退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『オンリー・イエスタデイ』なアメリカの姿と『麻薬とSFと生きる意味』が混ざった映画」について

2023-01-31 02:46:10 | Weblog
晴れときどきくもり。夜に冷える。

町山智浩「トランピストはマスクをしない」を読む。

3年弱前の作品。
「オンリー・イエスタデイ」は「コロナの始まり」と重なり。

その後魅力のなかったバイデンがトランプに勝ち。
魅力のあったカマラ・ハリスは副大統領になったもののパッとせず。

現在はあれほど「影響力」を誇ったトランプも微妙で。
何より彼が応援した候補たちが中間選挙で落選したことが大きく。

「国会議事堂への突入」という「前代未聞の暴動」を起こす力はあっても。
来年の大統領選への出馬を早々としたのは「刑事訴追」を免れるためだったり。

とはいえバイデンが何事かを成し遂げたわけでもなく。
民主党の大統領候補より共和党のそれが目立つばかり。

コロナの影響がなければトランプが権力を維持していたかもと思うといやはや。
それでも彼を支持する人々がいるのだから何ともはや。

ジャスティン・ベンソン&アーロン・ムーアヘッド「シンクロニック」(’19)を観る。

タイトルは「タイムトラベルを可能にする合成麻薬の名前」。
脳腫瘍を患った主人公がその麻薬を使って失踪した友人の娘を探すことに。

前半は「奇妙な映像」の連続。
「時空の歪み」に「特定の過去の歴史」を絡めた描写がなかなか。

両親と妹を亡くしている主人公は自らの命もあやうくなり。
「治療」より「友人を救うこと」に意味を見出す次第。

「不思議な雰囲気を醸し出している作品」なのは確か。
いちおう「面白い」けれど。

テンポが緩いので作品の長さが余計に感じられる仕組み。
本作も90分くらいに収めるべきではなかったか。

もっとも本作が「初顔合わせ」なので。
「アルカディア」(’17)も観て確認しておいた方がよさそう。
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「リベラルの『限界』を露わにするマンガと『暴力の快楽に囚われる世界』の映画」について

2023-01-30 02:32:34 | Weblog
晴れときどきくもり。空気が冷たい。

西田淑子「風刺漫画で説く 女を待つバリア」を見て読む。

「女を待つバリア」についての指摘はおそらく「正しい」けれど。
本作を「風刺漫画」と呼ぶのはためらわれる出来。

「正しさ」に依拠して描いているだけだもの。
もっと「作品」としてのインパクトがないと。

「ひとコママンガ」ゆえのわかりやすさは了解するとして。
要は「キック=刺激」がなく。

「現実」はおそらくこの程度のものではないだろう。
「互いに了解出来る範囲の目配せ」のような趣き。

「『リベラル』の限界」がここに。
「『正しさ』の確認」をしてそれでどうなるのかと言っておきたい。

エヴェラルド・ゴウト「フォーエバー・パージ」(’21)を観る。

このシリーズはそこそこ楽しく。
基本設定を思い付いただけでグッド。

ただし本作はつまらない。
「メキシコからアメリカへの移民」を「アメリカからメキシコへの移民」に置き換えただけ。

冒頭から「何も起きない描写」に退屈するのみ。
「物語」というものをわかっていない人々が作ったようで。

当初は「祭り」としての「暴力」を「限定」して解放するはずが。
「暴力の快感」に抗えない連中は「限定解除」をして。

「『敵』を造って殲滅するゲーム」が「楽しい」という「貧しさ」よ。
敢えてそれを描いたのだと解釈しておくことにする。

人は「共同作業」を通じて「盛り上がる者」。
ならばもう少し「マシな作業」をしたいところ。
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「『権力』がもたらすものとインチキな法律によって支えられる原発およびそれがもたらしたものあるいは『学び踏み出す女子』の映画」について

2023-01-29 02:33:20 | Weblog
晴れときどきくもり。寒気はまだ去らず。

「完訳 三国志(一)」読了。

後半の「帝の逃走劇」はあまり面白くなく。
「権力」を握った途端に「残虐」になるキャラクターの姿を覚えておこう。

その「リアル」は知る由もないけれど。
「そういうもの」だと思っていた方がいいかも。

マル激を観る。

「原子力賠償法」という「インチキ」について。
お馴染みの郷原信郎がゲスト。

1961年に出来た法律はほぼ「無茶苦茶」。
事故が起きたら全部電力会社が責任を負い賠償など不可能。

当時の算出は「国家予算の2倍」。
にもかかわらず国はそれを助ける義務もない設定。

おまけに「PL法=製造物責任法」による原発メーカーへの負担もなく。
おそらくは「アメリカの圧力」のせいだけれど。

そんな「危険」があるにも関わらず企業は原発を造り。
「安全神話」を広めて「国の助け」を信じた模様。

事故さえ起きなければ莫大な利益を手に入れられるから。
ただし3.11は起きたわけで。

岸田政権による「原発再稼働と新設」の方針はこの法律に基づき。
この「インチキ」を暴くと「原発」がそもそも「無理筋」だとわかるというのに。

「経産省」という存在のダメさをあらためて。
「故郷と人間関係」を失った人々の悲しみなどどうでもいいらしく。

「国土の喪失=人々が住めない場所をもたらしたこと」の罪を何だと思っているのか。
そのことをかけらも思わないのだとしたら曰く「逝ってよし」。

この事実を多くの人々と共有したいもの。
「許せない所業」は現実に多くあることも同様に。

マックス・バルバコウ「パーム・スプリング」(’20)を観る。

「タイムループ」に閉じ込められた男女がどう生きるのかというお話。
全体に「酷い現実」はあるのだけれど「乾いた描写」がグッド。

「つまらない日常」を生きていると思っている人々向けの作品。
「新たな道」を求めるのが「女子」だという設定を忘れずに。

「現実」がいかにクソであろうともそこから抜け出せる手立てはある。
ただし彼女はそのために「学ぶ」のが重要で。

本作では「量子物理学」だったりするものの。
それは何でもいいはず。

「従来とは異なる知恵」を身に付けるのが大事なだけ。
そしてそれを実行する「勇気」があればということ。
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まだ『盛り上がり』に欠ける古典と作品より声優が気になること」について

2023-01-28 03:03:18 | Weblog
雪のち霙のち晴れ。傘を持って出かける。

「完訳 三国志(一)」を半分くらい読む。

いかにも粗暴な董卓と「赤兎馬」「貂蝉」に釣られる呂布がメイン。
劉備、関羽、張飛はまだ「脇役」な感じ。

曹操の「疑心暗鬼ぶり」も描かれ。
それぞれのキャラクターの「栄枯盛衰」が描かれる次第。

「状況」とそれに対する「判断」が行動を生み出し。
「勝ち馬」に乗りやがて自らが「天下を取る」深謀遠慮が至るところに。

「シリーズの冒頭」ゆえかやや「迫力」に欠けるところなど。
明日読了予定。

静野孔文&瀬下寛之「ルパン三世vsキャッツ・アイ」(’23)を観る。

タイトルロールはそこそこだが。
絵が微妙(全体に「柔らか=淡白」すぎる)。

物語に「好ましさ」や「刺激」もなく。
これでは原作に失礼だと思うのみ。

「有名なキャラクターをかけ合わせるパターン」はたいていが「残念」で。
本作もそうした匂いが濃厚。

もっとも声優陣は豪華で。
栗田貫一のルパンは「オリジナル=山田康雄」から徐々に「離れている」趣き。

次元の大塚明夫は大塚周夫の息子で。
小林清志を見事に継いだ模様。

峰不二子の増山江威子を沢城みゆきが。
石川五右衛門も大塚周夫、井上真樹夫を浪川大輔が繋ぎ。

納谷悟朗の銭形警部は「七色の声の持ち主」山寺宏一へ。
一方「キャッツ・アイ」の瞳はずっと戸田恵子で。

繰り返すがもう少しシナリオを練って頂きたかったもの。
「ナチスドイツによる美術品の盗難」のエピソードも余分に思えるのだが如何。
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「またまた『老人力』を発揮してしまうこととかつて好ましい作品を撮っていた監督の残念な映画」について

2023-01-27 02:27:22 | Weblog
晴れときどきくもり。まだ寒気は去らず。

「三国志(二)」を半分以上読む。

なぜ(二)なのかというと。
またまた「老人力」を発揮して(一)と間違えて持って出たから。

全八巻をひと月で読もうと思ったのがそもそもの間違いか。
まあこれも「ご縁」ということで。

明日明後日で(一)を読む予定。
その後は順番通りに行くはず。

それはそれとして。
やはり本作が面白いことを確認する。

本広克行「ブレイブ 群青戦記」(’21)を観る。

主演の新田真剣佑も言っているように。
父親千葉真一の「戦国自衛隊」(’79)を思い出す内容。

「トップアスリートであるさまざまな部活の高校生たち」がポイント。
いかにも「青い」若手俳優たちが「仲間」のために戦う姿が描かれる。

「群青戦記」というタイトルはオリジナルのマンガそのままだけれど。
「連合艦隊」(’81)の谷村新司による主題歌「群青」を思わせもして。

「踊る大捜査線シリーズ」の監督がこれですかといった趣き。
残念と言うよりなく。

山崎紘菜が頑張っているものの他の女優陣にも焦点を当てて頂きたかったところ。
水谷果穂や宮下かな子は魅力を発揮しようがない演出で。

一方で松山ケンイチの信長は悪くなく今は亡き三浦春馬も好ましい。
若手では渡邊圭祐と子役だった濱田龍臣がいい感じ。

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(’85)へのオマージュも微妙だったり。
かつては黒澤作品へのそれが活きていたのに。
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「ほぼ四半世紀前の沖縄・慶良間諸島のウミウシの姿と残念な出来だが歌だけがいい映画」について

2023-01-26 02:20:56 | Weblog
晴れときどきくもり。今日も冷える。

小野篤司「ウミウシガイドブック 沖縄・慶良間諸島の海から」を見て読む。

ほぼ四半世紀前の作品。
それゆえか「仮称」が少なくなく。

もっともそんなこととは関係なく美しいものたちも。
ただし本作はその数が少なかった模様。

それにしてもこの「多様性」よ。
気の遠くなるような時間の経過が産み出した生きものの「不思議」たるや。

繰り返すが「見ているだけで気持ちが豊かになる存在」だもの。
われわれはそんな風に生きられるのだろうか。

チャン・ボー「少林寺 阿羅漢vs鬼神羅刹」(’20)を観る。

それなりの「物語」と「映像」を期待したのだけれど。
「こんな作品が作れてしまうんだ」と思うほど。

スースーが敢えて言えば「救い」。
羅刹のキャラクターもまあまあといったところ。

エンドロールに流れる歌は悪くないが作品の出来とは好対照。
声が「胡弓」に聞こえる一瞬が素敵(「王芝洁」という女性歌手)。

どうやらあまり有名ではないようだけれど(youtubeにその姿なし)。
かの国の人口を思えばこれくらいの実力のある歌手は「普通」なのやもしれず。

映画そのものの魅力があまりにないのでついつい。
「笑い」があまりにも「泥臭い」のが残念な限り。
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「『遺産』を活かせないことふたつ」について

2023-01-25 02:29:45 | Weblog
くもりときどき晴れ。雪は少々だが夜に道が凍る。

越澤明「東京都市計画の遺産 防災・復興・オリンピック」を読む。

9年前の作品ということで。
ただしその内容が古びていないのはいいのか悪いのか。

東京都が戦後の復興にあまり熱心でなかったことを知る。
「公共のもの」であるべき土地を民間のものにしたり。

それにしてもわれわれは「歴史」を顧みず。
「現在のあれこれ」が「好ましい未来」に変わる想像力も持てず。

何とも貧しいかぎり。
「自らの利益」のために「街殺し」を続ける者たちよ。

とはいえ少数ながら「未来」を見据えていた人々の存在もあり。
「素敵な遺産」のおかげを思いたいもの。

そしてそれを今後も維持していかないと。
心ある者は「歴史」をつなげと思うのみ。

ババク・ナジャフィ「エンド・オブ・キングダム」(’16)を観る。

「武器商人へのドローン攻撃」がもたらしたものとは。
米英以外の5ヶ国の首相と大統領あるいは大勢の民間人が死ぬことに。

ロンドンは彼らのテロによって大混乱に陥る次第。
もちろん主人公ジェフリー・バトラーは大統領アーロン・エッカートを守る。

そもそもアメリカは「軍産複合体」の力が大きくわが国に要らぬ武器を買わせていたり。
昔はCIAがいろんな国に「傀儡政権」を立てるために「謀略」をしていたり。

どっちが「武器商人なのかテロリスト」なのかわかりゃしないということは敢えて脇に置いて。
とりあえず「正義と悪との戦いぶり」を楽しめばいい模様。

かつての西部劇がいたずらに「インディアン」を「敵」だとしたように。
「内通者の思い」が本作以外でも「ほぼ同じ」であることも覚えておこう。

アメリカ政府関係者たちが前作と同じ顔ぶれなのは「馴染みやすいポイント」。
ただし次作「エンド・オブ・ステイツ」(’19)ではキャストが大きく変わってしまい。

ここでも「遺産」は活かされず。
残念なこと夥しい。
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「好ましい女子たちによる『民主主義』と物語が『増幅』しない設定が残念な映画」について

2023-01-24 02:43:12 | Weblog
晴れ。寒さは緩む。

宇野重規「自分で始めた人たち 社会を変える新しい民主主義」を読む。

国谷祐子、平敷雅、太田垣恭子、下山沙代子、前田典子、奥村美佳、
小倉美恵子、野本紀子、藤田友子、齊藤直巨、林千晶、渡辺美智子。

好ましい女子たちの名前を挙げておく。
いたずらに「敵」を批判もしくは非難するのではなく「一緒にやろうよ」と。

あるいはその圧倒的なポジティブさでみんなを勇気づけ。
「問題解決」に迫る姿よ。

「カリスマ」など必要のない「リーダーの姿」もあったりして。
実にいい感じ。

伊丹十三ではないが「男たちよ!」。
彼女たちに見合う「パートナーもしくは友人」になれているのか確認を。

詳細は敢えて述べないので本書まで。
「それぞれに能力のある女子たち」を埋もれさせることで失うことの大きさをあらためて。

アントワン・フークア「エンド・オブ・ホワイトハウス」(’13)を観る。

ジェラルド・バトラーはどうしてこうも「戦い」が似合うのだろう。
いかにも「濃い」風貌ゆえか(スコットランド出身)。

アシュレイ・ジャッドを冒頭で死なせる「余裕」があるならば。
前半のテンポの緩さを縮めて90分にしなければ。

やはり冒頭のシークエンスが不要だと思われる。
「シークレット・サービス」だった主人公が「財務省」に行くのも含めて。

アーロン・エッカート、アンジェラ・バセットにモーガン・フリーマン。
「下院議長」が大統領、副大統領に次ぐ「第三の地位」を占めることがわかる内容。

「北朝鮮がアメリカ本土を襲う」というのはいかにも荒唐無稽だとして。
物語の基本は「ダイ・ハード」(’88)に同じく。

「大統領の息子」に関する話もあまり活きてはいない趣き。
「緊張感」は維持出来ているもののもう少し工夫が欲しいところ。
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「女子の生き難さとAIは限られた『ゲーム』の中で人間を超えるものであること」について

2023-01-23 03:16:12 | Weblog
晴れ。野菜の多い夕食。

秋山千佳「東大女子という生き方」を読む。

「自分たちに影響しない」と思っている間は「優しい」ものの。
「自分たちを脅かす存在」だと思った途端に掌は返される模様。

「自分たち」とは「男たち」のことで。
いたずらに「ルール」を強制される仕組みよ。

「一定の能力を持ってしまった女子」が出会う「世界」たるや。
そこに母親も加わるのが厄介。

ついつい「いい子」であろうとして。
あるいは「『好ましい女子』としてのルール」に縛られて。

「東大女子」というのはあくまで「印」だと思ってよさそう。
彼女たちを「解き放つ」ためには「自分たち」もそうしなければ。

「バカバカしい」と言ってしまえばそれまでだけれど。
「自分たち」はそろそろ自らを「かくも愚かな存在」だと自覚すべきか。

いずれ「閉じられた集団」の中でのこと。
「どこに出しても恥ずかしくないこと」を望むのみ。

ジョン・R・レオネッティ「モータル・コンバット2」(’97)を観る。

やはり「ダメ」だと確認する。
もっともこの「ヘタさ」はAIには出来ないだろう。

「人工知能」に「敢えて不細工に描く」ということが出来るとは思えず。
その「効率性」ゆえに「うまく描いてしまう」だろうから。

いや違うのか。
さまざまな「変数」を調節すれば可能だとして。

ただしそれは「誰かの指示」がないと出来ないはずで。
AIは自分にそうしたことを「命じること」が出来るのか。

落合陽一は再来年にカーツワイルが唱えた「シンギュラリティ」が来るのだと言い。
「シンギュラリテイ=特異点=AIが人間を超えること」だと思って頂いて結構。

「鬼のような『試行錯誤』」が出来るのだから。
「ある種の『ゲーム』」において「人間を超える」のは確か。

「ゲームの中での優秀さ」においてはたぶん人間はAIに勝てない。
がしかし。

「どういうゲームなのか」という「基本設定」を決める存在には「負ける」。
だって「パラメーター=基準」が不明だもの。

たぶん本書の「東大女子」とはそのことに「気付いた人々」なのだと理解しよう。
そしてそのことは彼女たちに限ったことではない。
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「やはり『男目線』な古典と地域の分断を医療から建て直す試みあるいは『B級映画の楽しさ』」について

2023-01-22 03:05:41 | Weblog
晴れ。マフラーを巻いて出かける。

「完訳 千夜一夜物語13」読了。

「知恵と光の天窓」は「歴史書」のような記述ぶりに。
「ジャアファルとバルマク家の最期」には「男の嫉妬」が描かれ。

「ジャスミン王子とアーモンド姫の優しい物語」は「従来通り」で。
「大団円」は「子はかすがい」。

ラストには文字が減っていく「工夫」など。
さまざまに流れてきた「物語」も「消える」という意味だと解釈して。

現在のアラブの人々は本書を読んでいるのだろうかとふと気になったり。
やはり「男目線」が気になる古典。

マル激を観る。

今回は「かかりつけ医」について。
コロナで炙り出された「医療の不備」を思い出しつつ。

救急車の出動が異様に増えたのは「どうしたらいいかわからないから」。
身近に「相談出来る相手」がいればといった話など。

「地域共同体の崩壊」がもたらした現実よ。
それを「医療」の面から建て直そうと。

「こういうお医者さんがいればいいな」という患者側の思いと同時に。
「優れた医者=貴重な資源」として「無暗に頼ってはいけない」という「倫理」も必要で。

「常に『研鑚』を積む医者の存在」とそれを「尊敬する患者」の関係が望ましく。
互いを「育てる関係」が好ましいと。

いたずらに「法律や形式でまとめる」のではなく。
わかりやすく例えるなら「Dr.コトー」を各地にといった趣き。

ポール・アンダーソン「モータル・コンバット」(’95)を観る。

オリジナルは「対戦型格闘ゲーム」らしいがそのあたりについては全くわからず。
「グレイストーク ターザンの伝説」(’84)が懐かしいクリストファー・ランバート。

「ラスト・エンペラー」(’87)のケイリー・ヒロユキ・タガワの「悪玉ぶり」がなかなか。
全体に「チープ」ではあるもののそこそこ楽しめる内容。

「ゴロー」の姿は「大魔神」を思わせなくもなく。
リュウ・カン役のロビン・ショウの長髪はおそらく当時としても「古い」はず。

ソニアのブリジッド・ウィルソンは「ラスト・サマー」(’97)にも。
キタナのタリア・ソトは「ボンドガール」だったり。

いわゆる「B級作品の味わい」。
続編もあるようなので観てみることにするか。
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