退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「意表をつかないもの」のについて

2012-06-30 04:24:13 | Weblog
快晴。真夏日。

とはいえ家の中を吹き抜ける風は心地よい。
まだ本格的な夏は来ていない模様。

マンガ喫茶に行った以外はひきこもり。
「ガンツ」9巻から34巻までを流し読む。

物語の辻褄合わせはとっくに放棄されていて
「身近な信頼できる者のために戦うこと」のみをベースに続いている模様。

あとは作者の「機械好み」があるのか。
その「迫力」以外にあまり面白味はなさそうというのが「結論」。

「誰も信じられない」という若者たちの「意識」にシンクロして人気が出たのか。
「ゲーム」に習熟することに熱心であってもいいがその「ゲームそのもの」を疑うことも重要だったり。

基本は「神経過敏」とその裏返しゆえの「粗暴」。
そうした状況で育った「かつての子どもたち」が多いのだと推察しておく。

「現実とは違う世界」でこそむしろ「生きがい」を感じてしまう主人公は
「不全感を抱く若者(とりわけ男)」にアピールしたということか。

映画化された作品でもあるので
どんなものかと覗いてみたもののこちらの「好み」からすると「へぇー」。

次々と強力な「敵」が現れるのは「対戦もの」の「定石」。
すまんが個人的には「で?」というよりない。

「描写」についてはあれこれと「オリジナルの引用」があるのはわかる。

がしかし。

眠くなったので寝ることにする。
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「日常」について

2012-06-29 03:17:13 | Weblog
くもりときどき晴れ。おだやか。

雲間から差し込む日差しが熱いとはいえ
時期を思えば案外涼しい。

野暮用で久方ぶりに市バスに乗る。
乗客たちは全員自分より確実に年上。

「各駅停車」で老人たちの「足」になっていることを知る。
このペースの遅さはおそらく若者には耐えられないだろう。

「棲み分け」と思えばいいのか。
思わぬ「交わり」があった方が楽しいとは思うけれど。

妹のマンションで「残念な叔母」がいつものようにしゃべりまくる。
ほぼ「張り子の虎」で対応する。

明日から珍しく3連休。
明日は歯医者で明後日は仕事場の飲み会。

もう一方の仕事場の若い同僚にも「飲み会をやろう」と誘っておく。
要は「名目」さえあればいいということ。

実は「大人」とじっくり飲みたいものの
そうした機会にはなかなか恵まれないので。

「茶飲み友だち」ならぬ「飲み友だち」がいればいいのだが。
とりあえず当分は今まで通りひとりで飲むことになりそう。

そこそこ楽しめてしまうあたりが厄介なのか。
あるいはそもそもそうした「体質」なのか。

いずれにせよ「自分」と付き合うことは避けられず。
眠くなったら寝ることにする。
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「素晴らしさから遠く離れて」ということについて

2012-06-28 03:49:29 | Weblog
晴れ。薄雲のかかる空。

「神秘哲学―ギリシアの部」もあと少し。

歴史を語る後編になって魅力が増してくる。
この「歴史分析」は「経済」を踏まえていてさすが。

宗教的側面からすると
「耐えられない現実」が「来世」をおびき寄せる「仕組み」は場所を問わない模様。

ほぼ「現在」を描いているように思える内容で
今後のわが国の「参考」になりそう。

いずれ「卓越したもの」は易々と時代を超える。
その「不変」は「普遍」でもあるわけで。

深夜ウィンブルドンにおけるフェデラーの「技」を観る。

久方ぶりにテニスを観たのだけれど
コナーズ・マッケンロー・ボルグの時代を知る者には「高速化」が著しい印象。

むしろこの「世界」は「卓球」に近づいている。
「余裕のさばき」と「エースショットの凄味」はさすがと言うよりない。

それにしてもこれだけ「素晴らしい技術」を深夜にしか放送しないのはもったいない限り。
「どうでもいいドラマ」が介在しない「真のスポーツの姿」がここにあるから。

「圧倒的なもの」は常に人々を魅了する。
「いいもの」を知ることが「豊かさの基本」だと思いたいところ。

さて。

おそらくわが国の政治は「喜劇の体」さえなく
いたずらに「無能の人」の「勘違い」が横行するばかり。

「アノニマス」による「サイバー攻撃」の意味もおそらくはわかっていないだろう。
この「ガラパゴス化」はなんともはや。

たとえば日本サッカーがようやく「世界」と戦えるところまで来たのは
当然のことながら「世界レベル」を知りそこを目指したからであり。

かつて「尊王攘夷」だった薩摩と長州が
諸外国の武力を「身をもって知る」ことで倒幕に走った「歴史の事実」はどこへやら。

「どうしようもない貧しさ」がやがて好ましい「豊かさ」を生む土壌となることを祈る。
「歴史の振り子の力」に期待しつつ眠ることにしよう。
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「いやはや」ということについて

2012-06-27 03:21:46 | Weblog
くもり。涼しい。

深夜TVで「グッドウィルハンティング 旅立ち」(’97)の後半をちょいと覗く。

建設現場で働くベン・アフレックが
才能ある主人公マット・デイモンの「尻を叩く」設定にあらためて気付いた次第。

「故郷の秀才」を「送り出す」風景はかつてのわが国にもよくあったことで
「現代」からすると実に好ましい関係。

この種の「友情」は今もどこかであるのだろうか。
たとえば震災後の福島とかにあってくれれば。

互いに「確執」を抱えながら「和解」に至るのは
ロビン・ウィリアムズとステラン・スカルスガルド。

唯一「心残り」なのは主人公に冷たくされたまま別れるミニー・ドライヴァー。
彼女はいわゆる「美人」ではないけれど「何か言いたくなる感じ」の「微妙な魅力」あり。

「幼児虐待」のもたらすものについても描かれていて
「ダメージからの回復」には相当な「包容力」が必要だと思わされる。

ちなみに監督ガス・ヴァン・サントはこの2年前に
ニコール・キッドマンの「出世作」である「誘う女」を撮っていて。

さて。

気が付けば映画から遠ざかって久しい。
数年前までは相当に「凝った」はずなのに。

振り返ると以前にもそんな時期があったはずで
まるで「過去の恋愛」のよう。

「映画に愛されていないこと」は重々承知の上なので
中野翠「映画の友人」をもじるなら「映画の知り合い」といったところか。

なぜそうなっているのかは不明だけれど
「いつもの台詞」で片づけておこう。

曰く「ご縁がない」。

どうやらどこまでも付いて回るものらしく
とりあえず苦笑してごまかしておく。
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敢えてする「余計なお世話」について

2012-06-26 03:15:19 | Weblog
くもりのち晴れ。朝には雨も降った模様。

「神秘哲学―ギリシアの部」を読み進める。

食い付けるところのみ辛うじて食い付いている感じ。
予想通りの結果ではあるのでとりあえず読み終わるまで。

若者たちにない「しぶとさ」は年月のなせる業。
そこから何かが「開ける」かもしれないことを知っているから。

そこで「老婆心」ならぬ「老爺心」などをちょいと。

かつてあった「権威」は地に堕ち「専門家」に対する信用も失われた現在
重要なのは何なのか。

それはおそらく「身銭を切って手に入れた『最後の砦』」があるかどうか。
誰が何と言おうと「これだけは確か」だというものだろう。

その一方で「自分が勝手に付け加えたもの」に対して
できるだけ冷静に判断を下すこと。

また「他人のダメさ」によって自分を評価せず
あくまでそれとは無関係な「自分の基準」を維持すること。

もちろんあれこれ「ゆれる」のは当然の事であり
「確信」が「疑い」にあるいは「疑い」が「確信」になることもある。

そこでいたずらに「白黒つける」ことをしないですむ「体力」を持つこと。
そのために必要な「経験を重ねる」ことなど。

「確固」と「柔軟」を共存させつつ生きられれば幸せか。
「一見の矛盾」はむしろ「一見の正確さ」を問い返すものでもあり。

「目標としての『正しさ』」があるのはむしろ重要。
「安易な『正しさ』」を疑うのを常識だとして。

「一所懸命」が結果的に「一生懸命」になったというあたりが好ましい。
その種の人々には「自信」に裏打ちされた「謙虚さ」があるから。

「本物」を知っていれば何事にも「終わり」がないことは言わずもがな。
その程度の「真実」については誰もが知っていることにしたい。
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「マンガと映画と現実」について

2012-06-25 02:50:00 | Weblog
くもり。夜になって降る。

昨夜は何だか疲れて寝てしまう。
身体の言うことに身をまかせる。

久方ぶりに近所のマンガ喫茶へ行く。
途中で思い付いて「ガンツ」を8巻まで読むもののあまり魅力がわからず。

全部読んでいないので結論は控えておく。
残りもいちおう確認するつもり。

夕食後TVで「ダークナイト」を観る。

ジョーカー、ヒース・レジャーのキャラクターがいい感じ。
「サイコパス」が登場する作品に共通する「お前もオレと同じ種類だ」というシーンあり。

おそらく彼を更に「跳梁跋扈」させ
二隻の船に爆弾が仕掛けられた場面ではどちらかが爆破される方が「楽しそう」。

プロデューサーによる「チェック」が入ったのか。
個人的にはそこが気に入らないのだけれど。

脇を支えているのがモーガン・フリーマンとマイケル・ケインなので
どう転んでもそこそこのレベルの作品にはなるはず。

「正義漢」に「耐えること」を要求するあたりはなかなか。
ただしすべてを「操っている」のは結局マイケル・ケインだったり。

レイチェル役のマギー・ギレンホールがあまりキレイでないのが残念。
「スーパーマン」におけるマーゴット・キダーもそうだったことを思い出しつつ。

「世界の安定」のために「真実」は隠されてもいいという
「アメリカ映画特有のパターン」がここでも出てくることに「伝統」を感じたりも。

おそらく「正義漢」とは「アメリカそのもの」であり
敢えて「悪役を引き受ける」という設定はいささか「正当化」が過ぎるような。

とはいえあくまであれこれカットされたTV版を観てのことであり
もう一度きちんと観直す必要を感じさせるだけの「魅力」は十分にある。

ゲイリー・オールドマンが「家族思いの人」というのも面白いところ。
若き日の彼こそジョーカーのようなキャラクターを演じていたはず。

深夜、交通事故に遭って身体が不自由になり記憶も不確かになって
やがて結婚するものの出産直後に死んでしまう女性のドキュメンタリーを観る。

「重なるところには不幸が重なるものだ」という見方が「わかりやすい」のだけれど
「積極的で濃密な人生」だったというのが「評価」としては「まとも」。

「恋愛」さらには「結婚」以降表情が豊かになったように見えることを思うと
本人の「生きがいの有無」がいかに「人生」を変えるのかということについて思わざるをえず。

「好ましい誰か」がいることは大いなる「活力源」になる。
そうした「基本法則」はどこでも変わりがない。
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「夢遊病とお経」について

2012-06-23 03:47:12 | Weblog
晴れ。やや風あり。

仕事前に入った喫茶店で「スルー」される。

どこまで放置されるのかと様子をうかがっているうち
結局は「使えないバイトちゃん」のせいだと判明。

気付いた後もアイスコーヒーのみを持ってきて
ガムシロップとフレッシュを忘れる始末。

声は案外出ているのだけれどその行動たるや典型的に「ダメな人」。
自分が水を持って行ったはずの別な客にも注文を聞くのを忘れていた。

彼女に限った話でなく
目を開けているのに「夢遊病」のようにふるまう人々がいささか目立つ。

具体的にどのような「環境」で育つとそうなるのか知りたいのだが
今のところ詳細は不明なまま。

男女を問わず子どもの頃から何らかの「仕事」をやらせた方がいいかも。
「即戦力」はそこから育てる必要がありそうなので。

井筒俊彦「神秘哲学―ギリシアの部」を読み始める。

「コーラン」を全訳した博学の若かりし頃の作品は
どこかニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を思わせる。

内容の「真偽」についてはさすがに何とも判断しかねるものの
「漢籍の素養」に満ち溢れた文章はある種の「お経」のようでついつい引き込まれる次第。

「無味乾燥な形而上学」の「裏側」をついつい読んでしまうあたりに
著者の「情熱」が相当に感じられることは確か。

いささか「神秘主義」に偏りすぎな印象もあるけれど
究極的には人が神秘主義であるよりない理由はいちおう理解しているつもり。

何かが乗り移ったような迫力の凄まじさは否定しようもなく。
あらためて「文語の力」を思い知らされたような。

なるほどこうした「お経」を書いた著者だからこそ
「コーラン」に惹かれることになったのかと今のところ勝手に納得しておく。
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「勝手に貧乏なこと」について

2012-06-22 02:27:19 | Weblog
雨のちくもり。深夜に激しく降る。

久方ぶりにソウルバーへ。
のんびりと飲めないのがやや哀しい。

お客さんがそこそこ来て
ついつい自分の注文するタイミングを失い何も食べずに終わる。

やたらあれこれ「語りたがる」お客さんが多いのが残念。
内容がともなえばいいのだけれどそうもいかず。

「ソウルバー」で「マイアミサウンドマシーン」をリクエストしたり。
せめて「音楽のジャンル」を知っていただきたいもの。

全員いなくなってからマスターとちょいとだけ話す。
「まっとうな努力」がなかなか報われない「現実」を感じる。

もうすこし「好ましいご縁」があればと思いつつ
自分を振り返りやや苦笑い。

終電に間に合い無事帰宅する。
案外酒が回っていないのにいささか驚く。

「ブランチ」以外何も口にしていないのに。
「そういう日」もあるのだと勝手に納得しておく。

のんびり飲めない分と言ってはなんだけれど
通う回数を増やそうかと思うがどうなることやら。

好ましいお店と好ましいお客のマッチングがうまくいってない模様。

というわけで飲み直している次第。

「気のおけない楽しい会話」を味わうという
「普通の幸せ」から遠ざかって久しい。

そこそこ他人を笑わせる「自信」はあれども
「笑わせたい他人」にに出会わないのが問題なのかもしれない。

さて。

「贅沢」はそこそこに明日も「質素」に暮らそう。
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「宙ぶらりんを維持する体力」について

2012-06-21 04:10:34 | Weblog
くもり。やや涼しい。

菊池誠・松永和紀・伊勢田哲治・平川秀幸・飯田泰之+SYNODOS
「もうダマされないための『科学』講義」を読む。

さまざまな分野の人々が交わることは好ましく
「プラットフォーム作り」としてはいい感じ。

素人にありがちな「間違い」は
いたずらに専門家に「白黒つけること」を要求すること。

何事においても極めれば極めるほど
「グレーゾーン」が広がるのが「常識」なのは知っておいていいだろう。

世の中には「相当にいい加減なことを言う人が少なくないこと」も同様に。
ならば「互いにチェックしあえる環境」が確保できれば幸いということ。

一方で重要なのは「専門家」が「素人の疑問」を「バカにしないこと」。
共に話し合ってみることで「互いの先入観」を解きほぐせれば。

「専門家」にありがちな「間違い」は
「啓蒙」によってすべてが「解決」するように思ってしまうこと。

もちろん「ある程度信用できる知識の数々」があることは大切。
ただし実は「信頼できると思われること」がいっそう大切だったりする。

「絶対的な正しさ」は誰も保証できないのが「前提」。
ならば自分の考えを他人にチェックできる形で公表しあうのが賢明なはず。

あらゆる「情報」は「不確か」な部分を持つ。
その「宙ぶらりん」を「デフォルト」にしたいものではある。

「何も信じられない」もしくは「これは絶対信じられる」と
「安易な結論」に飛び付かないように。

「自分の安心」のためだけに
「一定の確からしさ」を放棄するのは「貧しい」。

そうした姿勢を維持できるのは「基礎体力」なので
各自しっかりと「自分を鍛える毎日」を過ごそう。
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「ロック=カッコいい=本物」について

2012-06-20 02:54:10 | Weblog
台風のちおだやか。騒ぐほどのこともなし。

昨夜はこれを書いたはずなのだが
タイトルをつけるあたりで「爆死」した模様。

今日は台風で仕事が休みになる。
タバコを買いに出た以外はひきこもり。

サエキけんぞう「ロックとメディア社会」を読む。

元「パール兄弟」の著者による「音楽の歴史とメディアの関係」についてのあれこれ。
「若者向けの啓蒙の書」だと思えばいいのか。

とはいえ「歴史」を思い出せるほどの年月を経ていない者にとっては
常に「現実の苦しさ」だけが浮かび上がりやすく。

「ネタ」が音楽なのだから
せめてそれぞれの曲を「聴ける条件」を示しておかなければあまり意味が感じられない。

それを「浅墓」というには
われわれは「子ども」であり過ぎていたりもするわけで。

最近サボりがちなマル激をちょっとだけ観る。

先日ようやく自由の身になり出国できたネパール人を15年もの間「監禁」するに至ったのは
自らが属する「組織の利益」のみを維持すべく動いた人間によるものだったらしい。

要は「無能な輩」が「組織の空気」を維持する行動に出るということ。
ただそこで思うのは彼らがなぜ「そうせざるを得なくなるのか」。

結局は「自分の持つ『正しさ』」を優先できない「弱さ」ゆえか。
むしろ彼らが「安穏に暮らす」ための「工学的設計」を考えるべきなのだろう。

「『いいこと』をした者が誉められ評価されること」

考えてみれば実に単純なことだけれど
その「いいこと」がどういった類いのことなのかにつての「共通認識」がなければならないのが「厄介」か。

一方でいたずらに「貨幣量」を競うだけの「貧しい現実」はあり。
「自分を承認する他人の数の多さ」についても同様。

繰り返すが各地で行われているのは「『ごっこ』の維持」。

その種の「自覚」があるならば「本物の凄さ」を見せるよりないので
思い当たる向きはさらに精進しつつ「感染」を促していただきたい。
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