の「成果」もないのが特徴。

かつての首相あるいは政治家たちは「譲れない一線」を持っていたのに。
イランとトルコ以外の中東は「国家ではない」という指摘も忘れずに。

J・ブレイクソン「フィフス・ウェイブ」(’16)を観る。

第一波は電磁気パルスによる混乱。
突如地球に現れた「アザーズ」たちの「戦略」とは。

「結末」が容易に想像できるあたりがつまらん。
宇宙船のみで宇宙人が現れない描写も。

「アザーズなのか人間なのか」という設定はいかにも「現代」にはふさわしい。
いわゆる「敵か味方か」というわかりやすい構図で。

この「物語」を支えるのがリーヴ・シュライバーだけというのは苦しい。
敵の偵察機がなぜか主人公たちを「素通り」する謎もあり。

「冒頭の時間」が作品の前半で明らかになる「無意味な工夫」よ。
「残念な作品」と言うよりない。
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「『わたしはわたし』を貫く漢詩人と『階級』を敢えて水平に描いた作品あるいは『王朝物語』と月並みな暮らしのありがたさ」について

2020-01-26 02:30:26 | Weblog
晴れ。おだやか。

「頼山陽詩選」読了。

なるほどこの描写は生き生きとしている。
現代人が読んでも目に浮かぶような。

鷗外の歴史小説で知った菅茶山が印象に残る次第。
かの老人は案外著者をからかうことも。

生活の苦しさゆえもっと他人に鷹揚にという妻に
「That's me」と言い放つ姿にふむふむ。

何とも厄介な御仁ではある。

ボン・ジュノ「スノーピアサー」(’13)を観る。

「地球温暖化」を防ぐために散布されたCW-7によって寒冷化した世界で生物は滅び。
人類は「特別列車」の中で生き残るのみ。

前半はやや重いが主人公の告白から一気に盛り上がる趣き。
いかにもな「階級闘争」が描かれる一方。

要は「これしかないという現実」の外に出よと。
列車の前後を使って敢えて「水平な階層」に例えた描写にふむふむ。

物語は魯迅のように「子どもを救え」。
「壁」のように見えたものが「外の世界への扉」であることも忘れずに。

ウォシャウスキー姉弟「ジュピター」(’15)を引き続き観る。

「こんな生活はイヤ」と言っていた主人公はなぜか「陛下」に。
地球が「農場」である設定よ。

「宇宙王朝もしくは姉弟の争い」が生み出す物語。
ここでもなぜか「母殺し」が。

「宇宙の理」を体得しているはずの主人公はその力を発揮しないままに終わる謎。
「ヘタレ男子」に「あたしはあんたの母親じゃない」というお決まりの台詞など。

「身分違いの恋」という定石もあり。
「水に溶ける絵具」のような描写があちこちに。

このお話はスターウォーズより面白いかも。
少なくともそこを意識していることは確か。

「イベント」でなく「物語」が面白いのだという「主張」だと受け取っておく。
続編が生まれるのかどうか。

個人的には本作で終わってもらいたい。
「善が悪」に「悪が善」に変わるパターンはすでに知っているので。
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「『才能はあるが嫌な奴』の漢詩と『内輪ウケ』の映画」について

2020-01-25 02:16:46 | Weblog
晴れ。季節はずれのあたたかさ。

揖斐高訳注「頼山陽詩選」を半分くらい読む。

「才能はあるが嫌な奴」というのが頼山陽らしい。
どこへ行っても追い出されて。

「鞭声粛々夜河を渡る」という川中島の合戦を描いた作品が有名。
楠公や源平の戦いあるいはナポレオンに至るまで。

そうした歴史以外にも何気ない日常を描いたものや
妻への思いを綴ったものもあり。

ジョン・ギャラガー「ピラニア リターンズ」(’12)を観る。

ドラマ「フラッシュ」で最近も観ているダニエル・パナベイカーが主演。
前作に続きクリストファー・ロイドやヴィング・レイムスら。

40年近く前のドラマ「ナイトライダー」のデヴィッド・ハッセルホフが目立つ内容。
「内輪のおフザケ」といった感じが濃厚。

観る前からそんな感じだろうと思いつつ。
それを確認したかっただけ。

地底湖から別の湖へピラニアたちが移動した事実を知りながら。
金のために危険を無視するお馴染みのパターンのお話。

チビでゲイだと思われていた冴えない男子が
主人公の愛情を勝ち取る描写もあり。

オッパイのオンパレードは相変わらずだが前作より魅力は減ったかも。
齧り取られた肉体のパーツがあちこちに散らばり。

ついには「進化」して歩き出すピラニアよ。
「子どもの首」を飛ばす悪趣味ぶりなど。

とりあえず本作も「短い」のが取り柄。
ラストにNGシーンもあれこれ。
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「まっとうな視座を持つ人と自らの肉体に『裏切られた』人」について

2020-01-24 02:40:58 | Weblog
くもりのち雨。その後晴れる。

吉見俊哉「アフター・カルチュラル・スタディーズ」を読む。

「ただ文化について調べること」ではなく
何が課題なのかについて見据えている視座はさすが。

著者が劇作家・如月小春の周辺にいたことを初めて知る。
グラムシの影響の行方などについても同様に。

序章を読んだだけでその「鋭さ」がわかるといいうもの。
「カルチュラル・タイフーン」という国際交流の場を作った功績も。

戸坂潤、中井正一の名前を久方ぶりに目にする。
もっとも彼らの著作にはちょいと目を通した程度なのだけれど。

もっとあれこれ教えていただきたい存在。

アレクサンドル・アジャ「ピラニア」(’10)を観る。

「リービング・ラスベガス」(’95)が懐かしいエリザベス・シューが主演。
冒頭で死ぬのは「ジョーズ」(’75)では生き残ったリチャード・ドレイファス。

「バック・トゥー・ザ・フューチャー」(’85)のクリストファー・ロイドの変貌ぶりよ。
四半世紀も経てば仕方がないことか。

「87分」という作品の長さでこれだけの内容を描いた「経済」が素敵。
冒頭からしばらく続く「バカ騒ぎぶり」も悪くない。

湖中を裸で泳ぐ見事なボディの女子ふたりの映像のバックには「神聖な音楽」など。
「泰西名画」を思わせる部分がなくもなく。

本作がジョー・ダンテ「ピラニア」(’78)のリメイクであることを知っておこう。
オリジナルの脚本は「フィオナの海」(’94)を思い出すジョン・セイルズ。

プロデューサーのチャコ・ヴァン・リューウェンが
かつて日活の「肉体シリーズ」で活躍した女優・筑波久子であるのも一部では有名。

彼女の日活での同期が小林旭や二谷英明だったり。
ジェームズ・キャメロンの出世作「殺人魚フライングキラー」(’81)もプロデュースしている。

かつて「肉体派女優」と呼ばれた彼女は慶応法学部出身の才媛。
突然の引退の後に語学留学し映画製作に携わるように。

やがてロジャー・コーマンに認められて。
自らが望んだわけでもない「遺伝子による身体」がもたらす「人生」にふむふむ。

なるほど彼女が「美しい肉体を食い散らかすピラニア」に興味を持ったのもわかるような。
「ピラニア」は彼女に勝手なイメージを貼り付けた人々だったと思えばよさそう。
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「人類以前に農業を始めていたアリあるいは『70年代の常識』がわかる映画」について

2020-01-23 02:44:57 | Weblog
くもり。仕事帰りにポツリ。

バード・ヘルドブラー&エドワード・O・ウィルソン「ハキリアリ」を読む。

副題に「農業を営む奇跡の生物」。
人類が始める途方もない前にそれを始めていたアリよ。

本書で好ましいのは写真が多いこと。
活字の量があまり多くないのも同様に。

もっともそれぞれのアリたちの名前はやや煩雑か。
酵素を含む化学物質のそれについても。

こうしたアリの姿からすると
「人類が生き延びるため」には「役割分担」が必要かも。

もっともアリたちは自らの役割に疑問を持たないものの
人類はおそらくそうもいかず。

矢沢永吉「アリよさらば」はこうした実態を知らない結果。
どうしても「イメージ先行」になるのはわれわれの認知の「貧しさ」ゆえ。

デヴィッド・ローウェル・リッチ「エアポート’80」(’79)を観る。

このシリーズを全部観ようということで。
「大空港」(’70)からすると4作目。

邦題とは違って本作は79年の作品。
やがてモスクワオリンピックのボイコットが起きる前だからソ連との関係も良好。

アラン・ドロン、ジョージ・ケネディ、「エマニエル夫人」(’74)のシルヴィア・クリステル、
ロバート・ワグナー、スーザン・ブレイクリー、エディ・アルバート、

「ベルイマン作品」でお馴染みのビビ・アンデショーンやマーサ・レイ、
あるいは「エクソシスト」(’73)の声で有名なマーセデス・マッケンブリッジなど。

コンコルドの姿が懐かしい。
英仏共同開発の「超音速旅客機」は03年に退役。

「一難去ってまた一難」という物語はむしろ陳腐。
およそ40年前の俳優たちの姿を拝めればいいだけ。

煙草も大麻も自由にやっていたり。
妻を亡くしたジョージ・ケネディがアラン・ドロンの「饗応」を楽しむ姿も。

こういう「時代」があったことを知っていると
「現在のルール」も所詮それと同じことだとわかる。

「正しさ」は常に「限定付き」であること。
そうしたことを知っておくと「物事に対する判断」がブレなくなるはず。
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「昨日の記述と『圧倒的な技術』がもたらすものあるいは『オールスター映画』」について

2020-01-22 02:56:17 | Weblog
晴れ。夜に冷える。

昨日は眠くなって寝てしまう。

リオフランク・ホルフォード・ストレヴンス「暦と時間の歴史」を読む。

図書館の「いつもの場所」に座り。
何の言語かも不明な古書を読んでいるというのが著者の印象。

「宗教の要請」によってさまざまに「暦」は作られ修正され。
その「前提」を疑いもせずにあれこれの「工夫」が。

「時間」は不可逆的なものだとして。
どこから測ろうとわれわれは「自分の時間」を生きるのみ。

それにしてもこの「博学ぶり」たるや。
しばし活字の上を視線が滑走するのみ。

というのが昨日の記述だったはず。

ジェニファー・ダウドナ「クリスパーCRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見」を読む。

前半の「発見」に至る過程がなかなか。
後半はその技術が「よからぬ欲望」を刺激することを意識しての展開。

「圧倒的な技術」が可能になった途端
「人々の欲望が暴走する危険」が生まれ。

振り返ってわが国では「豚コレラ」にこの技術が使えないのかと思うことしきり。
もちろん素人にはその詳細は不明なのだけれど。

ジェリー・ジェームソン「エアポート77 バミューダからの脱出」(’77)を観る。

いわゆる「オールスターキャスト映画」。
そのおおよそを以下に述べると。

ジャック・レモン、ジェームス・スチュワート、ジョセフ・コットン、
オリビア・デ・ハヴィランド、クリストファー・リーなど。

個人的にはブレンダ・ヴァッカロが懐かしい。
あのちょいと「濃い顔」が好きだった一時期を思い出す。

「探偵物語」(’51)「夜の大捜査線」(’67)「シャンプー」(’75)のリー・グラント。
ダーレン・マクギャヴィンのブチェックの雰囲気もいい感じ。

そしてこの種の「パニック映画の常連」ジョージ・ケネディも。
彼は本作ではほぼ「カメオ」に近い出演。

当時は「バミューダ・トライアングル」などという「オカルト」もあったもの。
その海域に行った船や飛行機が行方不明になるというもの。

もう43年前になるのか。
いやはや自分がここまで生きているのが妙な感じ。
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