退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「カメレオンのあれこれと『技術』が人間にもたらすものあるいは『失われた知性』と『和製西部劇』について

2022-02-28 01:50:54 | Weblog
晴れ。風が冷たい。

またまた知らぬ間に寝落ち。

昨日はカメレオンの本を読んだのだったか。
アフリカ各地とマダガスカルに多く生息する模様。

角があったりなかったり。
飼育のパイオニアふたりの会話がなかなかの趣き。

「好き」ということの大切さを思いつつ。
やはり「飼う」のではなく「観察」すべきなのではと。

マル激を観る。

今回は「生殖医療」について。
ゲスト柘植あづみの指摘は「いたずらに発達した技術が人間にもたらすもの」。

「出産という『未知』の恐怖」が「孤独」によって増幅され。
「出生前診断」によって「無事に子どもを産んだ後」でさえ母親が悩む事実も。

「障害を負った子ども」を育てることの「意味」も知らないまま。
「この子が無事に生きられない『世界』」はおかしいという「視点」を忘れずに。

「技術がもたらす差別」には敏感でいたいもの。
「『普通』であること」が実は「差別を生み出すもの」であることも。

橋本治「負けない力」を読む。

「正解」などないからこそ「問題」を発見し考える力を。
「負けない=追い込まれること」だというのを覚えておこう。

今頃自分が読む本ではないという一方で。
何事も「楽な方へ流れる現在」への疑問のあれこれ。

「知識量の無意味さ」に関する指摘にふむふむ。
「流行」は所詮「時代の風向き」でしかないことも同様に。

「答え」なんて出さないよという姿勢が何とも素敵。
それぞれがそれぞれに試せばいいだけ。

野村孝「早撃ち野郎」(’61)を観る。

南田洋子、笹森礼子の「いつものメンバー」に吉永小百合が加わり。
郷鍈治が「新人」だったり。

小田の杉山俊夫が何とも「弱く」。
高原駿雄がこんなところに。

金子信雄、浜村純に下條正巳、深江章喜、待田京介、上野山功一、弘松三郎ら。
後に「フォーリーブス」になる江木俊夫が子役で。

それにしてもここまで「西部劇」をそのままにやるとは。
ジョージ・スティーヴンス「シェーン」は1953年(昭和二十八年)の作品だというのに。

ポール聖名子の「ヤキヤキ節」にマリー真珠の踊りなど。
「エースのジョー」の姿を確認する。
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「『根本的な間違い』がいつまでも正されないことと『他人の合理』がわからないこと」について

2022-02-26 02:58:44 | Weblog
晴れ。冷えは緩む。

中村光夫編「吉田健一随筆集」を読む。

「余裕」とは何かと言えば「生活を楽しむこと」だろう。
「好きなものに没頭すること」と言ってもいい。

今に至るまでわが国でそれが案外「難しい」のはなぜか。
「普通の人」が「仕事」しか出来ないのはなぜなのか。

そのあたりについて本気で考えないとどうにも。
わが国では「当然の基準」が常に忘れ去られることを覚えておこう。

例えば住む家があるのは当たり前なはずが。
それを手に入れるためには「数十年に渉るローン」を組まなければならなかったり。

「根本的な間違い」がいつまでたっても正されず。
「衣食住」は誰もが簡単に確保できるものでないとどうにも。

繰り返すが「衣食」はどうにかなったのに「住」が相変わらずな不思議よ。
いかにも「社会権」に関して意識の薄いわが国らしい。

そうした「貧しさ」ゆえにいたずらに「タワマン上階に住むこと」がいいとされたりもして。
やがて「廃墟」になることが確実な建物に住みたがるとは。

そもそも「自分の家」に行くために無駄なエネルギーが使われるマイナスもあり。
要はエレベーターとそれを動かすために必要なエネルギーの無駄だったり。

この種の「デタラメさ」にはそろそろ気付きたいもの。
出来れば「豊かな『最低限』」で暮らしたい。

さて。

プーチンのロシアがウクライナに「侵攻」。
かの地がロシアにとって重要なことはわかるとはいえ。

「特定の地域を手に入れるための限定的な軍事作戦」というつもりらしい。
ここでも「専門家たち」はこの現実を読めず。

「自分の合理」を「ルール」だとするからそうなる。
トランプでそのことを学んだはずなのに。

「他人の合理」を読めないわれわれの姿がここに。
「身近な関係」でも同様に。

「価値判断」は横に置いてただ単に「相手を知る」ということ。
そのことがかくも難しい「現実」をあらためて。
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「江戸時代の『リアルな描写』がほぼ現代であることあるいは映像に工夫のあるヤクザ映画」について

2022-02-25 02:44:15 | Weblog
晴れ。まだ夜は冷える。

「浄瑠璃を読もう」読了。

「ひらかな盛衰記」「国性爺合戦」「冥途の飛脚」「妹背山女庭訓」。
近松門左衛門の「リアルな描写」という解説に大いに納得。

「物語」を組み立てるための「段取り」を付けるのではなく。
主人公たちが否応なく「そうなってしまうこと」が肝心で。

その「悲劇」は「俯瞰」によって生まれることを覚えておこう。
「江戸時代」が案外「現在」であったりするのも同様に。

長谷部安春「縄張(シマ)はもらった」(’68)を観る。

小林旭に宍戸錠、二谷英明の「揃い踏み」。
そこに川地民夫、藤竜也、岡崎二朗、郷鍈治、深江章喜、葉山良二。

あるいは戸上城太郎、高品格、野呂圭介、弘松三郎が加わって。
梶芽衣子が太田雅子として登場したり。

今にして思えば何とも豪華なキャスト。
いささかの「エロ」も含みつつ映像に工夫があり。

「ヤクザ」は所詮「汚い者」だと。
「物語」については敢えて書かない。

「仲間が死んで行く姿」は「七人の侍」(’54)に似ていることを忘れずに。
ラストの「出入り」はまさに「ヤクザ映画」のそれ。

もちろんアキラもジョーも「ダンプガイ」二谷英明も死なせるわけにはいかず。
「工業が農業に取って変わる時代」が背景に。
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「浄瑠璃の魅力を教えてもらうありがたさと『湿り気』の多い和風西部劇」について

2022-02-24 03:20:16 | Weblog
晴れときどきくもり。まだ寒さは続く。

橋本治「浄瑠璃を読もう」を途中まで読む。

「仮名手本忠臣蔵」「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」「本朝廿四孝」。
著者の「解説」は相変わらず「飛んで長い」のがむしろいいところ。

あれこれ教えてもらってありがたい限り。
敢えて文句を言うなら「本朝廿四孝」の魅力のみがわかりにくく。

要はこちらが「当時の定石」を知らないせいで。
いささか著者が「江戸」に「留学」しすぎたせいかも。

これまた明日読了予定。
かくして「楽しい時間」は続く。

小杉勇「紅の銃帯(ガンベルト)」(’61)を観る。

今回ジョーに関わるのは松原智恵子と香月美奈子。
頼りになるオヤジに菅井一郎、「世間知らずの息子」に青山恭二。

悪玉には金子信雄、内田良平、深江章喜、弘松三郎、藤岡重慶ら「お馴染みの面々」。
本作は監督の「趣味」のせいかジョーが「まとも」過ぎていやはや。

「腹違いの兄」といった「血縁関係の情」を描き過ぎている模様。
曰く「湿っぽくていけねえ」。

「善玉か悪玉かよくわからないけど魅力的」なのが本来のジョーの姿で。
こう「正攻法」で来られちゃねといった趣き。

そもそも「控え目なジョー」というのは「形容矛盾」に近く。
どこまでも出しゃばって最後に軽快に去る姿が「気持ちいい」のに。

それにしても相変わらずの「和風西部劇」よ。
本作の舞台は阿蘇。
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「かつてのフランスの『知性』が教えてくれるものと宍戸錠の映画を追いかけること」について

2022-02-23 02:54:13 | Weblog
くもりのち晴れ。雪も少々。

吉田健一訳ポール・ヴァレリー「精神の政治学」を読む。

第一次大戦後にすでに現在と同じ状況があったことを確認する。
圧倒的な明晰ぶりよ。

「科学の発達」がわれわれを「愚か」にし迷わせることをあらためて。
もちろん現在のそれはインターネットで。

ダヴィンチに関する解釈にふむふむ。
言語でなく絵画による「知性」という在り方の「発見」。

もっとも四方田犬彦によると訳者は勝手に「省略」をしたり。
若き日に著者の紹介者であったことを初めて知る。

てっきり英国風の人だと思い込んでいたのだがあにはからんや。
むしろフランス系の人だった次第。

松尾昭典「ノサップの銃(ガン)」(’61)を観る。

南田洋子の「魅力」をあらためて。
「同じ役柄」ばかり演じさせられる笹森礼子は当時どう思っていたのだろう。

稲葉義男の網元に加藤武の「ヤンチャ漁師」あるいは足を悪くした浜村純。
久方ぶりに観る冨田仲次郎と木下雅弘の「ヤクザな親子」は「乗っ取り」を企み。

「婆や」田中筆子の息子が木浦祐三でいささかの「因果」あり。
楠侑子についても同様に。

BGMに小林旭の歌が流れる「楽屋オチ」など。
「ノサップ」が「納沙布」であることを忘れずに。

葉山良二の「魅力」は残念ながら理解出来ず。
ジョーが持っている時計の「行方」も覚えておこう。

それにしても61年に何本撮っているのかという趣き。
宍戸錠をフル回転させるしかなかった模様。
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「互いを知らないことがもたらすものと大昔のインタビューあるいは『物語の経済』と『軽快さ』を併せ持つ映画」について

2022-02-22 03:09:35 | Weblog
晴れときどきくもり。冷える。

昨日は再びの寝落ち。

繰り返すが身体に任せるのみ。
適当に疲れがたまった結果ということで。

岡田尊司「夫婦という病」を読む。

6年前の作品で結構売れた模様。
「回避型」と「不安型」という分類がポイント。

前者は「誰に対しても親密な愛着が築かれにくいタイプ」。
後者は「過剰なまでに親密な関係を求めるタイプ」。

その「組み合わせのすれ違い」があれこれあるのだと。
さらにはDVや発達障害も加わってという見立て。

もっとも基本は「相手のことをよく知らないこと」だったり。
カウンセリングで関係がよくなることもあるらしい。

キネマ旬報編「映画の黄金時代」を読む。

60年以上前のインタビュー集。
山本恭子というインタビュアーを初めて知る(解説に小藤田千栄子)。

石原裕次郎、三船敏郎、月形龍之介、加東大介、早川雪洲、山本富士子、
岸惠子、岡田茉利子、淡島千景、若尾文子、水谷良重、三島由紀夫、市川昆。

される側とする側に「信頼関係」があるのが好ましく。
「本心が語られる姿」にふむふむ。

舛田利雄「用心棒稼業」(’61)を観る。

タイトルロールに工夫あり(現代の目からするといささか緩いけれど)。
宍戸錠と二谷英明の「コンビ」の軽快さよ。

南田洋子が「ハジけて」いて笹森礼子は「いつも通り」で南風洋子が加わり。
二本柳寛、金子信雄、殿山泰司、脇には弘松三郎、榎木兵衛ら。

同年の黒澤明「用心棒」に日活が「ぶつけた」作品をようやく。
「保険」がテーマになっているのが「時代」か。

79分という「物語の経済」を覚えておきたいもの。
舞台になっている熱海の海岸線も同様に。

撮影の姫田真佐久はキャメラを逆さまにしたり。
かの人の名前を「しんさく」でなく「まさひさ」だと思い込んでいた迂闊ぶりに反省。
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「おそらくは『不幸な人々』に問いたいことふたつと『西部劇』な映画」について

2022-02-20 04:06:24 | Weblog
晴れときどきくもり。おだやか。

堤未果「政府は必ず嘘をつく」を再読。

10年前にしてすでにこうだったかと思う内容。
やがてトランプが大統領になりその後も影響力を持ち続ける現在。

経済を牛耳る者たちに聞いてみたいことがある。
「それで楽しいの」と。

数字のゲームに夢中になるならスマホでやればと。
残念ながら「不幸な人々」だと認定する。

マル激を観る。

今回はウクライナ情勢について。
ロシアにとってのかの地の意味と「世界情勢」に関わっていたい気持ちにふむふむ。

ゲストの廣瀬陽子の説明がわかりやすく。
「かまってちゃん」なプーチンは「こっちを見ろ」と言いたいだけだったり。

それにしてもそのようなことで「世界」が動くのか。
あまりの愚かさに哄うよりなく。

もっともすでに「後進国」になっている現実を知らないわが国も同じく。
「身近なしあわせ」がないとこんなことになるのかと思うことしきり。

野口博志「赤い荒野」(’61)を観る。

物語は「西部劇」で馬を乗りこなす宍戸錠がカッコいい。
「ヤクザ」だった彼は「カタギでいる」という約束を守り。

好きな彼女を友人のためにあきらめる姿が素敵。
「彼女」が南田洋子でそんな彼を知りつつ好きになるのが笹森礼子。

今回は加藤武が「悪玉」で内田良平が「かつての仲間」。
東野英次郎の「いたずらにガンコなオヤジ」も。

引きの映像が印象的。
「シェーン」(’53)よろしく最後には「去る」。

いかにも「男子の思いのみで完結したお話」で。
それを掻き立てるために「女子」が「小道具」になっているのを覚えておこう。
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「義太夫について教えてくれる著者の素敵さと『エースのジョー』が『アキラ』を演じる映画」について

2022-02-19 02:57:53 | Weblog
晴れ。寒さは緩む。

橋本治「義太夫を聴こう」を読む。

若き日に「圧倒的なもの」を知った著者による義太夫の紹介。
初心者に「道行」を聴かせた方がいいという判断の確かさなど。

あれこれと「仕組みの解説」にうなずきつつ。
いまだ一度も義太夫には接していなくて。

昔の人々は「高度な理解」をしていたものだとつくづく(助詞ひとつで異なる描写よ)。
「歌う三味線」が「琵琶」に取って変わった歴史にふむふむ。

撥で弾く後者が前者に採り入れられたことも同様に。
あれこれ教えてもらうのみ。

かの著者の小説が義太夫でもある模様。
確かめたいと思う一方で生まれつき怠惰ゆえどうなることやら。

斎藤武市「ひとり旅」(’62)を観る。

「エースのジョー」宍戸錠は本作ではシリアスな趣き。
小林旭と同じ扱いということらしく。

女優陣も浅丘ルリ子に白木マリだから「同じ」で。
悪役陣には安部徹、内田良平、二本柳寛、草薙幸二郎、深江嘉章ら。

野呂圭介、榎木兵衛、青木富夫に加えて若き日の藤岡重慶の姿が。
冒頭で踊っているのは金井克子だったり(ふっくらして若いという当然)。

「アキラ」と違って歌は上手くはないが主題歌も。
本作はカットのテンポが心地よく。

「物語のポイント」には敢えて触れず。
「ハマ」は昔から「ヤクザの巣窟」だったことをあらためて。
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「圧倒的な愛がもたらすものふたつ」について

2022-02-18 03:21:56 | Weblog
くもりのち晴れ。一時は吹雪など。

田仲義弘「狩蜂図鑑」を見て読む。

よくもまあこんな素敵な写真の数々を撮ったもの。
空中で獲物の位置を変え針を刺す姿がコマ撮りになっているのが凄い。

ファーブルの描いた世界をカメラでといった趣き。
「愛が生み出すもの」たるや。

ただひたすらにハチたちの生態を追いかけて。
もっともそこにはある種の「狂気」もあったり。

その一方で。

なぜハチは獲物を針で刺して幼虫たちのエサにするようになったのか。
どのように毒を薄めて「新鮮さ」を保つことを覚えたのか。

そもそも「刺すべき位置」をどう知ったのかも。
おそらくは途方もない年月の果ての結果なのだろうけれど。

「HOWはわかるがWHYはわからないこと」をあらためて。
「自然のからくり」を大切にしたいもの。

「玉置浩二ショー」の再放送を観る。

映画を観ていたのだがあまりのつまならさに移動。
「圧倒的な歌唱」をしばし味わう。

かつて森山良子の家に入り浸っていて。
森山直太郎を学生時代から知っていたというのにふむふむ。

絢香との共演も。
違和感が全くないハーモニーを作っていたり。

最近では「歌の上手い人」が増えてはいるものの。
「プロの力」を見せつけられた感じ(五木ひろしのモノマネもあり)。

「知ってしまったことによる『倫理』」がここでも発動されるのではないか。
曰く「この人を前にしていい加減なことは出来ない」。

あるものに対する愛の在り様がもたらすものに敏感でいたいもの。
そしてその彼が「明日はもっとうまくなりたい」と思っていることを忘れずに。
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「『文学』が信じられていた頃のあれこれと老若男女を問わず誰もが観るべき映画」について

2022-02-17 02:44:18 | Weblog
くもりときどき晴れ。小雪も舞い。

平凡社編集部編著「作家と酒」を読む。

冒頭の杉浦日向子の文章がなかなか。
こんな飲み方をしたらいかにも早死にしそうで。

吉田健一はいつも通り味わい深く。
たしかに「旅をすること」は増えてきている。

田辺聖子はさすがのユーモア。
横山大観の語る岡倉天心の「偉丈夫ぶり」たるや。

宮本百合子がこんなお洒落な短編を。
「文壇酒徒番附」などもあって。

「文学」が「信じられていた頃」のお話。
「古き良き時代」ということにしておく。

堀貴秀「JUNK HEAD」(’21)を観る。

「ストップモーション・アニメ」でここまでやるとはいやはや。
「物語」や「設定」は正直どうでもよろしい。

この「世界の存在」がただただ魅力的であるのみ。
唸るよりないですな。

とにかく本作は出来るだけ多くの人々に観られるべき。
大人はもちろん子どもたちに是非とも。

主人公は「ソラマメ君」になったり「ウォーリー」になったり。
「ワシャワシャ語」とでも言うべき「言語」の魅力も忘れずに。

「SF」でありつつ「民話風」でもあり。
久方ぶりに「問答無用の凄さを持つ映画」に出会った気分。
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