退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

これぞ男らしさ

2007-09-30 00:17:42 | Weblog
くもりのち雨。半袖だと肌寒し。

山田風太郎「忍法八犬伝」を読む。

「仁義礼智忠信孝悌」が「忠孝悌仁義礼智信」となり
さらに「淫戯乱盗狂惑愚弄」に変わるあたりがいかにも風太郎印。

八犬士と八人のくの一の対決における忍法はややおとなしい(?)が
伏姫ならぬ村雨を恋する八犬士のやる気のなさが笑わせる。

父親の八犬士たちがガチガチの堅物で猛烈に強いにもかかわらず
その息子たちが修行を途中でやめて自由気ままに暮らしているのがミソ。

忠義のためでなく恋する姫のために
その死に様を競うかのような八犬士の覚悟を決めた男っぷりは
ジョン・フォードの西部劇に出てくるアイリッシュ系の男たちに似ている。

「紅一点」はやはり「男」を引き立たせるためのものだ。
コメント

貧乏ヒマあり

2007-09-27 00:50:14 | Weblog
くもり。涼しさが増す。

■パトリシア・ハイスミス「殺人者の烙印」を読む。

売れない作家の夫が画家の妻と不仲になり妻が家出をする。

夫はこれまで空想の中で何度も妻を殺したことがあって
今回は死体を包んだつもりの絨毯を実際に森に埋めに行く(!)。

隣家に引っ越してきたばかりで妻と仲のよい老婦人が
それを目撃しているだろうと思いつつも夫は「演技」を続ける。

妻は行方不明のまま時が過ぎ
やがて警察も夫のことを疑い始めるのだが、という話。

構成に緊密さを欠くものの夫妻の心理と行動が不気味で面白い。

■ハワード・ホークス「教授と美女」を観る。

世間と隔絶して百科事典の編纂を続ける8人の教授たち。
その中で一番若い教授が俗語の調査中に知ったクラブ歌手に恋をする。

ところがギャングの情婦でもある彼女は
隠れ家として教授たちの家を利用したかっただけ。

一緒に暮らすうちに若い教授の純真さと老教授7人たちの無邪気さに
少しずつ惹かれていった彼女は、という話。

「大人向け『白雪姫と7人の小人』」で洒落た作品。

■ビリー・ワイルダー「少佐と少女」を観る。

田舎に帰って結婚する決意をしたが汽車賃の足りない若い娘は
一計を案じ「子ども」になりすまして汽車に乗る。

だが車掌に怪しまれ、逃げ込んだ客室で気のいい少佐と知り合う。
少佐は彼女が「子ども」だと信じきって世話を焼く。

あれこれあった後、少佐の婚約者の家にしばらく滞在するうち、
自分を誉めてくれる少佐に惹かれていった彼女だったが、という話。

都会で職を転々としながらうだつの上がらなかった女性が
子どもに化けた途端に人生が変わり始めるのが意味深。
コメント

グレイゾーン

2007-09-24 22:43:23 | Weblog
くもり。夜になって小雨。

佐藤優+宮崎学「国家の崩壊」を半分ほど読む。

ペレストロイカからソ連邦崩壊までを
現在起訴され休職中の外務事務官が語った本。

歴史認識を一致させようとする取り組みは
かえって民族問題を悪化させるという話が興味深い。

「民族」にせよ「宗教」にせよ
「自分が無意識に前提としていること」は客観視しにくい。

おまけに「そこだけは譲れない」ものでもあり
その「歴史」は立場によって自由に書き換えられるものでもある。

「白黒」がはっきりしないことはイヤなことでもあるが
「灰色の世界」を生きる方がマシなことはたくさんあるのだろう。
コメント

ずれの余韻

2007-09-20 23:09:57 | Weblog
くもり。まだまだ残暑。

定期券を買いに行ったら自動券売機が故障していた。
てっきり改札口で買えるものだと思ったのだが。

驚いたことに主要な駅まで行かないと買えないと言われたので
なんじゃそらと思いつつ200円の切符を買った。

行った先の駅で「現金でなくそれに相当するもの」をくれると言われたが
めんどくさいのでそのまま定期券を買って仕事場へ行った。

帰りにふと気になって券売機を確認すると
ちゃんと直っていた。

わずかなタイミングのずれ。

今回は大した影響もなく過ぎたけれど。
コメント (4)

それぞれに失われたもの

2007-09-20 00:02:44 | Weblog
くもりときどき晴れ。依然蒸し暑し。

成瀬巳喜男「娘・妻・母」を観る。

実家に帰っている間に夫が事故で急死、
いわゆる「名家」から「手切れ金」100万円を手に出戻った長女原節子。

そこへ、妻の叔父加東大介に貸すため50万借りる長男森雅之。
さらに、姑杉村春子と離れて暮らすため30万借りる次女草笛光子。

写真館を営む次男宝田明は年上の妻淡路恵子がやっている
喫茶店の女の子のお尻をさわって妻に「家出」される始末。

三女団令子はのんきに財産分与の金勘定ばかり。
会社の試供品のワインを次男に売るちゃっかりぶり。

ピクニックがきっかけで次男の友人仲代達矢とデートする長女。
母三益愛子も還暦を祝ってもらってうれしそう。

ところが妻の叔父が倒産した上行方不明になり
長男が内緒で家を抵当に入れていたせいで家を失う破目に。

開かれた家族会議では皆「現金な話」ばかり。

長女は恋人と別れ、母を連れて友人に紹介された初老の金持ち上原謙に嫁ぐ決意。
長男の妻高峰秀子は母を「引き取るのが自然じゃない」と夫に言う。
母は娘の気持ちを知って老人ホーム入りを覚悟する。

結局「まとも」なのは「娘・妻・母」。

ゴジラ映画の小泉博は次女の夫で弱気なマザコン。
長女の友人中北千恵子は保険の外交で本人に内緒で「見合い」をさせる。

笹森礼子は写真館のモデル、塩沢ときはホステスで登場。
笠智衆は嫁に怒鳴られ、時給をもらって近所の子どものお守をしている。

ラストは笠智衆が公園で泣く子に手間取るのを見て
思わず走り寄って子をあやし始める三益愛子の姿。

自分の境遇も忘れてついつい、という姿を見なくなって久しいけれど
迫ってくる恋人に照れて掃除機をかけ始める女というのも同様。
コメント

話の種

2007-09-18 23:29:35 | Weblog
快晴。残暑去らず。

森銑三「星取棹」を読む。

江戸時代の笑話を簡潔にまとめた上で紹介した本。
今でも笑えるものは少ないが中にはいい味のものもある。

例えば「司という文字」という話。

看板書きを頼まれたものの「司」という文字を忘れた人に料理人が
「同じくという文字の片身を取って、骨附の方でございます」と答える。

あるいは「化物屋敷」という話。

ある晩治部太夫という力自慢の男が人も住まぬ化物屋敷へ行くと
火を噴く巨大な女の首、鬼の手、躍る行灯、目鼻のついた柱などが出る。

いずれも「古い古い」と相手にしないでいるうちに朝が来て
やってきた殿の使者が「褒美に二百石増やすからありがたく思え」と言う。

治部太夫が「かたじけない」と言いながら見上げると人影がない。
すると天井から、「治部太夫、これでも古いか」。

「鳴かぬなら」で始まる三英傑の歌の元だという話もあるので
暇をもてあましている向きはいかが。
コメント

暴力は最後の理性

2007-09-13 22:55:17 | Weblog
くもり一時雨。やや蒸す。

昨日パソコンがネットに繋がらなくなり大騒動。
だが大山鳴動鼠一匹、いやコード一本で解決。

要はホコリで接続が悪くなっていたらしい。
復元やらソフトのチェックやらの時間はすべて無駄だった。

ジョン・フォード「リバティ・バランスを射った男」を観る。

駐英大使も務めた上院議員が妻と西部の田舎町にやってくる。
理由はトム・ドニファンという男の葬式のため。

「暴力」に「法」で戦おうとした「東部の若造」を
「西部の男」が自らの人生を犠牲にして救うお話。

「汚れ役」がいて「清潔な主役」が出来上がる。

「伝説」は「真実」ではないけれど
そのおかげで「立派な町」が出来、「民主主義」は維持された。

「政治の教科書」としても役に立つ作品。
コメント (2)   トラックバック (2)

やけ読み

2007-09-09 23:44:18 | Weblog
快晴。暑さぶり返す。

仲正昌樹「日本とドイツ 二つの戦後思想」を読む。

論理の完結が現実とのズレを生むあたりを
著者はうんざりしながら冷静に指摘している。

ある問題に対して何かを言い切るのはたやすいが
その「正解」が「無意味」であるのはよくあることだ。

よくも悪くも「現実」に対処しなければならない。
これも「コミュニケーション」の問題だと思われる。

岩田規久男「『小さな政府』を問いなおす」を読む。

イギリスとスウェーデンを例に
「小さな政府」の意味と日本政府の政策を評価したもの。

いずれの国も「インフレターゲット」を実施していて
著者の主張がよくうかがえる。

「経済」という切り口だと
政権ごとの評価がずいぶん変わって面白い。

李鳳宇「パッチギ!的 世界は映画で変えられる」を読む。

ほとんどギャンブルのように
自分を信じて映画を作り続けているプロデューサーの話。

1960年生まれの著者のまわりの
在日朝鮮人の仲間たちとの生活が面白く哀しい。
コメント

「理屈じゃない」も「理屈」

2007-09-07 23:50:57 | Weblog
快晴。台風一過。

丸山真男「日本の思想」を再読。

「思想が対決と蓄積の上に歴史的に構造化されないという『伝統』」
はいまだに生きている。

「本来、理論家の任務は現実と一挙に融合するのではなくて、
一定の価値基準に照らして複雑多様な現実を方法的に整除する
ところにあり(中略)いわんや現実の代用をするものではない」

「従って、理論家の眼は、一方厳密な抽象の操作に注がれながら、
他方自己の対象の外辺に無限の曠野をなし、その涯は薄命の中に
消えてゆく現実に対するある断念と、操作の過程からこぼれ落ち
てゆく素材にたいするいとおしみがそこに絶えず伴っている。」

「国学の儒教批判」の類別が面白い。

()イデオロギー一般の嫌悪あるいは侮蔑
()推論的解釈を拒否して「直接」対象に参入する態度
  (解釈の多義性に我慢ならず自己の直感的解釈を絶対化する結果となる)
()手応えの確かな感覚的日常経験にだけ明晰な世界を認める考え方
()論敵のポーズあるいは言行不一致の摘発によって相手の理論の信憑性
   を引下げる批判様式
()歴史における理性(規範あるいは法則)的なものを一括して
   公式=牽強付会として反撥する思考

どこか思い当たるふしがあるのは
笑うべきか悲しむべきか。
コメント

まっとうに向き合うこと

2007-09-07 00:11:14 | Weblog
くもりときどき雨。台風で風強し。

小林よしのり「ゴー宣・暫(しばらく)・一」を読む。

自分で問いを立てて考える著者は
おっちょこちょいなところもあるが好ましい。

神経質なくせに「覚悟」と言って
敢えて「悪人」ぶるのはまさに「少年」。

自分の根拠となるものを示しながら
こういう人ときちんと論争できないのは恥ずかしいことだろう。

敵ながらあっぱれ。

そういう関係でいられる「幸せ」を知らないことは
不幸なことではないか。
コメント