退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「古希を超えた『オアシス』な姉妹と人品卑しからざる著者の作品あるいは『圧倒的』に消化不良な映画」について

2020-09-30 02:19:47 | Weblog
くもりときどき晴れ。風が案外冷たい。

金井美恵子・金井久美子「暮らしの断片」を見て読む。

素敵な文章とブリコラージュあるいは絵の数々。
しばしその魅力に酔う。

ふたりともいつの間にか「古希」を超えた模様。
自分の年齢を忘れて。

あまりにも「貧しい現在」においてその存在は「オアシス」のような。
昔からしていることに変わりはないけれど。

「大きな古時計」のような存在とでも言えばいいのか。
ただしそれはいまだに動き続けているのがありがたい限り。

彼岸へ行った人々と猫の話がいささか増えたか。
いつも通り「お気に入りの小説や映画」についても。

トラーの絵の素敵さときたら。
一度も動物を飼ったことがない身でも触りたくなる次第。

かの姉妹は「優雅な猫」だと思ってよさそう。
いい加減に近づこうとすると「怪我」をする趣きが猶更。

リリー・フランキー「エコラム」を古本屋で見つけて引き続き読む。

「下世話な話」が卑しくならない「品のよさ」があるのがポイント。
このあたりの按配は出来そうで出来ないもの。

若者とオッサンの違いが「未来のセックスと過去のセックス」にあるという指摘がなかなか。
「想像力を駆使できなくなる後者」についてふむふむ。

「break on through to the other side」などというジム・モリソンの歌詞など。
個人的には「people are strange」を思い出したり。

どうやら著者は自分の周囲に「異常」をはべらせて。
そうした「観察日記」だと思ってよさそう。

原田眞人「検察側の罪人」(’18)を観る。

原作は「司法のインチキぶり」を描いたものだったよう。
「インパール作戦」の「どうしようもなさ」がそこに重ねられたのか(未読なので詳細は不明)。

「物語」として盛り上がる部分が全くない演出に驚く。
辛うじての「収穫」は二宮和也のたたみかける台詞のパワーのみ。

この監督との「相性の悪さ」は以前から自覚しているものの。
もう一度それを「確かめよう」と思って観た結果はやはり「ダメ」。

現在のキムタクに本当に「魅力」があるのかどうかを問いたいところ。
かつて「コント」をやっていた時のそれと比べて頂きたいもの。

本作で印象的なのは松倉の酒向芳の姿のみ。
おそらく「脚色」がきちんと出来ていないのは脚本も手がけた監督のせい。
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「評論の方が面白い作家とジョン・カーペンターの処女作あるいは『特定の時代の雰囲気』」について

2020-09-29 02:20:31 | Weblog
今日も快晴。おだやか。

石川淳「森鷗外」を途中まで読む。

本来は読了予定だったのだがまたまた身体が「眠れ」と言い。
ドトールでついついウトウトと時間を過ごす。

本書の議論の進め方はなかなかに面白く。
少し時間を置いて再読することにするか。

鷗外の「歴史物」を読んでいたのでどうにか内容を理解できる次第。
もっともそれ以外については未読なものが多いので微妙ではあるけれど。

それにしてもこの作家は小説より評論の方が面白いかも。
まあそういうこともあるか。

ジョン・カーペンター「ダーク・スター」(’74)を観る。

「ハロウィン」(’78)「ザ・フォッグ」(’80)「ニューヨーク1997」(’81)
「クリスティーン」(’83)「スターマン」(’84)「ゼイリブ」(’88)の監督デビュー作。

「スター・ウォーズ」(’77)「エイリアン」(’79)「ゾンゲリア」(’81)
「ブルー・サンダー」(’83)「スペースバンパイア」(’85)「バタリアン」(’85)

あるいは「トータル・リコール」(’90)のダン・オバノンは
脚本・編集・特殊効果に加え出演も(ピンバック軍曹役)。

全体に「70年代感」が満載。
音楽も担当している監督による主題歌「ベンソン・アリゾナ」がいかにも。

「スター・ウォーズ」以前の「宇宙描写」がなかなか。
「宇宙嵐」はいささかチャチだとはいえ。

奇妙なエイリアンは後の「アタック・オブ・ザ・キラー・トマト」(’78)を思わせ。
この何とも「乾いた感じ」が「70年代」だと思って頂いて結構。

「ある種の豊かさ」が達成された後の「頽廃」とでも言えばいいのか。
「奇妙な『終末観』」が漂う趣き。

ちなみに五島勉「ノストラダムスの大予言」が出たのが73年だということで。
小松左京の「日本沈没」も同年に。

そうそう「石油危機」がこの年であることも。
「特定の時代の雰囲気」はこのようにして彩られる模様。
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「ノーベル賞を得た化学者の人生と何とも好ましい『和風オペレッタ』とそのリメイク」について

2020-09-28 01:54:51 | Weblog
快晴。終日風強し。

下村脩「光る生物の話」を読む。

かのノーベル賞受賞学者の発見も素晴らしいけれど
むしろ彼の人生に思いを致す方が大きいかも。

長崎の原爆によって偶然化学の道を進むことになり。
「最新化学の難関」という課題をいきなり与えられることに。

ギリギリの中でようやく得た「発見」。
当時はその後の「応用」を知るべくもなく。

日本ではその研究が続けられず周囲の反対を押し切って渡米。
20年いたプリンストン大学からは「教育」をしないと追われ。

「3年ごとの研究費の継続にもし失敗した場合には失業する」というリスクを抱えたまま。
かくも「優秀な人物」がそうした境遇を甘受するしかなかったという「現実」よ。

よくもまあ「生き延びた」ものだと思うよりなく。
とはいえこの分野に関する研究者の数は減る一方だったり。

この「志」を継ぐ者が出て来ることを期待したいもの。
いささか乱暴だとはいえ研究者の数が少なければ結果次第では「光る」ことに。

マキノ正博「鴛鴦歌合戦」(’39)を観る。

「和風オペレッタの粋」がここに。
歌う志村喬の姿とその歌声を確認する。

ディック・ミネの「お殿様ぶり」が好ましい。
市川春代と服部富子の「おきゃんぶり」も同様に。

主演であるはずの片岡千恵蔵は案外「軽い」。
おとみの付き人小林三夫の「コメディ・リリーフ」が何ともはや。

現代でリメイクするならと思うと気分が高まる。
もちろんいたずらなことをすると失礼になるので注意しないと。

出来れば周防正行監督にやって頂きたい。
「舞妓はレディ」(’14)がすでにあるので。

「一万両」を捨てて「恋」に生きる姿を是非。
こういうロマンチックならいくらあってもいいと思うことしきり。
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「老人のあれこれとようやく固まった『野党』勢力あるいは『典型的な欲望』」について

2020-09-27 01:48:17 | Weblog
晴れ。おだやか。

田辺聖子「姥ときめき」を古本屋で買って読む。

30年以上前に「老人のあれこれ」はすでに描かれていた模様。
もちろんセックスも含めて。

吉本芸人とは異なる「ふくよかな大阪弁」が何とも好ましく。
著者の魅力をあらためて。

「77歳の歌子さん」というキャラクターが素敵。
彼女の立ち位置は案外フェミニストに近く。

「何が来ようとお相手しますわ」という姿勢。
やはり「希望の源」は女子にあると思うことしきり。

マル激を観る。

今回のゲストは立憲民主党の党首枝野幸男。
「市場」に縛られたかつての「民主党」とは違うのだと。

少なくとも「政権交代が可能な野党」がなかったことがこれまでの大問題。
あれこれ経験してようやくここに来たかといった趣き。

「緊張感」がなければ人はいたずらに「緩む」のみ。
その結果が安倍政権の7年8ヶ月だと思っていいはず。

キーワードはどうやら「まともな生活を送れること」。
職を失った人々や家族といても楽しくなく自尊心に欠ける人々が溢れ。

なぜそうなったのかをきちんと考えたいもの。
それは「あなたのせい」ではないことは確か。

ニール・バーガー「リミットレス」(’11)を観る。

「NZT48」という何やらわが国のアイドルグループに似た薬が引き起こしたものは。
従来20%しか使っていなかった脳を100%働かせる一方で副作用もあり。

中盤からの描写のダレ加減が気になる。
「クスリによるエンハンス=能力拡張」を肯定しているようにも見えて。

さらには主人公が上院議員になろうとする「権力への欲求」も微妙。
「自動的にそうなる」ものなのか。

何やら「『出世』への強迫観念」がもたらしたもののような。
「ある種の男たちの『世界』」ということなのだろう。

「欲望の在り様」があまりに「典型的」すぎてお腹いっぱい。
そういうものなのねと思うのみ。
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「ある種の映画本とカンヌグランプリ作品への疑問」について

2020-09-26 02:18:23 | Weblog
雨のちくもり。家を出る時に激しく。

小林淳「三船敏郎の映画史」を読む。

かの世界的名優の出演作品と粗筋あるいはちょっとしたエピソードや「感想」など。
これなら「記録」でいいじゃないかと思うことしきり。

なぜ著者の「作品」として出版する必要があるのだろう。
そのあたりが不明。

むしろ彼の素晴らしさを作品に沿ってもっと称えることが重要なのではないか。
どうも「間違った愛情の結果」のような。

もちろん「資料」として役立つことはわかるものの。
この種の映画本の意味がいささか疑問。

衣笠貞之助「地獄門」(’53)を観る。

イーストマンカラーが美しい。
「風」が何事かの「予兆」になっている描写にふむふむ。

ただし本作はいかにも「男だけのロマン」。
勝手に好かれて身替りになるしかなくなる袈裟の京マチ子が哀れ。

長谷川一夫は「現代の目」からすると「ストーカー」に他ならず。
「生涯地獄を味わう」というラストには「男の身勝手」があるのみ。

「第七回カンヌ映画祭グランプリ作品」ではあるけれど。
「映像の美しさ」だけが残るような。

若き日の山形勲の何ともやさしい「夫ぶり」が素敵。
刀根の南美江には途中まで気付かず。

「特定の時代ゆえの評価」かと思った次第。
「夫に尽くす」という「オリエンタリズム」も手伝ったやもしれず。

いささか「西洋への媚び」があるような。
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「透明度の高い哀しみを主に描く詩人と是非とも知っておくべき傑作映画」について

2020-09-25 02:09:14 | Weblog
晴れ。仕事場では一滴も降らず地元で夜に激しく。

「李商隠詩選」を再読。

ただ哀しみだけが描かれる内容にふむふむ。
題材に「神話」が多いせいか「透明度」も高く。

作品によってはパゾリーニ風の味わいなど。
「いろんな顔」を見せる魅力もあり。

個人的には「無題(颯颯たる東風)」の
「春心莫共花爭發 一寸相思一寸灰」がやはり印象に残る。

敢えて書き下しも現代語訳も書かないでおくのでよろしく。

溝口健二「雨月物語」(’53)を久方ぶりに再見。

宮川一夫のキャメラと伊藤熹朔の美術が何とも素晴らしい。
今回はとりわけ後者の描く「構図」にシビれた次第。

霧の中を行く船のシーンは勿論のこと。
「カラクリ」を脱け出した森雅之がさまよう「廃墟の美しさ」が尋常でなく。

京マチ子とふたりで「ピクニック」するシーンの木の姿も素敵。
毛利菊枝の「いかにもな姿と声」も同様に。

水戸光子の「婀娜っぽさ」と「『栄』時代」の小沢栄太郎の「愚かさ」も。
名主の香川良介と衣服店主人の上田吉次郎の存在感よ。

青山杉作や羅門光三郎もいいけれど伊達三郎もなかなか。
田中絹代の「声と言葉の魅力」についてもあらためて。

上田秋成の原作を読み返してみるか。
「怪談仕立て」の陰に「戦争がもたらすもの」があるのを覚えておこう。

「Jホラー」しか知らない向きにはこの味わい深さを是非。
わが国の映画の黄金時代の傑作を知らない人々が多いのは何とも「貧しい」のだと言っておく。
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「好ましい紹介と文章と『物語』を語るヘタさあるいは郊外の物悲しい夜」について

2020-09-24 02:03:03 | Weblog
くもりのち晴れ。だったはず。

山鳥重「心は何でできているのか 脳科学から心の哲学へ」を読む。

9年前の作品。
「情→知→意と進む複雑なシステム」がわれわれの姿だと。

あれこれの紹介と落ち着いた文章が好ましい。
「『ある』とか『ない』ではなく『出現する』」のだという表現にふむふむ。

さまざまな「機能」が働いた上でのこと。
何事かを切り離して理解するのは間違っているらしい。

ニューロンの発火だけを見ても「人間という『システム』の複雑さ」がわかる次第。
「200万年」という途方もない時間がもたらした存在であることは確かで。

もっともわれわれは「地球にとっての怪物」になりつつある模様。
どうにかおとなしく暮らさないとどうにも。

ルーク・スパーク「オキュペーション 侵略」(’18)を観る。

お馴染みの「宇宙人侵略もの」。
今回はオーストラリアにやってきたという設定。

全体にチープな出来。
ラストには「エイリアンとの和解」なども。

「故郷の星の惨状」ゆえ地球にやってきたエイリアンは「移民」。
「助け合って生きよう」というのが本作のテーマか。

それにしても「物語」を語るのがヘタすぎる内容。
感情移入できる場面が全くないのも残念と言うよりなく。

いっそのこと「人類が地球の侵略者だった」という「物語」くらいでないと。
「移民」だと思われた宇宙人が実は「ネイティヴ」だったということで。

描写の基本として登場人物たちの「詳細」をもっと。
その上であれこれの「結果」がないと「シチュエーション」が浮いてしまうだけ。

それとは別に。

仕事終わりに郊外の駅前で煙草を吸っていたところ。
たまたま爆音を響かせるバイクが通り過ぎたところで「俳句」が浮かぶ。

虫の音を 消すバイク音 離れ行く

いかにも郊外の夜という感じがしたのでついつい。
「ドップラー効果」にちょいとしみじみして頂きたいもの。
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「特定の時代の『常識』が失われるのを確認することと『見たいものだけ見る』ことのうさん臭さあるいは『ゾンビ』にならないために大事なこと」について

2020-09-23 02:10:50 | Weblog
晴れ。仕事帰りにポツリ。

酒井順子「次の人、どうぞ!」を読む。

「週刊現代」の連載エッセイから50本分。
「とんねるずの定年」「消えゆく『先輩風』」が印象に残る。

いわゆる「体育会系のノリ」がもう好まれないことをあらためて。
石橋貴明のそれが「ハラスメント」でしかない現実にふむふむ。

「運動部という『軍隊』」は日大アメフト部の不祥事を思い出させて。
そうした「理不尽」に耐えた記憶もいずれなくなり。

「特定の年代の昔話」になる模様。
「時代の『常識』は移り変わる」という事実のみが残る。

橘玲「『リベラル』がうさん臭いのには理由がある」を引き続き読む。

「自分たちに都合の悪いもの」を見ない始まりはこのあたりからか。
なるほどこのような「リベラル」なら要らない。

もっとも「保守」も同様で。
「特定の価値観」のみを大した根拠もないままに信じるだけならこれまた要らない。

とはいえ著者の説くような内容が「常識」になるとは到底思えず。
ここでも「受け取る側の問題=劣化」がポイントになるはず。

もちろん「情報」を始めとするさまざまな「利権」を維持したまま
「現実」を何も伝えないマスコミのダメさも同様に。

あらゆる場所で「インチキ野郎」がはびこる現在は
「デッド・ウォーキング」の主人公たちが置かれた状況に似て。

「好ましいもの」に触れていないと自分も「ゾンビ」になりそうな。
とりあえずその「確保」だけはきちんとしていたいもの。
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「好ましい作家の『親類』は案外面白くないことあるいは『目が慣れてしまう効果』」について

2020-09-22 03:38:51 | Weblog
晴れ。空の青がいい感じ。

杉山幸丸編著「人とサルの違いがわかる本」を読む。

著者の名前からして「『夢野久作』つながり」だと思われるのだが確認出来ず。
かの作家の「親類」にしては文章に魅力がないのが残念。

本書の内容も面白いかと言われると微妙。
「ハヌマンラングールの子殺し」を発見した学者らしいけれど。

もっともあれこれ教えてもらうのはありがたい限り。
「知能」を手に入れた意味が失われつつある現在を思えば感慨など。

「デッド・ウォーキング シーズン3」をまた数話観る。

アンドレアと総督の関係がいかにも気持ち悪く。
「後者の『変態ぶり』」は明らかなのにこういう男に好意を持つものかと思うことしきり。

リックの「狂い方」にはふむふむ。
「東日本大震災」の後に似たようなことがあったような。

いよいよ総督が刑務所を襲ってくるあたりで今回はおしまい。
アマゾンプライムの「視聴可能期限」で本シリーズは最後まで観られない模様。

「仲間」が失われていく中で「新たな仲間」も登場し。
メジャーな俳優はメルルのマイケル・ルーカーのみ。

こうして「付き合う」と目が慣れてしまう次第。
「大して魅力のない俳優陣」に「親近感」が増すせいだろう。

ハイ、今夜こそは「寝落ち」しませんでした。
「それで?」と言われると返す言葉はない。

何とも「セルフィッシュ=自己満足な」夜。
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「希望の在り様がむしろ『現実の貧困』を表すことあるいは『現実』を描いたドラマ」について

2020-09-21 02:15:03 | Weblog
晴れ。そこそこ過ごしやすいか。

墓参りに行く。

上の妹の「戯言」に付き合う。
ますます「残念な叔母」に似てくるのがむしろ「謎」。

小熊英二「地域をまわって考えたこと」を読む。

これが「希望」なのだろうか。
何とも儚いものだと言わざるを得ず。

やはりわが国は沈むなと思った次第。
「加速主義」とやらはまだ「何事か=期待」を信じていることも同様に。

この種のことが「希望」になるということは
自動的に「現実のどうしようもなさ」を表しているような。

一見「理想的なもの」に実は「頽廃の影」が見えたりして。
繰り返すが「理」を支えにしなければこうなる必然が。

「デッド・ウォーキング シーズン3」を数話観る。

「総督=インチキ野郎」が「街」を支配している現実がすでにここに。
ローリが死んで赤ん坊が救われることなど。

なるほど本作の描く内容はまさに「現実の予言」だと思っていい。
われわれはどのように「生き延びられる」のだろう。

少なくとも貧困に苦しむ人々をどうにかしないと。
「事故の背後」に「無理筋の労働」があったりすることも覚えておこう。

「圧倒的な砂漠」の中で生きているということ。
そうした「自覚」は自らの「生活レベル」とは無関係にないと。

「病を得ること=罪」であるような「自助」を促す制度についても。
あらためてなぜかくも「安楽な生活」が出来ないのかを考えたいもの。

すでにわが国は「発展途上国」。
それを塗布する「情報の流れ」があるだけ。
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