退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「あーあ」な時期について

2011-01-31 01:47:02 | Weblog
晴れ。ただし雲多し。

今日は雪がチラついたらしいが気付かぬまま。
明日もどうやら降る模様。

洗濯するものの外に干せず。
仕方なく室内が満艦飾に。

珍しく活字を読まずに過ごす。
長谷川潾二郎の画文集が残っているのに。

表紙の「猫」を見ているだけで
ちょいと心が和む。

動物を飼ったことは実は一度もない。
おそらく人にしか興味がないのだろう。

とはいえそれほど興味深い人物との接触も数多くはなく。
やっぱり「ご縁」がないのかしら。

とりあえず「人見知り」だからという言い訳をしておこう。
関係各位は「どこが」と言わないように。

気分はやや「うつむきかげん」。
毎度おなじみのことなので適当にやり過ごすことにする。

おそらくは「自家中毒」のようなもので
ある種「季節もの」なので仕方がない。

やがて春も来るので
それまではなんとか。
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「傍観する」週末について

2011-01-30 02:50:58 | Weblog
晴れ。帰りのホームの寒さよ。

久方ぶりにソウルバーへ行く。
ようやくニューボトルを入れる。

今日はたまたまDJのいる日で
彼の選曲に身を委ねてボーッと飲む。

ほとんど喋らないのでマスターが気を遣ってくれる。
十分楽しめたのでOK。

帰宅後サッカー、アジアカップ「日本 vs オーストラリア」を観る。

初戦で悔しさを残した李忠成が
延長後半で見事なボレーシュートを決めて優勝。

そろそろ主力の年齢が高くなりつつあるオーストラリアに対して
選手層の厚さで日本が寄り切ったという印象。

監督ザッケローニの選手起用は
途中交代も含めいずれも試合に作用して成功。

個人的には今回もうまくセンタリングを上げられなかった内田の精進に期待したい。
ドリブルをもう少し工夫して時にはフィニッシュまで持っていく「技術」を。

このレベルの選手層を今後も維持できれば
そこで初めて日本は世界と戦えるはず。

ちょいと飲み直して
眠くなったら眠ることにする。
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本物の「交流」について

2011-01-29 02:45:34 | Weblog
晴れ。冷える。

アン・アリスン「菊とポケモン グローバル化する日本の文化力」読了。

その後の展開はあまりなかった。
アメリカの親たちが「日本文化の侵略」を本気で恐れているのが面白かったけれど。

深夜NHKでイチローの番組を観る。

「野武士」のイメージがやはり強い。
本当はもっと「愛されたい」気持ちが強い模様。

一方ちょっと強がっていつのまにかいなくなりたいとも。
そうした気持ちの在り様はわからないでもない。

謙虚な思いで常に「さよなら」を覚悟している日常。
それでも気分は「まだまだ若造」で。

マリナーズから次々と信頼できる仲間が去ったこともあった昨年。
「個人記録を追う者」として嫌われた過去もあり。

「野武士」という「ライフスタイル」は日本ではお馴染みだけれど
それがアメリカで認められるかどうかは別の問題。

よくも悪くも「自分」を貫き通すこと。
言葉でなく行動で表すこと。

やがて通じるものもある。
そういう「つながり」こそ大切なもの。

やはり「何か」を感じさせないと。
そういう「蓄積」のある人が増えることを祈る。
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視線のみに生きる「男子」なのかということについて

2011-01-28 05:20:21 | Weblog
深夜。youtubeでAKB48を巡る。

かつてヒーロー・ヒロインは圧倒的な魅力があったもの。
その「スター」が消えた後の「星屑たち」の「身近さ」がいいらしい。

若いおなごたちの一所懸命な姿は
「一瞬」を「永遠」にしようとする努力。

ここでも流れゆくものの「不安」は凝視されぬまま
束の間の「きらめき」に溺れる形式。

時計が刻む時間は淡々と過ぎるけれども
「暗い未来」を前提とするよりないらしい。

時間が「微分」される、あるいはされていると思うと
どうやらそういう具合になる模様。

鍛錬を経た技術とか力量とかでない形で
凸凹な魅力を味わうということ。

もちろんその裏には
「非情な金儲け」の「論理」があることは承知しておいて。

何度でも問う。
「男子はどこにいるのか」。

実は男子の「臆病」あるいは「非現実的な対応」が
女子の「リアル」より劣っているのだろう。

もちろん性別のみであれこれ言っても仕方のないこととは知りながら
「生物学上の同性」としていささか歯がゆい気持ちにもなろうというもの。

いわゆる「男前」であることはおそらく重要。
何も「セオリー」がないところに「筋を通す」のはお洒落だから。

繰り返すけれども
性別は問わず「男前=美学」という視点も忘れずに。
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「かわいさ」の向こう側について

2011-01-28 02:36:49 | Weblog
晴れ。夜に冷える。

アン・アリスン「菊とポケモン グローバル化する日本の文化力」を途中まで読む。

「恐竜戦隊ジュウレンジャー(アメリカ名「マイティ・モーフィン・レンジャー)」「セーラームーン」
「たまごっち」「ポケモン」などが1990年代にアメリカでウケた理由とその受容の歴史についての本。

いわゆる「クール・ジャパン」として評価されているものについてのあれこれ。
今だとNHKの「カワイイTV」あたりで採り上げられているもののちょいと前を扱ったもの。

「かわいい」という言葉の中身は案外複雑で
「をかし」「あはれ」など古典の言葉に近い雰囲気がある。

ただ基本的に「無害」でありつつ「心を和ませる」存在をそう呼ぶことだけはわかる。
そうしたモノが「ウケる理由」は相変わらずの「疎外感」だったりするけれど。

他人が自分が望むものを常に与えてくれるわけではないのは「当然」で
その「当然」が「常に与えてくれるモノ」を「身近」に求めさせるのか。

それはある種の「八百万の神」であり
著者は「テクノ・アニミズム」という言葉で表現したりしている。

「変身」するレンジャーと「チームプレー」、
「力強くなくてもヒーロー(ヒロイン)になれる」という「変様」のあり方も「珍しい」のか。

「変身シーン」にこだわる日本と
「日常シーン」にこだわるアメリカとの違いも興味深く。

後半が楽しみだけれど
本書の内容をきちんとお伝えできるかどうかは不安なままということで。
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怠惰な蛸壺にて

2011-01-27 02:29:00 | Weblog
晴れ。やや冷える。

「福田恆存評論集 第十四巻」読了。

欧米と違って神と直接対峙しないわれわれは
いつまでたっても「強靭な個人」にはなれないらしい。

ただしインテリも凡人も「正解」を求める傾向が強いというあたりは
「神なき世界」に別種の「神」を求めているのだろう。

とはいえどこにも「正解」はないのだから
それぞれの「試行錯誤」が延々と繰り返されるだけ。

そこで何か「水脈」のようなものに当たることもあれば
全く当たらないこともある。

かくして「井戸掘り」は続くという次第。

もっとも先人がとっくの昔に掘った場所で
ただウロウロとしているだけに終わることもなきにしもあらず。

「アンテナ」と「爪の鋭さ」だけは維持しておいた方がいいかも。
そうでなければ「引っ掻くこと」さえ出来ない。

というわけでまた明日。
「同じような一日」を淡々と過ごすはず。

興味の赴くままに「ご縁」のままに。
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日本らしさあるいは辺境について

2011-01-26 03:12:11 | Weblog
晴れ。昨日より冷える。

「福田恆存評論集 第十四巻」を途中まで読む。

「作家論 二」に採り上げられているのは
萩原朔太郎・伊藤整・石川啄木・小林秀雄・谷崎潤一郎・国木田独歩・田山花袋・大岡昇平・岸田国士。

その考えに賛同するかどうかは別にして
現在のものと比べると「読みが深い」。

それぞれの拠って立つところをまず見定めているところが好ましい。
人は「自分というフィルター」を通してしか他人を見ることができないとして。

中でも小林秀雄についてのものが興味深い。
福田和也が柄谷行人を評したものより落ち着きがある。

大岡昇平の文体についてもわかりやすい指摘。
谷崎潤一郎について「無意識」だというのには首肯しかねるものの。

サッカー「日本 vs 韓国」を観る。

かなり主審に左右された試合模様。
純粋にプレーのみで楽しみたいところだったけれど。

互いにもらったPKが試合展開を盛り上げ
日本のディフェンスの不徹底がさらに試合をドラマチックに。

結局PK戦まで行き着くドラマを引き寄せたのは
おそらく日本チームの「ひよわさ」。

それはおそらくよくも悪くも本田に象徴される。
内田は結局ひとつも成功例を出せなかったし。

「センタリングもまともに上げられないこと」。
彼にとっては今後の成長の糧になることだろう。

一点取られた後の同点劇はたしかに「キレイ」だった。
それを演出した長友がPKをハズしたのも面白いところ。

こうした「物語」の展開を見ると
どうやら「キリスト教」の「神」の匂いがしなくもない結末。
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「卑屈」になれという「教育」をするシステムについて

2011-01-25 02:55:43 | Weblog
晴れ。寒さは少し緩む。

藤原智美「検索バカ」を読む。

ネットで検索した情報ですべてを済ますのはおかしいと。
いわゆる「空気を読む」という姿勢もよろしくないと。

著者の主張はわからなくもないものの
全体に「朝日新聞」のような「匂い」がするのがやや鼻につく。

若者たちが「空気を読む」のはある意味で当然。
なぜなら彼ら彼女らは「内申書」で評価される世界を経験してきたから。

「評価される」ためには
イヤイヤながらだとしても先生もしくは学校の「評価するもの」を受け入れざるをえない。

学力そのものを測ることはテストで出来るし
生徒の「人間性」などを測るというのはむしろおこがましいこと。

なぜなら評価する先生の「好ましい人間像」というフィルターが
そもそも本当に「好ましい」かどうかはわからないから。

テストの点数で学力を評価するだけでいいのに。
人は学力だけで判断されるものではないということが自動的に明らかになるはず。

現在の「内申書」は「卑屈なふるまい」をむしろ奨励するだけのもの。
これでまともな人間が育つわけもなく。

実は大人の世界も同様だったりするので
心ある子どもたちはその種の「悪習=悪臭」に染まらないようにしていただきたい。

とりあえずその場を「しのぐ」ためには
そうしないわけにはいかない「現状」は重々承知しているけれど。

生徒たちに立派な「感情教育」が出来る人こそ先生になるべきなのが「本来」。
ただしわが国にはその種の「人材」が払底して久しい。
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さらに掻きたてられてしまった「欲望」について

2011-01-24 03:18:37 | Weblog
晴れ。昨日の中途半端な飲み方のせいで午前中に目覚める。

図書館へ行った主な目的は蓮實重彦の「随想」。
あるべき場所になく借りられてもいないので「また誰か読んでやがる」と思いつつ。

ところがあにはからんや。
4冊借りた後で残りの2冊を探していたら思いがけない場所で発見。

某N市中央図書館の二階にあるべきものが
なぜか一階にひっそりと。

思わず「ラッキー」とつぶやき「ちゃんと元の場所に返せよな」と思いつつ
いつものドトールで早速読む。

映画が誰にでも観られることと同様に
文章は誰にでも書けてしまうことの「前提」を常に意識するのは著者ならでは。

「自然」に思えることを徹底的に疑う姿勢は
もし著者がいなくなった後でそういう「視点」を確保できるのだろうかと不安に思う。

年齢のせいもあるのかさすがに「過去」をまぶした部分が増えているのも興味深い。
ちなみに今年七十五歳になるはず。

「東京大空襲」をリアルに経験していたことも明らかになって
疎開先で「異様に明るい空」を見た小林信彦との「対談」がますます読みたくなった。

本作では「アメリカ文化は戦後にやってきたものではない」という小林信彦に
「その通り」と言っている「応答」もあるのだから。

以前に「存命中に是非」と失礼なことを書いてしまったけれど
個人的な希望ではあるが本気でお願いしたい。

仮にその「対談」が現実のものとなったとして
自分がどれほどのものを受けとけられるかは保証のかぎりではないにせよ。

さらに勝手な希望を述べるとしたら
出来るだけ長いもので。

もしその「対談」が現実に「本」として存在することがあったら
「万難を排して」その「謦咳に接する」ことだけは間違いない。
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春ならぬ冬の珍事について

2011-01-23 02:27:44 | Weblog
晴れのちくもり。深夜になるとやはり冷える。

仕事の研修後ガストへ。
プレミアムモルツ2杯とマヨコーンピザにシーザーサラダ。

若い同僚たちがタバスコを使って遊ぶのを見守る。
車で送ってもらい先ほど帰宅。

自分の知らぬ間になぜか「移籍話」が持ち上がっているのに驚く。
上司から「ここに残ってください」と何度も言われる。

正式な話ではないのでそんなに真剣に受け取らなくてもいいとは思うものの
どうやら上司は「移籍される夢」まで見たらしい。

おそらく以前そこで働いていたからということと
通勤が便利になるからという二点がその理由か。

本人としては何の心づもりもなく
妙なことに巻き込まれるのはめんどくさいのだが。

というわけでちょいと飲み直し。
というのは言い訳でいつも通り飲むだけ。

それにしても、いやはや。
穏やかに暮らしている「片隅」にも小さな波風は立つものらしい。

ただし結局何事もなく終わると思われるのは
「情報源」にやや信憑性が欠ける憾みがあるから。
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