晴れ。風が冷たい。
またまた知らぬ間に寝落ち。
昨日はカメレオンの本を読んだのだったか。
アフリカ各地とマダガスカルに多く生息する模様。
角があったりなかったり。
飼育のパイオニアふたりの会話がなかなかの趣き。
「好き」ということの大切さを思いつつ。
やはり「飼う」のではなく「観察」すべきなのではと。
マル激を観る。
今回は「生殖医療」について。
ゲスト柘植あづみの指摘は「いたずらに発達した技術が人間にもたらすもの」。
「出産という『未知』の恐怖」が「孤独」によって増幅され。
「出生前診断」によって「無事に子どもを産んだ後」でさえ母親が悩む事実も。
「障害を負った子ども」を育てることの「意味」も知らないまま。
「この子が無事に生きられない『世界』」はおかしいという「視点」を忘れずに。
「技術がもたらす差別」には敏感でいたいもの。
「『普通』であること」が実は「差別を生み出すもの」であることも。
橋本治「負けない力」を読む。
「正解」などないからこそ「問題」を発見し考える力を。
「負けない=追い込まれること」だというのを覚えておこう。
今頃自分が読む本ではないという一方で。
何事も「楽な方へ流れる現在」への疑問のあれこれ。
「知識量の無意味さ」に関する指摘にふむふむ。
「流行」は所詮「時代の風向き」でしかないことも同様に。
「答え」なんて出さないよという姿勢が何とも素敵。
それぞれがそれぞれに試せばいいだけ。
野村孝「早撃ち野郎」(’61)を観る。
南田洋子、笹森礼子の「いつものメンバー」に吉永小百合が加わり。
郷鍈治が「新人」だったり。
小田の杉山俊夫が何とも「弱く」。
高原駿雄がこんなところに。
金子信雄、浜村純に下條正巳、深江章喜、待田京介、上野山功一、弘松三郎ら。
後に「フォーリーブス」になる江木俊夫が子役で。
それにしてもここまで「西部劇」をそのままにやるとは。
ジョージ・スティーヴンス「シェーン」は1953年(昭和二十八年)の作品だというのに。
ポール聖名子の「ヤキヤキ節」にマリー真珠の踊りなど。
「エースのジョー」の姿を確認する。
またまた知らぬ間に寝落ち。
昨日はカメレオンの本を読んだのだったか。
アフリカ各地とマダガスカルに多く生息する模様。
角があったりなかったり。
飼育のパイオニアふたりの会話がなかなかの趣き。
「好き」ということの大切さを思いつつ。
やはり「飼う」のではなく「観察」すべきなのではと。
マル激を観る。
今回は「生殖医療」について。
ゲスト柘植あづみの指摘は「いたずらに発達した技術が人間にもたらすもの」。
「出産という『未知』の恐怖」が「孤独」によって増幅され。
「出生前診断」によって「無事に子どもを産んだ後」でさえ母親が悩む事実も。
「障害を負った子ども」を育てることの「意味」も知らないまま。
「この子が無事に生きられない『世界』」はおかしいという「視点」を忘れずに。
「技術がもたらす差別」には敏感でいたいもの。
「『普通』であること」が実は「差別を生み出すもの」であることも。
橋本治「負けない力」を読む。
「正解」などないからこそ「問題」を発見し考える力を。
「負けない=追い込まれること」だというのを覚えておこう。
今頃自分が読む本ではないという一方で。
何事も「楽な方へ流れる現在」への疑問のあれこれ。
「知識量の無意味さ」に関する指摘にふむふむ。
「流行」は所詮「時代の風向き」でしかないことも同様に。
「答え」なんて出さないよという姿勢が何とも素敵。
それぞれがそれぞれに試せばいいだけ。
野村孝「早撃ち野郎」(’61)を観る。
南田洋子、笹森礼子の「いつものメンバー」に吉永小百合が加わり。
郷鍈治が「新人」だったり。
小田の杉山俊夫が何とも「弱く」。
高原駿雄がこんなところに。
金子信雄、浜村純に下條正巳、深江章喜、待田京介、上野山功一、弘松三郎ら。
後に「フォーリーブス」になる江木俊夫が子役で。
それにしてもここまで「西部劇」をそのままにやるとは。
ジョージ・スティーヴンス「シェーン」は1953年(昭和二十八年)の作品だというのに。
ポール聖名子の「ヤキヤキ節」にマリー真珠の踊りなど。
「エースのジョー」の姿を確認する。