退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「苦味と人」について

2014-10-31 02:12:23 | Weblog
晴れ。おだやか。

「魯迅評論集」を途中まで再読。

「苦味」がわかるのが大人だとすれば
著者はその中でも相当な手練れではある。

おそらく本人からすれば「普通の事」のはずなので
周囲がどう言おうとあまり関係ないだろう。

やはり印象に残るのは「水に落ちた犬を打て」という話。
それができるかどうかでその人の「背景」がわかる仕組み。

おそらく現在のわが国の人々は林語堂の「フェアプレイ」に与すると思われるが
まだまだ「悲劇の味わい」が足りないのかもしれない。

もっともそんなものを知らずにすむのが幸いではある。
果たして「歴史」はどんなドラマを用意しているのか。

久方ぶりにNHK「クローズアップ現代」を観たら
先頃亡くなった経済学者宇沢弘文を採り上げていた。

本気で「経世済民=世の中の人がみんな幸せに暮らすこと」を考えていた人物。
こういう「エリート」がいなくなるのは残念な限り。

少なくともそうした人がいたことを知っている者としては
自分のできる範囲であれこれしたいと思わざるをえず。

一部の官僚は「国債破綻」を予想して預金をドル立てにしていたりする模様。
お前が生き延びることにどれほどの意味があるのかと言いたいところ。

それは「究極のインサイダー取引」だと言ってもいい。
小松左京「日本沈没」の田所博士のキャラクターを思え。

いっそ筒井康隆「日本以外全部沈没」を思い出して哄笑しようか。
彼らが「信仰性遅感性」でないことを祈りつつ。

繰り返すが基本は「人」。
それぞれに「好ましいモデル」はあることを忘れずに。
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「スタンダード」について

2014-10-30 02:54:48 | Weblog
快晴。おだやか。

和田誠「いつか聴いた歌 増補改訂版」を読む。

アメリカのスタンダード・ナンバーを採り上げた作品。
言わずもがなではあるけれど「歌い継がれる楽曲」だと思っていただきたい。

わが国には「歌い手個人のもの」である曲が多すぎるという感想になるほど。
ひとつの曲をいろんな風に味わう楽しみに欠けるということ。

ビギン・ザ・ビギン」「スターダスト」「想い出よありがとう」「シング」「歌わせてくれれば私は幸せ
マック・ザ・ナイフ」「朝日のようにそっと」「やさしく歌って」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「天井に踊る

私の好きなもの」「人生で最高なものは無料」「二人でお茶を」「サマータイム」「ザ・マン・アイ・ラヴ
イエスタデイ」「イエスタデイズ」「帰った時のあなたは素敵」「ソフィスティケイテッド・レディ」「ショウほど素敵な商売はない

とりあえず冒頭から二十曲を挙げておく。
こうしてyoutubeで曲を聴ける現在本書はこの種のものの「バイブル」と言ってもいいだろう。

それ以外にどんな曲が選ばれているかはお楽しみ。
それが「お楽しみはこれからだ」シリーズを書き描いた著者にふさわしい。

お気に入りのフランク・シナトラについてはこちらを。
あらためてこういう「楽しみ方」があったのを思い出させてくれたことに感謝。

あれこれ昔の映画を観ておいてよかったと思うことしきり。
このあたりを追いかけるだけで無条件に楽しめるんだもの。

もっと「現在」を生きろという声も聞こえてきそうだが
こうなってしまったのは今更仕方のないこと。

「生まれる時代を間違えた」のだということにしておこう。
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「スターと土」について

2014-10-29 03:03:44 | Weblog
晴れ。今日も夜に冷える。

松田美智子「サムライ 評伝三船敏郎」を読む。

「俳優」としてより「人」としての部分の記述が多い内容で
いささか当てがはずれた次第。

「世界的スター」なのだから正直「私生活」はどうでもよく
それを敢えて明らかにしようとする著者の視点にあまり共感できなかった。

もっともゴシップそのものを否定するわけではなく
出演した作品につながるようなものなら大歓迎なのだが。

繰り返すが「古典」となった映画は小学校・中学校で見せたらいい。
少なくともスクリーン上の「三船敏郎」を観れば何事かを感じるはず。

いたずらに最近のディズニーに「染まる」くらいなら
その方が余程マシだろうと言っておく。

「歴史」がなぜか「蓄積」されないことの多いわが国にいると
ジャンルを問わず余計にそう思いたくなる。

もちろん「素晴らしいキャラクター」はどこの国にもいて
「いいもの」を知ることが大切であることに変わりはないが。

アスファルトの上に散らばる枯葉は「ゴミ」になってしまうけれど
それが土の上なら「栄養」になる。

果たしてわれわれは「いい土」になっているのかどうか。
ある程度の年齢を重ねた者の思い返すべき問いとして挙げておこう。

再び繰り返すが「重ねた年は伊達じゃない」と。
少しぶっきらぼうに言えるくらいのことはしていたいもの。

とりあえず自分なりに日々精進するのみ。
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「ヤクザと笑顔」について

2014-10-28 03:23:38 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

小松正之「世界クジラ戦争」を読む。

かつて水産庁で捕鯨をめぐって活躍した人物のお話。
著者は「まともな仕事」をした後で結局周囲から煙たがられた模様。

それにしてもキャラクターがかなり「濃い」ので
余計なお世話ながら彼を支える身内の大変さを思ったりする次第。

ただこれくらいの人物でないと「世界」とはやっていけないのも事実。
もちろんわが国では「少数派」なので「多数決」によって負ける結果に。

とりあえず本書を読むと「世界はヤクザだ」ということがわかる。
その中でヤクザ以上に「筋を通す」のが「生きる道」か。

しかしそれは「現在のメンバー」では無理。
となるとわが国の命運も推して知るべし。

「大きな話」はそれぐらいにして。

このところあちこち「別の仕事場」に行くことが増え。
まあ「支店めぐり」のようなものだと思っていただければ結構。

いろんな状況をさまざまな人々が生きていることをあらためて実感する。
「いいもの」を伝えられればと思いつつ。

気分はほとんど「蝶」のよう。
束の間「鱗粉」でこれまでとは「違う世界」を見せているつもりだったり。

少なくとも「笑顔」を生み出すこと。
そのあたりに成功すればめでたしめでたしといった具合。

たいてい何とかなるので今後もそのままで。
「流れ」に身をまかせるのはいつものこと。

関係各位あるいはご縁があった向きには今後ともよろしくと挨拶しておく。
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「出会いあれこれ」について

2014-10-27 02:27:04 | Weblog
くもりときどき晴れ。少し蒸し暑い。

梶原公子「25パーセントの女たち」を読む。

副題に「未婚、高学歴、ノンキャリアという生き方」とある。
そうした女子が全体の4分の1はいるということらしい。

彼女たちはフェミニズムとは無関係に「多数派」に違和感を覚えている模様。
ただずっとひとりのままでいることには悩まないでもないと。

「現実」はとうの昔に変わっているのに
「意識」だけは従来のまま「家族を養う」つもりでいる男子にも問題がありそう。

とりあえず一緒に暮らしてみることがよさそうではある。
それでダメなら次に行けばいい。

「実験」が大切なのは科学の世界と同じこと。
案外シンプルだったりするはずなのだが。

マル激で遠藤誉という中国専門家がいることを知る。

中国が「経済力」で相手を「離れられない関係」にして
「自分たちの思い通り」を実現しようとしているという見方になるほど。

「共産党バンザイである程度豊かな生活を送れる」のと
「言論の自由がある中で貧乏に暮らす」のはどっちがいいかという「究極の選択」がなかなか。

「香港のデモ」への対処が実は「台湾併合への演習」だとは。
そして著者の本が台湾で出版されたもののそれに協力した人物は「名前を伏せてくれ」と言ったと。

理由は「北京にたてつくと商売ができなくなるから」というもの。
「金か尊厳か」と問われればたいていの人は前者を取るだろう。

「権力が利益集団になる」のはいずこも同じだとすると
「資本主義」とか「社会主義」とかいう「お題目」は意味を失うというのにうなずく。

久方ぶりに「目からウロコ」。
こういう先生にならあれこれ教えていただきたいもの。

さて。

夜9時すぎに「営業の電話」がかかってくる。
相手はこちらにかまわず「不動産投資」の話をどんどんしてきて。

ある程度話を聞いた後で「お金は出せませんよ」と答えると
「年収は700万円ほどあるでしょう」と言う。

どこの名簿から得た情報だか知らないが圧倒的に間違っている。
「アルバイトです」と言ったらすぐに切れた。

もしもし。

どうでもいいが電話をかける時間帯と自分の手に入れた情報の精度くらい考えた方がいい。
とはいえそれでも「当たり」があるのだろうから「世の中は甘い」のかもしれないが。
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「いつもの場所と遠い場所とこの世のものでないこと」について

2014-10-26 02:40:52 | Weblog
晴れ。おだやか。

今宵もクインビー。

ただし電車を乗り過ごして到着が遅れる。
ちょいとピッチを上げて飲む。

先週の「イベント」の話などしつつあれこれ。
誕生日だったということでメイカーズ・マークのボトルをプレゼントされる。

ありがたく頂いて帰る。
久方ぶりに繰り返すが心ある者はここに集え。

「春秋左氏伝(上)」読了。

読み終わるのは無理かと思いきや何とかなる。
しかし攻めたり攻められたり逃げたり戻ったりと忙しい限り。

「ある種の『プレイ』の応酬」とでも言えばいいのか。
そして人が単純に死ぬのが基本だったりする。

こんな紀元前の大変な場所に生まれなくてよかったと思うことしきり。
もっとも農民の生活は描かれていないのでその立場だとどうかは別。

知り合いの若い女子が階段を踏みはずして関節がはずれた話を聞く。

とはいえ医者に行った後では普通に歩けた模様。
敢えて「それが人生を象徴する出来事にならないといいけど」と言っておいた次第。

彼女は基本的に「能力」が高い。
もったいないのはそこにあまり「努力」がないこと。

当人はやたらに「ヤバイ」と連呼するものの実態は「どこ吹く風」。
いたって呑気にそしてズルくふるまう。

どんな状況でも生きていけそうなので心配などする余地はなく。
ある意味で「将来が楽しみ」なタイプ。

不思議と「恋愛」の気配がない。
おそらくそんなものなどどうでもいいのだろう。

「座敷わらし」がそのまま成長したような雰囲気。
彼女がすでに「この世」を生きていない設定でもうしばらく見ているつもり。
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「『大人』と子どもたちとサイボーグ」について

2014-10-25 03:42:03 | Weblog
晴れ。やや暑いほど。

「春秋左氏伝(上)」を読み進める。

といっても内容はあまり頭に入らず。
久方ぶりにドトールで他人の話に耳を奪われたせい。

どうやら服飾売り場に勤めている先輩とかつての後輩ふたり。
後輩の声はバカっぽく先輩はそれなりに落ち着いた声の若い女子。

前者は彼氏と車に乗っていて事故に遭った話をうれしそうに。
後者は仕事場の人間関係の複雑さをあれこれと。

「いい子なんだけど常識のない後輩」をカバーしつつ
結局かばいきれなくなった先輩の話がなかなか。

「大人」をやっている自分に満足げなのにふむふむ。
もっとも彼女はドトールの椅子に片膝をついて座っていたりしたのだけれど。

地下鉄の電車に大勢の子どもたち。

水族館帰りの彼ら彼女らの風貌は外国風な子が少なくなく。
日本に働きに来た親たちの子どもなのだと推測する。

その集団が予想通りの駅で降りたあとで隅の席に座ったところ。
左の腰に硬い感触があり。

手に取って確かめるとピンクの水筒。
電車から降りようとしているひとりにあわてて「誰かの、誰かの」と差し出した次第。

「忘れ物だよ」と言えばいいのになぜか奇妙なカタコトに。
なんじゃそりゃと思いつつ苦笑する。

深夜「ぼくの彼女はサイボーグ」(’08)を観る。

綾瀬はるかを初めて見た時に「サイボーグみたい」と思ったもの。
肌の質感のせいか。

おそらく監督もそう思ったのだろう。
彼女も来年三十になるらしい。

基本は「人間でないものが人間らしさを見せる」という「黄金パターン」。
そこにさらに「未来の人間」を重ねたのが新しい部分。

いささか強引な展開ではあるけれど「心を感じることができる」。
わかりあえないからこそ「わかりあうこと」が輝いて見える「仕組み」。

われわれはおそらくこの「ドラマ」から逃れることはできない。
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「ある種の隠棲」について

2014-10-24 03:15:34 | Weblog
くもりときどき晴れ。風はなし。

「イスラム哲学とは何か」ようやく読了。

「コーラン」がどのように出来たのかを
「聖書」のように検証できないという「問題」がある模様。

ただしそうすることによって「権威」が崩壊することもあるので微妙だと。
イスラム教の「性質」が変わってしまうことにつながりそう。

いずれにせよギリシャがアラブを経由してヨーロッパに入り
相当な影響を与えた事実を知っておくのは悪くないだろう。

「ロビンソン・クルーソー」のイスラム版のような
イブン・シーナー「ヤクザーンの息子ハイイ」という物語が興味深い。

幼い子どもが小島で動物たちを友として成人する。
一人のムスリムがこの島を訪れふたりは共に「文明化した世界」へ行くものの。

「偽善と欺瞞」に直面したふたりは急いで島に戻り
人間としてあるべき生活を続けるというお話らしい。

ここからどういう「意味」を取り出すかについては
それぞれにお任せすることにしておく。

引き続き山田風太郎「風眼抄」を読む。

昭和三十九年から五十三年までのエッセイを集めたもの。
後に書かれる小説その他の発想の元があれこれ書かれていて楽しい。

著者の文章を読むとなぜか落ち着く。
もちろん同時に大いに笑わせてもくれるのがありがたいところ。

「編者解題」にある星新一の「評価」にうなずくのみ。
発想のスゴさと「地を這う」観察眼が素敵。

個人的な「お気に入り」は妻がお金を置いていくのを忘れて
当時としても大した金額ではない「九十五円」を支払えない話。

ほぼ「禁治産者」の扱いを受けているとも解釈できて
やはり著者が「相当な人物」であることは間違いない。
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「老爺心と好きに生きること」について

2014-10-23 03:03:24 | Weblog
雨のちくもり。風はなし。

まだまだ「イスラム哲学とは何か」。

この分だと明日中に何とかなりそう。
「中世」に戻るという「理想」は「動物化」の昨今と相性がいいかも。

自分であれこれ決めるより「決めてもらいたい人々」が増えているなら
イスラムに限らず「指導者」がいた方がいいだろう。

もっともそうした「時代の要請」に対して
必ずしも「望ましい人物」が出てくるとは限らず。

知り合いの若者たちを見ていると
その様子はあまりにも「ノーガード」で。

放っておいたら「不幸」しか待っていないような気がする。
「老爺心」のせいなら幸いだけれど。

走っている電車から飛行機が見える。
一端姿を消したがしばらくしてまた現れる。

相当角度が違っているように見えたのでいささか不思議。
もちろん飛ぶコースを知っているわけではないのであくまで勝手な感想。

何をするにせよとりあえず「最低限」がわかっていて
それさえ確保できていればあとはむしろ「安泰」。

その種の「基本戦略」さえ持っていないのだとしたら
どういう「幸せ」をつかむというのか。

「今さえあればいい」と言えるのは若者の特権ではある。
その一方で誰もが年を取るのも事実で。

とはいえ「一生を貫くような体験」が待ち構えているかもしれず。
やはりひとりひとりが「実験」を続けるしかないらしい。

その上で「好きに生きること」ができれば上出来。
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「他人の評価と自己評価」について

2014-10-22 02:59:15 | Weblog
くもりときどき晴れ。雨は降らず。

「イスラム哲学とは何か」を読み進める。

内容が面白いかと言われると微妙。
ひとりずつ説明してもらった方がありがたい印象。

ちょっとふむふむと思うところがあるかと思うと
話がすぐ変わってしまうのがこちらとしては受け止めにくい。

もっともそれも自分のせいかもしれず。
とりあえず終わりまで付き合うつもりではある。

先日の「イベント」参加者に「意識が飛んだ話」をしたところ
「それは貴重な場にいました」と言われる。

彼からするとこちらは「隙のないタイプ」に見えているようで
要は「珍しい」ということなのだろう。

自己評価としては案外「天然」だったりするのだけれど
「彼にはそう見えているのか」と参考にしておくことにする。

昨日の仕事場からの帰り道。

一本道で車を避けようとして電柱とフェンスの間に傘が挟まり。
斜めにしてスルッと抜けたつもりがあたふたして。

ただしその「現場」には「目撃者」なし。
夜遅くで人通りも少ないゆえ。

昔の話ではあるものの
空を見上げながら歩いていて何かにぶつかり目の前が真っ暗になったことも。

小学生の頃には地面を見ながら歩いていてふと顔を上げたところ
上級生の女子のスカートの中に突っ込んでこれまた真っ暗になったことなど。

大学の友人の友人には「ターミネーターみたい」と言われたことも考え合わせると
どうやら「時代はずれのバスター・キートン」といったあたりが妥当か。

ただし彼のように
「大勢の女性たちに追いかけられる」経験はいまだない。
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