退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「年末」について

2013-12-30 06:34:17 | Weblog
晴れ。冷える。

連日の朝帰り。
学生時代を思い出す。

一夜目は野郎のみ。
若い友人たちが給料の額を互いにチェックしていたのに驚く。

そういうものなのか。
ちょいと「オヤジ臭」がしていささか鼻白む。

とりあえずみんなそこそこ楽しくやっているようで
まずは目出度いところ。

前半は赤霧島後半は黒霧島のロックを飲み続ける。
思いのほか眠気が来ぬままずっと。

二夜目は別の仕事場の連中と。
久方ぶりに道に迷って若い女子に迎えに来てもらう。

さすがに駅前は人が多く
「飲み屋街の客引き」とおぼしき若者たちの中にキレイな女子がいた。

二次会でそのひとりに紹介された店へ行く。
ワインしかないので最初に赤を頼んだがメンバーが白好みだったので途中から合わせる。

三次会でちょいと眠ったものの復活。
結局朝までカラオケをすることに。

若い男子がラルクを上手に歌うのに感服。
リズムに乗って全身からエネルギーが迸っている感じで迷いがないのがいい。

こちらは「昭和」を織り交ぜて適当に。
宇多田ヒカル「prisoner of love」は思った以上に難しいとわかる。

オレンジジュースを飲みながらだったのですっかり酔いが覚め帰宅。
こうしている次第。

でかける前にボーッとしつつ「オーメン666」(’06)をTVで観る。

グレゴリー・ペックの役をリーヴ・シュライバーが演じていた。
妻のジュリア・スタイルズの顔が面白い。

ピート・ポスルスウェイトがいかにもわけありな神父。
ミア・ファローはそれと気付かないほど。

記者ジェニングスの「首ちょんぱ」はちょいと違った形に。
やはり全体に「ゴシック感」が失われていた。

というわけで寝る。
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「タガあるいはバカ」について

2013-12-28 00:04:19 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

深尾葉子「日本の男を食い尽くすタガメ女の正体」を読む。

まだ「本調子」ではないので軽いものを。

タガメはカエルに口吻を突き刺してタンパク質を溶かす消化液を注入する。
抵抗しようと思ってもカエルはもがくだけでやがて死んで干からびる。

月3万くらいのわずかな小遣いをもらって必死に働くカエル男は
浮気しようが何をしようが実はタガメ女に操られているのだと。

タイトルに合わせればそのようなまとめになるけれど
結局「結婚」や「幸せ」が実は「箍(たが)」なのではないかというのが趣旨。

今どき「専業主婦」はすでに限られた存在になっていることを思うと
これは比較的「恵まれた層」へのかなりな「嫌味」になるだろう。

ママ友たちの「カースト」と「排除」にも触れていて
その「幸せ」が「レディースの掟」のようになっているのが面白い。

何事も「好きにすればいい」のが基本だとはいえ
それだと困るのが「普通の人」ではある。

「他人との比較」でしか「幸福」を感じられないのは「貧しい」としても
そうしかできなければ甘んじるしかない。

著者は「ネタ」ゆえかもしれないがそのあたりがやや真面目すぎていて
笑ってすます「余裕」に欠ける憾みがある。

馬鹿だねぇ。

それくらいが穏当なところだとしておいて
自分が好きに「バカ」をすればいいのではないか。

さて。

明日は仕事終わりに久方ぶりに再会する若い友人との忘年会。
翌日も新たに予定が入る。

それぞれに楽しみではあるものの
できれば間を置いてもらうとありがたかったのだが。

いかにも師走らしくただそれだけの理由で騒ぐのだから
他人のことをどうこう言えた義理でもないのだとしておく。
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「健康」について

2013-12-26 23:31:00 | Weblog
『晴れ。冷えに慣れる。

仕事中に一瞬眠気が襲う。
全身の力がふっと抜けた感じでむしろ心地よい。

ずいぶん昔風呂で微妙にのぼせるのが気に入ってやっていたところ
突然倒れ浴槽の端で右腰を強打、パックリ割れて病院で縫ったのを思い出す。

そのあたりについては当時と「好み」が変わっていないらしい。
「子どもっぽい」と言われればそれまでのこと。』と書いたのは月曜日の深夜だったか。

その後「早起き」で疲れていたところへ
昨日は突然の悪寒で帰宅早々に就寝する始末。

とはいえ今日はすぐに復活して仕事をこなす。
スケジュールがいつもより楽で助かった。

おまけに明日は「早起き」なしの日。
これも日頃の行いのおかげだと思っておくことにする。

というわけで今夜はさっそくちょいと夜更かし。
久方ぶりの「休肝日」も一日限りで。

珍しくお腹が痛んだので「胃腸風邪」かもしれない。
ちなみに今までその手のものとは無縁だったのだが。

とりあえず昼間は生姜で「殺菌」しておいたので
夜は念のために「アルコール消毒」を。

繰り返すが「不健康でいられる程度に健康を維持する」のがモットー。
今回あらためて思ったのは「早起きが身体に悪い」こと。

「事情」によりそうもいかないことがあるのは致し方ないとして
やはり「身体に悪いこと」は出来るだけ避けるつもりに変わりはない。
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「ものは思いようであること」について

2013-12-23 00:57:40 | Weblog
晴れ。風が吹き冷える。

妹夫婦と近所にあるラーメン屋一刻堂へ行く。

久方ぶりの「チャーラー」。
高校時代にはよく食べたものだけれど。

それ以外は引きこもり。
明日から一週間「早起き」ゆえ本も読めないだろうと図書館へも行かず。

マル激をじっくり見る。

特定秘密保護法案は結局官僚に「秘密を決める権限」を与えた法律のよう。
国民に「自治」の意識がなく代わりに官僚が「公益」を考えるという「風土」のせいだと。

それとは別に。

安倍総理が声高に語った「減反廃止」は
「看板」を書き換えただけで減反すると補助金が増えたりもするらしい。

本編の経済では「雰囲気」だけにせよせっかく景気がよくなっているのに
肝心の社会保障あるいは「経済成長」とは無関係な社会のあり方を考えないと。

「一攫千金型」の「ヒーロー待望論」ばかりで
着実にねばり強く解決する「当然」が常に見失われるとのこと。

「事実」を知っていながら伝えない「記者クラブ」も含めて
わが国は実に「バナナ・リパブリック」。

これだけ「何でもあり」の世界なのだから逆に言えば「何でもできる」。
その「希望」を身近なものと感じてもらえれば。

いい意味での「やったもん勝ち」。
志のある者たちはそう思えばいい。
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「人の器」について

2013-12-22 01:58:58 | Weblog
晴れ。朝には雨も。

「早起き」の後そそくさと出かけ
仕事場近くのモスでしばしのんびり。

昨夜はなぜかあまり眠れなかったものの
思ったほどの眠気が来ずどこか肩透かし。

帰りの電車でも目を閉じて眠る準備はしていたのに。
この「ズレ」のツケはそのうちやってくるのだろう。

柳沼重剛「語学者の散歩道」を途中まで読む。

英仏独伊希羅語に通じている著者は言語に歴史を見ている模様。
会話重視の語学などつまらないと言うのはもっともな話。

今のところギリシャ・ローマの色が濃く
本棚で見たことのある程度しか知らない名前もあれこれと。

浅学菲才の身にもいささか馴染みのある話題が多少はあるので
なるほどそうなのかと思うところもなくはない。

「紀元前」がごく身近にあるという「年輪」は
いかにも「時空を超えた感じ」である種の「風格」が感じられて爽快。

悠々と我が道を行く風情が素敵。
「学者本来の姿」を見るような気がして。

自らの「器の小ささ」が身に沁みる次第。
こういう人物にあれこれ教えてもらえると楽しかろう。

今宵は束の間気ままに過ごして
眠くなったら寝る。
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「間が悪いこと」について

2013-12-21 00:42:12 | Weblog
晴れ。冬らしくなってくる。

昨夜は仕事帰りにクインビーへ。
激辛ウインナーとあんかけ豆腐の夕食。

今年も大晦日の夜を過ごすのは変わらず。
ただし年々「メンバー」が少なくなっているのが残念。

帰宅後ちょいと飲み直しているうちにPCをつけたまま爆睡。
気が付いたら朝になっていた。

石黒浩「どうすれば『人』を創れるのか」を読む。

TVで見かけたこともある人間そっくりのアンドロイドを作った教授の著書。
興味の持ち方が「文系っぽい」のがむしろ意外な感じ。

それゆえかどうか内容が今ひとつに思えるのは
「思考実験」で十分に予想できるせいもある。

とはいえ「アンドロイド演劇」というのは面白く
「アンドロイドは人を超える」ものらしい。

おそらく実際にわれわれの身近に登場するようになった時に
その「衝撃」や「発見」はもっと生々しいものになるのだろう。

田丸公実子「シモネッタの男と女」を読む。

通訳の仕事を通じて知り合ったイタリア人男女(ひとりだけ日本人男子)の「栄枯盛衰」と
親友米原万里の発病から死に至るまでを描いた作品。

毎日地味に暮らしている身からすると
さすがイタリアーナは「振幅の度合い」が違う。

ともあれ「間が悪かった」のは仕事場の駅で降りる直前に
久方ぶりに知り合いの若い女子と会ったこと。

丁度米原万里が亡くなる描写を読み終えて本を閉じ
目がウルウルしているところでバッタリ。

「わたしのこと覚えてる?」「うん」
「今から仕事?」「うん」

駅の階段を下りてそのまま何となく別れたのだけれど
まともな会話もできず彼女には申し訳ないことをした。

それにしても著者の視点はいかにもな「和風」で
「シモネッタの豪快さ」とは違う一面を表しているのになるほど。

もうひとつの「間の悪いこと」は
来週からだと思っていた「早起き」が明日からだったこと。

一週間あまりとはいえ
やはり「夜更かし」と「遅い目覚め」ができなくなるのはツライ。

それもこれも「自業自得」なので
どこにも文句のつけようがないのがやっかい。
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「残念なことふたつ」について2

2013-12-19 01:54:04 | Weblog
雨。寒さはそれほどでもなく。

「数学のおもちゃ箱(下)」読了。

下巻は中高生レベルで十分理解できる問題もあれこれ。
ただしやっぱりこれが面白いかというと微妙。

全体に「パズルのピース」がバラバラに置かれている印象。
もちろん分野別にはなっているもののもう少し「うねり」がほしいところ。

「簡潔」であることは重要だけれどそれだけではちょいと。
「素人と玄人の間」を滑らかに繋ぐ「方程式」を解いてもらいたかった。

もっともよくわからないことに対して
ついつい「物語」を求めてしまうのだとしたらそれも自分のせいか。

夜になって東京都知事の辞任表明のニュースが流れる。

都議会での答弁の様子はまるで魂が抜けたようで。
「権力」の在り様を描いてきた作家だったのになぜこんなことに。

「権力」に興味を持った時点で
実はそうしたものに対する「嗜好」があったのだというのはあまりに「陳腐」だけれど。

当面の間は騒がしいだろうが
落ち着いた頃に是非その詳細を書いていただきたいもの。

少なくとも当人でなければわからない「事実」があるはず。
それが「ノンフィクション作家」としての「倫理」だということにしておく。

「取材する立場」にあった者が打って変わって「取材される立場」になるということ。
この「リアル」を教えてもらえたらと思う。

むしろ「得がたい経験」だとして
今度は自らを「材料」に見事な手さばきを見せてほしい。
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「歯が立たないこと」について

2013-12-18 02:07:13 | Weblog
晴れ。まずまずおだやか。

「数学のおもちゃ箱(上)」読了。

「美しさ」を持つ式もあれこれ登場。
ただし理解不能なことも手伝ってか反応は「ふーん」。

敢えて素人にもわかりやすい例はと言うと
いろんな数字を使って「666」になる計算式か。

言うまでもなく「666」は新約聖書ヨハネ黙示録の「獣の数字」。
オカルト華やかなりし頃の映画「オーメン」(’76)が思い出される。

養子ダミアンの頭にはその数字があり彼が「悪魔の子ども」だとあらためてわかる筋書き。
義父であるグレゴリー・ペックがそれを知って苦悩するお話。

グレゴリー・ペック、リー・レミックというキャスティングと「ゴシック」な雰囲気が
「悪魔の子ども誕生」という「荒唐無稽」に信憑性を加えた「古典」。

ひとつ欠点を挙げるとすれば「事実」を追う記者ジェニングスの「クビチョンパ」。
当時から「作り物感満載」だったのを覚えている。

周囲の誰かに勧められて原作まで読んだものの
それがどうだったかは全く覚えていないのが残念。

さて。

いちおう引き続き(下)も読む予定。

気が付けば今年もあと二週間を残すのみ。
とはいえ毎年変わり映えのしない生活を続けているのも確か。

当分このままで行く予定なのも同じこと。
今のところ「特に異常なし」。
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「数の不思議」について

2013-12-17 02:26:51 | Weblog
晴れ。寒さはやや緩む。

クリフォード・A・ピックオーバー「数学のおもちゃ箱(上)」を
半分くらい読む。

今のところ面白いかと言われると微妙。
のんきに付き合いたい読者としては答えのページと本文を交互に見るのが煩雑。

いろいろな数学者のエピソードはすでに知っていたものもあり
そうでもないものもある。

印象に残ったものをひとつ。

イギリスの数学者ハーディがインドの数学者ラマヌジャンを訪ねた際
自分が乗ったタクシーのナンバー1729が「あまりパッとしない数字だ」と言い。

対するラマヌジャンの答えは「いや、なかなか面白い数字ですよ」。
1729は「1×1×1+12×12×12」であり「9×9×9+10×10×10」でもあると。

常人にはほとんど「なんじゃそりゃ」の世界。
数字にはそうした「不思議」があることだけはわかる。

なんとなく「そろばん日本一」の人に似ていなくもない。
実物は知らないものの彼女あるいは彼氏の前でそういうことを言いそうな「悪寒」がするだけ。

「0.12345678910111213・・・」という数は「チャンパーナウン数」と呼ばれているらしい。
これに何の意味があるのかは不明なまま(見た目で特徴はわかるとはいえ)。

昔の数学者は同時に熱心なキリスト教信者であったことに注目しよう。
「神の創りたまいし暗号=数式の表す関係あるいは数字の列」と思えば何となくわかったような。

まして星々の動きや自然の中にそれらを見出せば
確信はますます深まるのも当然だろう。

残念ながら素人にはその「深遠さ」まではわからない。
映画「π」(’98)や「マトリックス」シリーズに関するウンチクもあるのでそこはふむふむ。

「how=どのように」はわかるが「why=なぜ」はわからない。
古くて新しい「事実」に「センス・オブ・ワンダー」の「水源」があるのだとしておく。
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「泣かせること」について

2013-12-16 02:04:46 | Weblog
くもり。晴れ間も雨も。

昨日は仕事がいつもより早く長く。
ついつい寝てしまう。

小林信彦「新編 われわれはなぜ映画館にいるのか」を図書館で見つけて読む。

旧版は読んでいたのでいささか懐かしい内容。
植木等、芝山幹郎との対談とクリント・イーストウッドの新しい方の作品に関する内容もあり。

「極私的クロニクル」はどの著作かは忘れたけれど読んだはず。
新作「私の東京地図」も読まなければ。

この「お付き合い」はそろそろ三十年以上になり
小説・映画・笑いなどについて勝手ながら本当にあれこれ教えてもらっている。

かつて故景山民夫は「困ったオッサン」と呼んでいたけれど
今や「凄いオジイサン」となった著者にはくれぐれも長生きしていただきたい。

少なくともここまでいろんなことに「淫している」姿を見ると
自分などたかが知れているという「基準」があらためて明らかになって清々しい。

TVで「北のカナリアたち」(’12)を観る。

ジュリアン・デュヴィヴィエ「舞踏会の手帖」(’37)を
「かつての恋愛」でなく「島の分校での幸せ」にした設定。

原作が湊かなえということもあって
それぞれの「どうしようもない心」が結びついて「事件」は起きる。

「泣かせる作品」ではあるけれどあまりに「安易な不幸の集まり具合」。
ラストの「ダメ押し加減」にはさすがに醒めるのではないか。

「昔と同じシーン」も気になるところ。
「どうです、同じでしょ」と言われている気分になるのが残念。

刑事の石橋蓮司が「説明」をしすぎているのもどうも。
結局は吉永小百合が「許される」ために非常に「手間をかけた」印象。

観客を泣かせるための「経済学」という意味ではよく出来ている。
ただその「ウェルメイドぶり」は果たして好ましいのかどうか。

この種のものは北野武「あの夏、いちばん静かな海」(’91)の
「怒涛」のような「回想」の方が好ましいのだが如何。
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