退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「そういうわけなこと」について

2011-12-31 03:19:52 | Weblog
晴れ。だったろう。

今日は家から一歩も出ず完璧な引きこもり。
ひたすらTVを観る。

内容はほぼどうでもよく
「動くもの」を目にしていればいいという感じ。

「川の流れ」もしくは「海の波」を眺めている風情。
近くに「自然」がないとそうなるという設定で。

明日はどうやら午前中に墓参りに行くことになりそう。
わが家の女性陣は「信心深い」こと。

「思い通りにならないこと」について「原因」を見つけて
それらを取り除くためにあれこれする模様。

そうした「世界に対する理解」が「正しい」かどうかは別にして
彼女たちの「確信」にはどうやらゆるぎがない。

身近なこの「壁」についてはとりあえず「スルーする」ことにしている。
おそらくそこに「コミュニケーション」は成立しないと思われるので。

それでも「お付き合い」はしなければならず
めんどくさいこと限りなし。

大晦日はいつも通りにソウルバーへ行く。
地下鉄が夜通し動いているので行き来には問題なし。

「年末」もしくは「正月」という「特別」に従って人々が動く。
その「ルール」に文句はないとはいえ。

「淡々とした暮らし」を維持したい身としては
いやはやあれこれと。

辛うじてマシなのは
いつもより堂々と酒が飲めることくらい。

「ほぼ無欲であること」は案外波風を立てるものなのか。
ひとりで生きているわけではないので仕方あるまい。

元来「家庭」には縁がない人生だと思われる。
詳細はちょいと秘密にして。
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月曜だけではない「廃墟」について

2011-12-30 04:00:07 | Weblog
晴れ。だったはず。

昼過ぎに目覚めて完全な引きこもり。
本も読む気にならないまま。

ほぼ廃人のように過ごす。
特にしなければならないことがないとそうなるわけで。

中日の監督だった落合の番組を観る。
山井の完全試合騒動の「実態」を知ってなるほど。

わが国ではいわゆる「ジャーナリズム」がまともに機能しない。
「いずこも同じ秋(飽き飽き)の夕暮れ」。

「インチキ」でメシが食えるのだから「世はいかさま」。
その中でどう生きるのかはそれぞれの考え次第。

もっとも自らを省みれば「大差なし」だったり。
「眼高手低の視線」だとおのずからそうした結論が出る。

「まともな人」になりたいと思いつつ
自らのあまりな「現状」に「あすなろ」の繰り返し。

やがて来る「寿命」にどう対処するのか。
死んだら化けて出る約束だけはしておく。

とはいえ「化けられたら」という前提があるので
おそらくは何事もなく。

東日本だけでなく「廃墟」は至る所にある。
その「本当」を見ないふりしているだけ。

人が満足に生きていけるだけの「基本」を確保できなくなるような「環境」よ。
どうしてそんなことになってしまったのか。

「貧しさの極み」の中
それでも「向上心」だけは忘れずにいたいものではあるけれど。
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「難しいかもしれないが大事なこと」について

2011-12-29 04:18:24 | Weblog
晴れ。仕事納め。

コンビニで夕食を買って帰る。
ミートスパとキャベツ&ベーコンのなんたらにワンタンスープ。

その後飲みながらゲームを少々。
ゲーマーにあれこれ教えてもらいつつ遊ぶ。

とりあえず休みは3日まで。
ちょいと前まではもう少し長かった気もするのだけれど。

戦力外通告をされたプロ野球選手たちの番組を観る。
独立リーグだと年収が150万くらいになってしまう模様。

ほぼフルのバイトと同じくらいで家族がいるとなかなかに厳しい収入。
それでも「若さ」があればまだ何とかなるのか。

それにしてもプロスポーツの世界の厳しいこと。
結果がはっきりしているだけにどうしようもなく。

それにひきかえ政治家も官僚もそうした査定のないままで。
もっともそれはわれわれがしなければならない仕事のはず。

政治家は選挙で落とすこともできるが官僚はそうもいかず。
いたずらに「生活の安定」のみを求める者を排除すべし。

同時にわれわれのために働いてくれる者を評価する仕組みも同様に。
「いいことをしたらホメられる」という「当然」を導入しないと。

世界的に見れば生活をやりくりできる収入があるのはむしろマレなことだったり。
そうした意味で恵まれていることをきちんと認識したいところ。

とはいえやたらに忙しいのが望ましいわけでもないのも事実。
あらためて「のんびり暮らせる社会」の確立を。

わが国はすでに「終わっている」ので
できればゆっくり降りて行きたい。

ただし若者にはたっぷり「未来」がある。
それぞれに好きなようにやって頂ければ幸い。

大きなことよりむしろ小さなことに専念した方がよさそうだと
大して役に立ちそうもない「忠告」をしておく。

やはり「人材育成」が大事だと思われるので
「素質」のある人々はしっかり暮らすように。

要は「どこでも生きていける力」。
それさえあればいい。
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「笑いのギャップ」について

2011-12-28 03:04:58 | Weblog
晴れ。昼間の日差しは暖かだが夜には冷える。

今日は歯医者で出かけるのが遅れる。
麻酔を打っての歯石取りにずいぶん時間を取られること。

客が多いせいか治療の進みが遅い。
こっちもめんどくさがりなのでちょうどいいペースか。

同僚の若者に勧められたのでyoutubeをチェック。
東進 アテレコ」。

うーむ、残念ながら微妙。

最近のTVCMのようにいたずらにダジャレになっていないのはいいとして
「カッ飛び具合」と「組み合わせ」にやや難あり。

全体に「流れ」があった方がより面白くなりそう。
「構成」を考えないのがいかにも「今どき」かも。

要はひとつの決まった「お話」の中で展開させないと。
その方がより魅力的になるように思われるのだが如何。

仮に敢えて「流れ」を作らないのだとしたら
もっとインパクトのある「ハズレ方」をしないと。

「そう来たか」と思わせるためには
「常識的なもの」を思わせた上での「飛躍」がなければならないはずで。

有名なところで言えば「中村屋」。

これくらいの「芸」は欲しいところだけれど
果たして若者が笑うかどうかは不明。
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「単純な幸福」について

2011-12-27 03:51:50 | Weblog
雪のち晴れ。今年一番の寒さ。

ちょいと寝坊して仕事に出かけるのが遅れる。
仕事そのものに支障はないものの読書の時間がなくなる。

妹の末娘がマイコプラズマ肺炎にかかったので
母親が「応援」に出かけて数日前から「ひとり暮らし」。

今宵は久方ぶりにコンビニで食料調達。
うにソースのパスタとワンタンスープ。

いずれも「うまからずまずからず」といった具合。
「普段の食事」なのでこの程度で十分。

敢えてストーブも点けずに酒で身体を温める。
「効果てきめん」というのはいかにも「酒飲みの言い訳」か。

食後にサクサクと歯ごたえのあるリンゴを食べて二階に上がり
「いつもの夜」の始まり。

あれこれした後でここにやってきてまた一日が終わる。

深夜に東日本大震災の被災者に関するドキュメンタリーを観つつ飲む。
以前TVで観たことのある題材も含めたさまざまな人々たちよ。

何度でも繰り返すが原発はもういらない。
その「当然」を政治が実行できないなら「国民投票」あるのみ。

「代議制」は「民意」を反映してこそあるものだということ。
「ポピュリズム」とは異なる「主張」を理解しよう。

そしていたずらな「専門家」の「どうしようもなさ」を知り
さらにはわれわれがもっと賢くなる必要もある。

「特定の人々の生活」だけを維持するための「経済」は
「多くの人々の生活」を犠牲にするだけ。

「笑顔」のために生きる喜び。
その「贅沢」さえ知っていればどうにか「幸福」に生きていけるものだと知ろう。
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「おなごとバブル」について

2011-12-26 03:07:17 | Weblog
雪のちくもり。だと思う。

今日は煙草を買いに出た以外引きこもり。
なるほど「老人」はこんな感じかと思いつつ。

TVで「アンダーワールド」(’03)を観る。

吸血鬼と狼男の部族の争い。
「許されない愛」が原因で対立関係になる。

現在のリーダーに疑いを持つ吸血鬼の娘は
あくまで眠っている「父」を慕い彼に反発して。

狼男側が追う人間の若者を調べるうちに彼に惹かれ。
やがて「父の裏切り」を知り彼とともに「父」を倒すお話。

「吸血鬼と狼男」という設定を取り払えば
実は「娘の成長物語」という仕組みでわかりやすい。

夜になって「クリスマスの約束」を観る。

小田和正主催の年末恒例の音楽イベント。
毎年涙する女子(「おなご」と読もう)が映される番組。

スキマスイッチの大橋の「ツヤのある声」は進化した模様。
バズ「愛は風のように」が懐かしい(車ならスカイラインね)。

チューリップの「魔法の黄色い靴」やハイファイセットの「卒業写真」。
山本潤子はいまだに衰えを見せないのが素晴らしく。

参加メンバーの「持ち歌メドレー」はさすがに聞きごたえがある。
ちょいと気になったのは鈴木雅之の声に迫力がなかったこと。

「ハーモニー」あるいは「ユニゾン」で「一緒に歌うこと」が
それぞれに実力のある「厚味」を感じさせてグッド。

「募金のない we are the world」だと思えばいいのか。
もちろんそれよりBand Aidの「Do they know it's Christmas」の方がいいのは当然だとして。

東北大震災への「募金」を絡めるともっとよかったかも。
泉谷しげるがいたらそうなったかもしれないけれど。

雰囲気にどこか「バブル」があるように思えたので
敢えてそう言ってみた次第。
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「歴史」とそれを「無化する磁場」について

2011-12-25 02:53:24 | Weblog
くもり。雪は降らず。

ロック「市民政府論」を途中まで読む。

やはりここでもキリスト教が登場。
かなり男が上ながら「男女平等」の考えも見られる。

当然のように「自然権」という言葉が何度も繰り返される。
法を貫くため最後には「暴力=強制力」が必要だという認識もあり。

「神」や「王」といった「絶対権力」がなくなれば
それに代わるべき「力」が必要になるというわけ。

血で血を洗う「革命」や「内戦」の歴史があると
さすがにそうした認識にたどりつかざるをえないのだろう。

この「欧米の常識」に欠けるのがわが国の通例で
たとえば自衛隊を「暴力装置」と呼んだだけで問題になるお粗末もある。

「政教分離」の原則もそれらが一体化していたせいで起きた「悲劇」を省みてのこと。
あらためて欧州の歴史に関する知識の有無が重要だと思わされる次第。

さて。

わが国におけるクリスマスは商売人たちの「かきいれ時」。
今年は珍しくイブとクリスマスが土日になったおかげで一時的に消費は伸びるのだろう。

そもそもは大正天皇崩御の日でそれ以来広まったものらしい。
すべて「独特の磁場」によって外国のあれこれを「変形」して取り入れるのがわが国らしさで。

カタカナ表記でその「異物性」をいつまでも残し続ける言語も持っているものの
もはやその種の「意識」は失われているかも。

たとえば「エキゾチック」という言葉で何事かを理解する人々も
それを「異国情緒」と言えるかどうかは十分あやしいことだし。
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「家訓」について

2011-12-24 03:00:10 | Weblog
晴れ。風やや強く冷える。

桑田忠親「武士の家訓」を途中まで読む。

全体にもっと厳しいものかと思っていたのだけれど
仏教信仰を基本としたおだやかなものが多かったのが意外。

「宗教」というバックボーンがあると
「こうあらねばならない」という姿は明確になる模様。

今でもたいていの人が抱くのはこうした「宗教のあり方」だろう。
時代を経ていつのまにか「自己中心的なもの」になってしまったようなのが残念。

こちらから見て「能力が劣る若者たち」は
同じような仲間たちと「現実逃避」するのが「主流」のよう。

いたずらに「格差」にこだわらずマイペースで行けばいいと思うのだけれど
「地道な努力」はめんどくさいのか。

彼ら彼女らがこれ以上落ちようのない「底」を見出してくれれば
おそらくはほぼ無意味にあがくことをやめるのかもしれないと思いつつ。

仮にそれが妥当な見方だとするなら
彼ら彼女らは「底」を見るまでもっと落ちなければならないかも。

もっとも「自分に都合の悪い現実」を見たがらないのは「人の常」なので
話は若者に限ったことでもなく。

何事かを確実に自分のものにして
それを自由自在に使いこなすこと。

その種の「当然」を大事にしたいものではある。
そして出来るだけ「寛容」であることについても。

「現代の家訓」として忘れずにおかねばなるまい。
果たしてその「家」がどこにあるのかは不明だけれど。
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「ハズレの日」について

2011-12-23 02:31:05 | Weblog
晴れ。夜に風も出て冷える。

本は読んだけれど紹介するまでもない内容。
要は「ハズレ」ということで。

ダメなものをダメと言うよりいいものをいいと言いたいのは
今は亡き淀川長治から学んだ姿勢。

もっとも本当にどうしようもないものについては
きちんとダメだと言うけれど。

ある種の人々の視界はどうやら非常に限定されたもののよう。

たとえば文庫本1ページを見ているとして
彼ら彼女らは特定の文字列以降が見えなかったりする。

こちらからするとほとんど信じ難いものの
事実なので否定しても仕方がない。

「穴があいている視野」とでも言ったらいいのか。
なぜそうなっているのかはこちらにも本人にも不明。

もっとも人は「すべて」を自分の視界におさめることができないからこそ
視線はさまよいアンテナに引っかかった箇所だけに注目することになりがちで。

たとえば映画を観た後の感想を交換したりすると
なるほど「自分の視野の狭さ」に気付いたりする。

キュビズムのピカソはそれを「一枚の絵」におさめたのだと思うと
いかにも腑に落ちる。

ただしやや「理にかないすぎる」ので
魅力があるかと言われると微妙なところ。

相変わらず日本語がまともに読めない人々も少なからず。
将来は「文字を読めて意味が理解できる人」が昔のように少数派になるのかもしれない。

それでも暮らしていけることはわかる。
個人的にはそうした「人生」は「貧しい」と判断するのみ。

そうした判断がやがて意味を失う時代が来るのかもしれない。
とりあえず母国語は大切にしたいものではある。
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武士と文士の「二言」の有無について

2011-12-22 02:53:39 | Weblog
くもりときどき晴れ。おだやか。

小林昌人編「廣松渉 哲学小品集」を読む。

独特の文体の硬さ及びマルクス研究の泰斗として知られる廣松渉が
薩摩と長州の対立を汲む案外お茶目なオジサンであったことを知る。

キャラクターとしてのみ見るならば
昭和ヒトケタ生まれであるにもかかわらずどこか「明治」の匂いもする。

「一日700ページ読むこと」を最低限のノルマとしたあたり
覚えた辞書のページを「食べた」小室直樹と同類か。

ある時以降「量が質に変わる」という「原則」が働く模様。
「単純な反復」も出来にくいわれわれとしては肝に銘じておいてもよさそう。

そもそも理系を目指したはずの彼が
マッハとの出会いによって哲学の道を選ぶことになったのも初めて知った。

いずれにせよ好ましい存在であることに変わりはない。
個人的には「近代の超克」という作品の素晴らしさを知っているのみ。

その他の著作も読んだことはあるものの
とても十分に理解したとは言えないのは自らのOSの情けなさ。

体調や気分次第で理解の度合いが変わってしまうのだから
何とも頼りないものではある。

仕事に出かける前にEテレでフランス語講座を観る。

昔第二外国語としてちょいとかじった程度だが
文字を見ればそこそこ内容がわかることにむしろ驚く。

実はそんなことはどうでもよくて
ひとつの単語が似た音を持つ別の単語を思わせる「ダブル・ミーニング」の「優雅」をあらためて思った次第。

もちろんわが国においても
「掛詞」という形式でかつては和歌の中にあったもの。

それがいつのまにか失われてしまったのは
やはりわれわれの「教養のなさ」がなせる業か。

たとえば「サビをきかせる」という表現の中に
「さわりを聞かせる」と「ピリっと皮肉を効かせる」というふたつの意味があるような文章はないものか。

そうした「言葉のこだま」には常に敏感でありたいけれど。
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