退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「音を描くドラマの漢詩と素敵な『商家の息子』あるいは時代によって異なる魅力を放つ男優」について

2019-03-31 01:21:27 | Weblog
くもりのち雨。ビニール傘を買うことに。

「白楽天詩選(上)」読了。

「琵琶引」の内容が素敵。
琵琶の音色の描写とともにその「ドラマ」がなかなか。

「重題 其三」における「香鑪峰」は清少納言「枕草子」で有名だけれど
「捨此欲焉往 人閒多険艱(此れを捨てて焉くに往かんと欲する 人閒険艱多し)」の方がいい。

開高健「パニック」のラストはこの逆。
「やっぱり人間の群れに戻るより仕方ないじゃないか」。

いずれが優っているかどうかは問題ではなく
それぞれの「見方」を味わえばいいだけ。

久方ぶりに新刊本屋へ行く。

多少迷った挙句に橋本治「思いつきで世界は進む」を買って読む。
冒頭の「反知性より無知性がこわい」にふむふむ。

いわゆる「おやじ系雑誌」に「社会に対する関心」が全くないことを指摘していて。
著者と同じようなことを思えるようになったかといささかの感慨など。

「忖度」は「証明できないもの」で
むしろ重要なのはそんなことをさせてしまう自分を反省することだという「鮮やかさ」よ。

その一方で「承認欲求」などというものが「普通に認められていいのか」という疑問も。
何しろ「徹底的に無視されてきた過去」を持つ著者ゆえ。

「『経済理論』は世界を同様に測るものでなければならないのか」というのが鋭い。
「すべてを貫く『真理』がある」というのは実は「信仰」に近く。

「世界」がわれわれに見せる「姿」はおそらくもっと複雑なはずで。
もっと「具体的に考える」必要がありそう。

そして本書以降に「新作」がないこともあらためて。
さまざまに「恩恵」を受けた身としてはどうにか受け継ぎたいもの。

それにしても著者の全集は出せるのかどうか。
あまりに作品が多いんだもの。

とはいえ個人的には「断簡零墨」に読み落としがあったら確認したいだけなので
「全集」そのものにこだわりはないのでよろしく。

敢えて背負った借金を返済した後で「これから」という時に亡くなったのは
「商家に生まれた遺伝子のせい」だと思うことにしておこう。

ジョー・チャーバニック「ザ・ウォッチャー」(’00)を観る。

彼女が焼け死ぬのを見ることになったFBI捜査官は職を辞めその地を去るものの
彼を「好き」な連続殺人犯が追いかけてきてというお話。

「ブラック・リスト」のジェームズ・スペイダーの若き日の作品。

ハワード・ドゥイッチ「プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角」(’86)や
スティーヴン・ソダーバーグ「セックスと嘘とビデオテープ」(’89)が懐かしい。

フランコ・ゼッフィレッリ「エンドレス・ラブ」(’81)にも出ていた模様。
ダイアナ・ロス&ライオネル・リッチーの主題歌のみ覚えている。

そういえばデヴィッド・クローネンバーグ「クラッシュ」(’96)もあった。
ちょいと「異常な雰囲気」を出すのにうってつけだったということか。

「虚ろな瞳と長い睫毛」の魅力は頭髪を失ってから「渋さ」に変わり。

本作はキアヌ・リーブスの「犯人」にあまり魅力が感じられない。
精神科医マリサ・トメイもそんなに「美人」ではなく。

「焼け死んだ彼女」も同様。
殺す相手が写真で送られ「時間限定」で殺されるのが辛うじての「サスペンス」。

監督は映像に工夫をしたつもりだと思われるが今となってはそれも「虚しい」だけ。
「犯罪者を追う捜査官」が実は「犯罪者の理解者」であることが少しだけ残る。
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「『貧すれば鈍す』ことのない世界と『笑うよりない世界』」について

2019-03-30 02:07:53 | Weblog
晴れ。今日から3連休。

川合康三訳注「白楽天詩選(上)」を少し読む。

有名な「長恨歌」の物語にしばし浸る。
「和漢朗詠集」にも採られた「送王十八歸山 寄題仙遊寺」も。

「林間煖酒燒紅葉(林間に酒を煖めて紅葉を燒き)
 石上題詩掃綠苔(石上に詩を題して綠苔を掃う)」

わが国ではこの一節がとりわけ有名らしい。
といっても今や「知る人ぞ知る」ことになっているはず。

もっともその「境地」に至るのはなかなか。
「恒産なくして恒心なし」であり「貧すれば鈍す」でもあるから。

何より白楽天は当時の「エリート」だもの。
「給料が余る」のはそれなりの収入を得ていればこそ。

スパイク・リー「ブラック・クランズマン」(’18)を近所のシネコンで観る。

「白人英語と黒人英語のバイリンガル」である主人公と仲間の潜入捜査官が
「二人一役」でKKK(クー・クラックス・クラン)を騙すという設定が面白い。

当然「正体がバレる危険」は常にあるので「サスペンス」が自動的に生じ。

D・W・グリフィス「國民の創生」(’15)に
映画における技術とは別の「評価」を下していることに注目。

心に響くのはKKKのデヴィッド・デュークが「健在」であり
南軍のリー将軍像の撤去にまつわる「シャーロッツビルの暴動」は2年前の出来事だということ。

要は映画で描かれている出来事は「かつての歴史」ではなく「現在」そのもの。
トランプの「微妙な『擁護』発言」も記憶に新しい。

この種の「愚かさ」はどうしたら解消されるのだろう。
「『敵』を見出してすべてをそのせいにする悪癖」はなくせるのだろうか。

「ホワイトパワー」を謳い上げる白人と「ブラックパワー」を謳い上げる黒人の「相似」よ。
だからこそ「潜入捜査官」という設定について考えたいもの。

「カタルシス」は「一時的なもの」なのでやはり「ロジック=論理」を重んじたいところ。
とはいえ「現在のわれわれ」にそれが可能なのかどうか。

本作は「騙す」という形で「笑い」をまぶしているけれど。
そうするしかないくらい「現実」が「バカげている」という訴えだと受け止めておく。
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「『共産主義批判の常識』を今頃確認することあるいは『誰もが気楽に暮らせること』の難しさ」について

2019-03-29 02:41:51 | Weblog
晴れ。自宅近くと仕事場付近で風が強く吹く。

小泉信三「共産主義批判の常識」を久方ぶりに再読。

「資本主義が発展し尽した場所で革命が起きる」という予言は
それがロシアで起きたことによって裏切られた。

「商品の価値はそれを生産するため社会的に必要な労働量によって定まる」というが
「深海の底に潜って採取される真珠の価値は高い」としてそれが労働量で決まっているのか。

「物に価値があるから」こそ厭うことのない労働が費やされる。
つまり「需要」が「価値」を決める。

「唯物史観」は「ヘーゲル形而上学」を「地上に下ろしたもの」に過ぎず
「共産主義社会が人類最高の段階」だというのは「千年王国」由来。

「ドイツ偏重」の価値を持つマルクスは
「ヨーロッパにおける民族問題の複雑さ」を無視している。

「プロレタリア」を重視するあまり「農民」を軽視しているとも。

今回の再読で一番興味深かったのは「需要」が「価値」を決めるのだという論点。
現在がそれを「証明」しているように思われるので。

「プロレタリア独裁」は結局「大規模な官僚機構」を必要とするのに
そのことについて全く考えていないようだというのにふむふむ。

「資本論」が「資本主義の解明」に役立ったことは認めるとして
それ以上のものはあるのかどうかは疑問だという指摘はおそらく「正しい」。

そもそも「共産主義」は「資本主義がもたらす酷さ」に対して生まれたものだろう。
ただしその「正義」が行き過ぎると「粛清」が行われ「秘密警察」が力を持つようになり。

「生活に苦しむことのない」学生たちにはいかにも「ウケる内容」なのは確か。
「前衛主義」に「一般大衆」が追い付けるはずもなく。

「革命の持つ暴力性」も忘れずに。
現在まで生き延びている「コミューン」はひょっとして「アーミッシュ」だけなのではないか。

さて。

現在のわれわれは「文明の利器」によって相当に「愚か」に。
「欲しいものをすぐに手に入れること」が「最優先」にもなり。

そこへ「出来るだけ労力をかけずに」という「消費戦略」と
「カタルシスさえあればいい」という「感情の経済」が加わればその結果は明白。

もっともそれをもたらしたのは「生活の貧困」。
「最低限」を維持した上でそれぞれが「好きな事をする自由」を確保できれば。

「他人のあれこれ」には無頓着になる傾向が増すと思われるのだけれど。
少なくともいたずらに「敵」を作って「緊張関係」を生み出したりはしないと思うのだが。

ただし。

「正義は蜜の味」。
「敵」を作って燃え上がると「結束」が固まったりするのが厄介。

「いい按配」は果たして何処に。
たぶん「好きなこと」を見つけるのが一番だと思いつつその難しさもあるからややこしい。
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「生き物の仕組みの見事さと公共交通機関を使うゆえのあれこれ」について

2019-03-28 02:17:30 | Weblog
晴れ。昼夜の寒暖差が激しい。

山脇兆史「昆虫の行動の仕組み 小さな脳による制御とロボットへの応用」を読む。

そもそもそれほど「昆虫好き」ではなかった著者が
「アルゴリズム好き」ゆえ昆虫を調べることになる経緯にふむふむ。

興味深かったのは「オプティック・フロー」と「サッカード」。
前者は「移動中に受ける視覚刺激」で後者は「ターゲット位置への急激な回転運動」。

ニワトリの「首振り」において重要なのが「一度静止すること」なのを思い出す。
「流れる景色」の中では対象も流れるので「静止」によって見極めることになる次第。

トンネルの中を飛ぶハチもなかなか。
左側の壁が進行方向に動くと左に寄り逆方向に動くと右に寄る模様。

「視覚のバランス調整」によって動きが変わる仕組みはまるで「サーモスタット」。
要は「フィードバック」が効いているのだけれど。

そういえば「フィードフォワード」というのもあるらしい。
こちらはある種の「予測」によって動くこと。

何ともうまくできてやがると思うことしきり。
あらためて「生き物の仕組みの見事さ」を思うのみ。

そうしたものを応用してできるロボットについても同様に。
「人間」が「相当に複雑なロボット」であることをあらためて。

先日の墓参りの際に。

妹のマンションまで行くために母親とバスに乗ったところ。
母親はすぐに座ったのだけれどこちらは少しばかり立ったまま。

地下鉄の駅のあるバス停で多くの乗客が降りたので
一番後ろにあるベンチのように長い席の右奥に座って外の風景を眺めていたのだけれど。

途中から大きなバッグを抱えた部活の女子高生の団体がやってきて。
「空いててラッキーだね」などと言いつつ自分の前の座席と左側を「占領」。

窮屈そうに座るオッサンには無頓着で
スマホの画像など見せ合いながら座席の前後で「これヤバイよね」などと。

「SNSにおける人間関係のめんどくささ」を感じさせる会話をしばし。
なるほど「現状はこんな感じか」と思っているうちに降りる駅が近づき。

「すみません」と声をかけたら隣りの女子はすぐ立ち上がったものの
その隣りにいた女子は状況がよくわからなかったよう。

狭い隙間を縫うようにしてどうにか降りる。

大昔に早朝の地下鉄で似たような状況があり。
「この人寝てるのかなあ」などと言われて身動きが取れなくなったことを思い出す。

悪い例では電車の揺れに思わず身体をぶつけてしまった女子が。
「わざとぶつかってきたんじゃない」と聞こえよがしに。

思わず顔が熱くなったことも。
もちろん心の中では「お前なんかにわざとぶつかるわけねーじゃん」。

いやはや。

「公共交通機関」を利用しているといろんなことがあるもの。
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「脳もしくは神経科学の進歩と悪くないB級映画あるいは『事実の無情さ』ゆえの『仕組み』」について

2019-03-27 02:21:57 | Weblog
快晴。やや風が吹く。

井ノ口馨「記憶をあやつる」を読む。

平易な記述なので読みやすくてグッド。
科学の歴史に大いに貢献した学者の仮説が「壁」になることにふむふむ。

それが「さらなる科学の発展」を阻むものになったりもするのを覚えておこう。
どんなに素晴らしい発見をした人物でも「間違える」事実とともに。

「思い出されるほど記憶は不確かになる」のは
記憶の「新たな結合」を可能にするためだというのが興味深いところ。

すでに「記憶を作りかえること」が可能であることも。
まだマウスの段階だけれど「近親関係の性的虐待」に関してはすでに起きていることでもある。

「脳に関する知見のブレイクスルー」はすでに起きているのだろうか。
ちなみに本作は4年足らず前の作品。

改変期のせいで深夜のTVがつまらないのでGyaoへ。
マイク・メンデス「メガ・スパイダー」(’13)を観る。

原題は「BIG ASS SPIDER」で「デカいケツの蜘蛛」。
いかにもな「チープさ」が出ている一方で「物語」はきちんと進むのがいいところ。

「蜘蛛の迫力」は案外本格的。
「80分」という長さで収めているあたりの感覚も悪くない。

「よく出来たB級作品」といった趣きで楽しませてもらった次第。
ラストには有名なメキシコ民謡「ラ・クカラチャ」がかかる。

かの曲のタイトルは「ゴキブリ」。
かつては暴走族が自らを表すために使ったりしたもの。

「夜露死苦」よりは「センス」があるので好ましいけれど。
「キラキラネーム」がすでに「普通」になりつつある現在は誰もが「暴走族」なのかも。

「自ら輝いていない者」が「何事かによって目立つこと」を選ぶのは時代を問わず。
ただし残念ながらそれらは「ニセの輝き」でしかなく。

「恒星」こそが「本物のスター」。
つまりは「自ら輝くもの」でないと。

とはいえ「輝いていないから」こそ「輝き」は求められる。
これも「世の常」。

繰り返せば「事実」はいつも「無情なもの」。
だからこそ「世はいかさま」であることが維持される仕組み。
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「『狂気』を否応なく背負わされる『環境』が戦争であることあるいは『既得権益の保持』は『未来』を殺すこと」について

2019-03-26 02:14:19 | Weblog
晴れ。おだやか。

佐野洋子「死ぬ気まんまん」を読む。

「ニコニコ堂」の何とも幽霊のような雰囲気が素敵。
ホスピスで出会った人々も同様に。

大陸で幼い弟を亡くし帰国後にさらに兄を亡くして。
その上「母親に手を振り払われた記憶」があるのだから。

戦争の影響がまざまざと。
これである種の「狂気」が生じないわけもなく。

「私が愛する人は皆、死人である。」という冒頭の「強烈な一発」よ。
自分の「死んだ人々とのお付き合いが多い」という言葉がいかにも軽く見えた次第。

「自然」が身に降りかかる描写も素敵。
「ゴッホにはそう見えたのだ」という確認にはふむふむ。

デヴィッド・エアー「フューリー」(’14)を観る。

「戦争」がひとりの若者を変える「ビルドゥングス・ロマン=成長物語」。
ブラッド・ピットを中心とした「仲間たち」はまるで「彼のために死ぬ」ような。

「敵」は「子ども」であろうとなかろうと殺さなければ自分たちが殺される。
そうした「有無を言わさない環境」をもたらすのが「戦争」。

「戦わない国民たち」を殺した上で吊るして「見せ物」にする同国人の酷さも。
われわれの「理性」などたかが知れていることを思い出そう。

ドイツ軍の爆撃が同じドイツ人を殺すことになる描写も忘れずに。
その少し前には「好ましい異文化交流」もあったのに。

「戦闘のベテラン」であるはずのブラッド・ピットは
かつて「アフリカ戦線」でうんこを漏らしたこともあるというのが「ミソ」。

つまりは彼も以前は「入隊8週間の若者」と変わりがなかったということ。
さらには戦闘の結果に苦しみつつ実は「聖書」に詳しい人物だったり。

「強力な反戦映画」だということでよろしく。
人々をこういう「環境」に追い詰めてはいけないことだけは確か。

さて。

「ポスト・トゥルース」などという表現は間違っている。
「インチキ野郎たちの跳梁跋扈の時代」と言うべき。

「自らの保身」のためだけに何でもする輩たちが見せるいかにもな「正義ヅラ」。
そもそも何故「正義」が声高に叫ばれるのかを思えば答えは簡単。

そこに「正義」などないから。
「卑怯者」という「価値観」などかけらもないのも同様に。

政府その他の「大本営発表」がまかり通る現在はどう考えても「戦時中」。
やがて来る「敗戦」から若者たちは立ち上がれるのかどうか。

「世はいかさま」という端的な表現を覚えておきたいもの。
「既得権益の保持」のみが優先されれば世の中はさらにヒドイことになるだけ。
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「『気付かないこと』三つ」について

2019-03-25 02:31:32 | Weblog
晴れ。そこそこ冷える。

墓参りに行き久方ぶりに「残念な叔母」と会う。

足はかなり弱ってきたようだが相変わらず口は達者。
今回はすでに故人となった彼女の姉の娘たちのヒドさをあれこれ。

こちらからすれば今頃気付いたのかという感じ。
「ヤクザだったはずの母親」に何の意見もしなかった娘たちの過去があるというのに。

それどころか「貸した金」はいまだに返されぬままで。
まあ「血縁」を「特別なもの」だと考えているのだから仕方がない。

「はけ口」があるだけマシだと思っていただければ幸い。
ただしそれを受け止めるには「相当な負担」があるのだけれど。

河野真太郎「戦う姫、働く少女」を読む。

「フェミニズムの在り様」をさまざまな映画を題材に語る内容。
著者の説く「理屈」はわかるが女子を「ネタ」にしすぎではと思った次第。

結局「自分の理想的な女子像」を語っているだけような。
かなり「オナニー感」が強いので微妙。

マル激を観る。

今回のゲストは弁護士の明石順平。
「アベノミクス」が失敗以外の何物でもなくさらには「粉飾決算」であることを指摘。

「経済の専門家」でない人物が説く「明快さ」がポイント。
「妥当性」を問わない専門家の「派閥議論」をいくら聞いても「真偽」は判断できず。

「名目賃金」が下がり「実質賃金」も下がる一方で「物価」だけが上がれば消費は下がる当然よ。
「リフレ派の反論」を是非聞きたいところ。

本来必要な「産業構造改革」を避けたがゆえの「停滞」は
日銀による異様な「借金の増大」を生み出し。

「物価の上昇」が「賃金の上昇」につながるという命題はまさに「逆は真ならず」。
本来は後者あってこその前者なのに。

結局は「既得権益の維持」のために「未来」が台無しにされ。
「どん底まで行くしかない」という「現実」は動かしようがない模様。

ここからわかることとは。

自分の判断基準を向上させていかないと「デマゴギー」に踊らされるだけという事実か。
「専門家」だというだけで「無条件の信頼」を寄せるわけにはいかないこと。

さて。

過去の自分は「リフレ派」に賛成だった事実を否定できず。
こうした「経験」を重ねて少しでも「賢くなる」しかないらしい。

それにしてもこれほどの「デタラメ」が通用する世の中とは。
「オレオレ詐欺」に引っかかる老人たちを笑えない。

「経済」に関してはまだまだ「修業が足りない」か(おそらくその他についても)。
もっとも「間違える経験」をしない限り賢くなれないのも確か。

「寿命」まで頑張りますとしか言いようがない。
「原発問題」でわかっていたはずのことをなぜ「経済」でわからないのか。

自らの「頭の悪さ」を思うことしきり。
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「老舗バーの行方とはるか昔の『国際人』あるいは『ゾンビ』かもしれないわれわれと『彼岸』」について

2019-03-24 02:21:49 | Weblog
晴れ。今日も夜風が冷たく。

今宵は老舗バーへ電話するものの相変わらずの留守電。

かれこれ三月になるか。
再開の日が来るのかどうかはいよいよ不明。

「王維詩集」読了。

後半はこちらのアンテナに引っかかるものは少なく。
逆に訳し方にいささか引っかかるところもあり。

阿倍仲麻呂に送る詩があるのにはふむふむ。
「唐名」は「朝衡もしくは晁衡」。

彼が遭難して死んだと思った李白は「哭晁卿衡」を書くことに。
そこまで認められる「国際人ぶり」は知っておいていいかも。

帰宅後夕食をすませて早目に二階へ。
マーク・フォースター「ワールド・ウォーZ」(’13)をあらためて観る。

「ゾンビ」が増えつつある現在を思えば
「戦いは始まったばかりだ」という台詞や「壁」の無意味さはむしろ趣き深く。

自らに「死臭」を漂わせることでゾンビにとって「透明な存在」になれる設定も同様。
「不健康な匂い」が「餌として不適格であること」になり。

そこを敢えて「翻訳」するなら「従来の『健康』」を求めないことこそ
「生き延びること」になるという解釈などいかが。

「音に敏感」なゾンビは「クワイエット・プレイス」(’18)にもつながる。
「音=流行=刺激」だと思えば「ゾンビ=われわれ」だったり。

ブラッド・ピットが生き残る「ご都合主義」に目をつぶれば
意外なことが見えてくる作品なのだとしておく。

さて。

明日は墓参りに行くことに。
「墓」はむしろ「心の中」にあると思うのだが如何。

「死んだ人とのお付き合い」が多いとそういう考えにもなるわけで。
「生きている人の都合」はめんどくさいのみ。

なるほど自分は「ほぼ死んでいる存在」なのだと思うことしきり。
少なくとも半分「彼岸」を生きているらしい。
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「淡泊かつ簡潔であることの美しさあるいは『粋判官』の後を追う忙しさと自分のイヤらしさ」について

2019-03-23 02:09:43 | Weblog
晴れ。夜風は強く冷たく。

小川珠樹・都留春雄・入谷仙介選訳「王維詩集」を途中まで読む。

「官職への執着」がなく淡白なのがいい感じ。
とりわけ「網川集」における自然の簡潔な描写が素敵。

「徐中書に贈る 終南山を望む歌」の「悵塵事兮多違(塵事多く違うことを悵む)」
「世俗のことは多くままならずがっかりする」というのにふむふむ。

「張少将に酬ゆ」の冒頭「晩年唯好静 萬事不關心」の境地よ。
「酒を酌みて斐廸に与う」の「人情翻覆似波瀾」もなかなか。

明日読了する予定。
じっくり味わいたいもの。

本来は書棚に置いて事ある毎に読み返すのがいいのだとは知りつつ。
これも「老後の愉しみ」に。

若き日には「都会の仙人」などと称して
「霞の代わりに排気ガスを吸うのだ」などと嘯いていたこともあったか。

その割りにまだまだ「俗気」は消えていない模様。
いまだ修行中の身だということでよろしく。

もっとも成長しないこと夥しく「老成」とはほど遠いことになりそう。
楚狂接輿」には大いに共感するものの「ないものねだり」かも。

いつもの喫茶店で「週刊文春」を読む。

「小林信彦のコラム」で「橋本治」を採り上げているのに「やはり」。
山崎豊子に対する評価の一致を初めて知る。

不勉強にして彼女の作品はひとつも読んだことがなく。
これもいつか確認しておかなければなるまい。

「粋判官」であるふたりの作品はほぼ読んでいるはずだが
とりわけ多作な後者については未読のものも結構あり。

もちろん観てない映画もたっぷりで。

ただでさえ「移り気」な自分が「寿命」までにあれこれ確認できるのかどうかは不明。
次から次へと「やるべきこと」は増える一方で。

困ったことだと思いながらニンマリしている自分がイヤらしい。
石川五右衛門を気取って「世に愉しみの種は尽きまじ」などと言っておく。
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「意外な『女性映画』と『倫理抜きの原発再稼働』あるいは『わかりやすさ』は『敵』であること」について

2019-03-22 02:24:23 | Weblog
雨のちくもり。おだやか。

今日は有給休暇。

シネマイレージとやらが溜まっていたので近所のシネコンへ。
アンナ・ボーデン&ライアン・フレック「キャプテン・マーベル」の吹替版を観る。

「ハリウッドの流行」を思わせる内容。
「女性の『自分探し』と多様性」がテーマ。

ブリー・ラーソンの四角い顔に「意志の強さ」が。
「ルーム」(’15)ではアカデミー賞主演女優賞など。

フランス系らしいが苗字からすれば北欧の血もあるはず。
それも「多様性」だと思えばいい。

彼女を「抑圧する男」にジュード・ロウ。
彼女と「共に戦う男」にサミュエル・L・ジャクソン。

アネット・ベニングが「敵」でもあり「味方」でもあるあたりがなかなか。
主人公の親友の娘アキラ・アクバルのキュートさが素敵。

スタッフに女性が多く見られると同時に
本当にいろんな国の人々が映画作りに参加しているのがよくわかる。

「女子が本気を出したらこんなもんですよ」という印象。
大いにやって頂いて結構。

主人公は当初「ヴァース」と呼ばれているけれど。
それは「本当の名前が記された軍票のかけら」のせい。

どこかで観たようなと思ったら「スター・トレック」(’79)のエピソードに似ていて。
「40年の月日を経て蘇るもの」よ。

女子は女子の遺したエネルギーによって強くなる描写。
「男子の描いた構図のあやしさ」に敏感であるように。

見逃していたマル激を2週分観る。

まずは事故から8年が過ぎた被災地の現状についての回。
ゲストは学生時代に名前を聞いたことのある河田昌東。

「現場」をきちんと調べると「新たな事実」がわかるのにふむふむ。
原発を「ベースロード電源」にする「インチキ」を忘れずに。

「論文を捏造する科学者」を知らないような素振りの司会の迫田朋子。
敢えて「そういうフリ」をしたものだと理解しておく。

次は「5Gに関する米中の覇権争い」に関する回。

経済における「人口規模の重要さ」をあらためて。
さらには「国家の関与」を「当然」とする中国が「勝つ」のも「当然」。

「プライバシー」を重んじれば「データの取得」は限られ。
それがなければ「データの分析」は進み技術力は増すのみ。

ただし内容が面白いかと言われると微妙。
神保哲生の「興味の行方」が不明なので。

「価値観抜きの現実」を認める宮台真司との違いが明白に。
「古きよきアメリカ」を知っている分「こだわり」があるせいかも。

もっとも「当然」を疑うのがジャーナリストなのだから「真っ当」。
「世界の複雑さ」を思えば「わかりやすさ」は常に「敵」ではある。
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