退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「面白いが時間のかかるものと『洗脳』あるいは『テロリストを育てる土壌の現実と貧しさ』」について

2018-08-19 01:57:23 | Weblog
晴れ。吹く風が涼しい。

「西周伝」をどうにか読了。

それにしてもいつものぺースでこれでは一冊さえどうにも読み切れず。
繰り返し借りるしかないかと思うのみ。

面白いのに時間がかかるものよ。
「寿命」がある限りは続けることにするか。

久方ぶりの仕事。

ソツなくこなすつもりがさすがにボケる。
さっき思い出したはずの台詞がすぐに消える事実を味わう。

確実に「老人力」を増している模様。
赤瀬川原平=尾辻克彦を思い出す次第。

今宵は老舗バーもお休みで研修もなく早目の帰宅。
さして好きでもないうな丼を食べて二階に上がる。

「アンフォゲッタブル 完全記憶捜査」を観る。

今回はキャリーが実は「洗脳」されていたというのがミソ。
「影なき狙撃者」(’62)や「テレフォン」(’78)を思い出す内容。

この種の技術には「有無を言わさない強制力」があるらしいのでご注意を。
「アンカー=錘」となるひと言が生み出す怖さをあらためて。

さて。

何度でも知り合いの若者ネタを。

彼は「記憶すること」に関して相当にいい加減な人物で。
自分では「きちんと覚えたつもり」がそこに「ウソ情報」も混じるくらい。

一番ダメなのは「出来ない理由」ばかり述べること。
自分の「現在位置」を確認したら「上を目指すこと」しかないというのに。

「基礎知識に欠けることの自覚」さえあれば徐々にそれを増やせばいいだけのこと。
なぜか「一気に上に行ける手段がある」といった類いの「妄想」から離れられず。

具体的な努力はないまま。
これでは「まとも」になれるわけもなく。

この「不安を増幅させる仕組み」の罠から抜け出せるのかどうか。
いたずらに「犯罪係数」が高くなりそうな悪寒がして。

わが国にも「ホーム・グラウンド・テロリスト」が生まれる「環境」が十分に。
すでに特定の過去の犯罪にはそれが表れていて。

「自分の文脈のみですべてを判断すること」については
どこかで「斜めからのチェック」が入らないとどうにも。

やはり重要なのは「思い」ではなく「事実」。

その一方。

仕事場近辺はわが国の中では相当に「恵まれている場所」のはず。
にもかかわらず「文化資本」が圧倒的に少ないような。

何やら「成金の貧しさ」を体現していてコワい。
現在はよくてもその息子娘世代になると「地盤沈下」が起きるのはもはや「必然」。

かくも「貧しい土壌」にいかにして「養分」を与えるのか。
せめて「いいもの」に触れる機会をもっと増やさないと。

子どもに「いいもの」を伝えられない大人たちの責任は案外大きく。
敢えて「万死に値するもの」だと言っておく。
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’18 盆休み7

2018-08-18 02:15:13 | Weblog
晴れ。吹く風に秋の気配。

「鷗外歴史文學集第一巻」で「西周伝」を途中まで読む。

擬古文ゆえか内容は面白いものの進みが遅いこと夥しい。
ちょいと「歴史のリアル」にいる気分になる。

西周(にし・あまね)については「哲学用語を作った人」という認識のみ。
そうかこんな「波乱万丈」があったのかと思うことしきり。

明日読了予定で今後もこのシリーズを読むつもり。
それにしても「候文」というのはこういったものなのか。

かの人が「国際情勢」を相当に知っていて
徳川慶喜に「蝦夷地開拓」を進言する文章に「震える」。

さらに「その人選」について念押ししているのにふむふむ。
やはりここでも「人」なのだと思っていささか安心した次第。

「同じ石見人」として相当に「共感するもの」があった模様。
「節を曲げざるをえない環境」について特に。

ただそれはあくまで「現在の感想」に過ぎず。
今となっては本作の「リアルさ」を確かめるすべもなく。

「『漢籍』という教養に欠ける者」として
ひたすら文章を追いかけて行くしかないのかも。

深夜Gyaoで古澤健「オトシモノ」(’06)を観る。

「貫録」を身に付ける前の沢尻エリカと「復活」する前の若槻千夏がいい感じ。
そこに加わるのは小栗旬と杉本彩、板尾創路と浅田美代子ら。

「トンネル」の意味についてあれこれ。
それは実際の工事で亡くなった人々についても。

その一方で若者にとっては「不遇=トンネル」でもあり。
「ホラー仕立て」ではあるけれど「歴史や青春」を思わせる部分が強く。

「思いの残るもの」を拾ってしまった者はそれを「鎮める作業」をするしかないと。
なぜ彼ら彼女らが「選ばれた」のかは謎のままに。

思わぬ「拾い物」をしてうれしい限り。
かくして「一週間の盆休み」が終わる。

繰り返すが普段から「休日のような毎日」を送っているので
まとまった休日にあまり「刺激」はない。

「いつも通り」に過ごして終わるだけ。

そしてそれが終われば同じく「いつも通り」に仕事など。
淡々とこなすのみ。

それとは別に。

高校の同窓会への誘いの手紙を置きっぱなしに。
とりあえず返事は出すつもりではあるけれど。

期日が「自分の誕生日」であることに「意味」を見出すのかどうか。
たまには「流れ」に乗ってみるかと思いつつ微妙な感じ。

クラス単位ならまだしも学年単位だからなあ。
当時の記憶にこれといったものもないしその後のお付き合いもないままに。

どうするのか決めかねている次第。
母親はやたらに出席を勧めて。

このところ「飲み会」も少ないので行ってみることにするか。
なぜかこの種のことに優柔不断な自分を見つける。
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’18 盆休み6

2018-08-17 01:48:55 | Weblog
晴れのちくもり。午後にはシャワーも。

土屋健「古第三紀・新第三紀・第四紀の生物 下巻」を見て読む。

このシリーズもこれで終了。
ただ不思議なのは身近になるにつれて興味が薄まっていったこと。

「見たことのない生きもの」を見たい気持ちのなせる業か。
もちろんそれは一読者の勝手な「前提」に過ぎず。

いずれにせよ大いに楽しませてもらったのは確か。
「ヒト型の意味不明な生きもの」があふれる現在だからこそなお。

Gyaoで田坂具隆「五人の斥候兵」(’38)を偶然見つけて観る。

当時のベネツィアで賞を取りキネマ旬報では1位の作品。
前者は「日独伊防共協定(’38)」のおかげか。

「支那事変=日中戦争」は前年のことで。
「君が代」も「海ゆかば」も作品の中で歌われる一方。

小杉勇の部隊長はいかにも「部下思い」。
彼らの戦いぶりを克明に記録することも忘れず。

兵隊たちも互いを思いやる気持ちにあふれている描写。
とりわけ敵軍兵士は別として自軍の兵士が「誰も死なない」のにふむふむ。

負傷兵の扱いについても同様。
現地に残って戦いたい兵士とそれを諌める部隊長の姿も。

「タバコ」が「贅沢品」で「バットと誉」のどっちを吸うかでモメるシーンなど。
「明日死ぬかもしれないならバットだろう」と「高級品」を選ぶ描写よ。

現在の目からすると相当に「戦時色」は強いものの
その中で描かれた「平和」を感じるべきか。

葦のような植物の中を敵を警戒しながら進むシーンにドキドキ。
斥候兵たちが立てる水音にも注目。

長さが78分なのは「フィルム不足」のせいなのかどうか。
「観ておくべき作品」を観られたのはうれしい限り。

それとは別に。

TVでこれまた偶然福田雄一「銀魂」(’17)をやっているのを知り途中から観る。

原作はちょっとだけ読んだことがある。
気に入ったのは「定春とエリザベス」のみ。

「今さら新撰組かよ」と思ったものの本作は原作を超える出来。
「ギャグのセンス」は微妙だけれどこと「映画」でここまで行ければむしろ「上等」。

時代劇とSFが混ざった映像が案外しっかりしていて楽しい。
勘九郎が見得を切るところを途中で切ったりする演出もなかなか。

菜々緒の「カウガール」スタイルはいかにもで
ムロツヨシの抑えた感じと佐藤二朗&安田顕の「やりすぎ」がいい感じ。

六角精児は「相棒ネタ」に加えて「ガンダム設定」だったり。
「楽屋ネタ」をこんなにあからさまにやって「崩れない」演出力が素敵。

たまにこういう作品があるから「マンガ原作もの」も軽んじてはいけないと思った次第。
これなら明日公開の「銀魂2」も期待できるのかも。

たしかGyaoに同じ監督の作品があったので観ることにするか。
それにしてもこういう毎日ばかりだったらなあ。
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’18 盆休み5

2018-08-16 03:35:20 | Weblog
晴れのちくもり。夕方に少し激しく降る。

宇宙関係の本は読んだもののダメ。

どうも調子に乗れない文章と内容だと感じられるのは翻訳のせいか。
あるいはオリジナルのせいか。

昨日感想文を手伝った下の妹の娘が「発作」を起こして救急車を呼ぶことに。
下の妹が動揺するのはわかるけれど母親がそれ以上に。

仏壇の前でお祈りを始めたり。
こちらとしては病名も知っているのでそのうち回復するだろうと。

結局母親や上の妹も「現場」へ出かけることになり。
その後電話でどうやら落ち着いたことを知る。

どうにも「非科学的な母親もしくは娘」の中に
どうしてこんな「息子」がいるのかと思った次第。

ちなみに上の妹は「子宮内膜症及びその処置」が原因かどうかは不明なものの
ある時期以降に「性格が変わった」ようにも見受けられ。

当時そのことを母親はこちらには全く知らせず。
相当に激しい「発作」に似た症状があったことを後で聞かされたのみ。

結局母親は下の妹のところへ泊ることになった次第。
そのくせ「ゴミ出し」のために「早起きしてね」という連絡が来る。

どう考えても「異なる世界」を生きている感じが濃厚。
まあそれが誰しもの「普通」なのだと思えばいいのか。

というわけでもないのだけれど。

クリストファー・マッカリー「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」を観る。

本当は「オーシャンズ8」を観るつもりだったものの
上のような事情もあってそういうことに。

前半の展開がいささか鈍く後半になってようやく本調子になるような印象。
要はもっと作品を短くすればよくなるのにという趣き。

「誰が犯人なのか」については「わかりやすすぎ」てウンザリ。
ソロモン・レーンのキャラクターに何も「広がり」がないのも。

「見せる」のが肝心な作品なのでそのあたりが手薄になるのも仕方がないのか。
とはいえカーあるいはバイク・チェイスのシーンにあまり魅力はなく。

トム・クルーズは「老けた」のが気になり悪役も女優陣の魅力も微妙。
ヴィング・レイムスとサイモン・ベッグの「仲間たち」は悪くないものの。

アレック・ボールドウィンの扱いについては
わが国のドラマ「相棒」で岸部一徳をそうしたのと同様にいかがなものかと思うのみ。

さて。

作品以上に気になったのはエンドロールが始まる前に帰る客の多いこと。
「その場の刺激」がなくなったら「ハイ、さよなら」という感じ。

中国のアリババがプロデュースをしているのにふむふむ。
どうも「映画」というより「ビジネス」の臭いが濃厚。

深夜にドラマ「透明なゆりかご」を観る。

清原果耶が以前と比べて「不細工」になっているのがむしろいい感じ。
「さなぎの時期」だと思えばいいかも。

なにせまだ16だもの。
これからあれこれ積み重なった後の彼女を思おう。

原田美枝子や水川あさみに囲まれてその「養分」を存分に吸っていただきたい。
産科が「生まれる場所でもあり死ぬ場所でもあること」をあらためて。

不器用な主人公が「成長する」物語。
「素直に努力する姿」が貴重に思えるのは現実にそれがないから。

どうにかその種の「環境」が確保されればと思いつつ。
「失敗してもいいんだ」と思わせる大人でありたいもの。
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’18 盆休み4

2018-08-15 02:41:47 | Weblog
晴れ。やはり歩くと汗が出る。

映画でも観ようかと思ったものの左程魅力的に見える作品がない。
とりあえず明日以降にすることに。

藤山直樹「フロイト以後 集中講義・精神分析 下」を読む。

「精神分析の専門家」と「精神病医」が異なるものであることをあらためて。
「非科学的」にならざるをえない前者のさまざまな「歴史」を知る。

何やら「人と人が付き合うこと」の中で
「一見病人とは思えないような病人」と関係を作る領域など。

「子ども」をどのような存在として理解するのかも重要。
とりあえず「性倒錯」があることは確かだとしようか。

「概念」を持たない者には「欲求の欠乏」が「具体的な怪物」になったり。
そうした把握が「生得的」なのか「環境」ゆえなのかの違いもある模様。

そもそも「証明」など不可能な世界でのお話。
「理論家」と「実務家」の違いも興味深いところ。

例えば。

ある種のサイコパスは「非常に魅力的な存在」だったりするけれど
この世界もどこかそれに似て。

「個人の特異な能力」は決して「マニュアル」には出来ないもの。
それ以上に「こうした場所」に「踏み込む」かどうかがポイントのような。

土居健郎、小此木啓吾といった名前が懐かしく(いずれも故人)、
北山修や妙木浩之の名前も出てくる(知ってる人を挙げただけ)。

「世界の複雑さ」に対して圧倒的に無力であることの「対処法」である微妙さ。
もっともこの「いかがわしさ」こそわれわれの「基本」であることを忘れずに。

「心を病む」というのはもちろん「防御策」でもある一方
そのようになってしまう事実は「この世がジャングルであること」の証明かも。

個人的に理解しやすいのは「投影」か。

あまり他人を嫌いになることはないのだけれど
そうなった時の自分の反応はといえば「相手が自分を嫌っているかも」という形式。

「自分が相手を嫌っていること」を「相手」に見てしまうシンプルさよ。
事ここに関しては実にわかりやすい。

アル中ニコ中活字中であることを思えば
「何事かに依存しなければ生きられない体質」もありそうで。

どうやら「狂えない卑怯さ」を維持しているらしい。
いずれ「病人」であることは確かか。

あれこれ「やらかした過去」はあり。
たまたまそれが「犯罪」にはなっていないだけのことだろう。

さて。

「ヘンなおぢさん」は今宵下の妹の娘の感想文の手伝いなどさせられ。
この期に及んでマンガを感想文にしない理由を不思議に思うのみ。

それが活字本であろうとマンガであろうと
何も言いたくない作品について長々と書かなければいけないのは「苦痛」なだけ。

そもそも「表現力もしくは母国語の語彙の少なさ」が「基本」である現在ではなおさら。
せめて「好きなもの」について語らせてはどうか。

この「当然」がなぜか「現実」にならず。
「下らない活字本」以上に素敵なマンガはいくらでもあり。

「説明するのはメンドくさい」という「経済」が普通になって久しいのだから
「何事かを言いたくなる作品」についてはもっと多種多様であっていいはず。

すでに「言語の世界」を拒絶する子どもたちが少なくない現実を知っておきたいもの。
彼ら彼女らは「神経を集中したつもり」でも「魂が飛ぶ」のが「基本」。
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