快晴。夜になって雨。
「古川ロッパ昭和日記 戦中篇 昭和16年-昭和20年」読了。
「東京大空襲」の記述は案外あっさりで拍子抜け。
現代と違ってTVがないから考えてみれば当たり前か。
我が家が焼夷弾で焼かれても「平気」だったりするあたり
「戦時の感覚」と言うべきなのだろう。
それにしても麻雀やポーカーをしすぎ。
「日常」を維持することで「非日常」を拒絶する趣き。
「現実」を受け入れるのはそれほど難しいと。
いずこも同じ秋の夕暮れ。
とはいえそもそも「現実」とは何かということになると
誰も「神の視線」を持たない以上切り取られる断面には限りがあり。
赤ん坊は泣き幼子はぐずり少年は駆け回り少女は大人びて。
青年は情熱に燃え中年はため息をつき壮年は悟ったふり老年はじっとして。
それぞれが抱える「現在」を維持しようとすることにおいて
誰もが「平等」ではある。
もっともその内容によっては好ましいものもそうでないものも。
いずれ「限られたもの」ならば
「乱反射」を起こすようなものでありたい。
おそらくは「表面の凸凹具合」が「現実」だと思えば
あながち的外れではないとも思われ。
しばし呆然としつつ明日に備える。
「古川ロッパ昭和日記 戦中篇 昭和16年-昭和20年」読了。
「東京大空襲」の記述は案外あっさりで拍子抜け。
現代と違ってTVがないから考えてみれば当たり前か。
我が家が焼夷弾で焼かれても「平気」だったりするあたり
「戦時の感覚」と言うべきなのだろう。
それにしても麻雀やポーカーをしすぎ。
「日常」を維持することで「非日常」を拒絶する趣き。
「現実」を受け入れるのはそれほど難しいと。
いずこも同じ秋の夕暮れ。
とはいえそもそも「現実」とは何かということになると
誰も「神の視線」を持たない以上切り取られる断面には限りがあり。
赤ん坊は泣き幼子はぐずり少年は駆け回り少女は大人びて。
青年は情熱に燃え中年はため息をつき壮年は悟ったふり老年はじっとして。
それぞれが抱える「現在」を維持しようとすることにおいて
誰もが「平等」ではある。
もっともその内容によっては好ましいものもそうでないものも。
いずれ「限られたもの」ならば
「乱反射」を起こすようなものでありたい。
おそらくは「表面の凸凹具合」が「現実」だと思えば
あながち的外れではないとも思われ。
しばし呆然としつつ明日に備える。