退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

GW直前の意気込み

2009-04-30 02:00:52 | Weblog
快晴。おだやか。

昨日の深夜から明け方にかけて
鈴木清順「殺しの烙印」(’67)を再見したものの途中で少し寝てしまった。

大和屋竺の主題歌(声)がいいことを確認する。
真理アンヌも奇麗に撮られている。

トーチカのある場所なんて今でもあるのだろうか。
ちなみに「トレンチコート」の「トレンチ」は「塹壕」の意味だったりする。

作品がつまらないから寝たわけではなく
あくまで個人的な事情なのでよろしく。

ようやくGWに入ったので
さらに再見してあれこれ確認したり発見したりするつもり。

とりあえず時間はたっぷりあるので
ダラダラしないように過ごしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過ちの因果をめぐる激しさ

2009-04-28 03:14:10 | Weblog
快晴。今日も風強し。

Gyaoでパク・チャヌク「親切なクムジャさん」(’05)を観る。

刑務所内で「親切なクムジャさん」と呼ばれるほど評判のよかった女が
幼児誘拐と殺人の罪で13年服役した後に始める復讐はいかに、というお話。

真犯人の英語塾講師ペクはクムジャの娘を誘拐してクムジャに罪を被らせ
その後さらに4件の幼児誘拐と殺人を繰り返していた。

ペクがクムジャの娘を殺さず養子に出したのは「自分の子」でもあるから。
その子が養父母から「魂の美しい子」だと言われるあたりが複雑なところ。

刑務所仲間の協力を得て周到に準備された計画だったにもかかわらず
結局クムジャが直接手を下さないのはそういう「理由」があったからだと解釈しよう。

クムジャの動きをペクにバラすのが出所の日に出迎えに来ていた牧師なのが皮肉。
中川家の礼二がいかにもマネしやすそうなタイプ。

被害者の親たちに見せる犯行を撮ったヴィデオが強烈。
彼らはすべてをそそぐ雪の中を何気なく帰って行くことになるけれど。

「復讐」を行った親たちは「日常」に戻れるものの
「復讐」を取り仕切ったクムジャは「日常」に戻れない。

娘を誘拐されたからとはいえ
彼女はペクが最初の殺人を犯すのを手伝ってしまった。

自ら作った白いケーキに顔を埋めて嗚咽するクムジャは
娘に「白くなりなさい。白く生きなさい」と言うしかない。

それにしてもこの激しさ。
淡白な身には少々こたえる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GW前の休日

2009-04-27 02:35:45 | Weblog
くもりのち晴れ。風強し。

午前中に野暮用をすませてダラダラ。
なぜかエクレアを一日に4個も食べることになる。

バンデラスとルーシー・リューの「バリスティック」をTVで流し観る。
やたら爆破シーンがあって派手だけれど敵役が地味。

地元の市長選で河村たかしが勝つ。
「地域に1億円渡してみんなで使い道を考える」というのは面白そう。

よく考えると昔竹下登が「ふるさと創生」と言って県単位でやったことがある。
当時は無駄な使い方をした記憶があるけれど今だとどうなるのだろう。

もうすぐGW。
今年はほぼひきこもりな過ごし方になりそう。

とりあえず読書とDVD鑑賞をたっぷり出来るといいけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大人しく暮らせよ

2009-04-26 02:30:06 | Weblog
雨。夜になって止む。

スラヴォイ・ジジェク「ラカンはこう読め!」を読む。

スラスラと読めるのだけれど肝心なところが残らないので
再読決定。

ボトルの期限が切れかかっていたのでソウルバーへ行く。
とりあえず飲み干したがニューボトルは入れられず来月に回す。

若竹煮と茶漬けを食べる。
ほっこりした筍の風味と出汁に春を感じる。

夜中に公園で叫ぶ酔っ払いはブタ箱に入れるのが筋だろう。
クスリを当て込んだ警察は仕方なく「暴れた」と情報を流した。

鳩山は目立とうとしすぎてうっとうしいし
バカは休み休みにしてもらいたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真贋をめぐるあれこれ

2009-04-25 01:45:38 | Weblog
晴れ。薄雲のかかる空。

大島一洋「芸術とスキャンダルの間 戦後美術事件史」を読む。

基本は「本物」だと思われていたものが実は「贋物」でという話のあれこれ。
そもそもどうやって「真贋」を見極めるのかが曖昧だったりする。

おまけに「本物」に化けた「贋物」は途方もない貨幣をもたらすので
そうした「錬金術」に魅せられる者は時代を問わず現れる。

「市場」で「価値」が認められさえすれば
1万円だったものが100万にでも1000万にでも1億にもなる。

実際にその金額を支払う者が現れればそれが「価格」になるという
「オークション」のルールもあり。

個人的には「芸術品」を所有するほどの貨幣も持ち合わせていないし
とりあえず魅力的な作品なら見ることが出来さえすればいい。

ところがよく考えてみると
われわれにはほとんど「本物」と接触する機会がない。

もちろん美術展などに行けばガラス越しに目にすることは出来るものの
たいていは写真に撮られた作品をカタログで見るのがせいぜいだ。

カタログに載っているのはあくまで「コピー」なのだから
結局「オリジナル」の価値を「コピー」で判断しているとも言える。

その意味で「コレクター」は「本物」にこだわるのだろうか。
たとえば「本物」と寸分違わぬ「贋物」に価値はないのか。

「西洋の本物など日本に入ってくることは少ないのだから
 本物を知っている自分が作った贋物は本物を知る上で十分役に立っている」

そのように嘯いた贋作者がいたらしいけれど
あながち嘘とばかりも言い切れないのが面白い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法から生まれたものを法で縛ることで生まれたもの

2009-04-24 04:13:53 | Weblog
深夜、ハワード・ホークス「暗黒街の顔役」(’32)を観る。

禁酒法時代のマフィアの大物アル・カポネの実話を元に描いた作品で
83年にはアル・パチーノ主演でリメイクされている。

ポール・ムニの乱暴者ぶりがいかにも。
原題「scarface」の「scar」は「傷跡」のことで左頬についている。

それを「聖痕」だとすると主人公の破天荒ぶりもわかろうというもの。
「聖バレンタインの虐殺」など殺人シーンに現れる「×」のマークも目につく。

ジョージ・ラフトはプレイーボーイ。
コインを投げては受け止めるクセが「お洒落」。

電話もまともに受けられず字も書けないヴィンス・バーネットの「笑い」は
やや空回りな感じだけれど、きちんと生かされている。

主人公と妹アン・ドゥヴォラクの間には「近親相姦」な雰囲気が濃厚。
ボスの情婦カレン・モーリーは手に入れたものの。

劇場で最後まで観られなかったモームの「雨」の結末を聞き
どちらの男も選ばなかったサディー・トンプソンを誉める主人公も覚えておこう。

「フランケンシュタイン」で有名なボリス・カーロフも敵役で登場。
新聞の発行者がギャングたちを一面で取り上げて喜ぶ様子も描かれる。

ヘイズ・コードのせいか冒頭に「政府はギャングの跳梁跋扈を許していいのか」
といった内容の字幕が出てくる。

「禁酒法」のせいでギャングの勢力が拡大したことを思うと
いささか皮肉なことではあるけれども。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娯楽

2009-04-24 01:22:56 | Weblog
快晴。風強し。

黒沢清「叫」(’06)をようやく観る。

海で溺れたわけでもないのに
被害者が海水で溺死させられる事件が連続して起きる。

自分の指紋やボタンが現場に残っているのを知って不安になる刑事吉岡の前に
赤い服を着た謎の女が現れて、というお話。

あちこちに出てくる鏡に注目。
地震による揺れ、水溜りに突然起きる波紋も面白い。

直線で区切られた構図、いつもの毒々しい空の色と視線を奥へと誘い込むカメラ。
「スーパーマン」も出てくる、と言っておこう。

呪文のように繰り返される台詞も印象的。
一度見直し始めると止まらなくなる。

ミステリー・ホラー・エンターテインメントの融合。
わたしは過去を忘れるけれど、過去はわたしを忘れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

青いカナリア

2009-04-23 01:12:40 | Weblog
晴れ。おだやか。

宮台真司 「<世界>はそもそもデタラメである」を読む。

「映画批評の体裁」で「実存批評」をするのが目的とのこと。
「<世界>の法則性」より「<世界体験>の法則性」を知ることが役に立つらしい。

そもそも「客観的事実」は存在しない。
たとえ「科学的認識」であろうとそれは「体験」にすぎない。

だとするなら<世界>をどう「体験」するか。
そのことに注目するのも「十分に現実的」なのだという。

<世界>を法則的に描けば描くほど
「なぜそうであって、別のあり方でないのか」という偶発性が浮かび上がる。

言い古された表現にすると
「How はわかるが Why はわからない」ということ。

その「問題」をどう処理するのかはそれぞれ次第。
とりあえず著者は自分の好みに合わせて「問題」を感じさせる作品を解釈している。

著者は常に何事かの「先端」にいて
見えない気配を感じては訴えているのだけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな実験

2009-04-21 00:46:01 | Weblog
くもり。やや風強く深夜になって雨。

久方ぶりに別の仕事場へ行く。
交通の便が悪く地下鉄とバスを乗り継ぐ。

帰りのバスは最終便で
スーツ姿の若者ふたりと貸切状態。

ただし時間を見計らったせいか
いつもより早く帰宅。

しばらく酒を控えてみようかと思う。
酒が原因で「失敗」をしたわけではない。

長い間飲み続けてきたので
酒なしでどういう生活になるか実験してみようかということ。

とりあえずどんな変化が起きるか見ものではあるけれど
続くかどうか、という問題もある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あふれてとまらないもの

2009-04-19 03:34:52 | Weblog
晴れ。薄雲が広がる空。

山田宏一「わがトリュフォー シネ・ブラボー3」を再読。

1984年に亡くなった映画監督へのオマージュ。
気が付くとまだ観てない作品がある。

「突然炎の如く」をどこかの映画館で観てからがお付き合いの始まり。
「終電車」「隣りの女」「日曜日が待ち遠しい」の後期作品に親しみつつ。

来日したトリュフォーの通訳をすることになり
より堪能な仏語を話す記者を無視して彼が著者に気遣いを見せたことが「運命」。

「未知との遭遇」での博士役でその人となりを知るのがわかりやすいのか。
「フランス映画の墓堀り人」と呼ばれた批評家から監督になった過去もあり。

何かを誰かを徹底的に愛せるということは才能。
気持ちの後を追うしかない言葉は、いくら溢れてもつきない泉。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする