退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「楽しい映画めぐりと好ましくない『王様』を可能にする『取り巻き』あるいは『ダメオヤジぶり』の比較」について

2018-07-31 02:10:38 | Weblog
晴れ。30度は超えているはずだが涼しく感じる。

「世界シネマ大事典」読了。

インドやアフリカの映画についてはほとんど知らず。
それでも楽しい時間をありがとうといった趣き。

本書に採り上げられていない監督や作品も少なくないけれど
そこはそれ映画の数が多すぎるからどうにも。

あれこれ思い出せてよかったと思うのみ。
懐かしいと思えるのは映画の世界であることが多いので。

敢えて文句をつけるとすれば。

アキ・カウリスマキに全く触れていないのは不思議。
とりあえずそこだけ指摘しておく。

さて。

日大にしても日本ボクシング連盟にしても
わかりやすい「悪役顔」のオヤジがのさばっていて。

まだまだ「組織」の中にはこの種のことがある模様。
なぜ彼らが「王様」でいられるかを考えたいもの。

「取り巻き」がいてこその「王様」であることを忘れずに。
彼ら彼女らにもどんどん「退場」していただきたいのみ。

大切なのは。

「まともな批評もしくは批判」がないとどこでもこうなること。
「『王様』という他人にすがって生きたい者たち」は案外少なくないもの。

それが「国家という『王様』」を対象にすることがあるのも忘れずに。
いずれ「自らの無能力さ」を埋めるべく行われて。

「他人をダシにする」ならそれなりの「芸」がないと。
もっとも「自分を生きる」のが基本であることに変わりはなく。

「自らの『貧しさ』」を「仕方ない」とするとこんなザマに。
「地道な努力」で「土台の確実さ」を手に入れたいものではあるのだが。

この種の「ダメオヤジ」に比べたら
昼間から飲んでいるオッサンの方がよほどマシだったり。

彼らは「他人と関係なく」生きている。
そして自らの欲望を満たすだけの「現状」は維持している。
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「一生退屈しないネタ=映画もしくは知識量に関係ない『知恵』」について

2018-07-30 01:39:38 | Weblog
晴れときどき雨。粒が大きい。

フィリップ・ケンプ責任編集「世界シネマ大事典」を途中まで読む。

リュミエール兄弟「工場の出口」(1895)から「2001年宇宙の旅」(’68)まで。
昔観た懐かしい作品の数々のスチールが載っているのがありがたい。

どうにか「映画史」をたどれるほどは観ている模様。
もちろん同時に観ていない数々の作品があり。

いちおう明日読み終わる予定。
楽しい時間は早く過ぎることをあらためて。

米英仏独伊ソ連スウェーデンあるいはインド中国韓国そしてわが国など。
イランやフィンランド、ポーランド、ポルトガル、トルコ、チェコなどもそのうちに。

「そうそうそんな映画もあったよね」というのが楽しい。
正直紹介以外の「評価」はどっちでもよく。

この種の「ネタ」がある限り少なくとも一生「退屈すること」はないはず。
そこが案外肝心だったり。

マル激を観る。

今回は「新聞社崩壊」の話など。
朝日の営業畑にいた畑尾一知がゲスト。

それが新聞であろうとなかろうと
少なくとも「ある程度信頼できる情報源による情報の共有」がなければ。

再販制度もしくは記者クラブ制度によって守られている「現在」はダメ。
組織として大きくなり過ぎたのも問題だとして。

そもそも彼の著書が新聞の書評に出ないのがどうにも。
これも「忖度」ならわが国はどこも忖度だらけ。

結局のところ「生活の豊かさ」が「貨幣量」で量られるのみなので
いたずらに「高給な職場」を目指すことになる愚が続き。

その基本は「貧しさゆえの発想」だったり。
「生活の最低限」が確保できさえすれば何を選んでもいいのに。

つまり。

わが国ではいつまでたっても「豊かさの指標」が「貨幣=数字」でしかない。
それに先んじた「価値観」がないのは何故なのだろう。

「発展途上国根性」とでも言ったらいいのか。
さらには現実にたくさんある「貧困」にもまともに対応できない始末。

「まともな人」とは誰なのか。
知識量と関係ない「知恵」がもっと発揮されなければならないだろう。
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「いい加減=スタイルであること」について

2018-07-29 01:59:27 | Weblog
晴れのちくもり。持って出た傘は無駄になる。

予想通りマスターから「休みます」のメールが来たのを仕事帰りに確認。

「後藤明生コレクション3 中期」読了。

「強烈な朝鮮の記憶」から「歴史との戯れ」へ。
「針目城」「麻氏良城」から「吉野太夫」まで。

「語る=騙ること」をあらためて。
話が常にズレていきながら「形」に収まるあたりの「技術」よ。

このシリーズも残り一冊。
明日借りてくるつもり。

台風の影響は今のところそれほどの影響はなく。
母親が雨戸を閉めて回ったものの。

強風のうなりのみ。
夜中にちょいと雨戸の一部を開ける。

「閉所恐怖症」ではないのだけれど「風通し」がない場所はイヤ。
季節を問わずいつでも。

煙草の臭いが充満するのを防ぐ意味もあり。
まあこの種の「名古屋飛ばし」はありがたい。

それとは別に。

母親のちょっとした不機嫌の理由は
このところの稼ぎの少なさにあったことがわかる。

わからんなあその感覚。
借金もないしいいじゃないかと思うのみ。

彼女の中では「万全の老後対策=十分な貯金」という「基準」があるようで
その「レール」からちょいとはずれたのが問題だった模様。

「恵まれていた昭和の感覚」なので仕方がないとは思いつつ。
自分としては「恵まれすぎているほど」だと思っているのに。

「早起き」しなくていい上に「借金」もなくそこそこの「貯金」もある。
何が悪いのか不明。

「ダブルワーク」を勧めてきたりするのが面倒くさい。
いつものように適当にやり過ごすつもり。

おそらくTVの影響が強いような。
かのメディアではいつまでたっても「現実」がわからないもの。

何とも「困った母親」ではある。
しかしその母親に生活を支えられている自分も同様か。

とはいえ「昭和のオヤジ」とは違って家事は何とかできるのでよろしく。
「年収200万くらい」でひとり暮らしをしていた過去の実績も。

何よりアル中かつニコ中で健康。
それだけでもありがたい限りで。

「本気」を出すとややこしいので「グレーゾーン」のまま。
「ズルい男」なのやもしれず。

「カタギ」の皆さんには申し訳ない限り。
何かお役に立てることがあったら幸い。

さて。

もうちょいとゴソゴソして寝る。
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「興味深い作家の作品群と台風」について

2018-07-28 02:02:57 | Weblog
『晴れ。今日もやや涼しい。

「後藤明生コレクション3 中期」を読み始める。

「心霊現象」を採り上げているのにふむふむ。
いかにも70年代な雰囲気ではある。

それにしても著者の朝鮮時代の記憶の強さときたら。
「失われた故郷」とはかくも人にそのような影響を与えるものか。

いずれも「現在の現実」に対して「根無し草」であるのがポイント。
ついつい「異界を見てしまう」のだと理解しておく。

そういう自分も「活字中毒」であることを思えば「大差ない」のかも。
残念ながら「身の回りの現実」は楽しくはなく。

胃潰瘍でもないのに何度も吐血するのは医学的にどう説明できるのだろう。
関係各位に聞いてみたいところではある。

ところで。

従来にない台風が近づいて来ている模様。
確かにその動きは今まで見たことがないもので周囲の海水温の高さも同様。

明日の老舗バー行きをしばし考える。
ちょうど台風の影響がピークを迎える時間帯なので微妙。

詳細は明日の現実を見てからにするつもり。
もっともマスターから「休みます」のメールが来るやもしれず。』でまたまた寝る。
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「相変わらずの『扇動者』と母親の理不尽」について

2018-07-27 02:10:32 | Weblog
晴れ。35度が「涼しい」と感じる身体の慣れ。

蓮實重彦「伯爵夫人」を読む。

「ばふりばふり」あるいは「ぷへー」という擬音よ。
「久生十蘭+横溝正史+山田風太郎+大昔の映画」といった趣き。

「魔羅」「金玉」「まんこ」「おみお玉」
「おちんちん」「玉々」「ちんぼ」などなどの性器に関する言葉の数々。

いずれ性を描くならこれくらいのことはおやりなさいということか。

「伯爵夫人と高級娼婦」あるいは「医学用語と俗語」。
「階級の差」は身分ばかりでなくその語彙にまでも及ぶ(団鬼六風味)。

男たちは「陰茎」のことを「M」と呼んだりしているが
これは「マゾのM」だとも思ってよさそうな。

主人公もその友人も女たちに翻弄されるのみ。
「射精後のブツの情けなさ」を思えばいかにも。

「角度」に関しては「タイジ・トノヤマの法則」を思い出す。
もっともあれはペニスのそれではなくワギナのそれだったか。

性に戦争を絡めつつその結果は大島渚とも増村保造とも異なり。
むしろ「死なないマタ・ハリ」を思い出させる。

どこかクリント・イーストウッド作品を思わせるところも。
主人公の立ち位置に似たところがあるかも。

「具体的な反応」を期待するのが常な著者に「搾り取られた」感じ。
「扇動者」は今も健在らしい。

こうなったら岸恵子の「わりなき恋」も読むべきか。
やがて知るはずの「老年の予習」ということで。

それとは別に。

母親は食べ物について「質より量」の人。
「オッサン」の息子にやたら米を食べさせたがるのが困りもの。

今朝「また増えてる」と指摘したらいささかご立腹のご様子。
どこまで「自分の思い通り」にしたいのか。

息子としては「母親の理不尽」に相当付き合っているつもりなのだけれど。
「腹八分目」を基本とする者に対する理解が全くなく。

今さら母親が変わることはありえないから仕方がない。
適当な「グレーゾーン」を生きるしかないか。

もうちょっと食べたいところで終わることで次回への期待が増すこと。
彼女には永遠にその「楽しさ」がわからないのだろう。

足りないと思わせたくないこと。
どうやらそれが彼女の「至上命題」らしい。
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「『正しさ』より事実をということ」について

2018-07-26 02:06:18 | Weblog
『晴れ。蒸し暑い。

ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡 日本 完全版」を読む。

ずいぶんわが国に「都合がいい」内容。
なるほどこういう作品を好む層にはピッタリ。

「国際情勢の基本」は「ほぼヤクザ」だとするなら
「負ける戦」をする方が「悪い」ことを忘れずに。

負けた後で何を言おうが結局は「遠吠え」にすぎない。
「お前もひどいことをしたじゃないか」と言ったところで「負け」たのだから。

どの国がする戦争であれそこに「大義」などなく。
それが装われる事実には変わりがないとして。

もちろん欧米が「正しい」のではない。
かといってわが国が「正しいもしくは正しかった」わけでもない。

既成のヤクザの真似がうますぎた新興勢力の結末だと思えばいいか。
「親分の思い」を図りかねた部分もあり。

いずれも「敵」を「根っからの攻撃性の持ち主」あるいは「鬼畜」と呼んでいる。
このようにして「敵対心」を盛り上げるやり口よ。

常に「煽る」のは「メディア」。
戦時中も現在も変わらない姿で。

「志の低い争い」は何ももたらさず。
「何が本当か」を問い続ける姿勢を維持したいもの。

少なくとも「束の間のカタルシス」を得るために本書を利用するのはどうにも。
むしろなぜ「自分が正しい」と言いたいのかを考えるべきだろう。

いつものように「真実」は味気ない。
それは「自分が正しくないから」。

いずれにせよ現実は複雑。
「正しさ」よりいかに「事実」に近づけるかを基本だとしよう。

そしてその種の「視野狭窄」に追い込まれるのはなぜかを思うべきか。
「正しさ」に囚われるのはたいていの場合「別な原因」があるもの。』でまた寝る。
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「ついつい深夜に」ということについて

2018-07-25 04:19:40 | Weblog
久方ぶりのyoutube巡り。

門脇麦が大貫妙子を継いでいることを知る。

うまいのではなく訴えかける声。
今後の成熟が偲ばれる。

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の主題歌なよう。
そうか音楽は山下達郎か。

なるほど「シュガーベイブつながり」だと思えば納得。
今回は門脇麦の「勝ち」。

それだけが言いたくて。
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「恐竜の時代と現代の恐竜あるいは『役者の格の違い』」について

2018-07-25 02:20:01 | Weblog
晴れ。雨が降る気配もなく。

土屋健「白亜紀の生物 上巻」を読む。

アンモナイトの「巻き方」が
コンピューターシミュレーションで明らかになるのにふむふむ。

どうやら数学が役立った模様。
かの学問は「法則」を見つけるのには適している。

われわれの想像を超える時間の中で「変化=適応」する生きものたちよ。
恐竜がやがて鳥になるのも忘れずに。

今回はさほど興奮はないままに終わる。
下巻に期待したいところ。

敢えてこの時代だけ「上下巻」だもの。
読者としては「もっと刺激を」と思うのみ。

NHKスペシャル「消えた弁護士たち 中国“法治”社会の現実」を観る。

「法治=rule of law」を謳いつつ「共産党独裁」がもたらす「現実」よ。
それを「揺さぶるもの」に関しては徹底的な「弾圧」がある。

いくら「エリートたち」が「自由主義国」のそれよりマシだとはいえ
この「現状」は何とも微妙なところ。

印象に残るのは「市民」を動員しての「非難」。
ここまでして「体制」を維持することが「中国の現実」。

そうしなければ「国としての統一」は取れなくなり国内は大混乱に陥るということ。
その「理屈」はわからないでもないがイヤだなあ。

ひとつ不思議だったのは「車の中にいた外国メディア」が酷い目に遭っていた一方で
NHKのカメラは塞がれつつも回り続けていたこと。

そしてその「外国メディア」がどこの国かわからなかったこと。
それが「偶然」なら幸い。

いったんは警察に連行された弁護士の妻が自宅から唐突に登場したり。
「自由を求める人々」を「必要以上」には痛めつけていないという「アピール」のような。

そもそも「反体制派」の取材はどこまで可能なのか。
おそらくそのあたりに「中国の懐の深さ」がありそうで。

「ここまで影響力が大きくなったわが国を不安定化させてもいいのか」。
わが国を含む相手国はそうした問いを投げかけられている。

この種の「駆け引き」についておそらくわが国は「赤子同然」のはず。
なるほど「権力を持つ者たち」を侮ってはいけないと思うことしきり。

いわゆる「酷さ」を訴えるだけのノンフィクションではわからない世界があり。
「賢いことの厭らしさ」を垣間見たような気分。

「泣いて馬謖を斬る」ことなどいくらでもできるのだから。
この「スケールの違い」を覚えておきたいもの。

残念ながら「役者の格」が違いすぎる模様。
いたずらに「反中」を訴える前に考えておきたいものではある。
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「自動車という『当然』を疑うことあるいは「本物の資源=人を育てることの重要さ」について

2018-07-24 02:27:11 | Weblog
晴れ。案外夜は涼しく感じる。

ケイティ・アルヴォード「クルマよ、お世話になりました」を読む。

原題は「Divorce your car!=あなたの車と離婚しなさい」。
なるほど「車とのお付き合いが当然」ならそれは「結婚」に近いか。

副題に「Ending the love affair with the automobile」。
こちらは「自動車との恋愛沙汰を終わらせること」。

なぜその「結婚」が「当然」になったのかが描かれる内容。
当初はむしろ馬が好まれたにも関わらず。

「金持ちの見せびらかし」が「一般人の夢」になったままで。
宇沢弘文「自動車の社会的費用」からすでに四十四年が過ぎ。

エネルギーの無駄と同時にコミュニティ破壊の一面もあり。
「郊外化」を促進した事実も同様に。

経済的な理由で「若者のクルマ離れ」が起きたのをむしろ「追い風」にしたいもの。
わずかな距離でもクルマを使うのは健康面にも問題が。

もちろん仕事であれ住んでいる場所の環境であれ「身体の事情」であれ
「クルマを手放せない人々」についてどうこう言うつもりはなく。

あくまで「無用の用」で車を使っている人々への意見もしくは異見。

仕事場は「典型的な車社会」で歩行者を隅に寄せる道路が幅を利かせ。
「公共交通機関と徒歩あるいは自転車」しか使わない身としては不愉快なのみ。

メディアの自動車広告は相変わらず「家族やステータスの夢」ばかり。
「いつまで騙されるのか」と思うことしきり(ここでも『昭和幻想』が)。

「幸せな家族」も「十分な地位」もすでに「限られた少数のもの」でしかないのに。
その種の「既定路線」に対する疑いはもっと「普通」にあってもいいものだろう。

大して移動しなくても「十分な生活が営める環境」を大切に。
もっともその移動が「クルマ」でなければ問題ない。

さて。

わが国はケニアのワンガリ・マータイに言われるまでもなく「もったいないの国」のはず。
「省エネ」で「オイル・ショック」を乗り切った過去もある。

ゼロ戦がネジの一本一本まで軽量化して搭乗者の安全を無視したのはやりすぎだったものの。
そういうことに「向いている」のは確かなのではないか。

「エネルギーミックス」という官僚の「原発ありき」の言葉の「インチキ」も忘れずに。
「資源がない」のならばそれなりに暮らせばいいだけのこと。

繰り返すが何よりの資源は「人」。
にもかかわらず教育の現状は「悲惨」と言うよりなく。

アレクサンドロス三世の家庭教師はアリストテレス。
安倍首相の家庭教師は平沢勝栄。

思わず吹き出すしかないこの「貧しさ」が各地を覆っている。
「成金まがいの貨幣信仰」はそろそろやめて「本物の資源開発」に勤しみたいもの。
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「魔女と男子の妄想あるいは『よりマシであること』もしくは『死んだ人を大切にすること』」について

2018-07-23 02:31:05 | Weblog
晴れ。39.5度とか。

海野弘「魔女の世界史 女神信仰からアニメまで」を読む。

著者の「視野の広さ」には感服するのみ。
というより「男子の女子に対する妄想の大きさ」という方が適切か。

「あるがままに受け止められないこと」は哀しい一方で
ここまで多彩な姿を描くことになるのであればそれもまたよしといった趣き。

もっとも「現実を生きている女子」からすれば「迷惑千万」だったりもして。
この「理解の無さ」が延々と続いていることを思うとため息が出る。

なぜかくも男子は女子を「理解」できないのか。
「違う生きものだから」という味気ない「答え」はあるのだとして。

マル激を観る。

宮台真司は相当にゲストの石破茂を推している模様。
官邸前のデモに「テロと同じ」といった発言をした理由を聞いてもらいたかったところ。

それが「事実」でないなら結構。
とりあえず「論理を重んじる」という一点では安倍より幾層倍もマシ。

「覚悟」もあるようなので悪い印象はない一方
この人物に「周囲が付いて行けるのかどうか」が相当に問題のような。

少なくとも現在の政治家の大半は「損得野郎」なはず。
そこをコントロールできるほどの「器」はないような。

「話せばわかる」ように思えるのは「限られたメンバーの中でのこと」だろう。
とはいえ繰り返すが安倍よりはずっといい。

オバマ同様に「国民の支持」が重要なのだとすれば
われわれは彼のことをもっと応援すべきなのかもしれず。

NNNドキュメント’18「彼女の見ていた風景 山下弘子の生き方」を観る。

われわれはなぜか「寿命」というものを無前提に信じていて
それ以前に若くして亡くなる人々の姿にあれこれ思う。

「生物の世界」ではありえないことがわれわれの世界では「日常」。
少なくとも「人間以外の生物の世界」には「理不尽」などないから。

ただ生まれて死ぬ。
ただし人間の場合にはそうもいかず。

なぜかくも「物語」が氾濫するのかといえば元々は「無意味」だから。
「無意味さ」に耐えられないわれわれはさまざまな「物語」を作ることになり。

ならばせめて「素敵な物語」をと思いつつそれがなかなか厄介で。
ひとつ思うのは「死んでしまった人々」をもっと大切にということ。

残念ながら現在生きている人々は「面白くない」ことが多いから。
もちろんそれも「ごくわずかな歴史を知っている者の感想」に過ぎないけれど。

そしておそらく自らも「器の小さい者」でしかなく。
それでも「寿命を待つしかない」のはいいことなのかどうか。

とりあえず何事もなく生きている。
「天命」に身をまかせることにするしかできないのだとしておこう。
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