退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「疲れ」について

2011-08-29 00:30:01 | Weblog
くもりのち晴れ。暑さは緩む。

9時に起床。
朝食後シャワーを浴びて出かける。

バスと地下鉄を乗り継いで以前住んでいたところのドトールへ。
1時間ほど読書して再び地下鉄、駅前で一服してから仕事場に向かう。

そこから夜の9時過ぎまで連続で仕事をこなし11時頃に帰宅。
そそくさと夕飯をすませて二階に上がりちょっとだけ焼酎など。

いやはや、遊んでいる身には
この「普通の生活」がなかなか応える。

というわけで本はとりあえず読んでいるものの
「まともな感想」はとても書けそうにない。

あと数日すれば元ののんきなスタイルに戻れるので
それまではご容赦願いたいところ。

帰宅が遅くなるとバスがなくなり
歩いて帰ることもある。

おそらく今日右の奥歯がやや痛かったのは
「疲れ」がたまったのだという解釈で。

季節労働をこなすのもあとわずか。

金井美恵子「目白雑録4 日々のあれこれ」を読み返してみたのだけれど
どうやら著者は「復活」したようでめでたい。

以前にも書いたけれど
最後に載っている吉行淳之介に関する文章の「らしくなさ」もいいアクセントになっていて読むのが楽しい。

ただしもったいなくもついつい飛ばし気味に読んだりしてしまうのは
やはり「疲れ」のせいだとしておく。
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「虚構」について

2011-08-26 01:37:08 | Weblog
くもり。車で走っていると風が涼しい。

小坂井敏晶「増補 民族という虚構」を読む。

出来るだけ価値観と「現実」を差し引いた上で
「虚構」の持つ意味をむしろ評価しようという内容にうなずく。

簡単にまとめてしまえば「無根拠ゆえの根拠」を見つけるということ。
そもそもすべてに「意味」がないなら敢えて積極的に「意味」を作ろうという選択肢。

卑近な例えを出すとするなら
中途半端に落ち込むくらいなら底まで落ち込んであとは這い上がるだけという具合。

いたずらに「論理」を尽くすと「根拠」は失われる。
それはまるで「宇宙の始まり」を求めることに似て。

何かを考え始めるときに
人はすでに「前提」を持たざるをえないということ。

そしてその「前提」はむしろ「無根拠に肯定される」よりない。
そこに「宗教的なもの」の必要が生まれるわけで。

もちろん安易に「飛躍する」ことは望ましくなく
そこに至るまでの「道筋」は十分にチェックされなければどうしようもないけれど。

島田紳助が芸能界を引退するらしい。

彼は「無手勝流漫才=漫談の限界」を知っていたがゆえに
ダウンタウンの登場をもって「引退」した。

その彼に残されたのは「芸能界でトップになること」。
そして「束の間」であったとしてもそれも「達成」されてしまった。

「目標」を失った彼は「気分」にまかせて「事業」に手を出したものの
「自分の知らない世界」で文字通り「自分を見失った」と思われる。

残念ながら彼にはあり余る「才能」がありながら「知性」が欠けていた。
そのことは実は本人が重々承知していたことだろうけれど。

「トップ」になりたいという欲望は自分が「底辺」にいるという認識から生まれる。
さらにその認識が案外「事実」だと思われてしまうあたりにこそ「貧しさ」がある。

圧倒的に「つらい状況」があればこそ人は「やさしく」もなれる。
ただし人は「つらさ」を忘れることができないので「ヤクザ」にもなるわけで。

まさに「禍福はあざなえる縄の如し」。
そうした「バランス感覚」を「綱渡り」と呼ぶには「現実」はあまりに厳しく。

何事かに長けていることは自動的に何事かに不自由だということか。
あらためて「何気ない暮らしの幸せ」を噛みしめておくあたりが穏当なのかもしれない。
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「ままならぬこと」について

2011-08-23 00:45:07 | Weblog
晴れ。天気予報が大きくハズれる。

昨日は仕事を休んで友人の墓参り。
今年でもう十年目になる。

その後去年と同じヤナへ行きアユを食べる。
さすがに雨なので客はまばら。

帰りの車中でついついウトウト。
マスターにはいつものようにお世話になる。

東郷和彦「歴史と外交」を読む。

著者のスタンスには基本的に賛同できる。
ただしつくづく痛感するのは「相手」を慮るのが苦手な「国民性」。

「相手の間違い」や「自分の正しさ」のみに依拠していては
「事態」はいい方向へ動かないという「事実」を知るべきか。

さて。

実家からの通勤はそれほど苦にならないものの
今のところ思うように飲めないのが残念。

今日は帰宅後早速二階に上がらされて
あてがわれた缶ビール二本とおつまみとカレーライスの夕食。

なるほどこんな感じで「普通のサラリーマン」は暮らしているのかと思う。

食べるものについては元々あまり文句のないたちなので
飲みものについてもう少しなんとかしなければ。

全くのシラフじゃ夜中に遊ぶ気にもなりゃしない。
なんのために「暢気に貧乏」をしているのかわからなくなるというもの。

果たして今後はいかなる展開に。
「窒息」しないうちに局面の打開を図ることにしよう。
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昨日と同じように

2011-08-19 02:44:24 | Weblog
晴れ。今日も暑い。

夕方から若者たちと飲む。
今宵もこんな時間になってしまう。

話題は職場のあれこれについて。
「山が動く」約束をする。

明日から再び仕事でめんどくさい感満載。
いたずらに長い休みがあるとこうなるということで。

内田樹・高橋源一郎「沈む日本を愛せますか?」を途中まで読む。

「ロッキン・オン」の渋谷陽一が敢えて作った雑誌の対談。
ふたりとひとりが納得しすぎていて内容を追うものの刺激は今ひとつ。

対談の「鉄則」として
「仲間内」ではやらない方がいいということをあらためて確認する。

当然のことだけれど
「ぶつかりあう」ようなものがなければ味わいも薄くなるというもの。

今のところ「互いに分かり合えてしまうこと」のつまらなさが前面に出てしまっている模様。
「So what?」と言うよりない。

眠いので寝る。
今後は「普通の生活」に戻るはず。
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「深夜の帰宅」について

2011-08-18 03:57:08 | Weblog
晴れときどきくもり。

ソウルバーから今頃タクシーで帰宅。
旧友に偶然会ったのとマスターとのあれこれの話のせい。

気が付けばもう二十年余りのお付き合い。
出会った人々と特に別れる気はないのだけれど。

山田宏一「シネ・ブラボー 小さな映画誌」をちょいとだけ読む。

古本屋で100円とはずいぶん見くびられたもの。
もちろん内容は「圧倒的に豊か」だと言っておく。

「人と人とが必然的に結びつくこと=ご縁」によって
その人の「視点」も「考え方」も変わるということ。

疲れたので寝る。
って、当たり前か。

明日もこんな展開だとしたら。
ま、どうにかこうにか体力はもつ設定で。

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「官僚」と「盆休み」について

2011-08-17 01:34:21 | Weblog
くもりときどき雨。勢いは弱いがスコールの趣き。

引っ越しが完了してネットへもようやく復帰。
ヒマだったので近所のジャスコへ歩いて行く。

古賀茂明「官僚の責任」を読む。

さすがに「官僚の手口」には詳しくてなるほどそういうものかと思う。
ただし著者の「提言」にはいかにも官僚らしさが出ていて首をひねるところも。

「まとも」だと思われる著者にしてこうなのだとすると
やはり「官僚」に限らずどこの世界でも「優秀」なのは一握りだとあらためて感じる。

明日はソウルバーへ。
明後日は「キャリア」になった以前の同僚と飲む予定。

果たして彼はどんな官僚になるのだろう。
元々真面目な青年なのでそのまま行ってくれればいいのだけれど。

今年の盆休みは結局「引っ越し」と「飲み」。

とりあえず二十数年ぶりに「生活」が変わる。
とはいえ通勤その他が多少変わる程度だろう。

やれやれ。

自分こそどうなることやら。
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まだまだ「他力本願」であることについて

2011-08-13 01:04:09 | Weblog
晴れ。明日は実家に。

ガザーリー「誤りから救うもの」を途中まで読む。

平安時代のイスラム最大の学者の自伝。
今のところ好ましいところもありそうでないところもあり。

Gyaoで「スーパーナチュラル」というドラマのシーズン1を
「つまんねーなー」と思いつつ続けて観ているうち。

学生時代の友人から電話があり飲む。

引っ越し直前に今の家の電話にかかってくるあたりが「ご縁」。
お互いあまり友人に連絡を取るタイプではないので。

「現場」の処理能力にかけては元々一目置いていたのだが
「仏」と言われた彼の顔にもさすがに疲れが見えた。

彼には「人を寄せ付ける魅力」があり
誰もがついつい頼りたくなるタイプ。

何の遠慮もなく話せる相手との久方ぶりの会話ゆえ
数年もしくは十数年ぶりにもかかわらず話が弾む(記憶があいまいなの)。

昔彼に「羊たちの沈黙」について書いた文章をホメられたことがあって
「世代」を意識するわけではないけれど「何か書け」と言われる。

その「要請」の理由はどうやら「自分」を確認したいということ。
混沌とした「現場」にいるとある種「整理整頓」された「視点」が欲しくなるらしい。

とりあえずどうにか生きてきて(そんな大げさなものでもない)
「区切り」を意識した上で今後を考えたい模様。

「いちおう考えておく」と答えておいたものの
彼の期待に応えられるようなものが出来るかどうか。

それでも。

「期待」という形で「チェック」されるのはうれしいものではある。
そうした「切磋琢磨」の関係がないところには何も生まれないし。

無理筋だと知りつつ
各界のそこそこのメンバーたちが集まる「サロン」が必要だと言っておいた(地元限定でいいの)。

個人的には「オルグ」の「器量」がないので
できればただ参加するだけだとラクでいいんだけどなぁ。
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ごちゃまぜの日について

2011-08-12 01:20:00 | Weblog
晴れ。昼間は少し暑いが夜には風が吹いて涼しい。

引っ越しの見積もりが終わる。
あらたに支払う金額はなし。

何しろ二十年以上住んでいる一番の古株なので
あれやこれや全部原価償却出来ているということか。

とりあえずガスも止まり
結局14日にすべてを終わらせることになる。

考えてみれば「放蕩息子の帰還」ということになるかも。
これで「カタギ」に戻れるかどうかは別の話だけれど。

佐倉統編著「科学の横道 サイエンス・マインドを探る12の対話」を読む。

個人的に興味を惹かれたのは磁性流体で「モルフォタワー」を作った児玉幸子、
介護における科学を語った三好春樹、専門家と素人をつなぐ「はしかけさん」の滋賀県知事嘉田由紀子。

読む人によって惹かれる部分は当然違うとして
全体にやや食い足りない感じがするのは「横道」だけに仕方ないとしておく。

Gyaoで立て続けに二本映画を観る。
「Beyond the Poseidon Adventure」(’79)とイーストウッドの「タイト・ロープ」(’84)。

前者は波や爆発シーンの「ショボさ」とあまりに強引な冒頭の設定や展開にあきれつつ
やがて豪華な俳優陣の演技がそれなりに作品を成立させてしまう怪作。

マイケル・ケイン、サリー・フィールド、テリー・サヴァラス、ジャック・ウォーデン、
カール・マルデン、ピーター・ボイル、シャーリー・ナイト、シャーリー・ジョーンズら。

高価なワインを離さないスリム・ピケンズの何とも愛嬌のある「ダメおやじ」ぶりがなかなか。

一方後者はイーストウッドの「M趣味」を濃厚に反映させた作品で
犯人に殺される娼婦たちにそれぞれ「魅力」がある。

対照的にいわゆる「女っ気」のないジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドと
まるで「妻」のような「実の娘」アリソン・イーストウッドを持ってきた「バランス感覚」はさすが。

幼い末娘がどこかで覚えてきた性的スラングを言った時に
父と姉がほぼ同時に飲み物を吹き出すシーンにちょいと小津の「父ありき」(’42)に似たものを感じたりも。

誰にでもあるはずの「裏側」を
これほど堂々と表に出した作品も少なくないだろう。
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いったん「自分を捨てる」ことについて

2011-08-11 01:19:50 | Weblog
晴れ。季節労働が峠を越える。

「哲学の饗宴 大森荘蔵座談集」読了。

素人にわかりやすいのは「第三部 ことば」。
ソシュールを持ち出す中村雄二郎と「日本語は論理的でない」という宮地裕らに対する態度がなかなか。

前者には「新しそうで古いものであること」を淡々と言い
後者には皮肉交じりに笑いを含めながら違うのだと答える態度はまさに「大人」。

廣松渉、黒田亘らが「大森哲学」に「肉迫」するあたりが面白く
山本信は実に頼りになる議論の相手だという印象。

たしか「時間と自我」「時間と存在」は昔読んだ時に
「なんと独自な考え方か」と驚いた記憶がある。

かつて「駒場のソクラテス」とも呼ばれた人は
ちょっと前ならおそらくハーバーマスあたりが「理想」とした議論が出来る人。

「ちっぽけな『現実』」に悩んだりしている向きには
「『世界』に対する目」が開かれると思われるので「クスリ」としてどうぞ。

さて。

明日から8連休。
最終日に飲み会があることといずれかの日にソウルバーへ行くことだけが確か。

「自分中心」の若いおなごと話す。

彼女はこれまでずっと「だってわたしはそうなんだもん」と言って暮らしてきた。
「キライなもの」は出来るだけ遠ざけ「好きなもの」とだけ接してきた。

その結果「電話に出られない身体」になったらしい。
理由は「恥ずかしいから」で自分しかいない時にかかってくる電話は切ってしまうのだと。

あるいは相手構わず「自分のことを自分流に話してきた」結果
誰も彼女の話をまともに受け付けなくなったという。

要はコミュニケーションの回路が非常に「狭い」ために
いたずらに他人を遠ざけることになったよう。

そんな彼女は最後に
「自分のことを理解されるのはイヤだ」と言った。

その言葉を文字通り受け取ってしまうのはもちろん間違っているので
とりあえずひとつひとつ何か具体的に「出来るように」してみればと言っておいたけれど。

おそらく彼女に足りないのは「相手の話を聞くこと」と
「無条件に」「とりあえず」相手を受け入れることだと思われるものの。

「自分の快楽だけを追い求めるとやがて孤独になること」。

有り余る「商品」に溺れる孤独を知ったなら
「狭い自我の世界」を抜け出すために「違う物差し」を使ってみるといいかもしれない。
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「揺れること」について

2011-08-10 01:24:46 | Weblog
晴れ。みんな暑いというがそれほどでもなく。

エアコンない歴ほぼ四半世紀という生活を続けたせいか
夏は適当に暑いもので汗が出る季節だという認識と身体がある。

いったんそうなってしまうと
全国的に見てもかなり暑いはずのこの地域でもどうってことはなくなり。

人は何事にも慣れてしまうもの。
よくも悪くもこのことは覚えておいた方がよさそう。

面白いのは身体がわずかな涼しさに敏感に反応することで
一般的には夏真っ盛りの時期に秋を感じたりも出来て。

そのことが「正しい」かどうかはどうでもよく
ひたすらそうしたものを感じられることが楽しいだけ。

大昔に警備員のバイトをしたときには
氷を食べた端から汗が出てすぐに乾く経験をしたこともあるし。

まるで理科の実験のようで
ひとり「なるほどこういうものか」と思った記憶がある。

いたずらな「快適」はむしろ人の「感覚」を奪うものかも。
「汗をかかないこと=快適」という「ルール」はエアコンがもたらしたもので。

おそらくは何事も「振幅」のある方が刺激を受けやすいはず。
常に「揺れ続けている」のが実は「普通」だったりもして。

高校当時やや肉厚な男子に対して
「歩くホイヘンス波の原理」だと言って笑っていたもの。

そういえば「笑うこと」は「揺れること」につながりもする。
厚味の多寡はあれどもそれぞれに揺らすのが楽しからずや。
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