退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

溺れつつ覚める

2008-01-31 04:00:03 | Weblog
雨のちくもり。寒さ緩む。

さらにyoutubeでアーカイブ巡りをする。
自分だけで選曲するより誰かがいた方がいい。

がしかし。
youtubeのリストに従っているだけということも覚えておこう。

偶然のつもりが
ある種の「つながり」によって構成されている。

サイコロを転がしているのか
あるいは、転がされているのか。

「快楽」は常に他者とともに。
他人の幸福が好きだということにしておこう。
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あなたは嘘つきだね

2008-01-29 03:25:43 | Weblog
くもり。寒さはやや薄れる。

youtube巡りをしているうちに今更ながら気付いたこと。
忌野清志郎と根本要は似ている。

スターダスト・レビューの「木蘭の涙」の
圧倒的な歌唱力と「死にオチ」の世界。

誰かを泣かせたいなら必須アイテムか。

さんざん泣かせた後で
ふと我に戻る相手を抱きしめる。

メロドラマの完成、ここに極まれり。

付記。「木蘭」も「木蓮」も「もくれん」として両方通用する模様。
スターダストレビューは「木蘭」を使用しています。
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ひきこもりの悲喜交々

2008-01-28 00:55:32 | Weblog
晴れ。今日も風冷たく寒し。

朝から墓に行く。
風通しがいい場所なので立っているだけで冷え切る。

斎藤環・酒井順子「『性愛』格差論」を読む。
「負け犬」に「オタク情報」をかませた対談。

1章「『負け犬』 ―非婚は不幸なのか」
2章「『おたく』 ―萌える男たちの心理とは?」
3章「『ヤンキー』 ―語られざる一大文化」
4章「『腐女子』 ―異性と番(つが)うよりも同性で」
終章「『負け』を生き抜く ―九〇年代以降の流れの中で」という構成。

「『性愛』こそは、時に負け組に勝利をもたらし、しばしば勝ち組の足下を
すくう可能性を秘めた最後の価値領域の一つなのです」

上のような主張をする斎藤環が酒井順子にあれこれレクチャーしながら
「性愛の可能性」を感じさせたという結論。

個人的には「日本で力を持ちすぎているヤンキー文化」を
もう少しどうにかならないものかと思っているのだけれど。

負け犬は「結婚」から、おたくは「生身の女性」から
ヤンキーは「家」から、「腐女子」は「男」から撤退する。

いずれもある種の「ひきこもり」である、とまとめておくとわかりやすい。
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店と客をめぐるやりとりについて

2008-01-26 01:25:07 | Weblog
晴れ。風また強く寒し。

たとえば一般的に常連客は何を求めるのか。
「『常連』として扱われること」だろう。

「『常連』なんだから多少の無理難題も聞いてもらいたい」

もちろんそれは客の勝手な言い分だけれども
そうした客もいるおかげで「商売」は成立する。

そこへある種の「ルール」を持ち込んで常連の要請を断ると
途端に常連はそっぽを向いて来なくなる。

客は「常連」という役柄を演じたがり
店は「ルールの正しさ」を主張したとして。

その客を失うことが「営業」として問題ないなら構わないが
問題になる場合に店はどうすべきか。

普通に解決するなら常連の要請を「例外」として認めること。
強引に解決するなら常連の要請を「拒否」すること。

どちらの選択がより正しいということではない。
それぞれの状況において「店が何を求めるのか」によって答えは変わる。

言いかえれば「店がサービスとして何を提供するのか」による。

ところであなたはどんな「客」なのだろう。
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故郷にも東京にも居場所のない男

2008-01-25 01:08:37 | Weblog
晴れ。風冷たく強し。

斎藤武市「南国土佐を後にして」を観る。

「ダイスの眼」の異名を持つ若者が刑務所を出所し
カタギの暮らしを目指すものの様々な邪魔が入って、という話。

ダイスの腕に惚れ込んで彼の就職口に前科があることを知らせるヤクザ。
兄貴分会津に二本柳寛、ベレーの寛に西村晃。

とりわけ後者の軽妙な演技に注目しよう。
後に何代目かの「水戸黄門」役もやった人。

恋人浅丘ルリ子はほとんど何もせず彼の帰りを待つ女。
対照的に情熱的な求愛をするのは中原早苗。

親父の借金のカタに恋人を奪おうとする地元のチンピラに内田良平。
彼の手下たちもまた旭の就職を徹底的に邪魔する。

仕方なく東京へ戻った旭を助けるのが
特攻で死んだ旭の兄と結婚するはずだった料亭の女将南田洋子。

彼女に入れ込んでいる社長金子信雄は一度は旭を雇うものの
中原早苗の告げ口電話によって彼を解雇する。

彼女は敏感にも女将が旭に兄の面影を見ているのに嫉妬したのだ。
(兄は旭が二役で演じているのでそっくりなのは当然なのだが)

そんなこんなで旭は恋人の借金を返すために一度だけダイスを振る。
見事なダイスさばきとカッコよさを是非。

もちろんペギー葉山は何度も主題歌を歌い
刑務所の慰問で知り合った彼を励ます役で登場する。

助監督に神代辰巳の名がある1959年(昭和34年)の作品で
原作は「月光仮面」や「おふくろさん」の川内康範。
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まだまだ子どもか

2008-01-23 01:07:47 | Weblog
晴れ。寒さは緩む。

またまたパソコンのDVDドライバが開かなくなっていたが
またまたなぜか直った不思議。

橋本治「日本の行く道」を読む。

「自立」という言葉が一人歩きした結果
「さっさと大人になった子ども」が増えたという指摘がなかなか。

「産業革命以前」に戻るという「ムチャクチャな話」を敢えて出しておいて
「1960年代前半」に戻るという話に「リアリティ」を与える展開が見事。

最後の「機械は人を疎外し、豊かさもまた人を疎外する」というのも面白い。

著者は今年還暦になろうとしている。
自分の年齢を考えるとその「子どもっぽさ」にあ然とするしかない。
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理想の男たち

2008-01-18 01:40:58 | Weblog
雲ひとつない冬晴れ。風強し。

Gyaoで久方ぶりにジョン・スタージェス「荒野の七人」(’60)を観る。

ユル・ブリンナー、スティーヴ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、
ジェイムズ・コバーン、ロバート・ヴォーン、ブラッド・デクスター、
農民出のホルヘ・マルチネス・デ・ホヤスに悪玉イーライ・ウォラック。

オリジナルはもちろん黒澤明の「七人の侍」だけれど
今ではスター映画としてこれほど楽しい作品もあるまい。

今回観直して面白かったのはマックイーンの笑い話ふたつ。

「十階から飛び降りた男が各階の人々に言った」
「元気出せよ」

「裸でサボテンに飛び込んだ男はなぜそんなことをしたのか」
「面白いから」

農民のために6週間をわずか20ドルで雇われた七人のガンマン。
一度は臆病な農民に裏切られながらも「契約」を果たす男たち。

村の子どもたちに好かれるブロンソンと
冷静だが熱い心を持つナイフ投げの名人コバーン。

いったんみんなと別れた後で帰ってくるブラッド・デクスターと
戦争捕虜になるのを逃れ悪夢にうなされながら村に残るロバート・ヴォーン。

何度観てもワクワクして話たくなる魅力があるので是非。
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専業主婦・菩薩・恋人

2008-01-14 00:28:08 | Weblog
晴れ。風強く寒し。

正高信男「ケータイを持ったサル」を今頃読む。

「子ども中心主義」で育った子どもは「マザコン」になり
「大人」「親」になることを拒否して少子化も起きているという見立て。

「他人」をモノとしか見ないのも仲間内への「ひきこもり」であり
文字通りのひきこもりと変わりないのだという指摘が面白い。

「専業主婦」を生んだ「近代的家族」の「歴史の新しさ」を説いて
「見直し」を唱えているのもなかなか。

増村保造「好色一代男」を観る。

「菩薩」とあがめて女を喜ばせるためなら何でもするという世之介。
その姿勢こそが「菩薩」に似ているのだけれど。

ただし彼と一緒に逃げた女ふたりはともに死んでしまう。
最後に「どこにもない=ユートピア」の女護ヶ島を目指すのだが。

死んだ女ふたりは「笑っている」のに注目。
つまらない現世から「お先に失礼」という感じなのか。

ヘンリー・ハサウェイ「闇の曲がり角」を観る。

かつて同僚にハメられ刑務所で2年を過ごした男が
愛する女の叱咤激励で人生のやり直しに成功する話。

同僚は懲りずに老画廊主に飽きた若い妻と不倫していて
ふたたび金を奪おうとしている。

それに気付いた老画廊主は自分の手を汚さず
いわく因縁のある主人公に罪を着せようと工作する。

「タフなふりしないで。もっと弱味を見せて」という恋人は
「奥様は魔女」のルシル・ボール。

同僚の死体があった事務所をきれいに片付けてみせる彼女は
愚痴に逃げようとする男にはもったいない存在かも。
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ギリギリ あるいはきりきり舞い

2008-01-12 04:05:24 | Weblog
曇りのち雨。

久方ぶりにバーボンを飲む。
酔い方の違いを再確認する。

何もルールなどないことを本気で思うと
逆にルールを欲しがる愚かさよ。

がしかし。
好きなものをとっかかりに辛うじて生きる。

「自由刑」だなんて
ある程度わかってる人には当然のこと。

いい加減さを生かす道があればいい。

ただしそれは、必死に裏打ちされたいい加減さじゃなくてはならない。
ややこしいのは、きっと言い訳したいだけなのだろう。
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欲求不満

2008-01-10 01:00:19 | Weblog
晴れ。おだやか。

DVDは届いていたもののなんとなくだらだら過ごす。
年末以来図書館に行ってないのでやや欲求不満。

伏見憲明「性という[饗宴] 対話篇」はあるのだが
本がデカすぎて持ち歩けないのが難。

おまけに表紙がショッキング・ピンク。
ただしインタビュアーとして相手の色を引き出す術はなかなか面白い。

仕方なく仲正昌樹「ネット時代の反論術」を読み直す。
技術が「脊髄反射」を可能にし、考えや文章の推敲もいい加減になったのは事実。

とりあえず「批判の『鑑』」は提出されているので
心ある向きは参考にすべきか。

将来さらに「日本語のできない人々」が多数派になることは間違いない。
うんざりしつつも自分なりに精進するしかないか。
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