退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「冷静さとタフさ」について

2012-10-31 03:04:04 | Weblog
晴れ。少し曇ることも。

ジェームズ・L・マッガウ「記憶と情動の脳科学」を読む。

「冷静な記述」はいかにも科学者の「本領」を思わせる。
ただしいささか煩雑な内容だと感じられなくもない。

もっともいたずらに「白黒」をつけたがるのは素人の悪い癖で
そのあたりを自覚させる役割は十二分に果たしているとは言える。

できればもう少し「センス・オブ・ワンダー」を感じさせてもらいたかった。
「間違いのないこと」はむしろ魅力を失わせるものだということも知っておいていい。

さまざまな物質を使った実験とその評価としては「正しい」のだろう。
誰もが「科学者の立場」にいるわけでもないことをお忘れなくと付け加えておく。

そうした「微妙な関係」を理解した上で
上手に「誘い水」をかけてもらえればありがたい。

深夜TVで「しあわせの処方箋」を観る。

腎臓移植が必要な幼い双子には兄以外の「もうひとり」がなかなか見つからない。
ところが主人公の娘が彼女らを撮った映像をネットで流した途端に病院に人が集まってくる。

検査の途中で娘は適合者が見つかったと双子の母親に伝えるものの
実は彼女に乳がんの過去があり結局移植は不可能だとわかる。

主人公は娘の早まった行動を思い切り叱るのだが
集まった人々の中から適合者が見つかってやれやれ。

がしかし。

双子以上に移植を待つ子どもの親が「不公平」だと抗議し
「評判」を気にする病院のトップは集まった人々を帰すよう主人公に命じる。

そこで主人公は写真付きの書類に「解説」を加えながら
集まった人々に他の患者への移植も認めてくれと説得することで「不公平」をなくそうとする。

その一方で双子に適合した男は「不安」を感じ
いったんは承諾した移植を主人公の「懇願」にもかかわらず拒否することに。

がしかし、再び。

普段は主人公と「敵対関係」にある看護師の「誘導」によって
男は最終的に移植に同意し無事手術は終わるという結果になる。

ふぅ。

それにしても何という「対立の多さと複雑さ」よ。
駄文で十分に説明できたかどうかは不明だが「複雑な現実」とはおそらくこういうもので。

わが国のドラマにないものはこれ。
どうやら「タフ」になるにはこうした「環境」が身近なものでなければならない模様。
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「観察すること」について

2012-10-30 02:45:28 | Weblog
晴れ。過ごしやすい。

昨日は飲み会のちカラオケ。
誰もマイナーコードを使った曲を歌わないのが印象に残る。

チューリップ「ぼくがつくった愛のうた」一曲のみで終了。
あとは若いみなさんでどうぞという感じ。

いつものように空きっ腹に焼酎の連打。
アルコールパワーで地下鉄5区分を家まで歩いて帰る。

なぜかタクシーに乗るのが癪だった次第。
少しだけ筋肉痛が。

さすがに酒が残ったものの仕事は無事にこなす。
何やら力が余っている模様。

牛窪恵「『エコ恋愛(ラブ)婚』の時代 リスクを避ける男と女」を読む。

なるほど現代の若者たちはそうなっておるのかという内容。
それも「歴史のなせる業」だということは覚えておいていいだろう。

とはいえ「リスク」を避けるだけでは「ハイリターン」が望めないのは
経済からもわかること。

もちろんそれぞれが好きにしたらいい話ではあるのでご自由に。
詳細はおまかせします。

ところで。

若い同僚が上司の失敗話に小声で「知らんがな」と言うのに笑う。
この関西弁は妙に「使いで」がありそう。

ちなみに名古屋弁だと「知らんがや」となり
これはいかにも「無責任」な印象を与える。

「がな」に含まれる微妙なニュアンスを大切に。
もっとも「知らんぞなもし」と言われたら「坊ちゃん」でなくとも腹立たしくなったりするかも。

そうした「言葉の豊かさ」を若者に知っておいてもらいたいと思うのは
あまりに貧しい語彙と表現がいささか気になるためだと言っておく。
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「正直」と「夢」の関わりについて

2012-10-28 02:54:15 | Weblog
晴れ。おだやか。

「小林秀雄全文芸時評集 下」を読む。

正直であること。
そこに尽きるような気がする内容。

あくまで様々な「前提」に支えられてのこと。
とはいえそれが「真実」ならば仕方のないことでもある。

深夜TVで「奥様は魔女」を観る。

7年前のニコール・キッドマンの可愛らしさは素敵。
なるほどこういう役もできるのかと今さらながら思う次第。

脇を支えるのがマイケル・ケインとシャーリー・マクレーン。
かつての「プレイボーイ」と「ファニーガール」の貫録よ。

1m80cmある彼女に対して1m90cm以上あるウィル・フェレルは必須だったか。
私生活ではトム・クルーズとの「格差」を隠さなければならなかったことだし。

実際のサイズを考えるとあれこれややこしい。
もちろんこちらは「二次元」のスクリーンでしか見ることはできず。

監督はノーラ・エフロン。
ある種の「だめんず好き女子の映画」と思えなくもない。

「洗練」やら「技巧」やらに飽きるとそういうことになるのか。
つまりは「最後に裏切られないこと」だったりするのだが。

「魔女」であることは「何でも思い通りになること」でもある。
その「万能」が自分次第ということになれば「思い通りにならないもの」に惹かれる必然が生じる。

とはいえ「現実」にはありえない「贅沢」。
その「絵空事」をいかに納得させるかが俳優あるいは脚本・演出の「力」だったり。

いずれ「わかってしまうこと」はむしろ虚しく
どうしようもない「現実」があるからこそ人が「夢」を見ることは覚えておいていい。
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「運動」について

2012-10-27 02:30:11 | Weblog
晴れ。心地よい日差し。

「小林秀雄全文芸時評集 上」を読む。

「文学」というものにまだ「価値」があり
「文芸時評」という形式に何の疑いもなかった頃の文章。

意外な作家を評価していることと同時に
「真摯であること」を強く求めている姿勢が印象的。

本書にはない「読書について」で述べているように
「全集を読むこと」がやはり重要なのかと思わせる内容。

小説そのものをあまり読まなくなって久しい身としては
どうせ読むなら古典かお気に入りの作家のみになってしまいそう。

さて。

次と次の日曜に珍しく連続して飲み会の予定が入る。
仕事関係だがそれぞれどうなるか楽しみ。

一方は初めてでもう一方はすでに何度も経験済み。
いきおい前者への「期待」が高まるものの果たしていかに。

「お付き合い」が少ないとそういうことになる。
繰り返すが本当は同年代もしくは近い年齢層との接触が好ましい。

一般的な男子は女子の「若さ」を好むようだけれど
そのあたりに関してもいささか趣味が違うのでよろしく。

もっともこちらがそれなりの年齢なので
とても「贅沢」を言えた身分ではないことは重々承知の上。

とりあえず「ご縁」があるのはありがたく
呼んでもらえることで十分幸せではある。

身体を使った運動はほとんどしないのだから
せめて精神を使った運動は怠らずにいたいとは思う。
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「ピュアであること」について

2012-10-26 02:31:39 | Weblog
晴れ。日差しが暖かい。

須藤斎「海底ごりごり 地球史発掘」を読む。

今は海底から7000mのところまで掘削できるのだという「事実」に驚く。
そこから手に入れたコア(筒状の土壌)を調べることでさまざまなことがわかる模様。

「微化石」を調べるのが仕事の著者の専門は「珪藻=ケイソウ」。
ガラスでできた殻=結晶シリカで包まれているせいで化石になるとのこと。

大きさは10μm(マイクロメートル=100万分の1m)から1mmまでぐらい。
報告された種数は2万ほどだが化石種を含めると50万種以上もあるらしい。

中でも半数は葉緑体を持っていて光合成するものの
もう半数は捕食もするという「渦鞭毛藻(うずべんもうそう)」が興味深い。

深海には硫化水素を栄養源として生きると言われているチューブワームもいることだし
いわゆる「生物多様性」を「実感」できる内容。

地上に暮らすわれわれは「凶悪犯罪者」や「モンスターパレント」に驚いたりするのが常だけれど
「生物の世界」からすれば何ほどのものでもないか。

本書の大枠は「閉ざされた環境で外国人と暮らす体験記」という形になっていて
「内気な主人公」が「日本人」に目覚めつつ「世界の楽しさを知る物語」としても読めるのがポイント。

素人にとっての「煩雑さ」を和らげる工夫が好ましい一方
そこそこの専門性を維持するだけの内容も含まれているバランスもグッド。

「示準化石」や「示相化石」、「アルゴン・カリウム法」や「カーボン14」による年代測定の話も出てきて
おそらく中学で習った地学分野の知識があれば(なくとも)十分に楽しめるはず。

「生物」と「科学」と「世界」に対する「センス・オブ・ワンダー」を感じさせる作品なので
興味のある向きは是非。

「好奇心は猫を殺す」というのはいささか物騒な英国のことわざだけれど
ここには「透明感のある素朴な喜び」があるのだと言っておく。
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「固有名詞における信用と小さな献金」について

2012-10-25 03:05:21 | Weblog
晴れ。少し冷える。

「リアルタイムメディアが動かす社会」を読む。

副題に「市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平」とあるが
まさにタイトル通りの内容。

八木啓代・常岡浩介・上杉隆・岩上安身・すがやみつる
渋井哲也・郷原信郎・津田大介というメンバー構成はなかなか。

中でも南米の政治における「トリッキーなメディア利用の面白さ」を
「キューバ革命」にまで遡って紹介してくれた八木啓代が個人的には新鮮だった。

「南米で起きたこと」がやがて世界でも起きるという視点にはなるほど。
アメリカによる圧倒的な情報戦の恐ろしさも同様に。

あらためて「検察と原発」の在り方が「同じ」だという郷原信郎にも納得。
「絶対神話」を守るための「犠牲」はあまりにも大きいと言わざるをえず。

本書に書かれたことあたりを「常識」にできれば幸い。
「メディア・リテラシー」の「基本」だと思いたいもの。

個人的にはツイッターを使ってはいないけれど
その「メリットとデメリット」については一応理解しているつもり。

フェイスブックについても同様。
要は「つながりたい人たち」とつながっていればいいわけで。

「巨大災害時にすべてがつながるシステムを」という津田大介にも同意。
望ましい「インフラ整備」はしておいた方がいいことは間違いなく。

岩上安身の「兼業ジャーナリスト」というのも面白い。
要は「スポンサーの影響」を受けない形での情報発信という意味で。

そろそろ「否定から創造へ」。
確実に育っている「芽」を「小口献金」で支えていく程度の「参加」は必要だろう。
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「懐かしい好ましさ」について

2012-10-24 03:25:03 | Weblog
雨のち晴れ。気温が下がる。

西部邁「教育 不可能なれども」を読む。

その意見に賛成か反対かは別にして
著者が「何ほどかの印象」を与える人物であることは確かだろう。

語源の意味を明確にするために敢えて外国語を多用するクセは
人によっては煩いものだと思うこともあるかもしれない。

当時の中曽根首相からもらった金で皮ジャンを買ったのを酒場で吹聴し
そのせいであらぬ噂を立てられるといった行動はいかにもな「昔気質」。

今どきこの手の「キャラクター」が理解されにくいことは
たとえば故立川談志と意気投合するあたりにも十分に見受けられる。

いささか「酔いの繰り言」めいた部分もあれば
相変わらず抽象的な思考が得意だと感じさせる部分もあり。

とりあえずオルテガとエドモンド・バークなど読んだ上で
「意見の交換」などが出来れば楽しいはず。

「政治犯」になったこともあり覚醒剤を試したこともあり
「パチンコ」「チンチロリン」に熱中した「過去」もなかなか。

「身銭」を切ったからこその「振れ幅」は
むしろ若者のいい参考となるもので。

以前は近所によくいた「ヘンなおじさん」。

その「フーテンぶり」と「恥じらい」と「謙虚さ」とともに
「好ましい実存」だとするのは如何。
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「理論と実践の科学」について

2012-10-23 03:12:28 | Weblog
晴れ。ただし帰りに雨がパラつく。

小倉千加子・中村うさぎ「幸福論」を読む。

今まで本書を読み落としていたのが悔やまれるほどの内容。
久方ぶりにワクワクしながら読み進めた次第。

鋭い切れ味で「言語化」する前者と
圧倒的な体力を元に「肉体化」する後者のセッションの妙。

「女子として生きること」のあれこれが3Dのように目前に迫るとでも言えばいいのか。
そのスリリングなやりとりにしばし呆然となった次第。

こういう友だちがいたらさぞや楽しかろうと思う。
一緒に「チャンバラ」して「痛快時代劇」でも演じてみたいところ。

映画にたとえるなら「下妻物語」あたりの爽快。
「男気」あふれる「ふたりの世界」を是非。

それにつけても女子の「ヒロイニズム」の業の深さよ。
のんびりまったりが基本の自分と比べるとまさにおそるべし。

その一方で「女性誌=マスコミ」の罪についてあらためて考えさせられもした。
何より「強迫観念生成装置」としての影響がいたずらに大きいこと。

もっともその一部(大部分か)を「男子優位社会」がもたらすのだとすれば
心ある者たちは肝に銘ずべし。

もちろん「女子優位社会」が自動的によいものではなく
互いに「通じるもの」が十分にあるお付き合いが望ましく。

それぞれの「生きにくさ」を出来るだけ解消する方向を目指すのは同じだとして
あとは個々に「実験」しつつ「検証」することになるのだろう。
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「めんどくささ」について3

2012-10-22 02:31:01 | Weblog
晴れ。過ごしやすい。

野暮用の後に出かける。
新しい靴を買いその後喫茶店でアイスコーヒーとケーキなど。

何やら祭りなどあったらしいが
どういうわけかこの祭りには昔からあまりご縁がない。

とりあえず人の多さでそのことだけを確認する。
若いアイドルたちの広場での公演に人が集まっていたり。

高田里惠子「女子・結婚・男選び」を読む。

著者は文学関係の人なので
明治以降の小説の中の主人公や作家たちについてのあれこれ。

編集者との「軽妙な会話」は読みやすい一方その分析は「重い」のか。
女子が「男選び」を間違えやすいのは結局「自分の基準」を優先させすぎるからかも。

そこに「男世界からの評価」も加わってややこしいことおびただしい。
もう少し気楽に生きられないものかと思うことしきり。

とはいえ一般に男子が「自分の優位」にあぐらをかいていることも間違いなく
そうした相手に囲まれた中で生きるのはめんどくさいことだろう。

そのめんどくささとどう付き合っていくのかはそれぞれの自由なので
互いに「許容範囲」でいられればいいのだけれど。

がしかし。

「言うは易く行うは難し」というのも事実。

ついつい「独り身」になるのも道理かと
自分に都合のいい会解釈などしておく。
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「限界」について

2012-10-20 03:43:03 | Weblog
秋晴れ。気持ちいい。

夕べはソウルバーへ。
久方ぶりの知り合いと談笑。

彼が娘の中学受験について
「女の子だからそんなにしなくても」というのに苦笑する。

結局食べ物を注文できずじまいで
帰宅後コンビニで買ったソバを食べあれこれするうちに爆睡。

江藤淳・蓮實重彦「オールドファッション 普通の会話」を再読。

レベルは相当違うけれど何やら江藤淳のようなことを言っている自分に気付かされる。
たとえば「貧しさ」についてとか。

それを自らの「階級の限界」だと「恥を知る」のが蓮實重彦の態度。
いずれも相当な「ブルジョワ」であるのは間違いなく。

ただしこの種の会話の「豊かさ」というものについては
あってもいいのではないかと言いたくなる「濃密さ」がある。

引き続き田中亜希子「満足できない女たち アラフォーは何を求めているか」を読む。

いやはや何とも元気な女性たちのエネルギーに驚く。
とはいえ「地域限定」の話ではないかという思いがよぎる。

おそらくは著者の取材範囲が「首都の比較的恵まれた女性」に絞られすぎているせいか。
「男性(夫)の理解のなさ」はよくわかるけれど。

どこを取っても「自らの限界」にぶち当たるという解釈をしておく。
もちろん自戒を込めての話。

だからこそ「他人の存在」が重要だということで。
「自分探し」がやめられないならむしろ「他人を知る」という形が望ましい。

さて。

他人の「決めつけ」によって揺らぐような「自分」は「自分らしさ」ではない。
そもそも「自分らしさ」は探すものでもないことをあらためて言っておくことにする。
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