退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

いい「按配」について

2010-09-30 02:07:12 | Weblog
晴れのちくもり。深夜にパラパラ。

林語堂「中国=文化と思想」読了。

第二章「中国人の性格」の各小題を挙げておくと。
「円熟」「忍耐」「無関心」「老獪」「平和主義」「足るを知る精神」「ユーモア」「保守主義」。

第三章「中国人の精神」の中には「女性的性格」ともある。
ただし著者は女性に関してかなり「保守的」な考え方の持ち主な模様。

もちろん75年前の著書だから
それがある意味当然だとも言えるけれど。

家庭を「管理」しているのは結局妻で
子どもを産んで育てるのは「立派な仕事」だという類いのもの。

要はそれぞれが好きにすればいいだけのこと。
自分がいいと思う方向へ行けばいい。

問題はそれを他人にも要求すること。
考えは違っても認められる他人がいる方がきっと楽しい。

自分ひとりの考えはあくまで「意見」。
参考にしてもらえればそれで十分くらいが「上出来」。
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日々淡々

2010-09-29 01:42:12 | Weblog
雨のちくもりのち晴れ。秋風少々。

明日・明後日は元々休みのはずだったけれど
都合により仕事となる。

来月の頭に少し連休がありそうなので特に文句なし。
とりあえず貧乏に変わりはないが。

林語堂「中国=文化と思想」はあと少し。
文庫で500ページを超えるとさすがに時間がかかる。

DVDで「社長太平記」と「四十七人の刺客」を借りる。
森繁をちょいと見たくなったので。

夏休みが終わったと思ったらあっという間に9月も終わる。
「荒淫矢の如し」でなくて「光陰矢の如し」。

日々は淡々と過ぎるのみ。
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「育てること」について

2010-09-28 03:03:08 | Weblog
くもり。夕方から降り始め深夜に及ぶ。

今頃になって秋の長雨か。
季節がようやく元に戻ったということで。

従来の「自分」の外に出られない人々がいて
彼ら彼女らは「自分」を維持できる間は一見「普通」に見える。

けれども「自分」が実は維持できないものだと知らされる言葉に出会うと
異様なまでに否定的な反応でしか答えることができない。

その拒絶ぶりは徹底しているので
彼ら彼女らのちっぽけな「自分」をどうにかしようと考えた他人の気力を奪う。

まるで「世界」は「苦痛」に満ちているので
「最後の砦」だけは死守するといった趣き。

そうした姿勢がどのように生まれたのかは定かではないけれど
あまりに「不幸な匂い」がしすぎて呆然とする。

「触らぬ神にたたりなし」

たいていはそれですませるのだけれど。

自分が「たかが知れていること」を知らないことは哀しい。
もちろんそうまでして「正当化」しなければならない「不幸」はどうしようもなく。

人はいろんなものを育ててしまうらしい。
それがたとえ「人でなし」であったとしても。
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「人の交わり」について

2010-09-27 03:34:24 | Weblog
くもりのち雨。夜中には止む。

一日中ボーッとする。
たまにはどこかに出かけるべきか。

読書もせずDVDも観ず。
昼頃目覚めて向かいの地下の喫茶店でピザトーストとアイスコーヒー。

「特命係長 只野仁」の後半を読む。

視線は性的だけれど
サラリーマンに「人生」を再考させるような面も少なくない。

他に楽しみがなくなると「大人」は性に集中しやすいというのが「ルール」。
突き詰めればあれこれあるのだろうけれど。

「どこかにもっと楽しいことがあるはず」

そうした考えはもちろん現在の「貧しさ」が呼ぶもの。
束の間の快楽を求めるのに「お手軽」なのがその方面ということで。

なぜ「束の間の快楽」を求めるのか。

そのことについてじっくり考えるべきなのが本当のはず。
いずれにせよ「人と交わること」が基本だから。

もっともそれほどややこしくなく「交わる」ことも
昔にはあったのも事実。

結局「時代の流れ」によるものなのかもしれない。
それぞれの条件の下でそれぞれがやってみるということに尽きるのか。
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老獪ということ

2010-09-26 02:17:13 | Weblog
晴れ。秋日和。

同僚と飲んで帰宅。
地下鉄の終電にギリギリで乗れないままタクシーを拾う。

林語堂「中国=文化と思想」をちょいと読む。

パール・バックの序文が付せられたこの本は
中国の「本当の姿」を西洋人に知らせるためのもの。

今から75年前に書かれた本書は
今でも通用するのかどうかは不明のまま。

尖閣諸島がどうのこうのという時期に読んでみるのもまた一興。
相手は「老獪」らしいから感情的に対処しても仕方のないこと。

何事もそうだけれど
情報の速さだけに惑わされることはないように。

複数の情報源を持った上で相手国の友人がいるのも重要。
もちろんその相手が信頼に値しなければ仕方ないけれど。

ただし相手の信頼を勝ち得るかどうかはあなた次第なので
結局はあなたの器量が試されることになるはず。

いい意味で「類は友を呼ぶ」ことになれたら幸せ。
そうしたらあなたは「スパイ」にもなれる。
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理解しがたいものふたつ

2010-09-25 02:09:51 | Weblog
くもり。雨も少しパラつく。

ジル・ドゥルーズ「カントの批判哲学」読了。

といっても結局読んだだけに終わる。
やはりカントの批判三部作を全部読んで理解しないとダメな模様。

川島雄三「女は二度生まれる」(’61)を観る。

空襲で両親を失い信州から東京に出て来て芸者になった若尾文子のこえん。
いわゆる「不見転(みずてん)」で客の誰とでも寝る。

寿司屋のフランキー堺、学生の藤巻潤、
若い工員の高見国一、馴染みの客山茶花究らとあれこれありつつ。

やがて山村聰のパトロンを得て芸者をやめ小さな下宿家で暮らし始める。
そこの娘で女子大生の江波杏子のペッティング話についていけない「ウブさ」を忘れずに。

「おとうさん」山村聰に感謝しながら小唄でちょいと才能を見せたりするものの
結局彼は病気で死んでしまい後に本妻山岡久乃に詰め寄られたり。

「無邪気」この上ない女を
今ではソフトバンクのCMで松田翔太を「つばめ」にしている若き日の若尾文子が演じる。

他に上田吉次郎、中条静夫、小津作品にも登場する菅原通済ら。
ほぼ半世紀前のひとりの女の人生を描いた作品。

靖国神社も出てくるし
かつてあった狭い路地の風情もなかなか。

若い工員「こーちゃん」に対する気前のよさは
「家族」を知らない主人公(彼女はひとり娘のはず)が「弟」を欲しがったゆえのこと。

確実に「一時代を築いた女優」の姿を
CMだけでなくきちんと知っておきたいもの。

興味のある向きは増村保造作品での若尾文子も是非。
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哲学と娘

2010-09-24 01:49:27 | Weblog
雨のちくもり。傘は持たずにすむ。

ジル・ドゥルーズ「カントの批判哲学」をちょいとだけ読む。

そもそもカントは少ししか読んでないので
意味不明なところと理解可能なところが交互に来るという具合。

対象を認識しようとするものは
認識器官である自分の持つ「法則」に縛られるというのが「量子力学」に似ている。

以後どうなるかは明日以降のお楽しみ。

仕事場の駅前で知り合いの娘に会う。
金髪にジャージ姿がいかにも。

すぐにうんこ座りするのもハマりすぎ。
「たぬきメイク」も相変わらずで。

高校を中退したと風の噂で聞いたけれど。
とりあえず楽しく暮らしてくれればと思う。
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昔も今も

2010-09-23 03:56:01 | Weblog
くもり。夜に稲光がする。

「アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡」を読む。

元々岩波文庫に入っていたものの後半を省いて
改訳したものらしい。

阿部定とは違い相手の叔父の手にかかって局部を切られたアベラール。
前途洋々だった彼はそこからどん底に落ちてひたすら信仰に救いを見出す。

愛人から心ならずも妻になった才女エロイーズは
修道院にいながら愛を交わした彼の身体が忘れられない。

結局自分のことしか考えていない眉目秀麗で学問に才のあった男は
かつて誘惑した若い女子を「神への帰依」の中におさめようとする。

けれども彼女は神を捨ててもいいから彼が欲しい。
冷たい彼の手紙の内容に情熱的に答えるものの。

「論理的」には正しくなくもない男の説諭と
「現実的」に男の不在を嘆く女の訴えはどちらも相手のいない「独白」。

なるほど「男女」の「基本形」は変わってはいない。
本書をそれぞれ老若男女に語らせると実に面白い結果が出るはず。

「情欲=悪」という「障害」があればこそ
いずれの立場も「燃え上がる」のだということを覚えておこう。

ちなみに本書における「男女の立場」を入れ替えると
さらに面白くなるのだと思うのだが如何。
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「秋の空」について

2010-09-22 03:38:22 | Weblog
晴れ。だったはず。

吉田貴文「世論調査と政治 数字はどこまで信用できるのか」を読む。

著者はどうやら世論調査の「たたきあげ」の人のような感じ。
もう少し学者の研究とかを参考例に出してもらいたい気持ちもありつつ。

「人情課長質問」というのを紹介しておく。

「規則を曲げてまで無理な仕事をさせないけれど人の面倒は見ない課長と、
規則を曲げても無理な仕事をさせることもあるが、仕事以外ではよく面倒を見る課長」。

「面倒は見ないけれども規則を曲げない課長と、よく面倒は見るが規則を曲げる課長」。

いずれもどちらが好ましいかという質問だけれど
著者の経験によれば最初の質問では後者が好まれるが次の質問では回答が伯仲すると。

著者は「規則を曲げてまで無理な仕事をさせないけれども人の面倒は見ない課長」と
「面倒は見ないけれども規則を曲げない課長」というのは「同じ」だと言う。

にもかかわらず後者は「合理的でスマートな課長」であり
前者は「面倒は見ない冷たい課長」と受け取られるようだと。

ここで面白いのは「面倒を見る」という言葉で
こういう曖昧かつある意味明確な表現を使うあたりにいかにもな「昭和」を感じる。

「面倒を見る」」という言葉の中身が共有されている世界では
おそらく著者の言う通りなのだだろう。

がしかし。

誰もが自分のことだけで手いっぱいな現在は
おそらく「面倒を見る」という言葉の意味もほぼ不明なのではないか。

というより、「面倒を見ること」が暗黙のうちに「いいこと」にされているので
その文脈を共有する者たちにとってのイメージはそうなるだけということ。

「経験」だけではどうにもならないことがある。
もちろん「論理」だけでもどうにもならない。

そもそも人は「世界」を単純化することでしか把握できないもの。
裏切られた彼氏を思い出しつつ血液型の特徴を語る彼女の「確信」には勝てない。
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懐かしい人がまた去るということ

2010-09-21 03:58:03 | Weblog
くもり。食べずに飲んだので夕べの酒が残る。

小林桂樹「役者六十年」を読む。

先日亡くなったのを知って借りてきた。
以前から気になってはいたのだけれど。

中日新聞はその前身が都新聞なので
芸能に関してはそこそこの記事が出ることが多いのがいいところ。

出征先のシンガポールで
小津のようにアメリカ映画を観ていた模様。

軍隊で部下を決して殴らなかったというからやはり相当な気骨の持ち主。
水島道太郎に「葉隠」を読めと言われてきちんと受け止めているし。

おそらく日本の「リベラル」はこのあたりにあるはず。
ちなみに「ハイティーン・ブギ」(’82)にも出演している。

社長シリーズが目につきやすいかもしれないが
個人的には「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(’60)をお勧めしたい。

芦屋雁之助が演じる前に
山下清を演じた「本家」でもある。
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