退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「わが国でよくあること」について

2014-03-31 02:25:51 | Weblog
『雨のち晴れ。風が強い。

妹の子どもが泊りがけでやってくる。
遊びと勉強を兼ねたものらしい。

春休みの数学の宿題に付き合わされてほぼ引きこもり。
肝心の参考書を持っていないせいで久方ぶりに頭を使う。

昼過ぎから夕方まで「パズル」を解く喜びをちょいとだけ味わうことになる。
「答えのある問題」は結局どうってことはなく。

「発想」を「パターン」として習得してしまえばいいだけ。
高校生レベルのものはそれで十分。

最後の方で「計算間違い」によるミスをめぐってあたふたする。
何事も「基本」をしっかりしていないと「道に迷う」ことを再認識する。』

と書いてまた寝てしまう。

晴れ。風強し。

近藤誠「患者よ、ガンと闘うな」を古本屋で見つけ100円で購入し読む。

ある種の「告発の書」であることを確認する。

ひとつは「金儲け」でもうひとつは「人体実験」。
クスリの使い方も手術もあるいは検診も「無意味」なものが多いと。

ただしそれを「正しい」とすると多くの医療関係者の生活が脅かされる模様。
またしてもそれか。

他人を「犠牲」にすることなくして成り立たない生活。
できればそうしたものとは無縁でありたいもの。

もちろん自分もそういう過ちを犯したことはあり
今後もその危険性があることは承知の上で。

かくて「世はいかさま」であり続けるのか。
「宙ぶらりん」でやり過ごすことにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「男と女」について

2014-03-29 04:46:54 | Weblog
くもりのち雨。春雨じゃ、食べていこう。

元同僚の誘いで仕事の後の飲み会。
ただいま帰宅。

どうやら「倦怠期」を迎えつつある彼は
彼女に対する不満をわかってもらいたかった模様。

もちろん野郎仲間にそれを言ってどうするというのが「常識的な見解」だけれど。
「出会った頃」との違いにいささかムッとしているよう。

女子からすれば「当然の反応」だと助言しておく。
「昭和の匂い」が濃厚な彼のことゆえ。

その他ふたりの野郎も似たようなことを言い。
「自己完結」するのはよくないのではないのかと「老爺心」など発揮して。

アダムとイヴの時代からどれほど年月が過ぎたことだろう。
それでも男女が互いに分かり合えない「不思議」に驚く。

「他人」を「理解」するのはかくも難しいことらしい。
果たして「自分本位」から抜け出せる日は来るのだろうか。

いつものようにいつもの時間に通い慣れた陸橋をのんびり下っていると
自転車に乗ったおばさんが向こうからやってきたので道をゆずりつつ通り過ぎようとした時のこと。

「そんな疲れた顔しとったらいかんがねー」

不意におばさんに話しかけられる。
思わず苦笑しながらうつむいて挨拶の代わりに。

こんな出会いがあるなんて。
早速飲み会のネタにさせていただく。

野郎なら絶対そんなことはしないという意見の一致を見た上で
そういう「世界」があることを伝えた次第。

昔懐かしい野球解説の小西得郎に倣うならば
「何と申しましょうか」。

関係各位には今後ともよろしくと言うよりなく。
ちなみに野郎よりは女子の方が話しやすい体質ではある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「尊敬の念」について

2014-03-29 02:30:17 | Weblog
晴れ。おだやか。

廣野嘉幸「サイエンティフィック・リテラシー」を読む。

「専門家」は「専門家」であるゆえに
実は白黒ハッキリしたことが言いにくいのが基本。

なぜなら「実はよくわからないこと」を扱っているので
知れば知るほどその種の部分が大きくなるから。

ただし「素人」からするとそれはただの「優柔不断」に見えるので
「中途半端な専門家」はそれに応えてついつい要らぬ「断言」をしてしまう。

それでも何らかの「選択」をするとなれば
「専門家任せ」でもなく「素人任せ」でもない「決定」をしなければならない。

ならばどうしたらいいのか。

専門家は素人の疑問に答える「説明役」に徹し
素人はそれに応じて少しずつ「賢くなること」。

その意味で本書の説明はどこにも偏らないところがよく
「これもあればあれもある」という説明に終始しているのが好ましい。

「科学的」におかしければおかしいと言えばいいし
いろんな説があるならその背景を説明すればいいだけ。

「感情」に流されやすいと人は「カタルシス=気晴らし」のみを求めるもの。
肩代わりをしなくてもいい他人の「感情」をいたずらに慮ったりもする。

さて。

われわれは「議論」の後に「爽やかな気持ち」になったことがあるだろうか。
「なるほどそういう考えもあるか」と思ったことは少ないはず。

残念ながら「勝ち負け」にこだわって
むしろ「殺伐とした思い」が残るだけのことが多いのではないか。

相手は自分に何を教えてくれるのだろう。
その「好奇心」がわれわれにはあまりにも欠けているかもしれない。

それを実際にしてくれる人物に会えば
われわれは自然に「尊敬の念」を持つことになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「まあまあということ」について

2014-03-28 01:31:37 | Weblog
晴れ。昼間は汗ばむほど。

いつもより早く出かけることになり
グズグズしている間にドトールへ行く時間がなくなる。

読書もせずに8時間あまり働いて終了。
帰りにコンビニのそばで一服したらちょいとクラクラした。

やはり「忙しい」のは身体に悪い。
深夜にゴソゴソしているのが悪いのだというのは別の話。

帰宅すると元同僚からのメールで
「急な話ですが土曜日飲みませんか」と。

一も二もなくOKの返信をする。
こうして誘ってもらえるのはありがたいことで。

ありきたりなことではあるけれど
先日AKB「恋するフォーチュンクッキー」に合わせた映像に参加。

それを見た知り合いに「みんな笑ってましたよ」と言われる。
その種のことをする人間だとは思われていないらしく「ギャップ」が原因らしい。

そういえば血液型がA型だと言ったら
周囲から「へぇー」と声が上がったこともあった。

他人に関する「看板に偽りあり」には敏感な方だと思う一方
自分もそうであったかと思うと何やらこそばゆい気がしないでもない。

もっとも「意外性」というのはあくまで「他人まかせ」のものなので
実はどうでもいいというのが正直なところではあり。

興味関心がないものについてはほとんど「バカ」であることも少なくなく。
ちょいと手を加えた車のエンジン音に「ロケットみたいですね」と言って笑われたことも。

ちなみに「車は乗せてもらうもの」という主義なので
当然のように免許などなく(「免許」と呼ばれるものは一切持ってない)。

そもそも「免許あるいは資格」全体に興味がなく
おそらく「必要性に駆られること」がなかったせいだろう。

むしろ自分から遠ざかる姿勢があったことは
今となってみれば「そうかもしれない」。

実はただの「怠惰」のせいだというのがおそらくは「本当」。
それでどうにかなっているのだから当人に「文句」などない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「勝手なこと」について

2014-03-27 01:55:30 | Weblog
雨。終日降る。

仕事場では止んだものの帰宅途中に時ならぬ「夕立ち」。
ズボンの後ろを濡らし靴に新聞紙を入れることに。

「金井美恵子エッセイ・コレクション3 小説を読む、ことばを書く」読了。

中上健次について書いた部分が思わず読み返したくなる内容。
ジェーン・オースティン「高慢と偏見」についても同様。

短歌について深沢七郎「風流夢譚」を絡めつつ批判した文章のキレに思わず大笑い。
「右翼のテロに怯える男たち」の浅墓さも。

このあたりはまさに著者の「独壇場」で
森茉莉の「テレビ批評」について中野翠と全く正反対の評価なのも興味深いところ。

「目白雑録5 小さいもの、大きいこと」を早く読まなければと思うことしきり。
これまでのシリーズは図書館でお世話になったが今回ばかりは買うことにしようか。

知り合いのハンドルネームが「蕗子」となっていて
これは本書でも採り上げられていた石井桃子「幻の朱い実」由来かと今更気付く。

なるほどいかにも彼女のキャラクターにはピッタリな感じで
そのセンスはさすが。

もっとも未確認なので
こちらの勘違いにすぎないかもしれないけれど。

そうした余分な楽しみまで与えてくれたのだから
ありがたいことなのは間違いなく。

それにしても著者のさまざまな指摘と文章の数々は
自らを顧みるのにうってつけ。

勝手ながら今後とも「楽しいお付き合い」を続けさせていただくつもり。
出来れば「なるほど」と思える指摘をしたいと思いつつ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「読むことで知るあやしさ」について

2014-03-26 01:49:51 | Weblog
晴れ。コートなしで出かける。

「金井美恵子エッセイ・コレクション3 小説を読む、ことばを書く」を読み進める。

岡本かの子・澁澤龍彦・大岡昇平・武田百合子・後藤明生・島尾敏夫など。
この中で一番読んでいないのは岡本かの子で次が大岡昇平か。

澁澤龍彦は一時期河出文庫その他で全部集めたはずだが
たぶん引っ越しの際にどこかへ消えた。

懐かしいのは大岡昇平の「萌野」で
蓮實重彦の文章をふむふむと思いつつ読んだ記憶がよみがえる。

武田百合子の「日記シリーズ」もまとめて読んだはず。
この人のものの見かたは独特で面白い。

確かおばさんがおじさんに恋しているのに気付く話があって
なるほどそういう解釈があるのかと当時の若者はいたく感心したもの。

そういえば後藤明生については
小説そのものでなくそれを論じた本しか読んでいないかも。

島尾敏夫の「死の棘」はいっそ笑えたりもしたり。
その「どうしようもなさ」はある意味で「長いコント」だったり。

いずれも手元に本がないので
その魅力に興味のある向きは確かめていただきたい。

とりあえず固有名詞を挙げておけばいいだろうと思うのは
「生来の怠惰」ゆえにて御免。

その固有名詞たちの共通点は「死者であること」。
「同時代を生きる幸せ」もあればそうでない「幸せ」もあるけれど。

「時空を超える」のには「タイムマシン」などいらない「事実」があることを知れば
われわれが普段慣れ親しんでいるはずの「現実」とやらも相当にあやしいものだとしておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「目に映るもの」について

2014-03-25 02:54:02 | Weblog
晴れ。汗ばむほどの陽気。

昨日は仕事場のイベント&飲み会で最終電車を逃し元同僚の家で寝ることに。
久方ぶりに早朝に起き電車で帰宅。

惜しい「人材」が去るのは残念。
とはいえこの季節にはどこにでもあること。

「動けない自分」の姿が浮き彫りになるという意味では
ある意味で「いい機会」ではある。

マル激のNコメでパソコン遠隔操作事件の被告が語るのを聞きつつしばし仮眠。
警察・検察の横暴ここに極まれり。

物理的証拠なしで「犯人」にされるのだから
なんじゃこりゃとしか言いようがない。

加えてマスコミによる「警察・検察情報垂れ流し」による「犯人作り」も酷く
「保釈」という事実をきちんと採り上げないのもスゴイ。

「イカサマ」もほどほどにしろよという無軌道ぶりは
「治安維持法」が思い出されるほど。

「金井美恵子エッセイ・コレクション3 小説を読む、ことばを書く」を読み始める。

カフカ・深沢七郎・吉田健一・野坂昭如のあたりまで。
「ことば」だけで作り上げる世界の楽しさをあらためて思い出した次第。

時には「異なる時間の流れ」に身を置いてみると
それまで見えなかったものが見えてくることがある。

その「強度」は案外尾を引くもので
「偏った目」でしかない自分を束の間忘れさせてくれたりもする。

少なくとも「世界」はあまりに複雑すぎるので
われわれの意識や言葉など到底追いつかないものだと知ると。

とりあえず今日も歩く。
いったい何が目に映ることやら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「見たくないものを常に見ない幼児性」について

2014-03-22 01:36:05 | Weblog
『晴れ。昼の強風は夜になっておさまる。

「金井美恵子エッセイ・コレクションⅠ 夜になっても遊び続けろ」読了。

同じシリーズがもう一冊残っているので
まだまだ楽しみは尽きない。

今回興味深かったのは著者の「投稿」という立ち位置。
なるほどそこに「秘密」があったかと大いにうなずく。

それにしてもこの16歳の早熟ぶりには驚かされる。
それが本人にとっての「当然」なのだから「競争相手はバカばかり」となるわけか。

敢えて「論文」という形で書かないゆえの「芸」には
むしろちんけな論文を遥かに超える「豊かさ」がある。

「見えないルール」を浮上させて批評しその上で「笑い」も生み出す見事さよ。
これを「スタンダード」にするとたいていのものはふっ飛ぶこと請け合い。』と書いて昨日は寝る。

久方ぶりのクインビー。

自分以外の客は若い女子のカップルのみ。
何度でも繰り返すが心ある者はここに集え。

これまた久方ぶりにヴァン・マッコイで締めくくる。
「グッドナイトベイビー」とくるとキング・トーンズを思い出したり。

束の間幸せな時間を過ごす。
「ソウル・シャワー」は身体に心にいい。

岩田健太郎「99・9%が誤用の抗生物質」を読む。

「副作用のリスク」「耐性菌発生のリスク」「お金のリスク」「ロジスティクス=物流のリスク」。
この4つを合理的に考えると現在の抗生物質の処方はいいかげんすぎると。

最後のリスクだけがわかりにくいので解説しておくと
「使いすぎるとなくなってしまい必要な人に与えられなくなる」ということ。

この「いいかげんさ」の改善を阻害するのは「MR」という名前の製薬会社の人間が「新しい薬」を勧め
薬の効果を確かめない医者がそれに飛びつくせいだとか。

患者たちがやたら薬を欲しがるせいもあり。
ここでも「前近代」がわが国を支配している模様。

引き続き船橋洋一「原発敗戦」を読む。

ちょっと前にマル激のゲストに来た著者の「現物」を確認したくて買う。
敗戦当時と「変わらない現実」があるらしい。

「最悪のシナリオ」を用意することが「タブー」になるということ。
どう考えても「土人の発想」。

「現場」と「本部」の齟齬もいつも通りで。
誰かが悪いというより(もちろん悪いのだが)「官僚の縦割り」のせいも。

「リスク」を引き受けない姿勢が「官僚の基本」だとしても
誰かがそれを引き受けなくてはならないのに。

「想定外」を「想定」する「必然」がいつのまにか忘れられて。
おまけに今回の事故からの教訓を学ぶ動きも少なく。

この上「再稼働」と「核燃料サイクル」を実行するというのか。
バカもほどほどにしないともっと怖ろしい事態にならないとも限らず。

いつまでたっても「現実」に対応できない理由が「島国」だとすると
その「土壌」がいかに「ヘンなもの」かを知ることがあっていいだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「できれば」ということについて

2014-03-21 02:33:35 | Weblog
雨のちくもり。夜になって風が吹く。

「金井美恵子エッセイ・コレクションⅠ 夜になっても遊び続けろ」はあと少し。

仕事場の上司が周囲に挨拶されている異動の決まった部下の様子を見て何度も
「愛されてるなぁ」とつぶやく。

おそらくは「羨望」の表れだとこちらに思わせるような彼は
普段の会話を聞いていてもいささかコミュニケーション能力に欠けていて。

「なんかマズイこと言った?」と自らを卑下する笑いの下から相手を伺うその様子に
傍で見ていてうっすらとした痛々しさを感じなくもなく。

あるいは自らが新しい仕事場で四苦八苦しながら求めているものを
すでに手に入れている者たちを目の当たりにした素直な感想かもしれず。

「欠乏」の意識がここでも人の行動を左右するのか。

一定の価値観と生活と感覚器官によって見出される「欠乏」は
それを求める「過剰反応」を生み出す。

そもそも「なぜそれが『欠乏』なのか」というのが「知性」ではあるけれど
残念ながら誰もが平等に持っているものではないのが現実。

「恰好の敵」を見つけてその「撲滅」に走る者もあれば
「望ましいモデルの模倣」に走る者も。

時にはそのような「生き方」しかできないのだと思わせる「事実」があり
それはどうしようもないこと。

願わくはちょいと「横目」で眺めることがあれば
「異なる視界」が開けることを知ってもらえれば。

そのための「材料」は限りなく存在していて
たとえば身近なところにもいっぱい。

目に張り付いたウロコは
むしろ落とされるために付いていたりするもの。

いっそ「削ぎ落とす」というテーマを持って
しばらく暮らしてみるのも悪くないかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おそるおそる好きなもの」について

2014-03-20 03:20:52 | Weblog
晴れ。おだやか。

「金井美恵子エッセイ・コレクションⅠ 夜になっても遊び続けろ」を途中まで読む。

エッセイの中での著者はたいてい「不機嫌」で
その理由がどのように書かれるかが面白いところ(南方熊楠ばり)。

以前同じタイトルの文庫を古本屋で見つけて買ったはずだが
実家に戻る際にどこかへ行ってしまった模様。

本書は最近に至るまでその時々のエッセイを収録しているので
「味わい」はまた別になる。

こちらの勝手ながら「言われてみればなるほど」と思う視点が必ずあって
そこに「好きな映画」が加わるとさらに興味はさらに増すことになり。

「ハァ?」という「装置」として実にありがたい限り。
もちろんそれが「知性の基本」ではあるのだけれど。

「イメージ」を徹底的に排除するのは
「インチキな物語」のいい加減さを許せないから。

「目が強い人」だと言っておこう。
見たくないものは見ない「現代」においてその存在はますます貴重かも。

ただし案外「昔気質」なところもあって
「叙情」も見えたりする「アンバランス」があるのも確か。

少なくともある種の「年代」を生きた者の「特徴」はあって
その「複雑さ」がさらに魅力を増すあたりがいいところ。

「抽象」と「描写」の混ざり具合を「仕掛け」も含めて今後もじっくり楽しみたいもの。
とはいえ結局は文章が「快感」だったりして。

「好きは怖い 怖いは好き」。

著者の全作品を読み終わる日は来るのだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする